基礎の上に成立する破壊的現代アート 山口歴のルーツと思想

山口歴のブラシストロークを用いたインパクトある作品群は、一度見たら忘れることはできない。彼は、「ハフ」や「ナイキ」「イッセイ ミヤケ メン」などをはじめ、数々のブランドともコラボレーションする現代アーティストだ。2020年10月31日から11月16日にかけては、渋谷パルコの「PARCO MUSEUM TOKYO」でエキシビション「YOUR OLD FRIEND」を開催。新作の他、これまで描いてきた作品も並んだ。過去と現在を紡いだ個展を終えた山口歴に、改めてアートのルーツと作品に込めた思いを問う。

裏原宿を代表するストリートカルチャーからアートを知って

――山口さんのアートのルーツを聞かせてください。ストリート発のアーティストからも影響を受けているそうですが。

山口歴(以下、山口):もともと学んでいたのは、書道とアクリル絵画に油絵です。ストリートアートの話をすると、カウズトッド・ジェームス、ダッシュ・スノー、フューチュラライアン・マッギンレーといったアーティストは昔すごく好きでした。全員とまでは言いませんが、NYのダウンタウンのストリートシーンにものすごく影響を受けました。

――それらのストリートアートを知ったきっかけは?

山口:ストリートファッションからですね。「リーコン」といった裏原宿をはじめとした東京のカルチャーを高校生の時に体験したのが大きかったです。

――当時はどんなブランドが好きだったんですか?

山口:ひと通りチェックしていましたけど、「AG」や「エンパイア」、初期の「スワッガー」「デビロック」。他にも「リボルバー」やブラフマンのTOSHI-LOWさんがやられていた「スイシーダ」も好きでした。2000年前後の渋谷、原宿、代官山、恵比寿で遊んでいた人であれば誰もが通ったブランドだと思います。ファッションって、一番わかりやすくてストレートな自己表現じゃないですか。メッセージの書かれたブランドの服を着ること自体が自己主張ですし、それが顕著に現われた時代でした。その影響は大きかったです。絵を描くことって、基礎が重要なんですが、習得するのも描くにも時間もかかるし、頭の中で描いたものを簡単には表現できないので、僕はファッションを使って当時は自己を表現していましたね。というかそれしかできなかった。

――でもファッションの道には進まずアートを選んだというのは、どういう経緯があったのですか?

山口:ファッション界を志そうとしなかったのは、父の影響が大きいかもしれません。父は「オゾンロックス」(現在運営しているブランドは「ヒステリックグラマー」)作った人だったんですが、毎日とても大変そうでした。その姿を見て育ってきたので、自分にはファッションデザイナーは無理だろうと幼い頃から感じていたんです。今となってはアートを表現し続けるのも同様で、とてもつらいって気づいたんですけど(笑)。絵を描くことは小さい頃から好きで、高校3年の時に画家になるために美大を目指すことに決めたんです。そこで美術系の予備校に通ったのですが、アートの世界が自分のイメージとはまったく違っていて。

――イメージと違うというのは?

山口:当時からストリートカルチャーとアートは、いずれどこかで融合するだろうと感じていましたし、ストリート出身でコンテンポラリーアートを表現していたアーティストが好きだったので、将来はそういったアートをやりたいと考えて学校に通っていました。しかし通ってた予備校では、およそストリートアートの話を出せる空気感ではなくて(笑)。結局、予備校ではクラシックな絵をデッサンからしっかりと学びました。良い油絵とはどんなものなのか、良い生物画はどう描くのか、といったことを4年間みっちり勉強したんです。結果として芸大には行けず、どうしようかと考えていた時にNYに行こうと思ったんです。それが2007年ですね。

――なぜNYに行こうと思ったのですか?

山口:僕が憧れているのがNY拠点のアーティストだったというのもあるんですが。Matzuさん(アーティストの松山智一)のアシスタントになるために行こうと思ったんです。Matzuさんが2005年に東京で開催された展示の手伝いをさせていただいていた縁があって。その後、NYで5年間アシスタントをさせていただき、独立して5年ほどしてようやく世間の人に認知されてもらえるようになって今に至ります。学生時代を含めると、下積みが15年ほどあるんですよ。

ルールを知った上で破壊する。枠からはみ出た表現の追究

――アシスタント時代に、スタジオに敷かれていた養生シートについたアクリル絵の具が剥がれたことにインスパイアを受け、山口さんのアートスタイルができたという話を聞きました。

山口:そうです。今はまた異なる手法で表現していますが、一時期は絵の具をパズルとして使うスタイルを実践していました。パルコに展示していた作品の1つで「OUT OF BOUNDS」という作品があるのですが、それは自分の中でのブレイクスルー的な作品で。2Dの絵ではなく、スカルプチャー作品。意識しているのは“枠からはみ出す”ということです。

――“枠からはみ出す”という感覚について詳しく聞かせてください。

山口:自分がこれまで生きてきた道のりを振り返ると、会社や組織、学校といった枠の中にいたことがないんですよね。というよりそこに入れなかった。そのことを考えている過程で、四角(キャンバス)の中に描くのが嫌になってきちゃった時期がありまして。そこである日、「枠を破壊してみよう! そうしたらどうなる!?」と思いついて。昔、岡本太郎さんがジミー大西さんに「もっとはみ出してみなよ!」ってアドバイスしているのをテレビで観たことがあって。その言葉が脳裏に残っていて。四角い制限を超えていけば、自由に描けるんじゃないかとできたのが「OUT OF BOUNDS」シリーズなんです。岡本太郎さんが言っていたことを今では確認できませんが、僕なりの解釈として表現してみました。

――なるほど。既成概念を壊して新たな表現を生んだのですね。

山口:そうです。ただ、基礎をしっかりと学んで知識を得た上で、枠を壊してルールから逸脱していくという流れが大事だと思っています。僕は絵に関しては4年間、クラシックを学んできたので、その経験の上に立ち、ルールを破り、さらにその先にある表現を追究しています。これは個人的な話ですが、僕は諸事情で2010年から日本に帰ることができませんでした。なので国境という境界線を越えたいという気持ちもあったのかもしれません。今回の帰国できたのは、実に10年ぶりです。

ーー山口さんは、ブルー、ホワイト、ブラックの色を使った作品が多い印象なのですが、パルコでの個展では赤を使うなど、これまでにない作品もありました。

山口:これは最近の作品で、パンデミックが影響していると思います。今年描いた作品では赤を使うことが多かったです。というのも、コロナ禍になって自分の中に怒りが芽生えてきたんですよね。NYで2ヵ月間のロックダウンをしていた時期、鬱憤が溜まっていて、いつもの青や黒といった色ではなく、もっと強い作品が見たくなったんです。より強いコントラストを求めて、赤やメタリック調のブルー、蛍光色や黒など、強い印象の色を自然と選んでいました。

ストリートと現代アートを信じ続けてきて良かったと今思う

ーーもう10年以上もNYで過ごされていますが、山口さんがアートを表現する上でNYは重要ですか?

山口:NYは東京に比べて雑音が少ないと思います。なのでその分、制作に集中できるんですよね。僕はパンデミック以前から、基本的にスタジオと家の往復の生活で、どこかに遊びに行くということがなかった。言ってしまえば、NYは『ドラゴンボール』でいう“精神と時の部屋”みたいな感じですかね。ひたすら修練できる街という感じがしますし、NYにいたからこそたくさんの作品を生み出すことができたんだと思います。

ーーひたすら自分と作品に向き合い続けた生活だったんですね。

山口:まさにそうですよね。NYにはさまざまな人種の人が集まってきているんですけど、その環境にいると「自分って何者なんだろう」と考えるようになるんです。「自分のルーツとはなんだろう」「故郷である東京の誇れるものはなんだろうか」と。「自分は東京生まれの日本人としてNYで暮らしていて、どんなことを世間に発表できるんだろうか」ということをずっと考えて作品に向き合ってきました。それは東京ではできなかったことです。

ーー個展の話に戻りますが、なぜパルコで展示を行おうと思ったのですか?

山口:パルコは、19年前に僕の好きなカウズの作品を見た場所なんです。そして今回10年ぶりに帰国するタイミングだったのもあり、その節目としてもパルコで展示したかった。今も昔もパルコは、渋谷の中心でファッションやアートといったカルチャー発信しているから。そんなパルコへのリスペクトの気持ちもありますし、今回僕の展示を見てくれた若い子達、次の世代にもつながっていったらいいんじゃないかなという思いもありやらせてもらいました。

ーーさまざまなファッションブランドとのコラボレーションも多いですよね。最近では「ハフ」とのジョイントワークが発表になりました。

山口:多くのブランドとコラボレーションしてきましたけど、根本では自分の作品を多くの人に見てほしいので、そのきっかけになれば嬉しいという感覚でやっています。そもそも自分が昔から好きなストリートファッションと何かを一緒に作れるのは喜ばしいこと。アートとファッションの世界を行き来するというのは、今では多くの現代アーティストがやっていて、2つのカルチャーがクロスオーバーすること自体が世界的なムーブメントだと思います。それは僕が高校生の頃から、いつかそうなるんじゃないかなって考えていたことが現実になってきたので、ずっとストリートを信じてきて良かったです。自分が好きだったストリートカルチャーと現代アートのカルチャーがマッチしたんだって。

ーーファッションシーンの流れを見ても、まさにそうですよね。ストリートとファッションとアートの垣根がなくなったように感じます。では最後に、今後予定されているプロジェクトや制作したいものを教えてください。

山口:来年は香港や上海、台湾など、アジアを中心としたエキシビションを予定しています。東京でも大きな展示を行う予定です。作品としては、より3Dの世界観が伝わるものを制作したい。今も枠からはみ出したスカルプチャーを表現していますが、まだ二次元から飛び出したものなので、より立体的な表現を形にしたストロークの作品を生み出したいです。

山口歴
1984年生まれ。NYはブルックリンを拠点に活動する現代アーティスト。ブラシストロークを用いた作品が象徴的。数多くのファッションブランドともコラボレーションを果たし、アート界、ファッション界の双方から絶大な注目を集めている。
http://www.meguruyamaguchi.com/
Instgram:@meguruyamaguchi

Text Ryo Tajima

author:

相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。現在、子育てに奮闘中。

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