写真家・木村和平は音楽や映画、ファッションなどの分野で精力的に活動しつつ、過去の体験や現在の生活に根付いた作品を発表してきた。被写体の輪郭はまばゆい光や粗い粒子により曖昧になることでかえって強調され、神秘性やノスタルジーを感じさせる。日常の風景が刹那的な光に照らされるからこそ、特別な輝きを放っている。
この度、2016〜2020年に撮影した写真の中から編集した写真集『あたらしい窓』(赤々舎)を2021年1月2日に発売する。それに伴い、個展を東京・学芸大学のBOOK AND SONSと、吉祥寺のbook obscuraの2会場で開催。前者では写真集の中から構成した作品、後者では未収録の作品をそれぞれ展示している他、写真集も先行販売している。『あたらしい窓』というタイトルから彼の写真への意識に迫るとともに、写真集と個展への思いを聞いた。
──どのような経緯で個展を2カ所同時開催するに至ったのでしょうか?
木村和平(以下、木村):もともと2カ所で開催する予定はありませんでした。写真集は2年くらいかけて作ったのですが、個展は後回しになってしまっていて。どこで開催するかと考え始めた時から、窓があって自然光が入る場所がいいと思っていたのですが、まず浮かんだのがBOOK AND SONSでした。依頼したのが10月初旬でとても遅かったのですが、調整してくださったんです。
そのことを前からお世話になっていたbook obscuraの黒崎(由衣)さんに話したら、同時開催しようと言ってくれて。BOOK AND SONSとは違う内容にしようと相談した結果、写真集に載せきれなかった作品を展示することになりました。というのも、前に出した『袖幕』と『灯台』という写真集は着地点がある程度頭にある状態で撮影した作品だったんですが、『あたらしい窓』は膨大な数の写真から着地点を見つけて編集した写真集なので、好きだけど入れられなかった写真がいっぱいあるんです。写真選びをしている時にも黒崎さんに相談していました。
──『あたらしい窓』というタイトルをつけた理由はなんでしょうか?
木村:まず『あたらしい窓』という言葉の響きが好きなんです。「窓」は「生活」の比喩として使っています。僕は生活圏内の人やものを撮っていますが、そこでは人との関係性が変化したり、ペットが増えたり、引っ越せば家も変わりますが、「窓」は常に「生活」の中に存在している、象徴のようなものです。あとは、自分の写真には窓の要素が多いな、という気付きから来ている言葉でもあります。
そして写真集を作ることが決まって、赤々舎の姫野(希美)さんと話している時に、写真における“鏡と窓の役割”という概念を教わりました。恥ずかしながらそれまで知らなかったのですが、1978年にMoMAでジョン・シャーカフスキーというキューレーターが『Mirrors and Windows』という展覧会を開いて、100人の写真家を「鏡派」と「窓派」に分けて作品を展示したんです。「鏡派」は自分と向き合って内面を作品にする写真家で、「窓派」は社会など外のことを観察して作品にする写真家のことをいうんですが、それでいうと僕は「鏡派」なのかもしれません。でも僕は自分の中に閉じこもって制作をしているわけではなく、作品を社会へと向けたい気持ちがある。だから“鏡と窓”の話を聞いた時に、『あたらしい窓』というタイトルは自分にフィットしていると思ったんです。姫野さんとも話し合って、最終的にこのタイトルに決めました。
──それでは日常において、どのような時に写真を撮りたくなるのでしょうか?
木村:僕は普段あまり写真を撮らない方だと思うんです。家にはカメラがあるのでまた別ですが、外出する時はカメラを持っていないことも多いし、写真を撮るためにどこかに行くこともしない。どのような時に撮るかを考えれば考えるほど、言葉にするのは難しくて。例えば「光と影がきれい」とか「人の動きがすてきだ」とかもあるんですけど、サボった表現で言えば「自分の中のあらゆる条件をクリアしたものが目の前に現れると、これを逃したらいけない」という気持ちになり、その時にたまたまカメラを持っていたら撮影するんです。
──さまざまな偶然が重なった結果、写真を撮るんですね。
木村:友達とかと遊んでいる時に、その人の髪が風になびいたり光が当たったりしてきれいだなと思っても、カメラを持ってないこともあります。とはいえカメラを持っていればよかったと後悔することもあまりないと最近気付きました。目で見ているだけでも楽しいんです。撮れなかった景色を再現しようとすることもないし、撮れない日があってもいいと考えています。
ただ、こんな話をしていると必ずしも自分には写真は必要ないんじゃないかと思うんですけど、いざカメラを取り上げられたらやっぱり生きていけない。頻繁に撮らないからこそ、わざわざ撮る写真とはどんなものなのかを『あたらしい窓』で考えました。
──光や風の条件などによって一瞬しか現れないような風景を捉えた写真が多いので、普段あまり撮影しないのは意外でした。
木村:その代わり撮りたいと思ったら納得いくまで撮り続けます。撮る時には頭の中で理想形がイメージできるし、絶対に良い写真になると思っているんですよね。
──裏を返せば、写真を撮るという行為よりも、日常生活の方が大事ということでしょうか?
木村:そうですね。写真を撮ることよりも、誰かと出掛けたいとかあそこのお店でご飯を食べたいというような行動目的が第一優先です。
自宅にも写真的に映えるものという動機ではなく、自分が嬉しくなる家具やものだけを置いています。自分がしたい生活のために好きなもので部屋を飾っているから、結果的にその写真を撮るんです。
──自分が好きなものにあふれた部屋を撮るという行為は「鏡派」的ですね。
木村:僕は誰も扱っていない新しい表現をしているわけでも、自分の外のことを積極的に取り入れて制作しているわけでもありません。自分のことしか自分の言葉で語れないと考えています。ただ、撮影する動機は「鏡派」でも、その写真が社会に何かを働きかける存在になってほしいと思っています。だから一見「鏡」であるようで「窓」ともいえるのかなと。僕は音楽や映画、服などに影響を受けているのですが、作り手のエッセーみたいなパーソナルな内容なのに、受け取り手が自由に解釈できたり、それぞれの体験と置き換えたりできる作品に感動してきました。自分はそれを写真でやりたいんです。
──まさに『あたらしい窓』ですね。
木村:自分の写真も好きなように見てほしいですね。もちろん自分が作品で言いたかったことはあるので、写真集や個展ではその手助けとなるようなものを用意しますが、個展でお客さんに写真や構成の意図を質問された時は、「どう思いましたか?」って聞き返したのちに、自分の考えを話したりします(笑)。
──『あたらしい窓』は、近しいはずの存在に感じる「距離」がテーマの1つだとお伺いしました。
木村:そもそも仲が良い人と一緒にいても、その人が遠い存在だと感じることが思春期くらいからありました。『あたらしい窓』では1人の女性がベースになっていますが、1冊まるごと彼女にフォーカスした本を作りたかったわけではありません。被写体に優劣はなくて、自分にとって大切な人やもの、そして動物達を等しくみつめる、ということをしたかったんです。
テーマを考えたきっかけについてですが、ベースになった女性はずっと髪が長かったのですが、ある時バッサリ切ったんです。長い髪を切ることはさまざまな意味を持つことがあるかと思います。本人がどんな気持ちだったのかはわからないんですが、彼女が髪を切った時と、僕自身や彼女自身、そしてお互いの関係性がどんどん変化してきていると感じたタイミングが一致していると思ったんです。『あたらしい窓』では彼女が長かった髪を最後に切るという構成にしようと思い、写真集では髪の長いことが強く伝わる写真を表紙にして、個展では最初に目に入る場所に大判のその写真を飾りました。他の写真は小さくプリントして作品との物理的な距離をとったり、最後にたどり着く部屋には髪の短い写真を1枚だけ飾ったりしています。もちろん髪を切ってあなたは変わってしまったと言いたいわけではなくて、彼女を含めさまざまな対象への敬意と、新しい窓(生活)に向かっていくことへのはなむけのようなものになっていたらいいなと思います。『あたらしい窓』というタイトルや「髪を切った女性」などがキーワードになって、作品を見る人が考える手掛かりになってくれたら嬉しいです。
──今回の展示では大判の写真以外はすべて手焼きして、写真集もデータではなく実際に焼いた写真を入稿して制作したそうですね。
木村:そうですね。今回の作品はパーソナルなことが出発点にあるので、どうしても全部自分でやりたい気持ちがありました。今までも手焼きができないわけではなかったんですが、正直自信を持って「これが自分の色です」と言えるほどの技術がありませんでした。今回は写真家の熊谷聖司さんに教わったおかげで、手焼きの写真を展示することができました。僕は熊谷さんのプリントがずっと好きなんですが、去年末にbook obscuraでばったりお会いしたんです。かねて黒崎さんが僕の作品を紹介していたらしく、熊谷さんが僕を認識してくれていて、そのまま居酒屋で飲んだんですよ。そしたら熊谷さんが自宅とは別に暗室用の部屋を借りて、そこで暗室教室も行うというお話を聞いて、今しかないと思って教えていただきたいとお願いしました。
年明けに全10回の教室を2〜3週間で終わらせて、ある程度やり方を覚えたあとはひたすら練習。そうしているうちに新型コロナがはやりだして仕事がなくなったので、鍵だけ開けてもらう形で頻繁に暗室に通って、毎回6時間くらいひたすら焼いていました。今年だけで1000枚近くは焼いたと思います。もちろんまだまだですし、熊谷さんには「あと3000枚くらい焼けばわかるんじゃない?」と言われましたが(笑)、ある程度やりたいことがコントロールできるようになってきたので、今回は序章として手焼きを発表することにしました。
──最後に、今後の予定があれば教えてください。
木村:コロナのせいで不透明なことも多いですが、『あたらしい窓』の巡回展を来春にかけて開催する予定です。あとは映画のビジュアル撮影が1件決まっているので、それを頑張りたいですね。