ランウェイのために地球を10周 ストリートフォトの先駆けアダム・カッツ・シンディングがコロナ禍の今考える、新たな写真哲学

デンマーク・コペンハーゲンを拠点とするフォトグラファーのアダム・カッツ・シンディングは世界中のファッション・ウィークでストリートスナップやバックステージを撮影し続けてきた。写真にはファッション・ウィーク期間中の高揚感や、来場者の一瞬の表情が切り取られているが、どの作品にも“今”が写り込んでいる。“今”という瞬間に宿るジャーナリスティックな視点の写真は単なるスナップと異なり、アダムは若手ストリート・フォトグラファーの先駆けとなった。

以後、「ルイ・ヴィトン」や「トム・フォード」などのラグジュアリーブランドをクライアントに持ち、2018年には自身初となるフォトブック『This Is Not A F*cking Street Style Book』を刊行。「ルイ・ヴィトン」メンズラインのアーティスティック・ディレクターを務めるヴァージル・アブローはアダムとの対談で「君の写真は僕の周りやファッション業界で起こっていることを気付かせてくれる」と言及した。

これまでのアダムは、年間平均の在宅日数がわずか30日程度で、昨年は地球10周以上の距離を飛び回ったというジェットセッターだ。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を受け、ヨーロッパの中でも早期にロックダウンを始めたデンマークで、自宅待機を余儀なくされたフォトグラファーの目には今、何が映っているのか。ファッションのリアルを切り取るストリート・フォトグラファーの心理に迫る。

父から受け継いだカメラをきっかけに写真に目覚める

ーーフォトグラファーとしてのキャリアをスタートしたきっかけは?

アダム・カッツ・シンディング(以下、アダム):11歳の時に父を亡くしてから形見のカメラでよく遊ぶようになった。僕がシアトルのホテルで働いていた頃にカメラ好きの同僚と写真を撮り始めた。当時のデジタルカメラの最新機種「ニコンD70」を購入して建築物を撮影していた。ある時、光のテストで友人を撮影した時の写真が、完璧に彼の人間性を捉えていると感じてから、人物を撮るようになった。仕事中のランチタイムを使って、街の人達を撮影していた。僕にとって写真はいつでも娯楽だよ。

ーープロのフォトグラファーになった経緯は?

アダム:2010年の年末にニューヨークへ引っ越して、翌年2月のニューヨーク・ファッション・ウィークで撮影を始めた。リンカーンセンターに行くと、トミー・トンやビル・カニンガム、スコット・シューマンらストーリート・フォトグラファーが大勢いて、めちゃくちゃワクワクしたよ! ストリートでは同時にあらゆることが起きるから熱狂的に走り回って撮影していたね。

ーー約10年で、ストリート・ファトグラファーの世界は変わりましたか?

アダム:フォトグラファーが急増して、ショー会場の入り口に大勢が群がるようになった。インスタグラムが世界中に広まったのもこの頃で、多くのフォトグラファーがフォロワー獲得のため、著名人にフォローしてもらえるよう必死になっていた。今は飽和状態で、同じ服装の人物をインスタグラムで500枚は見つけることができるから、ユーザーも退屈だと思う。僕は相変わらず、ただ好きだから撮り続けてるけれど。

2018年に発売した『This Is Not A F*cking Street Style Book』
「ルイ・ヴィトン」メンズ アーティスティック・ディレクターのヴァージル・アブローもアダムの写真を称賛

フォトブックを発表した理由は“1つの芸しかできない子馬”ではないことの証明

ーー2018年に初のフォトブック、2019年に第2弾を出版したが、それぞれどんな想いを込めましたか?

アダム:初めてのフォトブックは完成までに18ヶ月もかかって、悪夢のようだった……。でも、新しい発見も多かったね。細部までこだわり続けて、普通なら狂人になってしまうほどストレスな作業だったと思う。担当してくれたメンドの編集者が僕を大嫌いだとしても不思議じゃない(笑)。

フォトブックの目的は経験してきたことの集大成。ストリート・フォトグラファーではなく、ポートレートやバックステージなどフォッション・ウィークのあらゆる側面を撮影するフォトグラファーであることを示したかった。だから、世界中のファッション・ウィークへ向かう最中に撮ったオブジェクトや風景など、シアトルで撮影していた頃のような写真も並べて“1つの芸しかできない子馬”ではないことを証明したんだ。

ーー対談ではヴァージル・アブローが「洋服はいつか捨てられるか処分されるが、写真はずっと残るもの」と写真を賞賛していました。フォトブックにまとめることで写真が残り続けるとしたら、ドキュメンタルに“今”を切り取るスタイルの写真は、将来どんな意味を持ちますか?

アダム:僕にとって写真は日記のようなもの。いつも自分のために撮影しているし、それはこれからも変わらない。学生時代の写真を見て、歳を取ったと感じたり、変な格好をしていたと笑える瞬間が面白い。タイムカプセルみたいなものさ。それに、僕の写真を見て楽しんでくれるのは何よりも素晴らしいこと。写真を見た人が自由に感じてくれればいいので、特別な役割を与えたいとは思っていないね。

ーー「トム フォード」のキャンペーン・ヴィジュアルの撮影で感じたことは?

アダム:スタジオ撮影は全くの別物。環境をコントロールできる状況は難しくもある。僕の場合は環境を合わせるのではなく、環境に自分を合わせて撮影しているからね。例えば、バックステージで5分という制限時間ならば、手持ちのポケットライトで対応するしかない。スタジオは対極だから。写真には満足しているし、演出することも得意だと感じたけれど、商業的な撮影ばかりでは純粋な楽しみを忘れてしまいそうになる。とはいえ、スキルアップのためにもっと広告の仕事をしたいとは思っているよ。

「トム フォード」2020年春夏 キャンペーンヴィジュアル
「トム フォード」2018-19年秋冬 キャンペーンヴィジュアル

ーー世界を飛び回るジェットセッターですが、昨年はどれくらい移動しましたか?

アダム:飛行時間は380時間、距離にして264,164マイル(地球約10.5周分)だね。今年はまだ、たったの52時間で33,459マイルだ。

ーー出費が大変なのでは?

アダム:若い頃は恐ろしかった……。マイナーな都市のファッション・ウィークではフライトからホテル、食事までを運営側がカバーしてくれることがあるけれど、レタッチャーやアシスタントへの支払いが必要だから厳しかったよ。それでも続けられたのは、旅行をすることも好きだからなんだ。

日本は正真正銘の“本物”が揃う国

ーー日本に来たことはありますか?

アダム:ファッション・ウィークで2回、「リステア」でのブックサイン会で1回。東京と京都どちらも素晴らしかった! 残念なことは僕のサイズに合う洋服が見つけられないこと(笑)。みんな礼儀正しいし、ホスピタリティは他に類を見ない。すべてが100万ドルの価値があると思った。全体を通して正真正銘の本物が揃い、素晴らしい文化に満ちていると感じるよ。

ーー日本のストリートファッションはどのように映りましたか?

アダム:期待していた“この世の物とは思えない”ようなスタイルは見られなかった。原宿も退屈に見えた。観光名所ではないスポットに行ってみたいね。

ーー日本で撮影するとしたら何を被写体にしますか?

アダム:2週間くらい東京を隅々まで探索して風景を撮りたい。もう一度、京都に、大阪にも行ってみたいね! 自転車で日本を縦断した人の写真を見た時の素晴らしい景色が忘れられなくて、日本縦断が夢になった。ファッション・ウィークで日本に行けるチャンスがあれば最高だね。

新型コロナショックの中で見出した人生の新たな視点

ーーコペンハーゲンを拠点にしているのはなぜですか?

アダム:一度でもコペンハーゲンに来たことがあればわかるよ。故郷のワシントン州とも環境が似ている。唯一恋しいのは山だけど、ノルウェーとスウェーデンも海を渡ればすぐだし。最近は新型コロナウイルスの影響で自宅にいるよ。この数ヶ月で人生の見方が広がった。

ーー具体的に何でしょうか?

アダム:ここ8年間で1ヶ月以上、同じ場所に留まることがなかったんだ。今は10kgの減量に成功したし、日課になった食品の買い出しや充実した睡眠時間は、シンプルだけど何年も味わっていなかった贅沢ということを再認識したよ。

ーーポスト・コロナショックの世界で、ファッション・ウィークやフォトグラファーはどう変わると思いますか?

アダム:今後は何をしたら良いか、何が起こるか予測不可能の恐怖心がある。しばらくはファッション・ウィークのゲストは減るだろう。でも、状況が改善されて渡航が許される時が来たら、すぐにでも撮影を始めたい。

ーー今後の展望は?

アダム:必然的に軽い気持ちで旅へ出ることは少なくなるだろう。そして、より安定した生活を維持できるように、必要最低限の収入で地に足のついた“リアルライフ”に時間をかけるつもりだ。

アダム・カッツ・シンディング
1983年、アメリカ・サンフランシスコ生まれ。父親の形見のカメラを譲り受けたことがフォトグラファーのルーツ。パリで半年間過ごしたことでファッションに目覚める。2007年、シアトルのストリートで写真を撮り始め、自身のウェブサイト『Le21eme』を設立。同年、ニューヨークに拠点を移し、本格的に活動をスタート。2018年に初のフォトブック『This Is Not A F*cking Street Style Book』を発表しファッション業界人らを中心に高い評価を得る。クライアントには「ルイ ヴィトン」などのラグジュアリーブランドから、「ヴォーグ」といったメディアまで名を連ねる。

Picture Provided Adam Katz Sinding

author:

井上エリ

1989年大阪府出身、パリ在住ジャーナリスト。12歳の時に母親と行ったヨーロッパ旅行で海外生活に憧れを抱き、武庫川女子大学卒業後に渡米。ニューヨークでファッションジャーナリスト、コーディネーターとして経験を積む。ファッションに携わるほどにヨーロッパの服飾文化や歴史に強く惹かれ、2016年から拠点をパリに移す。現在は各都市のコレクション取材やデザイナーのインタビューの他、ライフスタイルやカルチャー、政治に関する執筆を手掛ける。

この記事を共有