ベトナム、香港のインディペンデント映画という熱波 連載「ソーシャル時代のアジア映画漫遊」Vol.8

7月9日から日本で劇場公開が始まるベトナム映画『走れロム』を中心に、ベトナムのインディペンデント映画黄金世代である、1990年世代について、さらに映画『カム・アンド・ゴー』(2020)のリム・カーワイ監督が主催する、第2回「香港インディペンデント映画祭」について紹介したい。

日本での劇場公開も始まるベトナムインディペンデント映画黄金世代監督の1人、チャン・タン・フイ

連載第5回で紹介した映画『海辺の彼女たち』が5月から劇場公開が始まり、全国で続々と上映が決まっていてよかったと思う。
「個人的には海外、特にベトナムでも公開されることを期待している」と書いたあと、『海辺の彼女たち』の主演俳優である、ホアン・フォンが主演している別の映画『Invisible Love』(2021)が、「パリ国際映画祭」で、最優秀女優賞を受賞したという記事がベトナムのメディアで報じられた。これをきっかけに、『海辺の彼女たち』もベトナム公開が進むかもと期待すると同時に、ベトナムで全編ノーカットのまま上映可能だろうかと一抹の不安も覚えた。なぜなら、現行のベトナムの検閲制度では、『海辺の彼女たち』のような社会の現実を真正面から映せば映すほど、検閲に引っ掛かる可能性が高くなるからだ。

チャン・タン・フイ監督による映画『走れロム』(2019)の予告編

7月から日本で劇場公開されるチャン・タン・フイ監督によるベトナム映画『走れロム』(2019)は、第24回「釜山国際映画祭」ニューカレンツ部門(新人監督コンペティション部門)最優秀作品賞受賞作だ。しかし、ベトナムで劇場公開するにあたり、ベトナムの国家映画検閲委員会によって審査され、国内の社会悪を反映した一部のシーンの編集・カットを指示された後、レーティングをC18 (18禁)にされ、ようやく劇場公開が許可された。今回、日本で公開されるバージョンも、ベトナムで公開されたバージョンである。そしてこの『走れロム』は、第5回で、以下のように言及した映画だ。

「フイ監督の長編デビュー作『Ròm』(2019)は、ホーチミン市の路地で死に物狂いに生きる少年を主人公にした劇映画で、こちらも手持ちカメラによる映像が印象的だ。ちなみにフイ監督が1990年生まれ、藤元監督が1988年生まれと、年も近い。藤元監督とフイ監督には、演出においてリアリティを重視し、社会の片隅で忘れられたひとびとのドラマをすくい取ろうとする意志の共通性を感じる」

映画『走れロム』は、サイゴン(ホーチミン市)生まれのフイ監督が故郷の街、路地を舞台にした映画だ。あらすじは以下の通りである。公式サイトから引用する。

「活気に満ちたサイゴンの路地裏にある古い集合住宅。多額の借金を背負う住民達は、大金が当たる“闇くじ(デー)”に熱中している。14歳の孤児ロムは、宝くじの当選番号の予想屋として生計を立て、生き別れた両親を捜すための資金稼ぎを心の拠り所にしている。ライバルの予想屋フックは野心家で当選の確率も高く、ロムとフックはいつも競い合っていた。そんな中、地上げ屋から立ち退きを迫られ追い詰められた住民達は、ひたむきに予想と向き合うロムを信じ、借金をすべて返すために一攫千金の賭けに出る」。

個人的に『走れロム』を一文にまとめるなら、
「主人公のロムがサイゴン(ホーチミン市)の通り、路地(サイゴンだと、Hẻm)を七転び八起きして、とにかく走りに走る映画である」。
原題の『Ròm』は、やせっぽちという意味なので、邦題はこの走る要素を強調している。『走れロム』は、フイ監督のホーチミン市映画演劇大学の卒業制作である短編『16:30』(2012)の続編にあたる作品で、『16:30』はロムが孤児として生き抜くために闇くじの世界に参入していく様子を映している。ロムは2作品を通じて、フイ監督の9歳下の実弟、チャン・アン・コアが演じている。

『16:30』は英語字幕版ではあるが、動画共有サイトVimeoのフイ監督のページに、無料公開されている。

チャン・タン・フイ監督による映画『16:30』(2012)

ちなみにフイ監督のVimeoページは、充実していて、『16:30』の前の短編で集合住宅をめぐる幻想譚『Đường Bi』(2011)やCM、ミュージックビデオなどが視聴できる。ただし、ベトナムで2020年にもっとも視聴されたミュージックビデオ第2位で、大人気歌手JACKの『Là 1 Thằng Con Trai』の動画に関しては、Vimeoより、歌詞の日本語字幕が表示できるYouTubeのほうがおススメである。

フイ監督が手掛けたJACKのMV『Là 1 Thằng Con Trai』

フイ監督に続くベトナムインディペンデント映画黄金世代監督、レ・ビン・ザン

レ・ビン・ザン監督による映画『KFC』(2016)の予告編

ベトナムインディペンデント映画にとって、1990年生まれは黄金の世代だ。フイ監督と同じ1990年生まれだと、日本では劇場未公開だが、レ・ビン・ザン監督がいる。ザン監督は、今のベトナム映画監督の中で“クセがスゴい”監督かもしれない。
ザン監督の長編デビュー作『KFC』(2016)は、食人と復讐をテーマにした血みどろの問題作で、2017年の「ニューヨーク・アジアン映画祭」において、もっとも期待される監督賞を受賞している。次に、ザン監督は、南部メコンデルタを舞台にした、ベトナムで最初のシリアルキラーが主人公になった呪術映画『Thất Sơn Tâm Linh』(2019)を監督交代後に、完成させている。

レ・ビン・ザン監督による映画『Thất Sơn Tâm Linh』(2019)の予告編

さらにフイ監督の短編映画のエンディングロールを眺めていると、ザン監督が『Đường Bi』では編集、『16:30』では助監督を担当していたことがわかる。
ザン監督は1990年、中南部ニャチャン生まれで、フイ監督とはホーチミン市映画演劇大学の仲間でライバルだった。2020年には、フイ監督ともに、釜山国際映画祭併設企画マーケット「Asian Project Market(APM)」に参加して、
・ [CJ Entertainment Award]: Tick It /Tran Thanh Huy / Vietnam
・ [ArteKino International Prize]: Who Created Human Beings /Le Binh Giang / Vietnam, Singapore
2人そろって受賞している。APMを競い合った作品には、深田晃司監督の『LOVE LIFE』もある。そして、このザン監督の『Who Created Human Beings』は、「ロカルノ映画祭」のOpen Doors Hub 2021にも選出された。もっともこの『Who Created Human Beings』も、APMの公式HPでのあらすじを読む限り、かなりの問題作であることが予想される

「シンは殺人事件を捜査していた。頭のない死体が見つかり、その胃の中には別の人間の頭が入っていたのだ」。

デヴィッド・フィンチャー監督作、『セブン』(1995)のような凝った変死体が出てきて、検閲の厳しいベトナム国内でどう撮影、制作できるのか、こちらが心配になる内容だ。

まだまだいるベトナムインディペンデント映画を支える黄金世代監督

チュオン・ミン・クイ監督による映画『樹上の家』(2019)の予告編

ベトナム映画黄金世代の他の監督には、「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」2021、そしてアテネフランセ「ベトナム映画の現在」で上映された、中部高原を舞台にしたSF+エスノグラフィー映画『樹上の家』(2019)を監督したチュオン・ミン・クイ監督がいる。第13回「恵比寿映像祭」(2021)の「モノグラフ2020―アジア・エッセイ映画特集①―モチーフ」では、ベトナムの国策戦争映画における兵士の死を考察した短編『デス・オブ・ソルジャー』(2020)が上映された。
さらに、「ベルリン国際映画祭」Encounters部門のthe Special Jury Prize受賞作で、ホーチミン市のスラム街に住むナイジェリア人サッカー選手を主人公にした映画『Vị (Taste)』のレ・バオ監督もいる。

レ・バオ監督による映画『Vị (Taste)』(2021)の予告編

クイ監督は、中部高原の都市バンメトート生まれ。バオ監督は、サイゴン(ホーチミン市)生まれである。つまりベトナム映画黄金世代である4人の監督は、旧ベトナム共和国、いわゆる南ベトナムだった地域の出身者で、さらにベトナムでの活動拠点がサイゴンという点で共通している。フイ監督とザン監督以外にも、彼ら4人はそれぞれに協力関係を持っていて、フランスのヌーヴェルヴァーグ、香港新浪潮(ニューウェイヴ)、そして、台湾新電影(ニューシネマ)を彷彿とさせる。

例えば、クイ監督はザン監督の『KFC』で編集を担当している。クイ監督とザン監督は、ホーチミン市映画演劇大学の同じクラスだったが、クイ監督は中退し、ザン監督も卒業しなかった。クイ監督は、友人であるレ・バオ監督の新しいフィルムを心待ちにしていると「シンガポール国際映画祭」で応えている

また、レ・バオ監督の『Vị (Taste)』の撮影監督を務めたグエン・ヴィン・フックは、フイ監督の短編『Đường Bi』からの仲間で、『走れロム』まで撮影も担当している。さらに、フックはザン監督の『KFC』『Thất Sơn Tâm Linh』の撮影も担当している。また、『Vị (Taste)』の編集担当は、アピチャッポン監督作の編集で知られるタイの名手、リー・チャータメーティクン監督だが、彼はフイ監督『走れロム』の編集担当者でもある。

余談だが、リー・チャータメーティクン監督に関して、彼が編集した映画の特集を組めば、21世紀東南アジア映画のインディペンデント映画の最良作品群を観ることが可能だろう。

新たにスタートするアジアのインディペンデント映画と出会える日本の映画祭

幸い、7月から『走れロム』が日本で劇場公開されることで、1990年生まれのベトナム映画の黄金世代のうちの2人、フイ監督とクイ監督の代表作が日本で上映されることになる。残りの2人、ザン監督とレ・バオ監督の作品の日本公開は待たれるものの、アジアのインディペンデント映画が上映される機会を見つけるのは、日本といえどもなかなか厳しいのが実情かもしれない。実際、昨年、クイ監督の映画『樹上の家』、さらに、連載第2回で紹介したタイの奇才、アノーチャ監督を特集上映し、アジアのインディペンデント映画を30年にわたって紹介してきた、「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」は、令和3年3月31日をもって実行委員会を解散、映画祭も終了してしまった。日本でアジアのインディペンデント映画と出会える映画祭の1つが失われてしまった。

しかし、その状況に一石を投じる映画祭が6月下旬から始まる。大阪シネ・ヌーヴォ、京都出町座、名古屋シネマスコーレの順で開催される2021年第2回「香港インディペンデント映画祭」である。主催者は、連載第5回で紹介した大阪梅田をめぐる群像劇映画『カム・アンド・ゴー』(2020)のリム・カーワイ監督だ。

「前回の映画祭が開催された2017年からコロナ禍が起きる2020年まで、ここ数年間の社会と政治状況の激変に対応して、香港の現状を誠実に描いた劇映画とドキュメンタリー映画も数多く作られたが、その多くが商業映画ではなく自主映画だ。映画業界の自己検閲もあり、残念ながらそれらの映画は香港の劇場でも一般公開までには至っていない。2020年の『ロッテルダム国際映画祭』では、香港で上映されなかった政治的なテーマを扱った自主映画の特集が組まれ、国際的にも大きな反響を得たが、日本ではまだ1本も紹介されていない」。

上映される作品は、2014年の“雨傘運動”から2019〜2020年香港民主化デモまで“香港の真の姿”を描きだす日本初上映のインディペンデント映画全18作品で、京都出町座ではさらに、長編5本・短編2本を加えた、計25作品が上映される

2019年の抵抗運動で香港理工大学が包囲された様子を描いたドキュメンタリー映画『理大囲城|理大圍城|Inside the Red Brick Wall』(2020)、

香港ドキュメンタリー映画工作者による映画『理大囲城|理大圍城|Inside the Red Brick Wall』(2020)の予告編

香港を代表するゲイの映画作家、サイモン・チュン監督の最新作『あなたを思う|看見你便想念你|I miss you, when I see you』(2018)、

サイモン・チュン監督による映画『あなたを思う|看見你便想念你|I miss you, when I see you』(2018)の予告編

そして、文藝春秋から翻訳も出版されているミステリー『逆向誘拐|Napping Kid』(2017)など、バラエティに富んだ香港映画が目白押しである。

アモス・ウィー監督による映画『逆向誘拐|Napping Kid』(2017)の予告編

リム監督は、「映画業界の自己検閲もあり、残念ながらそれらの映画は香港の劇場でも一般公開までには至っていない」と書いていたが、残念ながら、6月11日に香港政府は、市内で公開されるすべての映画を検閲し国家安全維持法に基づく違反行為を取り締まると発表した
ベトナムは以前から映画法に基づきすべての映画が検閲されている。『走れロム』は検閲後、修正版が劇場公開されたものの、多くのインディペンデント映画は劇場公開に至っていない。

香港、ベトナムのインディペンデント映画は、ともに「社会主義的な国家体制と対峙する自主独立性」「間違っていると思うことは批判する反骨心」、そして、それらを支える「若者たちの情熱」という共通点を持っている。
このあたりは香港とサイゴンに共通する国家の中心である首都からの距離、さらに、広東語と香港人のアイデンティティ、ベトナム南部方言と南部人のアイデンティティなどの土地柄(ローカリティ)の歴史が結びついているかもしれない。日本でさまざまな国のインディペンデント映画が上映される機会が多くなること自体、強権的な政府が検閲により隠蔽しようする問題を白日の下にさらすことになり、観客に権力、自由そして生活について再考する貴重な機会を提供している、と個人的には思う。

今後、民主化を求める運動のゆるやかなネットワーク「ミルクティー同盟」(Milk Tea Alliance)が広がっている国と地域、具体的には、香港、台湾、タイ、そしてミャンマーのインディペンデント映画が、日本で数多く紹介されることを期待している。

現時点で『走れロム』は、北海道から宮崎まで広く上映される予定だが、「香港インディペンデント映画祭」のオフィシャルツイートによれば、
「実は名古屋シネマスコーレの開催後、東京での開催は予定されていないです。どうなるかわからないが、とりあえず今の所、大阪、京都、名古屋で見るしかないです。申し訳ございません」
とのことで、少し惜しい気がする。

映画『走れロム』(原題:『Ròm』)
7月9日より、ヒューマントラストシネマ渋谷他、全国順次公開
監督:チャン・タン・フイ
プロデューサー:トラン・アン・ユン
出演:チャン・アン・コア、アン・トゥー・ウィルソンほか
日本語字幕:秋葉亜子
提供:キングレコード
配給・宣伝:マジックアワー
https://www.rom-movie.jp/

author:

坂川直也

東南アジア地域研究者。京都大学東南アジア地域研究研究所連携研究員。ベトナムを中心に、東南アジア圏の映画史を研究・調査している。近年のベトナム娯楽映画の復活をはじめ、ヒーローアクション映画からプロパガンダアニメーションまで多岐にわたるジャンルを研究領域とする一方、映画における“人民”の表象についても関心を寄せる。

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