連載「ソーシャル時代のアジア映画漫遊」Vol.1 タイの兼好法師、ナワポン監督作品の日本劇場公開を待ちながら

動画サイトや動画配信サービスの普及によって、アジア映画は以前と比べて、各段に視聴しやすくなった。この環境を活用せずに、チャパグリ、バインミー、そしてガパオライスを楽しんでいるのに、この環境を活用せず、映像を楽しまず、ましてや食わず嫌いしているのはもったいないのでないだろうか。そこで、東南アジア地域研究者の坂川直也によるこの連載では、彼が気になるアジア映画の作品や文化を取り上げ、時々日本とアジアの情勢を比較しながら、紹介していく。連載1回目はタイ映画から。BLドラマもアツいタイでは、日本の映画祭に愛されながらも、未だに劇場公開の機会に恵まれない気鋭監督がいる。

日本で劇場公開のないタイのツイていない監督、ナワポン

今年劇場公開され話題になっている、キム・ボラ監督『はちどり』(2018年)、オム・ユナ監督『マルモイ ことばあつめ』(2019年)、そして城定秀夫監督『アルプススタンドのはしの方』(2020年)。これら3本は、3月に開催された第15回「大阪アジアン映画祭(OAFF2020)」で上映された作品でという共通点を持っている。映画祭を評価する基準はさまざまだが、その基準の中には、上映作品から劇場公開された作品の割合(映画祭出塁率)、さらに、上映作品からヒットもしくは大ヒットした割合(映画祭打率)も含まれる。そして、これら映画祭出塁率、映画祭打率の高さでは、大阪アジアン映画祭(OAFF)は日本でも有数の映画祭と呼べるだろう。
そんなOAFF2020上映作の中で、グランプリ(最優秀作品賞)を受賞したのが、タイのナワポン・タムロンラタナリット監督『ハッピー・オールド・イヤー』(2019年)である。ナワポン監督の作品はOAFFや「東京国際映画祭(TIFF)」からも注目され、新作が制作されるたびに日本で上映されてきた。しかし、残念ながら、これまで1本も日本での劇場公開には至らなかった。今回、このナワポン監督について、ツイてなさをキーワードに紹介したい。ツイてなさはナワポン監督作の主人公達に共通する資質でもある。
まずは、ナワポン監督の長編を制作年順に書き出してみる。

劇映画『36のシーン』(2012年 / TIFF2014)
劇映画『マリー・イズ・ハッピー』( 2013年 / TIFF2013)
ドキュメンタリー映画『あの店長』(2014年 / OAFF2016)
劇映画『フリーランス』(2015年 / OAFF2016)
劇映画『ダイ・トゥモロー』(2017年 / OAFF2018)
ドキュメンタリー映画『BNK48:Girls Don’t Cry』(2018年 / TIFF2018)
劇映画『ハッピー・オールド・イヤー』(2019年 / OAFF2020)

まず注目したいのは、ナワポン監督の映画制作年である。2013年タイ反政府デモ、2014年5月のタイ軍事クーデターから始まる軍政下(2019年3月民政移管に向けた総選挙で名目上は終結)で創作活動を続けてきた。最近の「とっとこハム太郎」がシンボルに用いられた、民主化を求める学生による反政府デモの報道にあるように、未だに安定からはほど遠い。つまり「表現の自由」が制限される2014年以降のタイ社会で映画を作る環境はツイていないとしか言いいようがない。もっとも、ナワポン監督に限らず、タイで創作活動する人々、特に若者がツイてないとも言えるのだが……。

2つ目の注目点は、7本中、2本のタイトルで“ハッピー”が用いられている点である。『マリー・イズ・ハッピー』の英語タイトルでは2回も繰り返されている。ナワポン監督作を大枠で捉えると、ツイてないが愛すべき主人公達がハッピーになろうと自分なりに悪戦苦闘するコメディといえる。主人公の悪戦苦闘により、にじみ出る笑いとペーソスが彼の作品の魅力で、その作品は不自由な時代を生きる(ツイてない)観客に送る、監督からのエールでありアンセムである。

続いて、制作順に作品を紹介する。『36のシーン』は長編デビュー作にして、2012年「釜山国際映画祭」ニューカレント賞受賞作。映画のロケーションマネージャーの女性が、アートディレクターの男性ウムと現場で出会い、好意を抱く。彼女は映画に必要な情報をデジタルカメラに記録していく。2年後、ウムは転職。彼女のPCは壊れ、写真のデータが消失してしまう。その中には、ウムを撮影した写真も含まれていた……。ありふれたラブストーリーなのだが、タイトルにある36のシーンで構成され、すべてのシーンは長回しのシークエンスショットで撮られている。監督へのインタビューで、「この作品は1枚1枚写真を撮っていく方法で、それが36枚ワンロールのフィルムになっています」(東京国際映画祭2014年インタビューより)と語り、さらに「今回のような手法は、大手の制作会社ではやらせてもらえない、インディーズだからこそできる手法。でも実験映画であっても観やすい映画にしたいと思っていました」と答えている。ナワポンは「実験的なインディーズ映画を敬遠する人や普通の人にも楽しく観てもらいたい、若い人にも観てもらいたい」という願いを持った監督であることがうかがえる。

第2作『マリー・イズ・ハッピー』は、卒業を間近に控えた高校3年生マリーが主人公のガーリームービー。マリーが友人のスリと協力して、卒業アルバムを制作するという、青春モノなのだが、中盤、唐突に登場人物にツイてない不幸が訪れて、映画の雰囲気が一変する。偶然かもしれないが、『マリー・イズ・ハッピー』がタイで公開された2013年11月に起きた、タイ反政府デモ下の重い雰囲気とも重なる。『36のシーン』が36枚ワンロールのカメラフィルムの構造に基づくなら、『マリー・イズ・ハッピー』はTwitterの導入に挑戦した。つまり矢継ぎ早に、マリーの400通を超えるツイートの文字画面を挿入しながら、映画が進行するという構成が取られている。後半、転調するものの、基本は緩やかなテンポの中に、ツイート画面という不規則なリズムを刻むことで、グルーヴを創り出している。

第3作『あの店長』は、最も売れたタイ映画『愛しのゴースト』(2013年)のバンジョン・ピサヤタナクーン監督をはじめ、タイのニューウェーヴを牽引した映画人達に影響を与えた、海賊版ビデオ店を振り返る、異色のドキュメンタリー。1990年代のバンコクにおいては、ミニシアターもなく、海外のアートフィルムを観るのは困難を極めた。国外のレアな映画に飢えていた、タイのシネフィル達の映画愛を満たしたのは、迷路のような市場に開店した海賊版ビデオ店だった。タランティーノ、ウォン・カーウァイ、岩井俊二、北野武、Jホラーなどの作品を海賊版で観て吸収し、1997年から始まるタイのニューウェーヴムーブメントを準備した。つまり、あの店長の海賊版ビデオ店がなければ、タイのニューウェーヴは大幅に遅れた可能性があるのだ。シネフィルに関する傑作映画の1つだと思う。

第4作『フリーランス』は、フリーランスのグラフィックデザイナー、ユンが仕事漬けの過労により、身体のあちらこちらに発疹ができ、皮膚科で診察を受けた女医に恋するというラブコメディ。タイ語の原題は「病気になるな、休むな、医者を愛するな」。『フリーランス』はタイのメジャー映画会社、GTHによる配給で、人気俳優をキャスティングしている。例えば、女医役をタビカ・ホーン(『愛しのゴースト』にも出演)が演じている。『フリーランス』はユンが考えていることがナレーションとして挿入されるのだが、ナレーションと映像の関係性や間が絶妙。監督はインタビューで、「映画ですけれども、北野武監督の間の取り方にちょっと似ていますよ」(銀幕閑話インタビューより)と述べている。話が進むにつれ、ユンは仕事でヤバい状況へと追い込まれるにもかかわらず、黒い笑いが起きる。「悲劇と喜劇なんて、背中合わせみたいなもの」という点で、北野武の映画に似ているかもしれない。

第5作『ダイ・トゥモロー』は、ナワポン監督が2012年から2016年までの新聞記事の見出しに触発されて、人生の最後の日を描いた6つのエピソードからなるアンソロジー。亡くなる当人達、ライバル、そして友人役などのさまざま視点から俳優が演じるフィクションパート、人々に死について問うインタビューパートによって構成されている。喪失と死はナワポン監督の作品に通底するテーマで、しかも、これまでも身の回りのことについて掘り下げてきたのだが、『ダイ・トゥモロー』で、死について観客に問いかけると同時に、生についても考えさせる作品へと到達し、『徒然草』の兼好法師に近づく。

「死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」
『徒然草』第155段より

第6作『BNK48:Girls Don’t Cry』は、AKB48の姉妹グループとして2017年にバンコクで結成され、大人気アイドルグループに急成長を遂げたBNK48のドキュメンタリー作品。監督が「単なるアイドル映画ではなく、青春映画にしたかった」と語るように、作品の大部分は一期生メンバーの26人の1人ひとりへの1年をかけたインタビューで構成されている。そのインタビューでAKB48の選抜総選挙システムに戸惑い、苦しみ、涙を流す少女達の素顔と本音に迫り、アイドルの実像を浮かび上がらせる。監督によれば、タイトルの「泣かないで」には「しっかりして」と「がっかりすることないよ」の2つの意味を込めたそうだ。ラストショットが素晴らしい。

7作品目にしてついに日本劇場公開となるか!?

第7作『ハッピー・オールド・イヤー』は娘である主人公がモノであふれてかえっている自宅をオフィスにリフォームするため、近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』に則って断捨離を試みる映画である。しかし、家を出て行った夫との思い出が残る家具を捨てたくない母親と対立、自身も友人や元カレから借りパクしているもののせいで、断捨離が進まない。そこで、元カレを含め、私物を返却する作業を開始するのだった。第7作にして、さらに『徒然草』との親和性が高まる。

「よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心を止めけんとはかなし」
『徒然草』第140段より

もっとも、ナワポン監督の場合、『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(2017年)の主演女優チュティモン・ジョンジャルーンスックジンに、断捨離とは物質的なものを捨てることにとどまらず、思い出まで捨て去ることだと気付き、悩む主人公ジーンを演じさせ、断捨離の割り切れない葛藤を丹念に映し出している。親との確執、感情場面や感情演技の省略で逆に感情を観客に想像させる演出、俳優の顔のクローズアップなど、デビュー作『36のシーン』と同じく「思い出」にまつわる映画でありながら、1回り2回りも成熟した映画に仕上がっている。さらに、ナワポン監督がツイていたのはチュティモンが『バッド・ジーニアス』を上回る、素晴らしい演技を披露していることで、『ハッピー・オールド・イヤー』はナワポン監督作品である同時に、チュティモンにとっての代表作でもあるのだ。

これまでナワポン監督の作品は日本での劇場公開というツキに恵まれて来なかったが、『ハッピー・オールド・イヤー』は、日本で初めての劇場公開が大いに期待できる。さらに、ツイてないが愛すべき主人公達による、身の回りのことについてのペーソスがにじみ出るコメディかつ、タイの『徒然草』でもある、ナワポン監督の作品は、新型コロナウイルスの感染拡大で、不自由な時代を生きる(ツイてない)日本の観客にもさまざまな恵みとハッピーを与えてくれると思う。日本の劇場公開後の反響をいちファンとして楽しみに待っている。

ナワポン・タムロンラタナリット | นวพล ธำรงรัตนฤทธิ์
1984年タイ生まれ。監督、脚本家。名門チュラロンコン大学在学中に実験的な短編映画やドキュメンタリー映画の制作を始める。また、上映会イベントを主催する、タイの映画・ビデオアクティビストグループ「サード・クラス・シチズン」の共同設立者(2008年設立)。大ヒットラブコメ映画『バンコク・トラフィック・ラブ・ストーリー』(2009年・京都国際映画祭2019で上映)、タイの映画会社GTHの設立7周年記念オムニバス映画『セブン・サムシング』(2012年)の脚本家の1人でもある。
https://twitter.com/ter_nawapol

Pictures provided OSAKA ASIAN FILM FESTIVAL

author:

坂川直也

東南アジア地域研究者。京都大学東南アジア地域研究研究所連携研究員。ベトナムを中心に、東南アジア圏の映画史を研究・調査している。近年のベトナム娯楽映画の復活をはじめ、ヒーローアクション映画からプロパガンダアニメーションまで多岐にわたるジャンルを研究領域とする一方、映画における“人民”の表象についても関心を寄せる。

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