本当のオーセンティックに立ち返り、無意味を追求する Dos Monosインタビュー -前編-

まず余計な話から始めさせていただきたい。ロシアの作曲家、イーゴリ・ストラヴィンスキーが、ロシア・バレエ団を主宰していたセルゲイ・ディアギレフの要請を受け、後にストラヴィンスキー初期三大バレエ音楽と呼ばれるようになる「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」を創ったのは1910~13年、28~31歳という若さの時だった。その中でも今なお、とりわけ話や議題に上がるのが「春の祭典」である。なぜか。
「火の鳥」「ペトルーシュカ」も「春の祭典」同様に、原子主義という生命力への憧れを表現している点で共通するものの、比較的、甘美とされていた音楽から大幅なズレはなく、当時の観衆から熱烈な喝采を博すほどに好評だった。それに対して「春の祭典」は、現代音楽家の故・柴田南雄の『クラシック名曲 ベスト151』(1996年、講談社文庫)によると、「辛辣な音楽」「スコアの書き方は無骨」「洗練されたオーケストレーションではない」「(それらは)彼の若さからきている部分もある」「ことに拍子とリズムの面で、ひじょうに独特の手法をとっている」と肯定的に記している。しかし当時、「火の鳥」「ペトルーシュカ」の公演を観た人は驚いたのだろう。「春の祭典」は騒動になるほどに酷評を浴びたと言われている。
Dos Monosのインタビュー記事なのに、なぜストラヴィンスキーの話と思われるかもしれないが、先日リリースされたアルバム『Dos Siki』のトラック1が「春の祭典(The Rite of Spring)」をもじった「The Rite of Spring Monkey(春の猿の祭典)」だったからである。
『Dos Siki』のリリース前に彼らは、「火の鳥」「ペトルーシュカ」のように2つのシングル曲/伏線を用意していた。

軽やかなビートの上で、悲しみや悦び、絶望といった人間の基本的感情を、絵画を通して伝えようとしたマーク・ロスコから荘子itのバースが始まり、おそらく彼ら自身が創造の悦びを得て、何も気にせず、これから突っ走っていこうという気概と意志がうかがえる没のライムで締め括られる「Rojo(スペイン語で「赤」を指す。正しい読み方は、コロナ禍で自粛生活を強いられた現状を指して、“ロジョ=籠城”ではなく“ロホ=朗報”とのこと)」。

乱れたものこそ美だと言い切り、それを携え、アリとキリギリスのアリのように逞しく、地道にディストピア(ライムの途中で現れる「アルカトラズ」は、脱獄の物語であるクリント・イーストウッド主演、ドン・シーゲル監督作の『アルカトラズからの脱出』(1979)を指していると思われる)を抜け出そうと試みることがテーマだと考えられる、マーチのようにもとれる「Fable Now」。

この2曲の間に台湾のデジタル政策担当大臣、オードリー・タンのインタビュー音源がビートに織り交ぜられた「Civil Rap Song ft. Audrey Tang 唐鳳」が発表され、台湾のテレビもニュースとして取り上げるほど話題となった。しかし、これは黒鳥社を主宰する若林恵の計らいの元で行われた企画だったため、スピンオフと考えるのが筋だろう。
ヒップホップのビートは、至極一般的にはドラム音、上物と呼ばれるメロディ、ベースのループで構成されている。「Rojo」「Fable Now」もDos Monos印と言える奇妙な異音が乗っかっているものの、基本ルールに(一応は)基づいている。しかし、『Dos Siki』に収録されている4曲はいずれも大胆な展開を見せる上に、非常に緻密なのだ。それらはビートメイカーによるビートというよりも、荘子itというコンダクターがサンプリング並びにPCソフトを駆使し、ホーンやストリングス、ギター、キーボード、ドラム、はたまたインダストリアルのセクションを召喚させ、DAW(デジタルオーディオワークステーション、音楽制作用のPCソフト)という舞台にそれらを立たせたアグレッシブなオーケストレーションだと例えたほうが正しい気がした。そのくらいさまざまな要素が重ねられ、見え隠れする。
『Dos Siki』を一聴して思い出したのは、菊地成孔率いる大所帯バンド、DC/PRGがSIMI LABとコラボレートした時のこと(2012年にリリースされた『SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA』に収録)だった。そのぶ厚さ、野太さ、アグレッションのような脅威に近しいものをDos Monosは、たった3人で形にしてしまった。
DC/PRGの音楽(特にライヴ)には聴く人の足元をおぼつかなくさせるズレ、そこからの急激な整頓と盛り上がりによって観客を興奮させる構成の美がある。間違いなく、その土台には菊地が書いたスコアがあり、そこに日本のジャズのトッププレイヤー達が即興で塗り足しをしている。一方、荘子itの場合は、おそらく感覚的にやってのけている。洗練されているというよりも無骨だ。
以上をまとめると、冒頭に記したストラヴィンスキーが「春の祭典」に至るまでの流れと、音楽性も扱われ方も当然違えど、奇しくも重なる。Dos Monosの3人が20代半ばと、まだまだ若いという点においても。残すは大騒動くらいだろう。
『Dos Siki』の“Siki”は「四季」のことだと彼らは言っているが、筆者は「士気」や「式」、または「指揮」という意味も含まれているのではないかと、勝手に思っている。彼らの語り口は、ヒップホップで定められてしまったことを変えてやろうというやる気と自信に満ちあふれているように感じた。Dos Monos、最近退屈だから(安全な)騒ぎを起こしてくれ。

「曖昧に蓋してきたような何かを解き明かすため続けてくジャーニー」
―『Dos Siki』の終曲「Mammoth vs. Dos Monos」、TaiTanのリリックより

ヒップホップへの目覚め、削ぎ落しの挑戦

ーーまずは平凡な質問からしますが、制作を終えて今、どのような心境ですか?

没:録音はかなり前に終わってて、ミックス、マスタリングを経た完成版が届いたのはついこのあいだ(インタビューは7/24のリリース1週間前に行われた。ちなみにこの時点で筆者は音源を聴いていないので、悪しからず)。ようやく客観的に聴けるようになりましたけど、でもむっちゃ良いなって思ってます。

ーーファーストも完成度は高かったと、いちリスナーとしては思っているんですが、前回と今回とで、何か感覚的な差異というのはあったのでしょうか?

荘子it:前回は僕が大学生の時に作り続けていたヒップホップのビートが元になっているんです。その頃、ようやくヒップホップを好きになったというか、マッドリブとかJディラとかを聴いて、これはアリだなと思って表現手法として取り入れていたんです。さらに振り返ると、高校生の時はプログレやジャズが好きだったんで、打ち込みをし始めた頃はフランク・ザッパが晩年にリリースした『Jazz from Hell』っていうオールインストのアルバムのような感じを目指していました。つまり、大所帯バンドの編成を打ち込みでやるっていうことにトライしていたんです。でも、段々と収拾がつかなくなって、実験的なことばかりやっていてもしょうがない、と。それで、今の時代に多くの人が聴いている音楽の構造に自分のイマジネーションを落とし込めないかなって考えて、マッドリブがザッパをサンプル(『Rock Konducta, Pt.2』に収録されている「Stürmischer」)で使っていたし、それと似たようなアプローチでサン・ラなど、自分が好んで聴いていた音楽をネタで使うところから出発しました。それには、単にヒップホップのビートにすれば、それほど実験的なことに興味のない多くの音楽ファンにも響くだろうという魂胆もあったのですが、個人的な愉しみとしては、抜きやすいブレイクのある音楽とかじゃなく、例えばザッパもそうですし、晩年のギル・エヴァンスやマイルスのビッグバンドやオーネット・コールマンのフリージャズみたいな、音数が多くて単音を抜き出しにくいタイプの音楽から、いかにビートにして気持ちいい一瞬を抜き出すか、言うなれば、巨匠たちの録音物に残された無意識みたいなものを掘り当てて、いかに脱構築するかにやりがいを感じてました。
そういった流れで大学時代にビートを大量に作っていたんですけど、卒業間近くらいになって世に出したいっていう気持ちが湧いて。でも、ラップなんかしたことないし、ラッパーの友達もいなかったけど1人でやるのもつまらないなっていうのと、何人かいたほうが声色が変わって良いだろうっていうことで、中高の同級生だったTaiTanと没を誘ったのが、まず結成の経緯です。当時、TaiTanはヒップホップを聴いたことすらなかったんで聴かせるところから始めて、没は音楽のディグり仲間だったんでスムーズでしたけど。すみません、長々と話してしまいましたが。

ーーいえいえ。

荘子it:遅く目覚めた分、大二病を発症して、1ループだけで続く音楽ってなんて格好いいんだろう、って思っていた時期に作っていたのが『Dos City』のビートなんで、どこを切り取っても同じようになるのを狙ったというか。多少の展開はあるものの、自分の元の資質から言うと、あえて展開を削ぎ落していったものだったんです。

『Dos City』のトラック2、「20XX」

荘子it:『Dos City』のリリースと、その後の活動を経て、段々と展開が変わっていく、本来の自分が好きな方向性に解放していったのが今回。1曲の中での展開が多いんですが、そっちに挑戦したというよりかは、ループの音楽が逆に自分にとっての挑戦だったんです。アルバム全体の尺が前は35分で今回は15分と短くなったんですけど、ループが走ってる音楽ではなく、常に操作し続けている音楽なんで、受け取る情報量は前回と同等以上だと思っています。

ーーということは、トラックの構成、流れがまずあり、そこからリリックを作って足していったわけですね。

荘子it:そうですね。

ーーなるほど。では、4曲もすでにでき上がった段階で2人に渡した、と。

荘子it:後で付け足した展開もあるんですが、基本的にはそうですね。

ーーそれはコンセプトも然りですか?

荘子it:四季で4曲、春夏秋冬でやろうっていうくらいですね。自分1人でやってると作り込み過ぎちゃうんで、あえてボヤッとしたテーマを与えて、2人から返ってきた変なワードセンスを拾い、徐々に1曲を別の方向に逸らしていくというか。コードとテーマだけ与えてセッションするジャズ的な作り方というか。

没:前回はアルバムにするとも決めずに曲単位で作り、それをまとめて、コンセプトを後付けしたんです。今回はこのタイミングにこういうアルバムを出すぞ、って荘子itが決めてくれていたので、終わった感覚はかなり違いますね。

一番影響を受けたのはAbleton Liveのアーキテクチャー

『Dos Siki』のトラック1、「The Rite of Spring Monkey」

ーー今回、DAWとして荘子itさんが使われているAbleton Liveの画面を掲載した広告も話題になりましたけど、音楽を制作し始めた当初からそれをお使いなんですか?

荘子it:中学2年生の時にエレキギターで音楽を作り始めたんですけど、ギターの音をPCに録音するために、オーディオインターフェースっていう機材が必要で、それを買うとオマケでAbleton Liveのデモバージョンがくっついてくるんです。他にもいくつかソフトをインストールするためのディスクがついてきたんですけど、たまたま最初に取り込んだのがAbleton Liveだったんですよ。それで使ってみたら、録音ボタンが表示されてるから用途は満たせそうだなっていうのがまずわかって、さらにいろいろと見ていたら余計な機能がいっぱいあるぞ、と。
なんかシンセとかいろいろとあるっぽいけど、説明書もないし。しょうがないからポチポチやってると音が出てくる、みたいなところから始まって、そこから10何年の付き合いですね。Ableton Liveでバンドのデモとかを作ってたんですけど、進学校に通ってたんで高校2年生くらいでみんな、バンド辞めちゃうんですよ。一方の僕は勉強がとにかく嫌いでまったくしていなくて、成績はビリから2番目くらい。なので、高3の時も1人でAbleton Liveを使って曲を作っていたんです。

ーーでは、たまたまというかAbleton Live自体にこだわりはない、と。

荘子it:でも今思うと、Ableton Liveで良かったですね。DAWソフトっていろいろあるじゃないですか。広告掲載したのはアレンジメントビューっていうやつで、他のソフトと同じ横軸構造なんですけど、セッションビューっていうもう一種類の画面があって。

ーークリップがつけられるやつですね。

荘子it:そうです。サンプラーみたいに無限にループのクリップを貯め込めるやつで、ずっとそっちで作ってたんですよ。ただ、フレーズは貯め込めるけど、これでどうやって曲作ればいいんだろう、と思いながら(つまり、そのフレーズを組み合わせるには横軸での操作が必要で、当初存在を知らなかった)。でも、その時期があって良かったと思っていて、ループを組み合わる感じがヒップホップの作り方に向いていることが後でわかるんです。最初から横軸で作ってしまうと、展開を意識した作りになってしまうし。

ーー確かに、横軸で作り始めるとある程度、設計しながらになると思うけど、例えば速さの違うループをひたすら組み合わせていくと、ズレたり、どこかで予期せぬことが起きることがありますよね。

荘子it: 最初にコードをジャーンって弾いて、意図的に他の音を組み合わせたりするんじゃなくて、何も考えずに、とにかく耳だけを頼りに音を重ねたり、探っていったりすると、学理的にも離れたことができるし、細部1つひとつ取っても新しいことができる。なので、Ableton Liveにかなり助けられましたね。誰々に影響受けたとかよく言ってるけど、本当に一番影響を受けたのはAbleton Liveのアーキテクチャー。

ーー愛がありますね。Ableton Liveってその名の通り、ラップトップでライヴをやるためのツールであって、ループされているトラックの抜き差しで展開をつけていくっていうことが基本的な使い方だと思うんですよ。でも、そうではない使い方をされているわけですよね。

荘子it:そうですね。もともとはテクノとかのライヴに特化しているものだと思うんですが、そうとは知らず、Ableton Liveを使ってプログレを目指すっていう。

トライブ不明の人達がうじゃうじゃしている東京

『Dos Siki』のトラック2、「Aquarius (Ft. Injury Reserve)」

ーーそういった手法がDos Monosらしさにつながっているような気がするんです。僕の勝手なDos Monosの印象を言ってしまうと、むちゃくちゃ東京っぽいなって思うんですよ。いろんな表徴っていうものが織り交ぜられていて、それが出たり入ったりする。Dos Monosの音楽を聴いていると自分の所在がわからなくなるんですよね。何を聴かされているんだろうっていう、そこが良さというかおもしろさだというのを痛感しているんです。話を続けると、実は最初「ウワッ」って思ったんです。

荘子it:はいはい。

ーーでも、そのファーストインプレッションってこちら側のスタンスの問題で、ヒップホップを聴くっていう姿勢で聴こうとすると、なかなか聴きづらかった。そこから頭を切り替えて、例えば、Oval、Mouse on Mars、Animal Collectiveなどの、1990~2000年代くらいの賑やかで滑稽なエレクトロニカとか、そういうところに頭を切り替えると、これはおもしろいと。見え隠れするものが多いし、どこにいるのかわからないけど、ただただ身体が動く感覚がそれらと近かった。さらに、それをヒップホップの枠で捉えると、これまで当然なかったし、そこがおもしろい部分だっていう納得ができて、ようやくちゃんと聴けるようになったんです。当人たちの意識がどういうものなのかというのは気になるものの、そもそも意図なんてない方がよくて、みなさんがフィジカルにやってるからこそいいんじゃないかと。

荘子it:たぶん結構当たっていて、今言った固有名詞も好きな音楽ドストライクだし、わけわからないところに放り込まれている感じっていうのは僕自身が、作り手として感じているというか、感じようとしているところですね。自分の既知の行動理論に則ったフレーズを、僕はまったく打ち込まないんですよ。とにかくザッピング的に変な音を出して、そこに合う音をひねり出して重ねていく。重ね過ぎるから、そこから削ぎ落す試行錯誤をしているうちに、フレーズ、曲になりそうなものができあがる。そういう作り方しかしていなくて、そうじゃないとおもしろいものが作れないんですよね。
都会的って言ってましたけど、一般にはその言葉って洗練されたきれいなイメージだと思うんですよ。だけど、ホントの都会はわけのわからない人達がいろんな行動原理で生きているから。隣にいるやつがどういうトライブに属しているのかもわからないまま、空気感だけ合わせてコミュニケーションを取っている。バンド活動をしていた時も、ライヴハウスに出たりするといろんな文化圏のやつがいて、そういった中で揉まれて生きてきたし。さっき言った勉強に関しても、学校のテストの時もとにかく問題文の単語とか公理・公式のレベルで知らないから、無理矢理自分の脳内で成立させて解答をひねり出して間違える、みたいな。

ーー(笑)。

荘子it:何においても、こっちの手札がない状態で闇雲に立ち向かっていくことを、ひたすらにやってきたっていうのが大きいかもしれないですね。そういうスタイルだと、なんとか形にしようとしていくうちにズレてしまう。それを後で作品化する。俺らの音楽は、そういうふうに生まれたものでもありますね。

Dos Monos
東京都出身の3MCから成るヒップホップクルー。中核、ブレイン、メインのビートメイカーである荘子itが中学、高校の同級生だったTaiTan、没を誘い、2015年に結成。デビュー前にSUMMER SONICに出演し、その後、JPEGMafiaなどが所属しているLAのヒップホップレーベル、Deathbomb Arcと契約。海外公演などを経て、2019年3月にファーストアルバム『Dos City』、2020年7月にセカンドアルバム(ボリューム的にはEPだが、当人たちはアルバムと語る)『Dos Siki』をリリースした。

author:

大隅祐輔

福島県福島市生まれ。編集者・ライター。武蔵野美術大学 芸術文化学科を卒業した後、いくつかのメディアを経て、2016年にフリーに。ライフワークとしてテクノとアンビエントを作っており、現在、アルバム制作中。好きな画家はセザンヌとモネ。

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