柴崎祐二, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/yuji-shibasaki/ Fri, 16 Feb 2024 11:51:00 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 柴崎祐二, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/yuji-shibasaki/ 32 32 謎多き音楽家・Hyuが語る「90年代後半から00年代前半の宅録事情」——目指したのは「いかに聴いたことのない音楽を作るか」 https://tokion.jp/2024/02/16/interview-hyu/ Fri, 16 Feb 2024 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=224107 アンソロジー作品『Inaudible Works 1994-2008』をリリースした音楽家・Hyuへのインタビュー。

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Hyu(ヒウ)

Hyu(ヒウ)
1975年大阪生まれ。音楽家。1990年代末から2000年代初頭にかけて、竹村延和が主宰する<Childisc>より作品をリリース。

1990年代末から2000年代初頭にかけて、竹村延和が主宰する大阪のレーベル<Childisc>よりいくつかの作品をリリースし、エレクトロニック・ミュージック・ファンに限らない熱心なリスナーから厚い支持を得てきた音楽家、Hyu(ヒウ)。テクノやドラムンベース、エレクトロニカといった既存のジャンル概念に集約されないそのトラックの数々は、今もなお、いや、今になってこそ特異な輝きを増しているといえる。

その時々の最新テクノロジーを駆使した先鋭的なものながらも、宅録ならではの親密性を有し、現代音楽の語法を消化しつつも、あくまで聞き心地は「ポップ」。その多面的な楽曲の数々は、DTM全盛時代の今だからこそより一層興味深く聴けるものばかりだ。

この度、そんなHyuが過去に録音していた曲の数々を、バージョン違い等を含めて発掘したアンソロジー作品『Inaudible Works 1994-2008』が、大阪のエム・レコード(EM Records)からリリースされた。謎めいた経歴から当時の制作秘話、さらには近年の音楽とその周辺文化に対して抱いている思いまで、じっくりと話を訊いた。

エイフェックス・ツインからの影響

——まずは生年から伺えますか。

Hyu:1975年大阪生まれです。

——音楽をやり始めたのは何歳の時なんでしょうか?

Hyu:17〜18歳の頃だったと思います。最初はスカム系のバンドをやってました。当時、大阪の若い奴らの間でボアダムスがカリスマ的な人気になっていたんですけど、自分も彼等に憧れて、とりあえず大暴れする、みたいなライヴをやってました。わけわからんものをみんな率先してやってみんなで面白がる、みたいな空気があったんです。

——それ以前から音楽はお好きだったんですか?

Hyu:流行りものも聴いてはいましたけど、基本は普通の運動部の少年って感じでした。あの当時、大阪の片田舎の高校で音楽をやるって言ったら軽音部でBOØWYとかユニコーンのカバーをやるみたなのが大勢、という時代……自分はそっちには興味が持てなかったんですけど、今言った通り、18くらいでいきなりわけわからんものに惹かれるようになったんです。けど、結局すぐ飽きるんですよね。めちゃくちゃ暴れるっていっても限度があるじゃないですか。すぐピークに達して、そっから先は何もないっていう(笑)。

——1人で音楽を作るようになったきっかけは何だったんですか?

Hyu:エイフェックス・ツインを聴いたのが大きかった気がします。エイフェックス・ツインも最初はなんかよくわからへんなという感じの音楽で、そういう変な部分に惹かれたんだと思います。テクノともアンビエントともいい難い、カテゴライズできない面白さというか。で、自分でもシンセサイザーとかサンプラーとかを買って作りはじめました。それが94年くらいですかね。

——そうすると、今回の『Inaudible Works 1994-2008』には、タイトル通りごく初期の音源も収録されているということですね。

Hyu:そうですね。多分「ガムランに憧れて」っていう曲が一番古いと思います。

——なぜガムランだったんでしょうか?

Hyu:みんながBOØWYとかを聴いている時期に、僕は芸能山城組にハマっていて。そこから民族音楽的なものに興味を持つようになったんです。芸能山城組を知ったのは、『AKIRA』の映画を観て、なんだこの音楽は!と思ったのが最初ですね。

——「ガムランに憧れて」はジャングル〜ドラムンベース調でもありますよね。

Hyu:はい。当時その辺りの音楽が流行りはじめた時期で、いろいろやっているうちにそうなってしまって(笑)。

——普段から最新のクラブ・ミュージックを追いかけている感じだったんですかね?

Hyu:自然と情報が入ってきましたね。けど、それまでのダンス・ミュージックって、どちらかっていうと匿名的なプロデューサーが12インチを切るみたいな感じだったと思うんですが、自分はそういう文化とはちょっと距離があって。そこにエイフェックス・ツインみたいな記名性の強いアーティストが出てきたので、一気に惹かれていったんです。そこから<Rephlex>とか<Warp>のアーティストを聴いていった感じですね。

——当時はマルチトラック・レコーダーで録っていたんですか?

Hyu:そうですね。そういうのを使ったり、サンプラーだけで作ってみたり。

——いわゆる「ローファイ」的なサウンドが当時の時代性を映し出していますね。

Hyu:『Selected Ambient Works 85-92』を聴いても、なんでこんなモコモコした音なのに良いんやろう、とか思ってましたし、電子音楽を作るにしても、必ずしもハイファイな音質でなくてもいいんだと気付いたのは大きかったですね。

——「奇妙な雷竹の舞」のように、平均律から離れた微分音を探求している曲も入っていますが、当時は現代音楽も聴いていたんですか?

Hyu:実はそんなに熱心に聴いていたわけじゃないんです。12音技法とか無調とかいう概念もあとになって知るんですけど、当時はあまり知らなくて。そういう楽典の歴史への知識というよりも、エイフェックス・ツインとかがやっていることを参考に、手元にある楽器をいじりながら「これ、どんな音が出るんだろう」とか「音階を換えてみたらどうなるんだろう」とかそういう試みをやっているうちに、だんだん通常の手法から離れていったんです。

後にシェーンベルクやらクセナキスの曲を図書館で借りて聴いたりもしたんですけど、なんかおもんないなあ、と……。実際ああいう西洋の現代音楽って、あくまで理知的っていうか、聴いて楽しむという観点が第一で作られているものじゃないわけで、なんかしっくり来なかったんですよ。反対に、自分が作るものは、腕組みしないで聴けるあくまで楽しい音楽を目指していた部分がありますね。

1998年にレコード・デビュー

——その後、1998年に『Sortie』というコンピレーション・アルバムに参加したのがレコード・デビューになるわけですね。

Hyu:はい。当時、大阪にビーイング系列の<Styling Records>っていうクラブ・ミュージックのレーベルがあったんですよ。今ではちょっと信じられませんけど、当時はCDバブルでお金が余っていたから……(笑)。『Sortie』はそこから出たものですね。関西クラブ・シーンの引率者的な存在だった松岡成久さんが監修を務めていて、僕にも声がかかったんです。それ以前に自分で作ったカセット・テープを心斎橋の服屋に置いてもらっていて、そこから徐々に広がっていって、コンピの参加に至ったという経緯ですね。

——コンピのコンセプトはドラムンベースだったようですけど、Hyuさんが提供した「Cutie Bam-boo Dance」(前出曲「奇妙な雷竹の舞」の元バージョン)はだいぶ様子が違いますよね。

Hyu:「よし、ドラムンベース作るぞ」って意気込んではいたんですが、結果的に全然違うものになってしまいました。そもそも8ビートだけど、「まあ、いっか」と。そしたらコンピの中のどこにもハマらなかったみたいで、ラストに収録されることになりました(笑)。当時は本当にドラムンベース全盛期で、大阪でもディスコ用の大箱みたいなところでそういうイベントが頻繁に催されていましたね。なぜか僕もそういうところに混じってライヴをやってました(笑)。

——さらに同じ年、竹村延和さん主宰の<Childisc>のコンピ『Childisc Vol. 1』にも参加されています。

Hyu:そうです。竹村さんも松岡さんの紹介で知り合いました。

——今でこそそのあたりの時代の動きは日本のエレクトロニカの黎明期みたいに理解されることもあるかと思うんですが、ご自身では自分の音楽をどういうふうに捉えていたんでしょうか?

Hyu:うーん、なんだろう。広い意味でのテクノ、って感じでしょうか。そもそもエレクトロニカっていう言葉は当時流通していなかったように思います。2000年前後からいろいろ変わったことをやっている人が出てきて、結果的にその中の一部の人が後にそう呼ばれるようになったっていう印象ですね。

——IDMとか、音響系という言葉もありましたけど。

Hyu:ありましたね。けど、自分の音楽がそれらに属していたかっていうとそんな自覚もなかったですかね。ガンガン踊らせる音でもないし、かといって難しい顔をして聴く音楽でもないし、なんというか、用途の定まっていない音楽……。それこそ<Rephlex>周辺の人達が「ブレイン・ダンス」っていうジャンル名を提唱していたことがありますけど、強いて言うならその感覚に近いのかもしれない。身体じゃなくて、脳が踊る感覚っていうか。

——その後<Childisc>からフル・アルバム『Wild Cards』(1999年)を出される前に、もう1枚コンピに参加していますよね。

Hyu:あ、はい。『Ao』(1998年)ですね。

——当時、ジム・オルークさんがそこに収録された「INDiRECT」(『Inaudible Works 1994-2008』収録の「みなれぬものたち」の別バージョン)という曲をいたく気に入って、周りの人達にダビングして配っていたという噂を聞いたんですが。

Hyu:そうらしいんですよね。たぶん竹村さんの繋がりだと思うんですが。ダビングによって人から人へ情報が伝播していったっていうのは、まさにインターネット以前ならではという感じで面白いですよね。

これは、倍音にフォーカスした曲なんですが、誰にも理解されないだろうけど自分的には面白いものができたなと思っていたら、そうやって理解してくれる人がいて驚いた記憶があります。ジム・オルークさんのアルバムを聴くと、確かに倍音がすごく効果的に使われているんですよね。

——「倍音にフォーカスした」というのを詳しく言うと?

Hyu:簡単にいえば、作曲と音色作りの境界を取り払って作ったということですね。特に西洋音楽とか楽譜をベースにした音楽の世界では、どうしても両者が別のものとして扱われてしまうんですよね。一般的にもメロディーを奏でることとシンセサイザーで音作りをすることって別の作業だと考えられていると思うんですけど、そもそも、どんな楽器の音であれ原則としていろいろな周波数の音が同時になっているわけなので、本来的に両者の概念が切り分けられている必要はないはずなんです。当時はコンピューターも持っていなかったので、電卓で周波数を計算しながらそういう曲を作っていました。

“いかに聴いたことのない音楽を作るか”

時代ごとに制作環境も変わっていったと思うんですが、今回のアンソロジー盤『Inaudible Works 1994-2008』を聴いていると、その時々の制作テクノロジーを駆使しながら、いかに聴いたことのない音楽を作るかということに注力している様子が浮かび上がってきます。

Hyu:そうだと思います。最初のほうはさっき言った通りサンプラーとかMTRを使っていたんですけど、後にコンピューターを買ってからはそれを使ってどんなことができるか試すようになりました。例えば、今回のアンソロジーのLP版に収録されているはっぴいえんど「風をあつめて」のカヴァーでは、FFTで音を分解して再構築するという作業をやりました。

——クオリティは別にして、現在では、やろうと思えばかなり手軽にDTMで曲ができちゃうわけですけど、当時はまだまだ相当な根気がいる作業だったわけですよね。

Hyu:確かにそうですね。

——なぜそこまで没頭できたんだと思いますか?

Hyu:うーん。どうだろう、逆に根気がいる作業だったからこそ没頭できたというか。それと、いろいろなソフトの黎明期だった分、竹村さんをはじめ周りの人達と「こういう手法があるよ」とか制作について話すことが多かったんですけど、それも刺激になっていたように思います。

——当時やっていた手法が、DAWの浸透によってかえって困難になったという例もあるんでしょうか?

Hyu:それは大いにあると思います。難しいどころか、不可能なことすらあると思います。もちろん、技術的に極めている人ならできることはたくさんあるとは思うんですが。今は音楽制作から離れて久しいですが、当時DAWの画面を見た時に、なんというか、暗黙の了解で設定された強い枠組みが設定されているような感覚を抱いたんですよね。そういう枠組みの中では、開発者が想定しているであろう音はすぐに作れるんですが、そうでないものを作ろうとするととたんに行き詰まってしまうんですよ。個人的には、そういう、枠が与えられていてその中に囲い込まれているような感覚があんまり肌に合わなくて。

——「こういう風に作るべし」という風にテクノロジー側からアフォードされているような感覚?

Hyu:そうですね。ピアノの前に座ると自然と平均律を弾かざるを得なくなるのと似ているというか。

——むしろ黎明期の技術のほうが自由度が高いのかもしれない……?

Hyu:そう感じてしまいますね。

——「離散とグリッドのインベンション」などの曲では、ボカロ以前の初期人声合成技術を使ったりもしていますよね。

Hyu:はい。あの頃、すごくハマっていたんですよ。当時は「スピーチ・シンセサイザー」って呼んでましたね。竹村さんも熱心に研究していて、2人でよくその話をしたのを覚えています。竹村さんは、初音ミク以前にクリプトン・フューチャー・メディアが輸入販売していた初期のボーカロイド・ソフトに対してクレームを入れるほど、人声合成技術について一家言のある人だったんですよ。僕も、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(柴那典・著)という本を読んで、そのあたりの詳しい顛末を知ったんですが。

初音ミクの「声」を初めて聴いた時、僕も「人っぽすぎる」と違和感を持ったのを覚えています。あくまで「音」として考えた時、「人間的な色」が過度にあるとちょっと違うというか。

——いわゆる「不気味の谷現象」的な違和感?

Hyu:そうですね。その点、昔のスピーチ・シンセサイザーは、人の声にも聴こえなくはないというレベルで、そのマシーン的な質感がかえって有機的に聴こえるんですよね。もちろん、できるだけ人の声に似せていくっていう追求の方向もありだとは思うんですが、究極を言えば、実際に歌ったほうが良いねという話にどうしても行き着いてしまうと思うので。

——近年では音楽制作の場でも生成AIの技術が大きな話題となっていますが、そういうものについてはどう思われますか?

Hyu:いろいろな技術があると思うし、例えば「ビートルズっぽい曲を作って」と指示してまさにそれっぽいものができるみたいに、シミュレーション的な方向性ではすごいレベルに達していくんでしょうけど、大きな枠組みから離れた何かをやってください、となった時には、たぶんかんばしい成果は得られないような気もしますね。

——プロンプトの精度を上げていけば、より一層創造的な可能性が開けていくのではないかという見方もありますが。

Hyu:でも、結局音楽の内容やイメージを自然言語で指示するのって限界があると思うんですよ。音作りにまつわるいろいろな象限とかパラメーターとかがあるわけですけど、それはそもそも自然言語では表記できないからそうなっているわけで、どこかで限界にぶち当たる気がして。音楽の根本的な構造を組み直したり、逆に細かいところを突き詰めたりというのにはAIは今のところ向いていないと思うんですよね。

——技術の発展が必ずしもマクロな音楽観の転換に繋がるわけではないということですかね。

Hyu:まさしく。そういえば、こないだYouTubeをなんとなく見ていたら、ヒップホップのビートメイカーの人が自分が普段どうやって音を作っているかを説明するチュートリアル動画みたいなのが流れてきたんですよ。「まず、このサイトでビートのパーツをダウンロードして、Ableton Liveにそれを取り込みます」「ここからが僕だけのオリジナリティなんですけど、そのパーツのピッチを変えます!これがクリエイティヴィティです」みたいなことを言っていて、ついにここまで来たのか……と思ってしまいました。そういう人達からしたら、AIに指示してそれっぽいビートを吐き出させるっていうのは、まさに「クリエイティブ」なことなんでしょうけど。

「いいね」中毒で自分を見失ってる人

——単純に「昔は良かったね」的な話にするのも違うと思うんですけど、少なくとも、今回の『Inaudible Works 1994-2008』に収録されている曲を今から50年後くらいに聴いた時に、「DTMテクノロジー直前の特殊な音楽」みたいな形で歴史化されている可能性もあるなと思いました。

Hyu:あ〜、はい。なんというかこう、歯を食いしばりながらデジタル技術と対峙して面倒なことをやっていた人間の痕跡が刻まれているものとして……(笑)

——電気自動車が当たり前になった未来に「あの時代にはハイブリッド車っていうのがあったらしい」って振り返られる、みたいな……。

Hyu:わかります。本当に昔話になるかもしれないですよね。

——まさに、だからこそ今回のアーカイブ企画には深い意義がある気がします。風化とか伝説化じゃなくて、本来的な意味での歴史化のための第一歩というか。

Hyu:最初にエム・レコードの江村さんから話をもらった時には、「え、こんなのに興味持ってくれる人いるのかな」という気持ちでしたけどね(笑)。

——今後再び音楽を作り始める可能性はないんでしょうか?

Hyu:うーん……どうだろう。やるとしたら、昔みたいに1人でやって煮詰まっちゃうんじゃなくて、誰かとやりたい気持ちがありますね。せっかく転勤で東京に来ているし、誰か面白がってくれる人がいるならやろうかなくらいの気持ちはあります。けど、今となってはどんなモチベーションでやるのかっていうのも難しいよなと。

——当然、今っぽくネット上でのバズみたいなものを目的にしてやっていくっていうのも違うでしょうし……。

Hyu:たぶん、そうやって曲を作って面白い動画とくっつけてみたりとか、反応を推し量りながらやっていくようなスタイルからは、面白いものはに生まれにくい気がします。作品をインターネットで公開すると色々なフィードバックが返ってきますが、あれに支配されてしまうというか、SNSの操り人形になってしまってる人が増えてる気がします。日常の言動とか思考がすべて「バズ」という状態から逆算されたような状態になっていて、ある種の「道化」を自分から進んでやってしまう状態になる、そして、本人も薄々そんな状態に気づいていて自分でもイヤになってたりするんだけど、しかし「いいね」の誘惑に耐えきれずにまた元通りになってしまうっていう。まさに「いいね」中毒で自分を見失ってるというか。

——あ〜……。

Hyu:友人が面白いことを言っていて。「頻繁なフィードバックは人間をダメにする。中世のヨーロッパでは、一生に一回『最後の審判』という名の巨大なフィードバックがあるだけ、しかしそれぐらいで良かったのでは」って。なるほど面白い意見だと思いました。その1回以外は暗中模索で何かを作っているほうがむしろ健全なのかも。

——そういう意味でも、今回の『Inaudible Works 1994-2008』は、ある時代へと移行する直前の創作のあり方の記録として貴重なドキュメントになっているような気がします。タイトルで「1994-2008」と謳っているのも、結果的に、ギリギリSNSが浸透する前の時期までの音源集であるということを現しているといえますね。

Hyu:実際、不特定多数の誰かからの肯定を日々受けながらというより、ひたすら孤独に作っていたものですからね(笑)。仮にこれを作っていた時代にSNSの「いいね」とか、アテンション・エコノミーみたいなものがあったら、いかにも無難なものに終わっていた可能性は高いと思います。

Photogaraphy Mayumi Hosokura

Hyu『Inaudible Works 1994-2008』
価格:(CD)¥2,970、(LP)¥4,400
TRACK(CD)
01. 五度圏のゲーデル、エッシャー、バッハ [2:31]
02. 奇妙な雷竹の舞 [5:42]
03. 茄夢 [4:58]
04. WigWig [4:44]
05. みなれぬものたち [3:22]
06. ぎゃ・ダイナモ・ジェネレータ [17:28]
07. Robotomy Mam [2:24]
08. 離散とグリッドのインベンション [4:17]
09. 猫屋オドレミ [6:36]
10. 7Upとガラパゴスポップ [4:40]
11. ガムランに憧れて [5:34]
12. 帰ってきたすごいヨッパライ [3:16]
13. 1000万年後の子供たち [6:10]
14. 音の散逸構造 [6:00]
未発表:1, 6, 9, 10, 11, 13, 14
新バージョン: 5
それ以外は既発表曲の再編集
=作品仕様=
+ 通常ジュエルケース、12ページブックレット、帯付
+ Hyu本人による楽曲解説を日本語・英語で掲載
https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=178689221

TRACKS(LP)
Side A
1. 五度圏のゲーデル、エッシャー、バッハ [2:31]
2. 奇妙な雷竹の舞 [5:42]
3. 茄夢 [4:58]
4. WigWig [4:44]
5. みなれぬものたち [3:22]

Side B
1. ぎゃ・ダイナモ・ジェネレータ [17:28]
2. どんな音でも二度繰り返すと音楽に聞こえる [3:34]

Side C
1. Robotomy Mam [2:24]
2. 離散とグリッドのインベンション [4:17]
3. 風をあつめて [2:39]
4. 猫屋オドレミ [6:36]
5. 7Upとガラパゴスポップ [4:40]

Side D
1. ガムランに憧れて [5:34]
2. 帰ってきたすごいヨッパライ [3:16]
3. 1000万年後の子供たち [6:10]
4. 音の散逸構造 [6:00]
未発表曲:A1, B1, B2, C3, C4, C5, D1, D3, D4
新バージョン: A5
それ以外は既発表曲の再編集
=作品仕様=
+ 12インチLP2枚組、見開きジャケット、DLクーポン封入
+ 2LP版のみボーナストラック収録
+ Hyu本人による楽曲解説を日本語・英語で掲載
https://emrecords.shop-pro.jp/?pid=178689112

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「好きなこと、長期的に納得できることをやっていくことが大事」 Lampが語る最新アルバム『一夜のペーソス』と変わらない音楽へのスタンス https://tokion.jp/2023/11/30/interview-lamp/ Thu, 30 Nov 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=216609 2023年10月10日に最新アルバム『一夜のペーソス』がデジタル・リリースしたLamp。本作はどのように制作されたのか。そして、「海外からの人気」を巡るアンビバレントな思いとは。3人に話を訊いた。

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Lampのメンバー。左から永井祐介、榊原香保里、染谷大陽

Lamp
染谷大陽(そめや・たいよう)、永井祐介(ながい・ゆうすけ)、榊原香保里(さかきばら・かおり)の3人で、2000年に結成。2003年にインディーレーベルMotel Bleuより1stアルバム『そよ風アパートメント201』をリリース。2014年にタワーレコード[NO MUSIC, NO LIFE]のポスターに選出される。2017年と2018年それぞれに、東アジアをまわるワンマンツアーを行った。2018年に8枚目となるアルバム『彼女の時計』をリリース。リキッドルームやキネマ倶楽部でのワンマンライブがソールドアウトとなる。同年、インドネシア初公演も行った。2023年10月10日、Lampの最新アルバム『一夜のペーソス』がデジタル・リリース。
https://www.lampweb.jp

2023年10月10日、Lampの最新アルバム『一夜のペーソス』がデジタル・リリースされた。ブラジル音楽、ソウル・ミュージックをはじめ、ソフト・ロックやフォーク、ときに「和」のテイストまで、様々な要素が縦横無尽に織り込まれた全20曲、トータル75分の作品だ。入念なプロダクションと真摯なミュージシャンシップによって構築されたいつもながらの高品位ぶりの一方で、作曲やアレンジはもちろん、特にミックス面での挑戦的な試みも耳を引く。

既に各所で話題となっている通り、Lampといえば、数年前から海外リスナーの間で急激に人気を高めていることでも知られている。今や、Spotifyの月間リスナー数は230万人を超え、「海外から支持される日本のアーティスト」の筆頭に躍り出た感もある。

そんな中、事前宣伝活動もなくリリースされた本作『一夜のペーソス』。この大作は、どのように制作されたのか。そして、「海外からの人気」を巡るアンビバレントな思いとは。染谷大陽、永井祐介、榊原香保里の3人に話を訊いた。

全20曲の大ボリューム

——今作『一夜のペーソス』は、2018年の前作『彼女の時計』から5年ぶりの新作ということで、以前のペースに比べるとやや間が空いた印象です。

染谷大陽(以下、染谷):気持ち的には以前のようにコンスタントに出していきたいんですが、作品を重ねるごとに自分達の中で納得できる基準のハードルが上がってくるんですよね。それと、やっぱりこれだけの期間活動していると、モチベーションを保ち続けるのも難しくなってきます。プライベートでも、僕に初めての子供が生まれたり、制作中に母が要介護になり、そして亡くなったり……そういうことがあって、どうしても時間が空いてしまったんです。あとは、僕と作曲を分け合っている永井の不調というのが一番大きかったですね。

永井祐介(以下、永井):複雑な話ではなくて、単純に気持ちが音楽に向かわなかったという感じで……。僕らって、ライブをしょっちゅうやっているわけじゃないし、レコーディングをしている時以外は自分がミュージシャンであるっていう自覚があまりないんです。だから、いざ作ろうという時に気持ちを持っていくのがなかなか難しいんです。日々生活を続けていく中で、どうしても音楽を作るということの優先度が下がってしまうというか。

——その辺り、榊原さんはいかがですか?

榊原香保里(以下、榊原):私はそんなに気持ちの浮き沈みっていうのはなかったですね。永井のことも特に心配はしていませんでした。もともとそういう人なんで、あんまり深刻な話じゃないなって(笑)。

永井:まあ、「もう音楽を作るのが耐えられない」とか、そういう意味でのスランプではなかったかな。ただ、「果たして完成するんだろうか……」って思うことが何度もあって。実際、今回のアルバムは全て自分一人で仕上げた曲っていうのはわずかで、染谷先輩や香保里さんに手伝ってもらってなんとか完成させたっていう感覚です。

——そういう状況ながらも、全20曲という大ボリュームのアルバムになったのはなぜなんでしょう?

染谷:曲を作り始めたのが2019年くらいで、そこから少しづつ形にしていって、11月くらいにアルバムの基本方針が見えてきたんです。その時点では、僕が7曲、永井が5曲書いてこようという話を2人に伝えて、2020年の3月を一旦の締め切りにしていたんです。けど、さっき言った通り永井の曲がなかなかあがってこなくて、その間、僕が予定よりもかなり多くの曲を書いてストックが貯まってきたんです。レコードにしたら2枚組にもなるような大ボリュームのアルバムを出す機会も今後なかなかないだろうし、単曲リリースが主流になってきている今、20曲入りのアルバムをドンと出すのもインパクトあるよな、と思ったんです。

——ただ曲数が多いというだけじゃなく、1曲1曲がしっかり完成されていて、すごく高密度の内容になっていると感じます。

染谷:ありがとうございます。自画自賛したいわけじゃないですけど、今回はホントに自分が先導して頑張ったアルバムですね(笑)。だから、初めてプロデューサーのクレジットに自分の名前を書きました。

——アルバムの内容自体からも、染谷さんがバンドを引っ張っていく力や情熱を感じます。きっと創造面はもちろん、制作に関わる事務処理的な部分でもそうなんじゃないかと推察しました。

永井:当たってますね。自分が年をとってみると、染谷先輩のそういうマメさみたいなところはスゴいなと思います。昔はちょっとからかったりもしてたけど……(笑)。そのおかげでバンドが続いてるっていう部分はあると思います。

榊原:そうだね。

1曲1曲丁寧に作る

——今の時代、生楽器を構築的に重ねていく音楽であっても、DAW等を駆使することによってある程度コンパクトな形で制作することが可能になっていると思うんです。けど、今作のクレジットをみると、膨大なミュージシャンが実際にセッションに参加していて……この方々のスケジュールを調整するだけでも相当骨が折れるだろうなと思いました。自主リリースでこういうやり方を貫くというのも、情熱がなくてはできないですよね。

染谷:まさにそうですね。今年に入ってから気持ち的にエンジンがかかってきて、そういう事務的なところも全部僕が進めていきました。そういった事務的な大変さや創作に対する情熱もそうですし、もう一つ言うなら、今の時代としてはかなりお金を掛けたアルバムだと思います。

——かねてからLampの作品に織り込まれていたブラジル音楽やソウルミュージック、ポップス等のハイブリッドな音楽性が、丁寧なセッションを重ねることによってより一層深化している印象を受けました。

染谷:やっぱり、1曲1曲丁寧に作っていきたいという気持ちがあって。仮に自宅の環境で完結できるものを作ったとして、結局それは自分が納得できるものにはならないと思ったんですよね。

——数年前のインタビューで、永井さんは自身の歌声にコンプレックスを持っているとおっしゃってましたが、本作の歌録りはいかがでしたか?

永井:いまだに慣れないですね。昔ほどではないんですけど、自分の声を聞くとストレスを感じちゃうんですよ。

——いわゆる「シンガー・ソングライター・ボイス」的な奥ゆかしさがある歌声で素敵だと思います。

永井:言わんとしていることはわかるんですけど、自分のことになっちゃうとどうしても……。でもまあ……今ではもう諦めてますけど(笑)。

——榊原さんはいかがですか?本作のご自身の歌唱について。

榊原:こういう言い方するとすごい鈍感な人みたいだけど、前までとやり方も印象もほとんど変わってないです(笑)。ただ、年々花粉症が酷くなって。他の人は気づかないかもしれないけど、自分では気にしている曲もあります。

染谷:香保里さんの歌録りであんなにたくさんテイクを重ねたのは今回が初めてじゃない?そういう意味ではいつもより苦労したとも言えるよね。

——歌唱のニュアンスも含めて、アルバム全体の傾向として、以前までに比べるとより一層落ち着いたトーンになっているように感じました。もちろん、アレンジとかはとてもウェルメイドなんだけど、以前よりもどこか内向的というか。

染谷:若い頃は「なにかすごいものを作ってやるんだ」っていう意気込みが強くあって、それは曲やサウンドに反映されていたと思うんです。けれど、時間が経つとともに、世界の片隅で何気なく演奏されているような音楽の方がリスナーとして素直に心に響いてくるなという気持ちが強まってきたんです。今作はまさにそういう気持ちで作っていったので、今おっしゃったような印象を与えるんだと思います。作曲、録音、編集にしても、そういう感覚を信じながら作業していきました。聴いてくれた人全員になんとなく刺さるよりも、その中の一人の人に深く刺さればいいし、その深さが深いほどいいな、と。まあ、そういう意識は昔から持ってはいたんですが。

——ミックスの方法論もだいぶ変わりましたよね?よりプライベートで親密感が増した印象です。定位感やEQ(=イコライザー)等も、かなり攻めている部分が目立ちます。

染谷:もともと独学で作曲や編曲を学びながらやってきたんですが、それはミックスについても同じでした。数年前、NegiccoのKaedeさんのミニ・アルバム『秋の惑星、ハートはナイトブルー。』をウワノソラの角谷博栄さんと共同でプロデュースした時から、自分でPro Toolsをいじるようになったんです。その時は途中まで自分でミックスして、その後エンジニアさんに投げるっていう形だったんですが、今回は最初から最後まで、永井がやった「夜の霧雨」を除いてすべて自分がミックスを担当しました。過去のLampの作品と今作の一番の違いはそこだと思います。

定位に関しては、一旦は歌やキック、ベース等がセンターにあるような王道の手法を試したりもしたんですけど、そういうものって、迫力だったり、音響的な綺麗さや聴きやすさだったり、ひいてはマーケティング的な思惑だったり、いってみれば短期的に消費されるための目標にあわせた音作りだと思ったんです。実際60年代以降のポップスを振り返ると段々と現在のミックスの方向に整ってきているのがわかると思います。僕は自分なりに「長期的に聴かれる音楽とはこういうものなんじゃないか」と仮説を立てて考えて、結果、最終的に王道から外れたようなミックスになったんです。

永井:自分も、そういうミックスの方向性には最初から良い感触があったので賛同していました。だから基本的には染谷先輩に委ねてました。個人的に最後まで迷ったのは、トラックダウンしたデータをアナログテープに通すか通さないか、っていう点ですね。試しにやってみって、良くなったといえば良くなった気もする一方、必ずしもすべてがそうともいえないような気もしていて、最終的には曲ごとに決めていきました。

榊原:私は、はじめヴォーカルの定位にちょっと違和感があったんだけど、最終的には今の状態がいいなと納得しましたね。

染谷:聴いた人が「極プライベートな作品」と感じられるようなものになっていると良いなと思ってます。

海外での人気とストリーミングサービス

——これまで皆さんは、「短期的に消費される音」をそうやって意識的に避けてきたと思うんですが、この数年間で、ある意味「短期的な消費」の象徴ともいえるストリーミング・サービス上で爆発的な人気を獲得することになりましたよね。いつ頃からそういった動きに気付いたんでしょうか?

染谷:明確に「バズ」という形で認識したのは、2021年の6月くらいでした。一方で、ここ2年くらいのネット上の一連の動きとは別に、結構前から割りと海外からの問い合わせ等はありました。2000年代半ばに韓国のレーベルからリリースの話がきたり、ライブに誘われて出演するとすごく盛り上がってくれたり。多分、もう一つのきっかけになったのが、2000年代後半に自分達の音源が違法アップロードされて海外でじわじわ聴かれるようになっていったことだと思います。その時は、聴いてくれる人がいて嬉しいな、みたいな素朴な気持ちでした。当時から、うまくいけば日本以外の人達にもたくさん聴いてもらえるんじゃないか?とは思っていたんです。

榊原:中国や韓国に行くと、やたらに「恋人へ」の曲とか「二十歳の恋」が人気だったよね。当時はなんでそればっかり人気なのか謎だったけど。

永井:そうそう。こう言ってはなんだけど、自分達の中ではそこまで存在感があるわけではない曲がすごく人気っていうのが面白かったですね。海外の人達が好む特有のテイストっていうのがあるんだろうな、と思ってました。

染谷:僕らが気づいてないだけで、作品が持っているパワーっていうのがあるのかもね。

——Lampの音楽に限らずですが、そういう新しい世代のリスナーにとっては、「切なさ」や「ノスタルジー」といった感覚がキーになっているようですね。

染谷:リスナーとしてそういう感覚を抱かせる音楽に感動させられてきたから、自分で作る上でも自然とそういう要素が出ているのかもしれませんね。

——その後2010年代半ばにRedditへ曲が投稿されたり、配信開始以降Spotifyで大きな生成数を記録したり……。

染谷:はい。

——結果的に2021年以降のTikTokでのバズや再生数の急上昇に繋がっていったわけですね。

染谷:正直に言えば、サブスクリプション型のストリーミングサービスが導入された当初は、めちゃくちゃ腹が立ちました。音楽を作っている側の印象としては、「音楽の価値をこんなに下げちゃって大丈夫なの?やばいでしょ」みたいな感覚でしたね。だから、当初は自分達の作品のサブスク解禁にも否定的だったんです。けど、一方で海外の人達は簡単にCDも買えないし、正規ダウンロードできない国もあった。実際に聴きたいと思ってくれている人達がたくさんいることを考えて、すごく悩んだんですが、2018年に多くの曲を解禁することにしたんです。ちょうどその時期に「Lampはコンテンツがしっかりしているから、インターネット上のインフラを整えておくだけで上手くいく」という助言をしてくれる人もいて、オープンな方向に考えを切り替えました。

——繰り返しになりますが、これまでのLampの活動スタンスとSNSやストリーミングサービス上のバズ的な現象っていうのは、ある意味で相反するもののようにも思えるんですが、そういうメディア環境の中で自分達の曲が大きな支持を得るという現象について、どう感じてらっしゃいますか?

染谷:大きく分けて2つ思うところがあるんです。1つは、これまで自分達はいつか多くの人に長く聴いてもらえる音楽をやっていると信じて活動してきたので、そういう意味では、あまり驚きがないといいますか、「当然」という気持ちがあります。

矛盾するようですが、その一方で驚きの気持ちもあります。というのも、TikTokにしてもYouTubeにしても、おっしゃるとおり自分達の価値観や美意識、考え方とは相容れないものだと思ってきたので。そういうところで広まっているというのは不思議な気持ちです。けど、これは1つ目の話に戻りますが、結局は中身をしっかり作ってきたからこそ、そういう現象に繋がっているんだろうなとも思っています。

榊原:まあでも、最初は意味が分からなかったよねえ。

染谷:香保里さんは今でもかなり嫌がっているよね。

榊原:「バズ」とか「海外で聴かれている」みたいなことにフォーカスする記事が上がったことで、初めて知る方にはそこばかりが注目されているような気がして、すごく嫌でした。矛盾しているけど、私にはLampの事を秘密にしたいっていう気持ちが結構あるんです。あと、『恋人へ』のジャケットがアニメ調のイラストになってたりするじゃないですか。

——いわゆる「ミーム」になっていますね。

榊原:そう。始めのうちは、そういう文化にあんまり詳しくないから、ギャグとして消化されているのかも、とショックでした……(苦笑)。今ならなんとなくわかりますけどね。

事前の宣伝活動無しでリリース

——そういう大波が来ている状況を受けて発表される新作ということで、音楽業界的な常識だと、「今回は勝負作だからガンガン宣伝していこう!」みたいなノリになるところだと思うんですが、ガンガン押すどころか、プレスリリースすらないし、サンプルも配布しないで予告なくデジタルリリースをするというスタイルですよね。これはなぜなんでしょう?

染谷:これは関しては、僕の独断で、業界内にアナウンスをしないどころか、2人にも情報解禁日含め、なんの相談もせずにそうしたんですよ。そもそも関係者が先に聴けることが当たり前になっていることに対して疑問もありました。それとTwitter等に書いたような理由もそうですが、単に僕が捻くれ者というところもあるかもしれません(笑)。あと、こうすることによって僕もリリース自体を楽しみたかったというのもありましたね。

榊原:前作の時とか、自分達でプレスリリース作らなきゃだったり結構大変だったので、今回はそういうの一切やらなくていいって大陽が言った時めちゃくちゃ嬉しかったけどね(笑)。

——仮にレーベルを介してフィジカルリリースをするとなると、収益的なところの調整が必要になるのはもちろん、いろいろとスケジュールを逆算して動かなくてはいけなくなるから、DIYなスタイルを貫きたいアーティストにとっては実質的に制約が増えてしまうというのもありますね。

染谷:そうなんです。自分にとってはそれが何よりも神経を削られる作業なんですよ。単純にとてもキツくて。

——だからデジタルでいきなり出した、と。

染谷:話が少し戻りますが、海外で人気が出たことは良いことばかりではなくって。もともと僕は日本のリスナーの方々が熱心に僕らの音楽を聴いてくれるのを嬉しく思ってて、ネット上の感想から批評的なものまで検索して読んだりするのが楽しかったんですね。

でも、こうして海外でかなり広まって所謂ライト層のリスナーが増えて、そういう方々からものすごい量のコメントやDMが来るようになったんですが、そこに書かれていることがどれも似たようなコピペみたいな文章ばかりで、「本当にこの人は僕達の音楽を聴いているのかな?」と思うような内容のものも少なくなく、そういうのを読んだり返事をしたりすることに疲れてしまい、ちょっと哀しいことなんですけど、最近は一切のDMやコメントを読まなくなってしまいました。

今回、20曲入りのアルバムにしたのも、本当に僕らの音楽自体を好きな人に向けたいという気持ちがありました。Spotifyの再生回数上位曲しか聴いていないようなファンを名乗る人たちに対して「どうだ、どうせ君たちは全部聴かないだろう」という気持ちもあって。みんな好きで聴いてくれていることには変わりはないから、あんまり言いたくはないのですが……。

——ラジカルですね。

染谷:正直、そういう「ファン」に向けてプロモーションするくらいなら、むしろ流行ってくれない方が良いくらいに思っています。それよりも納得の行くものをちゃんと作るということの方が、自分達にとっては重要で。サブスクでの再生回数がどうしたとかはこの際全くどうでもいいと思ってリリースしました。

もちろん、たくさん聴かれて短期的な収入が増えるとかは悪くないことですよ。けれど、そういうことよりも、好きなこと、長期的に納得できることをやっていく方がはるかに大事なんです。目先のことに囚われたようなものを出すことの方が、僕らにとって不利益だと思います。

それと、長いこと音楽を作り続けていると、結局音楽の言葉にできない部分に惹かれているんだなというのを改めて感じるんですよね。それだけを追い求めている、といってもいいくらいです。言葉で説明するプレス資料なりを作らなかったのにはそういう理由もあります。とにかく、音楽をそのまま音楽として聴いてくれたらそれでいい、という気持ちですね。

——最後に、今後の予定を教えてください。

染谷:今は具体的な予定はゼロです(笑)。「常識」でいったら、CDとレコードも出して、レコ発ライブをやって、みたいなことになると思うんですけど、まだはっきり決まっているものはないですね。ツアーは国内に限らず、海外も広く回ろうという話をちょうど調整しているところです。

Lamp 『一夜のペーソス』

■Lamp 『一夜のペーソス』
2023年10月10日リリース
1. 夕星のペーソス
2. ラスト・ダンス
3. 曖昧で憂鬱な僕たちの
4. 帰り道
5. ミスティ・タウン
6. 角をまがれば
7. 八月のカレンダー
8. 深夜便
9. 彼女の時計
10. ウィークエンド
11. 秋の手紙
12. Summer Triangle
13. ベッドルームの午後は
14. ふゆのひ
15. 月世界旅行
16. 古いノート
17. 朝靄の中を
18. 部屋にひとり
19. 夜の霧雨
20. 未だ見ぬ夜明け

Lamp : 染谷大陽、永井祐介、榊原香保里
Produced and Directed by 染谷大陽
Mixed by 染谷大陽 (except 「夜の霧雨」 by 永井祐介)
All arrangement by Lamp (except strings arrangement on 部屋にひとり by シンリズム)
 Recorded and Mastered by 中村茂樹
https://linkco.re/gQtY1r1s

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「Hachirogata Lake(八郎潟)」が鳴らす音 越境するアンビエント Chihei Hatakeyamaインタヴュー https://tokion.jp/2023/11/25/interview-chihei-hatakeyama/ Sat, 25 Nov 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=216764 Chihei Hatakeyamaが9月にリリースした『Hachirogata Lake(八郎潟)』は、どう生まれたのか。レコーディング中のエピソードや自らのアンビエントミュージック観を訊く。

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Chihei Hatakeyama

Chihei Hatakeyama
2006年にChihei Hatakeyamaとしてシカゴの前衛音楽専門レーベルKrankyより、ソロ・アルバムを『Minima Moralia』をリリース。以後は、イギリスのRural Colours、Under The SpireやオーストラリアのRoom40、日本のHome Normalなど、国内外のインデペンデントレーベルから多くの作品を発表し、海外でのライヴ・ツアーもおこなっている。海外での人気が高く、Spotifyの2017年「海外で最も再生された国内アーティスト」ではトップ10にランクイン。2021年4月にイギリスのギアボックス・レコーズからアルバム『Late Spring』を発売。今年、音楽を担当した映画『ライフ・イズ・クライミング!』が公開。近年は海外ツアーにも力を入れていて、2022 年に全米15ヵ所のUSツアーを敢行した。9月1日に「Hachir​ō​gata Lake」をリリース。

2006年のデビュー以来多数のオリジナル作品を発表し、世界中のリスナーから高い評価を得てきた東京在住の電子音楽作家・Chihei Hatakeyama。そんな彼が2023年9月にリリースした最新作『Hachirogata Lake(八郎潟)』は、これまでのオリジナル作品とは一風異なる、ユニークなコンセプトを持ったアルバムだ。

タイトルの通り、同作は、秋田県男鹿半島に位置する八郎潟をテーマとしている。1957年から約20年間をかけて大規模干拓事業が推進され、広大な農業用地として生まれ変わった同地は、風光明媚な自然と人為的環境が併存する、県内有数の景勝地としても知られている。

昨年9月、Hatakeyamaはレコーダー片手にこの八郎潟を訪れ、フィールドレコーディングを敢行。その素材を基に楽器類をダビングし、1枚のレコードとして完成させたのが本作だ。この特異な作品はどのように生まれたのか。レコーディング中のエピソードから、自らのアンビエントミュージック観まで、じっくりと話を聴いた。

自身のルーツと遠くないかもしれない存在の「八郎潟」

――どういった経緯で今回の作品を制作することになったのでしょうか?

Chihei Hatakeyama(以下、Hatakeyama):リリース元であるオランダの「Field Records」というレーベルから声を掛けられたのがきっかけです。その名の通り、主にフィールドレコーディングをフィーチャーした作品を手掛けているレーベルです。すでにSUGAI KENさんが『Tone River(利根川)』(2020年)というアルバムを出されていて、日本のサウンドスケープをテーマとした同じシリーズの続編として私に声が掛かったんです。

――八郎潟というテーマもレーベル側からの提案だったんでしょうか?

Hatakeyama:はい。〈Field Records〉がオランダ大使館と繋がりがあって、その関係で過去にオランダと日本が協力して大規模な干拓事業を展開した八郎潟をテーマにしてはどうだろう、という話になったんです。現在の大潟村が位置する陸地部は、1957年から干拓工事が進められた結果生まれた土地なんですが、その工事にあたって、干拓の先進国であるオランダの技術が大幅に導入されたのだそうです。

――以前から八郎潟の歴史に関心を持たれていたんですか?

Hatakeyama:いや、お恥ずかしいことに、このプロジェクトに取り組むまではなんとなく地理で習ったことがあるな……くらいの認識でした。そもそも八郎潟どころか秋田県自体に行ったことがなかったんです。うちの父が北海道出身なんですが、どうやら先祖が明治の頃に東北から北海道の開拓地に移住して生活を始めたようなんです。だから開拓地というものにもともと関心はありました。それと、秋田県って「畠山」という名字の家がかなり多いらしくて、その辺りにも縁を感じましたね。父方の祖母も青森出身なので、自分のルーツもあの辺りと遠くないのかもしれないな、と。

――録音に際して、八郎潟についてリサーチしましたか?

Hatakeyama:現地に行く前に軽く調べて、現地入りしてからはまず大潟村干拓博物館を訪ねました。その展示を見て強く感じたのは、今とは全く違う未来への希望のようなものでした。当時の若者達の様子だったり、村の人達の声だったり……触発されるものがありましたね。

実際に現地に行って驚いたのが、干拓地の広大さです。本当に広い。ほとんどが農地で、人が住んでいるところはごく一部なんですが、とにかく一面に開けた風景で、圧倒されました。車を使うと良い音響のポイントがわからないので徒歩で移動したのですが、2022年9月のすごく暑い期間で、足は疲れるし、一瞬で汗だくになってめちゃくちゃ大変でした(笑)。

――あらかじめ「こういう音を録りたい」というイメージはあったんでしょうか?

Hatakeyama:干拓地の周囲に湖や川があるので、水の音にフォーカスしようというのは決めていました。バスを降りて八郎潟へ向かう途中、最初に立ち寄ったのが湖への流入河川だったんですが、そこに鳥の大群がやってきて鳴いている様子を水の音と一緒に録音しました。「水に鳥 / Water And Birds」というトラックでその時の音を使っています。

――一般的にも、フィールドレコーディングにおいて「水」は非常に重要なモチーフになっていますよね。なぜ水の音に惹かれるんでしょう?

Hatakeyama:1つには、それが実体を伴っていて触覚的にも認知できるものだから、というのがあるかもしれません。厳密にいえば空気だって触れるわけですけど、自分にとって水というのは特有の実在感があるんですよね。それでいて、明確な形で固定されているわけではなくて、常に環境に応じて変化する。そういう実体性と抽象性を兼ね備えているところが自分の音楽観にも合致するんだと思います。あとは、当然水が発する音のおもしろさもあります。反復音を発しているようでいて、よく聴くと一度として同じ音がないんですよ。

――アルバムを聴いていると、各場所特有の「水の音」が存在することに気付かされますね。それぞれの水の音から、特定の風景が立ち上がってくるような感覚を覚えます。

Hatakeyama:そうなんですよ。今いった「水に鳥 / Water And Birds」の録音ポイントは風景もすごく印象的でした。遊覧用の小さなボートが打ち捨てられていて、かつては活気があった場所が今はすっかり落ち着いている……そういう印象を抱かせる風景でした。

――なんともいえない情感溢れる音ですね。

Hatakeyama:その後、場所を移動してご飯を食べにお店に入ってもほとんど人がいなくて……そういう儚げな感覚はアルバム全体に反映されていると思います。はじめは自然の音を録りにいくんだと考えていたんですが、実際に現地にいってみると、当然のことながら、やっぱりここは「自然」というのとはちょっと違うかもしれない、と思いました。むしろ、水や生物などの「自然」と人工的なものの混ざり合いが魅力だなと感じて。無人のボート乗り場の桟橋が風で揺れている音とか……。他にも、1曲目の「池のほとり / By The Pond」というトラックでは、虫の声にどこかから聞こえてくる打ち上げ花火のような音が重なってきたり。

――あの「パーン」という音ですね。おもしろい効果を生んでいると感じました。

Hatakeyama:加えて印象的だったのが、鳥や虫の声がふと途切れて、ほとんど音が聞こえてこないポイントもあったりして。そういうのも人工的な環境ならではのサウンドスケープだと感じましたね。だから、レコーディングポイントを探すのはわりと苦労しましたね。見つかったとしても、カラスの大きな声が他をかき消してしまったり……(笑)。なので、カットしたり、レイヤーを重ねたり、あくまで音楽作品なのでそのあたりの編集は細かくやっています。

2000年代の「音響派」と接続する現在地

――フィールドレコーディングを基にした作品というと、ともすれば「環境音をありのまま客観的に収録したもの」と考えられがちだと思うんですが、楽器音を足す場合はもちろんのこと、仮にフィールドレコーディング素材のみを使用する形だったとしても、実際にはさまざまなレベルにおいて録音者の主観なり作家性のようなものが反映されますよね。その辺り、畠山さんご自身はどう考えてらっしゃいますか?

Hatakeyama:おっしゃる通りだと思います。フィールドレコーディングの素材を用いて作品を作る手法はかれこれ20年近くやっていますが、だんだん自分なりのメソッドみたいなものができてきますしね。「世界をどう切り取るか」を前提として、いろいろな機材をチョイスして特定のポイントで録音するわけですけど、それを続けていく中で徐々に自分なりの手法が積み重なっていきますから。

それと、一般的にフィールドレコーディングというと、高性能マイクの使用が推奨されがちなんですが、そういう機材というのは、カメラで言えばすごく高解像度の機種と同じというか、ときに「写りすぎてしまう」んですよね。確かに細部はくっきりわかるんだけど、必ずしもそれが音楽的に適切とは限らないわけです。むしろ、僕の好みはもうちょっと曖昧さがある音です。「裸の環境」を録りたいわけじゃないんですよね。加えて、楽器の音とあわせたときに、あまりに高精細だとうまく混じらないという事情もあって。今回も、ZOOMのH4っていう安価なハンディレコーダーを使用しています。

――近年、関連書籍が複数刊行されたり、フィールドレコーディングという行為やそれを素材とした作品の存在感がより一層増してきていると思うんですが、そういったムードは畠山さんご自身も感じてらっしゃいますか?

Hatakeyama:はい。最近いろいろなところで注目されている感じがしますね。

――そういった流れは、サウンドスケープ思想とも浅からぬ関係性にあるアンビエントミュージックが昨今大きな人気を博していることと無関係でないように思います。

Hatakeyama:はい。

――畠山さんは、まさにその現代のアンビエントシーンを代表するアーティストと世間から認識されていて……。

Hatakeyama:うーん、どうなんでしょう。そう言ってもらえることも少なくないんですが、実際のところ、違和感とまでは言わないにしても、ちょっと考えるところもあって。

――というと?

Hatakeyama:2000年代半ばから音楽家として活動を始めたんですが、僕の音楽が明確にアンビエントという言葉でくくられるようになったのは、ここ10年くらいの話なんですよね。それは、おそらく過去の日本産環境音楽などがブームになったこととも関連していると思うんですが、僕はどちらかといえば、2000年代のエレクトロニカだったり、同時代のいわゆる「音響派」といわれるような音楽に強い影響を受けて音楽を作り始めた自覚があるんです。

具体的な作品で言えば、フェネスの『Endless Summer』(2001年)を初めて聴いた時の衝撃が本当に大きくて。だから、今世間で言われているアンビエントの方向性とはややすれ違うというか……フェネスの『Endless Summer』も現在ではアンビエントの名作という事になっているのですが、発売された時はアンビエントとして認識されてなかったんじゃないかな。自分自身が若かったのもあるのか、当時の音楽シーンの方が希望があったというか、夢があったというか。もちろん、1990年代は流行していたチルアウト系とかアンビエントハウス系も聴いてはいましたね、ギリギリ細野さんがアンビエントをやっている時期で、ミックスマスターモリスと細野さんのDJイベントに行ったんですね、あれがアンビエントのイベントの最初の体験かもしれない。それで最初にシーケンサーとカセットのMTRを入手して、何かおもしろいことが出来ないか、色々実験したりしてましたね。友人と即興のバンドをやったりもしていました。その頃のテープとかMDとかあれば良かったんですが、全部捨ててしまったんですね。その時期の作品も今で言うところのアンビエントの範疇に入るかもしれない。

――なるほど。

Hatakeyama:他には、カールステン・ニコライとか、池田亮司さんとか……メロディーを削ぎ落として、マテリアルの響きだけを主題化するようなラジカルな手法に衝撃を受けて。あとは、デレク・ベイリーから連なるインプロヴィゼーションミュージックの流れにも関心を持ったり。そういった音楽から受けた刺激が、デビュー作の『MinimaMoralia』(2006年)に繋がっていったんです。何が言いたいかというと、少なくとも活動開始当初にはアンビエントというタームはそれほど意識していなかったし、基本的には今もそのスタンスに違いはないと思っているんです。

ただ、おもしろいのは言葉は変化するというか、90年代のアンビエントとが指していた領域と現在のアンビエントが指している領域は全然違うんですね。アンビエントの領域はどんどん広がっていき、これもアンビエントだ、あれもアンビエントだと、そこは聴く人や作る人の自由な解釈でいいんじゃないかな、それぞれのアンビエントがあるという事で。なので僕もうっかり言葉に引っ張られてしまうことが多いんですが、作品を作るときはなるべくアンビエントとアンビエント以外の境界線を狙おうと思ったりする時もあります。

――今作を含め、実際に作られているサウンドを聴くと、今のお話はよく理解できます。例えば、ギターの音の使い方も一般的なアンビエントの語法とは異なる、言ってしまえば、もっとポストロック〜オルタナロック的なものを感じます。

Hatakeyama:そうなんですよね。やっぱり、高校時代からメタルが大好きでよく聴いていたというのが大きいと思います。今でも好きですよ。それと、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響が一番大きいですね。そこからさらにマイ・ブラッディ・ヴァレンタインに行って……だから、基本的に僕の音楽はそういうオルタナティブなロックの系譜にあるものだと思っているんです。ステージでフライングVを弾いてみたり、いかにもロック的な見た目のギターをあえて使っているのにもそういう理由があります(笑)。

今より10年くらい前はソロ活動だけでなくて、バンドや歌ものプロジェクトでも活動していたんですね、実は……僕が歌っていたわけではないんですが……コーラスくらいは少しやったかな。ここ10年くらいはレーベル運営とソロ活動に主に時間を費やしていましたが、今後は色々とまた音楽性を広げていこうかなと考えているんですね。来年にはジャズドラマーの石若駿さんとのアルバムがリリースされる予定です。久しぶりのドラム入りの作品で、自分にとっはかなりエポックメイキング的なものになりそうです。とはいえ、今回のアルバムは、いわゆるアンビエントの名作と言われるものからの影響も確実にあるんですけどね。例えば、ブライアン・イーノの『Ambient 4: On Land』(1982年)とか。

――あのアルバムも、フィールドレコーディング素材を取り入れた作品ですよね。荒涼とした田園地帯を思わせるようなダークなアルバムです。

Hatakeyama:そうです。あの空気感は大いに参考にしました。

――逐一各楽器のフレーズを考えながら作っていったんでしょうか? それとも即興で?

Hatakeyama:その中間ですかね。ここに「こういう音を入れてこういう意味を持たせよう」という形ではなくて、あくまで直感的に入れていきました。フィールドレコーディングの素材を流しながらセッション的に足していったものもあれば、ストックしてあった素材でフィットしそうなものを使ったりもしています。

実は、コロナ禍以降ちょっとしたスランプのような状態になってしまっていたんです。時間もできたしたくさん曲ができるだろうなと思って、実際細かいストックは溜まっていくんですが、かえって袋小路に入っていくというか、どれも今ひとつピンとこないものばかりだったんです。そういう体験は初めてでした。けれど、アメリカツアーや映画音楽の仕事をやっていく中で2022年の夏頃から徐々に気持ちが変化していって、急に手応えが戻ってきた感覚があったんです。

今振り返ると、スランプに陥ってしまっていたのは、ライヴができなくなったことで実際に空気を震わせて人前で音を出すという行為から離れてしまったせいじゃないかと思っていて。だから、やっぱり久々のツアーが大きな刺激になったし、自分が弾くフレーズにももう一度新鮮さを感じることができるようになったんだと思います。この作品は、まさにスランプから明けた2022年9月頃から制作を始めていったんです。

――今のお話からすると、実際に現地に赴いて足を棒にしながら空気の振動を録音していくという作業も、一種のセルフセラピーに繋がっていたのかもしれませんね。

Hatakeyama:それは大いにあると思います。そういう意味でも、自分のルーツとも遠くない八郎潟という土地はすごく良かったんだと思います。初めて訪れたのにも関わらずイメージが湧きやすかったですし、八郎潟の風景と音にどこか懐かしさを感じたんですよ。あれは不思議な体験でした。

それと……今も世界各地で悲惨な戦争が起こっている最中ですけど、果たして自分の生活もこのまま続いていくのだろうか、ということをすごく考えるようになったというのも大きいと思います。このアルバムを作るという行為自体が、そういう感覚を携えながら、自らの心と深く向き合い直すことでもあったと思っています。

Photography Mayumi Hosokura

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海外で再評価が高まるDIYシティポップアーティスト・鈴木慧が1980年代からの音楽活動を振り返る https://tokion.jp/2023/10/27/interview-satoshi-suzuki/ Fri, 27 Oct 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=213490 ミュージシャン、鈴木慧がこれまでの経歴や音楽活動の変遷、今回のリリースのきっかけなどを語る。

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鈴木慧(すずき・さとし)
1958年7月、東京生まれ。1977年以来の現役ライブハウス・ミュージシャン。担当楽器はジャズピアノだが、好む音楽はソウルミュージック。従って出来上がる音はAOR。
http://litera.in.coocan.jp/tealive.htm

鈴木慧。1980年代からソロ音源を制作し、これまで幾枚かのアルバムをリリースしてきた、「シティポップアーティスト」。今もなお現役パフォーマーとして活動し、コンスタントにライブ演奏を行う都会派ミュージシャン。そのように紹介したとしても、実際のところ、彼の名前にピンとくる読者はごく限られているだろう。それもそのはず。鈴木慧は、これまでのキャリアの中でヒットを飛ばすどころか、メジャーな音楽シーンに名を刻んできたわけでもない、あくまでマイペースに音楽を奏で続ける1人のアマチュアミュージシャンなのだから。

しかし。近年になって、その彼が今から35年も前にリリースしたLPレコードが、国内外の一部の音楽ファンのあいだでにわかに話題となっている。先鋭的なDJや、「ディガー」と呼ばれるコアなレコード好き、あるいは夜な夜な東京のクラブで音楽を楽しむ一部のリスナー達が、鈴木慧の音楽に魅了され、まるで、人知れずタイムカプセルに保存されていた品と不意に対面したかのような驚きをもって、大切に耳を傾けてきたのだ。

その親密な宅録サウンドは、まるで、ジェフ・フェルペスやドワイト・サイクス、チャック・センリック、ジョー・トッシーニといった、この10年ほどで発掘されたDIYソウル〜AORにも通じる温かで繊細な魅力に溢れており……いや、こうしてそれらしい固有名詞を並べて「音楽オタク」向けに賢ぶってアピールしてみてもあまり意味はないかもしれない。決して大多数から熱狂的に支持されるタイプのものではないが、ある種の人々の心を確実に捉えてやまない……それが鈴木慧の音楽だからだ。

今回、そんな鈴木慧が過去に残した音源が、米ポートランドのレーベル「INCIDENTAL MUSIC」によって、編集盤『遠い旅の同行者』としてまとめられ、アナログリリースされる。昨今、過去に制作されたさまざまな日本産音楽が海を越えて再評価されているが、今作のリリースは、そんな一連の出来事の中でも特に喜ばしい慶事といえる。

発売に際し、これまでの経歴や音楽活動の変遷、今回のリリースのきっかけなど、鈴木慧本人にじっくりと話を訊いた。

早熟リスナーからバンドマンへ

——生年と出身地から教えていただけますか?

鈴木慧(以下、鈴木):1958年7月、東京生まれです。生まれてこの方ずっと池袋在住です。

——子どもの頃から音楽はお好きだったんですか?

鈴木:はい。中学の頃からは、今でいうシティポップの前身となるような音楽——はっぴいえんど、キャラメル・ママからティン・パン・アレー関連の音楽など——を好んで聴いていました。当時、TBSラジオの『パック・イン・ミュージック』木曜日の回や、『こずえの深夜営業』等、馬場こずえさんのラジオ番組をよく聴いていたんですが、その辺りの曲をよくかけていたんですよ。荒井由実や吉田美奈子のデビュー作も、細野晴臣さんの『HOSONO HOUSE』も、大瀧詠一のファースト・ソロ『大瀧詠一』も、最初は全部ラジオを通じて耳にしました。

——かなり早熟なリスナーだったんですね。

鈴木:そうだったのかもしれませんね。1970年代半ば頃まで、あくまで主流は歌謡曲やフォーク系のニューミュージックでしたから。

今日の取材のために、1977年当時自分で編集したカセットを持ってきたんです。シングル盤を買い集めてはせっせとダビングしていました。(インデックスカードを見ながら)大貫妙子さんの「Wander Lust」、「明日から、ドラマ」、南佳孝さんの「これで準備OK」、「ソバカスのある少女」、吉田美奈子さんの「恋は流星 part2」、尾崎亜美さんの「旅」、ハイ・ファイ・セットの「風の街」、伊藤銀次さんの「風になれるなら」、松任谷由実さんの「潮風にちぎれて」、かまやつひろしさんの「サテンドレスのセブンティーン」、久保田麻琴さんの「バイ・バイ・ベイビー」……。

——(インデックスカードを見ながら)ミュージシャンのクレジットも自ら書き込んでいたんですね。

鈴木:当時からパーソネルをチェックして、ティン・パン・アレーがバッキングに参加しているものを片っ端からを手に入れていました。高校を出た後に、江古田のレコード屋さんでバイトを始めたので、欲しいものはすべて自分で注文して買っていたんです(笑)。

——ご自身で演奏を始めたのはいつからですか?

鈴木:高校生の時、クラスの友達とバンドを始めて、卒業後の1977年からライブハウスに出始めました。高円寺のレッドハウス、荻窪のロフト、渋谷のヤマハ他……都内のライブハウスはかなりの数出演したと思います。

僕のパートはキーボードとボーカルで、他にアコースティックギター兼ボーカルのメンバーが2人いて、トリオでやっていました。割と早い時期にフェンダーローズを頑張って買って、ライブでも使っていました。編成的にはシンプルな形ですけど、キャロル・キングやジェイムス・テイラーの大ファンだったので、ベタなフォークというよりは、もっと洗練したものを志向していましたね。3人のコーラスも重要な要素でした。ギターの2人にジェイムス・テイラーや吉川忠英さんのプレイを研究してもらったり……。

——その頃のレパートリーはオリジナルソングだったんですか?

鈴木:はい。高校を出て尚美高等音楽学院(現・尚美ミュージックカレッジ専門学校)へ進んで、作曲を習っていたんです。本来はクラシックの作曲科なんですけど、僕はポップスの作曲をやっていました(笑)。ジャズ科の連中と交流したり、割と自由な環境でしたね。クラシックの理論を学びつつ、ジャズのバークリーメソッドも勉強する、といった日々です。ジャズの理論を勉強することで、ボサノヴァのコードを使えるようになったり、そこでの経験が自分のその後の作曲にとって大きな糧になりました。

——ソウル系の音楽も聴かれていましたか?

鈴木:聴いていました。クインシー・ジョーンズのA&M時代のアルバムが日本盤として一挙にリリースされて、それを買ったのがソウル的なものに触れるようになったきっかけです。1980年代以降はブラックコンテンポラリーと呼ばれるものをよく聴くようになりました。

——AOR系は?

鈴木:もちろん大好きです。マイケル・フランクスやスティーリー・ダン、ボズ・スキャッグス等々……。よくレコードを買いましたね。

——後にリリースされるアルバム『週末の光と風』の帯で、「ジャズ40%、ソウル30%、ブラジル20%、歌謡曲10%」とご自身の音楽を説明されていますが、まさにその頃の音楽体験が反映されているわけですね。

鈴木:おっしゃるとおりです。

——その後バンド活動はどうなったのでしょうか?

鈴木:1977年からおよそ8年間、1985年くらいまで活動していました。けれど、みんな社会人になって忙しくなっていって、自然と解散してしまいました。

——バンドでも録音を残しているんですか?

鈴木:エアーで一発録りで一応録りました。随分前にネットに上げてたりもしたんですが。

1980年代から宅録を開始

——1人で宅録をはじめたのはいつからですか?

鈴木:1983年からです。TEAC244というマルチトラックレコーダー(MTR)を手に入れたのがきっかけです。それまではアマチュアが自宅で多重録音するといっても、デッキを2つならべてピンポンするとか、かなり手間がかかる作業だったので、MTRの存在は本当に画期的でしたね。

——オケはどうやって作っていたんですか?

鈴木:今日も持ってきているこのYAMAHA CS01をメインで使ってました。あとは、ちょうど発売されたばかりのYAMAHA DX-7、それとカシオのシンセサイザーも使っています。やっぱりDX-7はすごく画期的でしたね。それまではポリフォニックといってもいろいろと制約がありましたし。

——当時流行していたテクノポップ〜ニューウェーブ系の音楽をやってみようという気はなかったんでしょうか?

鈴木:そうはならなかったんですよね。僕はあくまで洗練された音楽をやりたかったんです。1980年代初頭をピークにそれ以降シティポップ的なサウンドが停滞していくわけですけど、それはやっぱりニューウェーブの存在が大きかったと思うんです。ニューウェーブというのはパンクに由来するものだから、既存の音楽を壊すというスタンスじゃないですか。だから僕が好きなものとはちょっと違ったんです。

けど、自然と耳に入ってはきていましたよ。僕が1983年当時勤めていた会社に、ニューウェーブ好きの同僚がいましたし。一方、上司はカシオペアやAB’Sが好きで職場でレコードを流していたりして。僕としてはどちらかといえばそちらに惹かれていました。その職場というのが、リットーミュージックのソフトウェア開発部門だったので、みんな当然音楽好きで。

——リットーミュージックに勤務されていたんですね!

鈴木:短い期間でしたけどね(笑)。その後はシンセサイザー奏者の神谷重徳さんのスタジオに勤めていました。

——そうだったんですか!

鈴木:神谷さんのお父さんが画家で、そのアトリエをスタジオに改造していたんです。僕の入社前ですが、坂田明さんや村上“ポンタ”秀一さんなどいろいろなミュージシャンがそのスタジオを使われていたようです。本物のメロトロンとか、立派な機材がたくさんありましたね。といっても、僕の仕事はスタジオ業務に直接関わっていたわけじゃなくて、リットー時代と同じくソフトウェア開発だったんですが。

——そういった生活をされながら日々音源を録りだめていき、1980年代後半に数枚のLPとしてリリースされたわけですね。

鈴木:はい。

——ネットが普及した今でこそセルフリリースは珍しいことではなくなりましたが、当時レコードを自主リリースするのにはいろいろなハードルがあったのだろうなと想像します。

鈴木:自分の中では案外そうでもなかったですね。ナゴムレコードとか、ニューウェーブ系のインディーズも多かったし、その辺りのジャンルだと自主制作している人も結構いましたから。僕もそういう例を見て、自分でも出したいなと思うようになりました。どうやったらレコードを作れるのか調べたら、アテネレコード工業(現・アテネ)という会社が制作の窓口をやってくれるのを知ったんです。

——今となっては、自主制作レコードの名門としてマニアの間で名高いアテネレコードですね。

鈴木:教育目的のレコードを制作している会社で、打ち合わせに行ったら、スーツ姿のマジメそうな社員の方に対応してもらったのを覚えています(笑)。そのアテネに自分で作ったマスターを持ち込んで、カッティング用のマスターテープに変換してもらいました。

——計3枚LPをリリースされていますが、発売された順番は?

鈴木:厳密にいつリリースしたのか記憶が曖昧なんですが……おそらく1987年に『Mandheling Street』を、1988年に『週末の光と風』を、その後に『夏が見せる夢』を出したように記憶しています。『Mandheling Street』と『夏が見せる夢』に入っている曲は1983年以来同じ時期に並行して制作していたもので、もともとバンド時代に演奏していた曲をアレンジし直して1人で録ったものが中心になっています。自分の中では『夏が見せる夢』のほうがファーストアルバムという認識だったんですが、『Mandheling Street』の方が明るい曲が多かったので先に出しました(笑)。『週末の光と風』は、1987年以降に書き下ろした新曲を収録しています。

——ジャケットの制作もご自身でディレクションされたんですよね?

鈴木:はい。

——自主盤にしては、というと語弊があるかもしれませんが、印刷のクオリティがとても高いですよね。

鈴木:神谷さんのスタジオの後、広告代理店に勤めていたんです。レーベル名になっているReal Creative Agencyという会社です。なんでも作る会社だったので、デザインや印刷のディレクションのノウハウがあったんです。実際のデザインをやってくれたのも会社のデザイナーです。「一度でいいからレコードのデザインやってみたかったんだよなあ」と言って喜んでくれました(笑)。若い方は想像もできないと思いますが、当時はまだ版下入稿の時代でした。

——今回の編集盤『遠い旅の同行者のジャケットにもなっていますが、『週末の光と風』のカヴァー写真は特に素晴らしいですね。

鈴木:これは妻が撮ってくれた写真です。市ケ谷駅のホームから外堀を臨んでいる構図ですね。勤務先の広告代理店が市ケ谷にあったので、毎日ここを通っていたんですよ(笑)。

——完成したレコードをどうやって流通させたんでしょうか?

鈴木:営業も納品もすべて自分でやりました。といっても、100枚プレスでしたから、「山野楽器」や江古田の「おと虫」とか、一部店舗に卸したのみです。音楽雑誌にも送りましたよ。「キーボード・マガジン」や「シンプジャーナル」で紹介してもらいました。それを読んだ地方の方から問い合わせを受けて発送した記憶もあります。

米ポートランドのレーベルから編集版をリリース

——そうやっておよそ35年前にリリースされたLPが巡り巡ってのちの世代のリスナーの手に渡り、ついには米ポートランドのレーベル「INCIDENTAL MUSIC」から編集盤がリリースされることになったわけですが、こうした展開について、ご本人としてはどんなお気持ちですか?

鈴木:本当に不思議な気持ちですよね。正直にいえば、当時の音は隙間だらけだし、もっとできたはずなんだけどなあ、という気持ちもあって(笑)。今作っている音に比べるとどうしても……この隙間だらけの音を面白いと思ってもらっているとは思うんですが。

——1人のアマチュアミュージシャンが日常の中で作り続けていた音楽だけに宿る、ある種の親密さやロマンが詰まっていると感じます。メジャー産の「製品」にはない、そういう繊細でプライベートな質感が若い世代のリスナーの耳を捉えているんだと思います。

鈴木:今では基本的に打ち込みですべて完結できてしまいますからね。そういう意味で、これらの曲は全く今の音と質感が違いますね。ドラムも当時のリズムマシンですし、なんといってもローズピアノを多用しているっていうのがこの質感を作り出している気がします。今ではシンセの白玉(長音符)をポーンって入れちゃいますけど、そうじゃなくてあくまで手弾きのピアノを入れているというのが、手作り感を強めているのかもしれませんね。

——歌詞も文芸的でとても素敵ですね。あの時代の東京の、ちょっと儚げな空気というか……どこか孤独感が漂っているというか……。

鈴木:ありがとうございます。歌詞にはストーリー性を込めているんですが、すべてフィクションとして書いているんですよ。

——今回の編集盤には、後の1993年に同じく自主制作されたCDアルバム『心適わない夏、そして秋』からも3曲が収録されています。LP収録の各曲に比べると、サウンドが変化しているのがわかります。

鈴木:ドラムマシンも違うものを使っていて、シンセサイザーも別のカシオのモデルを使っています。マイナー調で、ファンクっぽい曲が増えたのも特徴かもしれませんね。

——今回の編集盤リリースのきっかけを教えてください。

鈴木:サウンドクラウドにいくつか曲を上げているんですが、それを「INCIDENTAL MUSIC」のオースティン(・トレットウォルド)さんが偶然発見したらしいんです。それで、ある日彼からメッセージが来てやり取りする中で、「過去にはこういうのも出していたんだよ」とLPの曲を送ってあげたんです。そしたら、「これらは素晴らしい内容だから、編集盤を作りませんか?」と提案されたんです。

その時点で僕は既にここ(インタビュー場所)のpianola recordsの國友さんと知り合いだったので、「こういう問い合わせが来たんだけど、どう思いますか?」と聞いてみたんですよ。そしたら、数年前に既に國友さんが参加しているレーベル(「conatala」)と「INCIDENTAL MUSIC」が共同である作品(Pale Cocoon『繭』)の復刻リリースをしていたと知ったんです。

——國友さんがオースティンさんに紹介したのではなかったんですね。

鈴木:そうなんです。偶然が重なってリリースが決まりました。

——選曲を担当したのもオースティンさんですか?

鈴木:はい。過去の音源をすべて彼に渡して、好きに選んでもらいました。すごく新鮮な体験でしたね。ボサノヴァ調の曲を多めに選んでくれたのが面白かったです。音源自体はすべて再収録用にDAWでミックスし直しています。

オースティンさんは当初、最近の曲も混ぜて編集盤を作るアイデアを提案してくれたんですが、やっぱりそれは別に考えたいというのがありました。今やっている音は当然今回のコンピレーションに入っているものとは違うし、あくまでここに集められているのは、「1980年代〜1990年代初頭の鈴木慧」なんです。

——鈴木さんは現在も活発にライブをやってらっしゃって、僕も何度か拝見しているんですが、初めて見た時、その特異なセッティングに驚きました。あらかじめ録っておいたリズムをカセットテープで流しながら、YAMAHA CS01にストラップをつけてショルダーキーボードのスタイルで弾き語りするという……。

鈴木:僕のパフォーマンスは、あの形態ありきだと思っているんですよ。ソロライブを始めた1983年当時からずっとあのスタイルです。もともとはYMOが散開ツアーでテープを使っているのを知って、彼らがやっているくらいだから「アリ」なんだ、と思ったのがきっかけです(笑)。

——普通だったらリズムマシンやラップトップを使いそうなところを、カセットを実際に再生しているという……。1曲ごとにカセットテープ入れ替える様子が、キーによってブルースハープを持ち替えるブルースマンのようで素敵でした。

鈴木:まず、カセットをステージ上に並べて、それを曲ごとに入れ替える様子を見てもらいたいというのがあって(笑)。そのカセットの音も、PAに繋ぐのではなく手元のシンセにラインで繋いでいますから、独特の音質になるんですよね。

——ぜひこのインタビューを読んでいる皆さんにもライブを見てもらいたいですね。

鈴木:ぜひいらしてください。近年制作した音源も各サイトにアップしているので、それらも聴いてもらいたいですね。

Photography Mayumi Hosokura

■鈴木慧『遠い旅の同行者 – Distant Travel Companion』(LP)
価格:¥4,200
現在も活動を続けるシンガーソングライター鈴木慧が1980年代から90年代に残した稀少な作品群から選曲したコンピレーション盤が登場。

JP
https://pianola-records.com/collections/distro/products/satoshi-suzuki-distant-travel-companion

EN
https://incidental-music.com/shop-releases/satoshi-suzuki-distant-travel-companion-lp-pre-order

■鈴木慧『遠い旅の同行者』LPリリース・パーティ
日程:2023年11月3日
時間:19時〜
会場:FORESTLIMIT住所:東京都渋谷区幡ケ谷2-8-15 KODAビルB1階
料金:¥2000+1ドリンク
http://litera.in.coocan.jp/tealive.htm

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STUTS とYONLAPAのNoi Naaが語る「ボーダーを超える音楽」——増えるアジア圏のコラボ https://tokion.jp/2023/09/29/stuts-x-yonlapa-noi-naa/ Fri, 29 Sep 2023 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=210006 STUTSと、タイのチェンマイを拠点に活動するYONLAPAのNoi Naaとの対談。コラボレーション楽曲「Two Kites」についてやタイの音楽シーンについて。

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YONLAPAのNoi Naa(左)とSTUTS(右)

STUTS
1989年生まれのプロデューサー・トラックメーカー。自身の作品制作やライブと並行して、数多くのプロデュース、コラボレーションやTV・CMへの楽曲提供など活躍の場を広げている。2021年4月にはTVドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』の主題歌「Presence」を発表。同年10月にSTUDIO COASTワンマンライブを成功させた。2022年10月に3rd アルバム『Orbit』、12月にはMirage Collective名義でのアルバム『Mirage』をリリースした。2023年6月に初となる日本武道館公演を成功させた。
https://stutsbeats.com/
Twitter:@STUTS_atik
Instagram:@stuts_atik
YouTube:@stuts0623

YONLAPA
タイ第二の都市チェンマイ出身の4人組インディポップバンド。ボーカルのNoi Naaがシンガーソングライターとして活動を始め、その後メンバーが加わりバンドとなる。2019年11月にリリースされた曲「Let Me Go」がYoutubeで200万回再生されるなど注目を浴び、シーンの若手最注目バンドとしてその名は海外にも知れ渡ることとなった。2020年デビューEP「FIRST TRIP」をリリース。コロナ禍を経て2022年に待望の日本ツアーを敢行。never young beach、DYGLらと共演を果たすなど、大成功を収める。2023年、初のフルアルバム『LINGERING GLOAMING』をリリース。
Twitter:@yonlapaband
Instagram:@yonlapa
Facebook:@yonlapaband
YouTube:@YONLAPA

9月30日と10月1日の2日間、2023年に町政100周年を迎える軽井沢にてカルチャーフェス「EPOCHS 〜Music & Art Collective〜」が初開催される。これを記念して、同イベントへ出演するプロデューサー/トラックメーカーのSTUTSと、タイのチェンマイを拠点に活動するインディーロックバンドYONLAPA(ヨンラパ)のヴォーカリストNoi Naa(ノイナ)によるコラボレーション楽曲「Two Kites」が制作された。同曲の制作にまつわるエピソードをはじめ、タイの音楽シーンやインディーミュージックの交流の可能性など、さまざまなトピックについて2人に話を訊いた。

「Two Kites」のMV

——今回のコラボレーションのきっかけを教えてもらえますか。

STUTS:「EPOCHS 〜Music & Art Collective〜」のテーマ曲を作ってほしいとイベント側から依頼されて、当初はインスト曲を用意していたんですけど、どなたか出演される方のヴォーカルをフィーチャーするのはどうかという案が出てきたんです。それでYONLAPAのことを教えてもらって、聴いてみたらとても素敵だったので、「ぜひ一緒に作りましょう!」ということになりました。

YONLAPAの音楽は、その声とメロディーにすぐ惹き込まれました。柔らかくてオーガニックな雰囲気なんだけど、急に変拍子が入ってきたりとか、随所にいい意味で普通ではない要素が入っていてすごく面白い。素晴らしいバンドだなと思いました。

Noi Naa:STUTSさんの音楽はプム・ヴィプリットさんとのコラボ曲「Dream Away」(2018年)をはじめ、以前から聴いていて、素晴らしいと思っていたので、今回のお話をいただいてとっても嬉しかったです。同時に、トラックの上に自分の歌を乗せるというスタイルは今まで自分がやったことのないことでしたし、チャレンジしがいのあるコラボレーションになりそうだなと思いました。

——どんな風に作っていったんでしょうか?

STUTS:トラック自体は全部自分が作って僕のバンドメンバーの方にギターやクラリネットを少し入れてもらって、その上にNoi Naaさんが歌メロをつけてくれた形です。元はインストのつもりで作っていたので、完成したバージョンに比べて当初のものはシンセサイザーの音数が少し多かったりしたんですけど、Noi Naaさんの方でそのシンセのフレーズを活かしたメロディーを書いてくれたり、とてもいい共作になったと思っています。

——歌詞もNoi Naaさんが書かれているんですよね。

Noi Naa:そうです。バンドアンサンブルに言葉を乗せるのと全く感覚が違っていて、言葉数を多くしてみたり少なくしてみたり、悩みながら何度も書き直しました。

——タイトルになっている「Kite(凧)」のイメージ通り、ボーダーを超えていくというモチーフがとても印象的です。

Noi Naa:今回の共作のお話をいただいた時に、「ボーダーレス」や「自由」というキーワードを伺っていろいろ考えていたんですけど、いざSTUTSさんのトラックを聴いたら、自分でもパッとそういうイメージが広がっていきました。世界のどこへでも行けるという感覚や、壁が無い世界というイメージに惹かれて、言葉にしていきました。

音楽を通じて感覚を共有する

——異なる地域/文化圏で活動するアーティストとコラボレーションをするという体験ならではの面白さがあるとすれば、どんなところでしょうか?

STUTS:制作を進める上で、言語で細かなコミュニケーションをしなくとも、音楽を通じて感覚を共有できているという実感があって、そこが面白かったですね。「ボーダーレス」や「自由」というテーマ以外にも、自分の中でなんとなくイメージがあってそれもお伝えしていたんですが、実際に上がってきたリリックが本当に素晴らしくて、自分の内側にあった心象風景が音楽を通じて豊かに表現されているという感覚を抱きました。

曲名の「Two Kites」というのも、もともと自分が好きなアントニオ・カルロス・ジョビンに同名曲があって、Noi Naaさんの歌詞を読んでいて思いついたものなんです。

——Noi Naaさんは改めて今回の作業を振り返ってみていかがでしたか?

Noi Naa:すごく緊張しました(笑)。以前から国外のアーティストさんとコラボレーションしたらきっと新しい音楽が生まれるはずだと思っていたので、今後の自分の音楽活動にとってもとてもいい機会になったと思っています。

——この10年ほどの音楽シーンをみていると、実際にコラボレーションも増えているし、アジア各地のアーティスト同士の距離感がぐっと近くなっている印象があります。お2人にもそういった感覚はありますか?

STUTS:それはあると思いますね。やっぱりYouTubeだったり、ストリーミングだったり、障壁なくいろいろな音楽を聴ける環境が活動のベースになってきていると感じます。

Noi Naa:そうですね。自分が学生だった頃は、国内国外問わず、他のアーティストとコラボレーションするというのは簡単なことではなかったと思うんです。いろいろな交渉と調整を経てようやく実現するものでした。その後ストリーミングが浸透していく中で、音楽の世界が広がって、情報の壁が無くなっていったと思います。先ほどSTUTSさんがおっしゃったように、音楽が言語の代わりになって、お互い通じ合うことができるようになったと感じます。繋がりとチャンスが増えていって、その結果アジアの中のアーティスト同士で良い関係性が築けるようになったんじゃないかなと思います。

——そういうテクノロジーの発展の一方で、「人」が繋ぐコミュニティの重要性も以前に増して大きくなってきていると感じます。アジアのアーティスト同士の交流という視点でいうと、2022年にYONLAPAの来日公演のオーガナイズもされているBIG ROMANTIC REDORDSの寺尾ブッダさんの存在は特に重要ですよね。

STUTS:本当ですね。僕が台湾や香港でライブをした時も寺尾さんにはすごくお世話になりました。

Noi Naa:以前からバンドで海外でライブをしたいなと思っていて、メンバーに「どこの国に行きたい?」と聞くと全員が挙げるのが日本だったんです。そんな中で寺尾さんからツアーの話をいただいて、本当に「ありがとう!」を何回言っても足りないくらいです(笑)。

タイのインディー音楽シーンの現状

——現在のタイのインディー音楽シーンはどんな状況なんでしょうか?

Noi Naa:今はすごくインディーシーンが盛り上がってきていると思います。以前はメジャーの音楽が盛り上がっていたんですが、今では勢いが逆転している状況です。バンドを始める中高生の若い子達も増えているし、しばらく活動を休止していた上の世代のバンドが再始動したりしています。

さっきも言った通り、ストリーミングの浸透によって、レーベルやオーディション等を介さない形で自由に音楽を作って配信できるようになりましたし、昔に比べるとインディーミュージシャンが本当に活動しやすくなったと感じています。各所で交流が生まれていて、シーン全体もどんどん大きくなってきていると思います。

——STUTSさんはタイに行かれたことはありますか?

STUTS:はい。プム・ヴィプリットさんとのコラボ曲「Dream Away」のMV撮影で行きました。その時はライブハウスやクラブを回ったりはできなかったんですが、バンコクのH 3 Fというバンドとか、その後もタイのアーティストの音楽には親しんでいます。

——YONLAPAの皆さんは地元のチェンマイを拠点に活動されているということですが、やはりバンコクのシーンとは違った雰囲気があるんでしょうか?

Noi Naa:私の個人的な意見なんですが、まず、街自体の環境や雰囲気からして違うと思います。首都であるバンコクは乗り物や建物にあふれた雑踏の街という感じなんですが、チェンマイは北の方に位置する山に囲まれた街なので、自然が多くて穏やかな雰囲気なんです。山登りに行きたいなと思ったらすぐに車で行ける自由な雰囲気というか。

チェンマイのアーティストのサウンドや歌詞にも、そういう雰囲気が反映されている気がします。生活が自然と繋がっていて、その中で自分がどう感じるかが大事で、名を上げてやろうとか、商業的に成功してやろうとかいった強い野心とは無縁の空気なんです。それに比べて、バンコクの音楽産業では、みんなどうやったら売れるかとか、どういうニーズがあるかといったことに汲々としているイメージで……。あくまで自分の印象の話ですけどね(苦笑)。

STUTS:チェンマイのシーンにはバンドの数も多いんですか?

Noi Naa:数自体はたくさんいるんですけど、あまり知られていないバンドも多いですね。先ほどの話の一方で、どうやったら広く聴いてもらえるのかというのがシーンの中での課題になっていますね。チェンマイにはレーベルや裏方のスタッフもほとんどいないし、ライブハウスも一軒もないんですよ。みんな音楽バーで演奏しています。だからといって、バンコクに行って一旗揚げようとなるわけじゃなくて、あくまでみんなチェンマイが好きなんですよね。チェンマイに根ざした運営体制が整っていったらもっと変わっていくと思います。

何が言いたいかというと……私達はたまたま声をかけてもらっただけで、本当に運が良かっただけっていうことです!(笑)

——自身の音楽がコミュニティや地域に関係なくグローバルに広く聴かれてほしいという気持ちはありますか?

STUTS:ことさらにグローバルな市場を想定しているって感じではないのですが、日本だけではなくいろんなボーダーを超えて聴いてもらえたらいいなという気持ちは以前から強くあります。

Noi Naa:私も特に「グローバルであること」を意識しているわけではないですね。むしろ、自分の頭の中に流れてきた音楽をそのまま形にしたいという気持ちが強いので、わざとそういう考えから距離を取っているところがあるかもしれません。

もちろん、前提として私はグローバルな音楽が好きなので、そういう傾向は自分達の音楽にも反映されているとは思います。客観的にみても、私達以外のタイのアーティストの音楽もきっとグローバルなフィールドで受け入れられるはずだと思っています。

——その一方で、お2人の音楽には、活動拠点である東京やチェンマイならではの要素がうっすらと滲み出ているようにも感じます。

STUTS:それも特に意識しているわけじゃないんですけど、例えば旅先で曲を作ったりすると、不思議とその土地の空気や環境によって無意識的にサウンドが変わることがあるので、普段東京で暮らしながら制作しているということも、知らず知らずのうちに曲に影響を与えているかもしれないなと思います。地域性というか、その土地ならではの空気というか……。

——Noi Naaさんはいかがですか?

Noi Naa:これもさっきの話に通じるんですけど、「チェンマイに住んでいる自分としてその地域性をいかに音楽に入れ込むか」ということを念頭に置いてしまうと、今自分で考えていることをちゃんと表現できなくなってしまう気がしていて……。けれど、STUTSさんがおっしゃったように、別の場所に住んでいたらその要素が反映されると思うし、今の自分が立っている土地を無意識的に感じながら自然と要素が出ているというのはあると思います。けれどあくまで基本的な姿勢としては、いかに「今感じていることを表現するか」なんです。

——最後に、9月30日の「EPOCHS 〜Music & Art Collective〜」のステージで今回のコラボレーション曲「Two Kites」が実際に披露されるということですが、意気込みを教えてください。

STUTS:すごく楽しみですね。当日はバンドセットで演る予定なので、オリジナル音源にさらにライブ感が加わった感じで楽しんでもらえると思います。

Noi Naa:すごく緊張してます(笑)!  いつもステージではギターを抱えながら歌っているんですけど、「Two Kites」はヴォーカルだけなので、両手をどこに持っていけばいいんだろう……とか考えてしまって(笑)。けれど、きっと良いステージになるはずなので、とても楽しみにしています。ぜひみなさんに観に来てほしいです。

Photography Tameki Oshiro

■STUTS, Noi Naa (YONLAPA / from Thailand)  Digital Single 「Two Kites」
https://stuts.lnk.to/TwoKites

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never young beach・安部勇磨と岡田拓郎——対談後編 2人の好きなレコードから拡がる音楽談義、その影響と魅力について https://tokion.jp/2023/08/10/never-young-beach-yuma-abe-x-takuro-okada-part2/ Thu, 10 Aug 2023 09:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=202737 never young beachの安部勇磨と、サポートメンバーを務める岡田拓郎の対談。後編は、お互いの好きなレコードを持ち寄って音楽談義を繰り広げてもらった。

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「HMV record shop 渋谷」で、それぞれ購入したレコードを持って。never young beachの安部勇磨(左)と岡田拓郎(右)

never young beach(ネバーヤングビーチ)
安部勇磨(vocal、guitar)、巽啓伍(bass)、鈴木健人(drums)の3人組。2014年春に結成。2015年に1stアルバム『YASHINOKI HOUSE』を発表し、「FUJI ROCK FESTIVAL」に初出演。2016年に2ndアルバム『fam fam』をリリースし、2017年にメジャーデビューアルバム『A GOOD TIME』を発表。2019年に、4thアルバム『STORY』を発表し、初のホールツアーを開催。2023年6月、約4年ぶりとなる5thアルバム『ありがとう』をリリース。また近年は上海、北京、成都、深圳、杭州、台北、ソウル、釜山、バンコクなどアジア圏内でもライブに出演。
https://neveryoungbeach.jp
Instagram:@never_young_beach_official
Instagram :@_yuma_abe
Twitter:@neveryoungbeach
Twitter:@ThaianRecords

岡田拓郎
1991年生まれ、東京都出身。2012年に「森は生きている」のギタリストとして活動を開始。2015年にバンドを解散したのち、2017年に『ノスタルジア』でソロ活動を始動させた。現在はソロのほか、プロデューサーとしても多方面で活躍中。
Instagram:@okd_tkr
Twitter:@outland_records

前編に続き、never young beachフロントマンの安部勇磨 (ヴォーカル、ギター)と、サポートメンバー岡田拓郎(ギター)の対談をお届けする。アルバム制作について訊いた前編とはガラッと趣向を変え、こちらの後編では、お互いの好きなレコードを持ち寄って音楽談義を繰り広げてもらった。アルバムのインスピレーション元になったレコードから、来るべき安部のソロ作品の種となる音楽、お互いのオススメ作まで、多種多彩な音楽トークをどうぞ。

前編はこちら

新作『ありがとう』に影響を与えた音楽

——この後編では、最近愛聴しているレコードの話をざっくばらんにしてもらえればと思います。

安部勇磨(以下、安部):いいですね〜。そういうの好きです。

——さっきのHMVでの撮影の時もエサ箱を漁りながら盛り上がってましたけど、2人で一緒にレコード屋さんに行ったりするんですか?

岡田拓郎(以下、岡田):たまにするよね。サポート加入前に初めて新宿の「らんぶる」でミーティングした後にも2人で「DISK UNION」に行った気がする(笑)。

安部:あ〜、そうだった!あれは楽しかった。

——きっと普段2人でしているレコードの話がnever young beachの音楽や安部さんのソロの活動にも影響を与えていると思うんですが、どうですか?

安部:それは大いにあると思います。「これヤバい!」っていう音源の情報を送ったりしてますしね。

——ではまず安部さんから。

安部:今はバンド(never young beach)とソロで主に2つのモードがあるんですけど、バンドの方でいうと、前編でも名前の上がったデレク・アンド・ザ・ドミノスの『いとしのレイラ』(1970年)に圧倒的にハマってますね。あとは、「マザーレスチャイルド」収録のクラプトンのソロアルバム『461オーシャン・ブールバード』(1974年)とか、ザ・バンドとかも。

岡田:ザ・バンドもよく聴いたね〜。特に『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』(1968年)と『ザ・バンド』(1969年)の初期2枚。音がハイファイになる前の、モコッとした時期のやつね。あと、オールマン・ブラザーズ・バンドも。10代の頃にずっと聴いていた968年から1974年位までのクラシックロックに改めて向き合うタイミングになりました。

安部:今後バンドの参考にしたいものでいうとコレかな。スタッフの『スタッフ』(1976年)。

——へー!フュージョン系はちょっと意外かも。

安部:洗練されすぎているカチッとしたフュージョンはあんまり聴かないんですけど、スタッフって結構泥臭いじゃないですか。そこが好きですね。

——コーネル・デュプリーやクリストファー・パーカーみたいに、ブルース〜R&Bルーツのメンバーもいますしね。

岡田:ラリー・カールトンやリー・リトナーみたいな所謂フュージョンに比べるとプレイもかなり渋めですよね。コーネル・デュプリー繋がりでいうと、彼がバックをやっている時代のアレサ・フランクリンもよく聴いたな。

安部:そうそう!「 ナタリー」でやっている「細野ゼミ」という企画でチャック・レイニーとかバーナード・パーティについて細野さんに教わったのもあって、その辺りもよく聴いていました。

岡田:個人的に、『ありがとう』って隠れファンクアルバムなんじゃないかと思っているんですよ。そういうソウル〜ファンク系の名演からの影響が密かに反映されている気がする。かといって、ジェームズ・ブラウンやミーターズのような本格的なファンクとも違って、ウエスト・コ―スト・ロックの人達がファンクに接近している感じというか。

——リトルフィートみたいな?

岡田:まさに。ロック畑の人達がファンクを取り入れているあの感じに通じるものがあると思います。たまにカントリー・ロックのレコードに1曲だけあるファンクっぽい曲的というか(笑)。

安部:確かにそうかもな〜。

ソロで参考にしている音楽

——ソロの方は今後どういう音楽を参考にしていくつもりなんですか?

安部:バンドの方がカラッとしたギターサウンドが軸になっているとすると、ソロの方はもっとヒプノティック寄りの音像を目指したいと思っています。今日持ってきたのでいうと、まずはこれ、デヴィッド・T・ウォーカーの同名ソロアルバム(1973年)。

——おお、本人のサイン入り(笑)。

安部:そうなんですよ(笑)。これはとにかく全体の音像が素晴らしくて。深さと瑞々しさが両立している感じ。ドラムの録り音とか、弦のアレンジとかもめちゃくちゃいい!やっぱり、1960年代後半から1970年代前半の、パキッとする以前の音が個人的にツボなんだと思います。

もう1枚、これもソウルジャズ系ですけど、ハープ奏者のドロシー・アシュビーの『Afro-Harping』(1967年)。これはヤバい。

岡田:僕も大好きですね。ソウルフルでいて瞑想的な感じ。最高だよね。マーティン・デニーのエキゾチカをヒプノティックにした感じというか。マーティン・デニーもよく聴くとめちゃくちゃサイケデリックじゃないですか。僕の中ではドロシー・アシュビーともかなり近い感覚で聴いてます。

安部:次のソロアルバムにはこういう感じを盛り込めたらイイなあ〜。

岡田:こないだ安部ちゃんが教えてくれたあれもヤバかったよね。ハワイアンのマイナーレーベルのやつ。遅れてきたプレスリーみたいな……(スマホを調べる)。あ、これこれ、Buddy Fo And His Groupの『When It’s Time To Go』(1967年)。全然詳細がわからないんだけど。

——どうやって知ったんですか?

安部:これはSpotifyで見つけました。ジャケが胡散臭くて大好き(笑)。(聴きながら)これ、ホントにいいわ〜。

岡田:基本はラウンジ調のゆるい演奏に歌がからむポピュラーヴォーカルものって感じなんですけど、昔の歌謡曲みたいな深いプレートリヴァーブがずっとかかっていて、それこそどこかヒプノティックで、すごくイイんですよね。そうかと思うと、いきなりファンク的なリズムが入ってきたり、謎。

安部:こういうミニマルな音の質感に笠置シヅ子さん的なブギリズムや日本的なメロディーをまぜたらどうなるんだろ?とか考えてます。

——次のソロアルバムの具体的なアイデアが既にあるんですね。

安部:最近たくさんデモを録って。それをどんどん拓郎くんに送ってアイデアを募ってます。

あとはブラジルものにも関心があって、いろんなリズムを勉強してます。特にここ最近よく聴いているのが、エリオ・マテウスっていうリオデジャネイロ出身のアーティスト。特にシングル「Eu, Réu, Me Condeno / Feijão Com Farinha」(1973年)が素晴らしくて。これもカチッとしすぎてないというか、手作りな感じに惹かれます。ブラジリアンファンクみたいなものの他にも、アストラッド・ジルベルトとかボサノバ系も最近よく聴いてますね。

——今脳内で想像再生してみたんですけど、安部さんの声でボサノバやったらすごく良さそうですね。

安部:だと思うんですよ!俺も最近それに気づいちゃって。

岡田:僕がいうのも変ですけど、安部ちゃんが今作っているデモ、すごいイイですよ。

安部:ありがて〜……。

岡田:誇張じゃなくて、リリースされたらみんな結構ビックリすると思いますよ。ブラジル音楽に影響されたポップスは沢山あるけど、ああいう感じのは少なくとも日本では作られていない気がする。使っているコードもぐんと増えたしね(笑)。

安部:そうだね。拓郎くんや(香田)悠真くんから教えてもらった和音を使ったり(笑)。ファーストソロの『ファンタジア』を出したのはコロナでどうしていいかわからない自分の不安をガス抜きするみたいな意味もあったんですけど、その後素敵なミュージシャンと知り合ったり海外に行ったりする中で、日本人として今どんな音楽をやったら面白いのかということを前向きに考えられるようになったというか、チャレンジすることが楽しくなってきたんです。

岡田:まさに「この次はモアベターよ」(筆者注:細野晴臣がYMO結成前にリリースしたソロアルバム『はらいそ』のラストに収録されていた本人によるセリフ)だよね(笑)。

細野晴臣からの影響

——安部さんは以前から細野さんと交流を重ねてきたと思うのですが、細野さんからの刺激もやっぱり大きいんでしょうか?

安部:もちろんです。細野さんがやってきた音楽や聴いている音楽はもちろんですけど、細野さんの人間性そのものにすごく刺激を受けます。「あ〜、ものごとをそういうに考えるんだ!」という驚きというか、発見というか。「何歳で結婚したんですか?」とかそういう質問をついついしてしまう(笑)。

細野さんがどういうふうに時代を生きてどこに着目してきたのかっていうのがすごく気になるんです。音楽的なテクニックに秀でた人はたくさんいるけれど、テクニックもありながら、ああいう独特のアプローチで変化し続けてきた人は本当に稀じゃないですか。それって一体どういうことなんだろう、と。

——制作にあたって具体的なアドバイスをもらったりもするんですか?

安部:いや、それはあんまりないかな。けど、印象に残っているのは、一番大事なプラグインは「気合い」だよ、って言われたことですかね(笑)。それ聴いた時はめちゃくちゃ感動しましたね。

——一番「気合い」みたいなものから遠そうな人に見えて……

安部:そう。だからこそ説得力があるんですよね。「そっか〜、やっぱり気合だよな」って納得させられてしまう(笑)。あと、あの細野さんですら今もなお音作りで悩んだりするんだなっていうのを知ると、逆に勇気が湧いてくる(笑)。

なんにもしない時期があってもいい、っていう言葉も胸に残ってますね。今の世の中、ポップミュージックに関わっていると、早く作って出してっていうサイクルに自分を追い立ててしまうんだけど、そこから離れてゆっくり休む時間も必要だよなと思えるようになりました。

岡田:それは本当にそう思うな〜。

安部:音楽面、人生面、いろんな影響がありますね。

「この数ヵ月、世界一『いとしのレイラ』を再生していた自信があります(笑)」

——岡田さんが最近よく聴いているレコードは何ですか?

岡田:やっぱこれですかね。デレク・アンド・ザ・ドミノスの『いとしのレイラ』。

——前後合わせて一体何回デレク・アンド・ザ・ドミノスの名が出てくるんだ……(笑)。

岡田:ギターの音の研究のために聴いたのも含めれば、この数ヵ月、世界一『いとしのレイラ』を再生していた自信があります(笑)。

——ベタな質問ですが、『いとしのレイラ』の中でお2人が一番好きな曲は何ですか?

安部:それはもうタイトル曲(「いとしのレイラ」)でしょう!ツアー中、ホテルの部屋に集まってみんなで聴いたんですよ。あの後半のピアノパートを聴きながら、めちゃくちゃいいなあ…!って盛り上がったよね。

岡田:前半の流れがあってからのあれだからね。

安部:拓郎くんのこれって、オリジナル盤?

岡田:そう。USオリジナル。確か7000〜8000円位。音、最高です。日本盤とはパワーが違う。気がする!!!

安部:ジャケットの色合いも濃くていいな〜。

——岡田さんが一番好きな曲は?

岡田:全部素晴らしいですけど、一番は「テル・ザ・トゥルース」ですね。『ありがとう』のラスト曲「帰ろう」のギターは「テル・ザ・トゥルース」と「アイ・ルックト・アウェイ」を参照してます。ああいう軽めで適度にビートの効いたスワンプロックみたいなのがたまらなく好きで……。本来はデュアン・オールマンの方が好きなはずなんだけど、ここ最近はとにかくクラプトンのギターに集中して聴いていました。

岡田拓郎がおすすめするフェイバリットレコード

安部:(岡田持参のレコードを漁りながら)。うわあ、なにこれめちゃくちゃヤバそう!

岡田:これ(新崎純とナインシープス 「かじゃでぃ風節」)はきっと好きだと思う。1977年にビッグバンドをバックに録音された琉球古典音楽なんだけど、偶然『ペット・サウンズ』みたいに聴こえるっていう……。

安部:やべーじゃん。

岡田:安部ちゃんの次のソロの参考にもなるかも。琉球古典音楽の独特な旋律とヒプノティックな空気、それとアメリカ西海岸のポップスの融合、みたいな。

安部:あれも良かったね。『琉球レアグルーヴ』(2003年)ってコンピ。

——1960年代〜1970年代に録音されたポップスアレンジのグルーヴィーな沖縄伝統音楽を集めたやつですね。

岡田:南方のポップスって、否応なく惹かれてしまうんだよなあ。山派/海派でいうと、意外と自分は海派なのかも、っていうのが最近の発見です(笑)。

——(岡田持参のレコードを見ながら)久保田麻琴と夕焼け楽団の『ハワイ・チャンプルー』(1975年)もそういう視点で楽しんでいる感じですか?

岡田:そうです。この時期の夕焼け楽団のアルバム、超最高なのに細野さんの「トロピカル三部作」に比べるとちゃんと聴き継がれている感じがしなくてちょっと寂しい。『トロピカル・ダンディー』(1975年)級に素晴らしいと思うんですけどね。

安部:たしかに。めちゃくちゃいいのに。

——そもそも「トロピカル・ダンディー」という名称も久保田さん発案ですね。これ、実際にハワイで録音しているんですよね。

安部:え!そうなんだ。だから空気までトロピカルな感じなのか〜。

——しかも、細野さんがなぜかドラムで参加しているっていう。

岡田:この時の滞在で細野さんと久保田さんがハワイ中のエキゾチカのレコードを買いまくったらしいですよね(笑)。

——そうそう(笑)。このアルバム、決して誇張じゃなくて『トロピカル・ダンディー』と並んで世界一速い「ワールドミュージック」的実践の1つだと思います。

安部:そう考えると余計にスゴいな〜。

岡田:これは、さっきいったディープソウル繋がりで、シル・ジョンソンの『Is It Because I’m Black』(1970年)。昔柴崎さんにダブりレコードをタダでもらったうちの1枚(笑)。

——あ、そうでしたね(笑)。

岡田:この1年くらい、適度に甘いディープ・ソウル/サザン・ソウルを熱心に聴いていて。ギターのバッキングパターンの参考にしてます。

安部:(引き続き漁りながら)ヤバそうなのまだまだいっぱいあるじゃん〜。これは?

岡田:これは、最近の作品だね。シカゴの< International Anthem>から出ている、パナマ出身のパーカッション奏者ダニエル・ビジャレアルのアルバム『Panama77』。これも安部ちゃんのソロの参考になるかなと思って。

安部:(聴きながら)あ、もう好き。好きなパーカッションの鳴り方。

岡田:ジェフ・パーカーとかも参加してて、コンテンポラリーなカッコよさもありますね。

安部:ラテン系はここ最近俺もかなり好きですね。

岡田:さっきHMVでも何枚か買ってたよね。

安部:そうそう……(漁りながら)これは何だろう?

岡田:これは『Home Grown』っていうハワイのAORとかフォークロック系のコンピレーションだね。何枚か出ているうちの2枚目(1977年)。これのB-2に入っているノヘラニ・シプリアーノっていう人の「Lihue」っていう曲がメロウですごくいいんです。

安部:絶対いいじゃん!俺、ハワイのAOR大好きなんだよね。マイク・ランディとか……。さっきもマッキー・フェアリー・バンドの同名作(1978年)を買ったし。ハワイアンAORって、ホントいいよね。

——米国のものにはない楽園的な空気感がありますよね。

安部:そうなんですよね。超好きだわ〜。これはどこで見つけたの?

岡田:日本のレコード屋でもコンピコーナーでたまに見かけるよ。

安部:えー、ほしいほしいほしいほしいほしい。

岡田:このあと取材終わったら探しに行こう(笑)。

南の音楽に惹かれている2人

岡田さんはこないだロスアンゼルスに行ってましたよね。そこでもレコードは買ったんですか?

岡田:はい。ロスは最高に楽しかったですね。 安部ちゃんのソロアルバムとか裸のラリーズの再発盤をリリースしている<Temporal Drift>ってレーベルのオーナーの家に泊まったんですけど、近くにクリス・コーエンのバンドとかでベースを弾いているアーロン・m・オルセンさんという方が住んでいて。そのアーロンさんが大のテックスメックスとかメキシコ音楽のマニアで、メキシコのレコードが大量にあるお店に連れてってくれたんです。そこで手に入れたのがこれ、Big Lu Y Los Muchachosの『A Poco No』(1973年)。

——どんな内容なんですか?

岡田:伝統的なテックスメックス曲もいいんですけど、一曲だけマイアミソウルみたいな曲が入っていて、それがヤバい。ラッパはマリアッチ風なんだけど、ほかの要素はメロウっていう。僕もあんまり英語喋れないから会話はは多くはないけど、アーロンさんが「このレコードのここが良いぞ」。3、2、1、ここ!」って言いながら一緒にレコードを聴いていて、海を隔ててもレコードオタクの会話は一緒なんだなあと感動しました(笑)。

——サザンロック、サザンソウル、ハワイ、テックスメックスと……。最近は2人とも南の音楽に惹かれているんですね。

安部:やっぱ気候的にも南が肌に合うんだよな〜。

岡田:紆余曲折を経てnever young beachがビーチに戻ってきた、って感じだね(笑)。

安部:その土地の気候と音楽ってやっぱり密接に繋がってますよね。世界の音楽を聴いていると、なにかしらのその土地の風土が反映されている。そういうのを知るのが今はすごく楽しいですね。

岡田:ホントだね。音楽って楽しいなあ、って最近改めて思います。楽しいのが一番。

安部:やっぱり、イメージを掻き立ててくれる力がすごいしね。この地域の音楽はなんでこういうリズムなんだろうといろいろ考えるのってすごくロマンチックで心躍るじゃないですか。

——一期一会のレコードというのは、情報が限られている分余計にイメージを掻き立てられますよね。

岡田:ホントですね。

——そういう思考を経て、じゃあ自分達はどういう音楽を志向しようか、という気持ちが高まったりもしますか?

安部:それは大いにありますね。日本人である自分はどういう感覚を持って音を出せばいいんだろう、どういうことができるんだろうって考えるのが楽しい。

岡田:笠置シヅ子さんとかはそれを大昔にやっていたともいえるし。

安部:そうそう! だから尊敬する。クレイジーキャッツとかも。しかも彼等は音楽以外の芸能も達者だったっていう。カッコいいですよね。

Photography Tetsuya Yamakawa

never young beach『ありがとう』

■never young beach『ありがとう』
発売日:2023年6月21日
形態:12inch Vinyl / Digital 
価格:¥4,400
https://neveryoungbeach.jp/discography/371/

■<never young beach 5th Album “ありがとう” Release Tour>
https://neveryoungbeach.jp/news/410/

2023年9月28日(木) 東京|LIQUIDROOM【SOLD OUT】
OPEN 19:00 / START 20:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年10月1日(日) 神奈川|BAYHALL
OPEN 17:00 / START 18:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年10月4日(水) 北海道|PENNYLANE 24
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年10月13日(金) 宮城|Rensa
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年11月6日(月) 愛知|Zepp Nagoya
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:STANDING ¥5,500|2F指定席 ¥6,000|2F立見 ¥5,000

2023年11月7日(火) 大阪|なんばHATCH
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:STANDING ¥5,500|2F指定席 ¥6,000

2023年11月9日(木) 福岡|DRUM LOGOS
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年11月17日(金) 石川|Eight Hall
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年11月18日(土) 新潟|LOTS
OPEN 17:00 / START 18:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年12月1日(金) 岡山 | YEBISU YA PRO
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年12月8日(金) 東京 | 豊洲PIT
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年12月16日(土) 沖縄|桜坂セントラル<DAY1>
OPEN 16:00 / START 17:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年12月17日(日) 沖縄|桜坂セントラル<DAY2>
OPEN 17:00 / START 18:00
TICKET:全自由 ¥5,500

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never young beach・安部勇磨と岡田拓郎——対談前編 新作『ありがとう』に込めた70年代ロックへの愛 https://tokion.jp/2023/07/27/never-young-beach-yuma-abe-x-takuro-okada-part1/ Thu, 27 Jul 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=200574 never young beachの安部勇磨と、サポートメンバーを務める岡田拓郎の対談。前編は、2人の出会いからアルバム制作、そして70年代ロックについて。

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「HMV record shop 渋谷」で、それぞれ購入したレコードを持って。never young beachの安部勇磨(左)と岡田拓郎(右)

never young beach(ネバーヤングビーチ)
安部勇磨(vocal、guitar)、巽啓伍(bass)、鈴木健人(drums)の3人組。2014年春に結成。2015年に1stアルバム『YASHINOKI HOUSE』を発表し、「FUJI ROCK FESTIVAL」に初出演。2016年に2ndアルバム『fam fam』をリリースし、2017年にメジャーデビューアルバム『A GOOD TIME』を発表。2019年に、4thアルバム『STORY』を発表し、初のホールツアーを開催。2023年6月、約4年ぶりとなる5thアルバム『ありがとう』をリリース。また近年は上海、北京、成都、深圳、杭州、台北、ソウル、釜山、バンコクなどアジア圏内でもライブに出演。
https://neveryoungbeach.jp
Instagram:@never_young_beach_official
Instagram :@_yuma_abe
Twitter:@neveryoungbeach
Twitter:@ThaianRecords

岡田拓郎
1991年生まれ、東京都出身。2012年に「森は生きている」のギタリストとして活動を開始。2015年にバンドを解散したのち、2017年に『ノスタルジア』でソロ活動を始動させた。現在はソロのほか、プロデューサーとしても多方面で活躍中。
Instagram:@okd_tkr
Twitter:@outland_records

去る6月21日、never young beachが5枚目のアルバム『ありがとう』をリリースした。メンバー脱退やコロナ禍を経て制作された本作には、近年のライブにも参加しているサポートメンバー3人の貢献が欠かせないものだったという。実際、アルバムを聴くと、その3人=岡田拓郎(ギター)、下中洋介(ギター)、香田悠真(キーボード、ピアノ)が、単なるサポートという枠組みを超えて、never young beachの音楽を再スタートさせるのに大きな役割を担っている様がわかる。

本記事では、作詞作曲を務めるフロントマンの安部勇磨(ヴォーカル、ギター)と、サポートメンバー代表の岡田拓郎との対談をお送りする。前編は、2人の出会いからアルバム制作について、そしていにしえのギター(ロック)への愛をたっぷり語ってもらった。

安部勇磨と岡田拓郎の出会い

——先日のEX THEATER ROPPONGIでのワンマンライブを拝見したんですが、30歳を過ぎてあんなに屈託なくロックバンドを一緒にやれる仲間がいるってめちゃくちゃイイなあ、と思いました。

安部勇磨(以下、安部): ははは! 今のバンドの状態はホントにいい感じだと思います。

——前作『STORY』から約4年ぶりのアルバムリリースとなったわけですけど、この期間を振り返ってみていかがですか?

安部:コロナでライブ活動が止まってしまったり、メンバーの脱退もあったり、激動の期間でした。かなりキツかったですね。けど、そういう中でソロを始めて、拓郎くんともつながることができたので、今振り返ってみればよかったと思っています。本当に、2022年の「FFKT」(新体制最初のライブ)のステージまでどうしていいのか自分にもわからなかったんですよ。けど、そこで下ちゃん(下中洋介)と拓郎くんっていうサポートギターの2人を交えて音を出した時、「あ、これなら大丈夫だ」と思えたんです。

——岡田さんはいつnever young beachのことを知ったんですか?

岡田拓郎(以下、岡田):森は生きているをやってた頃から知ってました。2015年の3月に渋谷のWWWでnever young beachと対バンしているんです。Yogee New Wavesの7inchのレコ発ライブに、森は生きているとnever young beachが出てるんです。

安部:そうそう! あったね〜。けど、その時は話していないよね。僕等としても恐れ多くて(笑)。

岡田:その頃はまだ若かったから「家の外に出れば全員敵」みたいな感じで、僕も楽屋からほとんど出なかった……(笑)。とはいえ、気になる存在ではあったのでnever young beachの音楽はなんだかんだでリリースの度にチェックしていました。2019年の『STORY』がお気に入りで、周りのミュージシャンにもよくその話をしていたんですよ。「うつらない」を聴いて「悔しいけどあれは名曲だよね」みたいな話を……。

安部:え! そうだったの? 嬉しいわ〜。

岡田:その後2021年に安部ちゃんのソロアルバム(『ファンタジア』)がリリースされたんですけど、サウンドもアメリカのレコードを聴いてるような感覚で聴けて、同じようにいろんな人に「あのアルバム聴いた?」みたいな話をしていました。

安部:いや〜、ありがたい。その頃僕も人づてに拓郎くんが褒めてくれているという話を聞いて。ちょうどサポートギターを探していたので、思い切って相談してみたんです。新宿の「らんぶる」で会って話したんだよね。

岡田:そうそう。いろんなサポート仕事をやっていく中で精神の調子を崩してしまうこともあったので、おもしろそうと思いながらも、正直最初はちょっと不安でした。というのも、当時、ライブ中に緊張やストレスを感じると異常にトイレが近くなってしまうという症状があって……(笑)。その話もしたよね?

安部:聞きました。「じゃあ僕達は拓郎くんを絶対不安にさせない楽しいライブをやろう」ってメンバー同士で話をしたのを覚えています。

岡田:おかげさまで、今のところnever young beachのステージ中にトイレに駆け込んだ経験はありません(笑)。

安部:もう一本のギターの下ちゃんに入ってもらう前にもいろいろと紆余曲折があったんで、「FFKT」でこの2人がそろった時は感慨無量でしたね。

サポートメンバー以上の関係性

——ありていな言い方になってしまいますが、長年連れ添っているバンドのアンサンブルのように聞こえます。練度が高いのはもちろん、音楽性のハマり方も並じゃない感じがします。

安部:この1年の間にかなりの本数のライブをやりましたしね。ライブ現場だけじゃなくて、今度のアルバムや僕のソロの制作に参加してもらっているのを含めれば、何かしらの用事でずっーと会っている印象です(笑)。

岡田:安部ちゃんがギターを買いに行くのに付き合ったりね。あと、オセロをやりに家へ遊びに行ったりとか(笑)。

——今回のアルバム『ありがとう』にもそういう普段のコミュニケーションが反映されている感覚はありますか? 例えば、一緒にする音楽の話だったり。

安部:それはかなりあると思います。けど、拓郎くんも下ちゃんも鍵盤の(香田)悠真くんも、音楽の知識が豊富にある人達だから、僕が具体的に話すまでもなく思い描いている音をすぐに共有できてしまうんですよ。

岡田:はじめのうちは結構探り探りだったけどね(笑)。「こんにちは」(※筆者注:2022年8月リリースの落日飛車とのスプリット盤『Impossible Isle』に収録)と「こころのままに」の制作から参加させてもらっているんですけど、特に「こころのままに」は安部ちゃんの作ってくる宅録デモの時点で相当いい感じなんですよ。

安部:ありがたいな〜(笑)。

岡田:ベースのフレーズもベーシストっぽい感じじゃないおもしろさがあったり、ギターもおもしろいフレーズだったりして。音楽的にはこれで正解なんじゃないかなと思いつつ、安部ちゃん的にはそこに「ふりかけ」の要素を足してほしいんだろうなと考えて演奏しました。そのあたりのあんばいを徐々に探っていった感じですね。

——岡田さんはプロデュースも多数やられていますけど、サポートの場合はどういうスタンスで関わっているんですか?

岡田:安部ちゃんはわりと明確にやりたいことがあるタイプだと、やりながら気づいていったのと、それ以前のアルバムも個人的にとても好きだったから、プロダクション面全体というより、あくまで一人のギタリストとしてどうやってnever young beachの音楽に乗っかることができるのかを考えています。

安部:確かに拓郎くんには「ふりかけ」をお願いしているところはあります。自分でもざっくりとは全体像をイメージしたデモを作ることはできるんだけど、各楽器にしっかり向き合っている人に実際の演奏をお願いした場合、仮にデモと同じようなフレーズを弾いてくれたのだとしても、やっぱり味わいが変わってくるんですよね。自分としてはそれが何よりも新鮮なんです。

一方で、その場で何パターンかババっと弾いてくれたりもするから、こっちも「あ、それいいね!」ってすぐ反応できる。今回のアルバムを作るにあたって事前にあんまり決め込まずに完成できたのは、拓郎くんや下ちゃん、悠真くんが「こういう感じ?」って提示してくれたのが大きかったと思います。普段から頻繁に顔を合わせているからこそのやりやすさがありましたね。

岡田:制作の終盤になるとこっちも結構好きにやらせてもらったよね(笑)。

安部:そうだね。特に「風を吹かせて」とか「らりらりらん」はざっくりコードやリズムだけ決めておいてスタジオで録りながら作っていった感じです。

——ヘッドアレンジありきの、1970年代っぽい録り方?

岡田:それはすごく思いました。今って、バンドでもデータのやり取りでアレンジ案を送り合う時代だからね。それからすると、逆に珍しいかも。

安部:どうしてもオンラインで完結できないんですよ。アレンジが固まっていく過程を体験しないと納得できないんです。メールに添付されたA〜Dの4案の中から選んでくださいって言われるのと、実際に音を鳴らしてもらってコミュニケーションしながら考えていくのでは、フレーズそのものへの信頼度が全然違うんです。

岡田:僕等も基本ずっとスタジオにいたしね。

——サポートメンバーだから自分のパートの録音が終わったら先に帰る、とかでもなく?

岡田:そうですね。他の用事が終わるとみんななんとなくnever young beachの録音現場に集まってくるっていう(笑)。

——サポートメンバーといいつつ、ほぼ準レギュラー的なスタンスなんですね。

安部:重くなっちゃうのであんまり言わないようにしているんですけど、サポートのみんなのことメンバーだと思ってますから(笑)。

岡田:MV(「らりらりらん」)でみんなユニフォーム着て野球を一緒にやったしね(笑)。

——今の時代の「バンド」という存在を考えると、正式メンバーかサポートメンバーか、みたいに厳密な切り分けをするっていうのも、場合によっては不必要なことかもしれませんね。

安部:そうですね。みんな年が近いってのもあって、お互い自然な距離感で接することできているんだと思います。

——だからって、サポートのみんなも一蓮托生で運命を共にしようというシリアスな感じでもないというか。それくらい収縮性のあるコミュニティとしてバンドを捉えるほうが実作上もおもしろい効果がありそうに思います。

安部:そういう「ちょうどよさ」はすごく感じますね。

1970年代のバンドサウンドへの敬意

——今回のアルバムは、ジャケットもタイトルも小坂忠さんの『ありがとう』(1971年)へのオマージュになっていると思うんですが、ここにも1970年代当時のバンドサウンドへの敬意を感じました。

安部:小坂忠さんの『ありがとう』はもちろん好きなアルバムなんですけど、実をいうと今回のタイトルとアートワークを決める時には完全に忘れていたんですよ。アートワークは、どちらかといえばはっぴいえんどのベスト盤『CITY』(1973年)のイメージです。1970年代初頭のロックのギターサウンドにハマっている中で、抜けるような青空のモチーフが頭の中浮かんできたんです。でも、小坂忠さんの曲「ありがとう」(作詞作曲:細野晴臣)は自分の中のルーツにある曲だし、無意識に影響が出ているのかもしれません。

タイトルに関しては、すごくシンプルな理由です。改めて、バンドを運営していくのって大変だし、サポートのみんなやスタッフ含めて、みんなに出会っていなければ続けるのは難しかったと思うので、それに対する感謝の気持ちを込めています。

——サウンドにもカラッとした明るさがありますね。

安部:そう思ってもらえたら嬉しいですね。

——今時珍しいギターオリエンテッドでサザンロックテイストな曲が多くて、かなり驚きました。

安部:ははははは!

——あと、ストラトキャスターの音、めちゃくちゃいいですね。1970年代前半のエリック・クラプトンの音だ!と思いました。

岡田:2023年の頭に地球上で最も熱心にクラプトンのハーフトーンについて考えていましたからね(笑)。

安部:当時クラプトンが使っていたフェンダーのチャンプとかも入手して弾いたり。

——泥臭いサザンロック〜スワンプ的なサウンドって、インディー的な文化圏では積極的に避けられがちだったと思うんですけど……(笑)、なぜこのタイミングでやろうと思ったんですか?

安部:そのあたりのロックって僕自身もあんまり聴いてこなかったんですけど、ここ数年コロナもあってアンビエントとかそういうものを触れているうちに、最近はゴリゴリのギターサウンドがかえっておもしろくなってきたんです。執拗にギターを全面に出す感じとか、歌の絡め方とか、いい意味ですごく「暑苦しい」音楽だと思うんです。今の自分にはすごくしっくり来たんですよね。しかも、当時みんな20代でああいう音楽をやっていたっていうのもおもしろいなと思って。なんというか、音から伝わってくる人間力がスゴくて。それで、俺等もこういうのやってみたい!と思ったんです。

——ブギビートから始まるアルバムなんて今どきホントに珍しいと思います。

岡田:あのビートの存在をみんな忘れてしまってましたからね(笑)。

安部:でも、あれが鳴った瞬間に不思議と踊っちゃうんだよな〜。

——「流行りに逆行してあえてやってみました」って感じじゃなくて、「本当にコレが好き!」という気持ちがあふれていて素敵です。

安部:それこそ、細野さんが戦前のブギを演奏していたり、そういうルートを経ておもしろくなってきたのもあります。あと、笠置シヅ子さんや江利チエミさんとか、昔の日本のブギを聴いて触発されたのもありますね。

コード進行とかもすごくシンプルなんだけど、その旨味をわかっている人達と演奏すればきっと素敵なものになるんじゃないかと思って、楽しみながら挑戦できました。

——「Hey Hey My My」もブギですね。曲名はニール・ヤングだけど、曲調はビートルズの「ゲッド・バック」的な感じ。

安部:一昨年、『ザ・ビートルズ: Get Back』(監督:ピーター・ジャクソン)が配信で公開されたじゃないですか。あれにドハマりしたんです。ビートルズですらいろんな思いを抱えながらバンドを続けてたんだなと知って、自分ももう一回ちゃんとバンドをやりたいなと思ったんです。声を張り上げて歌うとかも抵抗あったんですけど、あの映画のジョン・レノンをみて「俺もやってみたい!」と影響されました。

——「Oh Yeah」は曲名もスゴいけど、曲調はもっと驚き。ほとんどレーナード・スキナードみたい。これもトレンドとは真逆ですね(笑)。

岡田:ははは。レーナード・スキナードもめちゃ聴き直しました。この曲のギターアンサンブルを作ってる時、エリック・クラプトンの「マザーレス・チャイルド」(1974年)の話もしたよね。

安部:そう。ギターが3本いる今のバンドの編成がこの時代のロックの感じとすごくフィットするんだよね。

ギターフレーズの魅力を再考

——岡田さんもそういう音楽はもともと好きですよね?

岡田:はい。ギターを始めた10代の頃、まさにこういうのばっかり聴いてました。それこそ、この1、2年ギターをギターらしく鳴らすことについて考え直していて、ちょうど良いタイミングでのnever young beachとの出会いがその頃の気持ちを蘇らせてくれたんです。それまで、セッション仕事をたくさんやっている中で、いつどこでも求められる音に対応できるようにエフェクターボードが大きくなっていって、空間系とか歪み系だとかいくつもペダルを繋いでどんどんややこしくなってしまっていたんです(笑)。そのボードを担いでnever young beachの録音に行ったら、安部ちゃんに「とりあえずアンプに直差しで俺のこのギター(フェンダーストラトキャスター1963年モデル)弾いてみてくれる?」と言われて、しかも、それまで絶対にかけていたリバーブもゼロにされちゃって(笑)。「自分の音が出せないな……」と思っていたんですけど、いざ弾いてみたら本当にいい音だったんです。そこで、「ああ、自分の好きなギターの音ってこういうのだったよな」というのを思い出しました。

安部:『A GOOD TIME』(2017年)の頃からリヴァーブをなるべく使わない方向にシフトしたんですよね。良い機材であれば、奏者自身が一番のエフェクターになってくれるという感覚があるんです。

岡田:ギターって、あくまでギター本体とアンプ、それと手元のコントロールでトーンを作るものだし、何よりもすごくフィジカルな楽器だよなというのを再認識しました。それは頭ではわかっていたつもりなんですけど、安部ちゃんに強制的に引き戻されました(笑)。

——その経験から、自身のルーツである1970年代のロックへ再び関心が湧いてきた?

岡田:そうです。改めてギターの音が気持ちいいレコードってなんだろうと考える中でいろいろと聴き直していった感じです。その中で「やっぱり最高!」と言えるストラトのハーフトーンを鳴らしていたのが、さっき言ったレーナード・スキナードと、デレク&ザ・ドミノスでした。そしたら、安部ちゃんもちょうどデレク&ザ・ドミノスにハマっているっていうのを知って。

——2人の嗜好がバッチリ重なるタイミングだったんですね。

岡田:そうなんです。それ以降、ペダルも全部で6個くらいまでに激減しました(笑)。残っているのも全部ローテクなやつだけ。

——こないだのライブでも2人がストラトキャスターを気持ちよさそうに弾いているのがとても印象的でした。改めてストラトキャスターの魅力ってなんなんでしょう?

安部:なんだろう……。音を聴いた瞬間につい前に乗り出してしまうような感覚があるよね。

岡田:トーン的にも、他のエレキギターに比べるとストラトだけ全く違う楽器のように思えます。倍音もとても豊かだし。帯域的にも、上から下までまんべんなく鳴って、真ん中のところは少し引っ込んでるように感じるけれどカランとしたおいしいゾーンがそこにあるというか。それがあの抜け感につながっている気がする。それと、ハーフトーンも他のギターでは鳴らせない、ストラトならではの音ですね。

安部:複数のギターを重ねた時、ストラトだとすごく気持ちいんだよ。僕はもうクラプトンのことばっかり考えるようになっちゃって、今年の来日公演も行きました。「本当に手元だけで音を変えながらストラト弾いている!」って感動してしまって。

——ギターリフを取り入れているのもいいなと思いました。「時流と逆行」みたいな切り口ばかりで申し訳ないんですが(笑)、フルージーなギターリフって今かなり分の悪い存在ですよね。下手をするとギターソロよりも避けられがちかもしれない。

岡田:結構ギリギリのラインを狙っている感じですよね(笑)。ギターリフに日本語をのっけるのって野暮ったい音楽の代表みたいに思ってしまっていて、実際自分のソロではうまくできなかったんだけど、never young beachのアンサンブルの中だとハマるんですよね。やっぱり僕も骨太なものが好きなんだと思う。サンプルパックとかプリセット音源を使って誰でもトラックを作れるようになった今となっては、みんなそろってギターリフを弾くほうがよっぽどオルタナティブな気もします。

安部:僕もやっぱり昔からギターリフが大好きで、何かに付けて新しいリフを考案しちゃいますね。むしろ、音楽の要素の中でも一番身近な存在って気もします。

岡田:昔からnever young beachはキャッチーなリフ作るのがとても上手いもんね。

——「ギターのフレーズを口で再現できる」みたいな音楽ってある時期からとんと姿を消した感覚がありますね。ストロークやアルペジオ主体で、どっちかといえば背景的なコード感やテクスチャを担うようになっていったというか。

岡田:わかります。例えば、オアシスの「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」(1995年)のギターソロって簡単に歌えるじゃないですか(笑)。ああいうのはやっぱいいですよね。「帰ろう」のフレーズを考える時、安部ちゃんとまさに「歌えるフレーズにしたい」って話をしたよね。

安部:そうだね。僕が拓郎くんにお願いする時も、まずは口で歌って伝えてますからね(笑)。ギターを弾くにしても、キャッチーさがやっぱり大事だなあと思います。拓郎くんはそういうフレーズを弾くのがホント上手。下ちゃんもすごく上手い。彼が所属しているDYGLってインディーロックのイメージが強いかもしれないけど、実際はめちゃくちゃたくさん引き出しがある人だよね。

岡田:そうそう。下ちゃんとスタジオに入った時、いきなりチェット・アトキンスの曲を弾きはじめてビックリした記憶があります。

——リハスタでは流れでジャムセッションをやったりもするんですか?

安部:みんなは結構やってるよね。僕は曲を固めたいタイプなんで、どっちかといえジャムセッションを止めるほうの役目ですけど(笑)。

——昔のロックバンドって、何かに付けてジャムっていて、そこから曲を作っていくイメージもあって。そういうところもnever young beachの基礎体力に繋がっている気がします。

安部:そうか〜。だとしたら嬉しいですね。

岡田:それこそ昔はデータのやりとりとかもないしね(笑)。

——時間の流れ方も今とは違っていたはずですしね。そう考えると、「タイムパフォーマンス」みたいな言葉が喧伝される今だからこそ、1970年代前半のロックの「レイドバック」なムードが再び魅力的に感じられるのにも必然性がある気がします。

岡田:確かにそうかもしれないですね。

後編へ続く

Photography Tetsuya Yamakawa

■never young beach『ありがとう』
発売日:2023年6月21日
形態:12inch Vinyl / Digital 
価格:¥4,400
https://neveryoungbeach.jp/discography/371/

■<never young beach 5th Album “ありがとう” Release Tour>
https://neveryoungbeach.jp/news/386/

2023年9月28日(木) 東京|LIQUIDROOM
OPEN 19:00 / START 20:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年10月1日(日) 神奈川|BAYHALL
OPEN 17:00 / START 18:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年10月4日(水) 北海道|PENNYLANE 24
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年10月13日(金) 宮城|Rensa
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年11月6日(月) 愛知|Zepp Nagoya
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:STANDING ¥5,500|2F指定席 ¥6,000|2F立見 ¥5,000

2023年11月7日(火) 大阪|なんばHATCH
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:STANDING ¥5,500|2F指定席 ¥6,000

2023年11月9日(木) 福岡|DRUM LOGOS
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年11月17日(金) 石川|Eight Hall
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年11月18日(土) 新潟|LOTS
OPEN 17:00 / START 18:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年12月16日(土) 沖縄|桜坂セントラル<DAY1>
OPEN 16:00 / START 17:00
TICKET:全自由 ¥5,500

2023年12月17日(日) 沖縄|桜坂セントラル<DAY2>
OPEN 17:00 / START 18:00
TICKET:全自由 ¥5,500

■『Yuma Abe “Surprisingly Alright” Show at Sogetsu Hall』
日時:2023年8月3日(木) OPEN 18:00 / START 19:00
会場:東京・赤坂 草月ホール
料金:¥5,000
出演:Yuma Abe

◆参加アーティスト
安部勇磨(Vo, Gt)
岡田拓郎(Ba)
嘉本康平(Gt)
下中洋介(Gt)
藤原さくら(Cho)
香田悠真(Pf / Syn)
鈴木健⼈(Dr)
宮坂遼太郎(Per)
https://thaianrecords.com/273/

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「肉体的な感覚だけが確かなものとしてあり続ける」 本日休演が奏でる、甘く妖しい『MOOD』の実体 https://tokion.jp/2021/02/10/mood-by-honjitsu-kyuen/ Wed, 10 Feb 2021 06:00:15 +0000 https://tokion.jp/?p=19136 2月10日に4枚目のアルバム『MOOD』をリリースしたロック・バンドの本日休演。新譜の制作背景と、フロントマン・岩出拓十郎が音楽に求めるものについて。

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DIY的活動スタンスや、特定のシーンを前提としない変幻自在の音楽性で支持を広げてきた、京都を中心に活動するロック・バンド、本日休演。2017年にメンバーの1人埜口敏博(キーボード/ヴォーカル担当)が急逝するという不幸もあったが、それでもライヴや楽曲制作へ果敢に取り組み続け、2018年にはサード・アルバム『アイラブユー』を世に放った。同年のフジロック・フェスティバルでの熱く感動的な演奏でも、生まれ変わったバンドの姿を強く印象づけてくれた。

その後、ギター/ヴォーカル担当の佐藤拓朗がバンドを離れ、岩出拓十郎を中心とした3人編成となった彼ら。接近!UFOズや、ラブワンダーランドなど、関連バンドでも多彩な活動を重ねてきた岩出だが、今回発表された本日休演の最新アルバム『MOOD』は、それまでの蓄積も折り込みつつ、今までで最も「ストレート」な作品となっているといえるだろう。彼らならではのシニカルかつジャンル転覆的な色彩は濃いにせよ、韜晦とは程遠く、何より真摯である。さまざまな音楽要素が盛り込まれてはいるが、前作までのように全方向的/総花的ではなく、求心力がいや増し、むしろミニマルですらある。

今回本日休演が迎えたこうした変化は、いったいどのような背景がもたらしたものなのだろうか。フロントマンの岩出に話を聴くことによって見えてきたのは、「ポップ」への深い信頼と、それゆえの希求だ。

より自覚的になったリズム作りと無駄のない装飾

――前作『アイラブユー』リリースからこちらは、バンドにとってどんな月日でしたか?

岩出拓十郎(以下、岩出):2017年に埜口が亡くなったあと、佐藤(拓朗、ギター/ボーカル担当)を含む4人でもう一度結束固くバンドやっていこうという空気になって、2018年のフジロックも含めてすごくいい感じのライヴをできていたんです。でも、それもマンネリ化していってしまって。徐々に音楽から佐藤の興味が離れていって……今はプログラミングの仕事をやっていて、「また音楽やりたくなったら戻るわ」みたいな感じなので脱退したというわけじゃないんですけどね。そこから新しいギタリストやキーボーディストを探したりもしたんですけど、なかなかうまく行かなくて。

――そういった状況から今の3人で本作を作ろうと思うに至ったのには何かきっかけがあるんでしょうか?

岩出:僕が鈴木博文さんのアルバムへ一部プロデューサーとして参加させてもらって、そのつながりで本日休演がバッキングする形で博文さんと共演するライヴがあったんです。思い切って3人だけでやってみたら予想以上にいい感じで。僕ら単独でも演奏したんですけど、なんというか、無駄な邪魔がない(笑)。さすがに音数的にも寂しいだろうと思っていたんですけど、全然大丈夫だった。もともとレゲエとかダブとか、ミニマルな編成の音楽が好きだったんですけど、自分がそれをやれるとは思ってなくて。でも実際やってみたら、これは自分にもできるかも、って思えたんです。

――その時期から、本日休演とは別にラブワンダーランドというラヴァーズ・ロックやレゲエを演奏するバンドもやり始めましたよね。

岩出:はい。数年前、急にそういう音楽の魅力がわかる瞬間があったんです。リー・ペリーとか、キング・タビーとか、「ああ! こういうことか!」って。もともと裸のラリーズとか戸張大輔とか、歪んだテープのようなくぐもった音質の音楽が好きだったんですけど、それにも通じるな、と。

――ダブというコンセプトに共鳴したとかでなく、あくまでフィジカルなレベルでグッときた?

岩出:そう。「単純に気持ちがいい」ということですね。今の音楽を眺めていると、レゲエ的な要素を取り入れるにしても、上手くやりすぎていてつまらないなってのがあったんです。上手に消化するにしても、かっちりしすぎていて、何か忘れているんじゃないかなと。

――それと関連していうと、前作まではメンバーが理知的に持ち寄った要素を巧みに折衷していくような印象を抱いていたんですが、今回はそういう部分は後退して、よりソリッドかつ肉体的になった印象です。

岩出:そうですね。まず何よりも骨組み自体を大事にしたいなと思っていました。前からリズムは大事にしていたけど、今回はもっと自覚的になりましたね。今まではどうしても上モノで色付けしたくなっていたけど、サポートの演奏も最小限にして、自分も極力リズムギターに徹して。

――音像面でもグンと研ぎ澄まされたように感じます。これはやはり中村宗一郎さんの存在も大きいのでしょうか?

岩出:相当大きいですね。マイキングや音作り含めて基本お任せでやっていきました。今までは後からエフェクトやEQかければいいでしょって感じだったけど、今回は各楽器の音を録る前に作り込んでいく形。ドラムやベースは勿論、僕自身もアンプやエフェクター、ギターもスタジオにあるものを相当いろいろ試させてもらったんですけど、そうすると演奏自体も変化していくし、自然と方向づけられていくんですよね。それがアルバム全体の統一感に寄与していると思います。

自然な感覚から生まれる、異質なモノ同士を掛け合わせた楽曲群

――一方で、さまざまな音楽ジャンルが今まで試みられていないような形で接合されている曲が多くておもしろい。折衷とか消化でなくて、接合されている感じ。例えば、1曲目「ウソの旅」は、歌謡フォーク的なメロディーからシティポップ的ともいえる方向に展開したかと思うと、けたたましいファズ・ギターが入ってくる

岩出:はいはい。

――6曲目「全然、静かなまま」は歌唱含めバディ・ホリーみたいなのに、コントーションズ風のカオティックな間奏が接合される。異質のモノ同士をどうぶつけたらおもしろいかというのはやっぱり常に考えているんでしょうか?

岩出:ことさら「こうしてやったら驚くんじゃないか」とかいつも考えているわけじゃなくて、自然にそうなってしまうというか。僕は未だにiPodで音楽を聴くことが多いんですけど、あれって、シームレスにどんどん音楽が流れていく感覚なんですよね。バディ・ホリーを聴いたあとにフリージャズを聴くっていうのも自分にとっていつもやっていることなので、それがそのまま作る音楽にも出てくるのかもしれない。そういう「異質」と言われているものを一緒にやることの異質性をよくわかっていない。むしろなぜ棲み分けられているんだろう、と思ったり。

――さらに7曲目「砂男のテーマ -Midnight Desert Surfin’-」は初期キャプテン・ビーフハートのようなリフをディック・デイルが演奏しているような世界で……。リズムも特徴的

岩出:この曲のリズムはアフリカ大陸北西部のトゥアレグ族の音楽を参考にしています。いわゆる「砂漠のブルース」といわれている音楽。以前から大好きで、どのアルバムでも必ずこのリズムの曲を入れています。

――一般的に、ジャンルの掛け合わせみたいなことを行うと、どうしてもメタ的な視点が浮き出てきてしまうと思うんですが、今作には不思議とそういうところが希薄だなと思いました。

岩出:セカンド・アルバムくらいまでは「これからはメタだ!」と気負ってやっていたんですけど、急に「これってすごいダサいかも?」と思ってしまって(笑)。なんというか、「わかってる感」が出てしまっていたらすごい嫌だなと(笑)。それもあって、演奏の肉体性のほうへシフトしていったような気がします。

「ポップである」ということ、そして存在としての音楽の魅力

――加えて、前衛とポップのバランス感覚というか、その相克のダイナミズムがより一層目立ってきたなと思いました。耳障りなプレイもありつつ、メロウでもある。で、それらが対立的に配置されているようでありつつ、混じり合っているようでもある。

岩出:それももしかしたら蓄積なのかもしれないです。そのあたりのバランスって、頭で考えすぎても全然うまく行かないんですよ。楽曲の力が削がれてしまう。もっと単純に、アヴァンギャルドですごい人はすでにいっぱいいるけど、コントーションズみたいなプレイでメジャー7thを奏でるっていう人はあんまりいないし、それなら自分達もできるよな、と。そういう感じ。もちろん、「ポップであること」はすごく大事にしたいなとは思ってますけど。

――では岩出さんにとって、「ポップである」ことがなぜ大きな価値を持つんでしょう?

岩出:結局自分が音楽を聴く時も、歌というか、メロディーを聴いている気がするんです。その起伏を聴いて物思いに耽る、そういう時間が好きなんです。
今回のアルバムに入っている曲は、恋愛でいろいろと思い悩んでいる時期に作ったものが多いんですけど、自分の気持ちがよくわからなくなってしまっていたんですよね。「これは本当に好きっていう気持ちなんだろうか」とか……。そうやって考え込んでいるうちに、他のこと、もっといえば世の中のいろんなことにおいて、何が正しくて何が間違いなのかもよくわからなくなってしまって。そういう中でほとんど唯一、ポップなメロディーとか、グルーヴすることとか、そういう肉体的な感覚だけが自分的に確かなものとしてあり続けているなと思って。

――ある意味で、「ポップであること」が、自己と他者を接続するハブになっているというような感覚もある……?

岩出:そうかもしれませんね。だから自分の作る音楽も、ポップでないということがありえないのかも。

――歌詞においても、全体的に虚無的でニヒリスティックだなと思う一方、例えばフィル・スペクターがかつて作りだしたポップ・ソングのように、ナンセンスギリギリの甘い言葉が出てきたりする。その両面性がおもしろいなと。

岩出:それは嬉しいですね。ニヒリスティックっていわれたりするんですけど、僕にはあんまりそのつもりはないんです。やっぱり、何よりも生きていかないといけない、という気持ちが根底にあるんじゃないかなと。無意味だったりどうでもいいように思えたりすることでも、それが楽しければそれだけで価値があると思っているし。

――突っ込んでいうと、音楽を奏でるということの根源的な無意味性、功利主義的地平での無力性のようなものを引き受けながらも、だからこそこの社会における稀有な「アジール性」のようなものを確保しようとしているようにも見えます。こういうと、ある種の実存主義的実践にも思えてきますが。

岩出:そうかもしれない。結果的には社会にとって豊かな意味を持つことになると思うんですよね。音楽自体が今、あらかじめ何かの意図をもって存在することを期待されすぎていると思うし、実際意図を負わされすぎていると思う。いろんな音楽を聴いていて、どうしても窮屈な感じがしてしまいます。テレビ番組で誰かが「このバンドの音楽はこうこうこういう機能を持っていて、だからすごい」とか紹介しているのを観ても、うるせーな、としか……(笑)。

――何かそこに言説を付与しようとすることで、言説以前の存在としての音楽の魅力が減殺されていく……って、それこそ私も背筋を伸ばさざるを得ない話ですが。

岩出:まあ、音楽をやる側もいろいろ背負いすぎじゃない? って思うことが多いですよ。

――最後に、岩出さんにとって、1人でなくてバンドという形態で演奏を続けるということにはどんな価値があるんでしょうか?

岩出:単純に複数人で作っていくほうが、逸脱して戻ってこられなくなる、みたいなことがなくなりますよね。振り切ったものを作っても、ただ荒唐無稽になってしまう前に、バンドのグルーヴによってバネのようにベストの地点に揺り戻してくれるというか。それがバンドならではのおもしろさですね。今よりももっとメンバー同士が攻め合うような感じになったらいいなと思っています。

岩出拓十郎
1992年生まれ。2012年、京都大学在学中に本日休演を結成。今までに『本日休演』『けむをまけ』『アイラブユー』の3枚をリリースしている。岩出個人では他ミュージシャンの作品をプロデュースする他、2018年には“彼岸のラヴァーズロック”をコンセプトにしたラブワンダーランドを結成、2020年にはアルバム『永い昼』をリリースした。
Twitter: @Qyen2012

Photography Takuroh Toyama

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今だからこそ鳴らしえた「良いメロディー」――鬼才・網守将平が開いた新境地を紐解く https://tokion.jp/2021/01/30/musical-genius-shohei-amimori/ Sat, 30 Jan 2021 06:00:58 +0000 https://tokion.jp/?p=17927 クラシック〜現代音楽にエレクトロニカ、そしてポップ・ミュージックと領域横断的にサウンドを紡いできた網守将平。ヴォーカルとビートを封印し、ピアノを基軸として「良いメロディー」を奏でた約2年ぶりのソロ作に込めた思いとは。

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東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業し、同大学院音楽研究科修士課程を修了。2016年以降には2枚のソロ・アルバムをリリースし、近年は大貫妙子やDAOKOなどさまざまなアーティストの右腕としてアレンジ等に携わるなど、ポップ・ミュージックのフィールドでもその名を大きく知らしめつつある音楽家/作曲家、網守将平。

前作『パタミュージック』における、「ポップ」を過激に分解/再構築する表現を経て、このたび1月22日発表する最新アルバム『Ex.LIFE』では、自身のヴォーカルやめくるめくリズム・フィギュアを封印し、より「素直」なメロディーや、自身の弾くピアノを中心とした静謐なテクスチャーが全体を覆う、全く様相の異なる音楽世界を作り上げた。そこには、このコロナ禍以前から彼が抱いていた「音楽が純粋に音楽であることの困難さ」に対するオルタナティブなストラテジーが見え隠れする一方、この間の社会変容がもたらした新たな趨勢/思想や、あえて自身の音楽的蓄積に身を晒そうとする彼自身の姿が映し出されている。

また、これまでと同様、「一人で音楽を作る」ことに拘りつつも、永井聖一(ギター)、西田修大(ギター)、ゴンドウトモヒコ (ユーフォニアム)、 坂本光太(チューバ)、増田義基(ファシリテーター)、玉名ラーメン、Elena Tutatchikovaといった多彩なゲストを迎えた本作は、有り体に想像されるような「作曲家による自足的なソロ作品」とも決定的に異なり、いわば社会的な眼差しに貫かれてもいる。それ自身自律的(であるようにも聞こえ)ながら、一方で時間や空間に密着的である音楽。この類い稀な作品を作り上げた鬼才に、じっくりと話を訊いた。

時代が変化する中で表出された「素直な音楽性」

――音楽の受容のされ方が変化した1年だったといわれていますが、網守さんにとってはいかがでしたか?

網守:こう言うとなんですが、「自分にとって音楽というものはこうあってほしい」という状況に少し近づいたような気がしています。もちろん、ミュージシャンにとって経済的に大変な状況ではあるけれど、「ちゃんと音を聴く」とか、「一人で音楽を作る」ということに関しては以前よりもやりやすい環境になった気がしていて。

――前作リリース時のインタビューで、音楽が純粋に音楽そのものとして成り立たない状況に対して批判的な視座を投げかけるような発言をされていたと思うのですが、それが解消されてきたということでしょうか?

網守:そう感じます。この10年、コミュニケーションや人間関係が先にある中で作られる音楽が過剰にあふれているように感じていたんです。20世紀はコンテンツ消費の時代で、ゼロ年代はメディア消費、テン年代はコミュニケーション消費の時代だったという見方がありますけど、コロナ禍の結果、今このインタビューで使っているZoomとかも含めて、さまざまなオンライン・メディアが急速に浸透してきました。その結果、今一度メディアにまつわる問題意識が前景化しているように思うんです。僕はもともとそういうところからアプローチする人間ですし、コミュニケーションを前提とした表現っていうのは根本的に向いていなくて(笑)。それこそ前作は厳密にそういった問題意識から出発してガチガチにコンセプトを固めて作っていったアルバムでしたね。

――その点、今作は前作に比べて、より「素直さ」みたいなものが表出しているようにも思いました。

網守:そうだと思います。結局、幼少期から教育されてきた作曲家としてのアイデンティティや影響元からは逃れ得ないという吹っ切れのようなものもあって。もともと自分に身体化されていた音楽が素直に出てきた、というか。

――今回はミニマルな構成のインスト曲や即興演奏曲が収録されているにせよ、前作よりもむしろ「聴き下し」のしやすい印象でした。

網守:まさにそうですね。特定のアイデアから出発した曲もありますが、今までの作品の中で一番聴きやすいものになっていると思います。

網守将平『Ex.LIFE』

――新しいアイデアということでいうと、⑦「Non-Auditory Composition No.0」は「非聴覚作曲」という方法を考案し制作されたそうですね。

網守:はい。自分を含めたメンバーがライン楽器のみを演奏して即興を行っている中、ファシリテーターが任意のタイミングでヘッドホンのモニター音声をオン/オフするという形です。突然自分達の演奏している音が聞こえなくなったり、聞こえたりすることで、耳がどう機能して、どう演奏に反映されるかというのを記録しました。

――なぜそういう方法を試したんでしょうか?

網守:やはりコロナ禍におけるオンライン・メディアの浸透が大きいです。Zoomとかだと、各所で鳴っているごちゃごちゃした音が無理やり対称性を帯びたりする。要は、音の聞こえ方がテクノロジーによってあからさまに変質されている。そういうツールを使っていると、われわれ人間側も、以前よりもすべての音に対して耳を澄まさなければ音の聞き分けが難しくなる。すると、この環境的変化が結果的に人類の耳の感度というか、処理可能な解像度を上げるんじゃないかという仮説を設定してみたんです。そこから導き出されたのが、通常の聴覚に極端なバイアスがかかった状態で作曲/即興を行うというこの手法でした。

「良いメロディー」を突き詰めた先に立ち現れたもの

――一方で、練り込まれたメロディーの美しさが際立った曲も多い印象です。

網守:売り物としての音楽作品を作る時は、やっぱりメロディーをどう捉えるかというのは大きなテーマになってきます。クライアント仕事をやっていると、スタッフの人から「キャッチーなメロディーでお願いします」とかよく言われるわけですよ。その場合、耳に残りやすいとか中毒性とかそういう方向で「良いメロディー」というものが捉えられていることが多いんですが、自分からすると、それは鬱陶しいってことと表裏一体でもある。実際、ミュージシャンにしても聞き手にしても、そのあたりを聞き分ける審美的精度がすごく落ちていると思うし、それを続けていると結局メロディーは消費されるものでしかなくなってしまう。じゃあ自分の考える「良いメロディー」ってなんだろうということを突き詰めてみよう、と思ったんです。

――なるほど。ではずばり「良いメロディー」の条件とは?

網守:それ自体が聞き手の能動性をほんのり呼び起こすメロディー。聞いていると自然と追いかけたくなるメロディーとも言えるかも。そのほうが、聞き手への規定性や束縛性が強い俗的な意味で「キャッチー」なメロディーより普遍的な存在なんじゃないか、と。要するに、時間の流れを感じさせてくれるメロディーですね。

網守将平「Falling on Earth」

――以前、『ミュージック・マガジン』誌2020年3月号の「ミュージシャンが選ぶ生涯の愛聴盤」という特集の中で、テクスチャーをどのように物語としての時空間に貼り付けるかという意識と、自律した作品への憧れが同時にある、という趣旨のコラムを書かれていたと思うのですが、今の優れたメロディーについての話は、時間とも密接であり自律的でもあるという意味で、その発想とも近しいもののように思いました。

網守:確かに。無意識的にその両要素を意識して作っているんだと思います。例えば⑫「Aphorican Lullaby」では、フィールド・レコーディングの背景音とメロディー(主題)を同化させつつ、徐々に旋律が個別的に立ち現れてくるという構成を取っています。能動的にメロディーの生成そのものを聞き手が追いたくなるのを狙って作りました。

――そういう能動性を喚起するという意味で、通常の意味での背景音楽や、狭義のアンビエントとも性格が違うように感じます。

網守:まさしくそうだと思います。

――一方、すべてがゼロから生成していく感覚でもなくて、例えばガムランやファンクや、ネオ・クラシカルなど、ある特定のジャンルを想起させる要素も各所に内包されているようにも聴こえました。

網守:作っている途中に「〇〇っぽい」と気付くことはありますけど、恐らくほとんどは幼少期からの蓄積が自然に表出しているということだと思います。昔「癒やし系」ってあったじゃないですか。いい感じにリリカルなピアノ・ソロとか、壮大なワールド・ミュージックみたいなのがたくさん入っているコンピレーションとか……。

――ああ〜、『image』とか『feel』的な。

網守:そう。もはやそういうちょっと恥ずかしいルーツにすら素直になったのかもしれない(笑)。だから「〇〇っぽい」は絶対あると思う。それは、今回のように隙間が多くて、映像喚起的な音楽だと特に表れやすいものだと思います。もちろん藝大在学中に学んでいたこともどうしても自然と入り込んできているとは思います。先日も、大貫妙子さんのオーケストラ・コンサートのために書いた自分のアレンジ譜を見返していたら、「ああ、ここ武満(徹)っぽいことしたかったんだなあ」って気付いたり(笑)。

ポップ・ミュージックの「品格」と「社会性」

――その大貫妙子さんをはじめとして、前作リリース以降多くの音楽家とコラボレーションを重ねていますよね。そういった経験から得たインスピレーションもあるのでしょうか?

網守:すごくありますね。特に大貫さんとの対話から受けた刺激はとても大きい。「こんな音楽をやってみたい」というヴィジョンがほぼ全く一緒、という気がしています。さっき言ったメロディーの普遍性についてもそうですし、ポピュラー・ミュージックにおける「品格」という考え方でもそう。品があれば、下世話であっても良い、という。

――「下世話」と「下品」は違う?

網守:そう。例えば、レナード・バーンスタイン風の、「ジャッジャジャーン」みたいなベタでロー・コンテクストなキメとかでも、そこに品があれば普遍的な魅力を感じられるけれど、マーケティングから逆算されたようなアディクション重視の「ポップ」の場合は違う。大貫さんが以前「結局、イントロとカウンター・メロディーさえ優れていれば素晴らしいポップスは成立する」と言っていたんですけど、まさに、下世話で単純なメロディーにも品が宿るというのは、そういう部分を突き詰めることなのだろうな、と思いますね。

――他にも、インスタレーションやサウンド・アート、映像制作等、さまざまな分野でも創作を行っていますよね。その上でなおポピュラー・ミュージックに携わり続けるのはなぜなのでしょう?

網守:結局僕は、音楽を作っている時もアート系の仕事に携わっている時も、「この作品が社会に存在するというのはどういうことなのか」ということを考えてしまうんです。その意味では、ポップ・ミュージックというのは宿命的に社会に内在的なものであるし、自分もそこから離れられないのかなと。

――ポピュラー・ミュージックは、その根源的性質からして自足的な存在でなく、おのずから聴衆をはじめとした社会的存在に縁取られたものである、と。

網守:そう。僕は東浩紀さんを尊敬しているんですが、例えば彼がゲンロンで行っているのも、思想を内閉的な存在にするんじゃなく、広義の「観客」へ開いていこうとすることですよね。そういう考え方にも影響を受けていると思います。

――世に出るものを創るということは、それが一人で成されたものであっても、はじめから社会的な活動である?

網守:はい。翻ってミクロな視点で見たとしても、音楽においては結局、サイン波の音量が音色やテクスチャーを含めたすべてを規定するし、それは結局のところ数的な理論でもある。でも、視野を広げれば、微小な数的要素の重なり合いと連続が社会を構成しているわけで、そういう意味においても、計量的な存在としての音楽は社会から逃れることはできない……。

――おもしろい考え方ですね。音楽を還元主義的に突き詰めていくと、つい非社会的な存在と捉えられがちだけれど、実は結局のところ社会とつながっている。

網守:はい、そういう思考が僕の音楽に対する根本的な考え方を形作っていると思うし、今作のジャケットには、それを抽象的に表現したテキストを載せています。

――今後取り組んでみたいことを教えて下さい。

網守:しばらくソロ・アルバムはいいかなあっていうのが正直なところですね(笑)。最近興味があるのが「エフェメラリティ」(一過性)という概念で、彫刻とかインスタレーションに触れることで刺激されることも多くて。自分なりに、音楽におけるエフェメラルとは何かというのを考えた上で作品創りを行ってみたいなと思っています。

*

網守将平
1990 年東京生まれ。音楽家/作曲家。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。同大学院音楽研究科修士課程修了。学生時代より、クラシックや現代音楽の作曲家/アレンジャーとして活動を開始し、室内楽からオーケストラまで多くの作品を発表。2016年、初のフルアルバム『SONASILE』をリリース。複雑な電子音響とポップなメロディーの共存を提示した。2018年にリリースされた『パタミュージック』はポップ・ミュージックと実験音楽をコンセプチュアルに配置した音楽性が話題となり、BBCなどヨーロッパ各国のラジオ局で多数のオンエアを獲得し、イギリスの音楽雑誌WIREなど多数のメディアに批評が掲載された。近年はポップ・ミュージックからサウンド・アートまで総合的な活動を展開。さまざまな表現形態での作品発表やパフォーマンスを行う傍ら、大貫妙子やDAOKOなど多くのアーティストの作編曲に携わる。CMやテレビ番組の音楽制作、音楽領域以外のアーティストとのコラボレーションワークも行う。
www.shoheiamimori.com
Twitter:@shoheiamimori

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多重録音 / 宅録音楽家・浦上想起という新たな才能 その音楽遍歴と思想について https://tokion.jp/2020/12/26/urakami-soki-and-his-journey-into-music/ Sat, 26 Dec 2020 06:00:11 +0000 https://tokion.jp/?p=13570 本格活動からわずか2年足らずで注目される存在となった浦上想起。今まであまり語られてこなかったこれまでのこと。

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2020年10月23日、多重録音 / 宅録音楽家・浦上想起による待望のデビュー・ミニ・アルバム『音楽と密談』が配信限定でリリースされた。……と紹介してみて、「待望の」というのは本来、それなりの時間を活動にあててきた音楽家にふさわしい形容だということに気付く。そう、大きな話題となった2019年公開の「芸術と治療」を皮切りに、現在20代の浦上想起の本格的な活動歴はまだ2年にも満たないのだ。けれど、その注目度の急速な高まりからいって、これほど「待望」という表現が似合う才能もまれだろう。

例えば、ヴァン・ダイク・パークス、ハリー・ニルソン等から連綿と続く、多重録音アメリカン・ポップスの伝統。あるいは、それらにも大きな影響を及ぼしてきたアメリカン・クラシックや、ウォルト・ディズニー映画などによる新旧アニメーション作品スコアを含む映画音楽の歴史。はたまた、フランク・ザッパのめくるめくアヴァンギャルド・ポップや、エグベルト・ジスモンチ、エルメート・パスコアールなどによるプログレッシブなブラジル音楽。さらには、ヴルフペックやルイス・コールなど、現代のオルタナティブかつ先鋭的なファンクとの共振。

浦上想起の音楽に触れると、そういったさまざまな固有名詞が奔流のように押し寄せてくるようでありながら、一方で、特定のムードに固定されることなく走り抜くスリリングな速力というべきものを味わうことにもなる。トリッキーなリズム・アンサンブルやリハーモナイズ(*)を駆使し、複雑な(けれどポップな)構成物を間断なく建て替え続けるようなその方法は、あくまで打ち込み工程が主体になっているという点からしても、現在の宅録音楽の最先端にして極めてオリジナルな一例ということができるだろう。

『音楽と密談』の制作についてはもちろん、これまで謎に包まれていた彼の音楽遍歴やその思想にも迫った。

特定のメロディーに対して想定される和音を入れ替えることによって、通常とは違った効果的な響きを得る技法のこと

「小さな頃から音楽は身近な存在だった」

——これまでの経歴を教えていただけますか。

浦上想起(以下、浦上):小さい頃から母親の車に乗った時にカーステレオから流れてくる音楽を聴いて「いいなあ」と思ったりしていました。カーペンターズ、ビートルズ、ユーミン……あとはビル・エヴァンスとか、ジャズも流れていましたね。今考えるとだいぶ生意気な話ですが、街中に流れているポップスに対しては、はっきりと好き嫌いがあって「これは良いけど、これは聴けない」という、自分の中での基準みたいなものがありました(笑)。

演奏のほうは、クラシック・ピアノが最初ですね。それと、ブラスバンド。転勤の多い親だったのでたびたび引っ越しをしていたんですけど、どこに行ってもその土地の子ども向けの音楽クラブに所属していました。担当は主にパーカッションです。地域の音楽好きの大人達と交流する機会もあって、クラシック音楽についての知識を教えてもらうことも多かったですね。

中学時代を思い返して大きな存在だったのはラジオです。気になった音楽をネットで調べたりも一応していたんですけど、受験勉強をしながらラジオを聴くのが好きで、そこで知ったアーティストを掘り下げて聴いたりしていました。高校に入ると、そこで仲良くなった友達にクラシック・ロックとか当時のインディー・ロックを教えてもらって、自分でも聴くようになりました。コピー・バンドをやるにしても人手が足りないから鍵盤以外にもギターとかドラムとかいろいろとやらされることになって(笑)。大学へ進学すると同じ専攻のクラスの友達で音楽仲間ができて、バンドをやってみたり。そのつながりで友人のサポートとかアレンジとか頼まれるようになって、自分名義の活動を始めるまではそういう活動がメインでした。

――特に影響を受けた音楽家は誰でしょう?

浦上:1人は、アラン・メンケン。例えば『美女と野獣』(1991年)とか『アラジン』(1992年)とか、小さい頃からディズニー映画が大好きでよく見ていたんですけど、映画の内容そっちのけで音楽自体にすごく惹かれてしまって。彼の音楽ならではのめくるめく展開というか、シリアスなクラシック音楽とも違ったきらびやかな和声が魅力ですね。『ウェスト・サイド物語』(1961年公開。音楽:レナード・バーンスタイン)とかミュージカル映画も大好きでした。いわゆるフィルム・スコアには昔からとても惹かれまし、映画館に行って映画を観ること自体もずっと大好きです。

もともと、ブラスバンドをやっている時から譜面を眺めるのがとても好きだったんです。オーケストラ譜とかは「指揮者だけが見てよいもの」みたいな謎の思い込みがあって、コソッと眺めては全体の音を想像してみるみたいなことをしていました(笑)。

もう1人は、ジョニ・ミッチェルです。最初はおそらくラジオ番組の洋楽特集的な企画で知ったんだと思います。あの独特の声にまず興味を惹かれました。曲自体も、「A、A、B、A」みたいなよくあるポップスの構成の型にはまっていない不思議な魅力を感じました。どの時期も素晴らしいですけど、ジャコ・パストリアスとやっていたジャズ色の強い時期は特に好きです。

本当にやりたいことを再認識して、音楽の道へ

――現在の自作自演に通じる活動はいつ頃から始めたんでしょうか?

浦上:最初のきっかけにさかのぼるなら、幼稚園の頃かもしれません。スーパーの呼び込みの音楽に似せたオリジナルのメロディーと歌詞を自作したりとか、そういうレベルですけど(笑)。まだ音源を残すという発想はなくて、ノートに五線譜を書いて音符を並べたりしていました。

本格的に自分主体の活動をするようになったのは本当にごく最近で2019年に入ってからです。卒業後の道も決まりつつあったのですが、ある時点で急に全部ほっぽりだして、本当にやりたいことってなんなんだろうと考えていくうちに、1人で音楽を作ってみたいなと思い立ちました。そこから、カヴァーやオリジナル曲の断片をネットにアップしていくようになりました。

――当初は「浦上・ケビン・ファミリー」という今とは違う名義でしたよね。

浦上:家族や周りの友人など誰にも言わず1人で始めてしまったから、どうしても孤独感というか寂しさがあって、とりあえず架空のバンドというか集団というか、そういう設定でいこうと思ったんです。実際は1人でやっているから寂しさは全然紛れなかったんですけどね(笑)。曲をアップしていくうちにその設定もだんだんうやむやになってきて、結局今の名義に変わってしまいました。だから今の「浦上想起」も確固とした音楽的コンセプトがあるわけでもないんです。

――すべて宅録で作られているということですが、使用機材やソフトはどんなものを使っているんですか?

浦上:DAWはアレンジの仕事をやっていた時代からCubase一筋ですね。ソフトシンセの打ち込みが軸にはなっていますが、すべて打ち込みにしてしまうといかにもデジタルな質感になってしまうので、効果的に生楽器を混ぜることも意識しています。マイクに関してはチープなものを使っているので、特にヴォーカルとかはEQで加工してとっぴな個性を出したり逆になじませてみたり、いろいろ工夫をしています。

――「芸術と治療」をアップしていろいろな反応があったと思いますが、ご本人的にはいかがでしたか?

浦上:最初は人に聴かせるということへの心理的なハードルがすごく高かったし、発表までミックスとかも迷うことが多かったんですが、結果的に自分の予想を超えて多くの人に聴いてもらえて驚きつつも嬉しかったです。やっぱりSNSがこれだけ発達しているおかげだなと思うことも多くて。それまでなかなか可視化されてこなかっただけで、自分みたいに一人で音楽を作っている人が結構いるということが見えてきたし、聞き手に見つけてもらえる可能性もずっと増したと思います。

リハーモナイズの面白さは作曲の重要な要素

――以前からリハーモナイズのおもしろさをいろいろなところで発言されていますが、具体的にどういったところに惹かれているんでしょうか?

浦上:リハーモナイズとか和音を再構築することのおもしろさって、単なるアレンジにとどまらず作曲を行う上でもとても重要な要素だなと感じているんです。自分の場合、主にジャズを聴きながら養ってきた感覚だと思うんですけど、理論で組み立てることも可能な一方、本質的にはもっと感覚的な部分が大事な作業だと思っています。はじめから定石的な和音を当てはめていくんじゃなくて、そこをまっさらに考えて、都度都度で気持ちよく響くコードを探しながら当てはめていくような方法が好きですね。

――曲に取り掛かる前から完成予想図的なものが頭の中に構築されている感じなんでしょうか?

浦上:そうですね。今回の作品は「密談」とタイトルにもあるように、トラックも歌も、自分の内側に向けたものが多いかなと思っていて。自分の中にある音楽の「イメージ」そのものと対話する趣向というか。でも、実際には思い通りにいかないことも多くて。1人で作っていると、どうしても他者の意見とか偶然性みたいなものが入り込んでくる余地がなくなってしまうんですけど、自分で作ったものを3日間くらい寝かせてみたらすごく変に聴こえたりとか、思ってもみなかった要素があったりとか、時間を隔てた自分が別の視点を提供してくれるっていうおもしろさもある気がします。

浦上想起 1st mini album 「音楽と密談」

――打ち込み音楽というと、一般的にループ的構造をもったものを思い浮かべがちですが、浦上さんの音楽の場合、ひとところへ回帰することなくすごい速度で次から次へ移り去っていくような感覚があります。なんというか、壮大で緻密な一筆書きを見ている気分というか……。

浦上:次々とカラフルに切り替わっていく連続的なイメージみたいなものを和声で表現したいというのはあります。音で色彩の移り変わりが見えたらおもしろいかなと思っています。

――一方で、それぞれ一個の歌もののポップ・ソングとしても完成されている。歌詞は、いわゆる「内面の吐露」というより、ある特定の「視点」を設定した上で描写的にその心象風景を描いていくものが多いように感じました。

浦上:曲ごとに主張みたいなものはわりとはっきりあるつもりなんですけど、それをストレートに書いてしまうことへの照れみたいなものも自分の中にあって。なんというか、「意味のあるもの」の氾濫に対しての疲れがあるというか、理に落ちてしまわないように気をつけているところはありますね。実の部分は確固としてありつつも、その周りにまとわせる衣の部分をいかにおもしろいものにできるかということに挑戦している感じです。

誰かにとって「生きるための刺激」になってほしい

――プレス用資料に「図らずもこのような時世の中で、音楽や文化・芸術の持つ意義を問うていきたいという気持は変わらずあります」とコメントを寄せていますが、より突っ込んで言うとどんな気持ちなんでしょうか?

浦上:ここ最近はコロナをはじめ暗いニュースが多くて、自分でも思いつめてしまうことが多かった気がしていて。こういう時こそ「文化や芸術の存在意義とは?」という話になってくると思うんですけど、内にこもるしかないような世の中で、何がしかの安らぎや刺激を提示しうるのが芸術だろうなと思っているし、自分の内側へ新しい認識の世界とか避難所を作り得る可能性を信じたいと思っていて。知らず知らずのうちに自分達を取り囲んでいる呪縛から解き放たれること。だから作り手としても、あえて「無駄」を磨くことで美しい刺激物に昇華できればいいなという気持ちで取り組んでいます。おこがましいですけど、ちょっとでも誰かにとって「生きるための刺激」みたいなものになってくれたら嬉しいなと思っています。

――今後挑戦してみたいことを教えてください。

浦上:今回は、音楽はもちろんそれに付随するジャケット・アートワークやミュージック・ビデオまですべて自分1人で構築してみるっていう願望があったので実際そのとおりにやってみたんですけど、やっぱりどうしても寂しくなってしまって……全部1人でやるのは正直今回だけでいいかなと(笑)。

だから今は、もう一度バンド・サウンドで音楽を作ってみることに興味があります。ミニマルなファンク・ミュージックが以前から好きなんですけど、ファンクを基調にしつつ、多重録音とフィジカルな演奏の魅力を融合させたような音楽をやってみたいなと考えています。

それと、少しずつライブも再開していきたいなとも思っています。

浦上想起
2019年1月頃、おもむろに活動を始めた多重録音 / 宅録音楽家。YouTubeやSNSにアップした音源が、著名ミュージシャンにTwitterで賞賛されるなど、本人の想定を越えた支持を集める。並行して、秋頃からライブ活動もスタート。2020 年にシングル「新映画天国」をリリースしさらに支持を広げる。「未熟な夜想」がドラマ「名建築で昼食を」のエンディィングテーマとして起用され、8月21日にシングルとしてリリース。10月23日に自身初となるミニアルバム「音楽と密談」を上梓した。
YouTube:https://www.youtube.com/c/SoukiUrakam
Twitter:@urakamifamily
Instagram:@urakamifamily

Edit Atsushi Takayama(TOKION)

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