「Hachirogata Lake(八郎潟)」が鳴らす音 越境するアンビエント Chihei Hatakeyamaインタヴュー

Chihei Hatakeyama
2006年にChihei Hatakeyamaとしてシカゴの前衛音楽専門レーベルKrankyより、ソロ・アルバムを『Minima Moralia』をリリース。以後は、イギリスのRural Colours、Under The SpireやオーストラリアのRoom40、日本のHome Normalなど、国内外のインデペンデントレーベルから多くの作品を発表し、海外でのライヴ・ツアーもおこなっている。海外での人気が高く、Spotifyの2017年「海外で最も再生された国内アーティスト」ではトップ10にランクイン。2021年4月にイギリスのギアボックス・レコーズからアルバム『Late Spring』を発売。今年、音楽を担当した映画『ライフ・イズ・クライミング!』が公開。近年は海外ツアーにも力を入れていて、2022 年に全米15ヵ所のUSツアーを敢行した。9月1日に「Hachir​ō​gata Lake」をリリース。

2006年のデビュー以来多数のオリジナル作品を発表し、世界中のリスナーから高い評価を得てきた東京在住の電子音楽作家・Chihei Hatakeyama。そんな彼が2023年9月にリリースした最新作『Hachirogata Lake(八郎潟)』は、これまでのオリジナル作品とは一風異なる、ユニークなコンセプトを持ったアルバムだ。

タイトルの通り、同作は、秋田県男鹿半島に位置する八郎潟をテーマとしている。1957年から約20年間をかけて大規模干拓事業が推進され、広大な農業用地として生まれ変わった同地は、風光明媚な自然と人為的環境が併存する、県内有数の景勝地としても知られている。

昨年9月、Hatakeyamaはレコーダー片手にこの八郎潟を訪れ、フィールドレコーディングを敢行。その素材を基に楽器類をダビングし、1枚のレコードとして完成させたのが本作だ。この特異な作品はどのように生まれたのか。レコーディング中のエピソードから、自らのアンビエントミュージック観まで、じっくりと話を聴いた。

自身のルーツと遠くないかもしれない存在の「八郎潟」

――どういった経緯で今回の作品を制作することになったのでしょうか?

Chihei Hatakeyama(以下、Hatakeyama):リリース元であるオランダの「Field Records」というレーベルから声を掛けられたのがきっかけです。その名の通り、主にフィールドレコーディングをフィーチャーした作品を手掛けているレーベルです。すでにSUGAI KENさんが『Tone River(利根川)』(2020年)というアルバムを出されていて、日本のサウンドスケープをテーマとした同じシリーズの続編として私に声が掛かったんです。

――八郎潟というテーマもレーベル側からの提案だったんでしょうか?

Hatakeyama:はい。〈Field Records〉がオランダ大使館と繋がりがあって、その関係で過去にオランダと日本が協力して大規模な干拓事業を展開した八郎潟をテーマにしてはどうだろう、という話になったんです。現在の大潟村が位置する陸地部は、1957年から干拓工事が進められた結果生まれた土地なんですが、その工事にあたって、干拓の先進国であるオランダの技術が大幅に導入されたのだそうです。

――以前から八郎潟の歴史に関心を持たれていたんですか?

Hatakeyama:いや、お恥ずかしいことに、このプロジェクトに取り組むまではなんとなく地理で習ったことがあるな……くらいの認識でした。そもそも八郎潟どころか秋田県自体に行ったことがなかったんです。うちの父が北海道出身なんですが、どうやら先祖が明治の頃に東北から北海道の開拓地に移住して生活を始めたようなんです。だから開拓地というものにもともと関心はありました。それと、秋田県って「畠山」という名字の家がかなり多いらしくて、その辺りにも縁を感じましたね。父方の祖母も青森出身なので、自分のルーツもあの辺りと遠くないのかもしれないな、と。

――録音に際して、八郎潟についてリサーチしましたか?

Hatakeyama:現地に行く前に軽く調べて、現地入りしてからはまず大潟村干拓博物館を訪ねました。その展示を見て強く感じたのは、今とは全く違う未来への希望のようなものでした。当時の若者達の様子だったり、村の人達の声だったり……触発されるものがありましたね。

実際に現地に行って驚いたのが、干拓地の広大さです。本当に広い。ほとんどが農地で、人が住んでいるところはごく一部なんですが、とにかく一面に開けた風景で、圧倒されました。車を使うと良い音響のポイントがわからないので徒歩で移動したのですが、2022年9月のすごく暑い期間で、足は疲れるし、一瞬で汗だくになってめちゃくちゃ大変でした(笑)。

――あらかじめ「こういう音を録りたい」というイメージはあったんでしょうか?

Hatakeyama:干拓地の周囲に湖や川があるので、水の音にフォーカスしようというのは決めていました。バスを降りて八郎潟へ向かう途中、最初に立ち寄ったのが湖への流入河川だったんですが、そこに鳥の大群がやってきて鳴いている様子を水の音と一緒に録音しました。「水に鳥 / Water And Birds」というトラックでその時の音を使っています。

――一般的にも、フィールドレコーディングにおいて「水」は非常に重要なモチーフになっていますよね。なぜ水の音に惹かれるんでしょう?

Hatakeyama:1つには、それが実体を伴っていて触覚的にも認知できるものだから、というのがあるかもしれません。厳密にいえば空気だって触れるわけですけど、自分にとって水というのは特有の実在感があるんですよね。それでいて、明確な形で固定されているわけではなくて、常に環境に応じて変化する。そういう実体性と抽象性を兼ね備えているところが自分の音楽観にも合致するんだと思います。あとは、当然水が発する音のおもしろさもあります。反復音を発しているようでいて、よく聴くと一度として同じ音がないんですよ。

――アルバムを聴いていると、各場所特有の「水の音」が存在することに気付かされますね。それぞれの水の音から、特定の風景が立ち上がってくるような感覚を覚えます。

Hatakeyama:そうなんですよ。今いった「水に鳥 / Water And Birds」の録音ポイントは風景もすごく印象的でした。遊覧用の小さなボートが打ち捨てられていて、かつては活気があった場所が今はすっかり落ち着いている……そういう印象を抱かせる風景でした。

――なんともいえない情感溢れる音ですね。

Hatakeyama:その後、場所を移動してご飯を食べにお店に入ってもほとんど人がいなくて……そういう儚げな感覚はアルバム全体に反映されていると思います。はじめは自然の音を録りにいくんだと考えていたんですが、実際に現地にいってみると、当然のことながら、やっぱりここは「自然」というのとはちょっと違うかもしれない、と思いました。むしろ、水や生物などの「自然」と人工的なものの混ざり合いが魅力だなと感じて。無人のボート乗り場の桟橋が風で揺れている音とか……。他にも、1曲目の「池のほとり / By The Pond」というトラックでは、虫の声にどこかから聞こえてくる打ち上げ花火のような音が重なってきたり。

――あの「パーン」という音ですね。おもしろい効果を生んでいると感じました。

Hatakeyama:加えて印象的だったのが、鳥や虫の声がふと途切れて、ほとんど音が聞こえてこないポイントもあったりして。そういうのも人工的な環境ならではのサウンドスケープだと感じましたね。だから、レコーディングポイントを探すのはわりと苦労しましたね。見つかったとしても、カラスの大きな声が他をかき消してしまったり……(笑)。なので、カットしたり、レイヤーを重ねたり、あくまで音楽作品なのでそのあたりの編集は細かくやっています。

2000年代の「音響派」と接続する現在地

――フィールドレコーディングを基にした作品というと、ともすれば「環境音をありのまま客観的に収録したもの」と考えられがちだと思うんですが、楽器音を足す場合はもちろんのこと、仮にフィールドレコーディング素材のみを使用する形だったとしても、実際にはさまざまなレベルにおいて録音者の主観なり作家性のようなものが反映されますよね。その辺り、畠山さんご自身はどう考えてらっしゃいますか?

Hatakeyama:おっしゃる通りだと思います。フィールドレコーディングの素材を用いて作品を作る手法はかれこれ20年近くやっていますが、だんだん自分なりのメソッドみたいなものができてきますしね。「世界をどう切り取るか」を前提として、いろいろな機材をチョイスして特定のポイントで録音するわけですけど、それを続けていく中で徐々に自分なりの手法が積み重なっていきますから。

それと、一般的にフィールドレコーディングというと、高性能マイクの使用が推奨されがちなんですが、そういう機材というのは、カメラで言えばすごく高解像度の機種と同じというか、ときに「写りすぎてしまう」んですよね。確かに細部はくっきりわかるんだけど、必ずしもそれが音楽的に適切とは限らないわけです。むしろ、僕の好みはもうちょっと曖昧さがある音です。「裸の環境」を録りたいわけじゃないんですよね。加えて、楽器の音とあわせたときに、あまりに高精細だとうまく混じらないという事情もあって。今回も、ZOOMのH4っていう安価なハンディレコーダーを使用しています。

――近年、関連書籍が複数刊行されたり、フィールドレコーディングという行為やそれを素材とした作品の存在感がより一層増してきていると思うんですが、そういったムードは畠山さんご自身も感じてらっしゃいますか?

Hatakeyama:はい。最近いろいろなところで注目されている感じがしますね。

――そういった流れは、サウンドスケープ思想とも浅からぬ関係性にあるアンビエントミュージックが昨今大きな人気を博していることと無関係でないように思います。

Hatakeyama:はい。

――畠山さんは、まさにその現代のアンビエントシーンを代表するアーティストと世間から認識されていて……。

Hatakeyama:うーん、どうなんでしょう。そう言ってもらえることも少なくないんですが、実際のところ、違和感とまでは言わないにしても、ちょっと考えるところもあって。

――というと?

Hatakeyama:2000年代半ばから音楽家として活動を始めたんですが、僕の音楽が明確にアンビエントという言葉でくくられるようになったのは、ここ10年くらいの話なんですよね。それは、おそらく過去の日本産環境音楽などがブームになったこととも関連していると思うんですが、僕はどちらかといえば、2000年代のエレクトロニカだったり、同時代のいわゆる「音響派」といわれるような音楽に強い影響を受けて音楽を作り始めた自覚があるんです。

具体的な作品で言えば、フェネスの『Endless Summer』(2001年)を初めて聴いた時の衝撃が本当に大きくて。だから、今世間で言われているアンビエントの方向性とはややすれ違うというか……フェネスの『Endless Summer』も現在ではアンビエントの名作という事になっているのですが、発売された時はアンビエントとして認識されてなかったんじゃないかな。自分自身が若かったのもあるのか、当時の音楽シーンの方が希望があったというか、夢があったというか。もちろん、1990年代は流行していたチルアウト系とかアンビエントハウス系も聴いてはいましたね、ギリギリ細野さんがアンビエントをやっている時期で、ミックスマスターモリスと細野さんのDJイベントに行ったんですね、あれがアンビエントのイベントの最初の体験かもしれない。それで最初にシーケンサーとカセットのMTRを入手して、何かおもしろいことが出来ないか、色々実験したりしてましたね。友人と即興のバンドをやったりもしていました。その頃のテープとかMDとかあれば良かったんですが、全部捨ててしまったんですね。その時期の作品も今で言うところのアンビエントの範疇に入るかもしれない。

――なるほど。

Hatakeyama:他には、カールステン・ニコライとか、池田亮司さんとか……メロディーを削ぎ落として、マテリアルの響きだけを主題化するようなラジカルな手法に衝撃を受けて。あとは、デレク・ベイリーから連なるインプロヴィゼーションミュージックの流れにも関心を持ったり。そういった音楽から受けた刺激が、デビュー作の『MinimaMoralia』(2006年)に繋がっていったんです。何が言いたいかというと、少なくとも活動開始当初にはアンビエントというタームはそれほど意識していなかったし、基本的には今もそのスタンスに違いはないと思っているんです。

ただ、おもしろいのは言葉は変化するというか、90年代のアンビエントとが指していた領域と現在のアンビエントが指している領域は全然違うんですね。アンビエントの領域はどんどん広がっていき、これもアンビエントだ、あれもアンビエントだと、そこは聴く人や作る人の自由な解釈でいいんじゃないかな、それぞれのアンビエントがあるという事で。なので僕もうっかり言葉に引っ張られてしまうことが多いんですが、作品を作るときはなるべくアンビエントとアンビエント以外の境界線を狙おうと思ったりする時もあります。

――今作を含め、実際に作られているサウンドを聴くと、今のお話はよく理解できます。例えば、ギターの音の使い方も一般的なアンビエントの語法とは異なる、言ってしまえば、もっとポストロック〜オルタナロック的なものを感じます。

Hatakeyama:そうなんですよね。やっぱり、高校時代からメタルが大好きでよく聴いていたというのが大きいと思います。今でも好きですよ。それと、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響が一番大きいですね。そこからさらにマイ・ブラッディ・ヴァレンタインに行って……だから、基本的に僕の音楽はそういうオルタナティブなロックの系譜にあるものだと思っているんです。ステージでフライングVを弾いてみたり、いかにもロック的な見た目のギターをあえて使っているのにもそういう理由があります(笑)。

今より10年くらい前はソロ活動だけでなくて、バンドや歌ものプロジェクトでも活動していたんですね、実は……僕が歌っていたわけではないんですが……コーラスくらいは少しやったかな。ここ10年くらいはレーベル運営とソロ活動に主に時間を費やしていましたが、今後は色々とまた音楽性を広げていこうかなと考えているんですね。来年にはジャズドラマーの石若駿さんとのアルバムがリリースされる予定です。久しぶりのドラム入りの作品で、自分にとっはかなりエポックメイキング的なものになりそうです。とはいえ、今回のアルバムは、いわゆるアンビエントの名作と言われるものからの影響も確実にあるんですけどね。例えば、ブライアン・イーノの『Ambient 4: On Land』(1982年)とか。

――あのアルバムも、フィールドレコーディング素材を取り入れた作品ですよね。荒涼とした田園地帯を思わせるようなダークなアルバムです。

Hatakeyama:そうです。あの空気感は大いに参考にしました。

――逐一各楽器のフレーズを考えながら作っていったんでしょうか? それとも即興で?

Hatakeyama:その中間ですかね。ここに「こういう音を入れてこういう意味を持たせよう」という形ではなくて、あくまで直感的に入れていきました。フィールドレコーディングの素材を流しながらセッション的に足していったものもあれば、ストックしてあった素材でフィットしそうなものを使ったりもしています。

実は、コロナ禍以降ちょっとしたスランプのような状態になってしまっていたんです。時間もできたしたくさん曲ができるだろうなと思って、実際細かいストックは溜まっていくんですが、かえって袋小路に入っていくというか、どれも今ひとつピンとこないものばかりだったんです。そういう体験は初めてでした。けれど、アメリカツアーや映画音楽の仕事をやっていく中で2022年の夏頃から徐々に気持ちが変化していって、急に手応えが戻ってきた感覚があったんです。

今振り返ると、スランプに陥ってしまっていたのは、ライヴができなくなったことで実際に空気を震わせて人前で音を出すという行為から離れてしまったせいじゃないかと思っていて。だから、やっぱり久々のツアーが大きな刺激になったし、自分が弾くフレーズにももう一度新鮮さを感じることができるようになったんだと思います。この作品は、まさにスランプから明けた2022年9月頃から制作を始めていったんです。

――今のお話からすると、実際に現地に赴いて足を棒にしながら空気の振動を録音していくという作業も、一種のセルフセラピーに繋がっていたのかもしれませんね。

Hatakeyama:それは大いにあると思います。そういう意味でも、自分のルーツとも遠くない八郎潟という土地はすごく良かったんだと思います。初めて訪れたのにも関わらずイメージが湧きやすかったですし、八郎潟の風景と音にどこか懐かしさを感じたんですよ。あれは不思議な体験でした。

それと……今も世界各地で悲惨な戦争が起こっている最中ですけど、果たして自分の生活もこのまま続いていくのだろうか、ということをすごく考えるようになったというのも大きいと思います。このアルバムを作るという行為自体が、そういう感覚を携えながら、自らの心と深く向き合い直すことでもあったと思っています。

Photography Mayumi Hosokura

author:

柴崎祐二

1983年埼玉県生まれ。2006年よりレコード業界にてプロモーションや制作に携わり、多くのアーティストのA&Rディレクターを務める。現在は音楽を中心にフリーライターとしても活動中。編共著に『オブスキュア・シティポップ・ディスクガイド』(DUブックス、2020)、連載に「MUSIC GOES ON 最新音楽生活考」(『レコード・コレクターズ』)、「未来は懐かしい」(『TURN』)などがある。 Twitter @shibasakiyuji

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