つやちゃん, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/tsuya-chan/ Fri, 22 Dec 2023 01:39:34 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png つやちゃん, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/tsuya-chan/ 32 32 作家・日比野コレコが語る「リズム」と「言葉」へのこだわり 「イロモノではなく『小説』としてもっと評価してほしい」 https://tokion.jp/2023/12/25/interview-koreko-hibino/ Mon, 25 Dec 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=220258 新作『モモ100%』をした出版した作家の日比野コレコへのインタビュー。前作『ビューティフルからビューティフルへ』への評価や新作への思いについて語ってもらった。

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日比野コレコ

日比野コレコ 
2003年生まれ、大阪府在住。2022年『ビューティフルからビューティフルへ』で第59回文藝賞を受賞し、デビュー。

「生き方を学ぶのにはもう遅いかな」
「だってもう十九なんだよ。死は目の前だって感じがするよ」

自らの生をドライブさせたいとあなたが望むなら、日比野コレコを読めばいい。『ビューティフルからビューティフルへ』で2020年代の現代文学に新風を吹き込んだ彼女の才能は、先日刊行した第59回文藝賞受賞第1作となる『モモ100%』でさらなるスピードの加速とギアの変化を見せた。退屈な日々を過ごすモモの前に現れた、運命のトリックスター・星野。メタフォリカルな言葉によって次々と畳みかけられる、生きることへの祝福。

お笑いも漫画もラップも広告も批評も――今この時代に私達の身体へと迫るおびただしい言葉の数々、それらリズムの波を乗りこなし操る気鋭の作家に、話をうかがった。

——日比野コレコさんの作品は「若者の文体」「SNS的」と評されがちですが、それについては半分同意しかねるところがあるんです。というのも、場面設定や物語、使われている言葉自体についてはそうかもしれませんが、シュルレアリスム的な言葉の組み合わせや比喩への執着など、アプローチについては古典文学を経由した印象を受けるからです。むしろ、そういった現代的と古典的という相反する部分が共存している違和感が日比野作品の醍醐味だと思うんですよ。

日比野コレコ(以下、日比野):それは嬉しい意見ですね。

——そういった異質の言葉の組み合わせが見られる一方で、文章の連なりとしてはリズミカルに読めます。両者は相反するようにも思うのですが。

日比野:リズムって、自分の中にもともと組み込まれているものだと思うんです。そのリズムの上で、単語をごちゃごちゃ並べたりつなげたりする。自画自賛ではないですけど、言葉や比喩が雑多に並んでいてもリズムよく感じられるのは、その内面化できているリズム感というものが確実にあるからだと思います。文章のリズムというものを自分の中に持っていてそれが揺るがない作家とそうでない作家がいる、とよく言われますが、自分は前者なのかも。

——自作を自分で読み返してみても、このリズム良いなと思ったりしますか?

日比野:いや、でも自分ではリズムについてはあまり思わないんですよ。この比喩すごいな、とかは思ったりしますけど。

——自分の文体のリズムがどの時点で作られたかについても、ご自身ではあまり思い当たる節がない?

日比野:ないですね。私は、小説を書く時も音楽をガンガンに聴くんです。ヒップホップでもジャズでもロックでも歌詞のある音楽でもいろいろ聴くので、そこからリズムをもらっているというところは多分にあるだろうと思います。リズムを自分から取りにいくからこそ、例えばガリガリ書いてる時にバラードの曲は選ばないです。

『モモ100%』での挑戦

——『ビューティフルからビューティフルへ』から『モモ100%』への一番大きな変化として、会話のリズムがかなり引き締まったなと感じました。より筋肉質になった印象で、その点で小説としての完成度が高まりましたよね。

日比野:1作目の時に、グルーヴ感が良いと言われることが多かったんですよ。でも、自分ではその部分をそこまで自覚していなかったんです。そうかそれが強みなのかと思って、今作ではもっとそこに注力しながら書いたので、筋肉質だと感じてもらえたのなら成功しているということですね。

——推敲はかなり重ねるほうですか?

日比野:『ビューティフルからビューティフルへ』は推敲を含めて30日間くらいで書き上げたけど、『モモ100%』は半年近くかかっているので、その分推敲はかなり重ねています。後で読み返すと、ここは読点が必要ではないなとか思うこともあるし、そのあたりはけっこう手を加えて修正していきました。

——次から次に駆使される比喩の量がすさまじいですが、日頃からストックされているのでしょうか。

日比野:普段から比喩のアイデアを思いついてメモすることもありますけど、実際に書きながら浮かぶことのほうが多いです。大江健三郎が『小説の方法』で、誰のものでもない第三者としての言葉を自分の言葉へと引っ張ってくることを「異化」と呼んでいますけど、異化ってどういう方法でやってもよくて、私の場合は、それが比喩なんだろうと思います。ただ、比喩に頼りきってしまいがちなところもあるので、もっと違う方法での異化のやり方も今後は探していきたいです。

——あと日比野さんの作品で興味深いのが、言葉の「意味」以外の部分への拘泥(こうでい)です。今作では「レンアイ」や「フクザツ」など、文字表記を意識的に片仮名にされている部分も散見されます。以前から、言葉の意味以外の要素をさまざまな方法で引き出す工夫をされていますね。

日比野:あぁ、その話ができて嬉しいです。言葉って、漢字を片仮名に変えるだけでしっくりきたりしますよね。シュールレアリスムなんかの作品を読んでいると、文字面そのものに対してのおもしろさがあるじゃないですか。現代の小説においては意味と関係ない要素は無駄だとか読者からしてわかりにくいとか言われがちですけど、だからこそ私は「文字面の楽しさ」と「意味の整合性」をできるだけ両立させられるように努力しているんですよ。

——日比野さんの場合、本来的には文字面の楽しさのほうに傾きがちということですよね?

日比野:そう。傾きがちだからこそ、それだけにならないよう頑張っていますね。強くておもしろい、惹きのある単語ってあるじゃないですか。でも、その単語にも意味は宿ってしまっている。1作目では言葉の異質さを表面から捉えることが多かったので、2作目からは意味のほうからも考えられるようにしています。

——それは、実は大きい変化ですよね。なぜ考えが変わったんですか? 1作目でやりきったから?

日比野:それもありますし、やっぱり1作目の時に一番多かったのが「意味がわからない」という感想だったんですね。それで意味を通そうと努力しましたが、『モモ100%』でもまだ足りないんだとは思います。3作目ではもっと近づけられるかもしれない。

——なるほど。中には「意味なんて必要あるか」と突き進む作家もいるわけですけど、日比野さんがそうならなかったのはなぜでしょう。

日比野:小説が大好きだし、自分が表現手段として小説を選んだ責任を感じるからですね。詩や短歌だったらそこまで意味にとらわれる必要はないと思うんですが、小説はそうじゃない。それに、1作目で小説以外の部分についてだけを評価され過ぎたんですよ。私の作品は要素がいっぱい詰め込まれているからこそ、そうなるのは仕方がないんですけど、でも、この小説は文学史のどこに位置すると思うかなんてことを聞かれることがほとんどなくて悔しかった。イロモノ扱いされがちというか、もっと小説として評価してほしかった。だから、私は小説を書いているんだぞという思いが強くなってきたんです。ちゃんと「文学」を踏んできて書いた小説だと思うんですけど、そういう文脈から逸れたものとして扱われることが多くて。

——冒頭で私が「アプローチについてはむしろ古典文学を経由した印象を受ける」と言ったのはまさにそういうことで。ただ、それ以外の部分が鮮烈過ぎて、なかなか伝わりづらいということですよね。

日比野:だからこそ、次の3作目はさらに意味として成立した、いわゆる「小説」というものを書いていきたいです。でもそれは、私の今までの小説にあった強みも失われないものになるはずです。

言葉について

——日比野さんの言葉に対する意識を「音」と「形」と「意味」という3つの側面で考えると、リズムという「音」の面ではまだ意識は顕在化しておらず、「形」という見た目の面にはもともと関心があり、「意味」については今後より意識していこうという、大体そういった整理になりそうですね。

日比野:そうかもしれない。音やリズムについては確実に自分の中に「これが気持ちいい」というのがあるんですが、それが何かはわからないんですよ。編集者さんから添削の提案をされた際に「その案は違う」というのは言えるんです。だから、何かしらは絶対にある。

——ご自身にも見えていない、理想のリズムというものが日比野さんの中にあるわけですよね。ちなみに、文体のリズムという点で理想だと思う小説はなんですか?

日比野:句読点って、リズムを無理やりにでも作れるじゃないですか。でも、恐らく言葉それ自体にもリズムってあると思うんです。大江健三郎や中上健次は、句読点をあまり使わずに言葉それだけでリズムを作っていてすごい。私の作品は、句読点を使わなかったらリズムがあるとは言ってもらえなかっただろうから。

——なるほど。そもそも小説を書く時、すでに「これを書きたい」という完成したものが頭の中にあってそれにぴったりの言葉を探していく感覚なのか、それとも言葉をつなぐことによって自分も知らないような全く新しいものを作っていく感覚なのか、日比野さんはどちらが近いですか?

日比野:言葉をつないでいくうちに自分も予想だにしなかった表現に辿り着いて、それが私の本当に書きたかったことかもしれないと思うこともあるけれど、でも、前者の傾向もあるから、両方かもしれないです。ぴったりの言葉もずっと探してる。必要な時のために温存している二字熟語とかいっぱいあります。あと、完璧な二字熟語というのもある。例えば、「鯨飲(げいいん)」という言葉。完璧じゃないですか? でも「酒を大量に飲む」という意味を持ってしまっているから、なかなか使えない。「膝栗毛(ひざくりげ)」とかもめちゃくちゃ良くないですか? 膝の栗毛。でもこれも「徒歩で帰る」という意味を持っていて、本当に、意味というのは時にすごく邪魔ですね。

——なるほど、それらが日比野さんの中での完璧な二字熟語なんですね。なんとなく、わかるようなわからないような……(笑)。

日比野:男性器を何と呼ぶかという問題もずっと考えていたんですけど、最近見つかったんですよ。「陽根(ようこん)」です。それだ!って思って。もっと早く見つけたかった。『モモ100%』では「チ」と表現していたから。

——ぴったりの言葉を探しあてようとする時、自分の中の引き出しに入っている語彙量ってまだ足りないと思いますか?それとも満足している?

日比野:増えたほうが楽しいけど、足りないと思ったことはないかもしれない。

——それは、日比野さんが比喩を多用されるからなのかもしれないですね。

日比野:あぁ、そうかも。限られた語彙量で構造を組み替えることによって書いているからかもしれないですね。今後はもっと観察眼を磨いていきたいです。トーマス・マンの『魔の山』はそれが一番顕著なんですよ。仔細な描写がすごくて、例えば「そう言って彼女はもう一度、突き刺すように鋭く彼の眼に見入ろうとしたが、この風変りな試みはこんども成功しなかった」「と言って彼女は大きなものもらいのある眼で彼をじっと見つめたが、それはただ見つめたというつもりだけのものらしかった」という2つの文章が半ページの中に書かれていたりする。普通の小説家ってここまで描写しない。「見つめた」とは書くけど、「それはただ見つめたというつもりだけのものらしかった」まで書くのはすごい。自分ももっとそういうところに入り込んで、遊園地的にいろいろな要素を盛り込んでいきたいです。

前からよく例に出している乗代雄介さんの好きな文章があるんですが、それは、指を舐めた時にできる唾の小さな泡が割れる様子を描写するものでした。比喩の中での小説の視点のズーム感の自由自在さが好きなんです。

——乗代さんの唾の描写じゃないですけど、日比野さんの小説は、髪の毛や鼻血など身体から切り離されたものがよく描かれますよね。

日比野:自然と出てしまうものですね。自分は精神状態に応じて身体的な反応が出がちだから、そういう影響もあるのかな。そういう「自然と出てしまう」ものをそのまま書いてもいいんだということを、コルタサルや私の好きな小説家達が教えてくれました。

次作への想い

——日比野さんの作品って、登場人物が孤独に見えつつも信じあっている印象を受けます。

日比野:『モモ100%』の星野みたいに、どんな人ともセックスをするとかクラスメイト全員にちゃんと告白するとか、そういうタイプの誠実さって好きで。嘘をつかないとか、普通はそういうことを誠実さと言うのかもしれないけど、自分は星野みたいな平等な誠実さがすごく好きなんです。お笑いが好きなのも同じ理由で、『ドキュメンタル』なんかではそれが特に顕著で、すべては笑いのもとに平等で、おもしろければ何でもいいという考え方じゃないですか。だから、逆にシニカルなものは絶対に嫌。

——以前インタビューで、書く時のゴールを「美」に設定したいと言っていました。そこでの「美」とはどのような定義なのでしょうか。

日比野:私の小説って、最後がメタ的になるじゃないですか。3人称だったのが1人称に変わって走り抜けていくんですけど、それを賞の選考とかでも批判されたこともあって……。

——確かに、『モモ100%』も最後はメタ的ですね。あと、それが美なのかはわからないですが、祝祭的な印象です。

日比野:そう。「Biome journey」という言葉が最後に出てくるんですけど、それは、読者とすれ違った時に言葉を合図に使うことで合言葉みたいな役割を果たせればいいなと思ったんです。「私はあなたに同意します、共闘します」、みたいな、お互いが味方であることを意味する合言葉。私は、最後は読者に語りかけたいんですよ。でも、それを美と呼ぶのはもしかしたら違うのかもしれない。『ビューティフルからビューティフル』へというタイトルもあってその時は美と言っていたけれど、ちょっと美とは異なるのかもしれないですね。選考では「オチをつけたかったのでは」と解釈されたと思うんですけど、そういうことではなくて、私は自分の書く作品は私小説的な意味合いも強いから、最後は読者への直接的な語りかけになっていてほしいんです。

——読者のイメージって、けっこう具体的に描かれていますか?

日比野:具体的にはないですけど、気は合うと思っています(笑)。私があまりしゃべるのが得意ではないから、作家になってからは自分の本が名刺代わりになってすごく楽で。私と一緒に遊びたい人集まれ!という感じで、旗を立てるくらいのつもりで書いてるかもしれない。

——3作目を楽しみにしています。

日比野:1作目は17歳の時に書いた作品なので、今読むとアラが見えて、2作目は1作目と同じ書き方でそのアラを取り切ろうと思って書いた作品なんですが、3作目はまた違うことをしようかなと。言葉をおもしろくしなくちゃという呪いにかかっていたんですけど、2作目を書いたらちょっと肩の荷がおりたので、3作目はもっと自由に書いていきたいですね。

Photography Mayumi Hosokura

日比野コレコ『モモ100%』

■『モモ100%』
「安全な頭のネジの外し方もかわいい股の緩め方も人の愛し方も、いまだ全然わからない」モモの退屈な日常に彗星のごとく現れた、運命のトリックスター・星野。愛すべき文体で綴られた文藝賞受賞後の第一作。

著者:日比野コレコ
価格:¥1,595
発売日:2023年10月27日
ページ数:152ページ
出版社:河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309031460/

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tamanaramenの新たな『はじまり』 姉妹で作る理想の場所 https://tokion.jp/2023/03/15/interview-tamanaramen/ Wed, 15 Mar 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=175007 新作EP『はじまり』をリリースしたオーディオビジュアルユニットtamanaramenへのインタビュー。

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tamanaramenのHana(左)とHikam(右)

tamanaramen (タマナラーメン) 
姉・Hana(ビジュアルアーティスト)と妹・Hikam(シンガー/プロデューサー)の2人によるオーディオビジュアルユニット。当初は姉妹ぞれぞれのソロ活動だったが、2021年よりユニットでの活動を開始。アブストラクトな音像とささやくような歌声、肌の質感や絶えない流れを独特の色彩で映し出すビジュアルの融合により、他にない独自の世界観を作り出す。その音楽と映像はジャ ンルやシーンを超えてボーダーレスに混ざり合う。
Twitter:@tamanaramen
Instagram:@tamanaramen

はじめてtamanaramenを聴いた時、ひんやりした空気とほの暗く霞んだ存在感を感じて、何か素敵なひみつを教えてもらえた気持ちになった。丁寧に折り畳まれた手紙のように、誰かに読まれるまでひっそりと待っている音、言葉、映像、自然、概念、表現。その通り、『空気』(2019年)は初のEPと呼ぶには繊細すぎるほどにふんわりとしていて、『organ』(2019年)は少しずつ何かが目覚めようとするような不穏さと期待感が漂い、『mabataki』(2020年)では表情が生まれ、『sour cream』(2020年)では魂が宿りはじめた。『future』(2020年)は森や光やいのちがそのまま音になっていて、皆が涙をこぼした。

その後tamanaramenは、新曲をいくつか断片的に届けてはくれたものの、まとまったEPという形での便りは途絶えた。皆が2人を待っていた。2023年、EP『はじまり』がリリースされた。MVが公開された。初のリリースパーティも開催された。そこには、今までにないくらい姉妹の姿がはっきりと映されていた。

これまでの抽象的で凍てついた作風から、私はtamanramenにどこか冷気のようなものを感じていた。だが、実際に話した姉妹はむしろ温かくて、柔和で、優しいユーモアを言い合うような方達だった。tamanaramenの表現が、常に肯定的である理由がわかった気がする。姉妹は、自分達のライブが生み出す空間を「皆が孤立しているんだけど横並びでつながっている感じ」と言う。それって、どういうことだろう。尊厳にあふれた、2人の会話に触れてほしい。

——今回、久々のリリースとなりました。

Hikam:2021年から制作ははじめていて2022年の頭には出そうと思っていたんですけど、私が体調を崩してしまったんです。延期に延期を重ねてようやくリリースできました。EPは前作が2020年だったので、まとまった作品は3年ぶりです。

——そうだったんですね。体調はもう戻られましたか?

Hikam:うん、もう大丈夫です。

——それは良かったです。今回のEP、タイトルの『はじまり』とはどういったはじまりなんでしょう? 個人的には、楽曲もアートワークも今までより輪郭がはっきりとした印象を受けました。

Hana&Hikam:うんうん。

Hikam:私達が2人でやっていることは今までと同じなんですよ。私は曲を作って、姉(Hana)はジャケやMVやVJを作る。でも、前作の「friday」で初めて顔をはっきり出したこともあって。それで今作は新たな「はじまり」です。

Hana:あと、2人暮らしを始めたんです。

Hikam:そうだね、そういう「はじまり」もあるね。

Hana:今まではお互い実家のリビングで作業していたんですけど、一緒に暮らしはじめて個室を持つようになったので少し離れたんです。(Hikamの方を向いて)自立だよね。

Hikam:うん、自立。

——曲作りのプロセスも変化はなかった?

Hikam:(Hanaの方を向いて)あんまりないね?

Hana:今回も妹が曲を作ったんですけど、最初はそこにメロディーまでは乗ってたのかな。その後一緒に詞を書いていって録音して。たくさんできた中で、いくつか選んで今回のEPにまとめました。

——Hikamさんは初めにこういう曲を作りたいというのがあってそれを具現化していくのか、手探りのまま良い音を見つけて積み上げて作っていくのか、どちらが多いですか?

Hikam:リファレンスとか作ったことがなくて、音を探していく方が多いです。その過程は楽しい。

——最近どういう音に反応することが多い?

Hikam:最近はクラブミュージックの音が好き。スクリレックスとフレッド・アゲインの「Rumble」にすごくハマった!

——そもそもお2人はこれまでどういった音楽を聴いてきたんでしょうか。

Hana:ボサノバ。

——意外かも。

Hana:あとね、私はハイパーポップが苦手で、妹は好き。

「tamanaramenはポップな存在になりたい」

——今作の収録曲の中でも、特に「friday」は今までのtamanaramenで最もポップに聴こえました。

Hikam:tamanaramenはポップな存在になりたいんです。

Hana:妹の好きな音楽の幅ってすごく広くて、その時に作りたいものを作るからこそtamanaramenってジャンルがないんですけど、だからこそいろんな側面を持ってるんです。1人の人間が多面的なように、tamanaramenも多面的。

——さっきから、お2人の受け答えが面白くて。アブストラクトなHikamさんと、それを説明して具体化していくHanaさん。

Hikam&Hana:ふふふ(笑)。

——普段の会話もこういう役割分担?

Hana:どうなんだろう?

Hikam:でも日常の会話では逆かも(笑)。

——楽曲制作とヴィジュアルという点ではお2人ともそれぞれ分業で作られていると思いますけど、制作過程でお互い見せ合ったり意見を出し合ったりしますか?

Hikam:途中まで作ったところでお互い見せ合ったりはする。ここまでできたんだけどどう?とか。

——褒め合ったり?

Hikam:そう。「いいねー!」「いいじゃん!」って褒めあったり、「こっちの方がいいんじゃない?」って言い合ったり。

——2人暮らしをはじめて自立して、お互いの見え方で何か変わったことはありますか?

Hikam:変わってはないかな? 姉は周りの友達に愛されてる。許されキャラだよね。

Hana:そうかな? Hikamは決断力がすごいよね。昔から、中学受験までして入った学校なのに辞めるって言って急に辞めたり。この前は、「明日沖縄に行きたくなった」って言ってクラブ終わりから沖縄に直行してた。決断力があって、行動にすぐ移せる。過激だよね。強さを持ってる。

Hikam:大丈夫かな?(笑)。

Hana:褒めてるよ?(笑)。

なぜtamanaramenをやっているのか

——今回のEPのヴィジュアルは、遠藤文香さんが写真を撮られていますね。tamanaramenの作品の神秘性がすごく引き出されていると感じました。

Hana:遠藤さんの作品がもともと好きで、友達でもあって、それで時が来たと思って、今回お願いしました。

遠藤文香が撮影し、Hanaがディレクターを務めた「ゆりかご」のMV

——tanmanaramenさんはアートのイベントにも出演したり、アート界隈のつながりが多いですよね。

Hana:私は音楽系の友達が全くいなくて、美術系の子と仲いいんですよ。……気楽系。

Hikam:気楽系……?(笑)

——(笑)。3月9日に渋谷WWWでリリース・パーティをされましたよね。これも初めての試みだと思いますが、なぜこのタイミングでされたんですか?

Hikam:時が来た。

——EPは『はじまり』だし、ここに来て再デビューみたいな。

Hikam&Hana:そうそう!

Hikam:フレッシュでいいね。

——tamanaramenは活動4年目に入って、新人と呼ばれる時期を抜けつつありますよね。今のこのタイミングでこういった新鮮な空気って普通はなかなかないと思うんです。もっと気負いはじめちゃう時期かもしれない。

Hana:いま聞いていて思ったんですけど、Hikamが体調崩して制作できなかった期間があって、この活動も終わっちゃうのかなとか考えた時もあったんです。でもそれって、ちょっと立ち止まって過去の作品を観たり聴いたりできたタイミングでもあるんですよ。そうやって自分達のことを振り返ることで、逆に自信が出てきたんです。自分達の良さを再認識できた。それで『はじまり』だし、今となっては良い時間だったと思ったんです。

——立ち止まることで見えてくるものがあったということですね。

Hana:いま改めて過去の作品に触れて、ラフな感覚で作ったものに対して「いいじゃん」と思うこともあります。一時期、変に気負ってシネマカメラで撮らなくちゃとか考えてた時もあったんですよ。でも自分達の制作ってそうじゃないなと気づいたりして。

Hikam:以前は、私は自分のために音楽を作っていたんです。その時に起こった出来事や沸き上がってきた感情を忘れないために。でも、今は少しずつ外側に向かってきた気がする。tamanaramenという場所があることで、距離感が変わってきた。良い意味で、ちょっと離れてきたのかもしれないです。みんなのtamanaramenに自分が関わっているニュアンス。

——冷静に見られるようになってきたのでしょうか。

Hikam:なぜtamanaramenをやっているのかということですよね。音楽が好きだからというのはもちろん前提としてあるんですけど、私達は、みんなが集まってみんなで作る場所が欲しいなって思うんです。

孤立してるけど横並びで繋がっている感じ

——以前、tamanaramenは大きなテントのような存在になりたいとおしゃっていました。

Hikam:私達は4NGEL KIDZ(エンジェルキッズ)という名前でBtoBのDJユニットもやってるんですけど、この前「Enter Shibuya」で初めてパーティをやらせてもらったんです。その時は、若い人だけじゃなくて上の年代の方達も来てくれて、いろんな人がいて。理想的な距離感で、誰も孤立してないというか……いや、みんな孤立してるんだけど横並びで繋がっている感じで。交換ノートみたいなものを作って寄せ書きできるようにしていたら、隅っこの方にいた方とかもみんな書いてくれたんです。

——みんな孤立しているけど横並びで繋がっているってすごく良いですね。

Hana:中心を持たないコミュニティーっていう感じかな? 誰かカリスマがいてそこに群がるんじゃなくて、みんな同じ高さに立っているみたいな。

——中央集権型ではなくて。

Hana:そうそう。Hikamが感じていたコロナ禍での孤独とか、コロナ禍でもできた仲間とか、そういった関係性を考えた時のコミュニケーションは今回のEPのテーマにもなっています。

Hikam:『はじまり』を作っていた時は私がちょうど大学に入って1年経ったくらいだったんですけど。ずっとオンライン授業だったのでリモートが基本で、登校したのが身体測定とか含めて年間で3回しかなかったんです。そこで息苦しい生活を送って、そういった空気が作品には反映されているかもしれない。周りを見渡すと、弟は高校に通いはじめたし、大人も会社に行くようになったし、大学生だけ取り残されてるみたいな。そういう孤立感かなぁ。

——今もまだ大学生なんですか?

Hikam:1年休学したりもしたんですけど、結局辞めたんです。もう音楽をやっていくぞって。

Hana:もう後がないね?(笑)。

Hikam:うん!

——みんな孤立しているけど1人ではない、同じ高さに立っているって理想だと思うんです。でもそれを作っていくのって簡単ではないかもしれません。tamanaramenは以前から、作品制作において世の中のソーシャルな、あるいはポリティカルな出来事が重要な背景にあるとおっしゃってきました。そういったものを作品に落としていくにあたって、自分達のジャッジやスタンスを表明したくはならないですか?

Hana:私達の表現は、いろんな思想を持った人達をつなげるもの。違う考えを持った人同士でもこの曲いいなっていうところでつながれるようなニュアンスを大事にしたいです。個人的にだったらいいんだけど、tamanaramenとしては表明しないようにしています。

——お2人の間においては具体的な意思表明をしますか?

Hana:tamanaramenと違って、私達個人の間ではそういう話はよくします。意思表明しないのは加害者と一緒だとか加担しているとか言われたことも過去にはありました。だけど、私はやっぱりそれは別だと思う。自分達で作る場所では、さまざまな思想や価値観をお互いに尊重して、フラットな議論ができる関係性が保たれれば良いなと思います。

——tamanaramenの表現に集っている方達は、他のリスナーと比較してどういう方が多いですか?

Hana:優しい人が多いかな。想像でしかないけど(笑)。

——未来のtamanaramenについて考えることはありますか?

Hikam:よくよく考えてみると、高校生の時に思い描いていた自分にはなれている気がして。

——どんなイメージを描いていたんですか?

Hikam:当時はクラブとか入れなかったし海外アーティストのライブを観たいなとも思ってたから、渋谷WWWとかの規模感のライブハウスでやる海外アーティストのゲストで自分が出ることを夢見てました(笑)。

——ほぼ実現してる!

Hana:私は、海外でも活動したいな。次の家の更新のタイミングとかで、海外に拠点移してもいいかも?

Hikam:ちなみに、私達が以前ロシアのインターネット掲示板で注目された時に知ったんですけど、tamanaramenという名前はロシアで縁起が良いらしいです。

——拠点を移すとしたら、どこがいいですか?

Hana:ロンドンかベルリン。でもやっぱり好きなロンドンかな。

Photography Taisuke Nakano
Coordinator Yoshiko Kurata

■配信EP「はじまり」 
1. ゆりかご
2. moving like a wind
3. ebi
4.friday 
5. baby fish
https://jvcmusic.lnk.to/tamanaramen_hajimari

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アーティスト・春ねむりに同居する「怒り」と「冷静さ」 そこから生まれる魅力について https://tokion.jp/2022/06/22/interview-harunemuri/ Wed, 22 Jun 2022 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=126627 日本だけでなく、海外からも注目を集めるアーティスト・春ねむりへのインタビュー。

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春ねむり

春ねむりは、怒っている。と同時に、冷静でもある。
性急なリズムに乗ってポエトリーラップを歌い駆け抜けていた1stフルアルバム『春と修羅』の頃と比較すると、作風は重さを増した。激情がほとばしる、叫びをも獲得したその声。ポストハードコアやポストメタル調のサウンド。めくるめく重低音の中で、一語一語を噛みしめるように歌われる祈りのような歌唱。時折炸裂するスクリーム。
春ねむりはそれらに対し「ヒステリーで怒ってると思われるのも嫌なんですよ。そうじゃなくて、マジで怒ってるんだっていうのをわかってほしい」と語る。
しかし、その音楽はただ独りよがりに怒りを欲望しているわけではない。『春火燎原』は、J-POPのクラシックとして「他者が入る余地がある」音楽を目指し作られた。ゆえに、春ねむりは怒りながらも決して冷静さを失わず、淡々と音楽を聴き、研究を重ね、創作に没頭する。「マジで怒っている」からこそ、冷静に音楽をやり続ける。
楽曲制作の過程、ポップスであるということ、ラップや叫びについて――。春ねむりは優しいまなざしで、問いかけに対する適切な言葉を探しながら、真摯に話してくれた。

——2ndアルバム『春火燎原』を4月にリリースされて、国内の反応はいかがですか? じわじわとリスナー層が広がりはじめている印象があります。

春ねむり:ありがたいことに、音楽好きのリスナーの間で少しずつ広まってきている感じはありますね。でも、難しいなと感じる部分も多くて。(業界のセオリーでは)小さいライブを何本もやるよりも、WWWでやって、半年後にLIQUIDROOMでやって、というようなことを本当は仕掛けたほうが良いんでしょうけど。あとは最近流行りの手法だと、有名なラッパーとfeaturingしてもらうとか、“界隈”っぽいのを作ってそこの層のお客さんを集めてファンダムを作っていくとか。でも……そういうの全部やりたくないんです(笑)。そのやり方にならって人を集めてないと外からは評価しづらいっていうのはわかるんですけど。フェスとかも、コロナで抱えた負債をこれから返していかないといけないし「確実にこれから来る」っていうのがわかっているミュージシャンじゃないとフックアップしづらいんでしょうね。

——すでに海外では支持基盤ができています。そうなると、近い立ち位置のロールモデルとなるミュージシャンがあまりいないように感じますね。

春ねむり自分の場合、最初から海外に行きたいって思っていたわけではなく、偶然が重なっての結果だからですかね。私の音楽って、海外ではJ-POPだと思われてるんです。だから、変に向こうのトレンドに合わせなくていいし、無理して英語の歌詞を書かなくてもいい。海外のチャートに入るために、キックとベースがブンブン鳴っていてボーカルがはっきりと聴こえるようなことをするのは嫌だし。逆に、国内で例えば「生きる」のような曲ばかり作ってよと言われるのもしんどい。そういう意味では、ちょうどよく曖昧なところにいられてるなと思います。やりたくないことははっきりしているので。私は、何かの賞を取りたいとかもないし、究極「いい曲が作りたい」「ライブに人がいればいいな」というのが気持ちとしては一番強いかもしれないです。

——春ねむりさんの中で、「ライブに人がいればいいな」というのは、「ライブに来る人が多ければいいな」とイコールの意味でしょうか?

春ねむり:もちろん広い会場でやれと言われればやるんですが、自分がやってて楽しいのはやっぱりライブハウスです。この前北米ツアーを終えて、次のツアーをどうしようかと話している時に、5000人の箱で1回やるよりも500人の箱を10回やった方が春ねむりっぽいんじゃないか? って意見になって。何十回もやる方がもちろんコストはかかるんですけどね。

——鑑賞型のライブというよりは、もっと近い距離でガツンとお客さんの存在を感じられるようなライブが良いということでしょうか。

春ねむり:そうです。(狭いライブハウスのほうが)「あ、みんな生きてるんだ!」って思うんですよ。「みんなちゃんと感情とかあるんだ」って。自分に対しても「私、こんなに興奮できるんだ」って思う。でも、国内と海外でお客さんの観る文化っていうのも違うじゃないですか。国内はやっぱり棒立ちが多い。昔はライブで突っ立ってるお客さんのところに行って手を捕まえて「全員ぶちあがるまで帰るな!」って言ったりしてましたけど(笑)。今はちゃんと、「棒立ちでも楽しいと感じているんだな」と思えるようになりました。

——今作では「シスター」という呼びかけをされていて、音楽を届ける相手の存在がよりクリアになってきている印象を受けています。

春ねむり:そうですね。以前は、対象が明確にはいないような書き方をしていました。「自分」というものの輪郭がはっきりしてくると、同時に他者の輪郭もはっきりしはじめるというか。春ねむりは、自分が一番しんどかった子どもの時に「こういう音楽が欲しかったな」というのをやっているんです。それがどんどん明確になっている。春ねむりという理想があって、そこに肉体を追いつかせるべく頑張っている感じです。ライブは、まさにお客さんからも見られることで自分の肉体を感じられる場所ですよね。ライブを重ねることで、追いついてきたのかもしれない。最初のほうは棒立ちで歌ってたんですけど、段々と今みたいなスタイルになってきて。何がかっこいいかがわかるようになってきたのかなと思います。

——自分自身を捉える解像度が上がってきたことで、他者もより明確に見えるようになってきたと。

春ねむり:「生きる」が完成した時、私はこのアルバムは50年後もJ-POPのクラシックとして聴けるものになったな、と思ったんです。むしろ「生きる」があるからこそこの作品はクラシックにならなきゃいけない、その責任がある、みたいな。ポップスって、良くも悪くも社会性を孕むものじゃないですか。そうなると聴く人のことも考えざるを得ないんですよね。

コピーで得た知識をどう組み合わせるかがオリジナリティになる

——今日のインタビューもそうですけど、最近春ねむりさんの口からこれまで以上に「ポップス」という言葉が出てくる気がします。はたして、ポップスの定義とは何でしょうか? 人によっては大衆性のようなものを想起する人もいます。でも春ねむりさんの音楽は、ジャンルを貫通しているし大衆に開かれていないわけではないけれど、もっと尖っていたりどろどろしていたりもしますよね。

春ねむり:他者が入る余地がある、ということですね。前作のアルバム『春と修羅』は自分の中ではポップスではなくて。あれは自分しか存在しない世界……日記みたいな感じ。ポエトリーは説明しすぎるものだから、ポップスには向いてないんですよ。アメリカでヒップホップがヒットチャートに入るじゃないですか。向こうの人達は、「その地元がどういう意味を持つのか」ということをちゃんと歌っている。単に「地元を愛している」と歌うと個人的な音楽になるけど、例えばアフリカ系アメリカ人の場合は「こういう差別があってクソみたいな町だけど地元をRepする」ってところまでちゃんと歌っている。社会と接続している意識があるんです。そういうのがチャートに入るって、やっぱりポップスの定義っていうのは「他者が入る余地がある」ってことなのかなと思うんですよ。

——社会性や歴史性を孕んだ音楽として、他者が介入したり想像を膨らませたりできる余地があると。

春ねむり:そうですね。そういう意味で、『春火燎原』はアレンジャーを誰に頼みましたっていうレベルにとどまらず、いろんな人の声が入っていたり、私が他人を許容することをけっこう頑張った作品でもあります。

——春ねむりさんの作品は、感情にまかせたサウンドのようでいて、随所にフックが仕掛けられており緻密さを感じます。感情と理性のバランスが非常にうまい形でとれているのではないかと。今作も一聴すると感情が無軌道に拡散しているような印象がありますが、実はこれまでで最も理性的に作られている気がしました。

春ねむり:自分は感情的な人間ではあるんですけど、物を作る時はガリ勉っぽいというか、知識がないといけないと思ってるタイプなんですよ。どういう理屈だったら伝わるか? を考えて作ってますね。私が一番最初に好きになったのがフジファブリックなんです。変だけどキャッチー、みたいな。変なだけでも嫌だし、キャッチーなだけでも嫌。それらが美しい形で同居していてほしい。1曲の中でも、アルバム全体のバランスでも、それは意識しました。自分は普段、いろんな曲をコピーするんです。この曲かっこいいなって思ったらDAWの中で再現する。そうすると、どんどん経験としての知識が増えていく。それらをどう組み合わせるかがオリジナリティと呼ばれるものなのかなと思っていて。

——聴いたことのない音楽を作りたい、誰もやってない音を出したい、という欲求はありますか?

春ねむり:あります。これとこれの組み合わせはあるけど、これとこれだったら誰もやってないな、とかはめちゃくちゃ突き詰めて考えますね。

——『春火燎原』にはそういった組み合わせの巧さを非常に感じます。

春ねむり:コピーはけっこう大事だと思います。「降りてきた」みたいに天才ぶってたほうがいいんでしょうけど、自分はそうじゃないですね。だから、好きじゃない音楽も聴きます。それで、なんでダサいのかを考えたりもする。

——優れた音楽家である前に、優れたリスナーであると。

春ねむり:私も、同じジャンルばかりやるんだったらそんなに聴く必要はないのかもしれないですけど。自分みたいな(さまざまな音楽ジャンルを横断することをやっている)場合は、多く聴かないとだめなんじゃないですかね。

——最近、春ねむりさんがいいなと思った音楽を知りたいです。

春ねむり:大槻美奈さんです。この前対バンした方で、弾き語りが素敵で音源も聴いてみたらすごく良かった。あとは壱タカシさん。butajiさんの作品にも参加されている方なんですけど。アルバム『少年連祷』がめちゃくちゃ良い。普段そんなことしないんですけど、感想いっぱい書いてDMしちゃいました。

ラップも叫びも、両方やるのが春ねむり

——春ねむりさんはデビュー当初からポエトリーラップをされてきて、ヒップホップに対するリスペクトも公言されてきました。一方で、ヒップホップコミュニティ側は春ねむりさんの作品をきちんと解釈してこなかったのではないかとも感じます。過去にはラッパーとのビーフもありました。作品からは徐々にポエトリーラップの割合も減ってきましたが、今改めてヒップホップコミュニティに対し感じていることはありますか?

春ねむり:うーん……難しいですね。自分は、ラッパーだったらカニエ・ウェストが好きなんですよ。人としてはどうかと思う時ももちろんあるんですけど、やっぱりアーティストとしては好きで、トラックメイキングの面でも影響は受けてるんですね。一方で日本のヒップホップは、好きなラッパーはたくさんいるしかっこいいなと思う人もいるけれど、そこに属しているとはあまり思ってないです。昔はいろいろ考えたけど、今はポエトリーラップがヒップホップの枠に入るか否かとか……もうどっちでもいいやって思ってるかも……(笑)。ポエトリーをやっている方自体も少ないですしね。私は、トラックの上で淡々とポエトリーしてる曲ってあまり聴けないんですよ。ずっと同じフロウで聴かされてると文字としては入ってくるけど音楽としては入ってこない。ポエトリーラップってリズムや抑揚を無視していると言われがちですけど、私は全然無視してないので。

——ちなみに、日本のヒップホップで好きなラッパーというのは?

春ねむり:ZORNとANARCHYとRYKEY DADDY DIRTYが好きです。

——意外です(笑)。でも、統一感がある。

春ねむり:ANARCHYはピッチ感のコントロールが巧くて、RYKEYはメロディやフックが好き。でも3人とも、やっぱりあれだけのバックグラウンドがあるとリリックに出るんだなと思いますね。説得力が違う。

——手法としてはラップなんだけど、もはやブルーズっぽいというか。

春ねむり:私小説としての音楽って感じがしますよね。人生まるごと音楽に飛び込んでいってる。自分にそれはないから、憧れます。逆に、違う系統だとLIBROとかも好きです。私、ソロラッパーが好きなんですよ。複数人でのマイクリレーだと、フックにたどり着くまでが長くて冗長に感じちゃうんです。私は楽曲の構成に関しては合理的に判断する人なので。

——春ねむりさんはラップをしつつ、叫ぶじゃないですか。ラップと叫びって対極にあると思うんです。ラップはリリックを書いて韻も踏んでいく、ある種の丁寧さと迂回がありますよね。叫びはそこをすっ飛ばして感情を露呈させていく、最短距離の爆発があるじゃないですか。その両極端なことを同時にされている人ってあまりいないし、やってる方は引き裂かれちゃうんじゃないかなって思うんです。

春ねむり:自分は理屈だけでも感情だけでもダメなタイプなので、両方やってるんですよね。でも、叫びって、言ってしまえばズルいものだとは思うんですよ。叫ぶことで伝わっちゃうから。

——ラップは回り道だしそもそもが面倒くさいものなので。そう考えると、叫びってすごいですよね。

春ねむり:伝わっちゃうっていう手段を持ってしまっているから、その分、そこまでの段階を怠らないようにしないといけないと思います。じゃないと、本当に叫んでいるということにはならない。「本当に叫ぶしかなかったんだな」と思わせるようなものをきちんと作らないと叫ぶ意味がない。

——春ねむりさんはやっぱりラッパーですよ。ラップを起点に表現している人からしか、叫びがズルいなんて発想は出てこない。

春ねむり:あぁ、なるほど。叫んでる時って暴力をふるっている時と同じような気持ちよさがあるんですよね。感情を思うままに発露するのって他人からしたら暴力なんだなって。そういう快感が叫びにはあります。

——ライブでは以前からそうでしたが、音源でもスクリームの割合が増えてきていますね。しかも、発声が変化してきている。この変化は、ご自身ではどのように捉えてらっしゃいますか?

春ねむり:ライブを重ねてきたら、あまりにも自然にそうなっちゃったんですよね……。スクリームのやり方を誰かに習ったりしたわけではなくて、正しいのか分からずにやってます。お腹で支えて背中をゆるめつつ、深いところから声を出す、みたいな。あと、自分が女性の高い声でのシャウトがあまり好きじゃなくて。キャーみたいな金切声が苦手で、だから徐々に低くなってきてるんだと思います。私は怒ってるんだけど、それがヒステリーで怒ってると思われるのも嫌なんですよ。そうじゃなくて、マジで怒ってるんだっていうのをわかってほしい。(高い声の叫びは)記号的に女性らしいと認識されるから、そういうものを排除しているんです。

——声とリリックの内容って安直に結びつけられがちだし、そこから逃れたいという気持ちはすごくわかります。今日はさまざまな角度からお話が伺えて良かったです。良い意味で、戦略的な春ねむりというアーティストの輪郭がはっきりしてきた気がしますし、今後の展開についてもますます楽しみになりました。

春ねむり:良かったです! 今後も死なない程度、次の作品を作れる程度、ライブがずっとできる程度には稼いで音楽を続けていきたいですね。

春ねむり
横浜出身のシンガーソングライター/ポエトリーラッパー/プロデューサー。自身で全楽曲の作詞・作曲・編曲を担当。2016年10月にファーストミニアルバム『さよなら、ユースフォビア』でデビュー。2017年に2ndミニアルバム『アトム・ハート・マザー』をリリース。2018年4月に1stフルアルバム『春と修羅』をリリースした。2019年にはヨーロッパを代表する20万人級の巨大フェス「Primavera Sound」に出演。さらに6カ国15公演のヨーロッパツアーを開催し、多数の公演がソールドアウトとなった。2020年3月3rdミニアルバム 『LOVETHEISM』をリリース。2022年3月に北米ツアーを開催し、すべての公演がフルキャパシティにも関わらずソールドアウトとなる盛況ぶりを見せた。4月に2ndフルアルバム『春火燎原』を発表。10月1日には、カナダのケベック州モントリオールで開催される音楽フェスティバル“POP Montréal”に出演。それを皮切りに今年2度目となる北米ツアー「SHUNKA RYOUGEN NORTH AMERICA TOUR 2022」を開催する。
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SHUNKA RYOUGEN NORTH AMERICA TOUR 2022

■SHUNKA RYOUGEN NORTH AMERICA TOUR 2022
10/1 (Sat) Montreal, QC – POP Montréal 2022
10/2 (Sun) Toronto, ON – Lee’s Palace
10/4 (Tue) Chicago, IL – Metro
10/6 (Thu) Washington D.C. – Black Cat
10/7 (Fri) Brooklyn, NY – Market Hotel
10/10 (Mon) Atlanta, GA – Masquerade
10/12 (Wed) Houston, TX – Scout Bar
10/13 (Thu) Corpus Christi, TX – House of Rock
10/14 (Fri) San Antonio, TX – Paper Tiger
10/15 (Sat) Dallas, TX – Trees
10/20 (Thu) San Diego, CA – Soda Bar
10/22 (Sat) Los Angeles, CA – Echoplex
10/23 (Sun) San Francisco, CA – Bottom of the Hill
10/25 (Tue) Seattle, WA – El Corazon
10/26 (Wed) Portland, OR – Hawthorne Theatre

Photography Takahiro Otsuji(go relax E more)

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「tofubeatsを知らない人がどう思うのかが知りたい」 音楽と書籍で表現する4年間のリアルな記録 https://tokion.jp/2022/05/21/interview-tofubeats/ Sat, 21 May 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=117376 5thアルバム『REFLECTION』と書籍『トーフビーツの難聴日記』を発売したtofubeatsへのインタビュー。

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「自分にとっての音楽作品は、思い出作りでありプリクラみたいなものです」——彼は達観したような表情でそう話す。

例えば、最近タイアップソングとしてあらゆる場所で流れている「水星 feat. オノマトペ大臣」を久しぶりに聴き、約10年前にリリースされた“あの頃”の記憶がよみがえってきた人も多いに違いない。あるいは、そこで初めて「水星」に出会った人もいる。ポップミュージックにとって、時の経過というのはある意味音楽をおもしろくもするし、残酷にもするし、一体どのように作用しているのか決して解き明かせない秘密でもある。

回想する。2010年代の国内ポップミュージックシーンを振り返った時、その象徴的な人物として真っ先に名前が挙がるのがtofubeatsであることに異論を唱える人はいないだろう。当時、若き才能としてオーバーグラウンド/アンダーグラウンドを繋ぎ、ネット/リアルを繋ぎ、ベッドルーム/ストリートを繋いだその活躍は、新たな時代を担うだけの魅力を十分に備えていた。

そして、2020年代に突入してもその淡々としたペースは変わらない。コンスタントにリリースされるリミックス、楽曲提供、DJ活動。職人芸の域に達してきたとも言えるそれら音楽は、いつものtofubeatsとしてのシグネチャーを担保しながらも、実は微妙に変わり続けてもいる。もちろん、tofubeats自身も変わり続けている。4年振りとなる5thアルバム『REFLECTION』のリリースと同時に、自らの難聴を公表し、その経過を日常の雑記とともにまとめた書籍『トーフビーツの難聴日記』を刊行した。続けることと、続けたものが積み重なった結果として変化していくこと。多くのミュージシャンが時代の移り変わりとともに活動ペースを落としたり異なる分野へと移ったりする中で、“変わらないtofubeats”と“実は結果的に変わっているtofubeats”の不思議な関係性を紐解いてみた。

——今回のニューアルバム、これまでで最もtofubeatsさんらしさが出ていると思ったんです。

tofubeats:自分としても、訓練を経てようやく出せるようになってきたかなという感じです。

——細部はすごく凝っているんだけど全体としてはフラットというか、その落差がおもしろいなと。tofubeats作品にはこれまでも相反するものが同居していてそれが重要な要素だったと思うんですが、今回は特に顕著に感じました。温度感が絶妙にコントロールされている。体温のコントロール、というのは今作の裏テーマとしてあったんじゃないでしょうか。

tofubeats:自分の考える「良い音楽」の定義の1つに、何回も繰り返し聴けるというのがあって。でも、何回も聴けるものを作るとなると時間が物を言うじゃないですか。そういう意味では、今回コロナでリリースが延期になったこともあり4年近くかけて緊張感ある状態で制作し続けられたのは大きいですね。ウェイトや効き味の調整が細かくできる。曲によっては「大雑把にいこう」とかあえて決めているものもあるんですが、その中でもウェイト感は細部まで調整をかけられましたね。

——でも、それだけ長い期間没頭していると作品としても内向的になったり極端さに走ったりするミュージシャンが多いように思いますが、仕上がりとしてはちゃんとポップになっていますね。

tofubeats:アルバムの過程としてはいろいろと凸凹があるんだけど、最終的に聴き終わった後の印象として明るい感じで終わらせたいという思いはありましたね。今作に限らずですが、毎回ポップさについては手を変え品を変えトライしています。メジャーにいる以上、それを最低限のルールとして自分に課すことでよりおもしろさが出てくると思っているので。

——例えば中村佳穂さんが参加されている「REFLECTION feat. 中村佳穂」とかは、ああいったビートを使った時点で「ドラムンベースが~」みたいな語りをされるのがわかっているじゃないですか。そこをすり抜けて、まずその前に「ポップ」が立ってくるのってすごいと思うんです。

tofubeats:でも恥ずかしい話なんですけど、この曲が先行で出てみんなが「ピンクパンサレスだ」って言ってたんですが、自分はそれを言われるまでピンクパンサレスって聴いたことなかったんですよ。どちらかと言うと普通にマシーンドラムとかを聴いてて「あぁドラムンベースってやっぱりいいなぁ」とか思ったりしていて。今回はいい意味で外部のトレンドにあまり惑わされずに作れた感じはします。

そもそも、もうおじさんなのでそういった自分のセンサーをあんまり信用していなくて。完全に、次の世代のセンスを感じる人達が出てきているというのを肌で感じることが増えたので、いっそ自分のやりたいようにやろうって意識になってきていますね。なので、「REFLECTION feat. 中村佳穂」も単にやってみたいなぁという気持ちに端を発している。YouTubeで「ドラムンベースやジャングルのビートをハードウェアサンプラーを使って、こうやって組んでいました」という動画を見て、あぁこれを同じ手法でAbletonを使ってやりたいなと思って、やったらできたという流れですね。あと、(コロナ禍で)ライブのことを考えなくていいっていうのも大きかった。自分は普段DJでは四つ打ちがメインで、ライブでも最近はヒップホップ系に出ることが多いので、ライブのことも考えずに作るとなるとドラムンベースやっちゃおうか、みたいな。

「リフレクション」というテーマへの挑戦

——その曲に象徴的ですが、今回のアルバムは『REFLECTION』ということで「鏡」や「反射」といったテーマが設定されていますね。私、それを聞いた時に、これはまたとんでもないところに向かっていったなってちょっと驚いたんです。なぜなら……。

tofubeats:そう、ありきたりなテーマなんですよ(笑)。

——ありきたりというか、創作において本質的であり大きすぎるテーマですよね。音楽に限らず、美術にしろ映画にしろあらゆる芸術史において「鏡」って幾度となく試みられてきたテーマゆえに、これは巨大なものに挑まれたなと思いました。

tofubeats:歴史的にもいろんな人達が扱ってきたテーマですよね。初めは非常に安直な気持ちだったんです。ある日、鏡にふと映る自分を見て、やばいぞと思って写真に撮ってみた。なぜ撮ったのかはわからないけど、その「なぜ」を深掘りしていこうって決めたんです。で、その後制作を始めてから事の重大さに気付くというか。そういえばマイケル・ジャクソンに「Man In The Mirror」って曲あるぞ、みたいな(笑)。「リフレクション」っていう言葉が出てからは、「ミラー」よりマシかと思ってもうちょっと気楽になったんですけどね。でも、今回は自分自身にフォーカスするんだっていう決心があったので、あまり他の「リフレクション」的なものに対し珍しく気にしないでいけたというのもあるかもしれない。普段だったらそういった被りとかも気にするんですけど、今回はもうそういうのも込みで他を見ない訓練をしながら作っていきました。

——書籍の中でも、今作のテーマを「リフレクション」に決めた時の描写が、ビジネスホテルでテレビを見ながらベッドの上に横たわっていた瞬間として描かれていますね。ある意味で素の自分がむき出しになっている瞬間であり、それを写真におさめることでその素がまた1つフィルターを通して観察される。

tofubeats:自分が思っている素の自分と実際の素の自分には乖離があるなっていうのを、鏡とか難聴を通じて猛烈に感じたんです。これまで、鏡の中に耳が聞こえなくなっている自分が映ってるとは思ってなかったんですよ。他人から見るとさらにそうですよね。人は自分と「この人、片耳聞こえないかも」とか思って喋らない。そもそも耳が悪くなったこと自体がそうなんですけど、自分が見たり聞いたりして情報を受け取っていることに対する信頼の低下というか……やっぱりそれって自分の感受性に対する信用がだいぶなくなるような事件だったんです。じゃあ、今回この事件が起きたことによって自分の中で揺らいだものをどういうふうに回復していくか、つまり自分が意識していない自分を探すという経緯をアルバムにドキュメンタリー的な感じで落とし込めたらおもしろいなっていうことで、日記もそういう側面の1つとしてやってみたんです。

——トラック制作においてそのドキュメンタリー性が反映されたと感じられる部分はありますか?

tofubeats:不可逆性の高い編集をやっていこう、という方向性はわりと序盤の方で決めましたね。経時的な部分を残したいなという思いがあったので。midiをデータのままではなくオーディオに書き換えちゃったりとか、作ったアルバムの曲を別の曲でサンプリングするとか、そういう技術的なところでの入れ子構造っぽいことは意識してやりました。自分の曲をサンプリングする、あるいは自分の曲をリミックスする、というのは昔から音楽のおもしろさとして伝えたいことの1つとしてありましたけど、今回はアルバム全体としてそれをやっちゃった感じです。

「リアルなところをドキュメンタリーっぽくきちんと伝えたかった」

——不可逆性という点では、今回『トーフビーツの難聴日記』を読んでいて思ったこととして、当たり前ですけど日常でいろいろなアクシデントが起こるじゃないですか。家が水漏れしたりPCが壊れたり。日常だと雑音でしかなく流れていくものも、日記に綴られることでそういった1つ1つが制作に影響を与えているんだろうなっていうのが可視化されますよね。その積み重ねを見ていると、人はやはり変わり続けているんだなと感じますし、日々そういった変化に気づいていないからこそもう元には戻れないんだと思ったんです。

tofubeats:自分はそう考えてこれまでやってきたんですが、意外と誤解されているのかもって思ったんですよね。だから今回書籍として出したかったんです。tofubeatsがそういった恨み、憎しみ、妬み、そねみといったことも糧にしながら制作しているというのは身近な人————例えば家族や、書籍にも出てくるimdkmさんやKotetsu Shoichiroさん————はみんな知っていると思うんですけど、でも世間では単に器用なミュージシャンだと見られている節もあって。それはおもしろさの1つでもあるんですけど、今回はリアルなところをドキュメンタリーっぽくきちんと伝えたかった。

——なるほど。

tofubeats:書籍にもちらっと書きましたけど、中高生の時に地元のラッパーとつるむようになって、悪い遊びを間近で見てみたいな……こっちは中学生だぞ? 何てことしてくれんの? って(笑)。ラップですごく良いこと言ってるのに実際はそういう中身だったり、憧れていたDJがとんでもない人だったりとか、生きていたらやっぱりたびたびあるんですよね。そういった人達を許さないっていうわけではなくて、自分はちゃんとそこを一致させていきたい。自分が尊敬するアーティストはその発言と行動を一致させようとしている人な気がします。みんな人間なので実際はやっぱり絶対矛盾があるし、多少は仕方ないんですけど。今まではそのあたりがあまり伝わってなかったんじゃないかって。

——音楽に限らず映画界でも近年そういったニュースが多くて、作品のフィクション性という面での難しさが顕著になってきていますよね。一方で、作者側の範疇を超えていろんな聴かれ方をするっていうのもやはり作品の解釈のされ方としておもしろいところで、そのあたりのバランスは非常にセンシティブになってきているように感じます。だからこそ、今回の書籍のようなボリュームで制作日誌を出されたというのはそういった議論に一石を投じるというか。

tofubeats:でもそういったのも小西(康陽)さんとかがされていたことで、僕は真似しながら自分なりのバランスで世の中に出しているだけですね。あと、自分は普段「政治のことについてはあまり発言しないようにしている」みたいなことも言ったりするんですけど、かといって政治のことを考えてないわけじゃないし影響を受けていないはずがない。でも、そのニュアンスって人に伝えるのがめちゃくちゃ難しいじゃないですか。書籍とかを出すとそういったことが伝わりやすいなと思うんですよ。以前はドキュメンタリー性から来るリアルな部分を意図して遠ざけていたところもあるんですけど。今回は影響を隠すことなく、自分が今思っている価値観を伝えられたのは良かったと思っています。

——あと、書籍に「変わっていって特に困ることは何もなくて、ただ変わっていくのを眺めている」という一節があって。あぁ、もうこれはtofubeatsさんそのものだな!って思ったんですよ。

tofubeats:流れる景色を必ず毎晩見ている、WOW WAR TONIGHT状態(笑)。

——(笑)。ある種の諸行無常というか、じっと淡々と移ろいゆく景色を見ながら生きている。それがただただ綴られているのが今回のアルバムであり書籍なんだけど、そこからほのかに意思が立ち上がってくる。

tofubeats:確かに、自分の場合は実力行使で変えていくぞっていうよりは、現時点をただ記録しているという意味合いが強いですよね。アルバムを作ること自体がそうですけど、やっぱり記録が残っていくのがおもしろいんですよ。後から5年分一気に見るとめっちゃ変わってる、みたいなのが好きなんですよね。じっと見ているのが好きで、そこに自分が介入したら変えられるというタイプではないかもしれない。「朝が来るまで終わる事の無いダンスを」(2014年)とか、その積み重ねの変化を一番感じますね。とんでもないバランスで作ってるな、当時よくこれを世の中に出したな、って。今となってはもはや感動する。

細分化が進んだら最後は“人”

——不可逆性という言葉が先ほど出ましたけど、そうやって移ろいゆく変化を眺めながら楽曲を転がしていくことで結果的に原型からだいぶ遠くまでいったな、という曲はありましたか?

tofubeats:1曲目の「Mirror」はマジで初めのデモと全く違う曲になっていますね。最初に録った歌からピッチが半音下がってる状態のものが完成品になってたり。「Mirai」は「REFLECTION feat.中村佳穂」のサンプリングから始めて、最終的には「RUN」とか「Keep’n Loving You」とかも入ってたり、ぐんにゃりと形が変わっていくみたいな感じの打ち込みならではのおもしろさが出てきていますね。

——逆に、dodoさんとの「NIRVANA」はいろいろと変えていくうちにうまくいかなくなって結局元に戻されたという旨を書籍には書かれていました。そのあたりの、もっと変形させよう/戻そうというジャッジの判断軸っていうのはどこにあるんでしょうか。

tofubeats:うまく言えないけれど、経験値ですかね。あとは、生活スタイルが月~金の9時~17時みたいなリズムになってきていて。つまり、ダラダラ夜に作業しなくなったんです。良いところですっぱり切って終わらせちゃう。夜中まで作業しても良いものができないことに気づいてしまった。しかも、コロナ以降は月~金の決まったスケジュールで働くことで残業しなくても普通に仕事量をこなせてるんですよね。もちろん難聴のこともあって以前より無茶しないようにしようという意識もありますけど。でも、やればやるほど良いものができるという自分への淡い期待がなくなってきた。だらだら考えるって、甘えでもあるじゃないですか。耳が悪くなって、甘えたことを言ってられなくなったんです。とは言え、アルバムの制作が佳境に入ってくると家に帰っても上の空だったりはしますけど。

——拠点を東京に移されたことでの変化はありましたか?

tofubeats:東京に出てきて、関西の時の方がローカルでのネットワークが密で過ごしやすいし、皆がちゃんと主(あるじ)としているからおもしろいなって思いますね。神戸の時は神戸の人間だっていう帰属意識があったけど、東京に出てきてからはやっぱり地元じゃない分それを感じづらくて。その代わり良い意味で「紛れられる」良さというのもあると思います。

——これまでニュータウンや「ブックオフ」、あるいはJ-POPのような共通のコードがあるものが好きだとおっしゃっていますし、そういったコードの断片を過去作からも感じます。一方この4年間で日本の音楽シーンもだいぶ変わり、J-POPという構造が崩れてきて共通のコードというものがもはやなくなってきたようにも思うんです。正直、今回の『REFLECTION』がどこに位置付けられるのか難しくないですか?

tofubeats:わかります、めちゃくちゃ難しいですよね。でも自分はそういう作品を作りたいなと思っていたので、そのコメントは嬉しいです。昔イルリメさんとかを聴いてて、どうやったらこうなれるのか?! すごすぎる! と思ってたんですよ。あの時はまだ時代が追いついていなかったし、自分はああいう気分でいたい。もし今もまだJ-POPという枠があるとするならば、その中にイルリメさんみたいなものを放り込む存在でありたいです。やっぱり自分がそういうものを入り口として音楽にハマっていったところがあるので。その点、ワーナーミュージックが『REFLECTION』みたいなアルバムを作って出すことに全く疑問を感じてないのが一番俺はテンション上がるんですけどね。本当にありがたい話です。メジャーデビュー時は、3年後の自分とか全く想像できないくらいにギャンブルだった。スベる前提で作ってましたし。そこから考えると、ずいぶんと自由に制作させてもらえるようになりましたよね。

——むしろ「自身ととことん向き合うことで出てくる自分らしさみたいなものをリミッターをかけずにどんどん出し切っていいんだよ」という共通のコードを作るくらいの立場に来ているのかもしれませんね。存在感的にも世代的にも、この作品が放たれることで鼓舞されるミュージシャンは多い気がします。

tofubeats:皆さんがこういう感じになってくれたら僕は嬉しいですけどね。音楽に限らず、細分化が進んだらやっぱり最後は“人”になっていくと思うんです。僕はもう“ハウスの新風”とか“J-POPの新風”とかには(キャリア的に)行かないので、そういう時代の成れの果てとして今回のアルバムはあるんじゃないかと。

——活動されるミュージシャンの方々は、どこかで一度はとことん自分と向き合った作品を作られる方が多いと思うんですけど、今作はそれにあたるのかもしれません。その後にどこに向かうのかというのも人それぞれでおもしろいところですが、今はまだ次の動きは考えられないですか?

tofubeats:音楽を作ることで自分が分かっていくっていうのがおもしろくて、それをこうやって記録し続けてるわけですが、そうなると一番大事なのは「やめないこと」なんですよね。続けてさえいれば、あとは次に何が釣れるかなって待つだけで。そのために粛々と続けていくことが重要だと思っています。自分のパーソナリティで言うと3rdアルバムの『FANTASY CLUB』が一番底だったかもしれないと思っていて、何なら今ちょっと上がってきてる実感がある。マネージャーとは今回「『FANTASY CLUB』の頃に外向きにやっていたことを、インディーズの頃に腰を据えて作った『Lost Decade』の時のテンションでやりたいね」って話していたので。変わらずやっていくのみですね。自分として目指すところはあまり変えないでやっていかないと記録としての意味がなくなっちゃうので。音楽制作はあくまで記録であって、思い出作りなんです。プリクラみたいな感じ(笑)。

——なるほど(笑)。アルバムにしても書籍にしても、なんか一周回って、普段は全然音楽とか聴かないですっていう人達がフラットにtofubeatsさんという存在だったりtofubeatsさんの音楽というのを楽しめるんじゃないかという気がしてきました。

tofubeats:いや、でも本当にそう! 僕のこととか全然知らない人達が読んだり聴いたりしてどう思うのかが知りたいです。これだけの期間活動していると、自分の音楽にいきなり入ってくる人ってあまりいないじゃないですか。なので、そういうおもしろさを感じたいっていうのは書籍を作るモチベーションの1つだったかもしれないですね。

tofubeats / トーフビーツ

tofubeats / トーフビーツ
1990年生まれ。神戸市出身。中学時代から音楽活動を開始し、高校3年生の時に国内最大のテクノイベント「WIRE」に史上最年少で出演。その後、「水星feat.オノマトペ大臣」がiTunes Storeシングル総合チャートで1位を獲得しメジャーデビュー。森高千里、KREVA、藤井隆ら人気アーティストと数々のコラボを行い注目を集め、4枚のフルアルバムをリリース。最近では、テレビドラマや映画の主題歌・劇伴を担当するなど活躍の場を広げ多方面で注目されている。2022年5月18日に4年振りのフルアルバム『REFLECTION』をリリース。また同日に『トーフビーツの難聴日記』を刊行した。
https://www.tofubeats.com
Twitter:@tofubeats
Instagram:@tofubeats
YouTube:https://www.youtube.com/c/tofubeats

5thアルバム『REFLECTION』

■5thアルバム『REFLECTION』
発売日:2022年5月18日
価格:初回限定盤 ¥4,180、通常盤¥3,080
https://wmg.jp/tofubeats/discography/

tofubeats「REFLECTION」online release party 2022.05.26
公式YouTube channelにて生放送
https://www.youtube.com/channel/UCiX-HGeGIXJLIexjt1jEjWg

『トーフビーツの難聴日記』

■『トーフビーツの難聴日記』
著者:トーフビーツ
出版社:ぴあ
発売日:2022年5月18日
価格:¥1,870
仕様:四六判/無線綴じ/300P予定
http://kansai.pia.co.jp/news/art/2022-02/tofubeats.html

Photography Takuya Nagata(W)
Edit Atsushi Takayama(TOKION)

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宇多田ヒカル『BADモード』が提示した「新しい時代の新しい贅沢」 https://tokion.jp/2022/02/22/hikaru-utada-bad-mode/ Tue, 22 Feb 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=97597 宇多田ヒカルのアルバム『BADモード』について、文筆家・つやちゃんによるコラム。

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宇多田ヒカルの8枚目のオリジナルアルバム『BADモード』が1月19日にデジタルで先行配信され、リリースされるやいなや、多くの称賛を集めた。そして2月23日にはCD版が発売される。デジタルリリースから約1ヵ月、改めてこの傑作について、気鋭の文筆家・つやちゃんにコラムを依頼した。

抑制された音数と音色の豊かさ

ようやく、『BADモード』という作品に対し一歩引いて受け止められるようになってきました。

思えば、純粋な新曲は3曲だけだからということで私たちは高を括っていたのかもしれません。けれども――たとえば、「誰にも言わない」は「気分じゃないの(Not In The Mood)」のエンディングから連なることで全く違った曲として聴こえます。「PINK BLOOD」のスネアは「One Last Kiss」のそっと震えるリズムから続くことでより一層凶暴性が際立ちます。すでに聴いていたはずの曲たちが、改めて鮮やかな新しい10曲として地続きに感じる、そういうマジックに包まれた作品だと思います。

「Face My Fears(Japanese Version)」はそんなにも浮いているでしょうか?「Find Love」の終盤でブーストされる重低音がその予兆となり、暴力を振るったまま「Face My Fears」になだれ込む形はアルバムのクライマックスへと繋がる絶妙な展開に感じました。それよりも、私はこの作品の随所で施されている、曖昧にぼかされたような小節の揺れに驚いています。「Time」の、それら境界を崩すかのごとくつまづきながら鳴るスネア。「君に夢中」の、私たちをめくるめくループの渦へと吸い込んでいくようなピアノのリフ。廻り続ける渦が決して窮屈に陥らず、優雅な残響を轟かせている点も特徴です。アンビエンスな響きは、まるでこの作品を映画(音楽)のような1つの回転するフィルムに仕立て上げています。私は『BADモード』を聴く度に、このまま全てがグラデーションと化していくことを夢想してしまうのです。この溶けたアンビエンスな音空間に揺られながら、私たちを隔てるあらゆる壁がなくなってしまえばいいのに、と。

1つ結論めいたことをお伝えしておきます。私が本作で最も衝撃を受けたのは、こんなにも抑制された音数で、これほどまでに豊かでゴージャスな世界を創りあげることができるのだという点でした。近作においてもミニマルな構造は顕著な傾向としてありましたし、ストリングスやバンドサウンドが効果的に使われることである意味でのゴージャスさを着飾ってもいました。ところが、今作にはそれらとは全く異なるゴージャスさがあります。着飾っているというよりは、まとっていると形容すればよいでしょうか。それは、音色(おんしょく)とニュアンスの豊富さによるものでしょう。無駄な音をひたすらに削ぎ落としながら、隙間を存分に用意し、音と音が生むディスタンスに多彩な響きや質感を漂わせる。「One Last Kiss」を聴くと、簡素な構造の中で単なる・・・シンセサイザーの響きがドラマティックでゴージャスな雰囲気を生んでいることに素朴な驚きを感じてしまいます。「BADモード」や「気分じゃないの(Not In The Mood)」ではリアリスティックな歌詞が綴られますが、ある種の世俗的な固有名詞が並べられながらも、洗練されたゴージャス感が圧倒してきます。「誰にも言わない」のパーカッションも、「Find Love」の硬いエレクトロニックな音も。一体、どうやってこんなにも際立った音を探し出してくるのか。

音色のカラフルさと言えば、私が好んで何度も聴いている「PINK BLOOD」の終盤――加えて、ボーナストラックである「Beautiful World(Da Capo Version)」もですが――で披露される詰まった声すらもその1つを担っていると思うのです。加工なのか鼻声なのか定かではありませんが、仮に後者だったとしても、「偶然性の中に面白いものが生まれることがある」とおっしゃっていたあなたゆえに、このアクシデントを愛でる愉しさは守られるべきでしょう。つんと詰まった・・・・、かつ湿り気を匂わせるその声は、楽曲にラフで気怠いアクセントを与えています。それはカジュアルなウェアでたたずむアートワークのルーズさを確かに反映しており、今作のバラエティに富む素晴らしい音色の1つとして鳴っています。

ゴージャスともリッチとも異なる新たな価値観

優れた音楽作品は、その解釈を決して音楽の範疇にとどめることを許しません。多くがパンデミック期に作られた本作品は、私たちに示唆めいたものを与えています。

私たちは、近代において、人と出会い他者と触れ合うことにより文化を創り上げてきました。インターネット以後も、依然としてその形は変わらなかったはずです。まさにドッツとドッツがコネクトされるように、他者と触れ合い、刺激を与え合い、発見を得ることで新たなものを生んできました。たとえば、その究極かつ最もゴージャスな体験に「旅」があったはずです。しかしパンデミックとともに生きていかざるを得なくなってしまったいま、さらには現代における旅というものを“境界なき手法で”追求していたあのデザイナーも亡くなってしまった今、私たちは極めて感性的な、ゴージャスな体験というものを失ってしまいました。それどころか、人と出会うことすらままならなくなった。さて、どうやって文化を創っていけばいいのでしょうか。多くの人が途方に暮れています。

『BADモード』は、パンデミックの影響を強く受けた作品です。ポップミュージックでありながらも常に「個人的な」音として鳴ってきたあなたの音楽ですが、それゆえに、今作はさらなる内省を超えた諦念に突き動かされているように思います。強まったエレクトロミュージックの要素はその象徴です。ところが、そこであなたは家の中に閉じこもり、機材と向き合い、あらゆる音色を探し出し、境界なきアンビエンスな世界を構築しながらも、極めてゴージャスな・・・・・・音楽を創り上げた。やはり、この点が画期的だと思うのです。文化創造において大きな転換点を迎えてしまった今の時代に、本作は全くの新しい方向を指し示しています。いや――ここまで綴ってきて、「ゴージャス」という表現は的を射ていない気がしてきました。「ゴージャス」というほど、煌びやかな印象ではない。もちろん、「リッチ」というのも違う。恐らく、『BADモード』を形容する表現は、いま少なくとも日本語には存在しないのです。新しい価値観を生み出すとは、そういうことです。ゴージャスでもリッチでもない――強いて言えば「優雅で豊かな」としか表現しようのない、新しい何かを生み出していると思うのです。生まれた瞬間から何者かによってすぐに言語へと回収されてしまう今この時代の音楽が、言語による代替を拒絶しながら存在している鮮烈さを感じます。

つまりは、こうも言えるかもしれません。人と人がすれ違い、出会い、刺激を与え合うことで文化を生んでいた時代が終わり、自ら偶然を創り出す時代になったと。たとえ自宅にこもっていたとしても、感性を開くことで、贅沢に生きることができるのだと。『BADモード』は、新しい時代の新しい贅沢を提示した作品なのです。旅に出なくてもいい。家にいながら、何かと向き合い、偶然性を誘い、感性を開き、境界をなくし思考していくことこそが贅沢なのです。

脱J-POP

『BADモード』は、J-POPから脱しました。もはやここにはJ-POP的なメロディやフォルムはない。ボーカルは歌い上げることを忘れ、リズムとニュアンスで成り立っています。同時に、あなたがイギリスの地から試みたアプローチとは異なる方法で、この日本でもJ-POPの解体がみるみる進んでいます。特にこの数年で、日本のポップミュージックの見取り図は大きく変わりました。ジャズやメタルといったジャンル音楽にルーツを持ちながらそれらを時にマニアックに、時にポップな抜け感のもと再構築するバンド/ミュージシャンが新たなメインストリームを担うようになりました。依然として音楽を通じさまざまなリアリティショーを仕掛けるアイドル音楽も優勢です。一方で、長年アンダーグラウンドで巨大な根を張ってきた勢力が若い世代のスタンダードとしてますます支持基盤を築いています。BPMを上げ、性急な譜割りでノリを獲得しようとするボカロ系界隈。日本語と英語を境目なくフロウに落としていくヒップホップ/ラップミュージック勢。これまでのJ-POPとは全く異なるそれらは、地に足の着いたリアルな音楽として顕在化してきました。

そう、リアルなのです。ある種の虚飾/虚像にまみれながら起伏ある展開で甲高い歌を歌ってきたJ-POPから遠く離れて、リアルな音楽が新たな支持を集めるようになりました。そして、リアリティを反映しているからこそ、今の日本の音楽はどこかこじんまりともしています。日本は急速に貧困化しているので、それもまたリアルなのです。エンタメやショウビズとしてよりも、地に足のついた優れた音楽に溢れているいまの日本のポップミュージックを、私は誇りに思っています。

もちろん、隣国や英米の状況が気にならないわけではありません。もはや日本のポップミュージックはそこでは勝負していない、もしくは勝負できないですが、大衆性と芸術性の両立を凄まじいスケールで完遂しているミュージシャンも海外にはたくさんいます。そういった意味では、もはや日本に“贅沢”な音楽は存在していません。ただ、そういった対立軸とは明らかに異なる方向性を打ち出したのが『BADモード』なのではないでしょうか。つまり、贅沢の基準を、贅が尽くされているか否かという観点では測れない、ある種の質的な軸にシフトさせていると思うのです。ゆえに、やはりそれはゴージャスやリッチといった類いのものではない。

旅、そしてパンデミックの終わり

いよいよ、この曲に触れなければなりません。そう、「Somewhere Near Marseilles ―マルセイユ辺り」です。恐るべきことに、これは旅についての曲なのです。最後の最後で家を飛び出し、オーシャンビューの部屋を予約しようと企むこの楽曲は、英語と日本語が並列に並べられたうえで完全に“音”へと奉仕している。しかし、ロンドンにいるあなたと落ち合う場所はなぜマルセイユなのでしょうか。そもそもなぜ相手はパリにいるのでしょうか。あなたは音楽として、ただの音の連なりとしてこれらを提示しているからこそ、私はこのリリックをフィクションであり純粋な音として捉えたい。

前作『初恋』で、あなたは「あい」を歌いました。「あなた」という楽曲では「あい」の韻がこれでもかとしつこく踏まれましたが、それは安易な「愛」を歌うラブソング的定型からの逃走であり、「あい」という音の響きから想像しうる可能性を無限に開いていく、批評的な試みだったに違いありません。そして、「Somewhere Near Marseilles ―マルセイユ辺り」では、再び「あい」による音世界が展開されます。「パリ」は「あい」です。英語の発音を通して、「あい」という日本語への文脈を接続させる。「ぼくはロンドン、君はパリ/この夏合流したいね/行きやすいとこがいいね/マルセイユ辺り/Somewhere near Marseilles」というラインは、「パリ・・」「したい・・ね」「あたり・・」と、「あい」が連続で畳みかけられます。

ただ、私は「Marseilles」の「あい・・」に挟まれるかすれた「se」の響きが気になってたまりません。無声で発音される摩擦音のサ行、その擦れ方・・・は、得も言われぬエロティックな響きをもたらしています。何かと何かが摩擦し擦れ合うこと、それは人と人が出会い何かを生み出すさまを想起させます。続いて「In the twilight/In the sunshine」と連呼し、ここでもまた「sunshine」という摩擦を起こし、サ行のせつなさを発します。最後、旅に出る――行先はオーシャンビューの部屋。ここで「オーシャンビュー」と「予約」でライムするあなたは、「予約」にダブルミーニングとして「ようやく」を設定し、長かったパンデミックの終わりをさりげなく演出します。ゴージャスともリッチとも異なる、優雅で豊かな新しい“贅沢”の概念は、長い長いストーリーによって幕を閉じ、私たちは自らの価値観を揺さぶられることになります。

私は『BADモード』がリリースされて以降、さまざまな人とこの作品について対話を重ねてきました。あなたの作品はポップミュージックとして新たな価値観を創ってしまったゆえに、いまこの共通言語に追いつこうと、世の中が動いています。もしかすると、少し時間がかかるかもしれません。熱心なリスナーには、「少し遠い気がして、実際にライブで聴くまではうまく飲み込めない」と言っていた方もいました。そうですね……ぜひ、ライブでこの作品を体感できる日が来ることを待ち焦がれています。それまで、自身の感性とあなたの音楽を頼りに、日々を精いっぱい――贅沢に・・・生きようと思います。

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女性ラッパーたちが提示してきた“粋(いき)”と、2009年という転換点について/連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第17回 https://tokion.jp/2022/01/28/shockwaves-in-contemporary-music-and-fashion-vol17/ Fri, 28 Jan 2022 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=91939 気鋭の文筆家・つやちゃんが「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を紐解く連載コラム。最終回となる第17回は、国内シーンにおける女性ラッパーのクリエイションの核心と軌跡を論じる。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

最終回となる第17回は、“粋(いき)”という概念を参照しながら国内シーンにおいて女性ラッパーたちが提示してきたクリエイションの核心を論じつつ、転換点となる2009年の状況をモード史と重ね合わせながら紐解いていく。

ファッションを手掛かりに、ヒップホップ(史)が編み出す想像力を読み解くこと

本連載では、ストリートミュージック――中でも近年ミチバタで起こる営み、その生々しい吐息を発してきたヒップホップが、ファッションと分かちがたい関係を織りなしているさまをあぶり出してきた。ヒップホップはその息づかいにおいて、無意識のレベルで/奥深いところでファッションと艶めかしく呼吸し合っているという状況が多少なりとも解き明かされたのであれば、連載の目的は果たされたことになる。

繰り返すが、両者の絡み合いは、2010年代半ば以降モードファッションとストリートファッションが接近し既存の階級構造が大きく揺さぶられたこと、同時にラッパーやダンサーがラグジュアリーブランドを身に纏うようになったこと、といった変化のみを指すわけではない。「グッチ」や「シャネル」というブランド名がリリックに引用されるという、ヒップホップ的態度を補強する試みが反復されていることを強調したいわけでもない。私が記しておきたかったのは、「グッチ」や「シャネル」という言葉が生む“音”としての響きとブランドの背景が物語を生成し、驚くべき生命力を発揮しながらヒップホップがアートとして自律しているということについてである。

連載終盤の回で扱った、スニーカーやジーンズといったファッションアイテムについても同様である。本来ストリートのものであったそれらが近年モードによって再定義され新たな文脈が与えられたのは確かだが、実はトレンドという単純な話では片づけられない部分で、ヒップホップはそれらアイテムと絡み合っている。ラッパーが履くスニーカーに、“白と黒の反転”というヒップホップのコア思想が宿っていること。いわゆる“腰パン”によって路上を引きずられるジーンズの裾に、“変えられない自らの出自”というヒップホップの神髄を支える要素が背後霊のようにつきまとっていること。イマジネーションは事実をはるかに超える。ヒップホップ(史)によって編み出される想像力は、表象としてのファッションを手掛かりに、その作品へ壮大なストーリーを付与し得るのだ。

国内女性ラッパーたちのクリエイションの根底にある、“粋(いき)”という概念・美意識

「日本のカッティングエッジなカルチャーを紹介する」メディアであるTOKIONゆえ、本連載ではこれまでさまざまな“国内”のラップミュージックを題材にヒップホップとファッションの引き裂き難い戯れを明るみにしてきた。そこで最後にもう1点論じておくべきことがあるとしたら、日本のファッションそれ自体を支えてきた“粋(いき)”という概念、その捉えどころのない(からこそなかなか理解されにくい)美意識がヒップホップに与えてきた影響について、である。実は多くの女性のラッパーによって導入されてきたと思しきヒップホップにおける“粋”なアプローチは、微妙な匙加減であり容易に把握しづらいニュアンスであるからこそ、これまであまり脚光を浴びることはなかったように思われる。そもそも“粋”という概念が花開いた江戸時代は、階級社会というピラミッド構造が強固であり、奢侈禁止令も発令され慎ましやかさが奨励された時期であった。そのような状況において、抑圧された環境下で独自の美意識を花開かせた粋な文化は、同様にプロップスの積み上げによるピラミッドを形成する男性中心のヒップホップゲーム構造の中で、時に“軟派”と揶揄されながら表現を見せてきた女性ラッパーたちの取り組みに近いものを感じてならない。(そしてそれはUSの女性ラッパーにはあまり見られない芸当であった。)

“粋”とは、崩しである。いわゆる国内ヒップホップ史において重要な男性ラッパーたちが極めてストイックな形で韻律によるリズムを紡いできた一方で、ごく一部の男性ラッパー、そして女性のラッパーはそれら尊厳や威厳に満ちたラップに対し遊び心をふんだんに取り入れたどこかルーズな表現を披露してきた。MAJOR FORCEよりデビューしたORCHIDSに始まり、FUNKY ALIENやHAC、YURIを経てHALCALIやY.I.M、chelmicoに至るまで、ヒップホップ的様式美をあえて崩すような“ゆるい”ラップやノリは、ラップゲームに“崩し”という新たな視点を持ち込んだ。

HALCALIの1stシングル「タンデム」(2003年)
chelmicoの1stシングル「ラビリンス’97」(2015年)

加えて、“粋”とは色っぽさでもある。歌川広重の『湯上り美人図』を引くまでもなく、湯上りの火照った姿はたとえば粋な文化として江戸期に花開いた浮世絵に多く見られる情景であり、露わになる体温と吐息のあたたかさ、その無防備な親密さが生む色気を江戸文化は細やかに描写してきた。たとえば、Daokoや泉まくらが発した息づかいは、それら色っぽさを(従来の女性ラッパーに多かったセクシーとは異なる意味で)ヒップホップに取り入れた顕著な例だろう。色っぽさとはちらつかせほのめかす行為でもある。初めから全てをさらけ出すのではなく、せめぎ合いを演出し生み出すこと。Daokoは、そういった意味でも非常に興味深いラッパーだ。執拗に硬い韻が詰め込まれるリリックは緻密な技巧性を含んでおり、だからこそ時折顔を覗かせる体温が聴く者を分裂させ、崩した色っぽさを匂い立たせてきたように思う。

Daoko「fighting pose」(2021年)

あるいは、安室奈美恵のアプローチを思い出してみたい。R&B/ヒップホップへと大きく転向することになった2003年『STYLE』において、彼女は冒頭「Namie’s Style」で「こんな感じはどう?It’s Namie’s style/みんな待っていた? Here is my nu style」と歌った。その後の国内ヒップホップ史の歩みを振り返った際に極めて重要な位置づけとなる本作だが、当時すでにポップスターとしての地位を揺るぎないものにしていた彼女が様子をうかがいながら、探るようにプレゼンテーションする様子は、いわゆる“チラ見せ”というせめぎ合いを見事に演じていた“粋”な演技だったと解釈することもできる。

安室奈美恵「Namie’s Style」(2003年)

画期的なのは、浮世絵のように男性作家が女性を描くことで“粋”を表現していた時代と異なり、ヒップホップでは女性自身が立ち上がりマイクを握りしめ艶っぽさや色気を作品に閉じ込めてきた点であろう。もちろん、それら大半のパフォーマンスは意図的に行われてきたものではないかもしれない。女性のラッパーたちが時代と自身を鏡として捉えながら真摯に表現してきた先に、結果的に“粋”とも言える要素がヒップホップに持ち込まれたと言える。女性ラッパーたちの作品によって、私たちがヒップホップを楽しむ視点は、多少なりとも広がることとなったのだ。

RUMIとCOMA-CHIの傑作が生まれた2009年という分岐点の前後、ファッション史にも大きな転換が訪れていた

女性による国内のヒップホップ史を紐解くうえで大きな分岐点は、2009年であろう。RUMIが『HELL ME NATION』でダークさとユニークさの両立により自らの三部作を完結させたこの年に、COMA-CHIは『RED NAKED』でメジャーデビューを果たした。むき出しの赤という、“粋”とは極めて対極にある色使いがタイトルに冠されたことはさまざまな意味で示唆的であるが、しかし叩き上げで男性と肩を並べシーンの最前線までのぼりつめた彼女が、メジャーレーベルで女性を代表するラッパーとしてメッセージを発するというのは必要なステップであったに違いない。同時に、この時期は国内邦楽シーン自体がヒップホップ冬の時代に突入したタイミングでもあった。

RUMI『HELL ME NATION』(2009年)
COMA-CHI『RED NAKED』(2009年)

実は、2009年前後はこの数十年の国内女性ファッション史においても最も大きな転換点だったと言える。フィービー・ファイロが2008年にセリーヌのクリエイティブディレクターに就任して以降エフォートレスなミニマリズム・スタイルがこの国においても凄まじい勢いで浸透し、フィービー以前/以後と言える程のファッションの変化が起こった。国内においてその潮流は2011年の東日本大震災によって決定的になり、以前のさまざまなトライブ発のコンテクストに立脚したスタイルから、それらを引用しつつもベースに素材の魅力を活かすリラクシングでカジュアルなスタイルへと大きな地殻変動を起こすことになる。「作りこみ装うファッションから、ライフスタイルを起点とし匂わせるファッションへ」とも言うべきその展開は、スニーカーやニットワンピース、スポーツウェア、さらにはナチュラルで質感重視のメイクなどを女性たちのベーシックへと押し上げた。肉体改造や美容医療といったアプローチも一般的になり、結果的に、それらは“ファッション”よりも“その人自身”を前景化させるきっかけにもなった。

時代の呼吸を伝える音楽としてのヒップホップに耳をすまし、移ろいゆくファッションの表象を拾い集める

ファッションの大きな転換と呼応するように、女性ラッパーも変化していった。MCバトルで名をあげ、ある意味で既存の男性中心のヒップホップ像に接近した音を“盛り”ながらリッチな完成形を打ち立てたCOMA-CHIとRUMIの両作品を一つの頂点としつつ、新たな女性ラッパーたちはラフに伸び伸びと自身の魅力を表現し始めた。2010年代以降に支持を集めたDaoko、Awich、NENE、Zoomgals、lyrical school、それらラッパーたちは重なり合う部分がほとんどないくらいに多種多様なスタイルであり、それぞれが男性視点のヒップホップ観からは遠く離れたニュアンスを少なからず擁している。

Awich「口に出して (Prod. ZOT on the WAVE)」(2021年)
Zoomgals「生きてるだけで状態異常」(2020年)

だからこそ、ファッションと深い部分で密接に絡み合いながら時代の呼吸を伝える音楽として進歩していくヒップホップは、男女ともに優れたラッパーが今後ますます介在していくこと、性別を超えてクロスオーバーしていくことで、鋭い表現として人々の価値観を揺さぶっていくだろう。現代口語の実験は、身体を包む装いと呼吸し合いながら、今この瞬間も違和感のある音の響きとしてストリートで鳴り、インターネットを駆け巡り、誰かの身体と精神の痙攣を喚起している。音と言葉の戯れ、移ろいゆくファッションの表象は取るに足らないものとしてミチバタに捨てられていくがゆえに、私たちは今後も耳をすましてそれらを拾い集めていかなければならない。そして、あなたは間違いなく、その当事者の1人として存在している。

<参考文献>ポーラ文化研究所編著、2019年『おしゃれ文化史 飛鳥時代から江戸時代まで』秀明大学出版会

Illustration AUTO MOAI

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LEXと3ブランドのクリエイションから考える「ドメスティックの逆襲」/連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第16回 https://tokion.jp/2021/12/31/shockwaves-in-contemporary-music-and-fashion-vol16/ Fri, 31 Dec 2021 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=83836 気鋭の文筆家・つやちゃんが「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を紐解く連載コラム。第16回は今年目覚ましい活躍ぶりを見せた国内ラッパー・LEXのクリエイティビティに迫る。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

第16回の主役となるのは、今年もっとも輝かしい活躍ぶりを見せた国内ラッパーの1人であるLEX。同時代の海外のクリエイションからの影響を独自のアウトプットに昇華するその卓越したクリエイティビティの在りようを、先に開催された東京ファッションウィークにおいて優れたコレクションを展開した3ブランドの分析を糸口に論じていく。

「ヨシオクボ」「ホワイトマウンテニアリング」「カラー」のコレクションに見る、「海外」と「日本」の関係

LEXが、2021年有数の話題作となった『LOGIC』をリリースしたのは9月末のことだった。熱狂をもって迎えられながらもなぜかあまり論じられずにいるこのラッパーについて考えるにあたり、同じく9月上旬に異ジャンルでどこか近しい動きを見せていた表現者たちがいたことをまずは指摘しつつ、ゆっくりと本題に入ることにしよう。とはいえ、これはただの迂回ではない。本稿は、LEXの魅力をあぶり出すべく、遠く離れたトピックから歩みを進めていく。

異ジャンルの表現者とはつまり何人かのファッションデザイナーであり、LEXの『LOGIC』から先立つこと約1ヵ月、長引く緊急事態宣言下で開催された2022年SSの東京コレクションを指している。いくつかの興味深いプレゼンテーションの中で目立ったのは、世情の変化もあり改めて東京の地に戻ってきたドメスティックブランドの動きであった。例えば、5年ぶりにミラノから帰ってきた「ヨシオクボ」は、“Warrior”=“戦士”を切り口に和服のさらなる再解釈に挑んでいた。

yoshiokubo 2022 Spring/ Summer Collection Film Directed by Oudai Kojima

9年ぶりにパリから帰ってきたブランドもいる。「ホワイトマウンテニアリング」は、珍しく女性のモデルを起用し新宿御苑という自然の中で颯爽とショーを披露していた。これまで同様にモダンなハイテク素材を駆使しながらも、“黒”という、ファッション史においてドメスティックブランドが極めて大切にしてきた色使いへの挑戦は注目を集めた。

White Mountaineering | 2022 Spring-Summer collection

昨シーズンに続き、「カラー(kolor)」もパリではなく東京でショーを行った。そして、こちらもまたハイブリッドなパッチワーク的手法でブランドの個性を尖らせながらも、京急電鉄の車内をジャックすることで私たちが生活を営む日常の風景を付加してみせた。

kolor Spring Summer 2022 Runway Show

「ヨシオクボ」も、「ホワイトマウンテニアリング」も、「カラー」も、海外でのショーで磨いてきた高い技術を、国内のショーで新たな“国内らしい”捌きで料理することによって鮮やかな空気感を創出している。徐々に賑やかさを取り戻すファッションシーンの躍動感を感じながら、中でもドメスティックブランドによるルーツを見つめ直すような手法に見惚れながら、その新たな風を噛みしめているうちに、秋が到来し『LOGIC』はリリースを迎えることとなった。

USトレンドを独自の母音捌きへと昇華させる、LEXの革新性

絶賛も批判も浴び続けるLEXに関して、ひとまずは言及されているいくつかの特徴を並べてみよう。“若くして溢れるソングライティングの才能”、“SoundCloud発アーティストの代表”、“国内でも群を抜いて多様なフロウを持つラッパー”、“USラップトレンドとの共振”、“lil uzi vertの影響”……そのどれもが恐らく正しい。もう一歩踏み込んで、“USの最先端のラップを日本語にトレースする技術”について次のような指摘もなされている。

“例えば LEX の『!!!』にしても、OZworld の『OZWORLD』にしても、英語にちゃんぽんされている日本語含め、海外の人が聞いても、この曲って英語も聞こえてくるけど別の言語も少し入ってるよね、くらいの感覚で聞けるというか。”

“曖昧母音を多用したり、あるいは開音節から母音を引いて閉音節にしてしまったりと、子音や母音のレヴェルで発音を英語的なものに近づけているわけですよね。5lack や冒頭で触れた LEX もそのような系譜にあると思います。”

ele-king 日本語ラップ最前線 ──2019年の動向から占う日本のヒップホップの現在(前編)吉田雅史の発言より

キャリアハイのヒットを記録した「なんでも言っちゃって feat.JP THE WAVY」ではLEXらしからぬ極めてニュートラルなラップを聴かせることとなったが、それもまた彼の多種多様なフロウの1つに過ぎない。上記で触れられている通り、LEXが基本的には“曖昧母音”や“開音節から母音を引いて閉音節”にする技法を尽くしながら、時にUSのトレンドにも接近しつつ日本語を崩していくアプローチに賭けているのは間違いないだろう。

LEX – なんでも言っちゃって (feat. JP THE WAVY)

「なんでも言っちゃって」同様、TikTokで人気を得たLEX, Only U, Yung sticky womの「STRANGER」では特に日本語の崩し方が顕著であり、たとえば「服を脱がす/ていねいにていねいに」というラインは「い」が抹殺され「服を脱がす/て(い)ね(い)にて(い)ね(い)に」と発音される。ロンドンのBEXEYと組んだEP『LEXBEX』収録の「V.I.P.」では「携帯が鳴る」が「け(い)た(い)がなる」と崩されることでここでもまた「い」が失われ、さらに「Loyalty」では「お前が寝てるタイミング/俺は元気」の「お前が」に対し明確に「Oh My God」という発音があてられる。

LEX, Only U, Yung sticky wom – STRANGER

「V.I.P.」も「Loyalty」もLEX特有のザラザラ/ガラガラした――どこかニワトリやガチョウなどの家禽が鳴いているような――粗い声が披露されることで、その凹凸の網目からボロボロと母音が落ちていくさまがあらわになる。限りなく英語に擬態した日本語や強引な母音省きは、コントロールされた言語の取り扱いとして加速度的に巧みさを増し、現行の日本語ラップシーンにおいても革新性を先導しているように映る。

コントローラブルな局面が、エモーションに傾く時に見せる煌めき

ところが、LEXの日本語に対する距離感は、『LOGIC』で新たな局面を迎えてもいるだろう。例えば、相変わらず「俺の」を明確に「Oh No」と、「ノリであける」を「ノリだけ」と崩して歌う曲「Venus」において、激しい吐息とともに母音が延ばされる演出を聴き逃してはならない。ワードをつなぐリアルな息継ぎが録音されるこの曲では、いつものコントロールし尽くされたフロウを畳みかけるLEXにはないフィジカリティが顕在化し、加えて「Woah, woah, uh, uh, yeah, yeah」というリピートによって執拗に母音が強調される。

LEX『LOGIC』

いや、むしろアルバムのオープニングを飾る「GOLD」から、母音を印象的に操る態度が堂々と展開されていた。いつにも増して力を込めた歌唱が表現されるこの曲において、LEXは「もっと行きたい上」と繰り返し歌う。そう、驚くべきことにここでは英語に擬態し母音省きを追求してきた技術鍛錬の先で、「もっと上に行きたい」という願いとともに、実にシンプルな形で「上」=「うえ」という母音がはっきりと、力強く、何度も繰り返し発されるのだ。

実は、「GOLD」で見せたその萌芽はすでに近作で姿を現しはじめていたと言えよう。2021年を代表するナンバーになった、KM「STAY feat.LEX」を聴いてみたい。あなたは、この曲のヴァースを忠実にヒアリングできるだろうか?LEXは冒頭で次のように歌っている。

「ランウェイを歩くモデルとのデート/すぐにさかけてiPhone/台湾 South Americaの/友達と遊ぶ/モデル撮影しないと/そんなの平気平気/たまにget high一人/誰かのせいにせいに/して弾けたRain」

KM – Stay (feat. LEX)

もはや全くと言っていいほど日本語の原型を留めていない本ヴァースで、ひと際目立って聴こえてくるのが「iPhone」というワードだが、この「iPhone」をキーワードとしながらLEXお得意のコントロールされた“英語に擬態した日本語”はスリリングな展開を遂げていく。KMによる、音の粒子を膨張させ弾けさせるようなノイジーでエレガントな処理に乗って、LEXはいつになくエモーショナルに日本語を発していくのだ。

「好きなもんだけを着せたい/たまにあるよ仕方ない/事とかも越えてく愛/そんなの平気平気/たまにGet high一人/誰かのせいにせいに/して弾けた/Rain」

「着せたい」「仕方ない」を「愛」で受け、そこからさらに「平気」「high」「せいに」「Rain」と押韻を畳みかけていくこのフックでは、見事なまでに母音がクライマックスとして設定され、感情の爆発を誘発する。中心に位置するのは「愛」=「あい」であり、「iPhone」とも接続する形で母音の応酬を仕掛ける本曲のある種のベタさは、これまで閉音節を繋いできたLEXのディスコグラフィーにおいて、大きな意味を持っているように思えてならない。

ゆえに、こう述べることもできるだろう――慣れた手つきで英語を日本語にトレースし続けるLEXの技術は素晴らしいが、コントローラブルな局面を超えてエモーションへと傾く瞬間に、彼の魅力は一層際立つ。例えばそれは、感情に乗って伸びる母音や突然入る吐息にこそ宿っており、それらせめぎ合いが極めて美しい形で披露されたのがKM「STAY feat.LEX」であって、見事に結実したのが「GOLD」であろう。ある意味では、Sound Cloudで繊細な歌声に乗せて「Flower」を感傷的に歌っていた過去のLEXのルーツが再起動されていると言えるかもしれない。

LEXは時に批判される。USのラップ、そのフロウを日本語に変換しているだけだと揶揄される。しかし、母音を抹殺することで独自の日本語の響きを生み出した彼は、今、母音を誰よりも感情に乗せて身体性を表出させる息づかいを聴かせながら、現代口語の最先端の実験を遂行している。私は、それら母音のベタベタした、生々しい発音を聴きつつ、いくつかの国内ファッションブランドが挑んでいる創意工夫を思い出していたのだった。ドメスティックの逆襲は、至る所で着々と進んでいる。その先頭で、LEXは体を張って戦っている。

Illustration AUTO MOAI

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「もっといかがわしい奴が出てこないといけない」――“色気を超越した崇高な下世話さ”を欲して彷徨う神出鬼没のDos Monos、2021年を総括する ―後編― https://tokion.jp/2021/12/26/interview-dos-monos-2021-part2/ Sun, 26 Dec 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=82342 Dos Monosがこの1年を総括。多岐にわたるコラボ、そこで露呈する色気と下世話さについて。「ハッタリ感に世間が振り回される1年になってほしい」

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前編はこちら)

2021年のDos Monosの活動における<音楽面>について語ってもらった前編に続き、後編では彼等が多岐にわたり繰り広げているコラボレーション、そこで露呈する“色気を超越した崇高な下世話さ”について独自の議論を展開してもらった。

ポップになるためには、自らをさらけ出して見世物になる必要がある

――荘子itさんをはじめとしたみなさんの神出鬼没の動き、つまり音楽に限らずあらゆるジャンルのおもしろい方々とコラボや対談を繰り返し、硬直した価値観を柔らかくする試みを繰り返すことで、Dos Monosの動向に対する受け手の期待はかなり高まってきているように感じます。ある意味、随所でバグを仕掛けて思考を揺さぶっていくキャラクターが確立されてきており、そこにみんながポップさを感じはじめているようにすら思うのです。それはDos Monosらしいことなのか、Dos Monosのみんなさんは果たしてそれを求めているのでしょうか。

荘子it:「Dos Monos面白いことやってるね」とはみんな言ってくれるんですよ。特に業界内ではその反応が多くてそれ自体はいいことなんだけど、でもポップさの地点に行くには、もっと自分をさらけ出して見世物になっていく必要があります。

――「さらけ出す」というのは具体的にどういったことを言うのでしょうか。

荘子it:アーティストが自分の作品について語るっていうのは、究極的には「こう見てほしい」ということだと思うんです。でも、その先に「あのアーティストってこう言ってはいるけど実際はこうだよね」って半分茶化されるようになってからが本物ですよね。尊敬される映画監督なんて、大体批評家に人間としてのダメなところを追及されはじめる。ドゥニ・ヴィルヌーヴとかも女性崇拝が強過ぎてフェミニズムからしても完全にアウトになってしまってるみたいな(笑)。そういう作家の抱える難題をオーディエンスに見破られてからが勝負なわけで。それを隠せているうちは幸福なようでいて、クリエイターとしてはまだ土俵に立てていない。

まあ、ドゥニ・ヴィルヌーヴはあまりに精神分析的すぎる愛でられ方だからそれはあまり好きではないんですけど(笑)、それでもある意味えぐられるような、見てほしくないところを見てもらえるようになったらいいですよね。ポップさって、つまり「いじりがい」があるかってことなんじゃないでしょうか。「やってることかっこいいよね」って感じじゃなくて、「なんかあいつらうざいんだけど」っていうくらい下世話な感じ(笑)。でも自分達は、まだそこまでは全然行っていない。

没 a.k.a NGS:『蓋』(2020年9月にテレビ東京の深夜枠で突如放映された実験的番組。番組と連動してDos Monosの新曲やMVが公開された)でも、特にそんなに悪口とかなかったですからね。

Dos Monos – OCCUPIED!

荘子it:『蓋』は、いつものDos Monosリスナーは全然反応しなかったですね。沈黙だった。そうじゃない、別の層の方が騒いでましたけど。でも普段とは全く違う層で勝負できるっていうのはすごくいいことだと思っていて、ああいった動きは自分達自身の交通を変える意味でもすごく良かったです。交通を作るだけじゃなくて、自分達自身も交通していかないと。

自分で自分に退屈してしまう絶望感。「音楽ってもっとおもしろいはず」

――おっしゃる通り、Dos Monosを知っているリスナーは『蓋』に対してすでに「Dos Monosっぽさ」を前提としたスタンスで臨むところがあるので、本当に重要なのは『蓋』起点でDos Monosを聴いた方の反応ですよね。実際、そのあたりの反応はどのようなものがあったか耳に入られていますか?

荘子it:『蓋』を考察する、みたいな人は多かったですよね。でも、第一義的にどんでん返しや伏線のような考察のしがいを必要とする人達ってどうなんでしょうか。別に娯楽と割り切って観てるわけだからそんなこと言われても大きなお世話かもしれないですけど。とはいえ、批評の方に居直って「だからこそ批評が偉い」なんて時代錯誤なことを言うつもりはない。

となると、やっぱり必要な回路って「考察しているうちに本当の快楽を知ってしまう」みたいなことしかないと思っています。文化資本の高い人達が言うような、「わかっているやつが分かっている」的なことってそれはそれで尊いけれど、Dos Monosはそこを突き破っていきたい。考察する人達の、そのうち数人が本当に覚醒しちゃうみたいなことをやっていきたいんです。

――なるほど、どの程度覚醒させられたかですね。

荘子it:でも実際は、「『蓋』の考察を楽しんでたけど最後ヒップホップグループの宣伝だったのがわかって冷めた」みたいなことを言ってる人も一定数いましたね。まあ、そんな感じで、悲しいかな何も芽生えなかったねっていう出会いがほとんどですよ。人生なんてそんなものです。出会いなんて大体そうじゃないですか。何にもならない、単なる快楽だけが残ったね、みたいな。でもその中で、低い確率ですごいことが生まれるかもしれない。そうなるには、ある程度までは交通量を増やすしかないです。コンセプトと譲れないポイントを守りながら、ちゃんと交通をしていきたい。あとはもう確率の問題なので。

TaiTan:自分の場合、オードリー・タンとコラボしましたとか、DAWを使った広告やりましたとか、その積み重ねによって「Dos Monosってそういうことをやるグループである」という認識が盤石になっていくっていうのは、ちょっと前までは興味がありました。そういう意味では『蓋』も成功だったのかなと。ただ、そればかりが期待されはじめると、もう予想の範疇になってしまう。自分で自分に退屈しちゃうっていうことへの危機感はすでに芽生えはじめていますね。

Dos Monos – Civil Rap Song ft. Audrey Tang 唐鳳

――なんとなく、そう思いはじめているのかなって気はしていました。

TaiTan:もっと他のアーティストに関しても奇想天外な動きが見たいんですよね。もっと派手に驚きたい。俺等くらいの、どこの事務所にも所属してなくて資金もたかが知れてる人達がアイデア次第で色んなこと仕掛けられるのに、もっとリソースを持ってる人達って世の中いっぱいいるじゃないですか。僕等よりよっぽど潤沢な予算がある人たちが、それなりに曲作ってMV作ってってルーティン回してるだけってなってしまうのは、1リスナーとしては物足りないというか。別に批判してるわけじゃなくて、自分は「そのやり方があったか」っていうのを常に求めているので。カニエ・ウエストみたいな、ヤバいことする人が日本から出てきてもいいのになって思います。もっとそういう人達に振り回されたい。

荘子it:みんなで祭りを起こしていきたいんですよね。僕等って本当に、果てしなく非力なので。1人のアーティストがかっこよくても、一部の好事家が喜んでるだけで全然意味ないじゃないですか。もっと大きい存在が動いていかないと、文化として社会に還元していかない。そういうことを嫌う文化人もいるけど、自分は同意できない。もっとみんなでやっていきたいですよ。

TaiTan:「音楽ってもっとかっこいいはずなのに」っていう気持ちが最近すごく強いんですよね。みんなで右にならえで曲作ってMV撮ってルーティンをまわしてるのって、音楽とかやってる人達が最も忌み嫌うべき態度なはず。すごいつまんないじゃないですか。そこに対してずーっと退屈な気持ちや渇望感がある。音楽ってもっとおもしろいはずなんですよ。だから僕は、同じような志を持っている色々な領域の人達と結託して、どんどんたくらんでいきたい。

――そろそろ、「Dos Monosおもしろいよね」って言ってる人達も、ただおもしろがっているだけじゃなくて一緒におもしろいものを作っていくことになるといいですよね。

荘子it:自分はずっと10代の頃から、文化的な領域だけで交通を考えていたんです。シネフィルカルチャーやクラブカルチャーがもっと深いところで結びついたらいいのにな、両方繋げることができたらなって思っていた。自分達は、ある意味その部分は結構成功していると思います。でも、それはまだ文化の領域での交通で、たとえば経済へは結びついていない。自分たちは別に雇用も生み出せてないし。結局、文化をめちゃくちゃ本気で考えていくとそこにたどり着くんですよね。最初はそういう考えをしていなかったからこそ、最近はクリアに見えてきました。

三者三様にアプローチした『ドキュメンタル』のタイアップ新曲

――新曲「王墓」は『HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル』とのタイアップ曲ですが、これもまた意外な展開の1つでした。

荘子it:『ドキュメンタル』からは最初は「既存曲を使わせてください」って来たんですけど、こちらから、必ずもっと合うものができるから新しい曲を作りたいと申し出ました。

TaiTan:昔の曲使っても発展がないし、向こうに何を提示したらおもしろいコラボレーションになるかと。

荘子it:僕とTaiTanはお笑いの要素をちょっと入れたりもしたんだけど、没はそうでもなかった。自分は日本文化の中におけるお笑いについて書いて、TaiTanはもっとちゃんとお笑いの戦いの内側の視点に入っていった。

TaiTan:俺のはもうほとんど『ドキュメンタル』を作ってきたチームに対するラブレターというか(笑)。

荘子it:そうそう(笑)。自分はもう少し一歩引いたところから書いて。で、フックを挟んで没はお笑いに一切関係ないことを書いている。でもそれも、没の中で「いつもと変わらないスタンスで書いたほうが、広がりがあっておもしろくなる」っていう考えがあって。結果的に、3人がそれぞれ考えたうえで、クライアントワークを決められた枠の中だけで返さずにやっている。俺とTaiTanはそれぞれのプロ意識でクライアントワークを想定以上におもしろくしてやろうって思っていて、没はある意味アマチュアリズムの極致としてそれをやらないっていう判断。

没 a.k.a NGS:俺の場合は、普通に音楽でそこを破っていけるようなことをしてるからメタ的なことをわざわざやらなくても、という感覚。音楽でヤバかったらヤバいと思ってるから。自分は普通にMVも好きだし、そういう消費をしている人だし。Dos Monosの中だからこそそういった自分のおもしろさは出ていると思います。

荘子it:配置なんだよね。意見を突き合わせるとそれぞれが対立しているように見えるけど、それをうまく配置することで、Dos Monos全体としてはいい感じのものになる。

没 a.k.a NGS:自分はずっと葛藤してましたけどね。今はもうその配置をしてるっていうのに自分で納得している。

荘子it:没は常に葛藤して煩悶してる男だから。1年前くらいは自分とかの方が主張が強かったんだけど、最近はもう俺は曲作るだけの人みたいな(笑)。一番過激なのは、両極としてのTaiTanと没で、俺はもう良い曲だけ作ればいいかなって(笑)。

「ハッタリ感に世間が振り回される1年になってほしい」。Dosが目指す2022年

――この、いろいろ行き詰まってしまっている状況の中で、音楽業界だけでなく他のさまざまな業界も含めてDos Monosの動きって参考にできると思うんですよ。今、もう全部がテンプレ化してるじゃないですか。

荘子it:みんなそれっぽいことだけは言えるんですけどね。ナマの人間っぽさが出てこないと魅力的じゃないのに、みんなきれいなものをきれいなまま横に流してしまう。それでうまくまわっているならいいのかもしれないですけど。でも、やっぱりベースはそこだと思います。まずそもそもの土台として、ちゃんとエロさを出すのが大事。いわゆるセクシーじゃない意味のエロさですね。本当に無菌のものばかりで、ちょっとでもそこに付臭したらめちゃくちゃエロいのにって思います。まずはそこさえあれば大抵おもしろいものにはなるし、世の中のおもしろいものの99%はそれだと思う。

――生身の人間の息づかいが香り立つだけで全く違ってきますよね。

荘子it:でもさらに言うと、それは結局「人間」の中でわちゃわちゃやってるなって程度でのすごさでもある。あと1%のすごいものは、「人間」を超える「神感」を持っていると思います。エロさを超えた崇高さ。そういうことを考えていると、実はDos Monosを好きでいてくれている人達よりも、そんなこと全く思ってない人達と繋がる方がすごいんじゃないかと思えてくる。そこで初めて、本当の「すごさ」が試されるのかなと。例えば、日本の最も土着的な文化としてお笑いとか野球があるじゃないですか。その中でのトリックスターとして、われわれは新庄(剛志)にならないといけないと思うんです。

没 a.k.a NGS:新庄はすご過ぎるよね。

TaiTan:みんな大谷で満足し過ぎたんですよ(笑)。僕は、もっとハッタリの効いた、いかがわしい奴をこそ待望してる節があって。だから、新庄(の北海道日本ハムファイターズ監督就任のニュース)は今年一番嬉しかったです。彼は来年、プロ野球の再解釈みたいなことを絶対やると思うんです。たとえ最下位でもファン興行として経済がまわるというような。そういうハッタリ感にも世間が振り回される1年になってほしい。たしかにスーパースター大谷はすごいけど、それだけがすごいんじゃない、こういう価値観もあるんだってみんなが発見するっていう。

――しかも新庄は、プロ野球という封建的な世界であれをやるのがおもしろいですよね。

TaiTan:だから、自分は新庄みたいな人と仕事がしたいですね。そういったセンスとコネクトしていきたい。スベっててもスベってないことになるっていう、あれってなんなんでしょう。ずっと見ていられるし、神感がありますよね。しかも、それに対して来年中日ドラゴンズは立浪が監督で、長髪禁止とかって言ってるんですよね。新庄vs立浪っていう構図は見ものですよ。新庄的な意味のわからない昭和のハッタリ感で成り立っている価値観が勝つのか、それとも旧来の昭和的価値観が復権するのか。日ハムが最下位だったら、それはそれで新庄の勝ちだと思う。

荘子it:来年のプロ野球、少なくとも日本の政局よりはおもしろくなりますね。

Dos Monos
東京都出身の3MCから成るヒップホップクルー。中核、ブレイン、メインのビートメイカーである荘子itが中学、高校の同級生だったTaiTan、没を誘い、2015年に結成。デビュー前にSUMMER SONICに出演し、その後、JPEGMafiaなどが所属しているLAのヒップホップレーベル、Deathbomb Arcと契約。海外公演などを経て、2019年3月にファーストアルバム『Dos City』をリリース。2020年7月にセカンドアルバム『Dos Siki』、翌2021年の同日にそのリメイク盤で、black midi、崎山蒼志、小田朋美、SMTK、Qiezi MaboとともにJAZZ DOMMUNISTERSが参加した『Dos Siki 2nd Season』を発表。その後9月にはアルバム『Larderello』『Dos Siki (1st & 2nd season)』(CD)をリリース。
Twitter:@dosmonostres
YouTube:Dos Monos

Photography Kana Tarumi
Edit Ai Iijima

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「もっといかがわしい奴が出てこないといけない」―“色気を超越した崇高な下世話さ”を欲して彷徨う神出鬼没のDos Monos、2021年を総括する ―前編― https://tokion.jp/2021/12/19/interview-dos-monos-2021-part1/ Sun, 19 Dec 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=82315 Dos Monosがこの1年を総括。SMTKや崎山蒼志とのスリリングな競演、彼等自身が考察するDos Monosのおもしろさとは?

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結局、“色気”と“下世話さ”なのだ。彼等ははっきりとそう言っている。

3rdアルバム『Dos Siki 2nd Season』のリリース、テレビ東京の実験的番組『蓋』と連動して解禁された4thアルバム『Larderello』、そして今回新たにドロップされた新曲「王墓」。その合間を縫って行われたライヴやさまざまな対談等のゲリラ的活動。突如現れては消えるDos Monosメンバーの動きは刺激的でおもしろく、世間の凝り固まった思考を柔らかくほぐしながら、それでいて私達を途方に暮れさせる生々しさを醸し出している。

その生々しさこそ、Dos Monosが言うところの“色気を超越した崇高な下世話さ”なのだと思う。今回、2021年の総括として組まれた本インタビューの前編では9月に実施されたライヴ「Theater D」やSMTKとのコラボレーションについて語ってもらった。身体的に踊れる音楽でありながらも、そこに留まらず新たな“交通”を通わせていく、つながっていなかった新しい回路が開いていく快感。そして、インタビューは後編で一気にドライブしていく。「音楽ってもっとおもしろいはずなんですよ」と力説するメンバーの会話は、最終的に「いかがわしい奴が出てこないといけない」という発言に繋がり、とある“いかがわしくハッタリの効いた”プロ野球監督の話にまで広がっていった。

相変わらず、Dos Monosのやっていることはおもしろいし、本インタビューもいわゆるおもしろいエピソードに溢れている。しかし、それを“ただ面白がっている”ことへの危機感もある。これからDos Monosが目指す地点は決してDos Monosだけでは成し得ないもので、例えば荘子itが後編で「文化を社会に還元していく」と表現するその地点は、私達のいかがわしさへの変身とハッタリ性の獲得を(暗に)要求するものであるかもしれない。

「ストイックな思い込みが晴れるような体験」。ライヴで得た新たな手応え

――2ndアルバム『Dos Siki』のセルフリメイク作『Dos Siki 2nd Season』を今年の夏にリリースされました。その後、9月のライヴ「Theater D」でそれらをゲストとともにパフォーマンスされましたね。私の周りでは、あのライヴが今年のベストだったと言っている人が多くて、本当にすごかった。リハの時点からいい感じにハマってたんですか?

没 a.k.a NGS:めちゃくちゃ良かった。リハが一番良かったです。

荘子it:意外とリハで最高の音が出ちゃうっていうのはありますね。ライヴならではの、お客さんに向けたエンタメ要素っていうのはもちろん本番のほうがあると思いますけど。

――中でも、「A Spring Monkey Song/春の猿の歌(feat.崎山蒼志、SMTK、小田朋美)」はコラボでありながらもバトルのようでした。崎山蒼志さんの歯を食いしばるようなラップや、小田朋美さん・SMTKのメンバーの地団太を踏むような演奏、それらはDos Monosのラップと調和するというよりも、戦っているように聴こえました。あのステージのマジックは一体、なんだったのでしょうか。

荘子it:もともとDos Monosって、バンドでできないこと、バンドでは出せないグルーヴをやりたいっていう思いが1作目からあったんですよ。バンドだと、それこそクリス・デイヴがグルーヴを革新したと言われているけど、あれってやっぱり人間がマシンビートを取り入れた以降の様式美があるじゃないですか。そうじゃない、もう一回マシンやDAWでしかできない変なヨレとかを出していきたいなという考えがあったので、Dos Monosはずっとバンド編成に対して憧れはありつつも、おもしろくなくなっちゃうんじゃないかという恐れや抵抗があって手を出してこなかったんです。でも、この機会にやってみようと。

荘子it:理想のグルーヴを出すためにはバンドでの練習の時間もいっぱいとらないといけないなと思ってたんですけど、セッションしたら意外と1時間ぐらいでいい感じになっちゃって(笑)。それまでのストイックな思い込みが晴れるような体験をしました。デビューから3年くらいずっと封印してきたけど、なんかあっさりいけるなと。手応えがあった。

SMTK、崎山蒼志と音を交わしたスリリングなステージ

――ゲストに、ライヴでの即興性を大切にする方達が多かったのでそういう意味でも本番はめちゃくちゃすごかったですね。あと、SMTKはスリリングさみたいなものが間違いなく出せる、その“間違いなさ”みたいなのがあるじゃないですか。一方で、例えば崎山さんはガチでスリリングなところがあると思うんですよ。狙ってやるというよりは、あのライヴでも結構ギリギリの危うい感じが出ていておもしろかった。

没 a.k.a NGS:そもそもあのライヴだからという以上に、あのサウンドの中に崎山君を入れちゃうということ自体がスリリング(笑)。

荘子it:崎山君は高校生でデビューして以降第一線でやってるけど、良い意味で場慣れしてないというか(笑)。あれは逆にすごいですよ。

A Spring Monkey Song (feat. Soushi Sakiyama, SMTK & Tomomi Oda)

没 a.k.a NGS:でもやっぱりあのメンバーはスタジオ盤で1回一緒にやってたのが大きかった。それがなくて、いきなりライヴのためにセッション始めたらなかなか苦労したんじゃないかな。

荘子it:そうだね、共通認識があったからね。でもスタジオ盤の音源も実は同時に演奏はしていない。まず、自分の「春の猿の祭典」っていう曲のドラムだけ抜いた音源に石若駿に叩いてもらって、次ベース抜いてマーティ(・ホロベック)にベース弾いてもらって、ギター抜いて細井徳太郎にギター弾いてもらって、ピアノとコーラス抜いて小田朋美にピアノ弾いてコーラス歌ってもらって……というように、1個1個引いて足していくやり方で作っていった。一斉によーいドンでバンド演奏はしていなくて、その切り貼り感、ガチャガチャした各パートがバラバラに動いている感じがグルーヴにも繋がっている。

荘子itが探る、トラックメイクに隠されたグルーヴ

――今年は、SMTKの2ndアルバム(『SIREN PROPAGANDA』)にもDos Monosとして参加されましたね。収録曲「Headhunters(feat. Dos Monos)」のトラックメイキングについて伺いたかったです。過去の音源を、記憶や感覚を頼りにサンプリングしていくいつもの荘子itさんの方法と違い、SMTKの演奏音源を元にサンプリングし作られた曲でした。ソースに対する記憶が介在しないこと、もしくはソースが「その音源しかない」という有限性によって起こったクリエイティビティの変化はあったのでしょうか。

荘子it:実はサンプリングする時って、素材になってしまえば大体同じなんですよね。記憶があるものもないものも、結局最終的には音を解体して料理していく段階になるとほとんど変わらない。それよりも、いろいろなサンプル源にあたって曲を作る時って、自分の発想を超えたいっていうのがある。いろいろごちゃごちゃやって作ってる間に、ノイズも含めてカットしきれないカサカサした微細な揺らぎがどうしても残ってしまうじゃないですか。

SMTK 「Headhunters (feat. Dos Monos)」 Official Music Video

荘子it:即興的なダンスを踊るように、その揺らぎを拾って、新しい発見をしながら作れるっていうのがいいんですよね。逆に、「あのネタ使いたいな」って使うフレーズが決まっている時は、ある意味道が見えてる状態でそっちの方はわりと置きに行っているというか。だから、そもそもそういうサンプリングの使い方はあまりしないようにしていますね。

――記憶によるサンプリングというよりは、そこで偶然性を欲していると。

荘子it:ただ、最新曲「王墓」に限っては、自分の中で4、5曲くらい決まったレファレンスがあるんです。サンプリングはゼロなんですけど、それはある意味ゴールが見えているということ。なので、いつもよりは少し自分の中に理想のイメージがあって、それを具体化していくような作り方をしました。今回、珍しくAbleton付属のベースを弾いてるんですけど、めちゃくちゃいじりがいのある音が出たんですよ。いつもはベースラインもサンプリングで作るから、自ずと異変が起きやすいんですけど、今回は鍵盤で弾いてる。でも、最初にベースラインを思いついても、結局はそれを弾いた後に音色をいじっている段階が一番クリエイティブで。

荘子it:本当に最初の、いわゆる楽譜やmidiが果たす役割は取っ掛かりでしかない。自分はあまりフレーズ自体をいじるのは興味ないんです。ベースラインもあの曲はずっと同じ。ドラムの展開を変えるのも、DTM始めたての頃は結構やってたんですけど、その欲求は、今はあまりない。TaiTanのヴァースとかはギミックのある展開が合うので必要最低限はやったりしますけど、基本的にはワンループで通しますね。

シンプルな下部構造、複雑怪奇な上部構造。Dos Monosの世界を行き来するおもしろさ

――Dos Monosの音楽って、実は身体的に聴けて「踊れる」ものが多いですよね。一方で物語的にも聴ける。前者は主に音として、後者は主に意味として聴かれていて、当然ながらその2つの回路は絡み合っています。そこの絡み合いがDos Monosの音楽のおもしろいところですよね。

荘子it:「上のレイヤー=物語的に頭で考える部分」と、「下のレイヤー=肉体的・身体的にノる部分」という上部/下部構造があって、それはウワネタとビートの関係でもありますよね。Dos Monosの場合、下部構造はわりとシンプル、上部構造は複雑怪奇なもの、という作りだと思います。自分は、過去に上部構造の探究にどっぷり漬かっていた時代もあるんです。それに対して嫌だなと思うこともあって、下部構造の下世話さというか、シンプルな強さを持ち込みたいと思うようになりました。

つまり、下部構造が踊れるものになっていて、その上で上部構造もおもしろいものにしたいと。その上部/下部の交通をしたいんですよね。例えば、最近、『やさしい女』のリバイバル上映の際に、ロベール・ブレッソンの映画について中原昌也さんとトークイベントをやったんですけど、ブレッソンの映画ってめちゃくちゃビートが効いてるんですよね。カトリック的な聖なる作家という上部構造のイメージで語られますけど、下部構造がすごくしっかり通底していて実はノれる映画なんですよ。そういったビート感は抽出して取り入れていきたい。

没 a.k.a NGS:意外に、Dos Monosってラッパーのキャラ立ち自体がおもしろいんじゃないかなっていうのがあって。みんな上部構造のことを言うけど、ちょっと引いてみたら結構キャラでやってたりもする。自分はそこで貢献していると思うし。

TaiTan:自然にビートにノらせてたら、気付いたら単語が襲来してくるというのがDos Monosのおもしろさなんじゃないでしょうかね。いつも作る時は荘子itからテーマだけが与えられて、それぞれが全く違う方向にリリックも単語も書き連ねていくんだけど、それをリスナーが勝手に繋げて聴いてくれる。そう思うと3人でやってる価値はありますよね。

荘子it:上部構造の世界だとつい下部構造がないがしろにされがちなんだけど、上部構造で物語やイデオロギーを紡いでいっても、そこに亀裂をもたらすビートでありたい。

TaiTan:でも、どちらにせよ、繰り返し聴くことでもう片方が見えてくるということはある。ビートだけ聴いてても、めちゃくちゃおもしろい単語が1つだけ聴こえてきたとかおもしろいしね。

荘子it:そう、今度は逆にただ踊ってただけなのに、いつのまにか上部構造に行ってたみたいな。その相互交通が大事ですよね。

――ライブでは、交通の回路が普段の聴取時とは違う形で突然開かれることがあるからこそエキサイティングなのかもしれないですね。

Dos Monos
東京都出身の3MCから成るヒップホップクルー。中核、ブレイン、メインのビートメイカーである荘子itが中学、高校の同級生だったTaiTan、没を誘い、2015年に結成。デビュー前にSUMMER SONICに出演し、その後、JPEGMafiaなどが所属しているLAのヒップホップレーベル、Deathbomb Arcと契約。海外公演などを経て、2019年3月にファーストアルバム『Dos City』をリリース。2020年7月にセカンドアルバム『Dos Siki』、翌2021年の同日にそのリメイク盤で、black midi、崎山蒼志、小田朋美、SMTK、Qiezi MaboとともにJAZZ DOMMUNISTERSが参加した『Dos Siki 2nd Season』を発表。その後9月にはアルバム『Larderello』『Dos Siki (1st & 2nd season)』(CD)をリリース。
Twitter:@dosmonostres
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Photography Kana Tarumi
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硬いジーンズと、ラッパーたちの詩情/連載「痙攣としてのストリートミュージック、そしてファッション」第15回 https://tokion.jp/2021/11/15/shockwaves-in-contemporary-music-and-fashion-vol15/ Mon, 15 Nov 2021 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=75346 気鋭の文筆家・つやちゃんが「音楽とファッション」「モードトレンドとストリートカルチャー」の関係性を紐解く連載コラム。第15回はラッパーたちの偏愛対象たる「ジーンズ」を基軸としながら、ヒップホップの精神性の核を紐解いていく。

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音楽とファッション。そして、モードトレンドとストリートカルチャー。その2つの交錯点をかけあわせ考えることで、初めて見えてくる時代の相貌がある。本連載では気鋭の文筆家・つやちゃんが、日本のヒップホップを中心としたストリートミュージックを主な対象としながら、今ここに立ち現れるイメージを観察していく。

「スニーカー」にフォーカスした前回と同様に、第15回も特定のブランド・メゾンではなくある1つのアイテムを基軸に論を展開。そのアイテムとは、ストリートファッションを象徴するアイテムであり続けてきた「ジーンズ」だ。ラッパーたちがそこに託し、重ね合わせながら描いてきたものとは、何か。BUDDHA BRANDやRHYMESTER、GADOROらのリリックを参照しながら、ヒップホップとジーンズの蜜月関係に迫る。

ウエスト位置の数センチが巨大な運命を握る

2021年、ウエストラインの見せ方が変わり始めている。この秋にACROSSがリポートした通り、ストリートにおいてショート丈トップスの流行が発生したことでヘルシーな上半身の露出が急激に増加した感があるが、加えて2022年SSのコレクションではいくつかのメゾンがウエストラインの高さをも落とし始め、ついにVOGUEが「落ちる、落ちない? ギリギリを攻める、腰ばきローライズデニムの再来。」という記事を発信した。2009年以降大きな潮流としてあったフィービー・ファイロ(当時「セリーヌ」のクリエイティブ・ディレクター)によるエフォートレススタイルは、ここに来て究極のリラックスとして肌を露わにする自由な無邪気さまでをも獲得しはじめている。

たかが腰の位置、と笑ってはいけない。ジーンズの高さを決める数センチの上下移動、そのせめぎ合いは、ストリートカルチャーにとって大きな意味を含んでいる。ブレイクビーツのほんの0.1秒のズレがグルーヴを規定する場面に、私たちはたくさん遭遇してきただろう。力強いキックが生み出す拍、その表と裏を分かつぎりぎりの瞬間に入る歌によって人生を変えられた者が多くいるように、ジーンズのウエスト位置は世界中の繊細な意識を司り、些細な細部にして巨大な運命を握っている。

ストリートにおいて、“数センチのせめぎ合い”が最もさかんに繰り広げられているカルチャーがヒップホップやスケーターであることは言うまでもない。貧しかった家庭の経済事情により大きめの服を買い与えられていたため、ベルトが無くずり落ちてくる囚人のスタイルを真似たため、などその起源については諸説あるが、国内においても多くのラッパーがルーズさの演出として、低い重心でのノリを加速させる身体表現として、いわゆる“腰パン”に多くの自意識を込めてきた。例えば、Tohjiのエクストリームなサギーパンツは「プロペラ」のテーマと密接に結びつき、その唸る低音域を猥雑にブーストさせ私たちを痙攣させる。昨年リリースされ新たなクラシックとして迎えられた韻踏合組合の「Street Survivors -Blood,  Sweat,Tears & Hip Hop-」は「街を夢見たティーンズが/ダボダボのジーンズで/片道の切符/片手今キープ/ドベルとのビーフも最後はピースで/互い追いかけStreet Dream」とライムされ、ダボダボのジーンズが“ティーンズ”と美しい押韻を果たした上で称えられる。

韻踏合組合「Street Survivors -Blood, Sweat,Tears & Hip Hop-」

ジーンズとヒップホップの蜜月関係 餓鬼レンジャーの偏愛、BUDDHA BRANDの円熟味

そもそも、ジーンズ自体がヒップホップにおいて非常に重要なアイテムであるがゆえに、ラッパーはその言葉に多くの意味を込めペンを走らせてきた。特にジーンズ愛が見られるのが餓鬼レンジャーである。「NO PLAN B」では「止まらないmovin’/古着のブルージーンズみたいな円熟味/醸し出す/通唸らす芸術品」とラップし、「ラップおじいちゃん feat. AMIDA, KREVA」では「ちょっと贅沢なEVIS BEATSに/頑丈なRAP like aデニムジーンズ」と仕立ててみせた。“movin’”と“ブルージーンズ”で踏まれながら“円熟味”の象徴として語られ、一方では(本曲のトラックメイカーである)“EVIS BEATS”と“デニムジーンズ”で踏まれながら“頑丈なRAP”のようなものとしても描かれる。ヒップホップにおいてジーンズは、音韻として披露されることでラップミュージックの音響的快楽を駆動させつつ、同時に“長年の時を経て味が出るもの”であり、“頑丈なもの”でもあるという比喩をも浮かび上がらせていく。

餓鬼レンジャー「NO PLAN B」
餓鬼レンジャー「ラップおじいちゃん feat. AMIDA, KREVA」

あるいは、BUDDHA BRANDによって紡がれたリリックの記憶を辿ってみよう。2003年の「RETURN OF THE BUDDHA BROS.」では、「これga俺ra no普遍no STYLE/この道10年タフ/まるdeデニム」と詠まれるラインによって、それらジーンズの“円熟味”と“頑丈さ”がさりげなく言及されていた。加えて――油断してはいけない、実は、ジーンズの表象について思いがけない形で言及され、日本語ラップのリリック史に加筆されることになった出来事が2016年にも起こっている。

宇多田ヒカル「忘却 featuring KOHH」

「熱い唇/冷たい手/言葉なんか忘れさせて/硬いジーンズ/優しい目/懐かしい名前で呼んで」――KOHHがポエトリーラップのような形で緊張感のあるリズムの上をゆらゆらと漂いながら哀しみを絞り出す曲「忘却」において、アンサーとして宇多田ヒカルが提出したのは「硬いジーンズ」であった。ジーンズの円熟味と頑丈さは、ここで“硬い”という表現によって繋げられたのである。

“硬い”ジーンズを引きずり、ストリートを漂流する  RHYMESTERが紡いだ情景、GADOROが描いた運命

しかし、日本語ラップにおけるジーンズの“硬さ”とは、単に質感だけを表してはいない。数センチをせめぎあった結果、あれだけジーンズがずり落ちてしまうにはさらなる理由が存在する。巨大な運命は些細な細部にあるからこそ、再びリリックを観察してみたい。RHYMESTERは「渋谷漂流記」で次のようなラップを披露している。

「クラブからクラブへナイトクルージング/はためかすオーバーサイズのブルージーンズ /マイク握りぶちかましたルーティン/この街が育てたワイルドミュージック」

RHYMESTER「渋谷漂流記」

“硬さ”を背負ったオーバーサイズのジーンズは、渋谷のストリートを漂流する。注意して耳を傾けよう――“ブルージーンズ”と踏まれているのは、“ナイトクルージング”であり、“ルーティン”であり、“ミュージック”である。ルーティン=ダンスのステップとミュージックを探しながら、ナイトクルージング=深夜のストリートを漂う、その彷徨い流れゆく情景は、ジーンズがずり落ちていくさま、まるで裾を引きずるかのような姿を想像させる。それはつまりCreepy Nutsが「だがそれでいい」で「被り始めたニューエラ/ブカブカのジーンズ引きずって/くり出してみたアメ村/買わされたパーカー」とラップした通りであり、同様の意味で、GADOROの「Life is go on」にも触れずにはいられない。

今更吐けない綺麗ごと/音が止まれば死んだも同然/語るんじゃねえ語り継がせるぜ/過去という名のジーンズを引きずる/それは今を捨ててると意味する/生後間もなく既に負け組さ

GADORO「Life is go on」

GADOROは、ここでついに1つの回答を提示している。「過去という名のジーンズを引きずる」――ジーンズのその硬さ、ずり落ちていくさま、数センチのせめぎ合いは、“過去”によって引きずられていると言うのだ。過去とは、つまり出自である。世代の連鎖により受け継がれた生まれ故郷、性別、肌の色……それら全ての“受け入れるしかない”運命を、ラッパーは今日も硬いジーンズとして引きずりながら、ストリートを漂流する。 だからこそ、出自を受け入れ、ジーンズの硬さを嚙みしめながらもストリートを漂う者であるならば、そのウエストの深さをどのような位置に置くかは自由な行為としてゆだねられている。例えば、女性にだってヒップホップは開かれている。ボロボロのデニムをローライズで履いてもよい。ハードコアやエモを聴いてきたあなたにだってヒップホップは開かれている。ブラックジーンズを腰で履いてもよい。なぜなら、あっこゴリラは「デニムは今日もボロボロ/頭に錆びた王冠と/左手マイクロフォンと踊ろうぜ」(GREEN QUEEN × PARKGOLF)と歌っている。kiLLaは「光るgold chain/ジーンズはblack」(XXX)と歌っている。デニムの固さを受け入れ、ストリートを漂流するあなたに、ヒップホップは手を差しのべる。あとは、そのパンツを引きずるように路上を徘徊し、ラップをするだけだ。ダンスをするだけだ。ブレイクビーツを鳴らすだけだ。ジーンズは少しずつ落ちてくるだろう。さあ、腰のどの位置に置く? その数センチの自意識に、ヒップホップなるものは宿っている。

Illustration AUTO MOAI

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