デア・プランのモーリッツ・R®︎ × 小里誠対談 音楽が繋いだ40年間

初期電気グルーヴにも多大なる影響を与えたノイエ・ドイチェ・ヴェレの代表的バンド、デア・プラン。メインボーカルであり、アートディレクションも手掛けるモーリッツ・R®︎が、初のソロアルバム『思う存分(Nach Herzenslust)』をリリースした。自分なりの“自由へのオマージュ”と語る本作は、エキゾチカにフォルクスムジーク、アシッド・サイケにエクスペリメンタルと、摩訶不思議な脱力系ポップアルバムとなっている。そんなモーリッツが今回の対談相手に指名したのは、日本人ミュージシャンの小里誠。1980年代に謎のストレンジ・テクノポップ・ユニット、ピッキー・ピクニック(PICKY PICNIC)として活動し、デア・プランのレーベルAta Takからリリースしたことをきっかけに交流を続けてきた。が、実は2020年の来日公演まで2人は直接会ったことはないという。「当時はインターネットもなければビデオチャットもなかったから、いつも文通でさ」と語るモーリッツ。初めてお互いの音楽を聴いてから早40年、当時はなかったインターネットを通じてお互いの思いを語り始めた。

日本からドイツへ、海を越えたカセットテープと手紙

小里誠(以下、小里):僕と(ピッキー・ピクニックの)相方が初めて聴いたデア・プランのアルバムは、『Normalette Surprise』。当時はまだ高校生で、ジャーマン・ニューウェーヴというものを言葉として知らなくて。アヴァンギャルドなんだけどすごくポップ。CM音楽みたいにコンパクトにまとまっているんだけど、すごく毒とユーモアがある。そのセンスに惹かれて、こういう音楽を作りたいなって思ったんだ。それでカセットを作って、せっかくならデア・プランにも送ってみようという話になって、英語の手紙を添えてカセットを送ったのが最初だね。それが1982年。

モーリッツ R®️(以下、モーリッツ): 聴いてすぐに大好きになったよ。同じスピリットを感じたし、話し合いなんて必要なかった。僕等にとって、アメリカのレジデンツ、ドイツのデア・プラン、東京の ピッキー・ピクニック はみんな同志だから。ピッキー・ピクニックっていう名前もいいよね。でもPICNICにKを忘れてないかい? 意味は何だろ、気難しい人ってこと?

小里:当時は高校生だったから英語もよくわかってなくて、辞書を調べていたらピッキーは「騒がしい」って載っていたんだ。騒々しいピクニックって言葉の響きもいいし。じゃあこれでいいんじゃないって感じで決めた。デア・プランからおもしろいって返事をもらった時は、もう大喜びだったよ。ちょうどその頃日本のインディレーベルからレコーディングの話があって、1stアルバム『Ha! Ha! Tarachine』の制作をしてた。海外盤もリリースが決まったよね。もちろんオリジナル盤も含め、モーリッツにデザインしてもらって。

モーリッツ:当時はコンピューターグラフィックが目新しいもので、僕はコモドール64とコアラパッドを使ってた。初来日で感じた日本のイメージはモダンで電子的、コンピューターみたいな感じ。だから君達とコンピューターのイメージはとってもグラフィカルでぴったりだと思ったんだ。それでアートワークを送ったら、これにしようってなったんだよね。今見るとかなり低解像度だよ(笑)。

小里:そういえば、僕がピッキー・ピクニックのメンバーとデュッセルドルフのAta Takスタジオへ行った時、モーリッツは不在だったよね。

モーリッツ:当時はハンブルクに住んでたんだ。初めてちゃんと会って喋ったのは去年の来日ツアーだよね。

小里:それもあって僕の中でモーリッツのイメージは、ミステリアスでアーティスティックだった。

モーリッツ:君達のことはあまり知らなくてイメージが湧かなかったんだけど、手紙と一緒に写真を送ってくれたのは覚えてる。多分何かのワールドフェアを訪れていて、裸の女性が後ろに寝ているんだ。それが君達のイメージなんだよね。

小里:え、何だろ。全然覚えてない(笑)。

ついに初対面を果たした2020年の来日コンサート

小里:去年の来日で初めて会えたから、みんなで記念写真を撮ったよね。会場には僕の知ってるミュージシャンがたくさん集まってた。みんなデア・プラン好きだったんだなって思ったよ。

モーリッツ:最近の僕達のライヴって昔と違うだろ? 昔はビデオプロジェクションがなかった分、たくさんのマスクやダンボールをペイントした小道具とかを使ってた。あと、音楽よりもヴィジュアルにフォーカスしたかったから口パクだったしね。そもそもマスクをしてると歌えないし、もし音楽を聴きたかったらフロアでレコードをかければいい、なんてね。でも新しいツアーでは、初めて全曲歌ってるんだ。僕にとって大きなチャレンジで、これが昔との一番大きな違いだよ。

小里:1984年の初来日はパフォーマンスだけのライヴだったよね。人を食ったような、演奏をしないライヴ。デア・プランらしいよ。実は相方とそのライヴへ行ってたんだ。あの頃はWAVEが扱っているものに食いつく、新しい物好きのアートやファッション系の人たちもいたから、ああいうパフォーマンスをしたのは面白かったんじゃないかな。去年みたいなライヴをしてるってことはネットで見てて、その世界観も好きで、やっぱりこれなんだなと思ったよ。

モーリッツ:ピッキー・ピクニックはよくライブしてたの?

小里:いや、1回だけ。漫画家の玖保キリコがメンバーに加入してから、彼女が関わっている出版社のイベントが青山CAYであって、後にも先にも1回だけのライブをしたんだ。その時に会場のオブジェとして水着の女性2人に寝そべってもらったんだけど、さっき話してた写真はそれのことかな?

モーリッツ:いや、違うと思う。ちょっと待って、多分データがあるから送るよ。(Zoomで写真を送る)覚えてる?

小里:あ、これ相方がふざけて送ったやつだ(笑)。熱海の秘宝館に一緒に行った時の写真。モーリッツがまだ持ってることにびっくりしたよ(笑)。でもピッキー・ピクニックの世界観はこういうトリッキーでシュールで笑えるユーモアみたいなものだから、そこはデア・プランの世界観と同じだと思ってる。

モーリッツ:うん、僕もそう思うよ。アルバム『Cynical Hysteria World』の「It’s A Hysterical Place」って曲が大好きなんだ。ポルカみたいで、ディズニーランドのアトラクションみたいな、不思議な世界を通り抜ける感じ。やるなぁって思ったよ。半分ポップで半分は変でダークな世界、当時のアートで僕の好きな感じでさ。

小里:玖保キリコの漫画のイメージアルバムとして作ったんだ。子どもの世界を描いた漫画だから、遊園地は絶対必須で。

モーリッツ:遊園地といえば、1984年にメンバーと東京ディズニーランドへ行ったんだ。カリフォルニアの本家ディズニーランドにしかない「魅惑のチキルーム」が東京にはあってね。他のディズニーランドにはないんだけど、東京の方がよくてさ。あれは本当に感動した。

モーリッツ:初来日した時に、日本文化にハマったんだ。ホテルでTVのコマーシャルを見て、これってまさにデア・プランじゃん! って。あと忘れちゃいけないのが、ロボットだね。キデイランドで恐竜ロボットを買ったんだ。もう動かなくなっちゃったけど、かっこいいだろ? 最高なのは、頭の中に金色のパイロットがいること。説明書にこのパイロットは人形で、僕等の起源を思い出させるものって書いてあるんだ。子どものおもちゃなのに、変だなった思ったよ(笑)。

小里:はは、すごいね。

モーリッツ:正直古い日本文化はよく知らないけど、モダンな日本文化は好きだよ。建築、デザイン、ポップカルチャーとか。日本の音楽を流してるBlue Heron Radioはよく聴いてるし、歌舞伎の音楽も好き。おもしろいんだけど、1960〜70年代の西洋人って日本人は僕等のカルチャーをコピーしてるだけと言ってたんだ。でもそれって完全に違うよね。伝統的な日本文化は本当にリッチだと思うし、ロボットとかモダンな文化にも影響を与えてる。

小里:興味の幅が広いね。新譜の話にも繋がるんだけど、モーリッツの作る作品や音楽は常に大陸を越えたエキゾチックな感じが漂ってる。1つのカルチャーではないというイメージ。それがデア・プランの魅力の1つでもあるし、ソロ作品にも感じたよ。

モーリッツ:ロックンロールをはじめ、アメリカ文化は無視できないけど、自分の住む地域の伝統的なカルチャーに繋がりたかった。だからデア・プランを始めた時、僕等は英語ではなくドイツ語で歌いたかったんだ。日本もそうだろうし、ピッキー・ピクニックもそうだったと思う。もちろんアメリカ文化はそこにあるし、自分も影響も受けたけど、でもまだ自分自身でオリジナルなものを作り上げるように心がけているんだ。アメリカが自分達のカルチャーからアートを生み出したように、自分のカルチャーから音楽を生み出したい。それはデア・プランや僕の音楽から感じ取れると思うよ。そこが僕等の似ているところだよね。

小里:常にいろんなカルチャーを見据えつつ、オリジナルなものを作る点においては同じだと思う。余談だけど、ピッキー・ピクニックを活動停止してから、オリジナル・ラブやザ・コレクターズっていうロックバンドのベーシストとして活動してたんだ。そっちはもう王道のロックン・ロール・スタイル。そういう音楽を中に入って演奏することで、よりピッキー・ピクニックを始めた当初にどういう音楽にインスピレーションを感じて、感銘して、自分で作ろうと思ったのかという点が逆によく見えるようになった。この経験が自分をおもしろがれる要素になったのかもしれない。ソロユニットのFrancisは自分がやりたいものに近くなってる。

モーリッツ:ちなみに僕の息子の名前、フランツっていうんだ。Francisのドイツ語版だね。2006年生まれだよ。

小里:はは、Francisを始めたのは1994年。実は今年、27年ぶりにアルバムを発表するんだ。ところで、なんで今回ソロアルバムを出すことになったの?

モーリッツ:他のメンバーもソロでリリースしてたし、デア・プランの未使用の歌詞や音楽がたくさんあって。ロックダウン中に自宅で作業してたらソロアルバムができたんだ。ソロの利点は何をしたいのか誰にも聞かなくていいってこと。すべての決定は自分でする、それを楽しんでるんだよね。「シルバーのマンタ(Silberner Manta)」と「暗かった(Dunkel Wars)」はデア・プランで発表した曲で、他にはフランク・ザッパのカバーもある。ちなみに「週末と晴天(Wochenend und Sonnenschein)」は、3歳の時に初めて聴いたレコードをカバーした。1920年代にドイツで人気だった曲なんだ。今作はとてもパーソナルでコンセプチュアル。だからタイトルは『思う存分』。

小里:曲が多いことにびっくりしたよ。でもモーリッツらしい、ちょっとこう異国的な雰囲気が常にあって、そこが好きだね。アートワークもおもしろいよ。

モーリッツ:よく見てみると、2つの顔の間にゴムが見えるだろ? マスクが僕の本当の顔で、僕の顔がマスクってこと。

小里:これもデア・プランの世界観だよね(笑)。パフォーマンスでマスクを付けたり外したりするし。

モーリッツ:前のアルバム制作時にメンバーと話してたんだ。僕等も年をとったし、マスクみたいにこの年老いた顔を撮ろうぜって(笑)。

モーリッツ・R®︎
1955年ドイツ・ハレ生まれ、ベルリン在住。本名はモーリッツ・ライヒェルト。1980年代のノイエ・ドイチェ・ヴェレを代表するバンド、デア・プランのメイン・ヴォーカルを担当。アーティストとしても才能を発揮し、同バンドのアートディレクションも手掛けている。2020年2月、デア・プランとして36年ぶりとなる来日を果たし、2021年には自身初となるソロアルバム『思う存分(Nach Herzenslust)』を発表した。www.moritz-r.de

小里誠
1965年神奈川県生まれ。高校時代の友人とストレンジ・テクノポップ・ユニット、ピッキー・ピクニックを結成。1985年にデア・プラン主宰のレーベルAta Takよりアルバム『Ha! Ha! Tarachine!』を発表し、音楽キャリアをスタートした。ザ・レッドカーテン(現オリジナル・ラブ)やザ・コレクターズのベーシストを経て、2015年よりソロで再始動。1994年よりソロユニットFrancisとしても活動し、田島ハルコとのコラボユニット「ハルコとフランシス」名義で2枚のミニアルバムを発表。今年、新作ソロアルバムをリリース予定。www.orimakoto.com

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山根裕紀子

エディター、ライター/『RISIKO』編集長 広島県生まれ。2012年よりベルリンへ移住。主にファッションやカルチャー誌を中心に企画、取材、執筆をしている。今年、ドイツのアンダーグラウンドな音楽シーンの”今”を紹介するインディペンデントマガジン『RISIKO(リジコ)』を創刊。「WALL(壁)」をテーマとした創刊号では、クラウトロック、ノイエ・ドイチェ・ヴェレ、ハンブルガー・シューレ、 そして現代を生きるドイツ在住のミュージシャン30組 をピックアップ。彼らの言葉から今のシーンを紐解く。 www.yukikoyamane.com   Instagram:@risikomagazine

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