『大豆田とわ子と三人の元夫』に見る、「モテてしまう」という現象の弊害/連載「東京青春朝焼恋物語」第2回

日本の文化の中心であると同時に、あらゆる創作物のテーマにもなってきた、東京。発展と崩壊、家族の在り方、部外者としての疎外感、そして恋――さまざまな物語を見せてくれる東京に、われわれは過ぎ去った思い出を重ね、なりたかった自分を見出している。

本連載では東京在住のライター・絶対に終電を逃さない女が、東京を舞台にしたラブストーリーを取り上げ、個人的なエピソードなどを交えつつ独自の視点から感想をつづる。第2回の作品は、今年4〜6月に放映されたテレビドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(関西テレビ・フジテレビ系)。ある登場人物が苦しんだ、「モテる」ことについて考える。

※文中に物語の内容に触れる箇所がありますのでご注意ください。

「モテたい人にモテなきゃ意味ないですよ」

これは、“奥渋”を舞台にバツ3の女性とその元夫達が繰り広げる人間模様を描いたドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』第4話での、最初の元夫である田中八作(松田龍平)の台詞である。

全くモテようとしていない、何も意識していないのに、あまりにも自然に次々と女性に好かれてしまう“オーガニックなホスト”の異名を持つ八作は、親友・俊朗(岡田義徳)の恋人である三ツ屋早良(石橋静河)からの熱烈なアプローチに困り果て、自身が経営するレストランで営業中にもかかわらず、深いため息をつく。
それを見て「彼がため息つくって相当のことだよね」と気にかけた2番目の元夫・鹿太郎(角田晃広)と3番目の元夫・慎森(岡田将生)に、レストランの同僚・もっちん(長岡亮介)が「また女性にモテて困ってるみたいなんです」と説明する。

「彼は右肩上がりでどんどん好かれるんです。何もしなくても自動的にモテるんですよね。歩いてるだけで。(エレベーターの)ボタンを押すだけで。モテ方が自然現象なんですよね」

直感的には早良に惹かれつつも、親友との関係を優先し、断固拒否の姿勢を貫く八作。それでも全くめげない早良と、「早良には他に誰か好きな男がいる気がする」と相談を持ちかけてくる俊朗との板挟み状態に、「消えてしまいたい。何もかもが嫌だ」と嘆く。

そこで八作は、慎森やもっちんのアドバイスを参考に、早良の前で脱いだ靴下を食事中のテーブルに置いたり、「太った?」「女子力アピールしちゃってる〜」といった失言をしたりと、「女性に嫌われる作戦」を実行。
ところがあえなく早良には見抜かれてしまい、「モテてるんだからもっと喜べばいいのに」と言われてしまう。
その返答が冒頭のセリフ、「モテたい人にモテなきゃ意味ないですよ」である。
その後も淡々と会話は続くが、第4話終盤から第5話にかけて、八作がとわ子(松たか子)と結婚する前から現在までかなわない恋をし続けている相手がとわ子の親友・かごめ(市川実日子)であることがわかると、一気にその言葉の重みは増すのだ。

「人はたいてい見て見ぬフリをするが、この世にはモテすぎて困るという人が存在する」というナレーション(伊藤沙莉)の通り、たいていの人は「モテることの弊害」を知らない。

私もかつては全く想像したことがなかった。コミュニティ内の女性に片っ端から手を出しているような男性が私だけにはなんのアクションも起こさないという現象がよく起こる、明らかに同世代の女性に比べてモテない私には、想像できなかった。
周囲のモテる人がよく言う「好きな人にモテなきゃ意味がない」「好きな人だけにモテたい」といった言葉も、謙遜の常套句くらいにしか考えていなかった。

確かに、「不特定多数にモテること」と「特定の人と恋愛関係になること」は必ずしも結びつかない。モテなくても恋人が途切れない人はいるし、モテるのに恋人(結婚)ができないと悩む人もいることは、多くの人が実感しているところだろう。
世の中にはいろんな人がいて、恋愛における好みや価値観も千差万別だ。浅く広く複数人と遊びたい場合は別として、1人の相手と恋愛関係を築くためには、モテる必要はない。「モテないから恋人ができない」というよくある悩みも、原因は他にあるはずなのだ。
「恋愛は、モテじゃなくてマッチング」
これは、かつてブルゾンちえみがあるネタの決めぜりふとして放った言葉である。本作とは全く関係ないが、恋愛とモテの関係を端的に表した秀逸な表現ではないだろうか。

いや、そりゃ好きな人に好かれることが一番だけど、いろんな人から好意を寄せられたらそれはそれで嬉しいし優越感に浸れそうだし、モテないよりはモテるほうがいいだろう。そう思う人もいるかもしれない。私もそう思っていた。

しかし、八作を見てもそう言えるだろうか。
第1話での登場時から、女性に「なんで付き合ってくれないの?」と迫られ何やらめんどうなことになっている様子がうかがえ、かと思えば今度は、親友と親友の恋人との三角関係に巻き込まれる。
積極的な早良に対して「お願いします。僕に関わらないでください」と、「モテすぎて頭を下げることもある」。

モテたところで、全員を相手にすることはできない(いわゆるポリアモリーを志向する場合などはまた話が変わってくるかもしれないが)。
失恋した相手は、当然悲しみ、傷つき、時に逆恨みをする。
問題が自分と自分に好意を持っている相手の二者間にとどまらず、その周りの人間関係にまで波及することも少なくない。第5話で八作は俊朗に「彼女に好きって言われた」と告白してなんとか事なきを得るが、友情が壊れてもおかしくない状況だ。
自分のことを好いている人に一方的に好意を寄せている第三者から敵視されることもあれば、嫉妬した周囲の同性から反感を買うことも多いだろう。「男・女好き」「色目を使っている」などと悪口を言われないように、あらゆる工夫を強いられるかもしれない。
モテるということは、他人を悲しませ、傷つけ、憎まれる確率が高いということでもあるのだ。

さらには、「モテていいよね」などと言われた際に「好きな人にモテないと意味がない」と本音で返しても、謙遜や嫌味だと捉えられかねない。なかなか理解者を得られないという点でも厄介なのである。
モテたくない人にモテることは「意味がない」どころか、害悪にすらなりうるのだ。

そして、モテる人物としてフィーチャーされているのは八作だが、主人公のとわ子も何気にモテる。3回も結婚できて、そのうち2人の元夫からは離婚後も思われ続け、さらに2〜3ヵ月の間に他の2人の男性にプロポーズされているのだから、明らかにモテる。
八作のようにモテすぎて困るなどと明言はしていないものの、自身が社長を務める建設会社の取引先の社長である門谷(谷中敦)からのプロポーズを断り、腹いせに契約を破棄されたことが会社の大損失となり、社員の松林(高橋メアリージュン)と敵対し、外資系ファンドからの買収と社長の辞任を迫られるまでに発展するという、八作のエピソード以上にめんどくさいことになっている。
一方で、八作との離婚の原因は、「この人には、他に好きな人がいるんだなってわかったから」だと語る。その意味でとわ子もまた、モテたい人にはモテなかったと言えるのかもしれない。

とわ子は紆余曲折を経て、最終話では再婚や特定のパートナーを作ることはしないものの、今まで通り“三人の元夫”達とともになんだかんだ楽しく支え合いながら、ある種の共同体として生きていく未来が示唆される。これに関してはとわ子がモテるがゆえにできたことだとも言え、モテる人がたどり着いた1つの生き方であり幸せの形なのかもしれない。

こうして登場人物がモテることによってドラマが生まれるという側面はあるが、やはり現実では、モテたい人にモテさえすれば幸せなのではないだろうか。少なくとも、自分がモテないからといってモテる人をうらやんだりねたんだりする必要はない。
私は八作を見て改めて「モテるって大変なんだな」と思い、モテなくてよかったあ、と負け惜しみでなく胸をなでおろすのである。

Illustration Goro Nagashima

author:

絶対に終電を逃さない女

1995年生まれ。早稲田大学文学部在学中からライターとしての活動を開始し、卒業後はフリーで主にエッセイやコラムを執筆している。『GINZA』(マガジンハウス)Web版にて、東京の街で感じたことを綴るエッセイ『シティガール未満』連載中。今年挑戦したいことは、作詞、雑誌連載、ドラマなどの脚本、良い睡眠。 Twitter:@YPFiGtH note:@syudengirl

この記事を共有