本当のオーセンティックに立ち返り、無意味を追求する Dos Monosインタビュー -後編-

——話が戻ってしまうんですが広告について、あれはAbleton Live本国(ドイツ)の合意の下っていう話だったと思うんですが、どういう流れだったんですか?

TaiTan:大きい会社なんでダマでやると揉めると思って、こういう企画をやりたいんですっていうのを連絡してみたんです。それでまずジャパンのほうに連絡をして、そこを経由して本国にも許可をもらって。僕らが関係の深いDeathbomb Arcにも良かったらどこかに貼ってくださいって言っていたんですけど、コロナの影響で海外での掲載はなくなっちゃいましたね。本国の許可があったので、全世界で同じことをやっても問題なかったんですが。

没:俺、見に行けてないんだけど。荘子itは見た?

荘子it:俺も実物は見てない。

Taitan:でも、結構報告をくれる人はいたね。

——今、リミックスはどのくらい参加されているんですか?

荘子it:7、8人くらいですかね。

TaiTan:不思議な人があげてたね。

荘子it:ただのシネフィルだと思ってた、映画のつぶやきしかしてなかった人がいきなりDos Monosのリミックス作りましたってあげてて。お前マジか!って。

——掲載の意図は、クラブミュージックを発信する中心地とされていた、グラフィティも多い場所の中に、コンピュータライズされた画面が置かれているっていう、そういった違和感を演出したかったということでしょうか?

荘子it:そうですね。金はないけど、少しでもアルバムのPRになるようなものができたらと思っていて。それでみんなで打ち合わせをした時に、TaiTanからすぐ「荘子itのPC画面を出しちゃえば良いじゃん」っていうアイデアが出て、始めはビジュアルだけのつもりだったんですが、後でリミックスを付け足しました。
実は、自分で誰かの曲をリミックスするのはいいんですけど、人からリミックスされるのは、作り手としてのエゴとプライドがあってわりと嫌だったんです。でも発想の転換で、あえて雑に、原曲を完全には真似できない不充分な情報だけを与えてやったらおもしろいんじゃないか、と。そうすれば、俺達の原曲の価値を安売りすることにもならない。実際に出した後に公式でリミックスをお願いするんじゃなくて、勝手にみんなにやってもらい、その差を楽しむっていうやり方だったらおもしろいかなって。

——なるほど。興味深かったですよ。単なるDAWの画面がアートピースにも見えるっていうか、広告掲載枠がタブローっぽくも見えるというか。それが街中に置かれるっていうおもしろさもあるし。あのリミックスは特にまとめるつもりはない? 単なる遊びとして捉えてしまっていいんですかね?

荘子it:曲調は全然違うけど、BPMはみんな同じなんで、原曲のラップを乗せた状態で出せたらおもしろいなとは思っています。

ホントの意味での無意味を突き詰めることが目的

『Dos Siki』のトラック3、「Estrus」

——話が逸れますが、みなさんの原動力って何だという素朴なことをお聞きしたくて。おそらく多くのラッパー達は、嫉妬心やコンプレックス、あるいは憎悪、メイクマネーしたいっていう欲望とか、そういうものをバネにして言葉にしてるとは思うんですよ。Dos Monosの場合って、主張やアジテーションって特にはないのかなと思っていて。先ほどの広告の話然りですけど、いうなれば実験的なことをしたい、構造を改革したいんだっていう気持ちがあるかなと個人的には考えていて、かつ伝えるためには、荘子itさんがおっしゃっていたヘンテコな音楽ではなくて、ポップでなければいけないっていう意識もボトムにあるのかな、と。何を目的として、何をやりたくて3人で音楽を作っているのか、というのをお聞きしたいんです。

荘子it:勉強に挫折してからは、いかに勉強をしないかっていうことだけが原動力だったんで(笑)。勉強の次にしなきゃいけないことは仕事ですかね。そういった、当然するべきことを如何にしないようにするかっていう。それまでと言ってしまえばそれまでですけど。父親から「好きなことをしたいなら、やるべきことをやれ」って言われ続けてきたんですが、やるべきことってなんだって。やるべきことなんてこの世に存在しないだろうって思っていて。この世にやるべきことがないっていうことを証明するためだけに活動していると言っても過言ではないですね。
それを言ってしまうと、みんな、まあそうだよね、で終わらせちゃうんです。でも、そういうやつはわかってないんですよ。それは心のどこかで、何かに縛られて生きているから、気休めでまあそうだよね、って思うんだろうけど、そういうことじゃなくて、酸いも甘いも嚙み分けて、ホントの意味での無意味を突き詰めたいっていうのがありますね。一見、意味あり気なこともしますけど、それはあるメタレベルでは意味のあることなんだけど、最終的には無意味であることを明らかにするための行動です。

――なるほど。それは音楽に限らず、芸術全般に言えることでしょうけどね。

荘子it:ドゥルーズは芸術にはなんの情報も含まれていないって言ってましたけど、それを言っちゃうと、はいはい、そうだよねってなっちゃうんですよ。デュシャンでもなんでもいいんですけど、芸術なんて所詮ゲームや遊びだから、っていう結論に1回達している。でも、それが思想として波及することってメジャーにはなってないんですよね、いつまで経っても。無意味が好きな哲学者や芸術家がそれを愛でているだけ。美術館に行けば芸術ってそういうものって教えられるんだけど、たまにあるポップな強度をもっている表現だけが、大衆レベルで実現するっていうか。ニルヴァーナとかむっちゃ無意味ですよね。リア充からキョロ充まで、皆まとめて無意味にしちゃう感じがある。Dos Monosの音楽って言ってもそこそこポップじゃないですか。

——そうですね。

荘子it:でも、それは狙ってそうしているわけではないんですよ。自分の音楽遍歴を振り返ると結構不思議で。それはおそらく、自分の身体に他者が内面化していて、人の目を気にしていないつもりでも人の目を気にしているから。言い換えれば、人が気持ち良いだろうと思うものを、自分も気持ちいいと思い始めているんですよね。身体と心が分離しているっていうか、作曲中の心の中では実験精神があふれているんだけど、DAWに入力してスピーカーから返ってくる音は意外とチャラいっていう。そういうところがDos Monosらしさになっているような気がしますね。

——おそらく多くのリスナーは、みなさんのことを奇妙だとか奇才だっていう形容をしたがるけど、僕はよくまとまっているなと思うんです。異系で非凡ていうのは確かだけれども、これはさっきも言った通り、ヒップホップの形式で考えるからこそ、“奇”というワードを用いざるを得ない。

荘子it:ある程度、回数を重ねれば聴きやすい音楽の構造になっているとは思います。さっき言った通り、思想より身体が勝っている音楽なんで。結構赤ちゃんとか好きだと思うし。

——ではTaiTanさん、没さんもお願いします。

没:俺は楽しいからやってるだけですね。

荘子it:没はそうかもね。楽しくないとやりたがらないもんね。

没:でも、荘子itがさっき言ったことも、俺は全然考えてなかったけど、確かになって。俺の親父も同じようなこと言ってきてたから。それだけなわけねーだろともずっと思ってたし。ただ、それを原動力にしてるかって言われるとわからないけど。音楽が一番楽しいからやっているだけですね。その前にイデオロギーがくることってあるのかな。パンクの人達とか、楽しいからやってるだけだと思う。

TaiTan:よく聞く話ですけど、自分で見たいもの聴きたいものがなかったから自分達で作ったって言う人がいるじゃないですか。僕はそれに近いと思いますね。自分が心地いいと思うビートが荘子itのものだったっていうのがデカい。その主体となるのであれば、そんな幸福なことはないと。だから、没とニアリーイコールだと思います。もうちょっと原体験みたいなところから言うと、カウンターとして生まれてくるもの、つまり社会に対するリアクションとして生まれてくる表現が好きなんですね、ずっと。Dos Monosの音楽は趣向っていう点においても必然性があると思っているから、ずっと続けられそうな気がしています。

没:俺は生まれ出たものというよりもプロセス自体が楽しいからやっているけど、まあ似てる。

荘子it:TaiTanは結果主義だからね。

没:でもそうなると、意味が生まれちゃうじゃん。

荘子it:意味のあることはダメっていうわけではなく、やりたいことで結果を出すのにやりがいを見出すっていうのはあると思う。

TaiTan:そこが難しいよね。ある種、道楽的に生き甲斐を求めて音楽をやってる以上、当たり前過ぎるけど、その道楽をメンバー3人や協力してくれる仲間がストレスなくいろいろな人に聴いてもらうための回路を用意したり、制作費を調達したり、こういう取材を仕込んでもらう必要があると。現状、その役割を担うのが僕に偏りがちなのですが、あくまでDos Monosとしての本来の目的を叶えるためなので、苦じゃないですね。

誰よりもヒップホップらしいことをやっている自覚と自負

『Dos Siki』のトラック4、「Mammoth vs. Dos Monos」

荘子it:好きでやっているアングラな音楽を売れるようにしていくのは不純なようでいて、むしろそこに接続させようとすることが音楽のおもしろさにも通じると思うんです。それこそ、サンプリングによるヒップホップの音楽だって、元の作曲者が意図していなかった、必然性をもっていなかったものをつなげるおもしろさが絶対にあるわけだし。それは、ある視点からすれば不純かもしれないけれども、Dos Monosの音楽を不純だと言うハイソな人はそんなにいないと思うんですよ。一部いてほしいですけど、ジャズ使ってあんな音楽作りやがって! みたいな人が。

——僕は最初許せなかったですよ(笑)

Dos Monos:ハハハハハ!

荘子it:趣味のいい音楽愛好家からすると、それが自然かもしれないですね。

——「Fable Now」に使われているファラオ・サンダースのラッパの音とか、入れ方が大胆過ぎて、あれは聴く人が聴いたら怒りに繋がるんじゃないかなと思いますね(笑)。

Dos Monos:フフフ。

——でも、その不純さこそがサンプリングの醍醐味だとも思うし、みんながやっていなかったことを思い切ってやっちゃおうっていう、勢い、潔さが“らしさ”だと思うんですね。元々のルールというかムードというか、そういうものに縛られ過ぎているところから背を向けて逃走を図るっていう。Dos Monosのことをある程度理解できてからは、スタンスが軽やかで鮮やかだって常々思わされてますよ。

没:俺はDos Monosを客観的に聴けるから言うけど、他の人たちよりもヒップホップらしいことをやってるって思うんですよね、ホントの意味で。確立されたオーセンティックなものがあるけど、それより前のアフリカ・バンバータとかに立ち返るとキモいじゃん。

荘子it:全然ヒップホップじゃねーじゃんって感じするよね。クラフトワークかけてその上にラップするとか、どこがヒップホップなんですか! って(笑)。子孫まで返るとそうだよね。

没:ニューウェーブ的にやってる感じだよね。

荘子it:ラスト・ポエッツとかもそうだしね。

没:そうそう。ポコポコ鳴ってる自由なリズムの上でラップしてるだけ。

荘子it:バッドテイストなところがね。

没:バッドテイストなのかな? それが良いと思ってるんじゃないの?

荘子it:趣味が悪いけど、気持ち良いものっていう意味ね。

没:そういうことね。

荘子it:B級グルメみたいなね。フレンチシェフには怒られるけど、これが美味いんじゃっていう。

没;そうね。最初の人たちがそこまで考えてたかは知らないけど。まあ俺はホントのヒップホップをやってるって思ってるから、くやしいところあります。ヘッズの人たちに聴いて欲しいのに、全然聴いてくれないから。

荘子it:それこそが大問題で、自分たちがオーセンティックだと思っているものがオーセンティックじゃない問題ってあって。どんだけ偉そうなのって感じなんですけど(笑)。それを分かってもらうために僕らは活動しているんで。

なんて余計なお世話って感じ(笑)。

没:っていうか、荘子itの真の目的を明かすことってこれまでなかったよね。

荘子it:本当の目的だからね。そう簡単には言えないよ。

——そんなことを書いても大丈夫ですか?

荘子it:大丈夫ですよ。また次の真の目的を考えておきます。

Dos Monos
東京都出身の3MCから成るヒップホップクルー。中核、ブレイン、メインのビートメイカーである荘子itが中学、高校の同級生だったTaiTan、没を誘い、2015年に結成。デビュー前にSUMMER SONICに出演し、その後、JPEGMafiaなどが所属しているLAのヒップホップレーベル、Deathbomb Arcと契約。海外公演などを経て、2019年3月にファーストアルバム『Dos City』、2020年7月にセカンドアルバム(ボリューム的にはEPだが、当人たちはアルバムと語る)『Dos Siki』をリリースした。

author:

大隅祐輔

福島県福島市生まれ。編集者・ライター。武蔵野美術大学 芸術文化学科を卒業した後、いくつかのメディアを経て、2016年にフリーに。ライフワークとしてテクノとアンビエントを作っており、現在、アルバム制作中。好きな画家はセザンヌとモネ。

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