山根裕紀子, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/yukiko-yamane/ Tue, 27 Feb 2024 07:41:06 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.3.2 https://image.tokion.jp/wp-content/uploads/2020/06/cropped-logo-square-nb-32x32.png 山根裕紀子, Author at TOKION - カッティングエッジなカルチャー&ファッション情報 https://tokion.jp/author/yukiko-yamane/ 32 32 ベルリンに広がるリスニングバー Vol.3 Unkompress × 『Records Culture Magazine』対談 https://tokion.jp/2024/02/28/listening-bar-berlin-vol3/ Wed, 28 Feb 2024 10:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225483 ベルリンのリスニングバーを紹介する連載企画。第3回は「Unkompress」オーナーのケヴィン・ロドリゲスと『レコード カルチャー マガジン』編集長のカール・ヘンケルによる対談。

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ケヴィン・ロドリゲス(左)カール・ヘンケル(右)

日本独自の音楽カルチャーとして、海外から注目を集める“リスニングバー”。近年、ベルリンにオープンした話題のバーを訪ねて、各オーナー達の言葉から紐解いていく連載企画。第3回は、クロイツベルク地区に2023年にオープンした、カジュアルさが人気のリスニングカフェ兼バー「Unkompress」。オーナーのケヴィン・ロドリゲス(Kevin Rodriguez)と交流のある『Record Culture Magazine』編集長のカール・ヘンケル(Karl Henkell)を迎えて、日本と海外のリスニングバーの違いや楽しみ方について話を聞いた。

日本と西洋で異なるリスニングバーの在り方

−−2人の出会いは「Unkompress」ですよね?

カール・ヘンケル(以下、カール):そう。初めて訪れたのは、オープンして数ヵ月後だったかな? とても居心地のいい空間で、マドリッドにある「Faraday」という友人のリスニングカフェを思い出した。優れたサウンドシステムがあるし、パーソナルな空間をつくり出してると思う。他のバーや商業スペースとは違って、家庭的な感じがするんだ。それにおいしいワインもあるし。

ケヴィン・ロドリゲス(以下、ケヴィン):ありがとう! 「レコード カルチャー マガジン」のことは知ってたよ。素晴らしい写真とインタビューが載ってる雑誌だからね。

−−以前はお互いNYに住んでいましたが、好きなリスニングバーはありましたか?

ケヴィン:ここ数年でオープンした店はたくさんあると思うけど、思いつくのは、「Public Records」だけ。

カール:僕も同じ。「Unkompress」や他のリスニングバーのような親密さにこだわって、ハイエンドな機材を揃えたスペースはあまりなかったよね。

ケヴィン:あと「mezcaleria milagrosa」という店があって、すごくおいしいタコス屋に併設されていたんだ。その2店が本当に際立ってるね。

−−「The Loft」を主催したDJのデヴィッド・マンキューソをはじめ、アメリカには日本とは違うリスニングバー文化がありますよね。

ケヴィン:ジャズ喫茶とリスニングバーがどういうものかわかってくると、みんな自分の好みだって気付くんだ。レコードを集めている人の多くは、他の人と一緒に楽しみたいからね。僕もデヴィッド・マンキューソの音響について考えてきたし、「素晴らしい音響とレコードと一緒にビールが飲める店を開きたい」と思ってたんだ。それから何年も経って、自分のアイデアがそもそも日本にあることを知って、正しかったんだと実感したよ。今ではNYだけでなく、アメリカの人里離れた場所にもあるしね。

カール:どちらもオリジナリティーがあるし、アメリカやヨーロッパではすべてが融合され始めている。日本では「The Loft」みたいな文化はないけど、だからこそ新しいスタイルが生まれたんだ。

−−西洋でバーは会話を楽しむ場であるのに対し、日本ではほとんどの人が静かに音楽を楽しんでいます。このような違いについてどう思いますか?

ケヴィン:個人的にはおもしろいと思う。日本の文化って、外から見るとすべてに目的があるように感じるよ。だから、ジャズ喫茶やリスニングバーについて語る時、そこには理由があって、人々はその理由のために行く。西洋でのバーは友人や家族、楽しい時間が集まる場所。音楽はいつもその背景にあるものなんだ。音楽が前面に出るようなリスニングバーを始めたことで、西洋の人達の認識は変わってきてると思うけど、みんながいつも静かにする場所にはならないね。だからこそ、多くのリスニングバーや「Unkompress」でさえ、特定の夜におしゃべりも電話も禁止のリスニングセッションを開くんだ。

カール:若い頃は、ただ座って聴くだけのアルバム・リスニング・パーティーというコンセプトがしっくりこなくて。でも僕にとってリスニングバーは新しい場所で、ナイトクラブの文脈とは違う音楽をかけたり聴いたりできる。より繊細で、瞑想的で、家で聴くような音楽、それがなんであれね。ナイトクラブやバーに行ってあれこれ聴くのではなく、もっと幅広い音楽を楽しめる。

世界的に広がる、食とサウンドに特化したコンセプト

−−海外のバーのよさも残しつつ、日本式の楽しみ方が浸透しているんですね。2人の住んでいたスペインはどうでした?

カール:マドリードには「Proper Sound」というリスニングバーがある。20人ほどの超小型店だけど、いつも賑わってるし、DJのプレイを毎晩聴ける。最近だと、オーストラリアのメルボルンには「Skydiver」っていう昼間はレコ屋、夜はバーになる店があるよ。こういうコンセプトは、とても理にかなっていると思うな。


ケヴィン:僕がバルセロナに住んでいた頃はまだなかったな。今は少なくとも3、4軒のリスニングバーがあるって聞いたよ。ロンドンには「Brilliant Corners」があるよね。でもあそこもレストランだし、食とサウンドって最近よく見かけるコンセプトだと思う。

カール:パリはワイン文化があるし、すでにカジュアルバーのコンセプトも根付いていて、その方向に進んでるよね。

ケヴィン:今考えてみると、こういった場所のほとんどは食事とワインを楽しむような場所で、リスニングバーといいつつ音にこだわってるとは限らないよね。多くの人が食事や会話をしてるし、100パーセント音楽にフォーカスしているかはわからない。

カール:フランスのボルドーに「Café Mancuso」ってカジュアルな高級レストランがあるんだけど、音がいいって評判だよ。同じコンセプトのレストランでも、いろんな工夫がされていると思う。

ケヴィン:ビジネスの観点から言えば、お酒を飲めば人はお腹が空くし、料理にはお酒が付きもの。そういう経済的な側面もあるよね。でも「Unkompress」のような場所では、食事ではなく、音楽と文化に重点を置きたいんだ。いいサウンドシステムがあっても、やっぱりレストランはレストラン。音楽を聴くために行くかどうかはわからないね。

その人に合ったリスニングバーの楽しみ方

−−2人はどんなリスニングバー が好きですか?

ケヴィン:その時の気分と、その場所が何を提供してくれるかによるかな。リスニングバーなら、音楽とサウンドに集中する。パートナーや友達だけなら、ちょっと小声で話しながら、ただ音に耳を傾ける。でも5人のグループだったら、あまり聴かないかもね。

カール:僕はのびのびとした性格だから、予約なしで行けて、混んでないお店っていうのが大事。「Unkompress」もきっと混んでいるんだろうけど、今のところいつ来ても席を見つけられるからよかった!一方で、ちょっとハプニングがあったりするような場所も楽しいね。よく友人と遊びに行ったり、社交的なことが多いから。

−−最後に、リスニングバーを楽しむベストな方法は何だと思いますか?

ケヴィン:オープンマインドで行けばいいと思う。友達と一緒でもいいし、グループで行ってもいい。会話ができないわけではないけど、音楽やサウンドに敬意を払うことを念頭に置いて、小声で話すこと。今聴いているものに感謝すること。

カール:おいしいワインと音楽を楽しむこと。友人がDJをやってたら、自分が知らない音楽や風変わりなアルバムを持ってたりして楽しいし、自分を驚かせることができる。文脈が特別なものをつくるんだ。選曲する人達も、観客を踊らせるってプレッシャーがない分、いろんなことができるしね。

■ Unkompress
住所:Fichtestraße 23, 10967 Berlin, Germany
営業時間:水木14:00~23:00、金土14:00~1:00
休日:日月火
unkompress.berlin
Instagram:@unkompress

Photography Shinichiro Shiraishi

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ベルリンに広がるリスニングバー Vol.2  Bar Neiro https://tokion.jp/2024/02/27/listening-bar-berlin-vol2/ Tue, 27 Feb 2024 03:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=225461 ベルリンのリスニングバーを紹介する連載企画。第2回は「Bar Neiro」のオーナー、エリック・ブロイヤーがこだわり抜いたHi-Fiシステムや空間づくりについて語る。

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エリック・ブロイヤー

日本独自の音楽カルチャーとして、海外から注目を集める“リスニングバー”。近年、ベルリンにオープンした話題のバーを訪ねて、各オーナー達の言葉から紐解いていく連載企画。第2回は、「オーディオテクニカ(audio-technica)」発のグローバル・プロジェクト「アナログファウンデーション」から生まれた「Bar Neiro」。2023年、クラブが連立するクロイツベルク地区にオープンした、隠れ家的なリスニングバーだ。エントランスの暖簾をくぐると、オーナーのエリック・ブロイヤー(Erik Breuer)が出迎えてくれた。

レコーディングスタジオの公共スペースとしてオープン

−−エリックさんはレコーディングエンジニアとしても活躍されていますが、「Bar Neiro」をオープンしたきっかけについて教えてください。

エリック・ブロイヤー(以下、エリック):すべては「アナログファウンデーション」がベルリンに移転したことから始まったんだ。僕らの使命は、アナログ文化をサポートすること。その時に思いついたのが、オープンな場所として日本のジャズ喫茶のようなリスニング・バーを併設することだった。ミュージシャンやローカルの人達が一緒に音楽を楽しむためのスペースになるし、スタジオともうまく結びつくと思ってね。

−−日本のジャズ喫茶はどうやって知ったんですか?

エリック:レッドブル・ミュージック・アカデミーの仕事やDJで、日本をよく訪れていて。滞在中に行くのが楽しみだった。僕は人生の大半をHi-Fiに費やしてきたんだけど、日本のジャズ喫茶ではそれを実感できる。

−−印象に残っているお店はありますか?

エリック:最初の頃は東京にある有名店を回ったけど、友達が日本に引っ越したことをきっかけに、もっと特別で隠れ家的な場所へ行くようになった。前回は東京の「映画館」に行ったし、千葉の「JAZZ SPOT CANDY」もすごくよかった。次回はドライブがてら田舎に行って、Hi-Fiバー巡りをしたいな。30年代からある日本のジャズ喫茶がトレンドになっていること、人々がこのようなサウンドに夢中になっていることにとてもわくわくしてるし、「Bar Neiro」のオープンもみんなすごく喜んでくれてるよ。

レコーディングスタジオの経験を生かし、こだわり抜いた空間づくり

−−高級ヴィンテージ・コンポーネントで構成されたカスタムHi-Fiシステムを含め、サウンドシステムにかなりこだわってますよね。

エリック:長年に渡って多くのレコーディングスタジオをつくってきたけど、リスニングバーは正反対だからね。音響的に優れた別の空間をつくるのはとても楽しい挑戦だった。レコーディングスタジオだと、スピーカーは非常に精密な楽器でどんな小さな欠点も聴き取りたい。でも、あまり感情的な魅力がないんだ。スタジオ作業に最適なスピーカーでも、それって音楽を楽しむために聴いているのではないことに気づいて。数年前から、正確さよりも感情を重視するヴィンテージ機器にのめり込んだんだ。アメリカの映画館にあるような50年代初頭のスピーカー「アルテックA5」は、すべて当時のオリジナル・コンポーネント。木製のキャビネット部分をつくり直したんだよ。スピーカー・キャビネットは自分達でつくったけど、すべて50年代のオリジナルの部品を使ってるしね。古い映画館のためにつくられたものだから、音の拡散性がとても広いんだ。

−−音響的な観点から見たベストシートはありますか?

エリック:空間全体にいい音が行き渡るから、座る場所がそれほど重要ではないよ。フルに楽しみたいなら、スピーカーの間、バーの真ん中あたりに座った方がいいね。

−−インテリアも素敵ですが、何かから影響を受けているのでしょうか?

エリック:たくさんあるけど、特にキース・アッシェンブレナーかな。1970年代から1980年代のモダンなシーンで活躍した、アナログ的な真空管アンプとホーンスピーカーの達人の1人なんだ。実際にコンポーネントやシステムの調整など、多くのことを助けてくれたし、スペースのケーブルも彼が用意してくれたよ。

それ以外のインスピレーションは間違いなく日本だね。レッドブル・ミュージック・アカデミーで東京にレコーディングスタジオをつくった時、建築家の隈研吾と一緒に仕事ができたのは光栄だったし、かなりインスパイアされてる。特にバーカウンターの天井に施したシンプルなディテールをぜひ見てほしい。あと壁や天井には、90種類以上のレゾネーターや異なるチューニングを施した音響エレメントがあるから、すっきり見せるために天井グリッドや和紙の壁をつくったんだ。

−−家具もオーダーメイドだとか?

エリック:そう、バーや棚は僕らがデザインした。他の家具は、古いミッドセンチュリーの作品やイームズの椅子やテーブルなど、すべてヴィンテージ家具で揃えてる。

−−いろんなディテールへのこだわりが、居心地のよさを生み出しているんですね。

エリック:あと騒がしいバーにはならないように、1グループ最大4人まで。もちろん大人数になることもあるけど、なるべく少人数を保ってるよ。

ミュージシャンとベルリナーが集まる憩いの場

−−ハンガリーのプロデューサー兼マルチ奏者Àbáseやオーストラリアのドラマー兼プロデューサーZiggy Zeitgeistなど、ミュージシャンも訪れるんだとか。

エリック:Àbáseはスタジオでよく一緒に仕事をしてるし、家族の一員みたいなものだね。でもスタジオがあることで、新進気鋭の若手から大物アーティストまで、いろんなミュージシャンがやってくるんだ。あとHi-Fiオタクにも人気で、スピーカーの周りを歩き回ってはチェックしてるのをよく見かける。他にも落ち着いて飲みたい年配の人から、音楽が好きな若い人まで、いいミックスだよ。

−−誰のセレクトで、どんな音楽をかけているんですか?

エリック:普段は僕やバーのスタッフがレコードを持ち込んで、セレクトしてる。アーティストが来てセレクトする時もあるよ。ジャズが大半だけど、アンビエントなエレクトロやソウル・ミュージックとかメロウな音楽が多いかな。ある種の感覚的な体験を作り出すことで、ここに来て、この別世界に入って、ただリラックスして音楽を楽しんでもらうことを目指しているんだ。

−−ベルリンやヨーロッパの人達にとって、このようなスタイルのリスニングバーは受け入れられているのでしょうか?


エリック:そうだね。最近は何もかもがとても速いし、すべてがオンデマンドで、こうして音楽をじっくり聴く人が本当にいなくなっている。1人でヘッドホンから聴くのではなく、他の人達と一緒にここに座って音楽を聴くっていうのは、とてもいいことだと思うよ。

■ Bar Neiro
住所:Ohmstraße 11, 10179 Berlin, Germany
営業時間:18:00~1:00
休日:月、火曜
www.barneiro.com
Instagram:@bar.neiro

Photography:Rie Yamada

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ベルリンに広がるリスニングバー Vol.1 Rhinoçéros https://tokion.jp/2023/09/05/listening-bar-berlin-vol1/ Tue, 05 Sep 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=203772 ベルリンのリスニングバーを紹介する連載企画。第1回は「Rhinoçéros」のオーナー、ベネディクト・ベルナが日本のジャズ喫茶での思い出や欧米との違いについて語る。

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ベネディクト・ベルナ

ベネディクト・ベルナ
フランス・ヴァランス生まれ。2003年にベルリンに移住後、クラブとバーの経営を経て、2017年11月に「Rhinoçéros」をオープン。2019年には、「Tokyo Jazz Joints」のフィリップ・アーニールと一緒に、日本のジャズバーや喫茶店の豊かな伝統を祝う写真展を同店で開催した。「Tokyo Jazz Joints」はこの失われつつある文化を記録した本を今年出版したばかりだ。

日本独自の音楽カルチャーとして、海外から注目を集める“リスニングバー”。ここベルリンでも、今年2月から日本のジャズ喫茶やリスニングバーにインスパイアされたスポットが相次いでオープンしている。静かな空間でじっくり音楽を聴くというスタイルは、クラブカルチャーの街ベルリンでどう受け入れられているのか?そこに、日本のカルチャーを見つめ直すヒントがあるのでは?話題のバーを訪ねて、各オーナー達の言葉から紐解いていく。

第1回は、ベルリンでの先駆け的存在である「Rhinoçéros」。穏やかなプレンツラウアーベルク地区に佇む、日本のジャズ喫茶から着想を得たジャズバーだ。音楽プロデューサーからジャズバーのオーナーへと転身したベネディクト・ベルナに話を聞いた。

たまたまインターネットで見つけた日本のジャズ喫茶

−−「Rhinoçéros」をオープンしたきっかけについて教えてください。

ベネディクト・ベルナ(以下、ベネディクト):ベルリンでクラブ「Chez Jacki」とバー「Brut」を経営した後、音楽とガストロノミーが調和する新しいスペースをオープンしたいと思ったんだ。もともと音楽のルーツはラップで、家にはサンプリングに使ってたジャズ、ファンク、ソウルのレコードコレクションがあって。それに、僕にとって音楽はレコードで聴くもの。オーディオ機材が大好きで、クラブでは自分でサウンドシステムの手入れをしたり、常に最高のサウンドを出せるように心掛けていたんだ。当時は、さまざまなオーディオ・コンポーネントを使った本当に素晴らしいサウンド・システムがあって、たくさんのことを学んだよ。だからオーディオと音楽には情熱を持っているんだ。一方で、サービスやソムリエの訓練を受けてたし、それが僕の仕事。だから、すべてが新しいプロジェクトに表れるのは自然なことだった。

それで2015年に、フライドポテトとシンプルなフランス料理を楽しめるビストロ「Soul 2 Soul」を立ち上げたいと考えたんだけど、当時一緒に仕事をしてた友人のサム・ルアネ(Sam Rouanet)から「半年もすればレコードが油まみれになるぞ」って言われて(笑)。彼は「Trenton Records」を主宰していて、Reynold名義でDJをしてる。よく来日してたこともあって、彼から日本の古いジャズバーについて教えてもらったんだ。僕はすっかりその話に夢中になって、インターネットで調べた時、オンラインでちょうど立ち上がったばかりの「TOKYO JAZZ JOINTS」を見つけたんだ。このサイトは日本のジャズ喫茶のドキュメンテーションをしてるんだけど、日本のジャズ喫茶やバー文化について知るすばらしいきっかけとなったよ。

2016年から本格的に準備を始めて、2017年の秋に「Rhinoçéros」をオープンしたんだ。ちなみにその建物は偶然にも前は古い日本のお茶屋さんでさ。賃貸契約を結んだあとに知って驚いたよ。実はオープンするまで日本に行ったことがないんだよね。

オープン後から生まれた日本のジャズバーとのつながり

−−そうなんですね! てっきりオープン前に日本を訪れていたと思っていました。

ベネディクト:オープンして1年後の2018年10月に、妻のマルティナと一緒に日本へ行ったんだ。日本人の友達が世界中のジャズスポットをまとめたGoogleマップのリストをつくっていて、僕等はそれをもとに日本を旅した。14日間で35軒のジャズバーに行ったと思う。すべてが違うし、それぞれに理由があって魅力的で、素晴らしい人達に出会えて嬉しかったよ。 彼等は音楽とジャズに情熱を持ってるね! 時には言葉の壁があったけど、若いオーナーとは英語でしゃべれたし、いつも名刺を交換して一緒に写真を撮った。もう閉店してしまったお店もあるけど。日本に一度も行ったことがなかったのに、ベルリンで同じ雰囲気を再現できてると気付けて、うれしかったよ。

−−印象に残っているジャズ喫茶、ジャズバーはありますか?

ベネディクト:池袋の「ぺーぱーむーん」。滞在中に3回も行ったよ!音楽もヴァイブも、まさに僕の好きな感じの店。リクエストした音楽をかけてくれるし、音楽の話もできる。年配のマスターっていうのもいいんだよね。壁には昔のフライヤーやポスターが飾ってあって、歴史を感じる。ラフでちょっと汚いし、サウンドシステムもドリンクもシンプルなんだけど、すごくスペシャルなんだ。マスターが引退する前にぜひ行ってほしい、おすすめの店だよ。

「CAFE INCUS」オーナーの創一とはよく連絡を取ってる。彼はオーストラリアに住んでいたから、英語が話せるんだ。同じ音楽が好きだから、毎週のように音楽のこととか交換してて。もちろん、いい店だよ。あと閉店しちゃったけど、渋谷の「Mary Jane」。

−−そのあと日本に行かれたんですか?

ベネディクト:いや、この1回だけなんだ。コロナも落ち着いたし、またすぐに行きたいなと思ってる。逆に日本のジャズ喫茶の人達が訪れることもあって、最近だと「Jazz と 喫茶 はやし」のオーナーが来てくれたよ。

−−日本のリスニングバーを再現するために、一番こだわっているところは?

ベネディクト:ここは日本のジャズバーをオマージュしてるけど、それだけじゃなくて、フランスやベルリンのテイストも取り入れてるんだ。もちろんサウンドシステムは大事だけど、雰囲気が一番大事。いい照明、いいサービス、いい音楽とサウンド、いいドリンクとフード。まぁ、全部だよね。すべてのディティールに注意を払う必要があるし、どれかが欠けてもダメなんだ。

−−誰のセレクトで、どんな音楽をかけていますか?

ベネディクト:基本的に僕とバーテンダーがセレクトしてるから、その夜に働く人によってプログラムのセンスが違ってくる。ジャズがメインだけど、ソウルやファンク、ブルースも。レコード棚に自分のコーナーを持っているスタッフもいるよ。たまに、ゲストセレクターとして友人やアーティストを招くこともある。お客からのリクエストは受け付けてないんだ。

日本と欧米で異なるリスニングバーの楽しみ方

−−少人数制や会話の音量に関するルールをウェブサイトに掲載されていますよね。

ベネディクト:このルールはずっと前からあって、たまに書き方や日付を変えてアップデートしてるんだ。少し静かな空間は守りたくて。ただ、ここはヨーロッパ。バーに来る=話に来ることだからね。

−−そこが日本との大きな違いというか、気になるところなんです。日本的なリスニングバーはクラブカルチャーが盛んなベルリンではどう利用されているのかなと。

ベネディクト:ベルリンに限らず、日本と欧米のカルチャーは違う。日本人はもともと静かだよね。好きなジャズ喫茶やバーに行って、現実から離れて一息つき、自分の時間を楽しむ。一方で、欧米では社交の場。人々は大声で話したり表現したがるから、本当に違う。こういった日本の精神性を欧米で再現するのは不可能なんだ。

あと日本のリスニングバーよりも、NYで「The Loft」を主宰したデヴィッド・マンキューソ的なリスニングバーが多いと思う。ベルリンの「Unkompress」やもうすぐオープンする「ANIMA」や「migas」、パリの「BAMBINO」みたいな。いつも2つのターンテーブルとミキサー、HiFiオーディオシステムをそろえてて、いわゆるパーティ向けといったものかな。だから欧米でリスニングバーっていうのは、何を基準としているのか難しいよ。会話がうるさくて音楽が聴けないというお客もいれば、音楽がうるさいから会話ができないというお客もいる。カルチャーの違いを含め、バランスを取るのが難しいな。

−−そんな中でも日本のジャズ喫茶の雰囲気をうまく取り入れていると思います。定期的にイベントも開催されているとか。

ベネディクト:日本のジャズ喫茶の雰囲気を再現する、本当に深く音楽を聴く時間として、月に3回ほど定休日の月曜日に「Listening Sessions」を開催してる。ゲストセレクターがアルバムを1枚選んで、それを聴くんだ。おしゃべりは禁止。ベルリナーも最大90分は集中できるからね。お客が音楽に深く耳を傾ける特別な時間、この空間をつくり上げると、本当に魔法のようなんだ。時には感動的になるし、泣いている人もいる。音楽好きが集まっているから、聴き終わった後に音楽について話したりするのも最高だね。

■ Rhinoçéros
住所:Rhinower Str. 3, 10437 Berlin, Germany
営業時間:18:30~1:00
休日:日曜、月曜
www.rhinoceros-berlin.com
Instagram:@rhinoceros.berlin

Photography Rie Yamada

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アーティストとシーンをつなげた18年 「innen」のアーロン・ファビアンが語るZINEカルチャー https://tokion.jp/2023/06/10/interview-aaron-fabian/ Sat, 10 Jun 2023 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=188609 18周年を迎えた「innen」のアーロン・ファビアンに、ZINEとの出合いからアーティストとの制作秘話までについて聞いた。

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アーティストとシーンをつなげた18年 「innen」のアーロン・ファビアンが語るZINEカルチャー

アーロン・ファビアン
グラフィックデザイナー、「innen」パブリッシャー兼編集長。2006年にブダペストでインディペンデント出版社「innen」を設立。現在はチューリッヒを拠点に、ZINEを通してアートや現代のトレンドについて型にはまらない視点を提供している。2010年には、厳選された現代アートの作品集『Zug Magazine(ツーク マガジン)』を創刊。2020年に井口弘史と「innen Japan」を立ち上げ、日本人アーティストのZINEをリリースしている。
www.innenbooks.com
Instagram:@innenbooks

これまで400タイトル以上のZINEや書籍を出版し、アートやサブカルチャーに関する型にはまらない視点を提供してきた、スイス・チューリッヒ発のインディペンデント出版社「innen」。パブリッシャーであるアーロン・ファビアンより、18年間の活動をまとめたアニバーサリーブックをリリースするという知らせが届いた(「innen」も大人になった)。交流のあるファッションブランド「カーハート WIP」のサポートを受け、「パム / パークス・アンド・ミニ」から出版された約500ページのハードカバーには、過去の出版物とアーカイブの未発表資料が詰まっている。これを記念して、4月29日から5月14日の期間、パリの『The Community Centre』でローンチイベントを開催。これまでに発表したZINEに加え、貴重なオリジナル資料やレアなグッズ、「innen」と親交のあるアーティストの作品が展示された。オープニングを終え、パリからチューリッヒに戻ったばかりのアーロンに、ZINEとの出合いから「innen」の立ち上げ、アーティストとの制作秘話について聞いてみた。

自然と惹き込まれたZINEの世界

−−まずは、アニバーサリーブックのローンチおめでとうございます!パリでのイベントはどうでしたか?

アーロン・ファビアン(以下、アーロン):ありがとう!たくさんの人に来てもらって楽しかったし、いいフィードバックをもらったよ。ロンドンの音楽レーベル「The Trilogy Tapes」のウィル・バンクヘッドはDJをしてくれたしね。

−−なぜ今回アニバーサリーブックをつくったのでしょうか?

アーロン:本当は15周年でつくりたかったんだけど、延期が続いて。18周年でようやく完成したよ。改めて18年かぁ、「innen」も大人になったよね(笑)。過去の出版物とアーカイブの未発表資料をまとめるのは大変だったけど、形になって嬉しいよ。ハンス・ウルリッヒ・オブリストが序文を、アメリカのグラフィックデザイナー、エドワード・フェラがカバーデザインを担当してくれたんだ。

−−アーロンと「innen」について、いろいろ聞いてみたいなと思いまして。まずは、ZINEとの出合いについて教えてください。

アーロン:僕はハンガリーのブダペスト出身で。僕の母はアーティスト兼美術史の先生で、父はブックデザイナー兼タイポグラファー。祖母は出版社で働いていた。そんなアート関連の家族のもとで育ったから、僕にとって印刷物や出版カルチャーは身近な存在だったんだ。8~9歳の頃、地元のアナーキーな本屋で初めてフォトコピースタイルのファンジンに出合ったのが最初かな。それから10代の頃に、小学校の友達とパンク・カルチャー・ファンジンをつくったよ。当時はグレースケールや白黒のフォトコピーに夢中だったな。

−−ちなみに誰を特集したんです

アーロン:ステップファーザーがパンク好きでさ。その影響もあって、エクスプロイテッドとかニナ・ハーゲンとか取り上げてた。まさにエヴァーグリーン・クラシック・パンクだよね。これが初めてつくったZINE。ただ楽しみたくて、友達とつくったファンキーでパンクなファンジンだよ。

−−ハンガリー、ブダペストのZINEカルチャーってどんな感じです?

アーロン:何人かZINEを制作、出版してる友達はいるし、ここ数年でZINEフェアやブックフェアを開催してる。

アーティストとシーンをつなげる、コミュニケーションツール

−−それから2006年に「innen」を立ち上げることになるんですが、そもそもどんな経緯でスタートしたのでしょうか?

アーロン:すべてが自然な流れだったんだ。当時はプラハの後、ブダペストでグラフィックデザインを勉強してたんだけど、学校の最終試験でマガジンをデザインしなきゃいけなくて。このマガジンにスペシャルな名前をつけたかったんだ。友達とバーで飲んでる時にクールな名前を探してるってことを話したら、その内の1人が「innen」を思いついて。すぐに気に入ったよ。「めっちゃクールじゃん!」って乾杯して、ビールを飲んだのを覚えてる。ちなみに「innen」は“inside to outside(中から外へ)”って意味なんだ。

それから大学1年生の時に、「innen」を立ち上げた。最初にリリースしたZINEは、ブダペストの友人フレディ・タマーシュ(Füredi Tamás)の『F – Fotos』。彼はとてもクリエイティヴなペインター兼グラフィックデザイナーなんだけど、僕は彼の撮る写真が好きなんだ。その後も別の友達のZINEをつくって、その繰り返しで。10~15タイトルくらいリリースした頃かな、気付いたらパブリッシャーになってたんだよね。

家族や友達を通して、僕はいつもクリエイティヴな人達やアートに囲まれてた。どうにかしてその人達やシーンをつなげて、何か新しいものをプロデュースしたかったんだ。ZINEはそんな人達とつながる、友達になる簡単な方法だからね。

−−アーロンにとって、ZINEはコミュニケーションツールなんですね。13 × 19 cmというサイズにはどんなこだわりがありますか?

アーロン:「Nieves」のベンジャミンが「innen」より5年早くスタートしたんだけど、彼は14 × 20 cmのフォーマットを使用してたから、違うサイズにしたくて。B5だと大き過ぎるし、ポケットに入るような小さいサイズを考えてたらこうなった。これからもこのサイズをキープしたいね。

−−アーティストはどうやって探し、どんな視点で選んでいますか?

アーロン:シンプルに僕が好きなアーティストを選んでる。「innen」はオープンなプラットフォームで、年齢も知名度もジャンルも関係ない。何かスペシャルなコンテンツであればいいんだ。フレンドリーでオープン、カルチャーと人々の間に会話を生み出す。まぁ、リアルってことだよ(笑)。どうやって探してるかっていうと、状況によるね。インターネット、図書館、本屋、ギャラリーで見つけたり、友達のおすすめを聞いたり。

2020年にヒロシ(井口弘史)と一緒に「innen Japan」を始めたけど、僕は日本カルチャーの大ファンだから、日本のアーティストは彼からたくさん情報をもらってる。彼はグッドだし、頼りにしてるんだ。

人のつながりが生み出す、奇跡のコラボレーション

−−たくさんの著名なアーティストと一緒にZINEを制作していますが、完成までのエピソードが知りたいです。例えば、オノ・ヨーコとか?

アーロン:「フランクリン・サマー」は1994年から現在まで描き続けてる、彼女のドローイング・プロジェクト。この作品をどうしてもZINEにしたくてさ。キュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリストが彼女のアシスタントを紹介してくれて、それから高解像度のスキャンデータをもらって実現した。本当にラッキーだったし、ハンスとヨーコにも本当に感謝してるよ。

−−やっぱり制作には時間がかかります?

アーロン:ヨーコは意外と早く完成したけど、長くて5~6年くらいかかる時もある。例えば、写真家の荒木経惟は5年かかった。最初に「タカ・イシイギャラリー」と話したけど、断られて。そしたらハリウッドでプロデューサーをしているブレット・ラトナーが、彼のポラロイドをコレクションしてたんだ。大量のアーカイヴで驚いたよ。それでギャラリーに改めて連絡して、なんとか実現したんだ。これもラッキーなシチュエーションだね。表紙のタイトルは本人の手書きなんだ。

「アンダーカバー」のデザイナー、高橋盾とは共通の友達が何人かいて、相談したら快諾してくれてね。いつもは僕が編集するんだけど、彼はすべてのレイアウトまで手掛けたんだ。僕はプリントしただけ。ラグジュアリーなシチュエーションだったし、本当に感謝だよ。

−−海外のセレブリティだと、クロエ・セヴィニーもいますよね。

アーロン:彼女のZINEは、元彼とか人生で好きになった男性との写真と「New York Post」紙の彼女に関する記事を集めたもの。実はこれ、「innen」のベストセラーの1つで、すぐにソールドアウトした。僕は知らなかったんだけど、彼女には大きなファンクラブがあるみたいだね。

−−今後リリースされるZINEも楽しみです!アーロンが思うZINEというメディアのよさとは?

アーロン:ZINEは簡単で安くつくれる出版物のひとつ。広告もなくて、自由に編集できるプラットフォームだよ。印刷もチープで早いし、簡単にシェアできる。今ではオフセットプリントでもZINEをつくるけど、昔は白黒やグレースケールが主流だった。白黒やグレースケールって、めっちゃシンプルでパワフルなカラーコンビネーションだよね。

−−最後に、ZINEをつくる人達へメッセージを。

アーロン:ユニークでストレスなく。ZINEをつくる時間を楽しんで!

Photography innen

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デア・プランのモーリッツ・R®︎ × 小里誠対談 音楽が繋いだ40年間 https://tokion.jp/2021/05/16/moritz-r-x-makoto-ori/ Sun, 16 May 2021 06:00:01 +0000 https://tokion.jp/?p=32608 インターネットがない時代から交流を続けるドイツと日本のミュージシャン。40年の時を経て、デア・プランのモーリッツ・R®︎と小里誠が初めて語り合う。

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初期電気グルーヴにも多大なる影響を与えたノイエ・ドイチェ・ヴェレの代表的バンド、デア・プラン。メインボーカルであり、アートディレクションも手掛けるモーリッツ・R®︎が、初のソロアルバム『思う存分(Nach Herzenslust)』をリリースした。自分なりの“自由へのオマージュ”と語る本作は、エキゾチカにフォルクスムジーク、アシッド・サイケにエクスペリメンタルと、摩訶不思議な脱力系ポップアルバムとなっている。そんなモーリッツが今回の対談相手に指名したのは、日本人ミュージシャンの小里誠。1980年代に謎のストレンジ・テクノポップ・ユニット、ピッキー・ピクニック(PICKY PICNIC)として活動し、デア・プランのレーベルAta Takからリリースしたことをきっかけに交流を続けてきた。が、実は2020年の来日公演まで2人は直接会ったことはないという。「当時はインターネットもなければビデオチャットもなかったから、いつも文通でさ」と語るモーリッツ。初めてお互いの音楽を聴いてから早40年、当時はなかったインターネットを通じてお互いの思いを語り始めた。

日本からドイツへ、海を越えたカセットテープと手紙

小里誠(以下、小里):僕と(ピッキー・ピクニックの)相方が初めて聴いたデア・プランのアルバムは、『Normalette Surprise』。当時はまだ高校生で、ジャーマン・ニューウェーヴというものを言葉として知らなくて。アヴァンギャルドなんだけどすごくポップ。CM音楽みたいにコンパクトにまとまっているんだけど、すごく毒とユーモアがある。そのセンスに惹かれて、こういう音楽を作りたいなって思ったんだ。それでカセットを作って、せっかくならデア・プランにも送ってみようという話になって、英語の手紙を添えてカセットを送ったのが最初だね。それが1982年。

モーリッツ R®️(以下、モーリッツ): 聴いてすぐに大好きになったよ。同じスピリットを感じたし、話し合いなんて必要なかった。僕等にとって、アメリカのレジデンツ、ドイツのデア・プラン、東京の ピッキー・ピクニック はみんな同志だから。ピッキー・ピクニックっていう名前もいいよね。でもPICNICにKを忘れてないかい? 意味は何だろ、気難しい人ってこと?

小里:当時は高校生だったから英語もよくわかってなくて、辞書を調べていたらピッキーは「騒がしい」って載っていたんだ。騒々しいピクニックって言葉の響きもいいし。じゃあこれでいいんじゃないって感じで決めた。デア・プランからおもしろいって返事をもらった時は、もう大喜びだったよ。ちょうどその頃日本のインディレーベルからレコーディングの話があって、1stアルバム『Ha! Ha! Tarachine』の制作をしてた。海外盤もリリースが決まったよね。もちろんオリジナル盤も含め、モーリッツにデザインしてもらって。

モーリッツ:当時はコンピューターグラフィックが目新しいもので、僕はコモドール64とコアラパッドを使ってた。初来日で感じた日本のイメージはモダンで電子的、コンピューターみたいな感じ。だから君達とコンピューターのイメージはとってもグラフィカルでぴったりだと思ったんだ。それでアートワークを送ったら、これにしようってなったんだよね。今見るとかなり低解像度だよ(笑)。

小里:そういえば、僕がピッキー・ピクニックのメンバーとデュッセルドルフのAta Takスタジオへ行った時、モーリッツは不在だったよね。

モーリッツ:当時はハンブルクに住んでたんだ。初めてちゃんと会って喋ったのは去年の来日ツアーだよね。

小里:それもあって僕の中でモーリッツのイメージは、ミステリアスでアーティスティックだった。

モーリッツ:君達のことはあまり知らなくてイメージが湧かなかったんだけど、手紙と一緒に写真を送ってくれたのは覚えてる。多分何かのワールドフェアを訪れていて、裸の女性が後ろに寝ているんだ。それが君達のイメージなんだよね。

小里:え、何だろ。全然覚えてない(笑)。

ついに初対面を果たした2020年の来日コンサート

小里:去年の来日で初めて会えたから、みんなで記念写真を撮ったよね。会場には僕の知ってるミュージシャンがたくさん集まってた。みんなデア・プラン好きだったんだなって思ったよ。

モーリッツ:最近の僕達のライヴって昔と違うだろ? 昔はビデオプロジェクションがなかった分、たくさんのマスクやダンボールをペイントした小道具とかを使ってた。あと、音楽よりもヴィジュアルにフォーカスしたかったから口パクだったしね。そもそもマスクをしてると歌えないし、もし音楽を聴きたかったらフロアでレコードをかければいい、なんてね。でも新しいツアーでは、初めて全曲歌ってるんだ。僕にとって大きなチャレンジで、これが昔との一番大きな違いだよ。

小里:1984年の初来日はパフォーマンスだけのライヴだったよね。人を食ったような、演奏をしないライヴ。デア・プランらしいよ。実は相方とそのライヴへ行ってたんだ。あの頃はWAVEが扱っているものに食いつく、新しい物好きのアートやファッション系の人たちもいたから、ああいうパフォーマンスをしたのは面白かったんじゃないかな。去年みたいなライヴをしてるってことはネットで見てて、その世界観も好きで、やっぱりこれなんだなと思ったよ。

モーリッツ:ピッキー・ピクニックはよくライブしてたの?

小里:いや、1回だけ。漫画家の玖保キリコがメンバーに加入してから、彼女が関わっている出版社のイベントが青山CAYであって、後にも先にも1回だけのライブをしたんだ。その時に会場のオブジェとして水着の女性2人に寝そべってもらったんだけど、さっき話してた写真はそれのことかな?

モーリッツ:いや、違うと思う。ちょっと待って、多分データがあるから送るよ。(Zoomで写真を送る)覚えてる?

小里:あ、これ相方がふざけて送ったやつだ(笑)。熱海の秘宝館に一緒に行った時の写真。モーリッツがまだ持ってることにびっくりしたよ(笑)。でもピッキー・ピクニックの世界観はこういうトリッキーでシュールで笑えるユーモアみたいなものだから、そこはデア・プランの世界観と同じだと思ってる。

モーリッツ:うん、僕もそう思うよ。アルバム『Cynical Hysteria World』の「It’s A Hysterical Place」って曲が大好きなんだ。ポルカみたいで、ディズニーランドのアトラクションみたいな、不思議な世界を通り抜ける感じ。やるなぁって思ったよ。半分ポップで半分は変でダークな世界、当時のアートで僕の好きな感じでさ。

小里:玖保キリコの漫画のイメージアルバムとして作ったんだ。子どもの世界を描いた漫画だから、遊園地は絶対必須で。

モーリッツ:遊園地といえば、1984年にメンバーと東京ディズニーランドへ行ったんだ。カリフォルニアの本家ディズニーランドにしかない「魅惑のチキルーム」が東京にはあってね。他のディズニーランドにはないんだけど、東京の方がよくてさ。あれは本当に感動した。

モーリッツ:初来日した時に、日本文化にハマったんだ。ホテルでTVのコマーシャルを見て、これってまさにデア・プランじゃん! って。あと忘れちゃいけないのが、ロボットだね。キデイランドで恐竜ロボットを買ったんだ。もう動かなくなっちゃったけど、かっこいいだろ? 最高なのは、頭の中に金色のパイロットがいること。説明書にこのパイロットは人形で、僕等の起源を思い出させるものって書いてあるんだ。子どものおもちゃなのに、変だなった思ったよ(笑)。

小里:はは、すごいね。

モーリッツ:正直古い日本文化はよく知らないけど、モダンな日本文化は好きだよ。建築、デザイン、ポップカルチャーとか。日本の音楽を流してるBlue Heron Radioはよく聴いてるし、歌舞伎の音楽も好き。おもしろいんだけど、1960〜70年代の西洋人って日本人は僕等のカルチャーをコピーしてるだけと言ってたんだ。でもそれって完全に違うよね。伝統的な日本文化は本当にリッチだと思うし、ロボットとかモダンな文化にも影響を与えてる。

小里:興味の幅が広いね。新譜の話にも繋がるんだけど、モーリッツの作る作品や音楽は常に大陸を越えたエキゾチックな感じが漂ってる。1つのカルチャーではないというイメージ。それがデア・プランの魅力の1つでもあるし、ソロ作品にも感じたよ。

モーリッツ:ロックンロールをはじめ、アメリカ文化は無視できないけど、自分の住む地域の伝統的なカルチャーに繋がりたかった。だからデア・プランを始めた時、僕等は英語ではなくドイツ語で歌いたかったんだ。日本もそうだろうし、ピッキー・ピクニックもそうだったと思う。もちろんアメリカ文化はそこにあるし、自分も影響も受けたけど、でもまだ自分自身でオリジナルなものを作り上げるように心がけているんだ。アメリカが自分達のカルチャーからアートを生み出したように、自分のカルチャーから音楽を生み出したい。それはデア・プランや僕の音楽から感じ取れると思うよ。そこが僕等の似ているところだよね。

小里:常にいろんなカルチャーを見据えつつ、オリジナルなものを作る点においては同じだと思う。余談だけど、ピッキー・ピクニックを活動停止してから、オリジナル・ラブやザ・コレクターズっていうロックバンドのベーシストとして活動してたんだ。そっちはもう王道のロックン・ロール・スタイル。そういう音楽を中に入って演奏することで、よりピッキー・ピクニックを始めた当初にどういう音楽にインスピレーションを感じて、感銘して、自分で作ろうと思ったのかという点が逆によく見えるようになった。この経験が自分をおもしろがれる要素になったのかもしれない。ソロユニットのFrancisは自分がやりたいものに近くなってる。

モーリッツ:ちなみに僕の息子の名前、フランツっていうんだ。Francisのドイツ語版だね。2006年生まれだよ。

小里:はは、Francisを始めたのは1994年。実は今年、27年ぶりにアルバムを発表するんだ。ところで、なんで今回ソロアルバムを出すことになったの?

モーリッツ:他のメンバーもソロでリリースしてたし、デア・プランの未使用の歌詞や音楽がたくさんあって。ロックダウン中に自宅で作業してたらソロアルバムができたんだ。ソロの利点は何をしたいのか誰にも聞かなくていいってこと。すべての決定は自分でする、それを楽しんでるんだよね。「シルバーのマンタ(Silberner Manta)」と「暗かった(Dunkel Wars)」はデア・プランで発表した曲で、他にはフランク・ザッパのカバーもある。ちなみに「週末と晴天(Wochenend und Sonnenschein)」は、3歳の時に初めて聴いたレコードをカバーした。1920年代にドイツで人気だった曲なんだ。今作はとてもパーソナルでコンセプチュアル。だからタイトルは『思う存分』。

小里:曲が多いことにびっくりしたよ。でもモーリッツらしい、ちょっとこう異国的な雰囲気が常にあって、そこが好きだね。アートワークもおもしろいよ。

モーリッツ:よく見てみると、2つの顔の間にゴムが見えるだろ? マスクが僕の本当の顔で、僕の顔がマスクってこと。

小里:これもデア・プランの世界観だよね(笑)。パフォーマンスでマスクを付けたり外したりするし。

モーリッツ:前のアルバム制作時にメンバーと話してたんだ。僕等も年をとったし、マスクみたいにこの年老いた顔を撮ろうぜって(笑)。

モーリッツ・R®︎
1955年ドイツ・ハレ生まれ、ベルリン在住。本名はモーリッツ・ライヒェルト。1980年代のノイエ・ドイチェ・ヴェレを代表するバンド、デア・プランのメイン・ヴォーカルを担当。アーティストとしても才能を発揮し、同バンドのアートディレクションも手掛けている。2020年2月、デア・プランとして36年ぶりとなる来日を果たし、2021年には自身初となるソロアルバム『思う存分(Nach Herzenslust)』を発表した。www.moritz-r.de

小里誠
1965年神奈川県生まれ。高校時代の友人とストレンジ・テクノポップ・ユニット、ピッキー・ピクニックを結成。1985年にデア・プラン主宰のレーベルAta Takよりアルバム『Ha! Ha! Tarachine!』を発表し、音楽キャリアをスタートした。ザ・レッドカーテン(現オリジナル・ラブ)やザ・コレクターズのベーシストを経て、2015年よりソロで再始動。1994年よりソロユニットFrancisとしても活動し、田島ハルコとのコラボユニット「ハルコとフランシス」名義で2枚のミニアルバムを発表。今年、新作ソロアルバムをリリース予定。www.orimakoto.com

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「個人が社会の単位になる」アーティスト・山田梨詠が見つめるこれからの家族像 https://tokion.jp/2021/03/26/rie-yamada-family-in-japan/ Fri, 26 Mar 2021 06:00:19 +0000 https://tokion.jp/?p=24777 家族という難題に向き合い続けるアーティスト、山田梨詠。婚活に基づいて制作した新作「Familie suchen」に見る、本当の自分とこれからの家族像について。

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家族という活動は時にわずらわしく、型にはめることができない。ドイツ・ベルリン在住のアーティスト・山田梨詠は、そんな家族の物語を過去、現在、未来の三部作で描いている。2017年に発表された1作目の「Familie werden(家族になる)」では、日独10組の家族を1人で演じ、ドイツ写真新人賞を受賞。2作目となる「Familie suchen(家族を探す)」は、日本の婚活サービスに参加した彼女自身の経験に基づいて制作された。イベントを介して知り合った男性63人を自演したセルフポートレイト作品と鏡を用いたインタラクティブなインスタレーション作品は、私達に本当の自分とは何か?を問いかける。「家族から目を逸らし、あまり介入しないように生きてきました。そんな見て見ぬ振りをしてきた物事を清算するために作品を制作している」と語る彼女に、今作とこれからの家族像について話を聞いた。

徹底したリサーチと実践の日々

−−新作「Familie suchen」を制作したきっかけについて教えてください。

山田梨詠(以下、山田): 私は結婚適齢期と言われる年齢を超えましたが、新しく家族を築きたいという願望が少なかったし、結婚もしていません。家族を考察したり、家族を築こうとしたりすると「結婚」というキーワードが出てきます。現代の人々の家族の価値観をはじめ、家族を築くきっかけや行動が気になり、結婚相手を探す婚活(結婚活動)が盛んな日本に焦点を当ててリサーチを始めました。

−−リサーチとして日本の婚活パーティに参加されていますが、このために準備したことはありますか?

山田:一般的な感覚を得るために、婚活をしている女性が努力していることをリサーチ、実践しました。まず2019年の元旦にジムに入会。元旦に行動しないとやらないなと思って(笑)。プロフィールカードに書く特技のために着物の着付けを習いましたね。歯のホワイトニング、コンタクト、美容室でゆるふわな髪型にして外見を変えたり、タロット占いや縁結びの聖地である出雲大社へ行って神頼みをしたり。クラス会や相席居酒屋へ行ったりと、みんながしていることを1年ほど実践したんです。このことは「婚活日記」として、インスタレーション用の冊子にまとめています。

−−生活スタイルもガラリと変わりそうですよね。

山田:自分がいろんなことをサボっていたんだなと思いました。自分はこれでいいと思っていたけど、世の中的にはそうじゃないんだなと。これが普通とは思いませんが、しなくても大丈夫だったんですよね。制作後も継続していることは、ジムとデンタルケアとコンタクト。あと日本文化を学びたいと思っていたので、着物が着られるようになったのは一石二鳥でしたね。

婚活パーティから見えてきた「本当の自分」

−−そんな準備を経て、いざ婚活パーティに参加することに。

山田:2019年は日本に1ヵ月滞在、ドイツへ帰国を4回繰り返しました。短期間でより多く、いろんなジャンルの人達に出会いたかったので、参加者の多い週末メインで参加、1日2〜3本ハシゴしてたんです。これは結構普通みたいで、次の会場で前と同じ参加者の方にお会いすることもよくありましたね。地元の名古屋から関東、関西、九州まで4都市50回以上のパーティに参加して、20代前半から50代半ばの方々に会いました。あと参加者の口コミを聞いて、イベントを選びましたね。

−−印象に残った人はいましたか?

山田:婚活2年目のスーツを着た30代男性。婚活疲れのループに入っていて、「決めるんだったら最初の3ヵ月で決めた方がいいよ」と助言されました。会いすぎると判断できなくなって、どんな人に出会いたいのかも分からなくなる。でも相手が決まらないし、週末やることがないから参加し続けているそうです。あと、女性の参加者とよく友達になるという女性。その女性が合コンに誘ってくれたり男友達を紹介してくれたりすること により新しい出会いが生まれるという理由を聞いて、これが世にいう結婚活動してる人なんだなと思いました。リスペクトですね。一番印象に残っているプロフィールは30代の副住職。愛車が原付でした。

−−短期間でたくさんの人々に会って、作品や問いへの理解を深めていく。 ご自身にも変化があったのではないでしょうか?

山田:コミュ力が上がったと思いますし、相手や自分を観察する能力も鍛えられました。最初はプロジェクトとしての思考が先行していたのですが、回を重ねるごとにこの人が求める女性像とか、こう見られた方がいいんじゃないかという方向性に変わって。次第にアイデンティティ・クライシスに陥るような感覚が増えて、相手の目に映る私と「本当の自分」について考えるようになりました。

−−「本当の自分」というと?

山田:相手の目や評価を気にして、立ち居振る舞いや今までの自己像をしまい込んで、自分の感情をコントロールしたから「偽っている自分」が際立って。「本当の自分」を失ったような錯覚に陥ったんです。ただ「本当の自分」に答えなんてないことはわかっていて。自己像には他者の影響や自分の思い込みが関係しているし、そこに自由と他者からの承認が足されてこそ「本当の自分」を実感する。婚活市場でも社会の中でも相手に受け入れられることによって、私達は「本当の自分」を見出しますよね。私は自分自身や感情に制限をかけすぎたし、相手の目や表情、反応を鏡として自分を見すぎたんです。ただそのおかげで、自分が家族をテーマに制作する意義や自分の存在価値を、今一度考えることができたと思っています。

鏡をメタファーとしたインスタレーション作品

−−そんな婚活イベントを介して知り合った男性63人を演じていますが、すべて1人で制作したのでしょうか?

山田:そうですね。記憶から描いたスケッチとメモを元に、ベルリンで制作しました。衣装は古着屋で購入したり、友人から借りたりして、ウィッグは60個ほど所有しているので足りないものを買い足して。大学のスタジオで、1日3〜4人分の撮影をしてたんですけど、たまに知らない生徒が入ってきてびっくりされたこともありましたね。演じた顔をより本人に近づけるためにPhotoshopを使って加工もできるんですが、メイクと表情でカバーできる自信があったので、修正しないことを前提に。カメラの横に姿見を用意して、セルフタイマーで撮影しました。

−−今作は展示ではなく、インスタレーションとして発表されていますよね。

山田:自分の体験により近づけるため、インタラクティブなインスタレーションにしました。鑑賞者はまず鏡に映った自分を目にするところからスタートするんですが、実はこれマジックミラーなんです。人が座ると内蔵されたセンサーが反応して、机上のタブレットが起動。マッチングアプリのようにスクロールしていくと、鏡がモニターへと変わり、男性のポートレイトが映し出されるという仕組みです。鏡に映る自分を見て、相手の目に映る自分を見る。鏡はメタファーであり、アウトプットするときのポイントとして取り入れています。VIVITA株式会社よりプロトタイピングツール「VIVIWARE Cell」を提供していただき、同社エンジニアの山森文生さんに制御プログラムの開発をお手伝いしていただきました。

−−実際に海外での反応はどうですか?

山田:制作途中の段階で一度展示はしたんですが、それからコロナの影響で発表できなかったんです。オンラインですが、大学の卒業プレゼンで発表しました。まず、婚活を理解してもらうのが大変でしたね。ドイツでは「スピード・デーティング」という出会いのパーティが開催されていますが、結婚目的ではないので、婚活サービスについて理解はできても、「なんでそんなことするの?」と納得できなかったり、文化の違いに驚いたりする人もいました。一方で、メタファーとして使用した鏡の点と点を結びつけて考えてくれる人が多かったですね。校外で発表した際にどんなフィードバックがあるか、今年の展示を心待ちにしています。

−−日本の婚活とドイツのスピード・デーティング。参加目的など日本との違いはありますか?

山田:日本は結婚相手を探すのが大前提であるのに対して、ドイツは結婚するために相手を探すわけではないんです。ベルリンでは「Fisch sucht Fahrrad(魚が自転車を探す)」や「Topf sucht Deckel(鍋が蓋を探す)」というスピード・デーティングがあるんですが、クラブで週末の夜に開催されています。集団お見合いのような日本の婚活とは違いますよね。今回はコロナの影響でドイツでのリサーチはできませんでしたが、次回作へ向けて参加できたらいいなと思っています。

自分らしく、型にはまらない家族のあり方

−−日本とドイツでは、結婚や家族についての考え方にも違いはありますか?

山田:日本では戦後に家制度が廃止されたにもかかわらず、結婚や家族にこだわる人達が多いのは、戸籍制度と日本人の思想の根本に「家」的な考えが残っているから。ドイツには家族簿は存在しますが、日本でいう戸籍というシステムがないので、家族単位ではなく個人単位で管理されています。結婚するという選択も、結婚しないという選択も、それぞれの家族やパートナー同士が話し合って決断していて、社会の中でも多様な価値観が認められているんです。

−−制作を通して、山田さん自身の結婚・家族観に変化はありましたか?

山田:前作「Familie werden」の時は、結婚したくないと思っていましたが、今はしてもしなくてもどちらでもいいと思っています。ドイツでの生活を経て、結婚してもしなくても変わらないということをたくさん見てきたので。あとプロジェクトを通して、人は家族のどのパートにもなれるということに気づきました。特にドイツに来てから年齢や性別に左右されない生き方をしている人たちと出会い、1人であっても複数のパートを自分で担えるのではと思えるようになりました。

−−決まった役割分担もなければ、家族の形も1つではないという。

山田:この先家族を築く上で、1人の家族も選択肢の1つ。結婚しなきゃダメとか負け組とか、結婚して一人前だと思わせる世の中の風潮は、今でも疑問に思っています。家族像はその時代にマッチしたもので、その時代に適合するために変容していくもの。今はいろんなことを自分達で選べる時代になりました。21世紀は自分らしい、自分にあった家族の形を探求できる時代。社会の変化によって家族外での活動領域、関心、生活時間が多様化し、家族に属する必要性が減って、そして家と家族が社会の単位でなくなった今、個人が社会の単位になるんだと思います。

−−型にはまらない、新しい家族のあり方ですね。そして、今年はいよいよ第3部の制作に取り掛かるとお聞きしました。

山田:そうなんです。第3部の「Familie gründen(家族を築く)」は、また日本とドイツの2ヵ国でのプロジェクトにしようと考えています。自分がどのように、どんな家族を築くかをテーマに制作する予定です。

山田梨詠
愛知県生まれ、ベルリン在住。2011年に渡独し、ベルリン・ヴァイセンゼー美術大学に入学。「Familie werden」でドイツ写真新人賞をはじめ、これまでに数々の賞を受賞。2020年に修士課程修了、現在同校のマイスター課程に在籍している。2021年はドイツ・ケルン、2022年はセルビア・ノビサドで個展を開催予定。ファッションやカルチャー分野とのコラボレーション作品の制作も行っている。 www.rieyamada.com Instagram:@rie_bergfeld

Picture Provided Rie Yamada

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「人種、宗教、階級の壁を壊して、愛を広げる」 マリー・トマノヴァが写真に込めたメッセージ https://tokion.jp/2021/01/01/marie-tomanovas-message-in-the-photographs/ Fri, 01 Jan 2021 06:00:06 +0000 https://tokion.jp/?p=15336 若者のリアルな姿を写し出すNY拠点の写真家、マリー・トマノヴァ。彼女が写真を通して伝えたいこととは?

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レンズ越しに見つめる若者たちの強い眼差しは、偽りのないリアルそのもの。NYを拠点に活動する旧チェコスロバキア出身の写真家、マリー・トマノヴァは彼らが抱く夢と希望を見逃さない。混乱を極める社会の中で、自分らしく生きる若者たちをとらえたポートレイトシリーズ「Young American」。同シリーズをまとめた初の写真集は完売し、ライアン・マッギンレーも認める彼女の快進撃は止まらない。今秋、ドイツ最大規模のフォトフェスティバル「EMOP Berlin 2020」の一環として、過去最大の個展「Live for the Weather」をチェコセンター・ベルリンにて開催。代表作「Young American」から彼女自身と帰省を見つめ直したタイトル作と「It Was Once My Universe」、ロックダウン中のNYで撮影した新作「New York New York」を含む約250作品が、会場にずらりと並んだ。今回の個展のために、マリー本人もはるばるNYからベルリンへ。「オープニング2週間前までベルリンへ渡航できるのか、開催できるのか分からなかったの」と語るマリーは安堵の表情を浮かべた。故郷を離れ、NYという第二のホームで写真を撮り続ける彼女が伝えたいメッセージとは。

――タイトルとなった作品「Live for the Weather」は、渡米前に故郷で撮影されたそうですね。

マリー・トマノヴァ(以下、マリー):そう、2005年から渡米する2011年まで故郷のチェコ・ミクロフで撮影した作品です。当時はiphoneなんてないから、私の小さな町にある唯一のカメラ付き携帯で撮影しました。自分だけのために、個人的なアーカイヴとして撮影した約7000枚以上の写真には、友達との思い出、恋や失恋、青春時代のドラマがすべて詰まっています。こうやって誰かに見せる、しかも展示するなんて思いもしませんでした。

――とてもパーソナルでエモーショナルな作品でした。NYを拠点とする今、何か感じるものはありますか?

マリー:今とは全く違う世界とリアリティ。たった数年前なのに、わたしは今アメリカで全然違う生活を送っています。今となってはNYの方がホームと感じるんです。だから自分じゃなくて他人のアルバムを見ているようで。わたしにとって自分と故郷をつなげる特別な作品ですね。

――映像作品としても上映してましたよね。BGMがザ・クラッシュの『ロンドン・コーリング』でしたが、何か思い出の曲なのですか?

マリー:いや、まったく知らなかったの(笑)。ビデオの編集をしてくれた友達のサム(Sam Centore)が作品にぴったりだからと加えることになって。曲の中で“Live for the weather”って言ってるように聞こえて、それで作品のタイトルになったんです。実際はチェコの音楽ばっかり聴いてました。J.A.Rってバンドが大好きで、当時彼らのコンサートは全部行ってたくらい。去年のプラハ滞在中、久しぶりに彼らのライブへ行ったんですけど、懐かしくて楽しかった。あとLucie。私にとってこの2組がアイコニックな90年代のチェコバンドです。

――音楽も写真と同じように当時の気分に戻れますよね。

マリー:あと作品のタイトルもよく音楽にインスパイアされますね。「Young American」はデヴィッド・ボウイの曲だし、「New York New York」はグランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴの曲から。

――「New York New York」は今年のロックダウン中に撮影された新作だとか。

マリー:ちょうど3月にチェコから戻った時にロックダウンが始まって。どこへも行けないし友達にも会えないから、ずっと家で過ごしてました。その頃ちょうどBLM(Black Lives Matter)のこともあって、街中には警察とプロテストが溢れてたし、それで夜になると警察が人を逮捕するんです。グリーンカードがあってもわたしは移民。何が起こるか分からないから、日が暮れたら外出するのは不安でした。それに加えて夜は近所で花火が上がるし、ストレスフルで眠れない日々が続いて、本当にクレイジーでした。

――いつ頃から撮影できるようになりましたか?

マリー:7月からようやく人に会って、天気のいい日にルーフトップや川沿いで撮影するようになりましたね。自粛中の生活やBLM、これからの希望について、友達と会って話すことはとても大事でした。こんな久しぶりに人と会えるっていうのは特別で。そんな時に生まれた作品が「New York New York」。「Young American」はその人自身をとらえたポートレイトシリーズなのに対して、「New York New York」は空間や瞬間、フィーリングを切り取った作品なんです。1つのポートレイトでもあり、NYのポートレイトでもある。ローワー・イースト・サイドの花の前に立ってる肘を汚したスケーターの女の子、友達のイザベルの写真のようにね。

――どの作品も被写体とのつながりを大事にしている印象です。撮影で心がけていることはありますか?

マリー:被写体が心地よく幸せに感じてくれる、心を開いてくれることが大事。ほとんどが初対面での撮影だから、まずは緊張をほぐして心を通い合わせることが私にとって大事なんです。いつも最初は出身地を聞いて、彼らについて知るところからスタート。故郷のミクロフだと町の誰もがお互いのことを知ってるけど、NYは違う。それぞれが異なる出身地、過去、人種、宗教を持ってるし、大半の若者が夢を抱いてこの街に集まっています。彼らを通して人生をいろんな視点から見れるって素晴らしいことだし、だから人と会って撮影するのが好きなんです。

――この時勢で写真家として表現したいことは何ですか?

マリー:「Young American」と「New York New York」に込めたメインメッセージは、みんな同じってこと。みんな人間でこの世界の一員、自分自身でいられるべきだし、同じ機会を持つべき。私にとって多様性と平等性はとても大事なことだから。例えばチェコでは女性アーティストとしてやっていくには本当に難しい、だから渡米したんです。大学の教授が「男性アーティストだけが成功する」と話していたのを今でも覚えてます。これは2010年の話、80年代の話じゃないんですよ。人種、宗教、階級の壁を壊して自分たちのことを大事にする、愛を広める。これこそ私が伝えようとしてること。ユースからの反応ももちろんですけど、特に60〜70代のオーディエンスが私の元に来て「希望を見せてくれてありがとう」と言ってくれるのは、本当に心に響きますし、嬉しいですね。私の写真に写っている若者は、世界がいい方向に向かってるという希望を与えてくれるんです。

――世代を超えて届いているのは、素晴らしいことだと思います。昨年8月の初来日はいかがでしたか?

マリー:最高! 今までのベストトリップよ。出会った人みんな素敵で、楽しい時間を過ごしました。実は去年ベルリンのEEP Berlinで展示をしたとき、(MODEST) BOOKSのセイイチ(Seiichi Kato)に出会って、彼が日本をつないでくれたんです。サイン会を開催した代官山蔦屋書店や『Lula Japan』と編集長のカズオ(鈴木和生)を紹介してくれて、来日を実現できました。東京での展示場所を探していたら、NY友達のシンペイ(仲川真平)が個展「Like a Dream」を開催した原宿のSO1のオーナー、シン(沖嶋信)を紹介してくれて。たった2週間半だったけど、信じられないくらい素晴らしかったですね。まさに夢のようでした。

――いろんな人のつながりがあって実現したんですね。滞在中はどこへ行きましたか?

マリー:シンがたくさん美味しいお店に連れて行ってくれました。初日の夜に行ったのが目黒の『とんかつ とんき』。あと『なるきよ』も最高。料理も素晴らしいんだけど、ここのメニュー表がすごくて最後にもらったんです。キッチンにも入って一緒に写真を撮りましたね(笑)。カズオも私たちのコラボレーションを祝うために、美しい小さな通りにある素敵なレストランに連れて行ってくれました。とても特別でしたね。

――東京でもストリートの若者を撮影されていますが、他の都市と比べて何か違いはありましたか?

マリー:展示に来てくれた人やストリートで見つけた人を撮影しました。いつもならおしゃべりして撮影するんだけど、言葉の壁もあってちょっと難しかったかな。展示に来た人は撮影しやすいけど、ストリートで声をかけた人にはたまにびっくりされることもあって。でも日本で写真を撮れたのは素晴らしいこと。去年プラハでの展示で披露したんですが、今まで知らなかったカルチャーやスタイルにみんな興味津々でしたよ。

――各都市で世代も国境も超えた交流が生まれているんですね。これからのご活躍が楽しみです。

マリー:来年はレジデンス・プログラムに参加するので1ヶ月間ミクロフに滞在予定です。こんなに長く帰省することなんて今までなかったから楽しみですね。次の写真集も制作中なので、完成したらまた日本でもローンチしたいです。もちろんその時は『とんかつ とんき』と『なるきよ』にも行かなきゃ!

マリー・トマノヴァ
旧チェコスロバキア・ミクロフ生まれ。2011年に渡米し、現在はNYを拠点に写真家、映像作家として活動。アイデンティティやセクシュアリティ、ジェンダー、多様性にフォーカスした作品を生み出している。2015年よりNYのリアルな若者を撮影する「Young American」シリーズを手掛け、2019年に初の写真集として発表。同年に東京のSO1で開催された個展「Like a Dream」を機に、初来日を果たした。
www.marietomanova.com

Picture Provided Marie Tomanova

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愛するカルチャーを継承するためにーー「Lodown Magazine」のトーマス・マレッキ × 土谷尚武による交換書簡 https://tokion.jp/2020/12/08/thomas-marecki-and-shobu-tsuchiyas-exchange-of-letters/ Tue, 08 Dec 2020 06:00:55 +0000 https://tokion.jp/?p=13203 「Lodown Magazine」を通じて出会った2人が、パンデミックとの向き合い方とカルチャーの存在意義について赤裸々に綴る。

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1995年に創刊されたベルリン発のストリートカルチャー誌「Lodown Magazine」。創設者兼クリエイティブディレクターであるトーマス・マレッキは、アートや音楽、ボードスポーツやグラフィティをはじめ、常に自分たちの愛するカルチャーの最前線を見つめてきた。そんな彼が交換書簡の相手に選んだのは、長年の友人でありイラストレーターの土谷尚武。「Lodown Magazine」を通じ、幾度となくコラボレーションを重ねてきた同志だ。言葉も国籍も世代も違う2人をつなぐのは、アートとカルチャー。愛するカルチャーを継承するために、私たちは何ができるのか? 真っ白な紙に各々が今感じていることを赤裸々に綴った交換書簡には、その答えが詰まっている。

「Lodown Magazine」がつないだ2人の出会い

尚武へ

元気にしてるかな。久しぶりだよね……。初めて尚武の作品を見たことを覚えてるよ。ウィーンにいる僕の友達、パトリック・パルシンガーの自宅だった。僕の本『M – transforming language』のサウンドトラックを制作していたんだ。今見てみると、あの本はインスタグラムの先駆け的なものだったね…。それはそうと…パトリックはその時ちょうど日本へ行ってて、君のエキシビジョンから作品集を持って帰ってたんだ。本当に感動したよ。だからLodownで特集するために君に連絡すべきだと思って…それで2002年に始まったんだよね。それ以来ずっとLodownや他の案件へのサブミッションをお願いする時は、君のことを頼りにしてる。尚武の作品はいつも素晴らしいよ。Lodown 35号のバーガーショップ、Lodown 39号の表紙、アディダスのスーパースター35周年ブックのコントリビューションや一緒に手掛けたABSOLUT WORLDSとか…最近だと「Stay Puff」Tシャツだよね…。

君は一度だけベルリンへ来たけど、これもかなり前の話…思い出せないよ。先進国で渡航制限が出る前だったのは確かだね…最近はどうしてる…? COVID-19で何か影響はあった?・・・

親愛なるトーマスへ

お久しぶり。
お変わりありませんか?
いつもLODOWN(by LODOWN)の最新号を送ってもらっているから近くに感じています。
初めてLODOWNを見つけた時の衝撃は凄かった!
1999年頃かな。場所は青山のオン・サンデーズ。まだクリップで綴じられていた初期のLODOWN。あの時からLODOWNは僕の教科書になっています。企業や権威的な匂いが全くなく制作者の哲学がそのまま雑誌になっている感じに深く共感しました。同時に雑誌そのものが新しいカルチャーを作り出している感じがあり、その事がまた僕の心を鷲掴みにしました。
 『ここには自由があるっ!!』頭の中でそう叫んでいたのをハッキリと覚えています。あまりの衝撃にパトリックが買ってくれた作品集は当時のLODOWNのサイズをまんまコピーして制作しました。
当時から今日まで僕のクリエイティブを見守ってくれてありがとう。
僕はころころとイラストのスタイルが変化するから、トーマスを混乱させているかもしれません。LODOWNにも変化を感じます。最近はアート的な力強さを誌面から感じます。トーマス自身アーティストとしての活動も活発な気がします。よりアート活動に力を注ぐのですか? ベルリンには広い空間があります。自分のアトリエを持っていますか? 家族もできましたね。すごい変化!! でも冬はきっちりスノボやっているし家族を持った事でライフスタイルに変化はありましたか? スポーツシューズの大人買いをやめたとか??
LODOWN no.32で特集を組んでもらった時はこれで死んでも良いと思いました。2002年、当時僕の絵を評価してくれる人は全くいなくてガッカリしていたから。
プロジェクトの中でもアディダスのスーパースター35周年ブックとABSOLUT WORLDSは僕にとっても特別な仕事でした。これらのプロジェクトで作りあげたイメージは進化させてまた表現したいです。
先日、組ませてもらった「Stay Puff」Tシャツは最高でした!!!
OPEN MINDEDシリーズを起用してくれてありがとう。Stay Puffの意味を知って大笑い。2015年にベルリンのFirmamentでの展示の話が来てOPEN MINDEDシリーズかCHILDHOOD’S ENDシリーズにするかとなってCHILDHOOD’S ENDシリーズになったのが凄く昔のことに感じられます。
COVID-19に東京が占領されてからは自転車によく乗る様になりました。緊急事態宣言中の人のいない渋谷、青山、原宿を自転車で走るのは奇妙な経験でした。
8月に東京駅構内にオープンしたVINYLというショップから2.5Dアクリルフィギュアが発売されました。『発狂するキャラクター達』という新しいシリーズです。

カルチャーの変遷とパンデミックとの向き合い方について

尚武へ

返信ありがとう。いつだって君からの連絡は嬉しいよ。初めて出会った時から尚武はいつも何かに取り組んでるところが好きだし、いつも新鮮で、社会に対するちょっとしたコメントも入っててさ。

そうだね、Lodownは自由なプラットフォームだし、一度も売り切れたことがないよ、はは…だからこそ僕らはまだ君が考えられる最小のインディペンデントな存在だよね。僕らの焦点はプリントだったから、結局Lodown 3.0には至らなかったんだ。次なる目玉を約束され、可能性を秘めていたiPad版があったけど、Appleは制限とアップデートによってそれを墓場に置いてったしね。僕らにとっては金の墓場だったよ。とにかくすべては前に進む、後戻りはしない…少なくともそう願うよ。芸術的な観点からいえば、COVID19は僕にとって大きな分岐点だった。たくさんのことが僕のレーダーから抜け落ちてしまって、もう興味が湧かない。それに僕らが愛するポップカルチャーは企業の欲に溺れてるから、啓発する見込みのあるエッセンスを見つけることは難しいんだ。本当に…すべてのゴミと過去によかったモノのリサイクルやそれを繰り返すことは、その価値を下げるだけ。何があるんだ…? 尚武がクリエイションへの道を見つけることを願うよ、だってそれだけが重要だからさ。

これからどうなるのか見てみようよ。僕らの世代が発展したように、ユース世代が消費主義に盲目にならなければいいな……。

親愛なるトーマスへ

返事をありがとう。
LODOWNのiPad版は本当に残念でした。
LODOWNが創刊された1995年当時と比べ今はストリートカルチャーもポップカルチャーも、黎明期的で素朴な高揚感が失われた事は否めないと思います。小さなサロン的グループの人数が増えて大きなグループになった時の変化に似ていると思う。当時のストリートカルチャーやポップカルチャーが現在メインストリームになったという事でしょう。僕が子供だった1980年当時パンクの文化圏に属していない人間がパンクを語ったり絵のモチーフとして扱う行為ははばかられる空気が一部にありました。今はあらゆる事柄に対して全ての人が自由に物言える環境です。若い世代は先入観なく過去のカルチャーを再解釈している様に見えます。この自由な再解釈という部分に期待をしています。新しい表現やカルチャーはここを起点として出て来ていると感じています。時々?というモノもありますが。
COVID19は街や人々を暗く社会を萎縮させたと思います。この様な状況でもギャラリーやイラストレーターは対策を考えて展示をしています。効率が悪くても可能な限り日常の生活を保つ事。今はそれが大事だと思っています。
LODOWN(byLODOWN)では最近YOUTHをテーマにした号を二回刊行しています。トーマスのYOUTHへの期待と思いを強く感じます。
毎回送られてくる誌面から伝わってくるゴロッとした圧力と強さはWEBではなかなか体感できません。とは言えLODOWNのWEBサイトは本誌の構成とは全く違うアプローチをしながら巧みに本誌とリンクさせておりその手腕は流石の一言です。
1秒でも先の未来が見たい!これは僕のクリエイティブにおける切なる思いです。自分にとって新しい表現が世間にとっても新しければ良いのですがかなり難しい。キャリアを重ねて経験値が上がったら分からないことは少なくなると思っていました。実際は分からない事だらけです。2018年に個展を開催しました。クリエイティブ人生後半戦のスタートに位置付けた展示でした。商業イラストレーターとしてクライアントのリクエストにひたすら答える仕事をしてきましたがこの展示では自分をクライアントにしました。自分の哲学やメッセージが自分のどこから湧き上がり誰に伝えたいのか?そして自分の立ち位置はどこなのか?それらを確認する為の展示でもありました。商業イラストレーターはあまりメッセージ的な要素を作品に持ち込まない方が良いというのが僕の考えですが自然にメッセージを発している自分がいます。時代の空気が自分を後押ししています。

昔、トーマスが来日し三宿のタケハーナ(現在は閉店)で夕食をした際、僕が「人生は複雑で厄介だ」と言ったら「僕はシンプルだと思うよ」とトーマスに返された事がいまだに印象深く思い出されます。あ、それから「前菜にお寿司が食べたい」とリクエストされて食文化の違いを感じたのも懐かしいです。

愛するカルチャーを継承するために、私たちができること

尚武へ

2通目のお手紙をありがとう。今、ベルリンに戻る飛行機に乗っているよ。家族と9日間ポルトガルに行って、波に乗ってきたんだ。どうしてもビーチに行きたくてたまらなくてさ。前回の旅行はこのパンデミックが始まったばかりの3月に行った北海道。未知のウイルスへの不安が揺れ動いていたけど、最高の旅だったよ。ゲレンデは空いていたけどね。とにかく、サブカルチャーは何度も何度も食べられて消化されてきたと思うんだけど、それでいいんだ。好きなことをやっているだけで楽しい時間を過ごせた。僕はいつも神は若者を愛していると言っているし、これは残るべきだよね。

残念なことに、今はすべてのものがあっという間に吸い上げられて、お金で評価されなければならなくなった。このハイパー資本主義は文化を浸しているだけで、価値がどうやって生まれるのか理解できない。ブラック工場で作られたスニーカーに大金をつぎ込んで、人々が貧しい暮らしをしているとか、僕にとってそれはただの失敗だよ。

それは(スニーカーの)カルチャーではなく、搾取や退廃。でも、高級品業界全体が何だか時代遅れなんだよね……。

とはいえ、僕は変化を受け入れていくべきで、今こそ新しい常識が必要だね。忘れ去られた知識の上に積み重ねていかなければならないんだろうな…。現実がもはやかつてのものではないとき、ノスタルジアはその完全な意味を仮定している。(ボードリヤールの引用)僕は情報過多のフラットさから逃れようとしてる。一番いいのは、サーフィンやスノーボードに行って、そのとき1つの存在になること。僕にとってそれはシンプルさの縮図なんだ。不幸はいずれ誰にでも訪れるものだから、僕は不幸を求めない。人類が現代の不信と操作のサイクルにブレーキをかけることを願っているよ。

僕らの存在の喜びを忘れないでね。

親愛なるトーマスへ

これが最後の書簡ですね。早いな。    
いつの時代も世界は激動している。古代ローマの哲学者の言葉を借りるまでもなく人間の本質は変わらないのでしょう。人々の格差が増大し固定化される傾向が顕著な世界で搾取や退廃が進む。人間の欲望のなせる技なのかもしれない。
この様な社会で行われるのは弱者の淘汰。トーマスの言う『(スニーカーの)カルチャーではなく、搾取や退廃』になるのだと思います。
一番助けを必要としている人間に援助の手が届かない。周りを上手く使ってすり抜けようとする。間違った事に異を唱えないで巻かれる。この様な行為に怒りを覚えます。
僕たちの世代は(僕はトーマスより12歳年上だけど)アナログからデジタルへの変換と70年代から現在までのカルチャーの変遷を経験してきました。この50年間のカルチャーの変化は前世代のカルチャーに対する何らかのカウンターとして登場してきたと思う。しかし最近の動きは過去の歴史と完全に解離した感じです。
お金で評価されるのとSNSのフォロワー数やいいね!の数で評価が決まるのには同じ違和感を感じています。優れた表現が必ずしもいいね!される訳ではない。僕たちが20代だった頃よりも目先の事に気持ちが引っ張られやすい時代だと思います。経済が低迷し格差が広がる社会(日本がまさにそれ)ではお金とフォロワー数による評価は強く存在し続けるでしょう。人気の作られ方が変わったのだと思う。
COVID-19の状況が変化し続ける現在だけどこの騒ぎが落ち着いた時、僕たちはホッとして肩の力が抜けるだろうと想像します。
その時何か変化が起きるのか?何も起きないのか? 。。。 。トーマスが北海道を再訪するのは予想できるな。
サーフィン、スノーボード、スケートボードにスニーカー。あるべき物があるべき場所にあるべき佇まいで存在し続ける社会であって欲しい。
LODOWNは無名のアーティストに多くの誌面を割いてきました。僕もあやかった一人です。いつもLODOWNが届くのを楽しみにしています。LODOWNが作られる。それが何より僕たちの愛するカルチャーを継承し伝える事になるから。そして新しいムーブメントも!
最後はトーマスのこの言葉で。
素敵な言葉です。

神は若者を愛している 
by Thomas Marecki

トーマス・マレッキ
1972年、ドイツ・ベルリン生まれ。「Lodown Magazine」の創設者兼クリエイティブディレクター。MAROK名義でグラフィックデザイナーとしても活動している。1995年にストリートカルチャー誌「Lodown Magazine」を創刊。2016年に発表した100号目を機に、レギュラーイシューを終了。現在はユースなどスペシフィックな内容に関するイシューを定期的にリリースしている。
www.lodownmagazine.com
www.instagram.com/marok_tm/
www.instagram.com/lodownmag/

土谷尚武
1963年、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。イラストレーター。日本大学芸術学部卒業。1996年に、ザ・チョイス年度賞大賞を受賞した。森ビル、ユニクロ、キリンハードシードルなどの広告をはじめ、イラストレーターとして活躍中。ウメキマキコと共に設立した有限会社アポロの主宰も務めている。「Lodown Magazine」とは2002年から交流があり、2020年に発表した「Stay Puff」Tシャツで再びタッグを組んだ。
www.instagram.com/shobutsuchiya/

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「innen Japan」のアーロン・ファビアンと井口弘史が選ぶ、今気になるZINE7選 https://tokion.jp/2020/11/09/innen-japans-hand-picked-seven-zines/ Mon, 09 Nov 2020 06:00:18 +0000 https://tokion.jp/?p=10074 ZINEを愛する2人が、スイスの独立系出版社「innen」より気になる7冊をセレクト。思い出話を交えつつ、自由にあれこれ語る。

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集めてもよし、作ってもよし、交換してもよし。こだわりとアツい気持ちさえあれば、誰もが気軽に発信できるコミュニケーションツールとして、ZINEは今もなお世界中で愛されている。その自由度を武器に型にはまらない作品をリリースしているのが、スイス・チューリッヒを拠点とするインディペンデント出版社「innen」だ。パブリッシャーであるアーロン・ファビアンのセレクトは、とにかく斬新でユニーク。大御所から新進気鋭の若手アーティスト、ヘルムート・ラングやヴィヴィアン・ウエストウッドといったファッションデザイナー、はたまた女優のクロエ・セヴィニーまで、ジャンルを超えた人々の作品をフィーチャーしている。

そんなアーロン が今回の対談相手に選んだのは、東京を拠点に活動するグラフィックデザイナーの井口弘史。彼の作品集『CULT JAM(2009)』のアートワークを見てコンタクトしたことをきっかけに、自然と意気投合。今夏よりトーキョー カルチャート by ビームスを通じて「innen Japan」プロジェクトを始動し、これから毎月1冊のペースで厳選したアーティストのZINEをリリース予定だ。新たなスタートを切った2人が「innen」で今気になる7冊をセレクト。本来ZINEはこうやって楽しむもの! そう思える2人の会話に耳を傾けた。

Holes / Hiroshi Iguchi

井口弘史(以下、井口):2005年に「innen」から最初にリリースした『BIG VALUE DUB』は、コンセプトに基づいていろんな作風が混在した作品集だったけど、その中の1つを拡大解釈したのが『Holes』。このドットを配列した作品は10年以上取り組んでいるシリーズなんだけど、この作風だけにフィーチャーした作品集はこれが初めて。

アーロン・ファビアン(以下、アーロン):ドットっていうスタイルが好き。どうやって描いているのかわからないけど、スーパークールだよ。

井口:作品のセレクトには時間がかかったけど、自分にとって重要な作業だった。DJ MIXのために選曲するような感覚かな。

アーロン:僕もレイアウトを考えるときは、ストーリーや流れを大事にしてる。「innen」では普段僕がZINEのレイアウトを担当してるんだけど、ヒロシの場合は最後に印刷するだけ。君のことは本当に信じてるからね。

井口:僕にとって思い出深いZINEになったよ。いい機会とタイミングをありがとう。

アーロン:いや、僕のほうがありがとうだよ。

井口:エーロン(アーロンの愛称)と自分のスタイルって質感とかちょっと違うんだけど、アティチュードは近いものを感じるよ。

アーロン:はは! そう? ヒロシは特別なテイストを持ってると思うし、何より一緒にやってて楽しいんだ。

If I See You in My Dreams / Joji Nakamura

アーロン:「innen Japan」の記念すべき1冊目だね。去年の東京アートブックフェアで1、2回穣二に会ったんだ。彼のアートワークはシンプルでおもしろい。ナイーヴなペインティングなんだけどカラフルでさ。

井口:穣二くんの作品が発するプリミティヴなダイナミズムが好きだよ。

アーロン:彼もそうだけど、ヒロシがいつも僕の知らない日本人アーティストを紹介してくれるから嬉しいよ。「innen Japan」はリサーチに力を入れてて、リアルでハイクオリティなアートにフォーカスしてるからね。といっても最終的に僕らが好きで楽しめるものを選ぶけど。

井口:あとは、僕が仲良いからチョイスしてるわけではなくて、「innen」にとっていいインフルエンスになればいいなと思って紹介してるよ。だから実際に会ったことのないアーティストでも「エーロンこの作品好きそう」と感じたら提案してる。そうだ、今回のリリースを兼ねた穣二くんの展示をちょうど見に行ってきてね、とても良かったよ。最後のページの作品(モヒカンの絵)は特に好きかな。

アーロン :いいエンディングだよね。

Sari (Dogod #3) / Akiko Watanabe

アーロン:ベルリン在住のフォトグラファー、渡部明子の『Dogod』 シリーズの3作目だね。彼女は11年前にベルリンで会って以来の友達で、10年前からこのシリーズを始めたんだ。アートっていうよりは、犬を介したパーソナルでファミリーなZINE。前2作品はいろんな犬を集めてたんだけど、今回は彼女の友達が飼っている愛犬サリだけにフォーカスしてる。サリは会ったことないんだけど、とっても可愛いよね。

井口:僕も犬好きだよ、今まで3匹の犬と暮らしてきた。マルチーズのフーフーは、僕に怒って鼻に噛みついたりしたけどね(笑)。家でのヒエラルキーは両親、フーフー、そして僕ら兄弟の順だった(笑)。家に僕1人しかいない時にはすごく甘えてくる反面、母が帰ってくると急に僕に吠え出したりしてさ、乙女心は複雑だね(笑)。

アーロン:はは(笑)! おもしろいね。僕も犬が好きで、今まで2匹の犬を飼ってたよ。前の犬はリノっていう元カノの家族の犬。ミックス犬で可愛いかった。ちなみに猫より犬が好きなんだ。犬のほうが正直だろ?もし猫を飼っていたら、ベッドの上は毛だらけになるし家具も引っ掻きまくるしさ。

井口:うん、犬は大事な存在だよね。

The Edge of Hell  /  Sean Pablo

アーロン:NYのスケーター、ショーン・パブロとZINEを作りたくて作ったのがこれ。彼が送ってくれた旅行やパーソナルライフ、友達の写真をまとめたんだ。僕がレイアウトをして、シュプリームがプリントをサポートして。ロゴは表記されてないけどね。

井口:これが「innen」から出ていることに納得。まさにエーロンの好きな世界観だと思ったよ。

アーロン:ユースやDIYカルチャーにコネクトしてるよね。ストリートやスケーター、ミュージック、グラフィティ、僕もこのカルチャー出身だから。昔はスケートボードしてたけど、今はしてないな。スノーボードはするかもね。最近は月曜日から金曜日まで毎日泳いでるよ。イルカなんだ。でも自粛が始まってから泳げてないなぁ。

井口:僕もパウエル・ペラルタに在籍してた頃のマイク・バレリーに憧れてたけど、僕自身は決して上手くはなかったなぁ。でも絵を描くことが好きだったから、スケートボードのデッキのグラフィックにはものすごく影響を受けたし、よく模写してたよ。思えばその頃からよくスカルを描いてたね。『BIG VALUE DUB』の中にもスカルの作品が何点かあるけど、哲学的にも好きなモチーフ。そうそう、先週の土曜日にパウエル・ペラルタのパイント・グラスを大先輩のSKATETHINGからいただいたよ。

アーロン:おぉ、かっこいい!

Selected Works From 2001 To 2009 / Dash Snow

アーロン:これはアメリカ人アーティスト、ダッシュ・スノウの作品をまとめたZINEの2作目。同じくスイス・チューリッヒを拠点とするインディペンデント出版社「Nieves」と共同出版したんだ。彼は2009年に亡くなったんだけど、ベルリンのCFAギャラリーからコピーライトをもらって、インスタレーションや写真を集めてね。彼に直接会ったことはないんだけど、NYにいる共通の友達からかなりラディカルな人だったと聞いて。1stエディションは白だったから、2ndエディションはパンクな赤にしてみた。

井口:僕も彼の作品が好き。

アーロン:初めて見たのは10年前かな。彼はZINEも作ってたんだ。ZINEは本よりもエクスクルーシブでユニークなもの。価格も送料も手頃だし、売るのも拡散するのも本より簡単で早いだろ?

井口:シールやバッジみたいに手頃な感覚もあるよね。

アーロン:90年代のバスケットボールカード覚えてる?1枚1枚違って、たまにレアなカードがあって。ZINEカルチャーも一緒なんだ。それぞれの個性があるし、売り切れたら価値が上がる。何より集めたくなるだろ?

井口:Toppsのトレーディング・カード大好き。うん、集めたくなるのわかるよ。

I am a Blue Whale / Joe Roberts

アーロン:サンフランシスコ拠点のアーティスト、ジョー・ロバーツの2作目。GX1000(サンフランシスコのスケートボードクルー兼レーベル)のデザインも手掛けてる、素晴らしいアーティストだよ。

井口:彼のスタイルいいよね。ニンジャ・タートルズとか、ディズニー映画の『ファンタジア』をモチーフに使ってたりして。待って、このZINEあるからちょっと探してみる。

アーロン:去年チューリッヒでジョーに会ったよ。彼は自然が好きで、その時もスイスでハイキングしてた。だから彼の作品って自然の要素もある。あとミッキーマウスがLSDやドラッグをしてたり、タートルズがピザ食べてたりしててさ。

井口:(山ほどのZINEを抱えて)あったよ。エーロンは来日するとき毎回ハンドキャリーで山ほどZINEを持ってきてくれるよね。ブックフェアの時はスーツケースにいっぱいだし。

アーロン:どのくらいだろう、去年の東京アートブックフェアにはUPSで100キロ以上は送ったかな。今年も11月に来日する予定だったけど、この状況だからキャンセルだよ。一緒に『グランドファーザーズ』行ったの覚えてる?

井口:ああ、渋谷のメロウなロックバーだね。エーロンすごく気に入ってたね、特にそこにあった大きな三角形の灰皿。後日ヤフオク!で中古品を見つけて送ったよね。

アーロン:そう、それ!ちょっと待ってて!(灰皿を取りに行く)今このバナナ型のやつならあるよ。三角形は家にあるけど、実はどっちも同じ会社。あと居酒屋も楽しかったなぁ。ヒロシは最高のガイドだよ。

井口:前回は僕らの友達で「innen」からZINEを出してる、ヤブノケンセイの家でホームパーティしたね。僕らの周りで日本人の友達がたくさんできたんじゃない?

アーロン:そうだね。あと今年は僕のギャラリーでヒロシと何か一緒にしたかったけど、これも延期かぁ。

井口:今年は難しかったけど、来年以降に実現したいな。

efflorescence / VIRGIL ABLOH™

アーロン:「オフ-ホワイト」のデザイナーで、今では「ルイ・ヴィトン」のメンズ アーティスティック・ディレクターを務めるヴァージル・アブローのZINE。彼のファッションが好きだし、一度ZINEを作ってみたらおもしろそうって思ったんだ。直接つながってないから、友達を通じてコンタクトしてね。彼のスタジオを撮影したエクスクルーシブな写真をまとめてる。

井口:彼の仕事を見ていると、普遍的な良いものをたくさん知ってる人だなと感じるね。4年前に1回だけパーティで会ったことがあるよ。たまたま僕のDJの次が彼でね、本人は覚えてないと思うけど(笑)。

アーロン:へー、知らなかった。クールじゃん!実はカルチャーを通じてコネクトしてることってよくあるよね。

アーロン・ファビアン
ハンガリー出身。グラフィックデザイナー、「innen」パブリッシャー兼編集長。2006年にスイスでインディペンデント出版社「innen 」を設立。現在はチューリッヒを拠点に、ZINEを通してアートや現代のトレンドについて型にはまらない視点を提供している。2010年には、厳選された現代アートの作品集『Zug Magazine(ツーク マガジン)』を創刊。2020年より井口弘史と「innen Japan」を立ち上げ、毎月1冊アーティストのZINEをリリース予定だ。
www.innenbooks.com

井口弘史
グラフィック・チームIlldozerを経て、2001年より自身の作品制作を主とする活動をスタートさせる。作品集として『CULT JAM』(BARTS),『BIG VALUE DUB』(innen),『Holes』(innen)をリリース。アーロン・ファビアンと立ち上げた「innen Japan」では、主にアーティストのキュレーションと編集を担当している。
hiroshiiguchi.com

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「日本の文化にダイブしたい」カールステン・ニコライとコスタス・ムルクディスが考えるカルチャー論 https://tokion.jp/2020/08/11/deep-dive-into-japanese-culture/ Tue, 11 Aug 2020 06:00:00 +0000 https://tokion.jp/?p=1693 長年の友人でありコラボレーター。公私ともに仲良しな2人が、25年前の出会いからコラボレーション、大好きな日本について語る。

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一緒に遊んで仕事もする。アルヴァ・ノト名義でも知られるミュージシャン兼アーティスト、カールステン・ニコライとファッションデザイナーのコスタス・ムルクディスの関係はまさにそれだ。25年来の友人でありコラボレーターの2人は、これまで「コスタス・ムルクディス」のアイテムやインスタレーションをはじめ、数々の作品を生み出してきた名コンビ。そんな彼らの話を聞くべく、対談の場を設けた。よく一緒に作業するというカールステンのスタジオにて、出会いから現在に至るまでのストーリーを紐解く。

――まずは2人の出会いから教えてください。

コスタス・ムルクディス(以下、コスタス):初めて出会ったのは1995年にミュンヘンのギャラリーで開催されたカールステンのオープニング。当時僕はミュンヘンに住んでいて、弟のアンドレアス(Andreas Murkudis)に誘われて行ったんだ。紹介したい人がいるって。

カールステン・ニコライ(以下、カールステン):アンドレアスはベルリンに住んでいたからもともと知ってたんだよ。

コスタス:オープニングのあと、「秘密の作品を見せたいから一緒に来て」と言って僕らを外に連れ出したよね。深夜の通りに停めていた車の中に、こっそりプライベートエキシビションを開催してたのは驚いたよ。

カールステン:あれは特別だったから。大きなドローイングが1枚だったよね?

コスタス:いや、たくさんあったと思うよ(笑)。

カールステン:あ、そうだっけ。覚えてないや。

コスタス:僕のほうがよく覚えてるね(笑)。カールステンはギャラリストに作品を見せることを躊躇してたし、ちょっと自信がなさそうだった。でも君の作品はとても美しくて、僕は大好きだったよ。翌年、自分の1stコレクションのあとにその作品をプレゼントしてくれたのを覚えてる。

――それから親交を深めていくことに。

カールステン:コスタスがベルリンへ移住してからますます仲良くなった。これといった特別なこともなく自然と。

コスタス:2人で会う時はアートや仕事、彼女や友達、政治とか日常の出来事を話す。そんな会話からアイデアが生まれるんだ。

カールステン:仕事仲間じゃなくて本当にプライベートな友達だから。長い付き合いになると毎日会う時期もあれば、仕事や旅行で3ヵ月以上会わない時期もある。でも戻ってきたら会おうってなるし、それまで何があったか近況を話すんだ。

コスタス:これはずっと続くと思うよ。少なくとも僕らが生きているうちはね。

自然な流れで始まった2人のコラボレーション

――コラボレーションはいつから始めたのですか?

コスタス:1997年に僕の2ndコレクションで手掛けたTシャツかな。カールステンとシンボルをデザインしてプリントしたんだ。

カールステン:初期はファッションで使用しないユニークな素材にプリントした作品が多かったよね。ペーパーテキスタイルのドレスとか。このスタジオでシルクスクリーンのテストプリントもしてた。僕にとって抽象的なペインティングを、コスタスは抽象的なデザインピースにする。でもウエアラブル。そんな感じでより実験的なファッションレーベルへと進化したんだ。それからモデルなしで作品をオブジェクトとして撮影したり、ファッションプレゼンテーションやインスタレーションで照明とサウンドを担当するようになった。

コスタス:2015年のミラノコレクションのこと覚えてる?このショーを見たファッションジャーナリストのルーク・リーチ(Luke Leitch)が、”音が大きすぎて会場にいる全員がビビってた。全員の耳がおかしくなった”みたいなこと書いてた。これを読んだときは思わず笑ったよ(笑)。素晴らしかったね。

カールステン:でも正直あれは言うほどラディカルじゃなかった。フランクフルト現代美術館でのインスタレーションのほうがよっぽどラディカルだったよ。普通のショーだとモデルがランウェイを歩いて10分で終わるけど、美術館のスペースは人の動きがなくていい。よりスカルプチュアなオブジェクトとして表現できる。

2人の目に映る日本の情景

――自他ともに認める親日家とのことですが、初めて日本を訪れたのはいつですか?

カールステン:1997年のコンサート。それ以降、最低年に2回は日本に行ってるよ。50回以降はカウントするのをやめたんだ。多いときは年に4~5回行くからね。日本にたくさん友達がいるんだけど、おもしろいことに東京の友達より僕と会ってるほうが多いって言われるんだ。

コスタス:僕も1997年。日本のバイヤーに招待されて秋に初来日したんだ。日本へ行くのは夢だったから、これは行くしかないと思って。イギリス人のCEOが案内してくれて一緒に渋谷へ行ったんだけど、当時はiPhoneもなければ英語のインフォメーションもない時代。地図とコンパスを持って2人でなんとか駅まで行ったのを覚えてる。そういえば、2017年の冬に初めて日本で合流したよね。カナダ大使館のイベントで坂本龍一とライヴパフォーマンスをしてた。イサム・ノグチの石庭があるところ。

カールステン:グレン・グールドのトリビュートコンサートだね。草月会館は素敵な会場だった。

――来日したら必ず訪れる場所はありますか?

カールステン:京都、特に日本庭園は必ず訪れる。いつも必ず行く日本庭園が2つあるんだ。大徳寺の高桐院と正伝寺。正伝寺は他の有名な観光名所と比べるとあまり知られてないんじゃないかな。初めて京都を訪れた時にすべての庭園を制覇しようと散策してて、龍安寺を目指して歩いていたら偶然見つけて。ゴルフコースの横にあるんだよ、もし道を間違えたらゴルフコースへ入ってしまう(笑)。

コスタス:それじゃゴルフクラブとシューズも持っていかないと(笑)。僕も京都は欠かせない。市場やヴィンテージショップでたくさん着物を買って、寺院や庭園を訪れてのんびり過ごすのが好き。

カールステン:東京は中目黒、恵比寿エリアが好きでいつも滞在してる。いい本屋があるし、雰囲気が好き。昔は今ほどファッションエリアじゃなかったし、いくつか好きなバーがあったんだ。名前を忘れたんだけど、もう移転したか閉店したと思う。東京はトリッキーだよ。好きなレストランやバーがあっても、流れが早すぎてすぐになくなってしまう。

コスタス:建物の移り変わりも激しいよね。

カールステン:本当に。あともし時間に余裕があれば、上野に行く。70年代の東京を感じられるんだ。「ワタリウム美術館」も外せない。日本で初めて開催した個展の会場だったし、オーナー達に会いたいからね。

コスタス:前にファッションジャーナリストの平川武治と電車で鎌倉へ行ったんだ。建物から風景、雰囲気までまさに黒澤明の映画のようでね。食事も寿司や刺身だけでなく、文化を感じられる郷土料理を堪能したよ。行ったことのない場所や見たことのないものに出合いたいと常に思っているんだ。そういえば、一度ニボ(カールステンのアシスタント)とマンガストアへ行ったよね。

カールステン:「まんだらけ」だね。

コスタス:そうそれ、素晴らしかった。ニボは中に入りたくなさそうだったけど、一緒に行こうって入ってさ(笑)。ヨーロッパと完全に異なる日本のカルチャー、オルタナティブなシーンが見れてよかったよ。

密かに計画している夢のドキュメンタリープロジェクト

――昨年「ジャム ホーム メイド」でコラボレーションアイテムをリリースしていたことが記憶に新しいです。今後もし日本を舞台にコラボレーションするとしたら、何をしたいですか?

カールステン:実はミュージアムと一緒にプロジェクトをしようとアプローチしてるところなんだ。僕らのアイデアは日本へ行って、伝統工芸などの技術や文化からインスピレーションを得るというもの。同時にドキュメンタリーを撮影するんだけど、単なるクラシックなドキュメンタリーとは違う。エキシビションというより実験的な映画を作るという感覚に近いかな。

コスタス:現場の人と一緒に働いたり会話をしたり、そんな過程を撮影する。文化的な会話のやりとりだね。映画でありパフォーマンスなんだ。

カールステン:日本へ初めて行ったとき、今まで見えなかったことが見えたと思う。アジア、特に日本とヨーロッパの間にはいつも”文化のフィードバックシステム”があるから。例えば日本のアーティストの中にはバウハウスに影響を受けている人もいるだろうし、バウハウスも日本の文化に大きな影響を受けている。この文化的なやりとりはずっと続くんだ。そうなると誰が一番最初だったのか、オリジナルの起源を考え始めると大変だけどね。でもこの”文化のフィードバックシステム”が示していると思う。

コスタス:まさにピンポンだよ。異なる文化を学ぶ、そしてそれを通して新しいものを生み出す。とても興味深いし、ある意味夢のシナリオだね。

カールステン:まだいろいろと考え中だけど、工芸や技術、テクノロジーについて、コスタスとニボがたくさんリサーチしてる。実現するなら長めに日本に滞在することになるだろうね。

コスタス:もちろん実現したいけど、現実的にできるかどうか、日本やドイツから支援してもらえるかどうか、いろいろと課題はある。でも僕らはただ日本へ行きたいだけじゃない。日本の文化にダイブしたいんだ。

カールステン・ニコライ
1965年、旧東ドイツ・カール=マルクス=シュタット(現ケムニッツ)生まれ。90年代後半にベルリンへ移住し、現在はベルリンとケムニッツを拠点としている。アーティストとして、インスタレーションやヴィジュアル作品を発表するほか、アルヴァ・ノト(Alva Noto)名義でミュージシャンとしても活動。池田亮司とのユニットであるCyclo.や坂本龍一とのコラボレーションを通じて、日本での知名度も高い。2016年には映画『レヴェナント:蘇えりし者』のサウンドトラックを手掛け、グラミー賞などにノミネートされた。

コスタス・ムルクディス
1959年、ドイツ・ドレスデン生まれ。ベルリン在住。1986年から1993年まで、「ヘルムート・ラング」のアシスタント・デザイナーを務め、1994年に自身のレーベル「コスタス・ムルクディス」を設立。1996年から2001年までパリでコレクションを発表した。「ニューヨークインダストリー」などファッションブランドのクリエイティヴ・ディレクターやコンサルタントとしても活躍。2016年より自身のレーベルにフォーカスし、革新的なテキスタイルやウエアラブルなアイテムを開発している。

Photography Ina Niehoff

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