「肉体的な感覚だけが確かなものとしてあり続ける」 本日休演が奏でる、甘く妖しい『MOOD』の実体

DIY的活動スタンスや、特定のシーンを前提としない変幻自在の音楽性で支持を広げてきた、京都を中心に活動するロック・バンド、本日休演。2017年にメンバーの1人埜口敏博(キーボード/ヴォーカル担当)が急逝するという不幸もあったが、それでもライヴや楽曲制作へ果敢に取り組み続け、2018年にはサード・アルバム『アイラブユー』を世に放った。同年のフジロック・フェスティバルでの熱く感動的な演奏でも、生まれ変わったバンドの姿を強く印象づけてくれた。

その後、ギター/ヴォーカル担当の佐藤拓朗がバンドを離れ、岩出拓十郎を中心とした3人編成となった彼ら。接近!UFOズや、ラブワンダーランドなど、関連バンドでも多彩な活動を重ねてきた岩出だが、今回発表された本日休演の最新アルバム『MOOD』は、それまでの蓄積も折り込みつつ、今までで最も「ストレート」な作品となっているといえるだろう。彼らならではのシニカルかつジャンル転覆的な色彩は濃いにせよ、韜晦とは程遠く、何より真摯である。さまざまな音楽要素が盛り込まれてはいるが、前作までのように全方向的/総花的ではなく、求心力がいや増し、むしろミニマルですらある。

今回本日休演が迎えたこうした変化は、いったいどのような背景がもたらしたものなのだろうか。フロントマンの岩出に話を聴くことによって見えてきたのは、「ポップ」への深い信頼と、それゆえの希求だ。

より自覚的になったリズム作りと無駄のない装飾

――前作『アイラブユー』リリースからこちらは、バンドにとってどんな月日でしたか?

岩出拓十郎(以下、岩出):2017年に埜口が亡くなったあと、佐藤(拓朗、ギター/ボーカル担当)を含む4人でもう一度結束固くバンドやっていこうという空気になって、2018年のフジロックも含めてすごくいい感じのライヴをできていたんです。でも、それもマンネリ化していってしまって。徐々に音楽から佐藤の興味が離れていって……今はプログラミングの仕事をやっていて、「また音楽やりたくなったら戻るわ」みたいな感じなので脱退したというわけじゃないんですけどね。そこから新しいギタリストやキーボーディストを探したりもしたんですけど、なかなかうまく行かなくて。

――そういった状況から今の3人で本作を作ろうと思うに至ったのには何かきっかけがあるんでしょうか?

岩出:僕が鈴木博文さんのアルバムへ一部プロデューサーとして参加させてもらって、そのつながりで本日休演がバッキングする形で博文さんと共演するライヴがあったんです。思い切って3人だけでやってみたら予想以上にいい感じで。僕ら単独でも演奏したんですけど、なんというか、無駄な邪魔がない(笑)。さすがに音数的にも寂しいだろうと思っていたんですけど、全然大丈夫だった。もともとレゲエとかダブとか、ミニマルな編成の音楽が好きだったんですけど、自分がそれをやれるとは思ってなくて。でも実際やってみたら、これは自分にもできるかも、って思えたんです。

――その時期から、本日休演とは別にラブワンダーランドというラヴァーズ・ロックやレゲエを演奏するバンドもやり始めましたよね。

岩出:はい。数年前、急にそういう音楽の魅力がわかる瞬間があったんです。リー・ペリーとか、キング・タビーとか、「ああ! こういうことか!」って。もともと裸のラリーズとか戸張大輔とか、歪んだテープのようなくぐもった音質の音楽が好きだったんですけど、それにも通じるな、と。

――ダブというコンセプトに共鳴したとかでなく、あくまでフィジカルなレベルでグッときた?

岩出:そう。「単純に気持ちがいい」ということですね。今の音楽を眺めていると、レゲエ的な要素を取り入れるにしても、上手くやりすぎていてつまらないなってのがあったんです。上手に消化するにしても、かっちりしすぎていて、何か忘れているんじゃないかなと。

――それと関連していうと、前作まではメンバーが理知的に持ち寄った要素を巧みに折衷していくような印象を抱いていたんですが、今回はそういう部分は後退して、よりソリッドかつ肉体的になった印象です。

岩出:そうですね。まず何よりも骨組み自体を大事にしたいなと思っていました。前からリズムは大事にしていたけど、今回はもっと自覚的になりましたね。今まではどうしても上モノで色付けしたくなっていたけど、サポートの演奏も最小限にして、自分も極力リズムギターに徹して。

――音像面でもグンと研ぎ澄まされたように感じます。これはやはり中村宗一郎さんの存在も大きいのでしょうか?

岩出:相当大きいですね。マイキングや音作り含めて基本お任せでやっていきました。今までは後からエフェクトやEQかければいいでしょって感じだったけど、今回は各楽器の音を録る前に作り込んでいく形。ドラムやベースは勿論、僕自身もアンプやエフェクター、ギターもスタジオにあるものを相当いろいろ試させてもらったんですけど、そうすると演奏自体も変化していくし、自然と方向づけられていくんですよね。それがアルバム全体の統一感に寄与していると思います。

自然な感覚から生まれる、異質なモノ同士を掛け合わせた楽曲群

――一方で、さまざまな音楽ジャンルが今まで試みられていないような形で接合されている曲が多くておもしろい。折衷とか消化でなくて、接合されている感じ。例えば、1曲目「ウソの旅」は、歌謡フォーク的なメロディーからシティポップ的ともいえる方向に展開したかと思うと、けたたましいファズ・ギターが入ってくる

岩出:はいはい。

――6曲目「全然、静かなまま」は歌唱含めバディ・ホリーみたいなのに、コントーションズ風のカオティックな間奏が接合される。異質のモノ同士をどうぶつけたらおもしろいかというのはやっぱり常に考えているんでしょうか?

岩出:ことさら「こうしてやったら驚くんじゃないか」とかいつも考えているわけじゃなくて、自然にそうなってしまうというか。僕は未だにiPodで音楽を聴くことが多いんですけど、あれって、シームレスにどんどん音楽が流れていく感覚なんですよね。バディ・ホリーを聴いたあとにフリージャズを聴くっていうのも自分にとっていつもやっていることなので、それがそのまま作る音楽にも出てくるのかもしれない。そういう「異質」と言われているものを一緒にやることの異質性をよくわかっていない。むしろなぜ棲み分けられているんだろう、と思ったり。

――さらに7曲目「砂男のテーマ -Midnight Desert Surfin’-」は初期キャプテン・ビーフハートのようなリフをディック・デイルが演奏しているような世界で……。リズムも特徴的

岩出:この曲のリズムはアフリカ大陸北西部のトゥアレグ族の音楽を参考にしています。いわゆる「砂漠のブルース」といわれている音楽。以前から大好きで、どのアルバムでも必ずこのリズムの曲を入れています。

――一般的に、ジャンルの掛け合わせみたいなことを行うと、どうしてもメタ的な視点が浮き出てきてしまうと思うんですが、今作には不思議とそういうところが希薄だなと思いました。

岩出:セカンド・アルバムくらいまでは「これからはメタだ!」と気負ってやっていたんですけど、急に「これってすごいダサいかも?」と思ってしまって(笑)。なんというか、「わかってる感」が出てしまっていたらすごい嫌だなと(笑)。それもあって、演奏の肉体性のほうへシフトしていったような気がします。

「ポップである」ということ、そして存在としての音楽の魅力

――加えて、前衛とポップのバランス感覚というか、その相克のダイナミズムがより一層目立ってきたなと思いました。耳障りなプレイもありつつ、メロウでもある。で、それらが対立的に配置されているようでありつつ、混じり合っているようでもある。

岩出:それももしかしたら蓄積なのかもしれないです。そのあたりのバランスって、頭で考えすぎても全然うまく行かないんですよ。楽曲の力が削がれてしまう。もっと単純に、アヴァンギャルドですごい人はすでにいっぱいいるけど、コントーションズみたいなプレイでメジャー7thを奏でるっていう人はあんまりいないし、それなら自分達もできるよな、と。そういう感じ。もちろん、「ポップであること」はすごく大事にしたいなとは思ってますけど。

――では岩出さんにとって、「ポップである」ことがなぜ大きな価値を持つんでしょう?

岩出:結局自分が音楽を聴く時も、歌というか、メロディーを聴いている気がするんです。その起伏を聴いて物思いに耽る、そういう時間が好きなんです。
今回のアルバムに入っている曲は、恋愛でいろいろと思い悩んでいる時期に作ったものが多いんですけど、自分の気持ちがよくわからなくなってしまっていたんですよね。「これは本当に好きっていう気持ちなんだろうか」とか……。そうやって考え込んでいるうちに、他のこと、もっといえば世の中のいろんなことにおいて、何が正しくて何が間違いなのかもよくわからなくなってしまって。そういう中でほとんど唯一、ポップなメロディーとか、グルーヴすることとか、そういう肉体的な感覚だけが自分的に確かなものとしてあり続けているなと思って。

――ある意味で、「ポップであること」が、自己と他者を接続するハブになっているというような感覚もある……?

岩出:そうかもしれませんね。だから自分の作る音楽も、ポップでないということがありえないのかも。

――歌詞においても、全体的に虚無的でニヒリスティックだなと思う一方、例えばフィル・スペクターがかつて作りだしたポップ・ソングのように、ナンセンスギリギリの甘い言葉が出てきたりする。その両面性がおもしろいなと。

岩出:それは嬉しいですね。ニヒリスティックっていわれたりするんですけど、僕にはあんまりそのつもりはないんです。やっぱり、何よりも生きていかないといけない、という気持ちが根底にあるんじゃないかなと。無意味だったりどうでもいいように思えたりすることでも、それが楽しければそれだけで価値があると思っているし。

――突っ込んでいうと、音楽を奏でるということの根源的な無意味性、功利主義的地平での無力性のようなものを引き受けながらも、だからこそこの社会における稀有な「アジール性」のようなものを確保しようとしているようにも見えます。こういうと、ある種の実存主義的実践にも思えてきますが。

岩出:そうかもしれない。結果的には社会にとって豊かな意味を持つことになると思うんですよね。音楽自体が今、あらかじめ何かの意図をもって存在することを期待されすぎていると思うし、実際意図を負わされすぎていると思う。いろんな音楽を聴いていて、どうしても窮屈な感じがしてしまいます。テレビ番組で誰かが「このバンドの音楽はこうこうこういう機能を持っていて、だからすごい」とか紹介しているのを観ても、うるせーな、としか……(笑)。

――何かそこに言説を付与しようとすることで、言説以前の存在としての音楽の魅力が減殺されていく……って、それこそ私も背筋を伸ばさざるを得ない話ですが。

岩出:まあ、音楽をやる側もいろいろ背負いすぎじゃない? って思うことが多いですよ。

――最後に、岩出さんにとって、1人でなくてバンドという形態で演奏を続けるということにはどんな価値があるんでしょうか?

岩出:単純に複数人で作っていくほうが、逸脱して戻ってこられなくなる、みたいなことがなくなりますよね。振り切ったものを作っても、ただ荒唐無稽になってしまう前に、バンドのグルーヴによってバネのようにベストの地点に揺り戻してくれるというか。それがバンドならではのおもしろさですね。今よりももっとメンバー同士が攻め合うような感じになったらいいなと思っています。

岩出拓十郎
1992年生まれ。2012年、京都大学在学中に本日休演を結成。今までに『本日休演』『けむをまけ』『アイラブユー』の3枚をリリースしている。岩出個人では他ミュージシャンの作品をプロデュースする他、2018年には“彼岸のラヴァーズロック”をコンセプトにしたラブワンダーランドを結成、2020年にはアルバム『永い昼』をリリースした。
Twitter: @Qyen2012

Photography Takuroh Toyama

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author:

柴崎祐二

1983年埼玉県生まれ。2006年よりレコード業界にてプロモーションや制作に携わり、多くのアーティストのA&Rディレクターを務める。現在は音楽を中心にフリーライターとしても活動中。編共著に『オブスキュア・シティポップ・ディスクガイド』(DUブックス、2020)、連載に「MUSIC GOES ON 最新音楽生活考」(『レコード・コレクターズ』)、「未来は懐かしい」(『TURN』)などがある。 Twitter @shibasakiyuji

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