アーティスト・春ねむりに同居する「怒り」と「冷静さ」 そこから生まれる魅力について

春ねむりは、怒っている。と同時に、冷静でもある。
性急なリズムに乗ってポエトリーラップを歌い駆け抜けていた1stフルアルバム『春と修羅』の頃と比較すると、作風は重さを増した。激情がほとばしる、叫びをも獲得したその声。ポストハードコアやポストメタル調のサウンド。めくるめく重低音の中で、一語一語を噛みしめるように歌われる祈りのような歌唱。時折炸裂するスクリーム。
春ねむりはそれらに対し「ヒステリーで怒ってると思われるのも嫌なんですよ。そうじゃなくて、マジで怒ってるんだっていうのをわかってほしい」と語る。
しかし、その音楽はただ独りよがりに怒りを欲望しているわけではない。『春火燎原』は、J-POPのクラシックとして「他者が入る余地がある」音楽を目指し作られた。ゆえに、春ねむりは怒りながらも決して冷静さを失わず、淡々と音楽を聴き、研究を重ね、創作に没頭する。「マジで怒っている」からこそ、冷静に音楽をやり続ける。
楽曲制作の過程、ポップスであるということ、ラップや叫びについて――。春ねむりは優しいまなざしで、問いかけに対する適切な言葉を探しながら、真摯に話してくれた。

——2ndアルバム『春火燎原』を4月にリリースされて、国内の反応はいかがですか? じわじわとリスナー層が広がりはじめている印象があります。

春ねむり:ありがたいことに、音楽好きのリスナーの間で少しずつ広まってきている感じはありますね。でも、難しいなと感じる部分も多くて。(業界のセオリーでは)小さいライブを何本もやるよりも、WWWでやって、半年後にLIQUIDROOMでやって、というようなことを本当は仕掛けたほうが良いんでしょうけど。あとは最近流行りの手法だと、有名なラッパーとfeaturingしてもらうとか、“界隈”っぽいのを作ってそこの層のお客さんを集めてファンダムを作っていくとか。でも……そういうの全部やりたくないんです(笑)。そのやり方にならって人を集めてないと外からは評価しづらいっていうのはわかるんですけど。フェスとかも、コロナで抱えた負債をこれから返していかないといけないし「確実にこれから来る」っていうのがわかっているミュージシャンじゃないとフックアップしづらいんでしょうね。

——すでに海外では支持基盤ができています。そうなると、近い立ち位置のロールモデルとなるミュージシャンがあまりいないように感じますね。

春ねむり自分の場合、最初から海外に行きたいって思っていたわけではなく、偶然が重なっての結果だからですかね。私の音楽って、海外ではJ-POPだと思われてるんです。だから、変に向こうのトレンドに合わせなくていいし、無理して英語の歌詞を書かなくてもいい。海外のチャートに入るために、キックとベースがブンブン鳴っていてボーカルがはっきりと聴こえるようなことをするのは嫌だし。逆に、国内で例えば「生きる」のような曲ばかり作ってよと言われるのもしんどい。そういう意味では、ちょうどよく曖昧なところにいられてるなと思います。やりたくないことははっきりしているので。私は、何かの賞を取りたいとかもないし、究極「いい曲が作りたい」「ライブに人がいればいいな」というのが気持ちとしては一番強いかもしれないです。

——春ねむりさんの中で、「ライブに人がいればいいな」というのは、「ライブに来る人が多ければいいな」とイコールの意味でしょうか?

春ねむり:もちろん広い会場でやれと言われればやるんですが、自分がやってて楽しいのはやっぱりライブハウスです。この前北米ツアーを終えて、次のツアーをどうしようかと話している時に、5000人の箱で1回やるよりも500人の箱を10回やった方が春ねむりっぽいんじゃないか? って意見になって。何十回もやる方がもちろんコストはかかるんですけどね。

——鑑賞型のライブというよりは、もっと近い距離でガツンとお客さんの存在を感じられるようなライブが良いということでしょうか。

春ねむり:そうです。(狭いライブハウスのほうが)「あ、みんな生きてるんだ!」って思うんですよ。「みんなちゃんと感情とかあるんだ」って。自分に対しても「私、こんなに興奮できるんだ」って思う。でも、国内と海外でお客さんの観る文化っていうのも違うじゃないですか。国内はやっぱり棒立ちが多い。昔はライブで突っ立ってるお客さんのところに行って手を捕まえて「全員ぶちあがるまで帰るな!」って言ったりしてましたけど(笑)。今はちゃんと、「棒立ちでも楽しいと感じているんだな」と思えるようになりました。

——今作では「シスター」という呼びかけをされていて、音楽を届ける相手の存在がよりクリアになってきている印象を受けています。

春ねむり:そうですね。以前は、対象が明確にはいないような書き方をしていました。「自分」というものの輪郭がはっきりしてくると、同時に他者の輪郭もはっきりしはじめるというか。春ねむりは、自分が一番しんどかった子どもの時に「こういう音楽が欲しかったな」というのをやっているんです。それがどんどん明確になっている。春ねむりという理想があって、そこに肉体を追いつかせるべく頑張っている感じです。ライブは、まさにお客さんからも見られることで自分の肉体を感じられる場所ですよね。ライブを重ねることで、追いついてきたのかもしれない。最初のほうは棒立ちで歌ってたんですけど、段々と今みたいなスタイルになってきて。何がかっこいいかがわかるようになってきたのかなと思います。

——自分自身を捉える解像度が上がってきたことで、他者もより明確に見えるようになってきたと。

春ねむり:「生きる」が完成した時、私はこのアルバムは50年後もJ-POPのクラシックとして聴けるものになったな、と思ったんです。むしろ「生きる」があるからこそこの作品はクラシックにならなきゃいけない、その責任がある、みたいな。ポップスって、良くも悪くも社会性を孕むものじゃないですか。そうなると聴く人のことも考えざるを得ないんですよね。

コピーで得た知識をどう組み合わせるかがオリジナリティになる

——今日のインタビューもそうですけど、最近春ねむりさんの口からこれまで以上に「ポップス」という言葉が出てくる気がします。はたして、ポップスの定義とは何でしょうか? 人によっては大衆性のようなものを想起する人もいます。でも春ねむりさんの音楽は、ジャンルを貫通しているし大衆に開かれていないわけではないけれど、もっと尖っていたりどろどろしていたりもしますよね。

春ねむり:他者が入る余地がある、ということですね。前作のアルバム『春と修羅』は自分の中ではポップスではなくて。あれは自分しか存在しない世界……日記みたいな感じ。ポエトリーは説明しすぎるものだから、ポップスには向いてないんですよ。アメリカでヒップホップがヒットチャートに入るじゃないですか。向こうの人達は、「その地元がどういう意味を持つのか」ということをちゃんと歌っている。単に「地元を愛している」と歌うと個人的な音楽になるけど、例えばアフリカ系アメリカ人の場合は「こういう差別があってクソみたいな町だけど地元をRepする」ってところまでちゃんと歌っている。社会と接続している意識があるんです。そういうのがチャートに入るって、やっぱりポップスの定義っていうのは「他者が入る余地がある」ってことなのかなと思うんですよ。

——社会性や歴史性を孕んだ音楽として、他者が介入したり想像を膨らませたりできる余地があると。

春ねむり:そうですね。そういう意味で、『春火燎原』はアレンジャーを誰に頼みましたっていうレベルにとどまらず、いろんな人の声が入っていたり、私が他人を許容することをけっこう頑張った作品でもあります。

——春ねむりさんの作品は、感情にまかせたサウンドのようでいて、随所にフックが仕掛けられており緻密さを感じます。感情と理性のバランスが非常にうまい形でとれているのではないかと。今作も一聴すると感情が無軌道に拡散しているような印象がありますが、実はこれまでで最も理性的に作られている気がしました。

春ねむり:自分は感情的な人間ではあるんですけど、物を作る時はガリ勉っぽいというか、知識がないといけないと思ってるタイプなんですよ。どういう理屈だったら伝わるか? を考えて作ってますね。私が一番最初に好きになったのがフジファブリックなんです。変だけどキャッチー、みたいな。変なだけでも嫌だし、キャッチーなだけでも嫌。それらが美しい形で同居していてほしい。1曲の中でも、アルバム全体のバランスでも、それは意識しました。自分は普段、いろんな曲をコピーするんです。この曲かっこいいなって思ったらDAWの中で再現する。そうすると、どんどん経験としての知識が増えていく。それらをどう組み合わせるかがオリジナリティと呼ばれるものなのかなと思っていて。

——聴いたことのない音楽を作りたい、誰もやってない音を出したい、という欲求はありますか?

春ねむり:あります。これとこれの組み合わせはあるけど、これとこれだったら誰もやってないな、とかはめちゃくちゃ突き詰めて考えますね。

——『春火燎原』にはそういった組み合わせの巧さを非常に感じます。

春ねむり:コピーはけっこう大事だと思います。「降りてきた」みたいに天才ぶってたほうがいいんでしょうけど、自分はそうじゃないですね。だから、好きじゃない音楽も聴きます。それで、なんでダサいのかを考えたりもする。

——優れた音楽家である前に、優れたリスナーであると。

春ねむり:私も、同じジャンルばかりやるんだったらそんなに聴く必要はないのかもしれないですけど。自分みたいな(さまざまな音楽ジャンルを横断することをやっている)場合は、多く聴かないとだめなんじゃないですかね。

——最近、春ねむりさんがいいなと思った音楽を知りたいです。

春ねむり:大槻美奈さんです。この前対バンした方で、弾き語りが素敵で音源も聴いてみたらすごく良かった。あとは壱タカシさん。butajiさんの作品にも参加されている方なんですけど。アルバム『少年連祷』がめちゃくちゃ良い。普段そんなことしないんですけど、感想いっぱい書いてDMしちゃいました。

ラップも叫びも、両方やるのが春ねむり

——春ねむりさんはデビュー当初からポエトリーラップをされてきて、ヒップホップに対するリスペクトも公言されてきました。一方で、ヒップホップコミュニティ側は春ねむりさんの作品をきちんと解釈してこなかったのではないかとも感じます。過去にはラッパーとのビーフもありました。作品からは徐々にポエトリーラップの割合も減ってきましたが、今改めてヒップホップコミュニティに対し感じていることはありますか?

春ねむり:うーん……難しいですね。自分は、ラッパーだったらカニエ・ウェストが好きなんですよ。人としてはどうかと思う時ももちろんあるんですけど、やっぱりアーティストとしては好きで、トラックメイキングの面でも影響は受けてるんですね。一方で日本のヒップホップは、好きなラッパーはたくさんいるしかっこいいなと思う人もいるけれど、そこに属しているとはあまり思ってないです。昔はいろいろ考えたけど、今はポエトリーラップがヒップホップの枠に入るか否かとか……もうどっちでもいいやって思ってるかも……(笑)。ポエトリーをやっている方自体も少ないですしね。私は、トラックの上で淡々とポエトリーしてる曲ってあまり聴けないんですよ。ずっと同じフロウで聴かされてると文字としては入ってくるけど音楽としては入ってこない。ポエトリーラップってリズムや抑揚を無視していると言われがちですけど、私は全然無視してないので。

——ちなみに、日本のヒップホップで好きなラッパーというのは?

春ねむり:ZORNとANARCHYとRYKEY DADDY DIRTYが好きです。

——意外です(笑)。でも、統一感がある。

春ねむり:ANARCHYはピッチ感のコントロールが巧くて、RYKEYはメロディやフックが好き。でも3人とも、やっぱりあれだけのバックグラウンドがあるとリリックに出るんだなと思いますね。説得力が違う。

——手法としてはラップなんだけど、もはやブルーズっぽいというか。

春ねむり:私小説としての音楽って感じがしますよね。人生まるごと音楽に飛び込んでいってる。自分にそれはないから、憧れます。逆に、違う系統だとLIBROとかも好きです。私、ソロラッパーが好きなんですよ。複数人でのマイクリレーだと、フックにたどり着くまでが長くて冗長に感じちゃうんです。私は楽曲の構成に関しては合理的に判断する人なので。

——春ねむりさんはラップをしつつ、叫ぶじゃないですか。ラップと叫びって対極にあると思うんです。ラップはリリックを書いて韻も踏んでいく、ある種の丁寧さと迂回がありますよね。叫びはそこをすっ飛ばして感情を露呈させていく、最短距離の爆発があるじゃないですか。その両極端なことを同時にされている人ってあまりいないし、やってる方は引き裂かれちゃうんじゃないかなって思うんです。

春ねむり:自分は理屈だけでも感情だけでもダメなタイプなので、両方やってるんですよね。でも、叫びって、言ってしまえばズルいものだとは思うんですよ。叫ぶことで伝わっちゃうから。

——ラップは回り道だしそもそもが面倒くさいものなので。そう考えると、叫びってすごいですよね。

春ねむり:伝わっちゃうっていう手段を持ってしまっているから、その分、そこまでの段階を怠らないようにしないといけないと思います。じゃないと、本当に叫んでいるということにはならない。「本当に叫ぶしかなかったんだな」と思わせるようなものをきちんと作らないと叫ぶ意味がない。

——春ねむりさんはやっぱりラッパーですよ。ラップを起点に表現している人からしか、叫びがズルいなんて発想は出てこない。

春ねむり:あぁ、なるほど。叫んでる時って暴力をふるっている時と同じような気持ちよさがあるんですよね。感情を思うままに発露するのって他人からしたら暴力なんだなって。そういう快感が叫びにはあります。

——ライブでは以前からそうでしたが、音源でもスクリームの割合が増えてきていますね。しかも、発声が変化してきている。この変化は、ご自身ではどのように捉えてらっしゃいますか?

春ねむり:ライブを重ねてきたら、あまりにも自然にそうなっちゃったんですよね……。スクリームのやり方を誰かに習ったりしたわけではなくて、正しいのか分からずにやってます。お腹で支えて背中をゆるめつつ、深いところから声を出す、みたいな。あと、自分が女性の高い声でのシャウトがあまり好きじゃなくて。キャーみたいな金切声が苦手で、だから徐々に低くなってきてるんだと思います。私は怒ってるんだけど、それがヒステリーで怒ってると思われるのも嫌なんですよ。そうじゃなくて、マジで怒ってるんだっていうのをわかってほしい。(高い声の叫びは)記号的に女性らしいと認識されるから、そういうものを排除しているんです。

——声とリリックの内容って安直に結びつけられがちだし、そこから逃れたいという気持ちはすごくわかります。今日はさまざまな角度からお話が伺えて良かったです。良い意味で、戦略的な春ねむりというアーティストの輪郭がはっきりしてきた気がしますし、今後の展開についてもますます楽しみになりました。

春ねむり:良かったです! 今後も死なない程度、次の作品を作れる程度、ライブがずっとできる程度には稼いで音楽を続けていきたいですね。

春ねむり
横浜出身のシンガーソングライター/ポエトリーラッパー/プロデューサー。自身で全楽曲の作詞・作曲・編曲を担当。2016年10月にファーストミニアルバム『さよなら、ユースフォビア』でデビュー。2017年に2ndミニアルバム『アトム・ハート・マザー』をリリース。2018年4月に1stフルアルバム『春と修羅』をリリースした。2019年にはヨーロッパを代表する20万人級の巨大フェス「Primavera Sound」に出演。さらに6カ国15公演のヨーロッパツアーを開催し、多数の公演がソールドアウトとなった。2020年3月3rdミニアルバム 『LOVETHEISM』をリリース。2022年3月に北米ツアーを開催し、すべての公演がフルキャパシティにも関わらずソールドアウトとなる盛況ぶりを見せた。4月に2ndフルアルバム『春火燎原』を発表。10月1日には、カナダのケベック州モントリオールで開催される音楽フェスティバル“POP Montréal”に出演。それを皮切りに今年2度目となる北米ツアー「SHUNKA RYOUGEN NORTH AMERICA TOUR 2022」を開催する。
http://ねむいっす.com
http://harunemuri.love
Twitter:@haru_nemuri
Instagram:@haru_nemuri
FaceBook:https://www.facebook.com/harunemuri/
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UC_2YAHYLNWH31UA7eXRzcXQ/featured

SHUNKA RYOUGEN NORTH AMERICA TOUR 2022

■SHUNKA RYOUGEN NORTH AMERICA TOUR 2022
10/1 (Sat) Montreal, QC – POP Montréal 2022
10/2 (Sun) Toronto, ON – Lee’s Palace
10/4 (Tue) Chicago, IL – Metro
10/6 (Thu) Washington D.C. – Black Cat
10/7 (Fri) Brooklyn, NY – Market Hotel
10/10 (Mon) Atlanta, GA – Masquerade
10/12 (Wed) Houston, TX – Scout Bar
10/13 (Thu) Corpus Christi, TX – House of Rock
10/14 (Fri) San Antonio, TX – Paper Tiger
10/15 (Sat) Dallas, TX – Trees
10/20 (Thu) San Diego, CA – Soda Bar
10/22 (Sat) Los Angeles, CA – Echoplex
10/23 (Sun) San Francisco, CA – Bottom of the Hill
10/25 (Tue) Seattle, WA – El Corazon
10/26 (Wed) Portland, OR – Hawthorne Theatre

Photography Takahiro Otsuji(go relax E more)

author:

つやちゃん

文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿多数。著書に『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)など。 X:@shadow0918 note:shadow0918

この記事を共有