ファッションを愛していただけの人間が、世界へコレクションを発表するまでの軌跡 「クオン」が見せたビジネスストーリー

自分の「好き」をビジネスにしていく

2016年、世界へ出ることを目標に2人の人間が東京でファッションブランドを設立する。
1人は、ファッション界で必要な専門教育を受けたわけでもなく、業界での経験を積み重ねたファッションビジネスのプロでもない。法律の世界で生き、ファッションを消費者として愛する1人の人間だった。かたやもう1人は、パタンナーとしてテーラーやパリコレクションにも参加する「kolor」で研鑽を積んできたファッションのプロフェッショナルだが、デザイナーとしての経験はゼロだった。

その2人が出会い、始まったブランド「クオン」は、設立から5年の時を経て国内外合わせておよそ40店舗のセレクトショップと取引し、今年9月には神宮前にフラッグシップショップをオープンさせるまでに成長した。その足跡を見る限り、まったく接点がないように見える2人。彼らはどこでどう出会い「クオン」を設立し、ブランドの成長を実現させてきたのか。

「クオン」設立以前へと時間は遡る。創業者である藤原新は法律の世界で働き、週末になれば好きなショップへ通い、友人達と大好きなファッションを楽しむ日々が続いていた。そんな藤原にとって、当時最も刺激的なショップが「時しらず」だった。「時しらず」は2002年に代官山でオープンしたセレクトショップで、モードとストリートのミックススタイルを時代に先んじて提案した先端的なショップだった。

「時しらず」で友人達とファッションを楽しみ、一方で法律に携わる仕事をこなす日々を通じて、藤原にある思いが芽生える。
「法律に携わる仕事をしていて、悪いことをしていると悪いことが返ってきて、良いことをしていると良いことが返ってくることを実感しました。そのことがすべてではありませんが、法律だけではなく、社会に貢献できること、ソーシャルビジネスをやりたいと考えるようになりました」(藤原)。

藤原は余暇の時間を使い、新たなビジネス、中でもソーシャルビジネスをやりたいと思うようになる。
「最初はファッションをやりたかったわけではないんですよね。ソーシャルビジネスをやりたかったんです」(藤原)。

しかし、法律に携わる仕事をこなしながら余暇の時間を削ってエネルギーを注ぎ込むとなると、何をすべきかと悩む。考えた末に1つの結論へたどり着く。それは好きなことをビジネスにするという選択だった。そうなれば、藤原が選ぶものは1つしかない。大好きなファッションを通じてソーシャルビジネスを実現させる。その始まりとして自身初めてのブランド「1sin(イッシン)」を立ち上げ、ファッションビジネスの世界へと足を踏み入れる。この時、藤原は30歳を越えていた。

キャップからスタートした初めてのブランドが生んだ出会い

2011年、「1sin」初のシーズンはキャップ3型からスタートする。ファッション業界未経験の藤原がキャップのサンプルを準備するために力となったのは、「時しらず」の設立者でありディレクターでもあった市之瀬智博だった。

現在は「クオン」チームに参加する市之瀬だが、ある日、「時しらず」の顧客でもあった藤原からブランド設立の相談を受ける。ファッションブランドをやることの困難さを知る市之瀬は、当初その相談にはやめたほうがいいと答えていたが、藤原の思いを感じ取り生産背景を紹介してサポートする。サンプルを準備できた藤原は、「1sin」を卸すショップを開拓する必要があった。通常ならここで展示会を開催するのがファッション業界の商習慣だが、藤原は非常に泥臭くアナログな行動を起こす。キャップのサンプルを持って各地のショップへ、直接営業に赴いたのだ。

ショップを訪れた藤原はスタッフに、まずは名刺を渡す。しかし、その名刺は法律家としての名刺。その名刺を見たスタッフは、どのショップでも最初は話を聞いてくれるのだが、会話が進むうちに違和感に気付く。
「え、君は服屋なの?」。

法律家だと思っていた人物が、実はブランドの営業だと判明すると、たいていのショップはそこで話を打ち切るのだが、藤原の持参したキャップに興味を持ち、卸の取引を決めるショップが現れた。驚くことに、ファッション業界未経験の人間が30歳を越えて初めて立ち上げたブランドは、卸先ショップを決めてしまったのだ。

ビジネスに限った話ではないが、結果を出す人間は周りから見たら時に泥臭く、その行動を起こすにはためらいと勇気が必要と思わせる大胆さを見せる。それらの行動が必ずしも結果に結びつくわけではない。だが、結果を出す人間は自らを大胆な行動へ駆り立てる勇気の持ち主であり、藤原はその1人だった。「1sin」はスタートから3年目には利益が出るようになり、年間売上は2,000万円に達し、ブランドが成長して発表アイテム数も増えていく中で、藤原は運命的な邂逅といえる出会いを果たす。
パタンナー、石橋真一郎との出会いである。

石橋は丸の内の老舗テーラーで修行を積んだ後、パリコレクションにも参加する「kolor」でパタンナーとしてキャリアを積んできた、根っからの服作りの人間だ。2014年からフリーのパタンナーとして活動していた石橋は藤原と出会い、ジャケットのパターン制作を依頼される。

依頼を受けた石橋は、なんと打ち合わせの翌日には両袖を取り付けたジャケットのトワルを完成させてしまう。その制作スピードにも驚くが、藤原がより驚いたのはトワルの完成度だった。それまで藤原が依頼をしてきたパタンナーの中でも、石橋のスキルは突き抜けたクオリティだったのだ。トワルを目の前に驚嘆する藤原に、石橋は尋ねた。
「藤原さん、右と左、どっちの袖がいいですか?」。
石橋は右袖と左袖でパターンを変えた袖を取り付け、藤原にどちらの形がイメージに合うのかと確かめた。依頼内容を形にするだけでなく、さらにその先にある依頼者のイメージを、石橋は深掘りしていく。圧倒的なクオリティを見せる石橋との出会いは、藤原にある決意を促す。

ファッションデザイナーとしてのキャリアを持たなかった藤原は、古着など過去の服にアレンジを施してデザインする手法を用いていたが、次第にその手法でデザインする自分に限界を感じ始めていた。目指す先は世界であり、そのために必要な強烈なオリジナリティが生み出せるなら、自分がデザイナーである必要はない。そう考えた藤原の頭の中にデザイナーとして浮かび上がった人物はただ1人、石橋しかいなかった。

当時、石橋はパタンナーとしてのキャリアは豊富だったが、デザイナーとしての経験値はゼロ。だが、たとえデザイナー経験がゼロであっても、石橋の圧倒的センスと技量によって作られたパターンが持つ創造性は、彼をデザイナーとすることに何の迷いも持たせない確信を藤原に抱かせるほどだった。こうして藤原は自らが経営面を担い、デザインを石橋に託すことで新たなブランドの立ち上げを決意する。
世界を目標に、ここから2人の新たなる挑戦が始まった。

“BORO”が2人をつなぎ、「クオン」が始まる

毎年数多くのブランドがデビューするファッション界。その中で存在感を発揮し、ファンを獲得するにはブランドの象徴となるデザインが必要だ。ブランド設立を控え、藤原がシグネチャーデザインのモチーフとして惹かれたのは“襤褸(ぼろ)”だった。

襤褸は、使い古されてぼろぼろになった布や、長い時間を経て着用され続け、破けて継ぎ接ぎだらけになった衣服のことである。破けて穴が開いては手に入れた端布で継ぎ接ぐことが繰り返され、時代を経てきた襤褸は次第に独特の模様や色味を帯び始め、さながら芸術作品のような輝きを放つようになる。

藤原はそんな襤褸に惹かれ、襤褸をはじめとした日本の伝統の技術を西洋のファッションに融合したブランド=「クオン」の設立に思いを馳せていく。石橋にとっても襤褸は魅力的な素材だった。岩手県出身の彼に襤褸は馴染み深いものであり、藤原のコンセプトを聞き、石橋の服作りに懸ける挑戦心に火が灯る。2人の思いはブランドのDNAとなり、デビューコレクションへと結集していく。

2016年、「クオン」は10型にも満たないアイテム数でデビューする。石橋によってデザインされたデビューコレクションは、シンプルでカジュアルな装いがストリートのエッセンスを匂わせながらも、西洋伝統のスタイルであるクラシックやトラッドの匂いも入って文脈の異なる西洋ファッションが溶け込み、それらが日本伝統の襤褸によって作られることで“BORO”というオリジナリティの獲得に至っていた。結果、石橋の作り上げた「クオン」スタイルはデビューシーズンから卸先ショップを決定していく。石橋をデザイナーに選んだ藤原の目は正しかった。パタンナーだった石橋はデザインという新たな才能を開花させる。

東京からニューヨークへ

ブランド設立から2年後の2018年、「TOKYO FASHION AWARD」を受賞して「クオン」は海外進出のチャンスを掴む。このアワードは世界での飛躍を目指す東京のファッションブランドを選出し、ビジネスの海外展開をサポートしていくもので、見事受賞ブランドの1つになった「クオン」だが、経営者となった藤原はアワードへの挑戦に別の狙いも抱いていた。

ブランドがセレクトショップで取り扱いを決めるにはバイヤーのジャッジが必要になるが、実際の展示会ではバイヤー達が短時間で見て終わることも珍しくない。しかし、アワードの審査となれば審査員は時間をかけ、コレクションをじっくりと丁寧に観察し、ブランドの価値を見極めようとする。日本国内のバイヤー、パリ伝説のセレクトショップ「Colette」の創業者サラ・アンデルマンが審査員の「TOKYO FASHION AWARD」ならば、「クオン」のコレクションをたっぷりと時間をかけて見てもらえる。そこにビジネスチャンスがきっとある。それが藤原の狙いだった。

そして彼の狙いは現実のものとなる。「クオン」は、審査員として参加していた現代メンズファッションのアイコン、ニック・ウースターに見出され、「アレキサンダー・ワン」や「フィリップ・リム」を世に送り出したニューヨークのショールーム「The News Showroom」と契約し、海外ビジネス進出の足掛かりをさらに1つ手にしたのだ。

現在、「クオン」はパリで展示会を行いながら、ニューヨークファッションウィーク(以下、NYFW)公式スケジュール内で最新コレクションを発表している。ファッション界で最も注目を浴びるパリファッションウィーク(以下、PFW)の公式スケジュールは、開催期間に比べて参加ブランド数があまりに多く、メディアは取材するブランドを厳選せざるを得ない。そのような状況では、仮にPFWの公式スケジュールで発表できたとしても、メディアの取材は限られてブランドの認知度拡大は期待が薄いものになってしまう。

しかし、PFWとは異なりNYFWのスケジュールには余裕がある。日本からニューヨークへ来たばかりの、世界的にはまだ知名度の低かった「クオン」ではあったが、公式スケジュールで発表することが実現し、「WWD」「HYPEBEAST」のような国際ファッションメディアも取材に訪れ、「クオン」のコレクションをレポートしてくれた。そのことで認知度は上がり、海外でのビジネスを掴むチャンスが増していく。藤原がニューヨークでの発表を重視する理由はそこにあった。藤原はエモーショナルなビジョンも語るが、一方で冷静に状況を把握しながら、ブランドの価値を高めるための構造とは何かを常に考え、行動へと移してきた。物事を多面的に捉えてチャンスを常に探る。それが藤原の姿勢だった。

ファッションでソーシャルビジネスを実現させる決意

ソーシャルビジネスへの思いをずっと持ち続けていた藤原は、「クオン」で実現に向けて動き出す。
その取り組みは東北の岩手県で始まる。「クオン」は、東日本大震災で被災した岩手県大槌町の「大槌復興刺し子プロジェクト」と協力し、シグネチャーデザインである“BORO”の補修や刺し子などによって、本来なら捨てられるはずの布や衣服に新しい価値を作り出すアップサイクルで復興支援活動を行い、岩手県盛岡市では障害者支援事業を行う「幸呼来Japan」と裂き織プロジェクトによって自立支援と伝統技術の継承に取り組んでいる。

このプロジェクトへの発注金額を「クオン」はブランドサイトで公開している。初年度となった2015年7月~2016年6月は¥362,109という金額だったが、最新の2019年7月~2020年6月では初年度のおよそ約17倍となる¥6,200,000を超える金額を発注するまでに成長を遂げる。このプロジェクトは多大な時間とエネルギーを要する活動であり、結果が出るまでに多くの月日が必要で、急激な成長は望めないビジネスかもしれない。だが、「デザインにより社会的課題の解決に取り組むこと」を理念に掲げる「クオン」にとって、その時間とエネルギーはブランドがクリエイティブにおいてもビジネスにおいても成長する原動力となり、藤原が最初に抱いた思いは確かな現実となっていった。

コロナ禍の中でのショップオープンと、「クオン」の未来

2019年12月、藤原はあるプロジェクトの打ち合わせのために上海を訪れていた。しかし、開催予定だったそのプロジェクトは翌年への延期が決定される。世界中を不安に駆り立てる新型コロナウイルスの影響だ。当時、日本国内では今ほど新型コロナウイルスの報道がされていたわけではなかったが、現地で新型コロナウイルスの影響をいち早く実感した藤原は、確実にこれは日本にも大きな影響を及ぼし、ビジネスにも影響するものだと危機感とともに悟る。

そこで藤原は新しい計画を立てる。それは「クオン」初のフラッグシップショップのオープンである。コロナ禍が進行している状況において大きな資金を必要とし、運営コストも要するショップオープンはリスクが高いと思われても当然だろう。だが、藤原は決意する。
「何もやらないよりは攻めるべきだと思ったんです。自分達でショップを持つことは、目標でもありましたし。実際オープンしてみて、お客様の顔が見えるようになったのは大きいです。ファンが僕達に何を求めているのかよりわかるようになりました」(藤原)。

藤原はハードルの高さに怖気づかない。ハードルの向こうにあるチャンスを見ている。そうやって「クオン」を成長させてきた。そして藤原の思いを具体化し、自身のデザイン力でビジネスとして応えてきたのが石橋だった。世界最高峰のパリコレクションに臨むとはどういうことか。そのことを身をもって体験してきた石橋にとって「クオン」で目指すのは、やはりパリでショーを発表することなのだろうか。そう尋ねると、石橋は否定する。
「パリがすべてではないです。それよりも大切なものがあります」。

藤原と石橋の2人だけで始まった「クオン」は、多くの人達に支えられてきたから今がある。“BORO”の制作に欠かすことのできない東北の職人達がいたから、石橋は思い描く服を生み出せ、ブランドのファンとなった多くのお客がいたからこそ、藤原は「クオン」を成長させることができた。そして今は、集まってくれたスタッフ達もいる。もう2人だけではない。これまで自分達を支えてくれたみんなとともに、これからの「クオン」を作っていく。

時間の経過は、ゆっくりと価値を育み、時には想像もしない価値を生み出すことがある。それは人間にも言え、ファッションにも言える。新しさだけがファッションの価値ではない。時間の経過とともに育まれる価値はあり、時間が育んだファッションの美しさは、いつの時代にも人の心に響く光を放つようになる。藤原と石橋が共鳴した“BORO”がそうであるように。遠い過去は今につながり、今は遠い未来へとつながっていく。「クオン」はその時間をデザインする。新しいものは古くなるが、美しいものはいつまでも美しいのだ。


藤原新
メンズブランド「クオン」創業者であり株式会社「MOONSHOT」代表。2011年「1sin」を立ち上げ、2016SSシーズンより新たに石橋真一郎をデザイナーとした「クオン」をスタート。現在も法律に携わる仕事を継続しながら、日本伝統の技術を一体にしたメンズウエアを提案し続ける。

石橋真一郎
丸の内の老舗テーラーにて修行後、「kolor」のパタンナーとして経験を積む。2014年にはフリーパタンナーとして活動を始め、多くのブランドのパターンを手掛けてきた。2016SSシーズンより「クオン」のデザイナーに就任し、2018年には「TOKYO FASHION AWARD」を受賞。
https://www.kuon.tokyo/
Instagram:@kuon_tokyo

author:

AFFECTUS

2016年より新井茂晃が始めた“ファッションを読む”をコンセプトに、ファッションデザインの言語化を試みるプロジェクト。「AFFECTUS」はラテン語で「感情」を意味する。オンラインで発表していたファッションテキストを1冊にまとめ自主出版し、現在ではファッションブランドから依頼を受けてブランドサイトに要するテキストやコレクションテーマ、ブランドコンセプトを言語化するテキストデザインを行っている。 Twitter:@mistertailer Instagram:@affectusdesign

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