店主の意志と顧客の意思が疎通する VIVA strange boutiqueオーナー、山口美波

解放を求めた潮流、ニューウェイヴ。その当時活躍していたミュージシャンにリスペクトを捧げ、当人達のオフィシャルアイテムを新たに作り、東京・奥沢にある小さなショップ、VIVA strange boutiqueで展開している山口美波の活動は、横行するプロダクト開発や一極集中する都市型の商売モデルから抜け出そうとしているようにも見える。態度はさりげないが、そのやり方は実に正しく、愛が溢れるものだった。

敬愛するアーティストへの恩返しと還元

今回はまず、ニューウェイヴという1970年代後半から80年代初頭に勃興した、儚くも煌びやかでダーティーな、矛盾すら混濁していたムーブメントの背景について話をしておきたい。世界的な意識の変革をもたらしたベトナム戦争、それに結びついた学生運動によって起こった五月危機。60年代後半、人々は抑圧や規律といったものによって強制的なしつけをしていた近代社会に(おそらく)辟易し、一斉にアゲンストし、解放を求めようとした。北欧を皮切りにポルノが解禁されたのは、そういった時代。一種の退廃を欲するようになったわけだ。その傾向の影響は芸術にも及んでいく。禁欲的なものやただ美しい風物、抽象画などではなく、簡単に言えば、タガが外れてめちゃくちゃになる。シンディ・シャーマンなどの前衛芸術、性的なイメージを写真という媒介を通して誇示したロバート・メイプルソープといった作家が登場し、ホラー小説、そしてニューウェイヴが台頭してきたのもその頃、あるいは以後である。過去の“抑圧の芸術”に対する批判、ニューウェイヴの成り立ち等が記されているのが、1975年に刊行された批評家、トム・ウルフによる著書『The Painted Word』(1984)。ニューウェイヴ・ポストパンクに分類されるバンドの中でも、特にストレートな表現をしていたと言ってしまって誤りではないであろうテレヴィジョン・パーソナリティーズの4枚目のアルバム名に冠された、同時代の証明と呼べる書物である。

The Painted Word by Television Personalities
℗ Fire Records Released 2002

縛りから解かれた表現潮流であるニューウェイヴは、DIY的な側面ももっていた。音楽のみならず、レーベルの運営、ジャケットのデザイン、衣装など、“作られた”世界ではなく、自らの手でそれを創る。先でテレヴィジョン・パーソナリティーズが“ストレート”であると形容した理由は、音楽のスタイルだけではなく、どちらかと言うと“DIY”な部分にある。テレヴィジョン・パーソナリティーズは、VIVA strange boutique(以下、VIVA)が最近コラボレーション、フィーチャーしたバンドだ。山口は同バンドについて次のように話す。

「セックス・ピストルズと同じ時代に特に活動をしていたバンドですが、ピストルズがマルコム・マクラーレンやヴィヴィアン・ウエストウッドによるプロデュースが大きく影響をしていたのに対して、テレヴィジョン・パーソナリティーズは完全にDIY。例えばジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダーも、ピーター・サヴィルのアートディレクションによってバンドの世界観をより強固なものにしていますし、彼らのレーベルオーナーであったファクトリー・レコードのトニー・ウィルソンの貢献といった部分も、もちろん素晴らしい事象であり、美しい関係性だと思っています。けれども、テレヴィジョン・パーソナリティーズは少し別格と言える存在。とにかくDIYを貫いていて、例えばヴォーカリストのダン・トレーシーが自分でレーベルをやって自主盤を出し、ジャケットも自ら作っていました。本当の意味でのDIY精神をもったパンクバンドっていうところに強く憧れているんです」

VIVAが展開しているTシャツを中心としたプロダクトの最大の特長は、すべてがオフィシャルであるという点である(買い付けたものもある)。バンドTシャツは、時に高額で売買されるオリジナルも存在するが、ブートレグも数多くある、というかアイコニックなジャケットデザインがTシャツの上で一人歩きしている方がむしろ大半だろう。そういったものが横行し、まかり通ってしまっている分野であるわけだが、山口はとにかく「オフィシャルであることにこだわりたかった」と話す。

“ファッションというと、まず着飾るというイメージがあるが、ファッションとはほんとうは社会を組み立てている規範や価値観との距離感覚であり、ひいてはじぶんとの距離感覚であるとおもう”

これは、日本の哲学者である鷲田清一による著書『ちぐはぐな身体 ─ファッションって何?』(1995年、筑摩書房)の一文である。“規範や価値観との距離感覚”を得る(それは近づこうが遠ざかろうがどちらでも良い)ためのものがファッションであれば、ただそれらしいもの、好きなバンドのTシャツやそのバンドのメンバーなどが身に纏っていたファッションを模したようなものを着れば補完はできる。つまり、ファンとしての意思表示、嗜好の顕在化である。ただ、山口の目的はそこではない。いや、それもあるかもしれないが、“それ”を超えた至上の愛が彼女の原動力になっている。

山口が敬愛するニューウェイヴやポストパンクといった分野のなかからコラボレーションをしたいアーティスト、バンドを決め、門を叩くところからやり取りはスタートする。時にSNSからコンタクトを始める時もあるそうだ。警戒されないよう、ファーストコンタクトは特に慎重に行う。ただ、「オフィシャルのバンドTシャツを」とお願いするのではなく、金銭的な条件やデザインをある程度、固めてから提案をする。実態や姿勢をしっかりと表明し、アーティスト本人の希望を尋ね、反映させてきたことで、これまでにはないもの、かつアーティストも喜ぶものがやがて出来上がる。おおよそ、2ヵ月に1回くらいのペースで新作を更新していっているが、それでもまだまだ遅いと思っていると言う。

「私が作っているものは、いわゆるアパレル・ブランドともまた違うので、シーズンでは分けられない。なので、正解のペースがわからないんですけれども、作りたいと思うタイミング、テンションとかも含めて、もっと柔軟にできたらいいなとは思っています。私がコラボレーションをしたい、ポストパンク/ニューウェイヴ世代のアーティストは高齢になりつつあるので、ちゃんとお元気なうちに見てもらって、喜んでもらいたい。と考えると、もっと急がないと、と思っちゃうんです。私はファッションよりも音楽が圧倒的に好きということがベースにあって、アーティストに『還元』できる形でやりたいんですね。ブートレグでもグッズは作れるんでしょうけれども、『還元』はできない。彼等が望む形でものを作り出すことが第一です」

「還元」や「恩返し」。インタビュー中にたびたび山口が発したこの言葉こそ、VIVAを運営し、プロダクトを作る本来の目的なのである。

特筆すべき、すべてユニセックスというさりげなさ

山口の音楽体験はティーンエイジャーだった頃、早くに始まる。ソニック・ユースをリアルタイムで体験し、そこからサーストン・ムーア等が影響を受けたバンドなどを探り、高校生の頃にはヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以下、ヴェルヴェッツ)のギターパートをカバーしていた。入り口であるソニック・ユースのカバーから何故始めなかったのか、と尋ねると「もちろん好きなんですけど、なぜかはちょっと自分でもわからないですね。たぶん、オルタナティブ・ロック過ぎた……から? ヴェルヴェッツの方が比較的暗かったから、自分の志向に合っていたんだと思います」という答えだった。

山口のミュージシャンとしてのソロプロジェクトであるSHE TALKS SILENCEの音楽は、山口のキャラクターやウィスパーボイスが相まって、フェミニンという印象を抱く人が少なくないかもしれない。しかし、全体的に漂ってくるのは、ヴェルヴェッツから離れた後、ゴスへと向かったニコ的なダークネスや厳かさだと強く思っている。特にSHE TALKS SILENCEの音楽を興味深くさせたのが、アルバム『Sorry, I Am Not』に収録されている楽曲「There’s No」のノイズの中に囁きが潜んでいるかのような構造。ハードコアバンド、ストラグル・フォー・プライドのストイックな基本様式に近いように感じさせるものである。といったことを伝えると、山口は反論もなく、とりあえず笑ってくれた。

1960年代に誕生したヴェルヴェッツの評価を端的に述べることは(1985年生まれと、完全な後追いの筆者にとって)困難であり、誤ってしまう可能性が高いため臆するのだが、ひとつだけ言ってみたいことがある。それは(ルー・リードが嫌がったウォーホルの仕掛けだったとは言え)一瞬でもニコが在席していた両性混在のバンドだったことの重要性だ。ヴェルヴェッツ以降、隔てられた性が中和し始める。男性が女性的になり、女性が男性的になる。セックスアピールをあっけらかんとしてしまうスロッビン・グリッスルのコージー・ファニ・トゥッティはヴェルヴェッツ以降、ならびにニューウェイヴの非常にわかりやすい象徴だろう。

山口がファッションに関して最も影響を受けたのはスロッビン・グリッスル、サイキックTVなどの創設者、ジェネシス・P・オリッジだと言う。“彼”として生まれたジェネシスは、2番目の妻と容姿を近づけるために整形や豊胸、性転換手術を施し、“彼女”にもなったサード・ジェンダーであることは有名な話だ。ニューウェイヴにとって性の隔たりは不毛だったはずである。

「否定はしないけれども、そもそもガーリーと言われるようなものには興味がないんです」

VIVAのプロダクトは当然、すべて山口が指揮をしているものではあるが、女性に向けたものではなく、そのほぼすべてがユニセックスである点はさりげない特筆すべきことではないだろうか。それが意識的であろうがなかろうが。

「作りながら考えているのは、フィーチャーするアーティスト、バンドが本当に好きな人のこと。ファンの人達と自分自身が納得できるかどうかということ。自分は女性で30代なんですが、そこはあまり関係がないと思っていて。コラボしているバンドは男性ファンの人口が多いジャンルですし、世代も50代くらいの方がストライクだったりするので、てっきりおじさんがやってる店だと思われていることも多々あります(笑)。でもそれはそれで良くて、そういった「おじさん要素」も、自分のフィルターを通すことで、性別や世代を問わず、幅広い層に喜んでもらえるようにアップデートしたアイテムを作っていけたらいいなと思っています」

さらにはVIVAのプロダクトは国境をも越える。

「VIVAのプロダクトを買ってくださる方の7割が日本、残りが海外なんですけれども、SNS等で知ったお客さんが段々と増えてきていて。本人とやりとりして出来上がったオフィシャルだからこそ、アーティストご本人がSNSに投稿してくださって、それにファンの人達が反応をしてくれている。そういう人達って、カンも好きとか、クリス&コージーも好きとか、大体嗜好が近いので、その多くがリピーターになってくれるのもとても嬉しいです。でも実はこのまま作り続けていていいのかなと、コロナ禍で思っていました。Tシャツなどの洋服、特に私が作っているようなものって、まさに不要不急なものだなと。でも、海外のお客さんで『こういうリリースがあって、久しぶりにテンションが上がった』って言ってくれた方がいたんです。気持ちの面でお役に立てているという実感が得られた時、これまでちゃんとやってきて本当に良かったなって思えるようになりました」

VIVAが位置している東京の奥沢は、お世辞を言おうと思っても言えないほどに何もない。周りをしばらく歩いても住宅ばかりで、店舗があったとしてもこぢんまりした飲食店がポツポツと点在しているくらいだ。人の往来はあるが、大抵は駅に向かうか、駅を背にして家路につく人ばかり。東京の中心から外れた場所にあるわけでもないのに、何となく灰色の空気が漂っているように感じる。入り口の上に飾られている小さな「VIVA」のネオンサイン。主張する気もさらさらないと、その空気の中で、それこそさりげなく光を放っている。

「街のカラーが全くなくて、それが良かったからここに決めました。奥沢はカルチャー感が全くない場所なんです」

渋谷でも下北沢でも中目黒でも何でも良いが、街のカラーがある程度決まっていると、訪れる人は街という“括り”を求めに行く。しかしVIVAの場合は、ダイレクトに店に向かうため、目的がVIVAにしかほぼないと言って良い。店主のアーティストに対する意志と顧客の本当に好きだという意思がしっかりと疎通しながら成り立っている小さな商い。それ以上にベストな形は果たしてあるのだろうか。

VIVA strange boutique
2019年の春にオープン。世田谷区の奥沢駅から徒歩1分。ニューウェーブやポスト・パンクを中心としたアーティストのオフィシャルTシャツを始め、レコードやヴィンテージの雑貨などを揃える。同店の地下には、ギャラリースペースも併設されており、不定期でイベントや気鋭作家の作品展示なども行っている。

Photography Kazuo Yoshida
Edit Jun Ashizawa(TOKION)

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author:

大隅祐輔

福島県福島市生まれ。編集者・ライター。武蔵野美術大学 芸術文化学科を卒業した後、いくつかのメディアを経て、2016年にフリーに。ライフワークとしてテクノとアンビエントを作っており、現在、アルバム制作中。好きな画家はセザンヌとモネ。

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