見えない愛のカタチ 映画監督戸田ひかるによる『マイ・ラブ:絹子と春平』の余白に満ちる優しさ

映画制作の条件は「長年一緒に暮らすカップルのラブストーリー」。2019年初めにアメリカのプロデューサーから連絡を受けた戸田は、日本中のカップルに出会う旅に出た。素晴らしいカップル達との出会いはあったものの撮影の承諾はなかなか下りず、諦めかけていたところにいくつかの運命的な出会いが重なり、石山春平と絹子につながった。春平は、小学6年生の時にハンセン病を発病し療養所へ入所、そこの職員だった絹子と出会う。「2人で人間らしい生活をしよう」と決め、結婚を機に療養所を出て、東京近郊の団地で暮らし始めて50年が経った。春平はハンセン病の啓発活動で全国を回り、人々に自身の体験を語ることを生きるバネにしてきた。それとは対照的に、絹子は夫の病気に触れられること、ハンセン病による差別や偏見を恐れ、人との距離を保って生きてきた。しかし絹子は今回の撮影に対して「99.9%は覚悟がついてる。私達は何も悪いことはしてない。普通の人だと知ってもらいたい」と出演を決意。

「愛している」と言わずに愛を表現する日本篇は、語らないからこそ愛以上のものを浮き彫りにさせた。鑑賞者は、絹子のまなざしを追ううちに聞こえない声を聞き、見えない愛が見えるような感覚になるだろう。2人をじっと見守る優しき目撃者、戸田の真髄に迫る。

『マイ・ラブ:絹子と春平』

2人の豊かな感性や人間的な魅力が感じ取れる作品

――ネットフリックスで公開が開始されましたが、撮影当時を振り返り何を感じますか?

戸田ひかる(以下、戸田):今までは劇場公開、映画祭を目指して映画を作ってきたのでオンライン配信が前提の企画は新しい挑戦でした。オンラインでしか届かない人達に観ていただけるのは嬉しいですが、どんな人が観てくれているのか、届くべき人にこの映画が届いているのかは気になります。コロナで新しい人との出会いがなくなった今、劇場での上映は被写体と観客が出会う場でいろいろなエネルギーの行き来があります。それが私の生きる糧にもなっていたのだと強く感じています。

春平さんは、コロナ前は85歳とは思えないくらい精力的に全国を飛び回り講演会をしていました。自分のつらい過去の話もユーモアを交えながら伝える春平さんは、声を上げられない仲間のためにも、今なお続くハンセン病に対する偏見差別を払拭したいという強い思いがあります。絹子さんはハンセン病回復者の家族という立場で、ハンセン病の差別を恐れて長年目立たないように生活してきた過去があります。

2001年のハンセン病国家賠償訴訟※1の勝訴判決を機に、お二人とも徐々にご自身の体験を公の場で語るようになり今に至ります。そのような過去がありながら今回カメラの前に立って下さるという事には、とても大きな覚悟が必要だったと思います。お会いした時、「いま」だからこそ語れる過去や、観せていただける生活の側面があると知り、ぜひお2人の今を生きる姿を記録したいと思いました。

――撮影期間は10ヵ月、どのように関係性を深めていったのですか?

戸田:初めてお会いしてわりとすぐに撮影が始まったので、その後は撮影を重ねながら私たち制作スタッフとお二人との関係性を作っていきました。最初は他人同士ですし、お互いに向ける視線にも色々なフィルターがかかっていたと思います。そのフィルターを1つずつ外していって、それぞれの1人の人としてお互い向き合うには時間が必要でした。私達の中にある「ハンセン病回復者とご家族」というラベルを剥がし「春平さん」と「絹子さん」として向き合うためには、ハンセン病の歴史を勉強する必要もありました。孫のような若い世代の私たち達をお二人は快く受け入れ、対等に接してくださいました。とにかく撮影中は、お二人の懐の深さ、抱擁力に誠心誠意で応えたい、と必死でした。

四季折々を通して毎日を丁寧に生きていらっしゃる姿を記録していく中で、編集も最終的にはほぼ時系列で映像を繋げることになりました。最初はカメラに慣れていない初々しい姿が映っていますが、後半になるにつれて、だんだんと変化していく現場での私たち達スタッフとの関係性も映像から感じ取れると思います。

ドキュメンタリーは人間関係の上に成り立っています。本来だったらもう少し時間をかけたかったのですが、今回はスケジュールも決まっていましたし、コロナの影響もあり、やっとお互い慣れてきたところで本撮影は終了しました。でも、それまでにご一緒させて頂いた時間のすべてが、カメラの回っていない間の会話や、お茶や食事を頂いた時間も含めて、最終的な映像に反映されていると思います。

お互いの強さも弱さも受け止め、個人として向き合っている

――お2人のどんなところに惹かれましたか?

戸田:お2人の人柄にまず惹かれました。春平さんは療養所時代からたくさんの写真を撮っていたり、絹子さんは熱心に「生活記録」と呼んでいる短歌を作っていらっしゃっていて、表現者であるお2人にもとても惹かれました。

ハンセン病療養所では隔離生活を強いられている入所者の方達が外の世界とのつながりを持つ手段としての文化活動が盛んで、文学、音楽、書、短歌などたくさんの芸術作品が生まれました。春平さんも療養所で字を覚え、写真を撮り始めました。絹子さんが暗室で現像作業を手伝ったことがきっかけで2人の愛に「火がついちゃった」そうです。

春平さんは駄洒落で場を和ませてくれて、絹子さんはそれに鋭いツッコミを入れるという、夫婦漫才で私たちスタッフをいつも楽しませてくれました。きっととても気を使ってくれていたんだと思います。

そしてお互いの弱さや、過去の経験も受け止め、それぞれ今と向き合おうとしている姿からは、たくさんのことを学びました。

――やむを得ずカットしたシーンはありましたか?

戸田:絹子さんがお手紙を書いて、近所のポストに投函するところを撮らせて頂いたのですが、その道のりだけでもたくさんの冒険を楽しんでいらっしゃいました。草や木をじっくり見て驚いたり、鳥に話しかけたり、私達が見過ごしてしまいそうな小さな美しさを大切にしている姿は、尺の問題もあって編集で泣く泣く大部分をカットしましたが、映画の最後の方で一箇所だけ、とても象徴的な形で活かすことができました。純真な少女のようなかわいい人で、我々スタッフの間では「永遠の少女・絹子さん」とこっそり呼んでいます。私も絹子さんや春平さんのように優しさと暖かさを与えられる人になりたいです。

――被写体として惹かれるのはどんな人達ですか?

戸田:あらゆる困難がある中でも、「個人」として自分も他者も認めようとする人たちに惹かれます。「人として向き合う」って言葉では簡単に言えるけど、私達は立場や属性を通してでしか向き合えていないのではないか、自分はちゃんと人と向き合えているのか、不安になりながら常に自問自答しています。

前作『愛と法』で、戸籍を持たないまま生活を送らざるをえない状況の人々、いわゆる「無戸籍問題※2」と出会い、日本では時代遅れの民法の問題もあり、家族の一員として認められないと個人が存在できない状況があるということを知りました。個人が尊重されない法律や社会では、個人であることを主張するだけであらゆる危険に晒されてしまうのだ、と日本に引っ越してきて以来ずっと感じていた違和感や疑問の本質が見えた気がしました。

10歳からオランダで育ち、6年前まで主にロンドンで生活してきた中で、私自身が常に「日本人」や「アジア人女性」とカテゴライズされてきた経験もあり、アイデンティティーの問題にはずっと興味がありました。

自分の差別意識を克服しなければ、社会は良くならない

――『愛と法』を撮るために大阪に移住して、現在も住んでいますね。

戸田:今まで私は、外国人として「アウトサイダー」や「マイノリティー」であるという自覚が強かったのですが、ロンドンから大阪に引っ越して6年が経ち、日本に住む日本人であり、健常者、シスジェンダーなど、自分のマジョリティー側のアイデンティティーを強く意識するようになりました。それは、今回『マイ・ラブ』を通してハンセン病問題と出会ったことで、より強く考えるきっかけになりました。

世界のハンセン病の歴史の中でも、90年近くも続いた日本の隔離政策は類を見ません。非人道的な政策が誤った情報を社会に浸透させ、根深い差別意識が消えることなく今でも存在しています。春平さんのように社会復帰し公に自分の体験について語れる人はごく稀で、ほとんどの方は病歴者であることだったり、家族に病歴者がいることを明らかにできないまま何十年も暮らしています。

ドキュメンタリーはどうしてもカメラの前に立つ人の勇気に頼ってしまいすぎるところがあります。でも見えるものを見せる映像は、見えないものの存在も物語っています。声を上げられない人が大勢いるという事実に想像力を働かせられるのか、「見る側」の視線が問われていると思います。

自分は他人に暖かい視線を送るのか、疑いの目を向けるのか。1人1人が、自分の中に潜在的に存在する差別意識を自覚して、積極的に向き合う必要があると思います。コロナで他人と出会う機会が減り、知らないものに対する目はますます厳しくなったと思います。

この映画を作りながら私が気付かされたように、観た人がそれぞれ自分たちの現状が歴史の延長線上にあるということに気づ付くきっかけになれば嬉しいです。

――生きづらさを感じている人が多い今の状況をどのように捉えていますか?

戸田:コロナで社会の見えにくい部分がさらに見えにくくなった一方で、見て見ぬ振りをしてきたものがはっきりと可視化されるようになったとも思います。格差社会であったり、政治家の不誠実さだったり。「自粛」や補償のない休業要請が続き、我慢の限界がきている人も生活に困っている人も多いですし、歪んだ社会のしわ寄せは弱い立場の人達にきます。「自助」や「自己責任」という言葉で助けを求めることさえできない風潮が広がり、見えないところで困っている人も多いと思います。

日本の映画業界も厳しい状況が続いていて、映画館も危機的な状況です。多様な人が集い、自分の知らない世界を見せてくれる映画館のような場所は、守り抜かないと視野が狭くなり、想像力も乏しくなってしまうと思います。今こそ政治家の不正を見張り、想像力を失わないで、見えにくい部分に暖かい視線を向ける必要があると思います。

※1.ハンセン病とは「らい菌」によって引き起こされる慢性の感染症。感染力は弱く、現在は早期治療により後遺症を残すことなく完治する。効果的な治療法がなかった時代は業病、天刑、呪いなどと忌み嫌われ、患者たちは故郷を追われ、隔離されてきた。日本では「らい予防法」が1996年に廃止されるまでハンセン病患者の強制隔離政策が90年近く続いた。ハンセン病回復者たちは、強制隔離は日本国憲法が定める基本的人権を侵害するものであったとして1998年、「らい予防法」違憲国家賠償訴訟を起こした。2001年に熊本地裁で原告勝訴となり、国の責任が認められた。2019年には「家族訴訟」でも原告が勝訴し、隔離政策により家族への偏見差別が助長されたことと、家族関係が阻害された事が認められ、判決文では市民の責任も指摘された。

※2.何らかの理由で出生届が提出されず、または、提出しても受理されないままの状態になってしまう「無戸籍者問題」。大きな原因は「法的離婚後300日以内に生まれた子どもは前夫の子と推定する」という明治から続く民法の規定にあると言われ、夫以外の男性との間に子供を産んだ場合でも、法律上夫の戸籍に子供が入ってしまうため、DVなどが理由で出生届を出せないまま無戸籍状態が続く「無戸籍者」が日本には1万人以上いるとされる。

戸田ひかる
10歳からオランダで育つ。ユトレヒト大学で社会心理学、ロンドン大学大学院で映像人類学・パフォーマンスアートを学ぶ。10年間ロンドンを拠点に世界各国で映像を制作。6年前、『愛と法』制作のため、22年ぶりに日本に帰国。同作品で第30回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門作品賞、第42回香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。現在は大阪在住。

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TOKION EDITORIAL TEAM

2020年7月東京都生まれ。“日本のカッティングエッジなカルチャーを世界へ発信する”をテーマに音楽やアート、写真、ファッション、ビューティ、フードなどあらゆるジャンルのカルチャーに加え、社会性を持ったスタンスで読者とのコミュニケーションを拡張する。そして、デジタルメディア「TOKION」、雑誌、E-STOREとRAYARD MIYASHITA PARKのコンセプトストア「TOKiON the STORE」で、カルチャーの中心地である東京から世界へ向けてメッセージを発信する。

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