ブレグジットが影を落とすイギリスのファッション業界のゆくえ

イギリスのEU離脱問題(ブレグジット)が切迫してきた。新型コロナウイルスの影響で影を潜めていたものの、移行期間終了の12月末が刻々と迫っている。イギリスがブレグジットを決定したのは2016年6月23日の国民投票で、EUとの厳しい交渉とイギリス国内での激しい論争を経て、3年7カ月後の2020年1月31日、ついに離脱が実現し移行期間に突入した。

イギリスの報道によると、ブレグジット当日の離脱派は新年を迎えたかのようで、盛大なお祭り騒ぎだったという。離脱派の市民団体「Leave Means Leave」はロンドンのウエストミンスター宮殿前の広場を会場にして、ユニオンジャックを盛大に掲揚し、巨大スクリーンには、EUの前身である欧州共同体加盟から離脱にいたるまで、47年におよぶ歴史をまとめた映像が流れた。離脱派は切望した新時代の幕開けに歓喜する一方、残留派の支持媒体は、保守党が販売したEU離脱記念グッズを「ダサい」「ガラクタに金を使うな」と辛辣に批判。ブレグジットの1週間前に開催された、残留派団体の統括組織「Grassroots for Europe」のカンファレンスでは「残留派の勢いは失われていない」と主張した。残留派のドミニク・グリーブ元法務長官が「イギリスとヨーロッパが保ってきた、オープンな協力姿勢や民主主義、法の支配といった価値を、世論はいつか尊重する側に傾くだろう」とスピーチすると、スタンディングオベーションが起こった。ブレグジットに揺れていた状況が落ち着いた現状、今後は“どのように経済の舵取りをするか”が議論の焦点となる。

貿易問題により影響を受けるであろうアパレル企業

 ブレグジットによる生活の変化は、政治権限に始まり、市民権や移民、金融まで枚挙にいとまがないが、ファッション業界は貿易と労働問題に大きく関係する。イギリスとEUの自由貿易協定(FTA)締結の交渉には多くの時間が費やされることになるだろう。イギリスのファッションブランドの多くが残留の意思を示したことは貿易問題が起因している。イギリスのアパレル企業のEU依存は、衣料品輸出先の80%をEUが占めている現状を見ても明らか。イギリスはEU離脱後も関税ゼロといった利益を維持したいものの、EUは“いいとこ取り”への警戒を強めている。

今後、イギリスは貿易において税関審査や検疫手続きが必要になることで管理費、さらに原材料およびコンポーネントの追加関税により、価格に影響が出ることを危惧している。衣服やアクセサリーなどの多くはEU諸国や中国での生産がメインなので、輸入時や国内出荷の通関手続きの費用が重なり、生産コストの高騰は避けられない。特に、通関で必要になる原産地申告は、サプライチェーンが複数にまたがる衣料品などの製品では、証明するのが困難な場合がある。ノルウェーを例にすると、関税同盟ではない特定の商品供給者は、商品の経済的起源を証明するという厳密な規定をクリアする代わりに、関税を支払うことがある。

非売品の国外移動についても複雑化するはずだ。例えば撮影のために洋服のサンプルをイギリスからEUへ送る場合も、単なる小包では済まず、より多くの費用と時間を要することになる。パリでショーを開催している「ステラ マッカートニー」「アレキサンダー・マックイーン」を始め、各社が運営するショールームも大陸間でのやりとりが複雑になることは必至だ。ブレグジット直後の為替変動により、「ポンド安により観光客が増え、決算でも有利に働いた」と「バーバリー」バイスプレジデントのアンドリュー・ロバーツはフランスのウェブメディア「Fashion Network」に語ったが、新型コロナウイルスの影響で観光客が減少することを考えると、この恩恵は一時的といえる。

移民規制による労働力の問題が顕在化

ブレグジットによりイギリス国民は国外への自由な移動や就労に規制が引かれ、外国人がイギリス国内で働くハードルが高くなる。現在、イギリス政府は推計350万人のEU諸国出身者に対して、少なくとも12月末までに引き続き労働権利を確保するための登録を呼び掛けている。来年以降は新たな入国管理制度の導入により、高度な技能者を受け入れながら、未熟練労働者の流入を制限できるのだが、英国ファッション協議会は、ファッションに携わる労働者の不足により、生産能力の低下を懸念している。マーケティング会社「Fashion Roundtable」がイギリスの製造企業50社を対象に行った調査によると、移民規制により全体の80%のポストに空席が生まれ、そのうちの4分の3以上が国内に補填できるほどの十分なスキルを持ったスタッフがいないと示した。製造業に関わる企業や英国ファッション協議会は、国内労働力の向上について政府との協力姿勢を表明しているものの準備状況については不安が残る。ブレグジット後、ラグジュアリーブランドに関係する伝統工芸などの文化的財産を失う可能性もある。移民規制の強化に学生が含まれるか否かは不透明で、優れた人材を排出してきた名門校「セントラル・セント・マーチンズ」への影響も避けられない。

 6月上旬にイギリスはEU理事会のシャルル・ミシェル議長らとビデオ会議で会談を行ったが、貿易交渉に進展は見られなかった。現時点で、イギリスはEU離脱に基づく移行期間終了後の21年1月1日からの半年間、EUからの輸入手続きを簡素化する決定をしいる。輸入通関申告手続きの猶予を最長6カ月間までとし、関税の支払いも通関申告時まで繰り越すことが可能で、7月以降はEU非加盟国からの輸入と同様の通関手続きを要求される見込みだ。47年間続いた制度を放棄して、正確に舵取りを行えるパワーが今のイギリスにあるだろうか。コンセプチュアルなものづくりや若手のエネルギッシュなクリエイションなど、イギリス独自のカルチャーはどのように後世に引き継がれていくのだろうか。

author:

井上エリ

1989年大阪府出身、パリ在住ジャーナリスト。12歳の時に母親と行ったヨーロッパ旅行で海外生活に憧れを抱き、武庫川女子大学卒業後に渡米。ニューヨークでファッションジャーナリスト、コーディネーターとして経験を積む。ファッションに携わるほどにヨーロッパの服飾文化や歴史に強く惹かれ、2016年から拠点をパリに移す。現在は各都市のコレクション取材やデザイナーのインタビューの他、ライフスタイルやカルチャー、政治に関する執筆を手掛ける。

この記事を共有