海外で再評価が高まるDIYシティポップアーティスト・鈴木慧が1980年代からの音楽活動を振り返る

鈴木慧(すずき・さとし)
1958年7月、東京生まれ。1977年以来の現役ライブハウス・ミュージシャン。担当楽器はジャズピアノだが、好む音楽はソウルミュージック。従って出来上がる音はAOR。
http://litera.in.coocan.jp/tealive.htm

鈴木慧。1980年代からソロ音源を制作し、これまで幾枚かのアルバムをリリースしてきた、「シティポップアーティスト」。今もなお現役パフォーマーとして活動し、コンスタントにライブ演奏を行う都会派ミュージシャン。そのように紹介したとしても、実際のところ、彼の名前にピンとくる読者はごく限られているだろう。それもそのはず。鈴木慧は、これまでのキャリアの中でヒットを飛ばすどころか、メジャーな音楽シーンに名を刻んできたわけでもない、あくまでマイペースに音楽を奏で続ける1人のアマチュアミュージシャンなのだから。

しかし。近年になって、その彼が今から35年も前にリリースしたLPレコードが、国内外の一部の音楽ファンのあいだでにわかに話題となっている。先鋭的なDJや、「ディガー」と呼ばれるコアなレコード好き、あるいは夜な夜な東京のクラブで音楽を楽しむ一部のリスナー達が、鈴木慧の音楽に魅了され、まるで、人知れずタイムカプセルに保存されていた品と不意に対面したかのような驚きをもって、大切に耳を傾けてきたのだ。

その親密な宅録サウンドは、まるで、ジェフ・フェルペスやドワイト・サイクス、チャック・センリック、ジョー・トッシーニといった、この10年ほどで発掘されたDIYソウル〜AORにも通じる温かで繊細な魅力に溢れており……いや、こうしてそれらしい固有名詞を並べて「音楽オタク」向けに賢ぶってアピールしてみてもあまり意味はないかもしれない。決して大多数から熱狂的に支持されるタイプのものではないが、ある種の人々の心を確実に捉えてやまない……それが鈴木慧の音楽だからだ。

今回、そんな鈴木慧が過去に残した音源が、米ポートランドのレーベル「INCIDENTAL MUSIC」によって、編集盤『遠い旅の同行者』としてまとめられ、アナログリリースされる。昨今、過去に制作されたさまざまな日本産音楽が海を越えて再評価されているが、今作のリリースは、そんな一連の出来事の中でも特に喜ばしい慶事といえる。

発売に際し、これまでの経歴や音楽活動の変遷、今回のリリースのきっかけなど、鈴木慧本人にじっくりと話を訊いた。

早熟リスナーからバンドマンへ

——生年と出身地から教えていただけますか?

鈴木慧(以下、鈴木):1958年7月、東京生まれです。生まれてこの方ずっと池袋在住です。

——子どもの頃から音楽はお好きだったんですか?

鈴木:はい。中学の頃からは、今でいうシティポップの前身となるような音楽——はっぴいえんど、キャラメル・ママからティン・パン・アレー関連の音楽など——を好んで聴いていました。当時、TBSラジオの『パック・イン・ミュージック』木曜日の回や、『こずえの深夜営業』等、馬場こずえさんのラジオ番組をよく聴いていたんですが、その辺りの曲をよくかけていたんですよ。荒井由実や吉田美奈子のデビュー作も、細野晴臣さんの『HOSONO HOUSE』も、大瀧詠一のファースト・ソロ『大瀧詠一』も、最初は全部ラジオを通じて耳にしました。

——かなり早熟なリスナーだったんですね。

鈴木:そうだったのかもしれませんね。1970年代半ば頃まで、あくまで主流は歌謡曲やフォーク系のニューミュージックでしたから。

今日の取材のために、1977年当時自分で編集したカセットを持ってきたんです。シングル盤を買い集めてはせっせとダビングしていました。(インデックスカードを見ながら)大貫妙子さんの「Wander Lust」、「明日から、ドラマ」、南佳孝さんの「これで準備OK」、「ソバカスのある少女」、吉田美奈子さんの「恋は流星 part2」、尾崎亜美さんの「旅」、ハイ・ファイ・セットの「風の街」、伊藤銀次さんの「風になれるなら」、松任谷由実さんの「潮風にちぎれて」、かまやつひろしさんの「サテンドレスのセブンティーン」、久保田麻琴さんの「バイ・バイ・ベイビー」……。

——(インデックスカードを見ながら)ミュージシャンのクレジットも自ら書き込んでいたんですね。

鈴木:当時からパーソネルをチェックして、ティン・パン・アレーがバッキングに参加しているものを片っ端からを手に入れていました。高校を出た後に、江古田のレコード屋さんでバイトを始めたので、欲しいものはすべて自分で注文して買っていたんです(笑)。

——ご自身で演奏を始めたのはいつからですか?

鈴木:高校生の時、クラスの友達とバンドを始めて、卒業後の1977年からライブハウスに出始めました。高円寺のレッドハウス、荻窪のロフト、渋谷のヤマハ他……都内のライブハウスはかなりの数出演したと思います。

僕のパートはキーボードとボーカルで、他にアコースティックギター兼ボーカルのメンバーが2人いて、トリオでやっていました。割と早い時期にフェンダーローズを頑張って買って、ライブでも使っていました。編成的にはシンプルな形ですけど、キャロル・キングやジェイムス・テイラーの大ファンだったので、ベタなフォークというよりは、もっと洗練したものを志向していましたね。3人のコーラスも重要な要素でした。ギターの2人にジェイムス・テイラーや吉川忠英さんのプレイを研究してもらったり……。

——その頃のレパートリーはオリジナルソングだったんですか?

鈴木:はい。高校を出て尚美高等音楽学院(現・尚美ミュージックカレッジ専門学校)へ進んで、作曲を習っていたんです。本来はクラシックの作曲科なんですけど、僕はポップスの作曲をやっていました(笑)。ジャズ科の連中と交流したり、割と自由な環境でしたね。クラシックの理論を学びつつ、ジャズのバークリーメソッドも勉強する、といった日々です。ジャズの理論を勉強することで、ボサノヴァのコードを使えるようになったり、そこでの経験が自分のその後の作曲にとって大きな糧になりました。

——ソウル系の音楽も聴かれていましたか?

鈴木:聴いていました。クインシー・ジョーンズのA&M時代のアルバムが日本盤として一挙にリリースされて、それを買ったのがソウル的なものに触れるようになったきっかけです。1980年代以降はブラックコンテンポラリーと呼ばれるものをよく聴くようになりました。

——AOR系は?

鈴木:もちろん大好きです。マイケル・フランクスやスティーリー・ダン、ボズ・スキャッグス等々……。よくレコードを買いましたね。

——後にリリースされるアルバム『週末の光と風』の帯で、「ジャズ40%、ソウル30%、ブラジル20%、歌謡曲10%」とご自身の音楽を説明されていますが、まさにその頃の音楽体験が反映されているわけですね。

鈴木:おっしゃるとおりです。

——その後バンド活動はどうなったのでしょうか?

鈴木:1977年からおよそ8年間、1985年くらいまで活動していました。けれど、みんな社会人になって忙しくなっていって、自然と解散してしまいました。

——バンドでも録音を残しているんですか?

鈴木:エアーで一発録りで一応録りました。随分前にネットに上げてたりもしたんですが。

1980年代から宅録を開始

——1人で宅録をはじめたのはいつからですか?

鈴木:1983年からです。TEAC244というマルチトラックレコーダー(MTR)を手に入れたのがきっかけです。それまではアマチュアが自宅で多重録音するといっても、デッキを2つならべてピンポンするとか、かなり手間がかかる作業だったので、MTRの存在は本当に画期的でしたね。

——オケはどうやって作っていたんですか?

鈴木:今日も持ってきているこのYAMAHA CS01をメインで使ってました。あとは、ちょうど発売されたばかりのYAMAHA DX-7、それとカシオのシンセサイザーも使っています。やっぱりDX-7はすごく画期的でしたね。それまではポリフォニックといってもいろいろと制約がありましたし。

——当時流行していたテクノポップ〜ニューウェーブ系の音楽をやってみようという気はなかったんでしょうか?

鈴木:そうはならなかったんですよね。僕はあくまで洗練された音楽をやりたかったんです。1980年代初頭をピークにそれ以降シティポップ的なサウンドが停滞していくわけですけど、それはやっぱりニューウェーブの存在が大きかったと思うんです。ニューウェーブというのはパンクに由来するものだから、既存の音楽を壊すというスタンスじゃないですか。だから僕が好きなものとはちょっと違ったんです。

けど、自然と耳に入ってはきていましたよ。僕が1983年当時勤めていた会社に、ニューウェーブ好きの同僚がいましたし。一方、上司はカシオペアやAB’Sが好きで職場でレコードを流していたりして。僕としてはどちらかといえばそちらに惹かれていました。その職場というのが、リットーミュージックのソフトウェア開発部門だったので、みんな当然音楽好きで。

——リットーミュージックに勤務されていたんですね!

鈴木:短い期間でしたけどね(笑)。その後はシンセサイザー奏者の神谷重徳さんのスタジオに勤めていました。

——そうだったんですか!

鈴木:神谷さんのお父さんが画家で、そのアトリエをスタジオに改造していたんです。僕の入社前ですが、坂田明さんや村上“ポンタ”秀一さんなどいろいろなミュージシャンがそのスタジオを使われていたようです。本物のメロトロンとか、立派な機材がたくさんありましたね。といっても、僕の仕事はスタジオ業務に直接関わっていたわけじゃなくて、リットー時代と同じくソフトウェア開発だったんですが。

——そういった生活をされながら日々音源を録りだめていき、1980年代後半に数枚のLPとしてリリースされたわけですね。

鈴木:はい。

——ネットが普及した今でこそセルフリリースは珍しいことではなくなりましたが、当時レコードを自主リリースするのにはいろいろなハードルがあったのだろうなと想像します。

鈴木:自分の中では案外そうでもなかったですね。ナゴムレコードとか、ニューウェーブ系のインディーズも多かったし、その辺りのジャンルだと自主制作している人も結構いましたから。僕もそういう例を見て、自分でも出したいなと思うようになりました。どうやったらレコードを作れるのか調べたら、アテネレコード工業(現・アテネ)という会社が制作の窓口をやってくれるのを知ったんです。

——今となっては、自主制作レコードの名門としてマニアの間で名高いアテネレコードですね。

鈴木:教育目的のレコードを制作している会社で、打ち合わせに行ったら、スーツ姿のマジメそうな社員の方に対応してもらったのを覚えています(笑)。そのアテネに自分で作ったマスターを持ち込んで、カッティング用のマスターテープに変換してもらいました。

——計3枚LPをリリースされていますが、発売された順番は?

鈴木:厳密にいつリリースしたのか記憶が曖昧なんですが……おそらく1987年に『Mandheling Street』を、1988年に『週末の光と風』を、その後に『夏が見せる夢』を出したように記憶しています。『Mandheling Street』と『夏が見せる夢』に入っている曲は1983年以来同じ時期に並行して制作していたもので、もともとバンド時代に演奏していた曲をアレンジし直して1人で録ったものが中心になっています。自分の中では『夏が見せる夢』のほうがファーストアルバムという認識だったんですが、『Mandheling Street』の方が明るい曲が多かったので先に出しました(笑)。『週末の光と風』は、1987年以降に書き下ろした新曲を収録しています。

——ジャケットの制作もご自身でディレクションされたんですよね?

鈴木:はい。

——自主盤にしては、というと語弊があるかもしれませんが、印刷のクオリティがとても高いですよね。

鈴木:神谷さんのスタジオの後、広告代理店に勤めていたんです。レーベル名になっているReal Creative Agencyという会社です。なんでも作る会社だったので、デザインや印刷のディレクションのノウハウがあったんです。実際のデザインをやってくれたのも会社のデザイナーです。「一度でいいからレコードのデザインやってみたかったんだよなあ」と言って喜んでくれました(笑)。若い方は想像もできないと思いますが、当時はまだ版下入稿の時代でした。

——今回の編集盤『遠い旅の同行者のジャケットにもなっていますが、『週末の光と風』のカヴァー写真は特に素晴らしいですね。

鈴木:これは妻が撮ってくれた写真です。市ケ谷駅のホームから外堀を臨んでいる構図ですね。勤務先の広告代理店が市ケ谷にあったので、毎日ここを通っていたんですよ(笑)。

——完成したレコードをどうやって流通させたんでしょうか?

鈴木:営業も納品もすべて自分でやりました。といっても、100枚プレスでしたから、「山野楽器」や江古田の「おと虫」とか、一部店舗に卸したのみです。音楽雑誌にも送りましたよ。「キーボード・マガジン」や「シンプジャーナル」で紹介してもらいました。それを読んだ地方の方から問い合わせを受けて発送した記憶もあります。

米ポートランドのレーベルから編集版をリリース

——そうやっておよそ35年前にリリースされたLPが巡り巡ってのちの世代のリスナーの手に渡り、ついには米ポートランドのレーベル「INCIDENTAL MUSIC」から編集盤がリリースされることになったわけですが、こうした展開について、ご本人としてはどんなお気持ちですか?

鈴木:本当に不思議な気持ちですよね。正直にいえば、当時の音は隙間だらけだし、もっとできたはずなんだけどなあ、という気持ちもあって(笑)。今作っている音に比べるとどうしても……この隙間だらけの音を面白いと思ってもらっているとは思うんですが。

——1人のアマチュアミュージシャンが日常の中で作り続けていた音楽だけに宿る、ある種の親密さやロマンが詰まっていると感じます。メジャー産の「製品」にはない、そういう繊細でプライベートな質感が若い世代のリスナーの耳を捉えているんだと思います。

鈴木:今では基本的に打ち込みですべて完結できてしまいますからね。そういう意味で、これらの曲は全く今の音と質感が違いますね。ドラムも当時のリズムマシンですし、なんといってもローズピアノを多用しているっていうのがこの質感を作り出している気がします。今ではシンセの白玉(長音符)をポーンって入れちゃいますけど、そうじゃなくてあくまで手弾きのピアノを入れているというのが、手作り感を強めているのかもしれませんね。

——歌詞も文芸的でとても素敵ですね。あの時代の東京の、ちょっと儚げな空気というか……どこか孤独感が漂っているというか……。

鈴木:ありがとうございます。歌詞にはストーリー性を込めているんですが、すべてフィクションとして書いているんですよ。

——今回の編集盤には、後の1993年に同じく自主制作されたCDアルバム『心適わない夏、そして秋』からも3曲が収録されています。LP収録の各曲に比べると、サウンドが変化しているのがわかります。

鈴木:ドラムマシンも違うものを使っていて、シンセサイザーも別のカシオのモデルを使っています。マイナー調で、ファンクっぽい曲が増えたのも特徴かもしれませんね。

——今回の編集盤リリースのきっかけを教えてください。

鈴木:サウンドクラウドにいくつか曲を上げているんですが、それを「INCIDENTAL MUSIC」のオースティン(・トレットウォルド)さんが偶然発見したらしいんです。それで、ある日彼からメッセージが来てやり取りする中で、「過去にはこういうのも出していたんだよ」とLPの曲を送ってあげたんです。そしたら、「これらは素晴らしい内容だから、編集盤を作りませんか?」と提案されたんです。

その時点で僕は既にここ(インタビュー場所)のpianola recordsの國友さんと知り合いだったので、「こういう問い合わせが来たんだけど、どう思いますか?」と聞いてみたんですよ。そしたら、数年前に既に國友さんが参加しているレーベル(「conatala」)と「INCIDENTAL MUSIC」が共同である作品(Pale Cocoon『繭』)の復刻リリースをしていたと知ったんです。

——國友さんがオースティンさんに紹介したのではなかったんですね。

鈴木:そうなんです。偶然が重なってリリースが決まりました。

——選曲を担当したのもオースティンさんですか?

鈴木:はい。過去の音源をすべて彼に渡して、好きに選んでもらいました。すごく新鮮な体験でしたね。ボサノヴァ調の曲を多めに選んでくれたのが面白かったです。音源自体はすべて再収録用にDAWでミックスし直しています。

オースティンさんは当初、最近の曲も混ぜて編集盤を作るアイデアを提案してくれたんですが、やっぱりそれは別に考えたいというのがありました。今やっている音は当然今回のコンピレーションに入っているものとは違うし、あくまでここに集められているのは、「1980年代〜1990年代初頭の鈴木慧」なんです。

——鈴木さんは現在も活発にライブをやってらっしゃって、僕も何度か拝見しているんですが、初めて見た時、その特異なセッティングに驚きました。あらかじめ録っておいたリズムをカセットテープで流しながら、YAMAHA CS01にストラップをつけてショルダーキーボードのスタイルで弾き語りするという……。

鈴木:僕のパフォーマンスは、あの形態ありきだと思っているんですよ。ソロライブを始めた1983年当時からずっとあのスタイルです。もともとはYMOが散開ツアーでテープを使っているのを知って、彼らがやっているくらいだから「アリ」なんだ、と思ったのがきっかけです(笑)。

——普通だったらリズムマシンやラップトップを使いそうなところを、カセットを実際に再生しているという……。1曲ごとにカセットテープ入れ替える様子が、キーによってブルースハープを持ち替えるブルースマンのようで素敵でした。

鈴木:まず、カセットをステージ上に並べて、それを曲ごとに入れ替える様子を見てもらいたいというのがあって(笑)。そのカセットの音も、PAに繋ぐのではなく手元のシンセにラインで繋いでいますから、独特の音質になるんですよね。

——ぜひこのインタビューを読んでいる皆さんにもライブを見てもらいたいですね。

鈴木:ぜひいらしてください。近年制作した音源も各サイトにアップしているので、それらも聴いてもらいたいですね。

Photography Mayumi Hosokura

■鈴木慧『遠い旅の同行者 – Distant Travel Companion』(LP)
価格:¥4,200
現在も活動を続けるシンガーソングライター鈴木慧が1980年代から90年代に残した稀少な作品群から選曲したコンピレーション盤が登場。

JP
https://pianola-records.com/collections/distro/products/satoshi-suzuki-distant-travel-companion

EN
https://incidental-music.com/shop-releases/satoshi-suzuki-distant-travel-companion-lp-pre-order

■鈴木慧『遠い旅の同行者』LPリリース・パーティ
日程:2023年11月3日
時間:19時〜
会場:FORESTLIMIT住所:東京都渋谷区幡ケ谷2-8-15 KODAビルB1階
料金:¥2000+1ドリンク
http://litera.in.coocan.jp/tealive.htm

author:

柴崎祐二

1983年埼玉県生まれ。2006年よりレコード業界にてプロモーションや制作に携わり、多くのアーティストのA&Rディレクターを務める。現在は音楽を中心にフリーライターとしても活動中。編共著に『オブスキュア・シティポップ・ディスクガイド』(DUブックス、2020)、連載に「MUSIC GOES ON 最新音楽生活考」(『レコード・コレクターズ』)、「未来は懐かしい」(『TURN』)などがある。 Twitter @shibasakiyuji

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