100年以上前の服を半分に分解 「半・分解展」主宰の長谷川彰良が追究する感動と美意識

長谷川彰良はフランス革命前後から第二次世界大戦あたりまでの服の半分を分解し、衣服標本を制作している“衣服標本家”だ。活動コンセプトは“100年前の感動を100年後に伝える”。研究のために服を分解するモデリストやデザイナーは少なくないかもしれないが、長谷川の特異な点は「感動」を追い求めているところにあるだろう。

主宰する展覧会「半・分解展」では、衣服標本に加えて、自らがパターン起こしから制作を行った試着サンプルを展示しており、100年以上前の服を観るだけではなく実際に着て体感することができる。今年5月に開催予定だったものの新型コロナウイルスの影響で中止となってしまったが、2018年に渋谷と名古屋で開催した際には入場料2,000円、計12日間で2000人以上が来場。また伊勢丹新宿本店メンズ館では2019年3月から1年間にわたって、月替わりでさまざまな衣服標本を展示していた。

今回、長谷川には実際に解体した服の解説を踏まえながら、活動の根底にある「感動」とはどのようなものなのか、そして今後の展望などについて語ってもらった。

――最初に分解したのは、学生時代に出会った1900年代初頭のフランスの消防服だとお聞きしました。貴重な服は着ることすら躊躇しそうですが、分解した動機はなんだったのでしょうか?

長谷川彰良(以下、長谷川):分解すること自体に抵抗はありませんでした。当時学校でビスポークの服作りを学んでいたので、人の手で作られた古い服の見えない裏側の構造や縫い方などに興味があったんです。

今振り返ると、分解することで「なぜその服に感動したのか」という理由が知りたかったのかもしれません。今も分解する服の基準は感動するかどうかが一番で、その次は探究心や知的好奇心が湧くかです。分解は自分自身を知るための手段の1つなのだと思います。それに感動的なものを探すというよりも、いかに自分が感動できる精神状態でいられるかを大事にしています。

――現在分解している服はすべて手作りなのでしょうか?

長谷川:すべてではありません。パリ万博が盛り上がった19世紀中盤以降は、一部分を手作業で、あとは工場の機械で作られた服も多いんですよ。それに当時から服を過剰生産していたと僕は思っています。そうじゃなかったら現在まで残らないですね。

その頃の服を分解していておもしろいのは、裏は手縫いなのに、表地の見えている部分はすべて機械製なんです。そうすることで当時の最先端であるミシンを使っていることをアピールしているのだと思います。最新テクノロジーを売りにしているという意味では、スマートフォンでサイズを測って作る現代の服と変わりません。

――昔の服にも商業的な面があるんですね。

長谷川:僕は古い服だからといって「温故知新」だとか「手作りの温かみ」を感じることはありません。むしろどのように売るかという泥臭さを感じますし、それは文献を読むよりも分解することでよりわかってきます。

ただフランス革命(1789〜1799年)前後まで遡ると、また作り方が大きく変わってきます。

――その年代はどのような服作りになっているのでしょうか?

長谷川:ミシンが生まれる前なのですべて手作業で作られているのですが、このフランス革命前の貴族が着ていたアビ・ア・ラ・フランセーズを一言で表すなら“インスタントな服”。尋常じゃないくらい手間がかかっているのに、お直しして子どもに受け継いで長く大切にして……ということはなく、いかに一瞬を輝くかしか考えられていないんです。耐久性よりも派手に着飾るための「装飾美」を追究している様子が、分解することで見えてきました。

――長く着ることが考慮されていないことはどのようにわかるのでしょうか?

長谷川:革命前のフランスの貴族は、市民は物価高騰によるパン不足に悩んでいる中、小麦粉をふりかけて髪を白く見せていたのですが、ただでさえ虫食いがひどいシルクと小麦粉の相性は最悪。この服はたまたま一部が麻に張り替えられていて比較的きれいな状態ですが、当時の服は虫食いがひどくほとんど残っていません。

そして分解すると、縫い代がほとんどないことがわかります。手の込んだ服ならばサイズを調整するためにも縫い代を多く取っておくべきなのですが、この服には7mmくらいしかありません。持ち主がオーダーした時の体型にぴったり合わせて作られて、お直しすることが考えられていないんです。

でも革命後には8cmくらい縫い代を残すようになるんですよ。そうすることで、少し太ってもウエストを調整したり、子どもにゆずる時に袖を直したりできるんです。

――同年代の市民の服はどのような作りになっているのでしょうか?

長谷川:これがフランス革命を推し進めたサン・キュロットと呼ばれる市民達が着ていたカルマニョールです。先ほどのアビ・ア・ラ・フランセーズは生地をふんだんに使って裾にプリーツも作っていますが、この服は粗野なウール素材をつぎはぎして作られています。裏地の麻は200年以上経っているから柔らかくなっていますが、最初は硬かったかもしれません。

そして縫製部分に使われているのは糸というよりも麻の繊維です。分解している時もブチンブチンと切れるので、縫った職人は指も痛かっただろうしかなり苦労したと思います。

――袖の曲線など、全体の形は似ているように思います。

長谷川:パターンはとても似ていますが、大きく違うのはアームホール(腕の付け根)です。貴族の服は小さくて、市民の服は大きく取られているのですが、これにも明確な理由があります。

貴族はこの服を着て社交場で踊ったり、馬に乗って狩猟を楽しんだりしていたのですが、アームホールを体にぴったり合わせることで、腕が動かしやすくなるんです。ただアームホールが小さいと着用できる体型が限定されます。それに1人では大変着づらく召使いの手伝いが必要になるのですが、一度着れば自由に腕が動かせる不思議な設計なんです。全身タイツやウェットスーツを着た時の感覚に近いかもしれません。

一方で、市民の服のようにアームホールを大きくすることで、子どもから老人まで誰でも着られるようになります。現代はこのような服作りが多いですよね。そのかわり腕を上げると身頃の生地もつられてしまうので動きにくく、余計な重さを感じて疲れやすくなってしまうんです。

美術館や博物館で見るだけでは着心地はわからないですし、「半・分解展」では実際に着て体感してもらうことを意識しました。

分解することで見えてくる100年前の美意識

――今までの話を踏まえて、長谷川さんは服のどの部分に「感動」するのでしょうか?

長谷川:服の明確な美意識が見えた時です。自分の中で“静の服”と“動の服”と基準付けているのですが、惹かれるのは“動の服”。

まず“静の服”とはマネキンが着て静止した状態で美しい服。僕は第一次世界大戦を1つの契機として、1930年代以降はほとんどの服が“静の服”になっていくと考えています。

それ以前の“動の服”、例えば先ほどの貴族のアビ・ア・ラ・フランセーズは、気をつけの姿勢だと肩や背中、腕が締め付けられて着にくいんですよ。でも少し腕を上げたり胸を張ったりすると楽になるという、動きを意識したアプローチが見て取れる瞬間に惹かれるんです。

――“動の服”は人間の動きを意識して作られているのでしょうか?

長谷川:当時狙っていたのは「美しさ」だったのではないでしょうか。「伝統的な狩猟をいかに美しく行うか」「社交の場でいかに美しく踊るか」という美意識を追究した結果が、動きやすさにつながっていているのだと思います。

現代で動きやすい服を作るとしたらニットやストレッチが利いた素材を使うことが主流ですし、構造だけで動きやすさを追究しているのはバイク乗りの服や作業服などの一部の服だけです。でも日常的に着られていた “動の服”には、作りだけで動きやすさを追究する「構造美」があります。この「構造美」は分解しないと見えてきません。

――“動の服”に使われていたような技術が衰退したのは、素材の進化や生活様式の変化が影響しているのでしょうか?

長谷川:もちろん化学繊維の発展や社会インフラの整備も影響していると思いますが、それ以上に「美の基準」が変わったからだと考えています。着ていると殺されるということもありますが、フランス革命後には革命前の服を突然見かけなくなりますし、大戦後もそれ以前とは違う服が現れる。今だったらサステナブルな服が美しいのかもしれません。機能の向上や生活スタイルの変化よりも、「美の基準」から外れることで技術やディテールが廃れていくのだと思います。

「半・分解展」をめぐる感動と哲学

――「半・分解展」の来場者はどのような職業の方が多いのでしょうか?

長谷川:当初はファッション系の技術職が大半でしたが、今は学芸員や音楽家、建築系などアート関係の方が多いです。そのためか服作りの技術よりも、感動するとは何か、美しさとは何かという哲学的な話題にもなりやすいです。

――服そのものではなく、その根底にある美意識が共感を呼んでいるのかもしれませんね。

長谷川:「『感動』とは目に見えない内部構造だったり、着た時にわかる美しさなんです」と言っている自分に興味を持ってくれて、実際に当時の服を触ったり、再現したサンプルを着て楽しんだりしてくださるところを見ると、人は哲学を求めているのだと感じます。長く活動を続けるためにも、何をやるかよりも何を考えるかが大事なのだと思います。

――試着サンプルを制作する際に意識していることはなんでしょうか?

長谷川:服自体の完成度は下げて解像度を上げる、つまり伝えたいことを絞って自分の哲学をわかりやすく表現するということです。僕は服作りを専門的に行ってきたので、再現する時に元と似た素材を探して、同じ縫い方にして、職人が作ったボタンを使って……と、つい完成度にこだわりたくなります。ですが、それでは忠実な再現に目が行って、着心地の良さや美意識は伝わらないと思ったんです。

試着サンプルは生地をモノトーンにして、目立たないシンプルなボタンを使うなど極力情報を削ぎ落とす。そうすると実物と比べた時の完成度は落ちますが、実際に着てもらうと言葉で説明しなくてもその着心地の良さに気づいてくれるんです。

「半・分解展」中止を受けて何を思う、そして今後の展望は

――今年5月開催予定だった「半・分解展」の中止による心境の変化はありましたか?

長谷川:今は自分にできることを1つずつやっていこうと決めました。自粛期間中、知人とZoomで話していた際に「もしこの世からお金と時間の概念が消えたとしたら、お前は一体何をやるんだ」と言われたんです。その時に、大規模な展覧会はできなくとも、自分の哲学ととことん向き合って感動を追究するだけだと思って。僕は子ども達や学生から感動をもらうことが多いので、学生と世界で活躍する技術者をつなぐコミュニティを立ち上げました。毎月オンラインセッションをして対話を重ねています。

――今後の展望や思い描いている活動はありますか?

長谷川:人のクリエイティブを盛り上げていきたいです。僕自身は世界に服があふれている中で服作りをしたくない気持ちがあるんです。それに極力作らないことで、本当に作りたいものも見えてきます。

一方で、自粛期間中に自炊する人やマスクを手作りする人が増えたように、自分が本当に好きな服を自分の手で作りたいという人が増えたと感じています。もともと展覧会中のみ販売していた服のパターンの型紙を毎月販売するようになったのですが、市販のものよりも高価で100年以上前のマニアックな服のものなのに、コロナ禍の中にたくさんの方が買ってくださったんです。

現在、「半・分解展の器」という派生イベントを月に1回開催しています。そこでは展示をメインにするよりも、テーマを絞って着心地の良さを伝えたりだとか、服を自分で制作するきっかけを作ったりして、人のクリエイティブを盛り上げたいんです。昔みたいに着る服を自分達で作るようになったら素敵ですよね。あとは「半・分解展」で全国を巡回できるようになるまで、自分の表現を掘り下げていきたいです。

長谷川彰良
1989年茨城県生まれ。2011年エスモードジャポン・メンズ専攻卒。アパレル企業でモデリストとして勤務した後、2016年に独立。「半・分解展」を主宰し全国4都市巡回展を行う。「100年前の感動を100年後に伝える」をコンセプトに、フランス革命から第二次世界大戦までの衣服を分解し、衣服標本を制作する。展示活動の傍ら、東京大学先端科学技術研究センター異才発掘プロジェクトROCKET、昭和女子大学、文化服装学院などで特別講師も務める。2021年2月4~15日には渋谷での展示を予定している。
https://sites.google.com/view/demi-deconstruction/

Photography Ryu Maeda

author:

等々力 稜

1994年長野県生まれ。大学卒業後、2018年にINFASパブリケーションズに入社。「WWD JAPAN. com」でタイアップや広告の制作を担当。『TOKION』復刊に伴い、同編集部に異動。

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