シドニー発、金森マユが過去に架ける橋 昭和の写真が紡ぐ、過去と現在の日本人 

オーストラリアの田舎町の蚤の市で発見された300枚以上にのぼる昭和の日本人写真の新しい物語を生み出す参加型・発展型プロジェクト『Untitled.Showa』をシドニーを拠点にするアーティスト、金森マユが始めた。写真の行き先を探すプロセスを参加者とともにリアルタイムで見つけ出していく“インボルビング(巻き込む・関与する)・プロジェクト”の最終ゴールは、写っている本人か遺族への写真の返却と、法的著作者、写真家を探すこと。

オーストラリアで見つかった日本人写真の持ち主を探すというだけでもとても興味深いが、これは匿名写真を用いて作品とする「ファウンド・フォト」という美術手法。金森は同プロジェクトを通して、現在の在豪日本人および日系人に戦前・戦後の日系人の歴史を知ってもらい、理解を深めるきっかけになることを意図している。

金森は、1980年代からオーストラリアに住み、同地の日本人・日系人の体験をテーマにした物語やそれに関わるコミュニティーとのコラボレーションに焦点を当てた作品を生み出している。「コミュニケーションの語源は『分かちあうこと』。いくつもの作品を通して多様な人々と関わり、体験を共有している」と自身の活動を語る金森が考える多様性、アイデンティティーの本質とは。

対話で進んでいくインボルビング・プロジェクトの意義

ーー『Untitled.Showa』には開催当初から多くの情報やコメントが寄せられていますね。

金森マユ(以下、金森):オーストラリア、日本を中心に、多くの方が善意と好奇心を持って関わってくれています。関西学院大学津田ゼミの皆さんがいろいろと調べた中で、ある写真の人物が着ている制服が関西のノートルダム学院のものだと判明したので学校に問い合わせています。個人を特定できた写真はまだありませんが、学生服姿の写真は制服を通して学校を探し当てられています。あとは京都の大映京都撮影所(既に閉鎖)で撮影されている写真が多くあったので、大映のOB会などに連絡をしています。

ーーどのように広まっていったのですか?

金森:サイトを作り、オーストラリア人で日本のアートに興味を持っている人達を集めてズームでワークショップを開催。参加者達の口コミ、ソーシャルメディアで拡散していきました。このファウンド・フォトには、2つの関わり方があります。1つは、写真にインスピレーションを得たアーティストやコミュニティーが文章や作品を作成する『クリエイティブ・リスポンス』。もう1つは、写真の調査に関わること。私1人でやってもよかったのですが、ロックダウン中で家にいなければいけない、孤立を強いられる状況だからこそ、多くの人達の対話で進んでいくインボルビング・プロジェクトに意義があります。

ーー9月に京都でエキシビションを開催するのは、写真の撮影場所が京都方面が多いことも関係しているのでしょうか?

金森:それもありますが、写真に映っている人達、遺族は多分日本在住者が多いと思うので写真を返すためには日本での開催が重要です。オーストラリアでプロジェクトに関わってくれている人達は、写真を返還したいという善意で集まっています。このプロジェクトは、オーストラリア国内での日豪友好関係のさらなる発展、日系人の歴史を広めるきっかけ作りにもなっています。

過去の日系移民との繋がりを感じてほしい

ーーこのプロジェクトを通して伝えたいことは何でしょうか?

金森:オーストラリアにおける過去の日本人・日系人との繋がりを感じてもらいたいです。日系人はアメリカ、カナダ、ブラジルなど世界中に大勢います。オーストラリアの場合、アメリカ、カナダの歴史と類似性があり、先住民が住んでいたがアングロサクソン系の植民地化、ゴールドラッシュがあり、有色人種が移住して材木業や漁業などに従事。オーストラリアでは真珠貝やサトウキビの産業が盛んでした。その後、家族、コミュニティーができあがっていくものの、第二次世界大戦により日系人や日本人移民が強制収容される。オーストラリアの日系人は他国と比べて少なかったこともありますが、オーストラリアでは日本に住んだことのない日系人さえも日本に強制送還されました。白豪主義政策は反日感情を生み、敵国である日本人を排除したため、日系人であることを隠して暮らしている人達もいました。その後、戦争花嫁が許可され、1980年代以降は日本から自発的に移住する人が増加、現在多いのはオーストラリア男性と日本人女性が結婚するケースです。新日系人と呼ばれるこの世代は、日豪関係が友好であるため、戦争のこと、過去に日本人や日系人に何があったかを知らない場合が多い。ジロングで会ったアングロサクソン系オーストラリア人の中には「当時は反日感情があったから名字を(日本由来からアングロサクソンに)変えたが、ひいおじいさんは日本人だった」と今だから話してくれた方もいました。

日本語・英語で活動している理由は、戦前に日系人のアイデンティティーを隠して暮らさざるを得なかった家族の子孫達とも繋がるためです。関心をもっている人は多いのですが、ほとんどは日本語を話せません。反対に、新日系人は英語ではとっつきにくさがあるので日本語で参加できるようにしています。

ーー金森さんの作品群は「オーストラリアの日系史」と呼ばれていますが、日系人に興味を持ったきっかけは何ですか?

金森:休暇で西オーストラリアのブルームを訪れた際に、オーストラリアの先住民アボリジニと日本人の子孫に出会ったことです。当時はあまり知られていなかったのですが、1880年代に真珠貝採取が盛んに行われていたことから、日本人が潜水士として労働に来ていました。これが、アボリジニと日本人の間に生まれたルーシー・ダンを追ったドキュメンタリー『ハート・オブ・ジャーニー』を作るきっかけになりました。次のきっかけとなったのは、オーストラリアで最初に日本領事館ができた都市、タウンズビルの日本人墓地を訪れた時。1898年にサトウキビ栽培、真珠の養殖などの労働者として多くの日本人が契約移民として暮らしていました。でもお墓を見ると、管理する遺族がいないため風化していた。同じ敷地内にある他区画のチャイニーズやジューイッシュのお墓は掃除され、新しい墓石もあった。それを見た時に日系人として何かしなければと感じ、友人の日系人アーティスト達と日系人墓地などでパフォーマンス、ワークショップをする『イン・リポーズ』を3年間やりました。このイベントをきっかけに、日本人墓地にお墓参りに行くようになった新日系人達もいます。

アイデンティティーはマイノリティーを経験して生まれるもの

ーー原動力は何でしょうか?

金森:オーストラリアの日系人、日本人が住みやすい環境を作ってくれたのは過去の日系人の功績があったことを知り、それを誇りにしてほしいです。「真実は今しかない」とよく言われますが、将来を考えるには歴史を知り、比較していく必要があります。1人1人が変わることで、未来は変えられることを知っている人は多いですが、どういう姿勢で今を捉え、行動するかで過去も変化する。『Untitled.Showa』で写真の過去が変わると同時に、オーストラリアの日系史も変わると思っています。

ーー日本人、オーストラリア人といっても人種は多様。金森さんにとってのホーム、アイデンティティーを教えてください。

金森:愛する人がいる場所がホームなので、私には複数のホームがあります。アイデンティティーは多面性があり、周りの環境で常に変わっていくため両親の出生国、人種とは別のもの。そして自分がマイノリティーを経験する、あるいはマイノリティーと関わりをもつことで生まれる意識です。先日、ワークショップで興味深い体験をしました。少人数でチームを作り作業をしたのですが、若い世代のアジア系4人、アングロサクソン系1人のグループができました。そのグループの誰かが「アイデンティティー・ポリティクスの話がしたい」と言ったのが聞こえてきたと思ったら、アングロサクソン系の女子が「みんな、アイデンティティーを持っているけど、私はこの話に関わりずらい」と言いました。アジア系の子達は、マイノリティを体験しているから幼少期からアイデンティティーを考えている。反対にアングロサクソン系の子はマジョリティーで育ってきたから、アイデンティティーを考える機会がなかったのではないかと感じました。それと同じように、日本に住んでいる日本人もアイデンティティーを考える機会が少ないのではないでしょうか。

金森マユ
シドニー在住の日本人アーティスト。1963年東京都生まれ。メルボルンのトゥーラック・カレッジにて哲学を学ぶ。シドニー・モーニング・ヘラルドとエイジ新聞の東京支局マネジャーを経て、写真家として活動開始。現在は写真や映像撮影、演劇の脚本や詩の執筆、パフォーマンスなど多岐にわたって活動している。オーストラリア先住民アボリジニ女性の日本人父親探しの旅を描いた『ハート・オブ・ジャーニー』(2001)はオーストラリア国連マスコミ平和賞、文化推進コメンデーションほか受賞。
https://mayu.com.au/

author:

NAO

スタイリスト、ライター、コーディネーター。スタイリスト・アシスタントを経て、独立。雑誌、広告、ミュージックビデオなどのスタイリング、コスチュームデザインを手掛ける。2006年にニューヨークに拠点を移し、翌年より米カルチャー誌FutureClawのコントリビューティング・エディター。2015年より企業のコーディネーター、リサーチャーとして東京とニューヨークを行き来しながら活動中。東京のクリエイティブ・エージェンシーS14所属。ライフワークは、縄文、江戸時代の研究。公式サイト

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