等々力 稜, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/ryo-todoriki/ Wed, 31 Aug 2022 04:06:42 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.4 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 等々力 稜, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/ryo-todoriki/ 32 32 トヤマタクロウが写し出す「フジロック ’22」の情景 https://tokion.jp/2022/08/31/fuji-rock-22-captured-by-takuroh-toyama/ Wed, 31 Aug 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=142767 初の中止や日本人アーティストのみなどのイレギュラーを経て、例年通りの開催を目指した「フジロック '22」を、トヤマタクロウが撮影した。

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トヤマタクロウが写し出す「フジロック ’22」の情景

今夏は大小さまざまな音楽フェスが開催された。依然続くコロナ禍は規模の縮小や出演者の直前キャンセルなどに影響しているものの、軒並み中止となった一昨年、なんとか開催されながらもイレギュラーなことばかりだった昨年と比べると、多くの人がエンターテインメントが徐々に戻りつつあることを肌で感じたのではないだろうか。

「フジロックフェスティバル ’22」も例外ではなく、”いつものフジロック”を掲げ、3年ぶりに海外ミュージシャンも迎え、昨年は取りやめたアルコール販売も再開するなど、完全復活への第一歩を踏み出した。

同時に、コロナ禍におけるフェスは開催することへの意義が以前にも増して問われるとともに、時に多様な意見が入り混じる議題にもなってきた。年々音楽と社会との結びつきは強固になる一方で、あまりにもステートメントが前面に出ると、イベントや音楽本来の魅力を忘れてしまうような瞬間もあるように思える。

今回、音楽やファッション業界で幅広く活躍する写真家のトヤマタクロウに、彼の目線を通して音楽と自然が融合した「フジロック」を撮影してもらった。美しい情景や躍動感あるライヴ写真を通して、今夏を振り返るとともに、来年の「フジロック」に思いを馳せる一助となれば幸いだ。

トヤマタクロウ

トヤマタクロウ
1988年生まれ。写真を用いた作品制作を中心に活動。2021年に作品集『DEVENIR』を刊行し、個展「DEVENIR 2021/11/20 – 12/05」(es quart, 2021)、「DEVENIR 2022/2/15-27」(Utrecht, 2022)を開催。
https://takurohtoyama.com
Instagram:@takurohtoyama

Photography Takuroh Toyama

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生地から解き明かす「ターク」の哲学 後編 「着てくれた人の1日が幸せになる」ための服作り https://tokion.jp/2022/04/26/taakk-takuya-morikawa-part2/ Tue, 26 Apr 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=108759 ファッションブランド「ターク」の生地に焦点を当てて、服作りの哲学に迫るインタビューの後編。2022年春夏コレクションから、ファッション本来の魅力やデザイナーとしての使命を考える。

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森川拓野が手掛けるファッションブランド「ターク」の服にはどこか違和感がある。アイテムは、テーラードジャケットやシャツ、トレンチコート、MA-1など普遍的なものが中心だ。しかし、それらをじっくりと観察すると違和感の正体に気付く。

「ターク」は、上質さを追求するだけでなく、デザインのアイデアを元に服の根幹とも言える生地を独自に開発することで、見たこともないアイテムを生み出している。素材がグラデーションのように切り替わるファブリックを用いれば、ジャケットとシャツの境界線が曖昧な1着となり、デニムのダメージを加工ではなく織りによって表現すれば、見慣れたアイテムが新たな一面をのぞかせる。そして、確かな技術によって作られる生地とアイテムは、違和感をまといながらも、日常に取り入れやすいのも特徴だ。

前後編にわたる今回のインタビューでは、生地に焦点を当てて「ターク」の服作りの哲学を探っていく。後編では、2022年春夏コレクションのアイテムから、服そのものが持つ力について語ってもらった。

ギミックが効いた生地と、高揚感のあるデザインのミックス

――今シーズンは、素材がグラデーションで変わっていくシリーズには特に驚きました。素材が切り替わるにつれて、トレンチコートからMA-1というように、アイテム自体も変化しています。どのような部分を意識してアップデートしたのでしょうか?

森川拓野(以下、森川):このシリーズ自体が新しすぎたから、初めてできあがった時は楽しんでやっていたんです。その次のシーズンは素材違いを試したんですが、今回は、厚みと膨らみを出すというのが隠れたテーマでした。シングルの織りだったこれまでに対し、今回は二重織りでボリュームを出しています。

――アイデアだけでなく、生地そのものの質も追求したんですね。

森川:最初はどこまでアップデートできるかがわからなかったけれど、機屋さんと一緒に考えていて試作を続けることでようやく見えてきました。それに、コロナが流行り始めてから1年は、表現よりも技術開発に注力して定番アイテムを底上げしていたんです。

――グラデーションに合わせて施した植物の刺しゅうも目を引きました。

森川:生地の変化に合わせて桜の枝が成長している刺しゅうを施しました。デザインを加えることで、生地の技術的な驚き以外で高揚感を出したかったんです。コロナ禍中に培ってきた技術に表現をどうやって乗せるかが、今回の全体的なテーマでした。

――リネンのジャケットは裾に向かってコットン地のシャツに切り替わっていて、タックインできる仕様です。過去のインタビューでは、できあがった生地からどのようなフォルムにしていくかを考えるとお話ししていました。このアイテムはまさにそのように作っているように思いました。

森川:素材に差があればあるほどアイテムの形に差を作りやすいし、生地の特性に合わせたものを作ることにはこだわっています。無理にデザインしないというか、それぞれの素材が求めている形を作っているような感覚です。

――他にはどのような生地がありますか?

森川:このユリをモチーフにしたアイテムは、主にウィメンズでよくあるカットジャカードと呼ばれるもの。大柄にすることで柄と抜け感のコントラストが生まれて好きですね。ジャカードは作れる幅が決まっていて、ここまで大きくできる機械の台数も多くないんですが、それがある産地を知っていたので作ることができました。

――既製品の生地を加工した生地も作っているのでしょうか?

森川:そうですが、さまざまな加工を施して見たこともない生地に変化させています。服を作っている人であれば簡単に買える生地に、綿を溶かすオパール加工をし、さらに顔料を加えることで(透ける部分と顔料の部分に)ギャップが生まれて、見たことのない生地になる。

――見慣れた生地でも見せ方1つで変わるんですね。

森川:これもありものをいじった系です。医療に使われるようなポリエステルのジャージー素材で服を作り職人がその上からスプレーすると、人間の仕事だから絶対にムラ感が生まれるじゃないですか。それがレザーっぽく見えるんです。元はファッション的な生地ではないけど、それぞれの加工に適しているものを選んでいます。

――そういった大胆なアイデアを工場はすぐに理解してくれるのでしょうか?

森川:工場によって何ができるのかをあらかじめ理解しておくと、こちらも経験があるから「ここをこうすれば、こんなものができるでしょ」と提案できます。その作り方のロジックを考えていくのがおもしろいんです。

自然の美しさと技術が混ざり合ったアイテムを目指す

――今回のコレクションテーマ「自然」にはどのような思いを込めたのでしょうか?

森川:このコレクションを発表する頃にはコロナも終息し、パリに行けると思っていたのでハッピーなテーマでやりたかったんです。自然はみんなが良いと感じられるものだし、自然の力強さに魅力を感じたんです。それにみんなコラボばかりしているから、僕は地球をアーティストに見立ててコラボしようと(笑)。

――地表や、波が削ってできた海岸線のグラフィックを落とし込んでいますね。

森川:この造形美って人間が描こうと思っても描けないし、意図していない美しさがある。グラフィックをただプリントするのではなく、ちゃんと技術と融合させようと思いました。コラボという言葉を使ったのも、自然の美しさと技術が混ざり合ったような1着にしたかったからなんです。

――これも景色がグラデーションでだんだんと溶けてなくなっていくようですね。どのような仕組みになっているんですか?

森川:生地自体は、透けない白から透ける黒に切り替わっています。そこに柄をプリントすると、透けない白にはうつるけど、透ける黒にはうつらない。だから徐々に消えていくように見えるんです。

――すごい発想ですね!

森川:黒地にはインクジェットプリントが乗らないってことは服を作る人にとっては常識なのでそれの組み合わせのアイデアです。でもプリントして服のパターンに合わせて裁断してって、結構大変ですけどね。

――タイダイもインパクトがありました。

森川:絵の具を水面にぽたっとたらすときれいに広がるじゃないですか。その様子をイメージして、花が水に溶け出したらすごく素敵なんじゃないかと考えて作ったグラフィックです。だからパッと見何かわからないけど、由来はお花です。

服の魅力、そしてデザイナーがやるべきこと

――今シーズンはムービーで発表していますが、森川さんがデザイナーの使命として「服を着てくれた人の1日が幸せになればいい」って仰っていたのが印象的でした。

森川:それがデザイナーの一番の仕事だと思います。気分に合わないTシャツを着て出ちゃった日は1日嫌じゃないですか、人にも会いたくなくなりますし。でも、気に入った洋服を着た日はそれだけで幸せになる。それこそ洋服が持っている力で、そういう服を一生懸命作るのがデザイナーの使命なんです。

――着る側は純粋にかっこいいと思ったものを感覚的に着ることも多いですが、それでも驚きのある服を見ると、ファッションの根本のおもしろさを感じられるのではないかと。「ターク」はまさにそんな服だと思います。

森川:そこに応えたいですし、着る人には絶対伝わるものがあると思います。あと、僕はよく「デザインをしないように、デザインをする」って言っているのですが、ブランドとして強い個性を打ち出すためにしっかりデザインしているけど、あくまで着る人の日常に溶け込むことは大事にしています。切って貼ってみたいな表層的なことがデザインと言われてしまうこともありますが、うわべだけでは伝わらないし、芯の強さを見せたいです。

――肌に触れるという意味でも、生地はデザインの根底とも言えますね。

森川:さまざまな要素が合わさった上で服が成り立っていますが、その一番の根本である生地からデザインすべきです。三つ星シェフだって、スーパーとかではなく、契約農家さんの野菜を使うじゃないですか。自分の料理に合う野菜を選んで、生産者とコミュニケーションをとって、時間を費やして感動させるものを作る。ファッションも同じだと思います。だから糸から研究するし、織機のことも全部理解しようとするし、自分が求めているものはこうだと職人に突っ込んで話す。そんなあたりまえをひたすらやり続けています。

Photography Kohei Omachi

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生地から解き明かす「ターク」の哲学 前編 デザインの着想源となる“原石”を探す https://tokion.jp/2022/04/23/taakk-takuya-morikawa-part1/ Sat, 23 Apr 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=108528 ファッションブランド「ターク」の生地に焦点を当てて、服作りの哲学に迫るインタビューの前編。これまでのシーズンの振り返りや、生地開発のきっかけとなる“原石”などについて話を聞いた。

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森川拓野が手掛けるファッションブランド「ターク」の服にはどこか違和感がある。アイテムは、テーラードジャケットやシャツ、トレンチコート、MA-1など普遍的なものが中心だ。しかし、それらをじっくりと観察すると違和感の正体に気付く。

「ターク」は、上質さを追求するだけでなく、デザインのアイデアを元に服の根幹とも言える生地を独自に開発することで、見たこともないアイテムを生み出している。素材がグラデーションのように切り替わる生地を用いれば、ジャケットとシャツの境界線が曖昧な1着となり、デニムのダメージを加工ではなく織りによって表現すれば、見慣れたアイテムが新たな一面をのぞかせる。そして、確かな技術によって作られる生地とアイテムは、違和感をまといながらも、日常に取り入れやすいのも特徴だ。

前後編にわたる今回のインタビューでは、生地に焦点を当てて「ターク」の服作りの哲学を探っていく。前編では、過去のコレクションや、アップデートしながらも定番として展開している生地について森川に語ってもらった。

既製品を加工して、別の生地へと作り変えたデビューシーズン

――「ターク」を立ち上げた当初から、生地へのこだわりがあったのでしょうか?

森川拓野(以下、森川):そうですね、生地の可能性を信じていて、そこから生まれる服の表現を模索してました。

――初期は既製品の生地を工夫して使用していたそうですね。

森川:当時はお金もなくて、イチから生地を織ってもらうこともできなかったので。かと言って、既製品の生地をそのまま切り貼りしても、結局は他社と同じようなものしかできない。デビューから2シーズンは、ありものの生地を加工してオリジナリティあるものに化けさせる方法を模索していました。

――デビューシーズンで印象に残っているアイテムはありますか?

森川:このジャケット(画像右)はかなり思い入れがありますね。同じチェック生地同士をバイアスと通常の地の目を重ね合わせて、バイアスチェックを細かく半分以上溶かしてチェック同士が複雑に混ざり合う表現をしました。次のシーズンでも、ありもののウールヘリンボーンとタフタのチェックの生地をニードルパンチでドッキングさせて、柄が混ざり合うジャケット(画像左)を作成しましたね。この時は、(前職の)「イッセイ ミヤケ」の時から仲が良い加工業者にお願いしていました。

――オリジナルで生地を作り始めたのはいつ頃なのでしょうか?

森川:3シーズン目からやり始めたんですけど、やっぱり難しかったです。失敗もありました。

――失敗というのは?

森川:蓄えていたアイデアだとか加工技術、それにお金も使い果たした感じで。これ以上新しい表現をしていくには織りが必要で、そこから徐々に織りも勉強するようになりましたが、うまく思い通りに織れないし、加工表現よりやれることが限られるので……。

――個人的に、「ターク」が作る生地を明確に意識するようになったのは、織りでダメージを表現したデニムのアイテムです。

森川:僕も思い入れがありますよ。発表してから4、5年経ちますかね。一般的なデニムの加工は服ができあがってから施すけど、これはダメージの柄を最初の段階で生地に織り込むと、全く違うものができるんじゃないかという企画です。ジーンズをはくと自然にできるヒゲやハチノス、色落ちのデータをとって、それをジャカードで表現しました。実際のデニムをそのままスキャンしているので、見た目にも違和感がないんです。

――毎シーズン定番として作っていますよね。

森川:でも、最初は全然売れなかったんですよ。自分の中ではすごくいい企画だと思っていたけど泣かず飛ばずで、イライラしてやり続けたら定番になったという(笑)。今でも毎シーズン少しずつ変化させていて、売れ続けています。

デザインの着想源となるような“原石”を探す

――もう1つ、グラデーションのように素材が切り替わっていく生地も「ターク」を代表するシリーズだと思います。

森川:これができた時は超興奮しました。なんでもできるんだなって。

――どれくらいかけて開発したんですか?

森川:原石を見つけてからは、ワンシーズンでできあがりました。

――原石というのは?

森川:これがこのシリーズの原石。何かのサンプルか、もしかしたら実際に売り物にもなっていたのかもしれません。機屋さんには昔織ったものを集めた資料部屋があって、そこでひたすら探すんですよ。正直、これだけ見てもカッコ良くはないんですが、これこそが原石で、透明な部分が黄色い部分の下にも潜んでいるんじゃないかと思ったんです。

――それを元に応用していく?

森川:これを見つけた時、MA-1を透明にできると思ったんです。ナイロンクロスだったら普通に織れるだろうから、それを途中から透明にできないかとお願いしたらうまくいって。この時は春夏シーズンの制作中だったから、リネンからコットンのシャツ地に切り替わる生地もたくさん試してもらいました。

――こういうサンプル的なものから発展させているとは思いませんでした。

森川:これを見てワクワクできるかどうかが大事なんです。それに、何かの原石を見つけて広げていくということは、(三宅)一生さんが教えてくれたこと。現場に行って、少しでも可能性があると思ったら開発を進めたほうがいいと一生さんも言っていて、その言葉が財産になっているのかなと思います。

――それぞれの工場に何ができるのかを知ることも重要なんですね。

森川:そう。で、実はこのシリーズはもっと前から構想があったんです。1枚の生地から別の生地に織りかえられたらおもしろいだろうというアイデアがずっとあったけど、自分が知っている機屋さんだとできなくて。そこで別の機屋さんを調べて飛び込みで行って資料室を見せてもらったら、予想通りこの原石を見つけたんです。その時、生地のトリックも教えてもらえて。

――工場の人達との協力関係も必須ですね。

森川:こんな変な生地の開発に付き合ってくれる工場の人達も変わっていて、「良いのができました!」って喜んで電話してくれます。職人さんをやる気にさせるのも、デザイナーにとって大事な力ですから。

「あたりまえのことをただただ信じてやっている」

――ブランドにとって、オリジナルで生地開発をすることはどのような意味があると思いますか?

森川:ブランドとしてあたりまえのことをやっているだけだと僕は思っています。もちろんできあがりを想像するために絵はいっぱい描きますけど、生地の落ち感を把握せずにパタンナーに正確に依頼することもできないだろうし。素敵な絵型を描いて、どこを縫い目にしてどんなサイズ感で作るか――そういうのも大事だけど、実物が完成するまでにデザイナーとしてやるべきことが他に残されていたら、それをやらないと落ち着かない。せっかく服を作るんだったら、本気でやらないと。おもしろくてハマったというのもありますが、僕はそういうあたりまえのことをただただ信じてやっているだけです。

――結果的に、個性的な生地がブランドのオリジナリティにもなっています。

森川:「イッセイ ミヤケ」のウィメンズチームにいた頃は本当に自由で、1週間に1回の企画プレゼンに通れば何を開発しても良いという雰囲気だったんです。ただ、「イッセイ」にはテキスタイルデザイナーがいます。じゃあその人達がやらないところを、ということで加工した生地を開発するようになりました。メンズに異動してからも、企画プレゼンの時に、それまでやってきた加工技術を発表したら反応が良かったんです。当時のメンズの文脈ではそういう加工が珍しかったので。それに、ファッションに残されていることはそこしかないって思ったんです。その1年後くらいに独立し、その時に確証はあったけど、ようやく最近開発のこともわかってきた感じです。

――2020年春夏コレクションも転機だと思っていました。まずは新しいアイデアを元に生地を発表して、翌シーズン以降にそれをブラッシュアップしていく流れができたシーズンでした。

森川:確かに、きっかけの1つだったかもしれません。その頃、「ファッション プライズ オブ トウキョウ」(東京都と繊維ファッション産学協議会が主催するファッションコンペ)も受賞して、パリで発表できるようになったっていうのはだいぶ変わったかな。人間、ちょっとした自信も大きいじゃないですか。あのシーズンで肩の力が抜けたのかも。

――そこで「ターク」らしさが生まれたきっかけの1つだったのかなと。

森川:でもまた捨てようとしています。

――別のことを?

森川:もっと違う開発に挑戦したいし、それに、何かとイライラするじゃないですか、今の時代って。だから自分が変わらないと何も変わらないなと思っていて。もちろん今までやってきたことの蓄積もありつつ、やっぱりみんなが驚く新しいことをやりたい。それに、ワクワクすればするほど、過去のシーズンの構成とかが目につくし、チーム全体で変わりたいとも話しています。僕はなるべく着やすい形をずっと追い求めてきたけど、これからは1歩踏み込んだカッティングデザインだってもっとできるだろうし、「今まではこうだった」とブレーキをかけようとする自分を取っ払いたいんです。

Photography Kohei Omachi

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偶然から生まれるコラージュに何を見出すか ヤビク・エンリケ・ユウジの個展「MOTION」 https://tokion.jp/2021/04/15/yabiku-henrique-yudis-solo-exhibition/ Thu, 15 Apr 2021 01:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=28940 自身最大規模となる個展「MOTION」が東京・渋谷の「ディーゼル アート ギャラリー」で5月13日まで開催されている。その展示内容や作品制作について話を聞いた。

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コラージュアーティストのヤビク・エンリケ・ユウジの個展「MOTION」が東京・渋谷の「ディーゼル アート ギャラリー」で5月13日まで開催されている。

ヤビクは1997年にブラジルのサンパウロで生まれ、11歳の時に日本に移住した。服飾学校や販売員などを経て、2017年にコラージュアートの制作を開始。古い雑誌の切り抜きや自身で撮影した写真、さらには街中で拾ったゴミや商品のパッケージなどを用いて作品を制作している他、「ヴァレンティノ」等のファッションブランドとの協業も行っている。

自身最大規模となる「MOTION」では、アナログなコラージュアートだけでなく、絵画やプロダクトデザイナーのトトキサクラとともにオブジェクトやインスタレーションも制作している。今回は自身の経歴にも通じる作品制作や、タイトル「MOTION」の理由にしていることなどについて話を聞いた。彼のコラージュアートを通して混沌とした現代と向き合うことで、新たに見えてくるものがあるのではないか。

経歴にも通じる、偶然から生まれる作品制作

――ヤビクさんはコラージュアート制作を始める前は文化服装学院に在学していたそうですね。

ヤビク・エンリケ・ユウジ(以下、ヤビク):中退しちゃったんですけど、1年間だけ通っていました。もともとあき性で、いろんなことにハマる性格なのですが、高校生の時に熱中していたのがファッションだったんです。服飾は難しそうでしたが、思いつきで行動するタイプなのでまずは受験してみようと。

――やりたいと思ってもなかなか挑戦しない人が多い中、行動力がありますね。

ヤビク:自分の直感を信じるようにしています。突然湧き上がった考えに不思議な力を感じるというか。そういう性格もあって、今までにいろんなことを試してきました。最初から目標を定めるというよりも、まずはいろいろ試してみて、その中から本当にやりたいことを見つければいいやと思っています。

文化服装学院を辞めた後は「イッセイ ミヤケ」で販売員のアルバイトを始めました。入った時は嬉しかったんですけど、でも、やっぱり別のこともやってみたいという気持ちになったんです。結局辞めてしまい、そのあとくらいからコラージュ制作を始めました。今から3年半くらい前の話ですね。

――古い雑誌などを切り抜いてコラージュ制作を始めたそうですが、雑誌を集めるきっかけはなんだったのでしょうか?

ヤビク:文化服装学院を辞めたあと、友達に連れられて池袋の今はなき古本屋に行ったんです。僕はもともと古本屋に通う習慣はなかったんですけど、そこで見た昔の「プレイボーイ」がとにかく印象的で。当時はお金もなかったけど古本は安いですし、いっぱい集めるようになりました。「イッセイ ミヤケ」を辞めてからは時間があり余っていたので、いろんな古本屋に行きましたね。最初はただ好きで集めていた感じです。

――作品の特徴をあげるとしたらなんでしょうか?

ヤビク:作品の中の余白はとても大事にしています。コラージュ自体はいろんな素材が組み合わさって情報が溢れている状態なので、余白があることで全体のバランスが良くなるんです。余白を意識していることは自分の全作品に共通して言えることですね。

――制作過程についても教えていただけますか?

ヤビク:制作はある程度偶然に任せています。考えすぎると手が動かないですし、たまたま生まれるものが好きなんです。その制作方法は自分の経歴とも似ているように思います。思いつきに任せてきたせいか、作品もそのように作るようになったのかもしれません。偶然の中から何が生まれるのかは僕も予期できないけど、それがおもしろくもあるんです。

――ご出身はブラジルのサンパウロで、現在は東京在住ですが、それぞれの街はヤビクさんの目にどのように映っているのでしょうか?

ヤビク:ブラジルは移民も多いし、僕の周りにもいろんな人種の友達がいました。それに街自体もごちゃごちゃしていましたね。美術館の隣にスーパーがある、みたいな。ただ、ものすごい情報量で混沌としているのに、街としてきちんと成立していると思っていました。

東京もサンパウロと似たところがあると思っています。ただ日本はブラジルよりも技術が発展しているし、ファッションやカルチャーがものすごく強い。いくつもの独自の文化で構成されているのが東京の魅力なんでしょうね。

無常の世の中から何を見出すか――「MOTION」の由来

――今回の個展のタイトルを「MOTION」にした理由はなんでしょうか?

ヤビク:無常という言葉もあるように世の中は常に動いていて、その中から新しいものが生まれたり、同時に朽ちていったりするじゃないですか。そんな常に“動いている”状態の中からどうやって美しさを見出したり、自分が置かれた状況を前向きに捉えることができるかを考えたくて、このタイトルにしました。

それに“MOTION”という字面も好きなんです。左右のMとNが似ていて、その2文字が挟むように真ん中にOが2つある感じがかっこいいなって。字面の良いタイトルにすることは最初から意識していましたが、それに加えて自分の考えに合う言葉がないかを考えた時に浮かんだのが「MOTION」でした。

――今回の個展では、アナログのコラージュ以外の作品も展示していますよね。

ヤビク:さまざまな手法で作品を制作してみたかったんです。今回はアナログなコラージュをはじめ、ペインティングやプリンターから出力した作品、オブジェクトやインスタレーションのような立体作品も展示しています。それに、いくつものアプローチで制作した作品を並べることで、会場全体を1つのコラージュとして捉えることができるとも思いました。

――抽象絵画の作品は表面の質感が特徴的ですね。近くで見るとよくわかります。

ヤビク:絵画は和紙を何枚も重ねています。そうすることで日常生活では見ることがないテクスチャーを生み出せるんじゃないかと。それに自分は近くで見て、ようやく気付く程度の違和感が好きなんです。最初は和紙を均等に並べたりもしていたんですが、最終的には和紙を適当に投げて落ちたところに貼ったり、一度貼ったものをまた剥がしたりして、偶然生まれた配置をもとに制作していきました。

――立体作品はどのように作り上げたのでしょうか?

ヤビク:フラワーベースやインスタレーションは一緒にFELSEMというクリエイティブチームをやっているデザイナーのトトキサクラさんと制作しました。FELSEMではミニマルかつストリートな要素を落とし込んでいくことを目指しています。

立体物の制作は偶然には任せられない部分もあるので、まずはトトキさんに自分が作品に入れたいストーリーを伝えて、そのあとにどうやってお互いのスタイルを出すかを話し合いながら進めていきました。大枠ができあがったら、余白を意識しつつもペインティングなどは偶然に任せて自分が手掛けていきました。純粋に今の気分をどう反映するかを考えましたね。

――インスタレーションにはトタンのようなものも見受けられますが……。

ヤビク:トタンは通販で見つけたインドネシアのものです。このインスタレーションで使っている素材はそれぞれ別の場所に存在していました。作品自体は「縁側で若いスケーターが息抜きをしている」というストーリーをもとにしているのですが、縁側にあたる部分は工事現場で実際に使われていた足場です。青い部分は木材にペインティングしました。金色の部分は和紙にリトグラフでプリントしたものを切り抜いてコラージュにしています。そして、実はところどころグラフィティも描かれていたんですよ。おじさんがローラーで消したような質感をイメージして塗りつぶしています。

――和の要素を取り入れて制作したんですね。

ヤビク:そもそも“わび・さび”みたいな概念は母国のブラジルにはなかったので、日本に移住してから本で読んだ時にすてきな考え方だと思いました。僕は曲線に日本的な美しさを感じているので、ゆがんだ円をモチーフに取り入れています。

どうやって和を自分のスタイルに落とし込むかは一番悩みました。わかりやすいのも違うなと。いろいろ試した結果、自分には説明して初めて気付くくらいの違和感のほうが合っているし、一番かっこいいと思っています。いつか大きい作品を作りたいと思っていたので、実現できて嬉しかったですね。今後の制作のモチベーションにもなりました。

作品を通して表現するもの

――コラージュアートは、1つの作品の中にいくつもの要素が共存しています。ヤビクさんが作品を通して表現したいことはなんでしょうか?

ヤビク:もともと全然違う場所にあったもの同士をコラージュすることで初めて見えるものがありますが、それは普段の生活にも似たようなことが言えると思っています。技術の発展によって複雑化して、情報に溢れかえった世界で僕達は生きていますが、その中でもやっぱり新しい価値観が生まれてくるじゃないですか。新型コロナのせいで生活がガラッと変化したけれど、その中でも新しい楽しみが見出されていますし。コラージュ制作では、交わるはずのなかったもの同士や、経年変化で美しさが失われたものを意識して組み合わせた瞬間に生じる新しい価値観や美しさを表現したいと思っています。

――先ほど、インスタレーションを制作できたことが嬉しかったとおっしゃっていましたが、今後やってみたいことはありますか?

ヤビク:今回の大きいインスタレーションのように、実際にその空間の中に入ることができる作品に可能性を感じました。また制作してみたいですね。そして、コラージュアートだからこそ見せられる美しさもありますし、それに捉え方によっては素材や技法など、いろんなものを組み合わせられる表現方法だと思うので、今後も新しい方法を模索していきたいです。

ヤビク・エンリケ・ユウジ
1997年、ブラジル・サンパウロ生まれ。11歳の時に日本に移住。一時、文化服装学院で服飾を学ぶ。その後、2017年からコラージュを用いた表現活動を始める。2019年に初の個展「FIRST IMPRESSION」をW+K+ Galleryで開催。同年、雑誌「Them magazine」で「ヴァレンティノ」とコラボレーションしたアートワークを掲載。2021年、「ディーゼル アート ギャラリー」にて自身最大規模の個展「MOTION」の開催に至る。現在はコラージュを中心に、オブジェクトの作成や空間インスタレーションなども行い、表現の幅を広げている。プロダクトデザイナーのトトキサクラとともに、クリエイティブチームのFELSEMとしても活動している。

■「MOTION」
会期:2021年2月13日〜5月13日
会場:ディーゼル アート ギャラリー
住所:東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocoti DIESEL SHIBUYA 地下1階
時間:11:30〜21:00
入場料:無料

■ZINE「MOTION」
サイズ:A4
ページ数:36ページ+表紙周り
価格:¥4,950

今回の個展開催を記念して制作されたZINE「MOTION」。
サイン入りリソグラフプリントで、オリジナルBOXとポストカード付。
「ディーゼル アート ギャラリー」とECで販売している。
https://www.diesel.co.jp/art/yabiku_henrique_yudi

※リソグラフプリントにサイン、エディションナンバー入り。
※エディションナンバーは選択不可。
※配送は日本国内のみ。

Photography Ryu Maeda

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若手アーティスト・沼田侑香 作品制作で追求する、リアルとヴァーチャルの狭間で生じる“違和感” https://tokion.jp/2021/03/29/montblanc-yuka-numata/ Mon, 29 Mar 2021 11:00:25 +0000 https://tokion.jp/?p=24459 「モンブラン」銀座本店で沼田侑香の作品を4月中旬(予定)まで展示している。彼女の制作テーマであるリアルとヴァーチャルの境界線や、作品で使用しているアイロンビーズなどの話を聞いた。

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ドイツのラグジュアリーアクセサリーブランド「モンブラン」は、アーティスト支援アプリ「ArtSticker」の運営やアートキュレーション事業などを行うThe Chain Museumと協業して、銀座本店で若手アーティストの作品を展示するプロジェクトを2020年3月に開始した。

第3回として、沼田侑香の作品を4月中旬(予定)まで展示している。現在、沼田は東京藝術大学大学院に在籍しており、作品の特徴はVRや精巧なアニメ・ゲームがさらに発展してリアル(現実世界)とヴァーチャル(仮想世界)の境界線が曖昧になった世界において、現実でも“バグ”が起こるのではないか、という考えが元になっている。その感性は“デジタルネイティブ”というよりもむしろアナログからデジタルへ移り変わる時代を生きてきたからこそ育まれたものであり、作品からはその転換期の様相を反映させようとする気概がうかがえる。今回、沼田の経歴から現在の制作に対する想いなどを聞いた。

――沼田さんがアートやデザインに興味を持ったきっかけはなんでしょうか?

沼田侑香(以下、沼田):高校生の途中までは理系だったのですが2年が終わった頃に飽きてきちゃって、違うことにチャレンジしたくなりました。そんな時にふと当時自分が使っていた“メディアスキン”というガラケーを見たら、私もこういう誰かを喜ばせられるデザインをしたいって思ったんですよ。今は多くの人が同じ種類のスマートフォンを使っていますが、ガラケーが主流だった頃はスライド式とか開閉式とかいろんな種類があって、何を持つかで個性を出していたんです。当時はプロダクト・デザイナーになりたいと思っていました。

――作品制作はいつ頃始めたのでしょうか?

沼田:予備校入学当初はデザイン科に在籍していたのですが、私は細かい作業が苦手で、先生にも「受験課題的にはデザイン科に向いてない」と言われちゃって。そこで油絵科を勧められたのですが、美術館などでさまざまな作品を鑑賞するうちにプロダクト・デザインとは違った“アートの世界”があることを学びました。

大学に入学してからは油絵も少し描いていましたが、現在のような立体作品を作るようになったきっかけはニューヨークへの旅行だと思います。ギャラリーを巡ってたくさんの現代アートに触れるうちに、「アートってこういうものなんだ」って気付くことが多くて。作品コンセプトやそれに合わせた素材選びだけでなく、文化を継承しながら新しい価値観を提示する作品に感動しました。

ヴァーチャルとリアルの狭間で生まれる“違和感”を残す

――沼田さんは制作を通してリアルとヴァーチャルの境界を追求していますよね。ただ、先ほどもガラケーという言葉が出たように、1990年代前半生まれは必ずしも“デジタルネイティブ”ではないと思います。現在と比べると、幼少期や多感な中・高生の時にヴァーチャルな世界に触れる機会は家庭環境などによって大きく左右されていたのではないかと。ヴァーチャルがリアルを侵食している状況や、境界線の曖昧さを意識するようになったのはいつ頃でしょうか?

沼田:親と連絡を取るためくらいにしか使っていませんでしたが、習い事をやっていた関係で小学生から携帯電話は持っていたんです。そのあとに日本で最初に発売されたiPhoneを買ったんですが、周りで誰もやってないのになぜかTwitterのアカウントを作りました。Instagramも開設された頃にアカウントを作って。結局どちらも使わずに放置していたのですが、みんながスマホを持ち始めたことでSNSも普及して情報や物事が広がりやすくなっていく状況を目の当たりにした時に、リアルとヴァーチャルの関係性に対する意識が芽生えたと思います。

――現実世界でツールを持つことによってヴァーチャルな世界も広がっていった様子を見たということですね。作品に反映するようになった経緯はなんでしょうか?

沼田:今のアートシーンはVR系やゲーム系の作品も主流になっていて、展示会場でも彫刻や絵画と同じスペースにモニターがあるみたいなことも普通になっています。特にゲームがヴァーチャルな世界に触れやすいものだと思うんですけど、最新技術も日常に組み込まれることで文化として後世に残っていくから、それをアートに昇華することも理にかなっていると思います。

――沼田さんは普段からゲームで遊ぶことも多いのでしょうか?

沼田:熱心にするタイプではないですが、ウィーンに留学していた時に日本の友達と遊ぶためにオンラインゲームを始めたんです。ネット環境が悪かったりすると現実世界ではありえないようなバグがゲーム上で起こるんですけど、その様子を俯瞰すると自分は「どちらの世界にいるんだろう」って感覚に陥るんですよ。私や友達は現実世界にいるけれど、ヴァーチャルな空間を通してコミュニケーションしている。その状態がおもしろくて。そして、VRやプロジェクションマッピングのような、二次元で作ったデータを三次元で再現する技術がもっと発展したら、現実世界でもゲームのようなバグが起きる可能性もあると思うんです。ただ「どちらの世界にいるんだろう」という感覚は私がアナログの時代を知っているからで、もっとヴァーチャルがリアルに侵食した世界に生まれる人達にとっては、リアルとヴァーチャルの境界線がなくなった世界は違和感がないかもしれないじゃないですか。

――今がまさに転換期であると。

沼田:私は時代が変わることに対しては正直無関心でむしろ変化を受け入れていますが、作品としては今の時代の“違和感”を残したいという思いが根本にあります。そういう“違和感”を残していくことが、私達の時代性とか文化を継承していくための1つのきっかけになったらいいなと。

――加えて、情報伝達の際に起こる“ズレ”もテーマにしていますよね。

沼田:ネットで情報が連鎖した結果フェイクニュースになることがありますが、情報がズレていくことは人間同士でも起こるじゃなですか。ウィーンに住んでいた時に、友達がある飲み物を「安いし本物のコーラの味がするよ」って勧めてくれたのですが、私は「本物のコーラ」がわからなかったんです。相手が考えていることを理解はできても、それは100%共感しているわけではないんですよね。その時に「情報のズレ」をテーマにしたらおもしろいんじゃないかと思い、現実世界でもバグが起こって情報のズレていく様を友達に勧められた飲み物の写真を使って視覚的に表現した作品を作りました。

デジタルなテーマとアナログな素材

――今回の展覧会のテーマは「Sampling Theorem(標本化定理)」。難しい単語ですが、作品ではパソコンなどのモニター上の画像を構成するピクセル(画素)を表現していて、作品名も「JPEG Drawing」ですよね。

沼田:モニターに映るものはだいたいピクセルで表現されていますが、その密度によって画質が決まります。そのピクセルを三次元で再現することで、作品を二次元やモニターに映るものだという認識にできるのではないかと思いました。そういう考えをキューレターの方と相談して、「標本化定理」というタイトルになりました。

――素材に懐かしいアイロンビーズを使っているのがおもしろいです。

沼田:大学3年生の頃に初めて使いました。その時は今とは違うコンセプトで、平面のアニメキャラクターを立体に置き換えたいと考えている最中に見つけたのがアイロンビーズなんです。たまたまビッグカメラのおもちゃ売り場に立ち寄った時に発見しました。古いアニメのイメージとアイロンビーズのドットが合うんじゃないかと。

それに、アイロンビーズで大きい作品を作ったらもっと高画質なものができて、逆に小さい作品を作ったら低画質になるんじゃないかとか考えるようになって、アイロンビーズがすごく使える素材だと気付いてから積極的に使い始めました。

――ピクセルを表現するのはもちろん、平面のものを立体で表現するにもうってつけですね。

沼田:それに、遊んだことがある人はわかると思うのですが、アイロンビーズを並べるのは結構時間かかるんです。大きい作品は最初にいくつかのプレートを用意して、それをつなげながら作品を作っていきます。しかもアイロンがけも大変で。多くの人が知っているおもちゃだから、作品を見たら制作にどれくらいの労力が必要なのかがわかるじゃないですか。その時にアナログな人間の手の動きが想像できるんじゃないかと。絵画の筆のタッチみたいに人の手が入っていることを見せながら、平面(二次元)と立体(三次元)の境界も表現できると思ったんです。

「アートを楽しむ」ということ

――ギャラリーではなく店舗で展示することで、より幅広い方が作品を鑑賞するきっかけになりますが、沼田さんは「アートを楽しむ」ことはどのような意味があると思いますか?

沼田:現代アートについては、作品を“見た”という経験が大事だと思っています。私もニューヨーク旅行で現代美術を見た時は全く理解できなかったし英語の作品説明も読めなかったんですけど、いろいろな経験をして今ふと振り返ると「あの作品ってこういう意味だったのか!」って腑に落ちる瞬間があります。それに作品を調べていくと自分の身の回りに通ずることもあれば、制作当時のアメリカの文化や時代の流れや歴史にも触れられる。アートが別の言語やコミュニケーションに昇華されていくんです。

今回の展示には高校の同級生や美術をやってない友達も来てくれたのですが、「現代アートを初めて見る」とか「おもしろい」とか言ってくれたのはとても嬉しかったです。ただ、自分自身は作品をどのように見てほしいという思いはあまりなくて、それよりもいつか「あんな作品あったな」とか「あの作品ってこういうことなのか」って思い出してくれたら嬉しいです。作品を鑑賞することよりも、1つの経験として蓄積させていくことが重要だと思っています。

――今後やってみたいことはありますか?

沼田:以前、海外で作品を展示した時に日本の方とは違うコメントをもらうことが多かったんです。その経験は糧になったし、また海外で展示する機会があればやってみたいですね。

沼田侑香
1992年、千葉県生まれ。東京芸術大学美術研究科絵画を専攻し現在も在籍中。2019年~2020年石橋財団奨学金奨学生に選出されウィーン美術アカデミーに留学。情報が簡単に手に入ることで起こる認識のズレをテーマにインスタレーションや絵画、写真などの手法で表現し、現代アーティストとして精力的に活動している。2018年西武渋谷アートスペースにて「シブヤスタイルVol.12」に出展。その後、2019年には「A-TOM ART AWARD 2019」でグランプリを受賞
https://artsticker.app/share/events/detail/388

■「Sampling Theorem(標本化定理)」
会期:2021年1月14日〜4月中旬(予定)
会場:モンブラン銀座本店
住所:東京都中央区銀座7-9-11
時間:11:00〜20:00
入場料:無料

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新作『あたらしい窓』を通して見る、木村和平の写真世界 https://tokion.jp/2020/12/25/kazuhei-kimura/ Fri, 25 Dec 2020 11:00:03 +0000 https://tokion.jp/?p=15907 木村和平による新写真集および個展『あたらしい窓』。そのタイトルから彼の写真への姿勢や作品のテーマに迫る。

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写真家・木村和平は音楽や映画、ファッションなどの分野で精力的に活動しつつ、過去の体験や現在の生活に根付いた作品を発表してきた。被写体の輪郭はまばゆい光や粗い粒子により曖昧になることでかえって強調され、神秘性やノスタルジーを感じさせる。日常の風景が刹那的な光に照らされるからこそ、特別な輝きを放っている。

この度、2016〜2020年に撮影した写真の中から編集した写真集『あたらしい窓』(赤々舎)を2021年1月2日に発売する。それに伴い、個展を東京・学芸大学のBOOK AND SONSと、吉祥寺のbook obscuraの2会場で開催。前者では写真集の中から構成した作品、後者では未収録の作品をそれぞれ展示している他、写真集も先行販売している。『あたらしい窓』というタイトルから彼の写真への意識に迫るとともに、写真集と個展への思いを聞いた。

──どのような経緯で個展を2カ所同時開催するに至ったのでしょうか?

木村和平(以下、木村):もともと2カ所で開催する予定はありませんでした。写真集は2年くらいかけて作ったのですが、個展は後回しになってしまっていて。どこで開催するかと考え始めた時から、窓があって自然光が入る場所がいいと思っていたのですが、まず浮かんだのがBOOK AND SONSでした。依頼したのが10月初旬でとても遅かったのですが、調整してくださったんです。

そのことを前からお世話になっていたbook obscuraの黒崎(由衣)さんに話したら、同時開催しようと言ってくれて。BOOK AND SONSとは違う内容にしようと相談した結果、写真集に載せきれなかった作品を展示することになりました。というのも、前に出した『袖幕』と『灯台』という写真集は着地点がある程度頭にある状態で撮影した作品だったんですが、『あたらしい窓』は膨大な数の写真から着地点を見つけて編集した写真集なので、好きだけど入れられなかった写真がいっぱいあるんです。写真選びをしている時にも黒崎さんに相談していました。

──『あたらしい窓』というタイトルをつけた理由はなんでしょうか?

木村:まず『あたらしい窓』という言葉の響きが好きなんです。「窓」は「生活」の比喩として使っています。僕は生活圏内の人やものを撮っていますが、そこでは人との関係性が変化したり、ペットが増えたり、引っ越せば家も変わりますが、「窓」は常に「生活」の中に存在している、象徴のようなものです。あとは、自分の写真には窓の要素が多いな、という気付きから来ている言葉でもあります。

そして写真集を作ることが決まって、赤々舎の姫野(希美)さんと話している時に、写真における“鏡と窓の役割”という概念を教わりました。恥ずかしながらそれまで知らなかったのですが、1978年にMoMAでジョン・シャーカフスキーというキューレーターが『Mirrors and Windows』という展覧会を開いて、100人の写真家を「鏡派」と「窓派」に分けて作品を展示したんです。「鏡派」は自分と向き合って内面を作品にする写真家で、「窓派」は社会など外のことを観察して作品にする写真家のことをいうんですが、それでいうと僕は「鏡派」なのかもしれません。でも僕は自分の中に閉じこもって制作をしているわけではなく、作品を社会へと向けたい気持ちがある。だから“鏡と窓”の話を聞いた時に、『あたらしい窓』というタイトルは自分にフィットしていると思ったんです。姫野さんとも話し合って、最終的にこのタイトルに決めました。

──それでは日常において、どのような時に写真を撮りたくなるのでしょうか?

木村:僕は普段あまり写真を撮らない方だと思うんです。家にはカメラがあるのでまた別ですが、外出する時はカメラを持っていないことも多いし、写真を撮るためにどこかに行くこともしない。どのような時に撮るかを考えれば考えるほど、言葉にするのは難しくて。例えば「光と影がきれい」とか「人の動きがすてきだ」とかもあるんですけど、サボった表現で言えば「自分の中のあらゆる条件をクリアしたものが目の前に現れると、これを逃したらいけない」という気持ちになり、その時にたまたまカメラを持っていたら撮影するんです。

──さまざまな偶然が重なった結果、写真を撮るんですね。

木村:友達とかと遊んでいる時に、その人の髪が風になびいたり光が当たったりしてきれいだなと思っても、カメラを持ってないこともあります。とはいえカメラを持っていればよかったと後悔することもあまりないと最近気付きました。目で見ているだけでも楽しいんです。撮れなかった景色を再現しようとすることもないし、撮れない日があってもいいと考えています。

ただ、こんな話をしていると必ずしも自分には写真は必要ないんじゃないかと思うんですけど、いざカメラを取り上げられたらやっぱり生きていけない。頻繁に撮らないからこそ、わざわざ撮る写真とはどんなものなのかを『あたらしい窓』で考えました。

──光や風の条件などによって一瞬しか現れないような風景を捉えた写真が多いので、普段あまり撮影しないのは意外でした。

木村:その代わり撮りたいと思ったら納得いくまで撮り続けます。撮る時には頭の中で理想形がイメージできるし、絶対に良い写真になると思っているんですよね。

──裏を返せば、写真を撮るという行為よりも、日常生活の方が大事ということでしょうか?

木村:そうですね。写真を撮ることよりも、誰かと出掛けたいとかあそこのお店でご飯を食べたいというような行動目的が第一優先です。

自宅にも写真的に映えるものという動機ではなく、自分が嬉しくなる家具やものだけを置いています。自分がしたい生活のために好きなもので部屋を飾っているから、結果的にその写真を撮るんです。

──自分が好きなものにあふれた部屋を撮るという行為は「鏡派」的ですね。

木村:僕は誰も扱っていない新しい表現をしているわけでも、自分の外のことを積極的に取り入れて制作しているわけでもありません。自分のことしか自分の言葉で語れないと考えています。ただ、撮影する動機は「鏡派」でも、その写真が社会に何かを働きかける存在になってほしいと思っています。だから一見「鏡」であるようで「窓」ともいえるのかなと。僕は音楽や映画、服などに影響を受けているのですが、作り手のエッセーみたいなパーソナルな内容なのに、受け取り手が自由に解釈できたり、それぞれの体験と置き換えたりできる作品に感動してきました。自分はそれを写真でやりたいんです。

──まさに『あたらしい窓』ですね。

木村:自分の写真も好きなように見てほしいですね。もちろん自分が作品で言いたかったことはあるので、写真集や個展ではその手助けとなるようなものを用意しますが、個展でお客さんに写真や構成の意図を質問された時は、「どう思いましたか?」って聞き返したのちに、自分の考えを話したりします(笑)。

──『あたらしい窓』は、近しいはずの存在に感じる「距離」がテーマの1つだとお伺いしました。

木村:そもそも仲が良い人と一緒にいても、その人が遠い存在だと感じることが思春期くらいからありました。『あたらしい窓』では1人の女性がベースになっていますが、1冊まるごと彼女にフォーカスした本を作りたかったわけではありません。被写体に優劣はなくて、自分にとって大切な人やもの、そして動物達を等しくみつめる、ということをしたかったんです。

テーマを考えたきっかけについてですが、ベースになった女性はずっと髪が長かったのですが、ある時バッサリ切ったんです。長い髪を切ることはさまざまな意味を持つことがあるかと思います。本人がどんな気持ちだったのかはわからないんですが、彼女が髪を切った時と、僕自身や彼女自身、そしてお互いの関係性がどんどん変化してきていると感じたタイミングが一致していると思ったんです。『あたらしい窓』では彼女が長かった髪を最後に切るという構成にしようと思い、写真集では髪の長いことが強く伝わる写真を表紙にして、個展では最初に目に入る場所に大判のその写真を飾りました。他の写真は小さくプリントして作品との物理的な距離をとったり、最後にたどり着く部屋には髪の短い写真を1枚だけ飾ったりしています。もちろん髪を切ってあなたは変わってしまったと言いたいわけではなくて、彼女を含めさまざまな対象への敬意と、新しい窓(生活)に向かっていくことへのはなむけのようなものになっていたらいいなと思います。『あたらしい窓』というタイトルや「髪を切った女性」などがキーワードになって、作品を見る人が考える手掛かりになってくれたら嬉しいです。

──今回の展示では大判の写真以外はすべて手焼きして、写真集もデータではなく実際に焼いた写真を入稿して制作したそうですね。

木村:そうですね。今回の作品はパーソナルなことが出発点にあるので、どうしても全部自分でやりたい気持ちがありました。今までも手焼きができないわけではなかったんですが、正直自信を持って「これが自分の色です」と言えるほどの技術がありませんでした。今回は写真家の熊谷聖司さんに教わったおかげで、手焼きの写真を展示することができました。僕は熊谷さんのプリントがずっと好きなんですが、去年末にbook obscuraでばったりお会いしたんです。かねて黒崎さんが僕の作品を紹介していたらしく、熊谷さんが僕を認識してくれていて、そのまま居酒屋で飲んだんですよ。そしたら熊谷さんが自宅とは別に暗室用の部屋を借りて、そこで暗室教室も行うというお話を聞いて、今しかないと思って教えていただきたいとお願いしました。

年明けに全10回の教室を2〜3週間で終わらせて、ある程度やり方を覚えたあとはひたすら練習。そうしているうちに新型コロナがはやりだして仕事がなくなったので、鍵だけ開けてもらう形で頻繁に暗室に通って、毎回6時間くらいひたすら焼いていました。今年だけで1000枚近くは焼いたと思います。もちろんまだまだですし、熊谷さんには「あと3000枚くらい焼けばわかるんじゃない?」と言われましたが(笑)、ある程度やりたいことがコントロールできるようになってきたので、今回は序章として手焼きを発表することにしました。

──最後に、今後の予定があれば教えてください。

木村:コロナのせいで不透明なことも多いですが、『あたらしい窓』の巡回展を来春にかけて開催する予定です。あとは映画のビジュアル撮影が1件決まっているので、それを頑張りたいですね。

木村和平
1993年、福島県いわき市生まれ。大学進学に伴い上京し、2012年に写真を撮り始める。2018年に「第19回写真『1_WALL』審査員奨励賞」を受賞。現在までに発表した写真集は『piano』(2015年)、『楽譜』(2016年、共に私家版)、『袖幕』(2018年)、『灯台』(2019年、共にaptp books)。個展は『piano』(2015年)、『袖幕/灯台』(2019年、共に東京)を開催。アーティスト写真や、映画『愛がなんだ』(2018年)や、『佐々木、イン、マイマイン』(2020年)のビジュアル撮影なども行っている。

■『あたらしい窓』
会場:BOOK AND SONS
会期:2020年12月12日~2020年12月27日 
住所:東京都目黒区鷹番2-13-3 
時間:12:00〜19:00
休日:水曜
入場料:無料

会場:book obscura
会期:2020年12月10日~2021年1月18日 
住所:東京都三鷹市井の頭4-21-5
時間:12:00〜20:00
休日:火曜、水曜
入場料:無料

※年末年始の営業日は各店舗へお問い合わせください。

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観客とともに作り上げるという感覚 「FRUE」主催者がコロナ禍での開催を経て感じ取ったもの https://tokion.jp/2020/12/22/festival-de-frue/ Tue, 22 Dec 2020 06:00:49 +0000 https://tokion.jp/?p=14384 コロナ禍で開催された音楽フェス「FESTIVAL de FRUE」の主催者インタビュー。後半には出演アーティスト達によるコメントも掲載。

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2020年は各業界同様、音楽業界にとっても困難な1年だったことは言うまでもない。大型音楽フェスは軒並み延期・中止となり、中小規模のイベントも人数制限を余儀なくされている。

そんな中、音楽フェス「FESTIVAL de FRUE」が静岡県掛川市の「つま恋リゾート 彩の郷」で10月31日と11月1日に開催された。

「FRUE」は“魂の震える音楽体験”をコンセプトとして、2012年にクラブイベントとして立ち上がり、2017年にフェス形態の「FESTIVAL de FRUE」がスタート。ジャズやロック、電子音楽、民族音楽など多岐にわたるジャンルの海外アーティストを中心に、ブラジル音楽界の巨匠トン・ゼーや、モロッコのリフ山脈南側に位置するスリフ族の村のスーフィーの音楽集団、ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカを招聘するなど、他のイベントでは見ることができないラインアップでコアな音楽ファンを獲得してきた。

新型コロナウイルス禍での開催となった今回は、海外アーティストが思うように呼べず、予定していたブラジルのミュージシャン、ファビアーノ・ド・ナシメントの来日も前日にキャンセル。それでも「FRUE」の独自性は失われず、トレンドと一線を画し自身のクリエイションを貫く有数の国内アーティストが出演した。ファビアーノの空いた枠には石橋英子と山本達久のデュオ出演が急遽決定し、見事な演奏を披露した。

会場は約6000人のキャパに対して1日の来場者は1300人程度となり、他人との距離も取りやすいのも印象的だった。マスクをしていても苦しくない気候で、開催時期と会場選びという根本的な要素が奏功した。

イベントに伴う新型コロナウイルス感染者も報告されず、無事1カ月が経過した。「FRUE」主催者の山口彰悟と吉井大二郎はコロナ禍での開催を経て、何を感じとったのだろうか。

――「FESTIVAL de FRUE」を開催する決断はいつ頃だったのでしょうか?

山口彰悟(以下、山口):いつ頃だったんだろう。もちろん状況を見ながらでしたが、最初から開催するつもりでした。コロナだからと言って開催しない選択肢はなかったし、どうにかなんとかするというのが「FRUE」の信条ですので。

吉井大二郎(以下、吉井):協賛企業もないし2人だけだから、やろうと決めてスタッフさえそろえば開催できるということもあります。会場を所有しているホテル(「つま恋リゾート 彩の郷」はホテルやレジャーを擁するリゾート施設)もイベントに理解があって助かりました。コロナ禍だと公営の会場は借りられないこともありますし。

山口:インディーじゃないと開催できないけど、当然インディーすぎてもできない。コロナ感染の第2波が落ち着いてから本格的に動き始めたので、準備期間は1ヶ月半くらいしかなかったけど、4年目である程度は体制が整っていたのも開催できた理由の1つだと思います。それにちょうど陽性者の数が落ち着いていた時期だったのもラッキーでした。

――結局、海外アーティストの来日は難しくなってしまった。

山口:海外勢は呼べないかなと思ったのが、9月末から10月頃です。1月に出演発表していたザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ&ジ・オーブも夏ぐらいには来日できないだろうと判断しました。それでも海外アーティストは諦めきれなかったし、いつまでに国内アーティストを中心として開催の決断をするかという難しさがありましたね。

――それでは国内アーティストのブッキングを始めたのは、開催が近くなってからでしょうか?

山口:GEZAN、折坂悠太、冥丁、POWDERは3月くらいにオファーをしていました。ただ、出演できるという返信がきたのが夏から秋にかけてでした。各アーティスト、それぞれ考えるところがあったと思います。

――11月1日に出演予定だったファビアーノ・ド・ナシメントはキャンセルになってしまいましたが、その枠に石橋英子さんと山本達久さんの出演が急遽決定しました。どのような経緯だったのでしょうか?

吉井:ファビアーノとは10月30日までやりとりしていたのですが、向こうの書類の不備やビザを申請するための面接のアポイントが進まず、どうしても飛行機に間に合わなかったんです。

山口:そんな中、コアスタッフの1人が下北沢のスプレッドというクラブで働いていて、そこで「FESTIVAL de FRUE」の10日前に石橋さんと山本さんに出演してもらっていて、そのつながりで僕からメールでオファーしたのが、10月30日の深夜2時頃でした。

吉井:そこからアーティスト写真を取り寄せたり、どんな機材が必要かを聞いた後に制作チームに話して用意できるものをまた2人に戻して……とやりとりしていたのが31日。イベントの最中にブッキングを進めていました。お二人はジャズの人だから即興での対応能力が高い。

山口:演奏だけじゃないです。さすがだと思いました。普通は急にオファー来ても断っちゃいますよね。山本さんには過去2度ほどご連絡を差し上げたこともあったので、どういうフェスなのかご存じだったのかもしれません。

――今回の「FESTIVAL de FRUE」全体を通して印象に残っていることはありますか?

山口:一番最初にライヴをした ALKDOが音を鳴らし始めた時はやはり感動しました。開催までこぎ着けたことと、こんなに音楽を求めていたんだと思って。あと1日目の夜、POWDERが最後にプレイしながら踊っていたんですが、その姿にジーンときました。人前でプレイできる喜びがあふれているかのようでした。
それから、本番当日はお客さんの顔がマスクで隠れていてあまり見えなかったのですが、インスタなんかで笑顔の写真がアップされていて嬉しかったですね。

コロナ禍のイベントでの、主催と来場者の関係性

――公式サイトやSNSでは「FESTIVAL de FRUE」前後の1週間の自粛を呼びかけるなどユニークな呼びかけをしていました。イベント当日はどのような施策を行っていましたか?

吉井:ある程度のフォーマットは用意されているので、マスク着用や人との距離を意識することなどの基本事項を書いた張り紙を貼ったり、その内容のアナウンスを録音してライヴの終わりに流したりしました。あとはステージ近くのところどころにプラ柵を設置したり。きちんとお金をかければ感染症対策はできると思います。

山口:「FESTIVAL de FRUE」の前に開催した別のフェスが炎上したのですが、そのことを知っていた来場者も多かったからか意識がすごく高くて、主催としてはとても助かりました。感染症対策はもちろん大事だけれど、ガチガチに規制するにも限界がある。それにお客さんが「そもそも自由である」ことはとても大事なポイントなので、そのためには「自分で考えて行動してください」ということをどう伝えたらよいのかと考えました。フォーマットをコピペするだけではなかなか伝わらないかと思って、そのような呼びかけを行うことになりました。

ただ、GEZANのライヴが最高潮に達しようとした時は、「あぁモッシュ起きるなぁ、どうしよう」とフロアで考えていました(笑)。でも結局起きなくて、そのまま1人ひとりが個として燃え上がっていくフロアは最高でした。皆さん、ありがとう!って感謝の念が湧きましたね。

――なるほど。今までもいろんなイベントを「みんなで作り上げる」という考え方がありましたが、今回「FESTIVAL de FRUE」に実際に来場した時にそれをより強く感じました。主催者だけでなく来場者も意識的な行動を心がけて「みんなで作り上げる」ことがより重要になってくるように思います。

山口:そうですね。やっぱり遊び場は自分達で守らないといけないという気持ちがあったような気がします。ゴミもほとんど落ちてなくて、主催として助かりました。

――イベント準備を進めるにあたり、開催決定前は想像できなかった問題はありましたか?

山口:スタッフ間でもコロナに対する認識が全然違ったので、そのズレに苦労しました。僕は「FRUE」とは別で仕事をしていて、緊急事態宣言前後のピリピリしていた時でも、電車で週に2、3日通勤したり、4月と6月に「FRUE」のオンライン配信もしていたので、外出することや人と会うことに抵抗はありませんでした。

一方で、音響や照明、舞台監督の外部スタッフ達は2月頃からすべての予定がキャンセルになって、お家でグレイトフル・デッドのジグソーパズルをやってたっていう人もいるし。笑いごとではないですが……。8月頃にそのスタッフ達とミーティングをしたんですが、皆さん顔は晴れないですよね。他のコアスタッフからも、感染症対策をきちんとやらないと今年は手伝えないよと言われるし、周りの環境や得ている情報の違いで、ここまでコロナに対しての認識が違うのかと思いました。そして認識をすり合わせて、どこに落としどころを作るのかというのが大変でした。

例えば、エントランスの検温でどれほど感染を防げるかは疑問なのですが、それをやるのが感染症対策だし、もしなんかあったらどうするの? と他のスタッフから諭されると、ぐうの音もでない。でも「FRUE」は今までも「本音」だけでやってきたから、その気持ちをにじませるために今年のチケットは2021年と2022年も利用できるようにしました。「そもそも体調が悪かったら無理して来ないでね」というメッセージです。

ただ、コロナの影響で良かったこともあって。これまでステージのマイクなどは使いまわしていたのですが、各アーティストが使うたびにちゃんと消毒した上で取り替えるなど、今後のスタンダードとなるような改善も行いました。コロナがなかったら考えなかったこともあります。

来年の開催へ向けて

――来年も「FESTIVAL de FRUE」は開催予定でしょうか?

山口:もちろん開催します。来年の11月には、さすがに海外からの来日も大丈夫だろうと思うので、2021年1月末ごろから小出しに、月2、3組ずつ出演の決まったアーティストを発表し、音源などを紹介していけたらいいなと思っています。変な言い方ですが、楽天的じゃないとやっていられない部分もある。

――どんなアーティストをブッキング予定でしょうか?

山口:ラインアップは構想中ですが、今年出演してほしくて連絡していたり、以前からアプローチしていたり、新譜が良かったり、出てほしいアーティストはたくさんいます。楽しみにしていてください。

それから、新たな試みとして出演アーティストをクラウドファンディングで決める仕組みができないかと考えています。「FESTIVAL de FRUE」には、バンドとDJがそれぞれ10組くらい出演しているのですが、そのうちの1、2組をファンドした人の投票で決められないかなと。4回もフェスをやっていると、レーベルの人やプロモーター、アーティストの友達などいろんな人達から、「〇〇を呼んでほしい」というリクエストを受けます。だから、その「〇〇を呼んでほしい」枠を僕に近い人だけではなく、お客さんにも開いてみたいと思っています。どういう方法で進めていくかは考え中ですが、今年はマナー面も含めて、来場者の方々と共に「FESTIVAL de FRUE」を作り上げている感覚が強くて、その感覚をもう少しだけ膨らませてみたいです。

――是非とも、そのクラウドファンディングには自分も参加したいですね。

山口:みんなそれぞれ推したいアーティストがいるはずなので、参加してもらえるとありがたいです。そして、自分が出したアイデアがもしかしたら少しずつ形になっていくかもしれないという醍醐味を味わってもらえたらいいなと。

山口彰悟 
1977年熊本県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。ライヴの原体験は10歳の時に生で観た立川談志師匠の落語。大学卒業後は、フリーのライターとして活動しながらさまざまな職を経験。「愛・地球博(2005)」「Greenroom Festival(2006)」「TAICOCLUB(2006)」で、イベント制作と運営、「True People’s CELEBRATION 2006」「Organic Groove」の後期コアスタッフとして人生を変える体験のお手伝い。2012年3月から、吉井大二郎とともに、年に2、3回のペースでイベント「FRUE」を開催。2017年から毎年11月に、静岡県掛川市で野外音楽フェスティバル「FESTIVAL de FRUE」をプロデュース&ディレクションする。

今回、ステージの1つ「THE HALL」に登場した複数のアーティストに、出演しての感想や思いを聞いた。(掲載は出演順)

Ramza

コロナ禍の息苦しさを完全に忘れてしまうほどの風通しの良さがそこに用意されていました。ロケーションや食事は素晴らしく、インフラ部分に至ってもストレスのないようにしっかりと配慮されていました。出演者に関しても意義深い海外勢が多く出演している「FRUE」ですが、国内勢のみで作り上げなければいけないという条件の中でも、その向かう方向や強度は決して薄れていませんでした。

自分は普段から外的な影響を多く受けないタイプだと感じていますが、コロナ禍において外界に触れる機会が減ることでそれに拍車がかかっているようにも感じます。抽象的ですが、自分の内なるシンクタンクにずっとこもっているみたいな感覚です。そうするとより自分の音楽はパーソナルなものになります。「FRUE」ではそんな最近の自分をぶちまけたという感じでした。

冥丁

まず最初に言わせて頂きたいです。本当に楽しかったです。今年は予定されていた国内外のほぼすべてのショウがキャンセルになりました。そんな過酷な時期であるにもかかわらず、このような機会を与えて頂いたことに感動しました。この場を借りて「FRUE」の皆さま、オーディエンスの方々に心から感謝を申し上げたいです。また「FRUE」でプレイする日を楽しみにしています。ありがとうございます。

「FRUE」では、現在リリースしている作品の持つオリジナルの世界観を再解釈してセットリストを作りました。基本的に冥丁はアルバムごとにテーマの異なるトラックを用意しています。それにすべてのアルバムはショウ化することを前提に作っていないんです。それもあって個々の音楽性を確立しているトラック同士を1つのセットに入れることには、個人的に戸惑いがあります。理想は1つのアルバムにつき1つのセットを確立させることですが、新しいアルバムもリリースされていく流れの中でそれを実行するのは今はまだ難しそうです。冥丁がライヴをすることは一生ないと思っていたので、自分がステージに立ってプレイすることは今もまだ不思議です。これからライヴを通じて生まれる自分の新しい視点、世界観に関心があります。とにかく大切に日々精進します。

石橋英子(山本達久とデュオ出演)

(オファーを受けた時は)びっくりしましたが嬉しかったです。「午後のリラックスしたひとときを石橋さんの歌で……」と言ってくださり、いびつな歌ばかりだしスケジュールが詰まっていたので正直少し迷いましたが、ちょうどその1週間ほど前に山本達久さんとやったライヴがとても楽しかったので、その形でまたやれたら楽しいと思って山本さんをお誘いしました。

出演後はいびつな歌でも受け入れていただけそうな懐の深いフェスだとわかりました。フェスティバルなのに、小さい箱に演奏に来たような感じもあり、お客さんが1人で来てくださってもリラックスして楽しめる空気感がいいなと思いました。演者は「お客さんを盛り上げよう!」、お客さんは「あれを見なきゃ!」ではなく、演奏する側もお客さんも真剣にその場にあるものをそのままとして楽しむという海外のフェスのようなすてきな雰囲気でした。何が起こるかわからない世の中でそういうことに価値を見いだしていくことがもっと大事になってくるのではないかなと思いました。

山本達久(石橋英子とデュオ出演)

今年初めての野外フェスで、直前のサウンドチェック中も例年と違ってステージ前にお客さんの姿もほとんど見受けられず新鮮でした。普段ライヴ中は客席を見ないのが癖なのでお客さんがどんな楽しみ方をしていたのかは未確認ですが、今のところクラスターなど発生してないようで良かったです。そもそも我々の音楽が感染拡大を助長するような音楽ではなかったというのもありますが……。

実は一昨年も昨年も別口でオファーを頂いていたこともあり、気になっていた催しの1つでもあったので出演できて素直に嬉しかったです。ご縁を感じました。今後ともよろしくお願いいたします。

イノヤマランド(井上誠/山下康)

正直、この時期にこのような大規模イベントが行われていること自体が「???」でしたが、現場に接してみて、「行うべきことを行えば、行える」と感じました。主催者、スタッフの皆さん、このような貴重な機会を与えていただき、ありがとうございました。スケジュールの都合でリゾートホテルに宿泊できなかったのが、ちょっと心残りでしたね。

今回に限らず演奏に関しては、場所、雰囲気、聴衆などをあまり意識しないことを意識しています。が、行ってビックリ! 会場がデカ過ぎましたね。でもそこからは楽しめました。演奏ポジションからは日のあたる雑木林がよく見えたので、風で揺れ動く木々や、差し込む光とのセッション。もちろん、お客さん達との気分や意識が行ったり来たりのセッションも。ああ、楽しかった!

折坂悠太

会場についてしばらく現実感がありませんでした。「FRUE」が独自なのかもしれませんが、音楽イベントの様相をした新しい集まりのような感じがしました。久々の景色を見て楽しみながらも、去年までとは何もかも違うんだと実感しました。ステージで鳴っている音の1つひとつが使命を帯びていて、以前より切実に響きました。

(複数の新曲を演奏したことに対して)見てくれる人を信頼して、とにかくやりたいことだけを入れさせてもらいました。自粛前と考え方が少し変わって、ライヴの現場においては音楽をパッケージ化するのをやめようと意識しました。よりみずみずしく健やかだったと、自分では思っています。

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100年以上前の服を半分に分解 「半・分解展」主宰の長谷川彰良が追究する感動と美意識 https://tokion.jp/2020/11/03/demi-deconstruction-by-akira-hasegawa/ Tue, 03 Nov 2020 06:00:40 +0000 https://tokion.jp/?p=9131 分解された服から何を見出すか? フランス革命以前の服の解説とともに、活動のテーマである感動について語る。

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長谷川彰良はフランス革命前後から第二次世界大戦あたりまでの服の半分を分解し、衣服標本を制作している“衣服標本家”だ。活動コンセプトは“100年前の感動を100年後に伝える”。研究のために服を分解するモデリストやデザイナーは少なくないかもしれないが、長谷川の特異な点は「感動」を追い求めているところにあるだろう。

主宰する展覧会「半・分解展」では、衣服標本に加えて、自らがパターン起こしから制作を行った試着サンプルを展示しており、100年以上前の服を観るだけではなく実際に着て体感することができる。今年5月に開催予定だったものの新型コロナウイルスの影響で中止となってしまったが、2018年に渋谷と名古屋で開催した際には入場料2,000円、計12日間で2000人以上が来場。また伊勢丹新宿本店メンズ館では2019年3月から1年間にわたって、月替わりでさまざまな衣服標本を展示していた。

今回、長谷川には実際に解体した服の解説を踏まえながら、活動の根底にある「感動」とはどのようなものなのか、そして今後の展望などについて語ってもらった。

――最初に分解したのは、学生時代に出会った1900年代初頭のフランスの消防服だとお聞きしました。貴重な服は着ることすら躊躇しそうですが、分解した動機はなんだったのでしょうか?

長谷川彰良(以下、長谷川):分解すること自体に抵抗はありませんでした。当時学校でビスポークの服作りを学んでいたので、人の手で作られた古い服の見えない裏側の構造や縫い方などに興味があったんです。

今振り返ると、分解することで「なぜその服に感動したのか」という理由が知りたかったのかもしれません。今も分解する服の基準は感動するかどうかが一番で、その次は探究心や知的好奇心が湧くかです。分解は自分自身を知るための手段の1つなのだと思います。それに感動的なものを探すというよりも、いかに自分が感動できる精神状態でいられるかを大事にしています。

――現在分解している服はすべて手作りなのでしょうか?

長谷川:すべてではありません。パリ万博が盛り上がった19世紀中盤以降は、一部分を手作業で、あとは工場の機械で作られた服も多いんですよ。それに当時から服を過剰生産していたと僕は思っています。そうじゃなかったら現在まで残らないですね。

その頃の服を分解していておもしろいのは、裏は手縫いなのに、表地の見えている部分はすべて機械製なんです。そうすることで当時の最先端であるミシンを使っていることをアピールしているのだと思います。最新テクノロジーを売りにしているという意味では、スマートフォンでサイズを測って作る現代の服と変わりません。

――昔の服にも商業的な面があるんですね。

長谷川:僕は古い服だからといって「温故知新」だとか「手作りの温かみ」を感じることはありません。むしろどのように売るかという泥臭さを感じますし、それは文献を読むよりも分解することでよりわかってきます。

ただフランス革命(1789〜1799年)前後まで遡ると、また作り方が大きく変わってきます。

――その年代はどのような服作りになっているのでしょうか?

長谷川:ミシンが生まれる前なのですべて手作業で作られているのですが、このフランス革命前の貴族が着ていたアビ・ア・ラ・フランセーズを一言で表すなら“インスタントな服”。尋常じゃないくらい手間がかかっているのに、お直しして子どもに受け継いで長く大切にして……ということはなく、いかに一瞬を輝くかしか考えられていないんです。耐久性よりも派手に着飾るための「装飾美」を追究している様子が、分解することで見えてきました。

――長く着ることが考慮されていないことはどのようにわかるのでしょうか?

長谷川:革命前のフランスの貴族は、市民は物価高騰によるパン不足に悩んでいる中、小麦粉をふりかけて髪を白く見せていたのですが、ただでさえ虫食いがひどいシルクと小麦粉の相性は最悪。この服はたまたま一部が麻に張り替えられていて比較的きれいな状態ですが、当時の服は虫食いがひどくほとんど残っていません。

そして分解すると、縫い代がほとんどないことがわかります。手の込んだ服ならばサイズを調整するためにも縫い代を多く取っておくべきなのですが、この服には7mmくらいしかありません。持ち主がオーダーした時の体型にぴったり合わせて作られて、お直しすることが考えられていないんです。

でも革命後には8cmくらい縫い代を残すようになるんですよ。そうすることで、少し太ってもウエストを調整したり、子どもにゆずる時に袖を直したりできるんです。

――同年代の市民の服はどのような作りになっているのでしょうか?

長谷川:これがフランス革命を推し進めたサン・キュロットと呼ばれる市民達が着ていたカルマニョールです。先ほどのアビ・ア・ラ・フランセーズは生地をふんだんに使って裾にプリーツも作っていますが、この服は粗野なウール素材をつぎはぎして作られています。裏地の麻は200年以上経っているから柔らかくなっていますが、最初は硬かったかもしれません。

そして縫製部分に使われているのは糸というよりも麻の繊維です。分解している時もブチンブチンと切れるので、縫った職人は指も痛かっただろうしかなり苦労したと思います。

――袖の曲線など、全体の形は似ているように思います。

長谷川:パターンはとても似ていますが、大きく違うのはアームホール(腕の付け根)です。貴族の服は小さくて、市民の服は大きく取られているのですが、これにも明確な理由があります。

貴族はこの服を着て社交場で踊ったり、馬に乗って狩猟を楽しんだりしていたのですが、アームホールを体にぴったり合わせることで、腕が動かしやすくなるんです。ただアームホールが小さいと着用できる体型が限定されます。それに1人では大変着づらく召使いの手伝いが必要になるのですが、一度着れば自由に腕が動かせる不思議な設計なんです。全身タイツやウェットスーツを着た時の感覚に近いかもしれません。

一方で、市民の服のようにアームホールを大きくすることで、子どもから老人まで誰でも着られるようになります。現代はこのような服作りが多いですよね。そのかわり腕を上げると身頃の生地もつられてしまうので動きにくく、余計な重さを感じて疲れやすくなってしまうんです。

美術館や博物館で見るだけでは着心地はわからないですし、「半・分解展」では実際に着て体感してもらうことを意識しました。

分解することで見えてくる100年前の美意識

――今までの話を踏まえて、長谷川さんは服のどの部分に「感動」するのでしょうか?

長谷川:服の明確な美意識が見えた時です。自分の中で“静の服”と“動の服”と基準付けているのですが、惹かれるのは“動の服”。

まず“静の服”とはマネキンが着て静止した状態で美しい服。僕は第一次世界大戦を1つの契機として、1930年代以降はほとんどの服が“静の服”になっていくと考えています。

それ以前の“動の服”、例えば先ほどの貴族のアビ・ア・ラ・フランセーズは、気をつけの姿勢だと肩や背中、腕が締め付けられて着にくいんですよ。でも少し腕を上げたり胸を張ったりすると楽になるという、動きを意識したアプローチが見て取れる瞬間に惹かれるんです。

――“動の服”は人間の動きを意識して作られているのでしょうか?

長谷川:当時狙っていたのは「美しさ」だったのではないでしょうか。「伝統的な狩猟をいかに美しく行うか」「社交の場でいかに美しく踊るか」という美意識を追究した結果が、動きやすさにつながっていているのだと思います。

現代で動きやすい服を作るとしたらニットやストレッチが利いた素材を使うことが主流ですし、構造だけで動きやすさを追究しているのはバイク乗りの服や作業服などの一部の服だけです。でも日常的に着られていた “動の服”には、作りだけで動きやすさを追究する「構造美」があります。この「構造美」は分解しないと見えてきません。

――“動の服”に使われていたような技術が衰退したのは、素材の進化や生活様式の変化が影響しているのでしょうか?

長谷川:もちろん化学繊維の発展や社会インフラの整備も影響していると思いますが、それ以上に「美の基準」が変わったからだと考えています。着ていると殺されるということもありますが、フランス革命後には革命前の服を突然見かけなくなりますし、大戦後もそれ以前とは違う服が現れる。今だったらサステナブルな服が美しいのかもしれません。機能の向上や生活スタイルの変化よりも、「美の基準」から外れることで技術やディテールが廃れていくのだと思います。

「半・分解展」をめぐる感動と哲学

――「半・分解展」の来場者はどのような職業の方が多いのでしょうか?

長谷川:当初はファッション系の技術職が大半でしたが、今は学芸員や音楽家、建築系などアート関係の方が多いです。そのためか服作りの技術よりも、感動するとは何か、美しさとは何かという哲学的な話題にもなりやすいです。

――服そのものではなく、その根底にある美意識が共感を呼んでいるのかもしれませんね。

長谷川:「『感動』とは目に見えない内部構造だったり、着た時にわかる美しさなんです」と言っている自分に興味を持ってくれて、実際に当時の服を触ったり、再現したサンプルを着て楽しんだりしてくださるところを見ると、人は哲学を求めているのだと感じます。長く活動を続けるためにも、何をやるかよりも何を考えるかが大事なのだと思います。

――試着サンプルを制作する際に意識していることはなんでしょうか?

長谷川:服自体の完成度は下げて解像度を上げる、つまり伝えたいことを絞って自分の哲学をわかりやすく表現するということです。僕は服作りを専門的に行ってきたので、再現する時に元と似た素材を探して、同じ縫い方にして、職人が作ったボタンを使って……と、つい完成度にこだわりたくなります。ですが、それでは忠実な再現に目が行って、着心地の良さや美意識は伝わらないと思ったんです。

試着サンプルは生地をモノトーンにして、目立たないシンプルなボタンを使うなど極力情報を削ぎ落とす。そうすると実物と比べた時の完成度は落ちますが、実際に着てもらうと言葉で説明しなくてもその着心地の良さに気づいてくれるんです。

「半・分解展」中止を受けて何を思う、そして今後の展望は

――今年5月開催予定だった「半・分解展」の中止による心境の変化はありましたか?

長谷川:今は自分にできることを1つずつやっていこうと決めました。自粛期間中、知人とZoomで話していた際に「もしこの世からお金と時間の概念が消えたとしたら、お前は一体何をやるんだ」と言われたんです。その時に、大規模な展覧会はできなくとも、自分の哲学ととことん向き合って感動を追究するだけだと思って。僕は子ども達や学生から感動をもらうことが多いので、学生と世界で活躍する技術者をつなぐコミュニティを立ち上げました。毎月オンラインセッションをして対話を重ねています。

――今後の展望や思い描いている活動はありますか?

長谷川:人のクリエイティブを盛り上げていきたいです。僕自身は世界に服があふれている中で服作りをしたくない気持ちがあるんです。それに極力作らないことで、本当に作りたいものも見えてきます。

一方で、自粛期間中に自炊する人やマスクを手作りする人が増えたように、自分が本当に好きな服を自分の手で作りたいという人が増えたと感じています。もともと展覧会中のみ販売していた服のパターンの型紙を毎月販売するようになったのですが、市販のものよりも高価で100年以上前のマニアックな服のものなのに、コロナ禍の中にたくさんの方が買ってくださったんです。

現在、「半・分解展の器」という派生イベントを月に1回開催しています。そこでは展示をメインにするよりも、テーマを絞って着心地の良さを伝えたりだとか、服を自分で制作するきっかけを作ったりして、人のクリエイティブを盛り上げたいんです。昔みたいに着る服を自分達で作るようになったら素敵ですよね。あとは「半・分解展」で全国を巡回できるようになるまで、自分の表現を掘り下げていきたいです。

長谷川彰良
1989年茨城県生まれ。2011年エスモードジャポン・メンズ専攻卒。アパレル企業でモデリストとして勤務した後、2016年に独立。「半・分解展」を主宰し全国4都市巡回展を行う。「100年前の感動を100年後に伝える」をコンセプトに、フランス革命から第二次世界大戦までの衣服を分解し、衣服標本を制作する。展示活動の傍ら、東京大学先端科学技術研究センター異才発掘プロジェクトROCKET、昭和女子大学、文化服装学院などで特別講師も務める。2021年2月4~15日には渋谷での展示を予定している。
https://sites.google.com/view/demi-deconstruction/

Photography Ryu Maeda

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