「TOKION Song Book」Vol.5 カサンドラ・ジェンキンスが「Hard Drive」で謳う、多様性を認めて助け合い共存する未来

ワクチン接種に関してまだまだ課題が山積みな日本に対し、マスクを外し、コロナ以前の日常に少しずつ戻りつつあるアメリカ。コロナによって浮き彫りにされた社会問題や課題に対し、どう向き合っていくのか? 世界各国が変移する局面に差し掛かっている。

ブルックリン在住のSSWカサンドラ・ジェンキンスはフォーク・ミュージシャンの両親のもとで、幼い頃から音楽に慣れ親しみ、編集のアシスタントとして仕事に取り組みながらも、本格的にプレイヤーとして音楽に向き合うようになった。サポートメンバーとして参加したパープル・マウンテンズのデヴィッド・バーマンの突然の死にショックを受けながらも、その喪失感を受け入れ、時には他人と、時には自身と対話をしながら回復していく姿が描写された『An Overview on Phenomenal Nature』は多くの共感を呼んでいる。

自然との繋がりを求め、その重要性に目を向ける

4月初め頃だったか、暖かい季節を迎え表へ出たくなった。パンデミックが起こって1年が過ぎ、ワクチン接種がやっと始まり、行動規制が少しは緩和されたが、コロナ蔓延以前と比べれば外出の機会は減った。そんな日常もあって、以前にもまして自然を求めるようになった。巣ごもりするうちに時間の経過が麻痺したように感じられて、花や草木を見ながら、季節の流れにじかに触れたい気持ちが強まった。すると、こうした思いになるのは自分だけではないらしく、社会のさまざまなところで、自然との関わりを深める動きが起きていた。

昨年12月6日付のNYタイムズ・マガジンに掲載された、「森のソーシャル・ライフ(The Social Life of Forests)」と題された記事もその1つ。森林における生態を研究するカナダの学者スザンヌ・シマール氏は、森の中で1本1本の木が種類の分け隔てなく、互いに支え合って生きているという言説を発表し続け、近年ようやくそれが認められ、今注目を集めているという。シマール氏がこの研究内容を発表した当初、あまりに画期的であったため、他の研究者達から不評を買った。木というのは個々に存在するもので、彼女が提唱する木によるネットワークの形成、ましてや別種の木同士が互助的な関係を持つなどあるはずがなく、その理論は「かなり少女的だ(very girlish)」と揶揄されたらしい。

アメリカのシンガー・ソング・ライター、カサンドラ・ジェンキンスによる、自然をモチーフにした『An Overview on Phenomenal Nature』に収録された“Hard Drive”のPVを最初に見た時、この記事の「少女的」というフレーズが頭に浮かんだ。

最近の音楽シーン全般を見渡すと、自然をテーマにした作品が出てきている。代表的なものとして、ロックダウン中にテイラー・スウィフトが、旺盛な創作意欲を発揮し制作した『folklore』や、これに続く『evermore』が挙げられる。“Hard Drive”もまた自然とのつながりの重要性に目を向けつつ、女性というアイデンティティが投影される。前述のシマール氏による森でのネットワークの言説が“少女的”とレッテルを貼られたあと、研究成果を挙げて認められたように、男性優位の社会から脱して、自然と向き合うことで、自分自身を取り戻すといった躍動的な表現が注目されている。ジェンキンスのそうしたアプローチは、本作の次の冒頭部分からもうかがえる。


それで、本当にこんなことがあった
大切な発想だから応用できる
理解も深められる
自然とのつながりを失くすと
精神や人間性、自分達の存在も失ってしまうことを


曲の導入となるこの部分、歌ではなくナレーションとなっていて、語り手の女性「私」と彼女が遭遇した女性警備員のやりとりが紹介される。その女性警備員から、人間と自然との必要不可欠な関係性を教えられたところで、次に歌へと入り、歌詞は男女の関係へと展開していく。

彼女が言うには、「彫刻は、貫通だけで作られるものではない
男達は女性特有のものとつきあわなくなった」
そのピンクの口紅
クイーンズ(訳者注:ニューヨーク市の地区)のアクセントで
彼女はしばらくこの国の大統領について話した

彼女(女性警備員)が話す“彫刻”とは、おそらく生命の誕生のことだろう。それは、単に貫通、すなわちセックスの行為の結果ではない。出産により、母と子という新たな人間関係の成立を意味し、自分以外の人間への愛情や寛容が育つことが言外に示唆される。ところが、男達はそれに頓着しないばかりか、目も向けなくなってしまった。「この国の大統領」は、この曲が作られた時期を考えるとドナルド・トランプのことを指すが、そのトランプに象徴されるように、自分に忠誠を誓い、余計な口を挟まぬ者だけを気にかけ、それ以外の人間には敵愾心を露わにし、彼らへの攻撃的な言動に執着するなどという狭い世界とは正反対の位置に、そうした愛情や寛容はある。

“Hard Drive”における自然との繋がりに、共通点を見出す

筆者が、先のシマール氏による森でのネットワーク理論と、“Hard Drive”における自然とのつながりに共通点を見出したのもそこだ。たとえ品種が異なる木同士でも、栄養を分け与え、各自が参加して森という共同体をつくっていくという発想は、人種や国籍などの境界を越え、連帯を育み、新しい時代や社会を目指そうと呼びかける本作と相通じる。そのメッセージを具体化しているのが、曲のエンディングだ。

ローウェルのところでペリーに偶然会った
彼女の宝の原石のような瞳が目に止まった
ああ、ここ数ヵ月大変だったよね、と彼女は言ってくれた
だけど今年は、きっといい年になる
3つ数えたら、あなたの肩をぽんと叩く
以前のあなたの気持ちを取り戻そうね
そうしたら、彼らがあなたから奪ったものはどれも
戻ってくるから
向こうも残念がるでしょう
さあ、目をつむって
3つ数えよう
深呼吸して
一緒に数えてみよう

これには前段があって、タイトルの“Hard Drive”(きつい運転)が意味するように、「私」はダリルという男性から車の運転を学んできたのだが、彼は「車間距離を空けるのが礼儀だと繰り返す」と隣(助手席)に座り、ハンドルを握る自分に対しあれこれと指図をし続けた。そしてようやく免許が取得できた時、自分はすでに32歳になっていたと「私」は告白する。

男性優位の社会において、彼らのルールに従順になることで生きてきた「私」だが、もはやその必要がなくなった。自分が本来持っている力を十分に発揮できる時代へと社会は移行しつつある、「男性に従う以前のあなた」を取り戻してこれからは生きていくのだ、というイメージが歌の世界で広がる。だからと言って、排他的という印象は受けない。誰かを排除するよりも、それぞれの人格、価値観、主張を尊重しながら、あたかも、森で背丈も花や葉、実の種類も異なる木々が互助的なネットワークを形成するかのように、枠にとらわれず、自分達の社会を自分達でつくっていこうとする、そんなおおらかさが見受けられ、聞く側に、ある種の同胞意識を持たせるからだろうか。

Illustration Masatoo Hirano
Edit Sumire Taya

author:

新元良一

1959年神戸市生まれ。作家。1984年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務めたあと、2016年末に再び活動拠点をニューヨークに移した。『WIRED』日本版にて「『ニューヨーカー』を読む」を連載中。主な著作に『あの空を探して』(文藝春秋)。ブルックリン在住。

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