新元良一, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/ryoichi-niimoto/ Thu, 20 Jan 2022 03:24:54 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 新元良一, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/ryoichi-niimoto/ 32 32 「TOKION Song Book」Vol.8 文化、言語が融合し、生み出される甘い調べ アルージ・アフタブの「Last Night」 https://tokion.jp/2022/01/23/tokion-song-book-vol-8-arooj-aftab/ Sun, 23 Jan 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=86763 ブルックリン在住の作家、新元良一がミュージシャン達が曲に込めた思いを深掘りする連載。今年度のグラミー賞でもノミネートを果たしたアルージ・アフタブの最新作より、「Last Night」の歌詞を読み解く。

The post 「TOKION Song Book」Vol.8 文化、言語が融合し、生み出される甘い調べ アルージ・アフタブの「Last Night」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>

年末が近づくと、いろいろな音楽メディアで年間ベスト・シングルやベスト・アルバムが発表される。いくつかあるそんなリストの中で、個人的に信用を置くのがNPRというラジオ局から出るものだが、今年よく聴いたアルージ・アフタブ(Arooj Aftab)の『Vulture Prince』が第7位にランクインしている。

前評判が高く、僕が住むブルックリンに在住するミュージシャン、というのもあって聴き始めたのだが、第一印象はさほどのインパクトはなかった。しかし聴き込んでいくうちに、パキスタン出身のアフタブが歌い、奏でる音楽に、なんとも気持ちの落ち着く感触を得た。

音の構成自体は、複雑なものというわけではない。例えば、アルバムの最初に収録された「Baghon Main」は、ハープの美しい旋律に導かれ、これにヴァイオリンとダブル・ベースが加わり、彼女の歌と見事に調和し、神秘的で落ち着いたサウンドを創出している。

こうしたシンプルな音づくりにもかかわらず、深みをもたらす要因は、いわゆる西洋音楽とは異なるエスクニックな音が加わることである。言うまでもなく、“異なる音”とはアフタブのルーツとなる南アジアを連想させる旋律だ。

異なる文化・言語・音が融合し生まれる前衛的なサウンド

文化的に異なるものの融合は音だけではなく歌詞にも及び、収録された曲の所々で、パキスタンの言語が使われる。アルバムの3番目にクレジットされる「Inayaat」に至っては、曲の始めから終わりまでその言葉が続く。

アメリカのミュージック・シーンにおいて、非英語圏の音楽や言語が用いられた曲が注目され、ヒットするのは、よくあることというわけではないけれど、珍しいことでもない。例えば、ブラジル出身のセルジオ・メンデスは、1960年代にボサノバ人気をアメリカはもとより、世界的に拡大した立役者の1人であるし、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブは1990年代末から2000年代初めにかけて、ワールド・ミュージックに脚光が当たる時期と重なり、同グループが登場する映画の大ヒットとともに、キューバ音楽でシーンを席巻するきっかけを作っている。

時代も社会の状況も違うので、非英語圏というだけで、他のミュージシャンと一括りにする比較はできないが、アフタブの場合、より彼女個人の特性が前面に出ているように思える。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブは、ニューヨークでのコンサートを観に行く機会を得たが、こんなに聴く者の胸に響く音楽が現存していたのかという思いで興奮し、世界的な人気を得るのも納得がいった。しかし彼らがキューバ国外で認知された理由は、アメリカのミュージシャン、ライ・クーダー抜きでは語れない。

またメンデスにしても、20代にアメリカへ移住し、名の知れたトランペッターであるハーブ・アルバート達が率いる現地のレコード会社、A&Mと契約した。新進のレーベルだったとはいえ、メンデスにとっては活躍の場を提供してくれた後ろ盾であり、アメリカのリスナーの傾向を知るレコード会社ということもあって、どことなくアメリカナイズされたサウンドが彼の楽曲にも反映される。

これに対し、20歳の時にアメリカへ渡り、名門バークリー音楽院を卒業後、ニューヨークで自主制作したアフタブのデビュー作『Bird Under Water』(2014)は、曲作りとともにプロデュースにも彼女の名がクレジットされる。そレから独立系のレーベル、ニュー・アムステルダムと契約し、作曲と歌に専念した第2弾『Siren Islands』(2018)を経て、今回の『Vulture Prince』では再び自身がプロデュースを手掛けている。

主軸にあるパキスタン人としてのアイデンティティ

つまり、アルバム制作の主導権がアフタブ本人にもたらされたことで、先に述べたように、作品が彼女自身を大きく反映する結果となった。制作に取り組んでいる時期に、実弟が死去するという不幸に見舞われ、身内としての思いが込められる「Diya Hai」などはその最たる例だろう。

一方で、パキスタン人というアイデンティティもまた、本アルバムの中心的な役割を果たす。最初にシングル・カットされた「Last Night」は、部分的に同国の詩人Rumiの詩からの引用が使われるなど、ここでもパキスタン文化の影響が色濃く投影されている。

昨晩わたしの愛する人は月のようだった
とてもきれい
昨晩わたしの愛する人は月のようだった
とてもきれい
月みたいにとてもきれい
月みたいにとてもきれい
月みたいにとてもきれい
月みたいにとてもきれい
太陽より輝いている

シンプルな英語の歌詞と所々の反復されるフレーズに続き、ウルドゥー語(パキスタンの公用語)の部分が来るのだが、言語能力に乏しい筆者は訳すことも理解することもできない。同様にこの曲に惹かれながら、2つの言語が混在する、歌詞のすべてを把握できないリスナーも多かったのではないだろうか。

しかし、歌と演奏に耳を澄ませていくと、次第に、この「混在」が不思議な効果を生み出すのに気付く。それを示すのが、歌詞は先に紹介した英語、そして次に来るウルドゥー語に続き、曲を締めくくる次の部分だ。

月みたいにとてもきれい
月みたいにとてもきれい
月みたいにとてもきれい
月みたいにとてもきれい
わたしの理解よりはるか先の優美
そのほかは沈黙

他者とコミュニケーションをとる上で、言語は重要だと大抵の人が認める。だが、誰かとふれあおうとするとき、それがすべてだろうか? 共通する言語がなければ、互いに心を通わせ合うことができないのか?

使う言語や文化的、社会的な価値観が異なっていたとしても、数多の人が月という存在に、「きれい」あるいは「美しい」というイメージを思い浮かべる。そこには、個々の思想や哲学、あるいは政治の信条といったものが介入することはない。

こうした言語を超え、普遍性を帯びた相互理解がもたらす喜びや多幸感を、歌詞の中の「理解よりはるか先の優美」のフレーズに読み取ることができる。先が見通せず、その不満や心配がともすれば否定的な感情になって表れ、ぶつかり、いがみ合うことも生じるような不安定な現代にあって、混在を受け入れ、歓迎もするこの曲のファンタジックな世界の広がりが、ざわつくわれわれの心に平静さを呼び戻してくれるのだ。

Illustration Masatoo Hirano
Edit Sumire Taya

   

The post 「TOKION Song Book」Vol.8 文化、言語が融合し、生み出される甘い調べ アルージ・アフタブの「Last Night」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
「TOKION Song Book」Vol.7 ネガティブな情報が拡散されがちなSNS時代に警鐘を鳴らす タイラー・ザ・クリエイターの「ウィルシィア」 https://tokion.jp/2021/11/03/tokion-song-book-vol7-tyler-the-creator/ Wed, 03 Nov 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=72590 ブルックリン在住の作家、新元良一がミュージシャン達が曲に込めた思いを深掘りする連載。この6月に発表されたタイラー・ザ・クリエイターの「ウィルシィア」を歌詞から読み解いていく。

The post 「TOKION Song Book」Vol.7 ネガティブな情報が拡散されがちなSNS時代に警鐘を鳴らす タイラー・ザ・クリエイターの「ウィルシィア」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
米ラッパー、タイラー・ザ・クリエイターの最新スタジオアルバム『コール・ミー・イフ・ユー・ゲット・ロスト』のアートワークにはタイラー・ボードレールの架空のID(トラベル・パーミッション)が登場する。旅を愛したフランスの詩人シャルル・ボードレールの名前を拝借し、ヒップホップのヒストリーを旅しているかのような気分にさせるヴァリエーション豊かな楽曲達に、底知れないヒップホップへの愛と彼の美学を感じ取ることができる。アメリカのポップカルチャーや文学を斬新な切り口で考察する新元良一が今回選んだのはタイラー・ザ・クリエイターの「ウィルシィア」だ。

アン・パワーズという人は、僕が信頼する音楽評論家の1人だ。ラジオの公共放送NPRの番組に出演し、そのウェブにも寄稿することがあるが、タイラー・ザ・クリエイターについての彼女の文章が目を引いた。好奇心をあおられたのは、文中で1編の小説の話題にふれていたからだ。アメリカ人作家クリステン・ルーペニアンによる短編小説「キャット・パーソン」は数年前、ニューヨーカー誌に掲載されるや瞬く間に評判を取り、ネットでも大いに話題となった。

 掲載時に一読したが、感想から先に話すと、あと味の悪さが残る作品であったと記憶している。作品の質うんぬんの話でなく、登場人物が裏表なく描かれているように思え、そこにある種の居心地の悪いリアリティを感じたのである。小説の主人公の女子大生は、アルバイト先の映画館で客として来ていたかなり年上の男性とめぐり合う。やがて2人はテキスト・メッセージをやりとりし、恋仲となるのだが、年齢差もあってか通い合うと思えた互いの心に隙間が生じる…とだけ聞けば、どこにでもあるストーリーだろう。

ところが、前述したようにリアリティが表れるのは、そこに“見たくない”人間の側面が描かれているからだ。例えば、年の差のあるカップルはつきあうようになった当初、言うまでもなく仲睦まじく、楽しそうである。しかし時間が経つにつれ、互いの心が離れていくに従い、素っ気なく、冷たく相手をあしらい、それまで隠れていたネガティブな裏側が露わになる。

冒頭のパワーズによる記事に話を戻すと、この人間の表裏両面が、タイラー・ザ・クリエイターによる彼の最新アルバム、『コール・ミー・イフ・ユー・ゲット・ロスト』の収録曲の最後に入った「ウィルシィア」で表現されているという。そこで歌詞に当たってみると、確かに曲の中で語り手となる人物の身勝手さなど、倫理的に問題視されるところが出てくる。何が問題かというと、友人のガールフレンドと知っていながら、その彼女と恋仲になってしまう三角関係を本作は扱う(「Side Street」というタイラーのPVで、相手の彼氏の目を盗んでいちゃつく2人の様子が描かれる)。

問題は、お前の彼氏がオレの仲間ってことだけど、正直言うと、お前に奴を捨ててほしい

モラルはオレにだってある、本当さ。そいつを破ったことなんてない

でもこいつは、ちゃんとした意思を迷わす代物さ

ちゃんと心がけるオレだが、こんな風に感じたことなんてない(拙訳)

インパクトのあるドラム音で始まり、これに調和を取るベースの響きがジャズの彩りを与えるメロディ・ラインは、独白調の語りに見事にマッチする。結果的に、友人の恋人を寝取ってしまった歌の語り手は、自分の行動をどこか正当化しようとし、開き直っている態度を取ることで、自己中心的で、見苦しいイメージを聴く側にもたらす。

一方で、罪悪感がゼロというわけでもない。友人のいないところで、自分と会う彼女に対し、この語り手は「お前のためなら、こんな友情なんてめちゃくちゃになってもかまうもんか」と強がりを言った舌の根も乾かぬうちに、恋仲になった女性の彼氏が、こんな仕打ちを受けるのは申し訳ないと、悪びれた態度を見せる。

人間の多面性が表面化し、取り沙汰される現代

自分が撒いたタネのくせして、女性に会えないことを嘆き、その彼女に友人と別れてほしい思いを伝えるなど、語り手の様子は確かに醜悪でみっともない。またあまりの真実味に、先の「キャット・パーソン」と同様、これも実際に起こったエピソードではないかと勘ぐる向きもあるかもしれないが、僕はそこまで、有名なミュージシャンのプライベートに関心があるわけではない。

では、「ウィルシィア」の何に引かれるのかといえば、本作が伝える人間の多面性と、時代がもたらすその表面化である。8分半を超える大作は、これまで記したように、わがままと罪悪感がないまぜになった心境が吐露される。ところが、そうしたトーンが結末に近づくと、よりさらけ出すようなものへとシフトしていく。

それにオレの生活のこっち側は、マジで内々に納めたい。わけわからねえ連中がいるし

それに

オレが大切にする人は陰にいてもらいたい

コメントとか、スポットライトとか、考察とかから身を守るためにな

だってそんなの外の連中にとっちゃただのオハナシにすぎないだろ

だけどお前にしても、本の中の一章でしかないかもな (拙訳)

最後のフレーズに関しては、「本」が示すのが何なのか、その解釈が分かれるところだろう。人々の関心は多岐にわたり、誰かの色恋沙汰や醜聞などそのうちの1つにすぎない、という読み取り方ができる。あるいは、この話を語る男性は、恋愛において1人の相手では満足できず、目移りして、すぐに別の人間と関係を結びたくなる、自分でも抑制が効かないような性格、とも受け取れる。

だがこの曲で重要なのは、最後よりもむしろその前の数行である。仮に語り手が作者タイラー・ザ・クリエイターだとして、有名人であるために、私的なこともすべて白日のもとに晒される宿命にある。いくら著名であっても同じ人間、にもかかわらず、プライバシーが失われることへの嘆きという捉え方が、その重要性の1つだ。そしてもう1つが、一個人に向ける社会の眼差しだ。

言うまでもなく、人間にはさまざまな側面がある。優しく、生真面目と表面的には見えても、意地悪な部分がどこかに隠れていても不思議でなく、それが人間の複雑さを表している。

趣味や習癖と何でもよいけれど、1人の人物の普段見せていない面が現れて、共感をもつ他者がいる反面、これまでのイメージが損なわれる可能性も考えられる。問題はこの歌詞にあるように、他者のネガティブな反応がソーシャル・メディアにより、おもしろおかしく書き立てられ、拡散される時代にわれわれはいるということだ。

固定されたイメージを本人に「押し付ける」ことが、現代社会である種の息苦しさを生み出していると、本作に見るのは飛躍しすぎだろうか。懐古的な考えに走る必要はないけれど、ソーシャル・メディアをはじめ、新たなコミュニケーションの手段が広まる中、さまざまな“顔”をもつ他者を受け入れるおおらかさが、この時代のわれわれに求められているように思える。

Illustration Masatoo Hirano
Edit Sumire Taya

The post 「TOKION Song Book」Vol.7 ネガティブな情報が拡散されがちなSNS時代に警鐘を鳴らす タイラー・ザ・クリエイターの「ウィルシィア」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
「TOKION Song Book」Vol.6 分断するアメリカ社会を象徴するジャパニーズ・ブレックファスト「Savage Good Boy」を読み解く https://tokion.jp/2021/08/30/tokion-song-book-vol6-japanese-breakfast/ Mon, 30 Aug 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=54108 ブルックリン在住の作家、新元良一がミュージシャン達が曲に込めた思いを深掘りする連載。ドリームポップの歌姫として人気を獲得し、4年ぶりの最新作『Jubilee』ではより広い層のリスナーから支持されたミッシェル・ザウナーが歌詞に込めた思いとは。

The post 「TOKION Song Book」Vol.6 分断するアメリカ社会を象徴するジャパニーズ・ブレックファスト「Savage Good Boy」を読み解く appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
2度の来日公演で実力を証明し、リリースの度に注目を集めるジャパニーズ・ブレックファストことミシェル・ザウナー。アメリカン・コリアンである彼女が綴った回顧録は米紙ニューヨーク・タイムズの「ハードカバー・ノンフィクション・ベスト・セラー・リスト」で2位に選出され話題となった。ミュージックビデオを自ら監督するなど、マルチタレントな彼女の曲には複雑な世界が築かれ、それを読み解く楽しさも彼女の曲の魅力の1つとなっている。

誰かにこの連載を説明するときに、洋楽での「流行歌」という言葉を使う。なんとも古くさい、といった印象を持たれてもおかしくない表現だ。なぜこの言葉なのかというと、連載を始めるにあたって、人気の高い洋楽の新曲を自分なりに読み解いて、いまアメリカで暮らし、肌で感じる日常や社会を伝えられないか、と考えたからである。曲自体の構成やミュージシャンの歌唱、演奏、彼らのキャリアを語る“点”とは異なり、文字通り、時代の“流れ”を絡めたものを文章にできないか、という思いもあった(もちろん音楽専門の評論家やライターでもない筆者に、理論や楽器への知識などが乏しいのも理由のひとつではある)。

作家としての才能も開花させた、才女ミッシェル・ザウナー

ミッシェル・ザウナーのソロ・プロジェクト、ジャパニーズ・ブレックファストの新アルバム『Jubilee』に収録された「Savage Good Boy」を聴くと、新しい時代へ向けて、アメリカがようやく曲がり角に差しかかった気にさせられる。韓国人の母とユダヤ系アメリカ人の父を持つザウナーは、音楽とともに著述活動も行う。自伝『Crying in H-Mart』を書き上げ、その一部がニューヨーカー誌に掲載され、最終的に大手の文芸出版クノッフ社から発表されて、先日、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストにも入った。そんなザウナーのセンスと文章力の片鱗が、本作でもうかがえる。

たとえば曲の中盤で、“They’re the stakes in the race to win(競争を勝ち抜くには骨が折れるものなのさ)”という歌詞が出てくる。この「race」は、生き馬の目を抜くほど過酷な生存競争を示すが、“They’re the stakes in a race to live(人類を生かすのは骨が折れるものなのさ)”のように、「人類」という意味を持たせるなど、彼女の言葉選びの能力が際立っている。そうした気の利いた表現以上に目を見張るのが、テーマに対する深い洞察力である。嘲笑的な曲のタイトル“Savage Good Boy”(どう猛な善き男)から、ミソジニーを扱う主題かと思っていたところ、そこからさらに深い部分で聴く側に訴えかけるものが、歌詞を読み解いていくことで確かめられる。

I want to be your savage good boy
オレはお前のどう猛な善き男になりたい
I want to take care of you
お前の面倒を見てあげたいんだよ
When everybody’s gone
みんな離れようが
Want you to be the one that I come home to
お前にはオレが帰れる人でいてほしい
The one that’s up waiting
起きて待っていてくれる人だよ
I want to make the money ‘til there’s no more to be made
有り余るほど金を稼ぎたいもんだ
And we will be so wealthy, I’m absolved from questioning
そして二人ですごい金持ちになったら、オレへの文句もなくなる
That all my bad behavior was just a necessary strain
悪い素行は過労のせいだった、というわけだ
They’re the stakes in the race to win
競争を勝ち抜くには骨が折れるのさ
I’ve got a five year plan
5年先までの計画がある
I’ve got a pension and six condos
年金もあるし、コンドミニアムも6つある
A billion dollar bunker for two
1億ドルの二人用地下壕もな
And when the city’s underwater
街が浸水しても
I will wine and dine you in the hollows
穴倉で酒も食事もありつけるようにしてやる
On a surplus of freeze dried food
たっぷり冷凍乾燥の食品も用意して
I want to make the money ‘til there’s no more to be made
有り余るほど金を稼ぎたいもんだ
And as the last ones standing, we’ll be tasked to repopulate
最後に生き残るふたりとなったら、子孫を増やすのもやらないとな
And as you rear our children, know it’s the necessary strain
そしてお前は自分たちの子たちを育て、これがなくてはならぬ種族とわかっている
They’re the stakes in a race to live
人類を生かすのは骨が折れるのさ

(Japanese Breakfast “Savage Good Boy”歌詞より)

相手の意思の尊重どころか、確認にしないまま、オレがお前の面倒をみてやる、だから黙って付いてこいと告げる。歌詞の語り手による主張は、身勝手この上なく、甘えさえあるが、目に止まったのが「1億ドルの二人用地下壕」だ。昨年のコロナによるパンデミックの最中、米中部のミネソタ州での白人警官による黒人男性の死に至ったジョージ・フロイド事件は、全米各地での抗議運動へと発展し日本でも報道された。事件をきっかけに国民の怒りが飛び火したのは、首都ワシントンも例外でなかった。大規模かつ激しい抗議運動が起こる中、“身の安全を守る”ためにドナルド・トランプ前大統領が一時避難したと、マスメディアなどで取り上げられた際に取り上げられたのが、この「地下壕(bunker)」だった。

現代社会全体を渦巻く分断

デモの参加者たちと向き合うことも、彼らの主張に耳を傾けることもしない、自己中心的な態度と言動が批判の的となった前大統領を、導入部の子どもじみたコーラスとともにこうした言葉で揶揄するように思える。自分に付くなら何も困ることはない、金に糸目をつけず、贅沢もさせてやるという横柄な態度や先のミソジニーは、たしかにトランプに対する一般認識と重なる。しかしディストピア小説をも想起させる、我が身と家族の保身しか興味を示さない終末論的な世界の設定は、特定の人物への批判というより、現代社会全体を渦巻く「分断」を表現しているとも言える。つまり、対立するどちらかの側に従順なら富の分配などが約束される一方で、異論を口にしたり、反抗的な態度を取るなら、生命の保証すらしないといった二極化を煽るような社会の風潮がここに見られる。“社会の風潮”と書いたが、昨年であれば、同じ曲でも受け止め方は違っていたのかもしれない。あくまでも想像の域だが、現実社会で起こっている分断を音楽の世界でも突きつけられ、やり場のない気持ちになっていたのではないだろうか。

もちろん今現在でも、アメリカにおける分断は続く。ことに政治においての対立は常態化しているけれど、それでも互いを敵視したり、憎悪まで抱くことに、この国の人たちが疲弊しているようにも映る。新型コロナ・ウィルスの大規模な感染を受け、これまで、医療から経済まで多方面で打撃を受けてきた。さらに年頭には、トランプ支持者たちによって米国会議事堂で破壊活動が行われて、民主主義の根底を揺るがす危険にも晒された。こうした事態を収束させるには、ワクチン接種の拡大も含め、可能な限り多くの人たちの協力が必要とされる。意見の対立はあっても、根深い分断が続いては、社会の停滞から抜け出せないことに、アメリカは気づき始めているとも取れる。その時期に分断を扱う本作にふれると、現在もそれが続く状況ながらも、絶望感や閉塞感というより、そこから脱してどう進んでいくのか?と自問するかのように聞こえてくると共に、時代の新しい潮流を迎えているアメリカが、近年の経験を元に、未来を築くために一里塚を造るイメージが浮かんでくるのである。

Illustration Masatoo Hirano
Edit Sumire Taya

The post 「TOKION Song Book」Vol.6 分断するアメリカ社会を象徴するジャパニーズ・ブレックファスト「Savage Good Boy」を読み解く appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
「TOKION Song Book」Vol.5 カサンドラ・ジェンキンスが「Hard Drive」で謳う、多様性を認めて助け合い共存する未来 https://tokion.jp/2021/06/23/tokion-song-book-vol5-cassandra-jenkins/ Wed, 23 Jun 2021 06:00:59 +0000 https://tokion.jp/?p=38742 ブルックリン在住の作家、新元良一がミュージシャン達が曲に込めた思いを深掘りする連載。同じブルックリンを拠点とするSSWカサンドラ・ジェンキンスの「Hard Drive」の歌詞から読み解く、われわれが目指す新たな社会とは。

The post 「TOKION Song Book」Vol.5 カサンドラ・ジェンキンスが「Hard Drive」で謳う、多様性を認めて助け合い共存する未来 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
ワクチン接種に関してまだまだ課題が山積みな日本に対し、マスクを外し、コロナ以前の日常に少しずつ戻りつつあるアメリカ。コロナによって浮き彫りにされた社会問題や課題に対し、どう向き合っていくのか? 世界各国が変移する局面に差し掛かっている。

ブルックリン在住のSSWカサンドラ・ジェンキンスはフォーク・ミュージシャンの両親のもとで、幼い頃から音楽に慣れ親しみ、編集のアシスタントとして仕事に取り組みながらも、本格的にプレイヤーとして音楽に向き合うようになった。サポートメンバーとして参加したパープル・マウンテンズのデヴィッド・バーマンの突然の死にショックを受けながらも、その喪失感を受け入れ、時には他人と、時には自身と対話をしながら回復していく姿が描写された『An Overview on Phenomenal Nature』は多くの共感を呼んでいる。

自然との繋がりを求め、その重要性に目を向ける

4月初め頃だったか、暖かい季節を迎え表へ出たくなった。パンデミックが起こって1年が過ぎ、ワクチン接種がやっと始まり、行動規制が少しは緩和されたが、コロナ蔓延以前と比べれば外出の機会は減った。そんな日常もあって、以前にもまして自然を求めるようになった。巣ごもりするうちに時間の経過が麻痺したように感じられて、花や草木を見ながら、季節の流れにじかに触れたい気持ちが強まった。すると、こうした思いになるのは自分だけではないらしく、社会のさまざまなところで、自然との関わりを深める動きが起きていた。

昨年12月6日付のNYタイムズ・マガジンに掲載された、「森のソーシャル・ライフ(The Social Life of Forests)」と題された記事もその1つ。森林における生態を研究するカナダの学者スザンヌ・シマール氏は、森の中で1本1本の木が種類の分け隔てなく、互いに支え合って生きているという言説を発表し続け、近年ようやくそれが認められ、今注目を集めているという。シマール氏がこの研究内容を発表した当初、あまりに画期的であったため、他の研究者達から不評を買った。木というのは個々に存在するもので、彼女が提唱する木によるネットワークの形成、ましてや別種の木同士が互助的な関係を持つなどあるはずがなく、その理論は「かなり少女的だ(very girlish)」と揶揄されたらしい。

アメリカのシンガー・ソング・ライター、カサンドラ・ジェンキンスによる、自然をモチーフにした『An Overview on Phenomenal Nature』に収録された“Hard Drive”のPVを最初に見た時、この記事の「少女的」というフレーズが頭に浮かんだ。

最近の音楽シーン全般を見渡すと、自然をテーマにした作品が出てきている。代表的なものとして、ロックダウン中にテイラー・スウィフトが、旺盛な創作意欲を発揮し制作した『folklore』や、これに続く『evermore』が挙げられる。“Hard Drive”もまた自然とのつながりの重要性に目を向けつつ、女性というアイデンティティが投影される。前述のシマール氏による森でのネットワークの言説が“少女的”とレッテルを貼られたあと、研究成果を挙げて認められたように、男性優位の社会から脱して、自然と向き合うことで、自分自身を取り戻すといった躍動的な表現が注目されている。ジェンキンスのそうしたアプローチは、本作の次の冒頭部分からもうかがえる。


それで、本当にこんなことがあった
大切な発想だから応用できる
理解も深められる
自然とのつながりを失くすと
精神や人間性、自分達の存在も失ってしまうことを


曲の導入となるこの部分、歌ではなくナレーションとなっていて、語り手の女性「私」と彼女が遭遇した女性警備員のやりとりが紹介される。その女性警備員から、人間と自然との必要不可欠な関係性を教えられたところで、次に歌へと入り、歌詞は男女の関係へと展開していく。

彼女が言うには、「彫刻は、貫通だけで作られるものではない
男達は女性特有のものとつきあわなくなった」
そのピンクの口紅
クイーンズ(訳者注:ニューヨーク市の地区)のアクセントで
彼女はしばらくこの国の大統領について話した

彼女(女性警備員)が話す“彫刻”とは、おそらく生命の誕生のことだろう。それは、単に貫通、すなわちセックスの行為の結果ではない。出産により、母と子という新たな人間関係の成立を意味し、自分以外の人間への愛情や寛容が育つことが言外に示唆される。ところが、男達はそれに頓着しないばかりか、目も向けなくなってしまった。「この国の大統領」は、この曲が作られた時期を考えるとドナルド・トランプのことを指すが、そのトランプに象徴されるように、自分に忠誠を誓い、余計な口を挟まぬ者だけを気にかけ、それ以外の人間には敵愾心を露わにし、彼らへの攻撃的な言動に執着するなどという狭い世界とは正反対の位置に、そうした愛情や寛容はある。

“Hard Drive”における自然との繋がりに、共通点を見出す

筆者が、先のシマール氏による森でのネットワーク理論と、“Hard Drive”における自然とのつながりに共通点を見出したのもそこだ。たとえ品種が異なる木同士でも、栄養を分け与え、各自が参加して森という共同体をつくっていくという発想は、人種や国籍などの境界を越え、連帯を育み、新しい時代や社会を目指そうと呼びかける本作と相通じる。そのメッセージを具体化しているのが、曲のエンディングだ。

ローウェルのところでペリーに偶然会った
彼女の宝の原石のような瞳が目に止まった
ああ、ここ数ヵ月大変だったよね、と彼女は言ってくれた
だけど今年は、きっといい年になる
3つ数えたら、あなたの肩をぽんと叩く
以前のあなたの気持ちを取り戻そうね
そうしたら、彼らがあなたから奪ったものはどれも
戻ってくるから
向こうも残念がるでしょう
さあ、目をつむって
3つ数えよう
深呼吸して
一緒に数えてみよう

これには前段があって、タイトルの“Hard Drive”(きつい運転)が意味するように、「私」はダリルという男性から車の運転を学んできたのだが、彼は「車間距離を空けるのが礼儀だと繰り返す」と隣(助手席)に座り、ハンドルを握る自分に対しあれこれと指図をし続けた。そしてようやく免許が取得できた時、自分はすでに32歳になっていたと「私」は告白する。

男性優位の社会において、彼らのルールに従順になることで生きてきた「私」だが、もはやその必要がなくなった。自分が本来持っている力を十分に発揮できる時代へと社会は移行しつつある、「男性に従う以前のあなた」を取り戻してこれからは生きていくのだ、というイメージが歌の世界で広がる。だからと言って、排他的という印象は受けない。誰かを排除するよりも、それぞれの人格、価値観、主張を尊重しながら、あたかも、森で背丈も花や葉、実の種類も異なる木々が互助的なネットワークを形成するかのように、枠にとらわれず、自分達の社会を自分達でつくっていこうとする、そんなおおらかさが見受けられ、聞く側に、ある種の同胞意識を持たせるからだろうか。

Illustration Masatoo Hirano
Edit Sumire Taya

The post 「TOKION Song Book」Vol.5 カサンドラ・ジェンキンスが「Hard Drive」で謳う、多様性を認めて助け合い共存する未来 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
「TOKION Song Book」Vol.4 BLM運動と共鳴し、公平な世界を強く訴求するソーの「Wildfires」 https://tokion.jp/2021/04/04/tokion-song-book-vol4-blmwildfires/ Sun, 04 Apr 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=26506 ブルックリン在住の作家、新元良一がミュージシャン達が曲に込めた思いを深掘りする連載。BLM運動、アジアンヘイトへの抗議活動、社会に根づく人種差別の壁を破壊しようと試みる、イギリス出身の覆面バンド ソー(Sault)の「Wildfires」を読み解く。

The post 「TOKION Song Book」Vol.4 BLM運動と共鳴し、公平な世界を強く訴求するソーの「Wildfires」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
スマホ片手に検索すれば欲しい情報は大体手に入る。そんなネット社会において、情報をコントロールし、ミステリアスな存在であることはメッセージを発信するアーティストにとって有益に働くだろう。ジャイルス・ピーターソンが、自身のラジオ番組でマーヴィン・ゲイの名をあげて彼らの曲をプレイしたことでも話題となったSault(ソー)が発したメッセージとは? ニューヨーク在住の作家・新元良一がその歌詞からBLM運動との関連性などを読み解いていく。

わずか一年足らずの話である。ここアメリカだけでなく、世界中をのみこんでしまうかのような大きなスケールの出来事が立て続けに起きた。言うまでもなく、コロナの感染がその1つだ。さらに今年初め首都ワシントンで合衆国議会議事堂が襲撃された事件に象徴される、政治不信による民主主義の揺らぎも、アメリカに限らず国際社会で随所に見受けられる。そして、ブラック・ライヴズ・マター(BLM)運動である。

2020年5月に米中西部の都市ミネアポリスで起きた、白人警官による黒人男性の殺害は、周辺にいた人間が撮影した映像がネットに流れるや、瞬く間に大きく報道され、衝撃をもたらした。犠牲者の名前に由来するこのジョージ・フロイド事件がきっかけとなり、人種差別によるその他の犠牲者達にも注目が集まり、国内の至るところで警察機構の抜本的改革を求める抗議活動へと発展した。

それ以前にも米社会で認知されていたBLM運動だが、マスメディア、ソーシャル・メディアを通じ抗議運動の様子が伝えられると勢いが加速した。筆者が関心を持ったのは、そのソーシャル・メディアなどにおいて、日本でBLM運動を支持する声が広がったことである。無抵抗の人間に、いくら警察といえども死に至るほどの暴力を振るうことは許されるべきではない、という考え方には確かに説得力を感じる。しかし、ニューヨークのように黒人コミュニティが形成されているアメリカの大都市と比較すると、日本に居住する黒人は多いわけではない。日常で黒人と接する機会がさほど頻繁でない状況で、なぜ少なからず我がことのように日本人は感じたのか。いや、それは日本人だけでない。米国外の大多数の人々が、対岸の火事にすぎないと知らぬ顔をせず、アメリカの黒人達に思いを寄せたのかが個人的に気になった。

社会に根づく人種差別に疑義を唱える

そんな激動の年ともいえる2020年に、アルバム『UNTITLED (BLACK IS)』を携えて突然疾風のごとく現れたのがイギリス出身のSaultというバンドだった。初耳のバンド名だったが、個人的に信頼を置く、米ラジオ局NPRが年間ベストアルバムのトップに選出したのを始め、数多くの音楽メディアで高い評判を得ていた。ネットでメンバー構成やキャリアなど、このバンドについて調べようとしたところ、ほとんど情報が得られず、わかったことと言えば、どうやら黒人のソウル・グループであることくらいしかない。しかし自分達の素性を明かさない匿名的なアプローチが、逆に彼らの音楽を引き立てているとも言える。

華々しいステージや巨大なアリーナでの、誰もが知るスーパースターによる演奏や歌と違い、男女混合の、時にはささやき、時には叫びとなる声が、すぐそこにいるかのような親和性を発していた。アルバムのいずれの収録曲にもメッセージ性があり、今なお社会に根づく人種差別を否定する正義のあり方を訴えている。中でも高い人気の「Wildfires」には、平明な歌詞でありつつも、聴く側の心を揺さぶる訴求力が見出せる。

夜の盗人
真実を語れ
白人の生命
広める嘘
恥を知るべき
その手が血まみれだというのに
別の男
そのバッジをはずせ
人殺しだったとみんなわかってる
人殺しだ、人殺し
人殺しなんだ
みんな死にかけてる。だから泣いている
みんな泣いている
でもみんな怖がる風では絶対ない
わたしから見ても
いつでもわたしは立ち上がる
自然火災のなかで
わたしはこわくなんかない
たとえ涙のなかでも
いつも見据えていたい
(拙訳)

冒頭の「夜の盗人」というフレーズは聖書からの引用で、「予測できない」の隠語だという。肌の色によって不公平な扱いを受ける、つまり、生まれながらにして、いつ災難が自分の身に降りかかるかわからないという不条理な日常や社会の仕組みに触れている。

では、その災難とは何かと言えば、あとに続く警察権力のことを示す。前述したように、ミネアポリスでジョージ・フロイド氏が拘束されたとき、地面にうつ伏せにされ、身動きできない状態のまま、白人警官は彼の首に膝をあて窒息死させた。これ以外にも、ケンタッキー州ルイヴィルでは、無実であるにもかかわらず、踏み込んだ警官数人の発砲を受け死亡した黒人女性ブリオナ・テイラー氏の事件など、近年発生した同様の事件には枚挙にいとまがない。

「そのバッジをはずせ」とは、相手が黒人だからという理由だけで、過度な捜査や拘束を目的に暴力を振るう。そんな人間がコミュニティの安全を守るべき警察を名乗る資格はあるだろうか。公平な裁きが行われるべき法の場で、こうした誤った警察権力が罪に問われず、今もって野放しにされている現状が、歌詞の「広める嘘」という言葉に集約される。

ステレオタイプな見方に勇敢に立ち向かう

しかしいかに不当な扱いや差別という困難にさらされようとも、彼らはひるまず、絶望せず、自分達の主張を社会・世界に届けようとする。その姿勢が、曲の後半部分で展開する。そこに人種、民族、宗教などへのステレオタイプな見方に対し、勇気をもって立ち向かう姿勢を感じさせる。これこそが今の時代への返答であり、国内外からの支持を集めるに至ったのではなかったか。それはまた、「魂の抵抗」と定義できるかもしれない。

一方で、コロナの感染により世界のさまざまな地域で多くの犠牲者が出て、現在も苦悶の日々は続いている。政治家やマスメディアがこれを取り上げるとき、数字を用いるケースは少なくない。亡くなった人達というグループに組み込まれ、そのうちの1人に仕立てられるシステムは、情報データが重要視される現代社会ではほかにも見つかるだろう。

人種への偏見、そして数字によるグループ化など、個人の存在が粗末に扱われ、埋没させられ、消し去られる。この現状に断固として抵抗する。それがこの曲にパワーをもたらし、個が尊重される社会を切望するリスナー達の心を震わせた、そう思えてくるのだ。

Text Niimoto Ryoichi
Illustration Masatoo Hirano
Edit Sumire Taya

TOKION MUSICの最新記事

The post 「TOKION Song Book」Vol.4 BLM運動と共鳴し、公平な世界を強く訴求するソーの「Wildfires」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
「TOKION Song Book」Vol.3 分断された現代を反映するフリート・フォクシーズの「Can I Believe You」 https://tokion.jp/2021/01/24/tokion-song-book-3/ Sun, 24 Jan 2021 06:00:57 +0000 https://tokion.jp/?p=17404 ブルックリン在住の作家、新元良一がミュージシャンたちが曲に込めた思いを深掘りする連載。デジタル文化を生きるわれわれが信じるものとは? フリート・フォクシーズの「Can I Believe You」を読み解く。

The post 「TOKION Song Book」Vol.3 分断された現代を反映するフリート・フォクシーズの「Can I Believe You」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
戦前戦後の日本の暮らし、風景を写真に収めた濱谷浩による海辺の写真を使用したアートワークが印象的だったフリート・フォクシーズの『Shore』。フロントマンである、ロビン・ペックノールドがこの作品にまつわる長文をステイトメントし、その中でロビンは「死を直視しながらも生命を祝福する、そんな作品を作りたかった」とつづっている。今もなお、世界中の人々と未知なるウイルスとの戦いが続く中で私たちはどんな風に人とつながっていけばいいのだろうか? ニューヨーク在住の作家・新元良一がフリート・フォクシーズの「Can I Believe You」を読み解いていく。

「信じる」という言葉に、重いものがつきまとうようになった。重苦しいもの、と言い換えてもいいかもしれない。
対人関係、あるいは社会、マスメディアについて、われわれはこれまでも疑念を抱くことがあった。自分はだまされているのではないか、誰かに利用されて、そのうち出し抜かれるのではないか、といった不安や心配を抱えるのは、今に始まったことではないし、そうした揺らぐ精神状態は人間の本質とも捉えられる。
一方でこの不安定な気持ちは、現代社会だからこそ生じる面も持ち合わせる。いうまでもなく、そこにはデジタル文化が大きく関わっている。
SNSはいまや情報源として、われわれが日常的に利用するツールであり、交流する場として世界中から大多数の人々が参加するサービスとなった。意見交換や情報提供の役割を果たすのと同時に、ものの見方や思考が似通う参加者が集う機会を提供する。

これを反対方向から考えてみると、意見や考え方がまったく合わない人間とはつきあわなくて済むという、奇妙な心地よさを生み出したとも言える。互いに反目し合ったり、毛嫌いしてトラブルに至るより、たとえオンライン上であっても、気の合う者同士で時間を過ごしたいと思う傾向は日ごとに高まっている。
ところがこの状況は、ある部分で意見が違っても、別の部分では同調できる機会を失ってしまうとも言える。当然ながら、社会へ出るとソリの合わない人とも出くわすが、共通できるものを見出す経験を重ねて、人は理性や良心を磨き、他者をリスペクトすることを学び、これまで成長してきたはずである。
現実であろうと、オンラインであろうと閉鎖した環境での集いは、部外者を選り分けることにつながる。あるいは内部にいても、少しでも意外な言葉を発したり、行動をとれば、もはやそのグループの一員とは認められない烙印を押される可能性も出てくる。
そう考えると、この時代に暮らすわれわれは、以前にもまして疑り深くなっているのかもしれない。対人関係であいまいな答えは許さず、妥協点を見出そうともしない傾向が、分断という、一歩間違えば大きな問題に及ぶ火薬庫をもつ社会を作った、そんな風にも感じる。
アメリカのロック・バンド、フリート・フォクシーズは『Fleet Foxes』(2008)でデビューを果たし、第二弾のアルバム『Helplessness Blues』(2011)をリリースして、6年の充電期間を挟み、『Crack-Up』(2017)で音楽活動を再開した。日本人写真家の濱谷浩による幻想的な海辺の写真が、アルバム・デザインに使われた最新作『Shore(2020)に、そんな“疑り深い”この時代を見事に描いた「Can I Believe You」が収録されている。
1960年代末に音楽シーンを席巻したCSNYやサイモン&ガーファンクルに代表されるフォーク・ロックを継承する、このバンドのアコースティックな楽曲はいつもながら耳に入ってきやすい。一方で、CSNYが1970年のケント州立大銃撃事件を題材に作ったプロテスト・ソング、「オハイオ」ほど直接的でないにしても、陰鬱として分断された現代の世相がこの「Can I Believe You」で色濃く反映される。

きみを信じていいの?
信じていいの?
ぼくは
きみの心をちゃんとわかっているの?
ぼくは心をきみに差し出しているの?
ふたりは互いに心を開いているの?
ぼくがちりばめたどの言葉も食い荒らされる
見るべきものを見てよ、本当に自分のものと疑わないか (拙訳)

「ぼく」と「きみ」が主語になっていることから、一見すると、恋愛が一定期間をおいてぎくしゃくとした関係になった印象を受ける。しかしこの「きみ」を、社会で遭遇する人全般に話しかけていると想定したら、かなり違うものが視界に入る。
キーワードとなるのが、「食い荒らされる」言葉と「見るべきものを見てよ」の部分だ。
語り手の人物は他者との対話で何かを言葉にするが、思いがきちんと届かないばかりか、まったく意図しなかったほうに曲解され、それが「食い荒らされる」という一文に集約される。コミュニケーション手段がデジタル化によって変わり、自分の発言が文脈から切り取られ、そこだけが強調されて、受け手の感情を逆なでする、といった時代の現象を映し出しているかのようである。
誤解や曲解なら、正しく理解してもらうためにこちらから歩み寄る方法もあるが、この語り手は譲歩のアプローチはとらない。それどころか自身の非は一切認めず、自分がどんな行為に及んでいるのかよく考えるべきだ、と聞く側に警告する独善さが、「見るべきものを見てよ」から読み取れる。

ぼくは今ロープを身につけようとしている
そんなに近づけないで
前にもぼくは傷ついたよね
放っておいてくれなかった
みんなに素顔を見せるのに違和感がないわけがなかった (同)

ここで出てくるロープが何を示すのか考えをめぐらすと、先の歩み寄りや融合といった言葉が浮かんでくる。太いか細いかはわからないが、誰かとつながるロープは、たとえ本人が望んでも断ち切ることはできず、どこまでも自分につきまとう。
そこに、人間が生まれながらに持つ、他の人たちとの縁(えにし)を感じずにはいられない。イデオロギーなどの違いはあっても、自分達の中のどこかにわれわれは共通するものをもっている。その重なり合う部分へ踏み出すことのないもどかしさをはらみつつも、いつかは打ち解ける可能性を秘める、そんなほのかな明るさが曲の奥底に潜んでいる。

Text Niimoto Ryoichi
Illustration Masatoo Hirano
Edit Sumire Taya

The post 「TOKION Song Book」Vol.3 分断された現代を反映するフリート・フォクシーズの「Can I Believe You」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
「TOKION Song Book」Vol.2 苦境から強い結束力、親和性を生み出したテイラー・スウィフトの「exile」 https://tokion.jp/2020/09/22/tokion-song-book-2/ Tue, 22 Sep 2020 04:00:04 +0000 https://tokion.jp/?p=5681 ブルックリン在住の作家、新元良一がミュージシャン達が曲に込めた思いを深掘りする連載。常に先駆者として走り続ける、テイラー・スウィフト最新作『folklore』から「exile」をフィーチャー。

The post 「TOKION Song Book」Vol.2 苦境から強い結束力、親和性を生み出したテイラー・スウィフトの「exile」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
16歳でデビューを飾り、セカンドアルバム『Fearless』でグラミー賞最優秀アルバム賞を当時最年少の20歳で受賞したテイラー・スウィフト。彼女はカントリーミュージック出身ながらポップス、ロック、R&B、ダンスなどジャンルの垣根を大胆に超えながら、数えきれないほどのヒットソングを生み出してきた。そしてこのコロナ禍の自粛生活の中で、彼女はリモートでアコースティックな音色が幻想的な作品を生み出した。2020年7月23日深夜に予告なしに突如リリースされたテイラーの曲をアメリカ在住作家、新元良一が独自に読み解いていく。

わがことながら、生来のへそ曲がりである。圧倒的な人気を誇り、新作が出るたびにヒットチャートの首位に立つミュージシャンにあまり興味がわかず、“食べず嫌い”のまま聴き逃した曲は少なくない。筆者にとって最近まで、テイラー・スウィフトもそんなミュージシャンだった。彼女の最新作『folklore』も、アーロン・デスナー(ザ・ナショナル)やボン・イヴェールといったインディー・ロックの人間が関わっていなければ、おそらく耳にすることはなかっただろう。
だがファンでないことやリスニングの未経験が、偏見や先入観をとり除き、本作と正面から向き合う機会を与えてくれた。アルバムを通して、テイラーと彼女の音楽への親和性をもたらせてくれたのだ。

ではその“親和性”は何かと言うと、各曲に帯びている内省的な性質からきている。先のボン・イヴェールの『フォー・エマ、フォーエヴァー・アゴー(For Emma, Forever Ago)』(2008)、さらにさかのぼると、ジョン・レノンの『ジョンの魂』(1970)などを初めて聴いた時に得た感覚である。リズムをスローに抑え、凝った演奏は避け、歌唱を前面に打ち出すこれらの作品に共通する音楽は、聴く側がミュージシャンの内面をのぞいているような気分に浸れる。ただ『folklore』と両作品が異なるのは、イヴェールやレノンが自発的にスタジオにこもりアルバムを作ったのに対し、テイラーはその空間に身を置く以外、表現者としての選択肢がなかった点にある。
それは、コロナ禍に翻弄される社会の現状を示している。感染防止のため、ミュージシャン仲間や制作関係者達との交流など行動が制限される中、彼女は収録曲を書き上げ完成させた。
こうした不自由さはもちろん彼女だけでなく、世界中の人々が同じように遭遇している。つまり、誰もが普段の生活や自分を見直すようになった状況にさらされることで、作る側と聴く側との間に固い結束が生まれ、筆者のような長年のファンでなくても感情移入する効果を呼び込むのだ。
先の親和性は、苦境から発生したこうしたつながりを意味するもので、これを色濃く反映したのが収録曲「exile」である。イヴェールとの共演は表面的には男女の恋愛とその破局を語るが、曲の深層部は孤独の世界に突如として投げ出された悲哀を漂わせている。

君が立っているのが見える
君の体に彼が腕を回す
笑い飛ばしても、そんなジョークなどおもしろくもない
君ときたら、たった5分でふたりの関係を清算し出て行った
玄関にありったけの愛を置き去りにし

こんな映画を前に観た記憶がある
結末が好きになれなかった
君はもうぼくの祖国じゃない
それでもぼくは何かを守るというのか?
君はわが町だったが、いまのぼくは流浪の民、君がいなくなるのを見送る
こんな映画を前に観た記憶がある 
(拙訳)

恋人だった人の元から去っていく設定だが、離れてしまった相手に対して、「祖国」や「わが町」という言葉を使っているのが興味深い。残された者にとっては、たとえよそで何をしようとも、どれだけ長く距離をおいていても、帰れる場所であり、かつて太い絆で結ばれた関係だったことを示す。
不動と思えたそんなよりどころが、自分の前から消え去った。あるいは、そんな場所を支える柱のようなものが欠けてしまい、ひとりぼっちになった者は、過去を引きずり戸惑うしかない。

あなたが見つめるのはわかっている
自分の代役はこの男なのかって
わたしを取り戻すなら殴りもするって
2度、3度、いえ何百回ってあったチャンス
折れかかった枝の上で堪えつつ
視線の侮辱が傷を深める

こんな映画を前に観た記憶がある
結末が好きになれなかった
わたしはもうあなたを悩ませはしない
それでもわたしは誰かを困らせているの?
こんな映画を前に観た記憶がある
もう脇のドアから出て行くから  
(拙訳)

ここで目を引くのは、相手が“脇のドアから出て行く”部分。家をイメージさせる表現だが、ともに作ってきた愛の巣は存在しなくなった喪失感が滲みでている。
喪失感はまた、これまで続いていた日常への思いと捉えることもできる。失って初めて「家」のありがたみを覚え、自分がどれほど頼りにしてきたか、愛しい気持ちを抱いてきたかを骨身で知る状況である。
そうした観点から、今われわれがいる状況と相通じるところを感じる。コロナの感染拡大以前の穏やかだった日々はもはや遠くに過ぎ去り、そんな時代を懐かしみ、思い出すことに執着するわれわれの募る寂しさや虚しさが、曲の後半でさらにシンクロしていく。

だったら出て行けばいい、君のためにこぼす涙なんてこれっぽっちもない
いままで
ふたりしてあぶない橋ばかり渡ってきた
君はぼくに耳を貸そうとしなかった(あなたはわたしに耳を貸そうとしなかった)
うまくいっていない素ぶりはなかった(素ぶりなら何度も見せた)
いままで
君の気持ちをくんでやれなかったか(わたしの気持ちをくんでくれなかった)
元どおりにできなかった(元どおりにしてくれなかった)
うまくいっていない素ぶりはなかった(素ぶりなら何度も見せた)
何度も、何度も素ぶりはあった
あなたは目を向けなかった  
(拙訳)

度重なる危険信号を無視してきたツケが、恋愛の破局という結果となり途方に暮れる。それはまるで、科学的データによる世界規模の感染症の警告を受けながら、現実を直視しなかった政治家、そしてそんな政治に無関心だったわれわれの心境を鏡に映すかのようだ。
誰もが知るポップスターであっても、恋愛の破局、さらにはパンデミックがもたらす不自由さ、莫大な数の犠牲者が出る不幸に心が張り裂けそうになる。その気持ちを歌にのせ、人々と横一線のつながりを作るところに、テイラーのあふれる才気とほとばしる感性が見てとれる。

Text Niimoto Ryoichi
Illustration Masatoo Hirano
Edit Sumire Taya

The post 「TOKION Song Book」Vol.2 苦境から強い結束力、親和性を生み出したテイラー・スウィフトの「exile」 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
「TOKION Song Book」Vol.1 フィービー・ブリッジャーズ「Kyoto」の歌詞から読み解く米デジタル・ネイティブ世代のサバイバル術 https://tokion.jp/2020/08/03/tokion-song-book-1/ Mon, 03 Aug 2020 05:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=1220 ブルックリン在住の作家、新元良一がミュージシャン達が曲に込めた思いを深掘りする。シリーズの最初を飾るのは日本でも期待のニューカマーとして人気を集めるフィービー・ブリッジャーズの話題作。

The post 「TOKION Song Book」Vol.1 フィービー・ブリッジャーズ「Kyoto」の歌詞から読み解く米デジタル・ネイティブ世代のサバイバル術 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>
世界情勢がハイスピードで変化する中、さまざまなアーティストたちが自らの言葉や声を駆使してメッセージを発信し続けている。古来より歌は人々の心に寄り添い、時に鼓舞してくれる大切な存在であった。たとえ政治や社会とは直接的な関連性を見出せない歌詞であっても、そのバックグラウンドを踏まえ、観察することで違う一面が見えてくるのが興味深い。現在ブルックリンに住む作家の新元良一が、誰もが知っているポップソング、ニューカマーの話題作の歌詞からアメリカ、そして世界を取り巻く情勢を読み解く。

6月に入り、2人のミュージシャンの話題作が発表された。その1人、ボブ・ディランは新作『Rough and Rowdy Ways』のリリース直前に、『ニューヨーク・タイムズ』の誌面に珍しくインタビュー記事が掲載されたが、そこで興味深いコメントを残している。
「我々は過去に浸りたがるが、それはわれわれ(の世代)に限っている。若者たちはそんなものになびかない。彼らには過去がなく、目に見え、耳にでき、信じられると思うものを認知する」。
もちろん年月とともに経験を重ねれば、若い世代の思考や言動も変わるだろうから、彼ら自身の寄りかかれる「過去」も出てくる。それでも生まれた時にはネットが普及していた、デジタル・ネイティブと呼ばれる世代についての次のディランの指摘は示唆的だ。
「テクノロジーには誰もが脆さを持つ。だが、若い連中はそんなふうに考えず、知ったことじゃないと思っている。遠隔でのコミュニケーションや高度なテクノロジーがそろった世界で生まれた世代だからね。我々の世界など時代遅れだな」。
このコメントを目にし、前述のもう1人のミュージシャンであるフィービー・ブリッジャーズのことが頭に浮かんだ(彼女の最新作『Punisher』の発表は、『Rough and Rowdy Ways』の前日)。正確に言うと、彼女を大きく取り上げた『New Yorker』誌5月25日号の記事を思い出したのだ。
ロック・グループ、ザ・ナショナルでリードヴォーカルを務めるマット・ガーニンガーはライヴやレコードで彼女と共演しているが、この記事の中で「フィービーは、退屈と悲しみについて素晴らしい曲を書く」と話している。この“退屈”と“悲しみ”が見事に開花するのが、アルバムより先行リリースされたシングル「Kyoto」である。

一日休んで京都
お寺にいて退屈になった
セブン-イレブンで店内を見渡した
バンドの連中は新幹線に乗り
鳥居を見に出かけた
行こうかなと思ったけど、行かなかった
あなたが公衆電話から電話してきた
ここはまだ公衆電話があるんだ
通話料は1分1ドル
お酒をやめるって話よね
手紙も届いたよ
だけど読む必要ってあるかな
(拙訳)

曲のタイトルとなる京都という場所について、印象など何か示されているわけではない。彼女の父親との関係に加え、日本滞在時の体験からインスパイアされたといわれる歌だが、日本の古都の美しさやその特徴が表現されているとは言い難い。では京都とは無関係なのかといえば、曲全体から醸し出される感情を考えると絶妙にフィットする。その感情とは、前述した孤独と退屈を作り出す環境ながら、そこから出ていく気配もなく、とどまる様子がどこか京都の佇まいと重なり合う。“そこにとどまる”と書くと、暗く閉鎖的なイメージを持たれるかもしれない。だが逆に、混迷するばかりの外の世界と距離を置き、内側に居て独自の世界を築き上げる様子に、創造性と体制(外側)に屈しない反骨精神を見出すことができ、固有の文化を生み出してきた京都との共通点が見つかる。それはまた、現在の米国のポップ・カルチャーでよく話題にのぼるユトーピア対デストピアの構造をも反映している。若い世代のSNSとして知られるTikTokで、利用者が現実(外側)からサンプルしたものに音楽やダンス、イラストなどを加えし、独創性に満ちあふれたバーチュアル空間を生み出すように、「Kyoto」でも自由奔放な世界観が広がっている。

ただじゃおかないからね
そっちが先手を打たないなら
東京の空で夢見つつ
世界を見てみたかった
だから海の上を飛んだ
でも気が変わった

夕暮れって見世物ショーだよ
だから週末が来て
郊外までドライヴに行き
グッドウィルで車を止め
ケムトレイル(飛行機雲に似たもの)を見つめる
一緒にいるのは弟
彼の誕生日に電話してきたって聞いたよ
10日も違ってたけど
気持ちは汲み取ってあげる
トラックを修理したことおぼえてる
わたしたちに運転させてくれて
25年なんてあっという間

許す気にはなれない
だからって、こだわりを持たせないで
さそり座の空の下で生まれたから
世界を見てみたかった
あなたの目を通じて。でもそのときになり
気が変わった

 (拙訳)

曲の中で、語り手やその弟に連絡を取る人物(父親?)は、アルコールの問題を抱え、自身が混乱しているのがうかがえる。混迷する外の世界の象徴のようにも見えるが、語り手は嫌悪感を表しつつも、縁を完全に断ち切ろうとはしていない。
それはある意味、現在20代半ばのフィービーを含めた若い年齢層が生きていくために備えた、外側と内側を共有するためのバランス感覚とも思える。政治の腐敗や経済格差、環境破壊など厳しい現実を横目で見つつも、その世界にどっぷりと浸らず、自分の手でもうひとつの現実を作り、我が身を守る術と言うべきか。注目されるのは、たとえ内向的であっても、「Kyoto」で描かれる世界では悲壮感や絶望感が漂ってこないということ。軽快なメロディも手伝い、むしろどこか突き抜けた明るささえ感じるから不思議だ。
もしかするとそれが、ディランが示す、ネット文化を体感して育った世代の強みかもしれない。いくら退屈で孤独でも、遠くにいる自分を理解して、気持ちを共有してくれる人たちとつながる事実が、支えとなり、自信のようなものを彼/彼女たちに与えるのだろうか。

Text Niimoto Ryoichi
Illustration Masatoo Hirano
Edit Sumire Taya

The post 「TOKION Song Book」Vol.1 フィービー・ブリッジャーズ「Kyoto」の歌詞から読み解く米デジタル・ネイティブ世代のサバイバル術 appeared first on TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報.

]]>