PSG最後の刺客・GAPPERが放つ 20年のキャリアを詰め込んだ1stアルバムのすべて

2009年に発表され、今なおジャパニーズヒップホップ史において高い評価を集めるアルバム『DAVID』。その名作を生み出した伝説的グループ、PSGでPUNPEE5lackとともに活動していたGAPPER。硬派なスタイルを貫くラッパーとしても名高い彼が、20年という長きに及ぶキャリアの集大成とも言える、待望の1stアルバム『明日が迎えに来ル迄』を8月にリリースした。盟友でもある2人のラップスターとともに歩んできた影の実力者が語る本作への意気込みとは。GAPPERの地元である中板橋でインタビューを敢行した。

絵を描いたり、グラフティのタグを自分なりに紙に書いたりするのが好きだった

――PSGといえば、東京・板橋を連想させます。その板橋の中心に位置し、GAPPERさんのホームタウンでもあるのが、中板橋。この土地はGAPPERさんにとってどんな場所ですか?

GAPPER:生まれた時から学生時代も含め、今も住んでる街だから本当の意味でのフッド(=地元)。ただ仲間と地元で遊ぶとしたら東武東上線沿いの他の駅にいろいろあるから、正直この街にはなんもないんだけど、思い出はたくさんあるこの場所で取材してもらえて光栄だね。

――この街では、どんな青春時代を過ごしてきたんですか?

GAPPER:中学の頃は野球が中心の生活で、いわゆるどこにでもいるような野球少年だった。それから高校に進学して当然のように野球部に入部するんだけど、中学時代の同級生に親の転勤の都合でベルギーへ移住してしまった友達がいて、その彼が高2の夏休みに帰国した時にひさびさに会ったら、英語圏ならではの、よりリアルなヒップホップに感化されてて。そこで当時最新だったUSのヒップホップをたくさん勧められて、俺も聴くようになったんだよね。

――高校時代に帰国子女の友人の影響でヒップホップと出会い、同郷でもあるPUNPEEさんとの出会いもその頃になりますか?

GAPPER:そうそう。でも高校時代は部活が忙しくてヒップホップは好きなアーティストの曲をなんとなく聴く程度で、なにをするわけでもなく、当時は歌うことよりもただヒップホップに徐々に興味を持ち始めて、絵を描いたり、グラフティのタグを自分なりに紙に書いたりするのが好きだったんだ。それこそエミネムとかM.O.P.といったアーティスト名を学校の机に書いたりしてさ(笑)。そんな日々を送っていたら、ある時、隣のクラスにいたPUNPEEに「ヒップホップ好きなの?」って話しかけられて。PUNPEEとは中学は別の学校で、そこまで親しいわけではなかったけど、そのできごとをキッカケに少しずつ打ち解けていったんだよね。

――そうなんですね。そこからGAPPERさんはどのようにしてヒップホップにのめり込み、ラッパーとしての活動をスタートさせたのですか?

GAPPER:当時、PUNPEEはバンド活動をしていて、俺は野球部だったから別のグループだったんだけど、ある年の文化祭でPUNPEEのお父さんがターンテーブルを校舎に持ち込んで、なにやら楽しそうなことを企んでいたり、PUNPEE自身もライブをしていたりしていたから、、一方的にその存在は知ってて。変わったやつがいるなって。まぁそれは今も変わらないんだけど。それで、ある日PUNPEEに「ラップ録ってみる?」って誘われて。それから頻繁に家へ遊びに行くようになって、弟の5lackともそこで出会うんだよね。

――そこで初めてPSGが全員そろうわけですね。5lackさんの当時の印象はいかがでしたか?

GAPPER:5lackも今と変わらないね。ただ実は初めて会う前からPUNPEEには、なんでもできる天才な弟がいるってうわさを聞いていたんだよね。5lackは地元ではすでにちょっとした有名人だった。それで実際に会ってみたら、年上に物怖じしない肝の座った後輩って感じで。自分がいた運動部のしきたりとは違って、自分の考えは年上だろうがハッキリ言うってタイプだった。でも俺はそういうの嫌とかは思わなくて、すぐに5lackとも遊ぶようになったんだよね。

――5lackさんらしいですね(笑)。そこからPSGの前身となるIRC(板橋録音クラブ)としての活動がスタートするわけですよね。

GAPPER:そうだね。当時5lackは中学生でありながら、すでに2枚目の自主アルバムを作っていて、PUNPEEもMIX CDとかの音源をたくさん作っていたんだけど、その制作の拠点となっていたPUNPEEの部屋によく学校の同級生が遊びに行ってて、みんなでラップの録音とかをしてたんだよね。その宅録していた部屋とか、そこにいるメンバーとかをPUNPEEが自主レーベル的な意味で、IRC(板橋録音倶楽部)って呼んでいたんだと思う。それで俺が高3の夏に部活を引退して、秋か冬くらいにPUNPEEが高校にいた10人くらいのおもしろい友達をラッパーとして招いたコンピレーションアルバムを作ってて、それに俺も参加することになって、そのあたりから俺もラップを録るようになったんだ。

あたりまえのようにアルバムを作ったり、音源の制作をしたり、するのが音楽活動のすべてだと思っていたから

――記念すべき最初の音源ですね。その当時の音源とかは今も覚えているものなんですか? また音源の制作と並行して、ライヴなどの活動はどうでしたか?

GAPPER:よく覚えているよ。今もまだ初期の音源とかは俺のPCに入っているはず。ライヴも積極的に参加してて、特に新宿の「izm」という今はなきクラブで、初めてIRC名義でレギュラーイベントが決まった時は嬉しかったね。当時はローカルのイベントにはよくあったチケットのノルマとかがあって、継続して参加するのも大変だったんだけど、それよりも楽しいって気持ちが強かった。ただその頃の俺は、まだラッパーとしての方向性を確立できずにいて。その一方でPUNPEEや5lackはそれぞれがスタイルを見出していて、違いを感じたりもした。ただ俺もバイタリティだけは持とうと奮闘していて、みんなと一緒にとにかく音源を作っては、発表して、現場でデモを配るみたいな日々を送っていた。なんていうか、そうやって当たり前のようにアルバムを作ったり、音源の制作をしたりするのが音楽活動のすべてだと思っていたから。

それから2006年に、PUNPEEがUMBで東京予選を勝ち抜いて、2008年には5lackが自主制作で『I’m Serious』ってアルバムを売り歩いていたあたりから、徐々に2人の名が知れ渡っていった。それからはIRCとして活動しながらもみんなソロの活動が盛んになっていって、IRCは自然と消滅していったんだよ。ただ5lackはソロでバンバン活動していたし、俺もPUNPEEと2人でEPを作ったりしていて、それぞれ活動が精力的になっていく中で、ある時また3人でアルバムを作ってみようかという話になって、2009年にPSG名義で『DAVID』を発表したんだ。

――『DAVID』は今なおさまざまなアーティストが賞賛する名盤ですよね。当時の熱狂ぶりなどを改めて振り返るといかがですか?

GAPPER:そうだね。アルバムが出てからは方々から注目され始めるようになって、いろいろな人から声をかけられたり、メディアにもちょっとずつ露出するようになったり、物事が一気に動き出していくような、何か大きなうねりは感じられたね。当時俺らが一方的に憧れていたアーティストとかからもリアクションがあったりして、めちゃくちゃブチ上がったのを覚えているね。

――そして2012年には、GAPPERさんと5lackさんの連名による作品集『我破』がリリースされましたよね。GAPPERさんにとっては処女作でもあり、こちらを1stアルバムとして認識しているファンも多いかもしれません。リリースは9年前になりますが、『我破』は自身にとってどんな作品でしょうか?

GAPPER:ブート感というか、いい意味でなかなかインディーズ感の強い作品だったよね。この時も全曲5lackのプロデュースの作品だったんだけど、当時は5lackの家によく遊びに行っててさ。それで、ある時に「GAPPERのアルバム作ろうよ」って話になって、その時はその温度感とかノリとか気分をできるだけ原寸でパッケージングすることに魅力を感じてて。一種の粗さも特色として捉えていたって言ったら大袈裟かもしれないけど。作り込む以上にタイムリーなものに価値を感じていたんだと思う。

『我破』に収録されている「ブラックホール(feat. LOOTA)」

すごく感情的なリリックなんだけど、実はこういうラップもすごく好きなんだよね

――『我破』のリリースを機に、数々の客演をこなし、OYGやビートメイカーのWATTERとともに活動するDoubleDoubleとしての活動も精力的になっていきますよね。そんな中で今回、本当に待望視されていた1stアルバムがついに発表されました。このタイミングでのリリースとなった経緯はなんだったのでしょう?

GAPPER:正直『我破』以降も、DoubleDoubleの活動や客演の制作などと並行して、ソロ名義のアルバムを作ろうと思ってはいたんだけど、なかなか形にできなくて。いろいろと葛藤があった中で、昨年5lackがリリースした最新作の『Title』で、実はノンクレジットで客演した曲があって、それを制作した流れみたいな感じで、5lackが「GAPPERのもうそろそろやってみる?」って言ってくれて。

5lackが昨年リリースしたアルバム『Title』に収録されている「近未来 200X」

――「近未来 200X」ですよね。そこから約1年間の制作期間で作られた、最新作『明日が迎えに来ル迄』。制作を終えた今、率直な感想を聞かせてください。

GAPPER:『我破』の時に話した、その時のノリや熱量っていう部分よりも、アルバムとしてのクオリティだったり、1つの曲に対するこだわりだったり、あとはトラックリストの構成とか、細部まで考え抜いてていねいに作り込んだことは前作との大きな違いかもしれない。それこそ1文字単位で音とのバランスを調整したりね。

――制作面で大きな違いがあったんですね。収録曲としては、最近ではあまり見なくなったSKITを多用していている部分に、PSGらしい遊び心を感じたんですが、このSKITは何か意図があったのでしょうか?

GAPPER:俺らが昔聴いていたアルバムなんかにはSKITはよく入っていたと思うし、その場のノリで録ったようなSKITもよく見るけど、今回に関しては狙いや構成上の役割もあって、どれも意味があるんだよね。

――続いて「HOTEL@GAPARINA」でのラテン的な曲調や「Riddim good, I Remember」での哀愁漂うラップなど、これまでのGAPPERさんとはひと味違ったのも大きな発見でした。

GAPPER:やっぱり昔からの俺を知ってる5lackがプロデュースすることで、自分の潜在的な能力を引き出されている感じがすごくああったり、「HOTEL@GAPARINA」に関しては、パーティナイトのピークをテーマにしていてるんだけど、技術面に関してもフロウとかいろいろと挑戦できたりしたのは、おもしろかったね。これまで俺自身のラップって正統派とかタフなスタイルとかで形容されることも多かったんだけど、自分自身としては、もちろんそうしたスタイルに憧れてはいたし、好きなんだけど、ラッパーとしてトラップっぽいテンポのビートにのせるラップとかも興味あったし、純粋に楽しめた曲だったかな。

――確かにこれまでのGAPPERさんは、安定感のあるタイトなラップスタイルというイメージも強かったので、意外にも感じました。そういった意味では「中板物語」や「Blue Shadow」など、ストーリー性やメッセージ性の強い曲も新鮮です。

GAPPER:「中板物語」では初めてオートチューンを使ったんだけど、こんな風に変わるのかって驚いたよ。ラップやヴォーカルの表現の幅も広がるなって。この曲は、幼い頃の自分の視点から自分の母親について語っていて、初めて母親のことについて歌ったし、すごく感情的なリリックなんだけど、実はラップを始めた頃はこういう感情的なリリックもよく書いていて。そういうところを知ってる5lackだからこそ、こういうプロデュースができたんだと思う。

「Blue Shadow」については、ビートが決まって、次に曲のテーマはどうしようかと話していた時に、突然5lackから1枚の写真が送られてきて。それが夕暮れに信号待ちをしている車内から撮った街の写真だったんだ。その写真がすごく良くてさ。そういう夕方の雰囲気を曲にも落とし込もうって話になって、俺も仕事が終わった後に国道を自転車で走っている時に見える風景とか、その時よく考えていることとかを書こうと思ってできた曲だね。

――またさらなる聴きどころとして、5lackさんとの共演曲「Fujiyama」では2000年代をほうふつとさせるブーンバップ的なアプローチも感じられたり、他にも「All Day」以来のDaichi Yamamotoとのタッグともなる「Assquake feat. Daichi Yamamoto」では、互いにラップ巧者としての存在感と相性の良さがにじみ出る1曲に仕上がっていますよね。

GAPPER:普段はビートとコンセプトが決まっているところから曲作りをスタートすることが多いんだけど、「Fujiyama」に関しては、タイトルのワードから着想を得て作っていった曲なんだ。互いにイメージを持ちながら、一番得意なスタイルでヴァースを持って行って、ブラッシュアップしていった感じだね。「Assquake」に関しては、また一緒にやれて嬉しかったし、互いの成長が感じられたと思うし、良かったなって。

自分が理想としているラップの領域にまで到達していない気がするから

――ちなみにGAPPERさん自身は、普段どんな時に作品のインスピレーションを受けることが多いですか? リリックや曲のイメージなど。

GAPPER:感情が高ぶった時とかかな。例えば嫌なことがあった時とか、嬉しいことがあったりする時とかね。感情に触れた時は、そうした気持ちを素直にリリックにしたいって思うんだよ。あとは、朝起きて最初に見えた景色とか、その瞬間に感じた思いとかも大事にしているね。

――例えば家族ができてからなど、環境の変化だったりも影響しますか?

GAPPER:それはめちゃくちゃあるよ。昔と違って単純に制作の時間が限られるし、感じることも年々変わっていくし、若い頃との違いを痛感するね。子どもができてから自然と考えることも変わっていくしね。

――キャリア20年ともなると、活動初期の頃と環境も変わっていくのは自然なことですよね。また現在は30代後半となり、モチベーションの維持の仕方など、ラッパーとしての姿勢に何か変化を感じたり、意識していたりすることはありますか?

GAPPER:やっぱり1stアルバムを出したことで見える景色って全然違うんだなって。ラップのスキルとか感覚的な部分は普段の制作とかでもアップデートできたりすると思うけど、レコーディングの技術や作品の質をあげていくことはやっぱり別だよね。アルバムを出すことでしか得られないものを得られたのは大きいし、次の課題とかも明確になった気がするね。

――国内のヒップホップシーンも海外と同じように多様化が進む中で、そうした現状のシーンをどう感じていますか?

GAPPER:そうだね。今の若い子達は器用にそれぞれの個性にあったスタイルで、ラップにはいろいろなスタイルがあることを提示しているなって感心していて。だからといって俺自身もまったくそうした分野に偏見もなくて、トラップとかにのせている子とか見ると、みんなリズム感もあって上手いから、日本語ってのせやすいのかなとか思ったりして、すごく興味はあるね。それでも自分がスタイルを変えずにここまでやっているのは、きっと自分が理想としているラップの領域にまで到達していない気がするからなんだよね。基本というか、ベーシックなものにずっと憧れているのもあるかもしれないけど、そういう姿勢を俺は大事にしたいんだ。ベーシックの定義といっても人によって違ったりすると思うけどね。

――GAPPERさんらしい答えですね。あと今回のアルバムタイトルである『明日が迎えに来ル迄』に込められた思いについてもお聞きしたいです。

GAPPER:俺は昔から友達と遊ぶ時は大体夜が多くて、夜っていう時間帯にたくさんの経験をしてきたし、これからも夜は俺にとって特別な時間であることは間違いないと思ってる。今日と明日をつなぐ夜という時間に俺のすべてが詰まっているような気もしていて、よく聴くとアルバムの内容も全曲を通して、一夜を越えていくような展開になっていたりもして、このタイトルにしたんだ。それとジャケットのアートワークやアーティスト写真も、普段からお世話になっているフォトグラファーの守本勝英さんやスタイリングは石井の大ちゃんが手掛けてくれてたり、素晴らしい仕上がりになっているから、それもぜひチェックしてもらいたいね。

――ありがとうございます。それでは最後にラッパーとしてのキャリアはベテランの域にも達したといえるGAPPERさんの現在地から、今後の展望について聞かせてください。

GAPPER:このアルバムを作る前と今とでは経験も感覚も違うから、今のアップデートしたスキルとマインドを大切にしながら、現状に満足せず、次のプロジェクトに取り掛かっていきたいね。それにこのアルバムを作ったことでできることが増えたから、今までにやったことのない分野にも挑戦してみたいと思ってるよ。

GAPPER
東京都板橋区出身のラッパー。ラップグループ、PSGのGを担当。高校の同級生だったPUNPEEの誘いでラッパーとしてのキャリアを始動。当時結成されたグループIRC(板橋録音クラブ)にはPを担当するPUNPEEの実弟であるS担当の5lackも所属。その後PSGとして活動を開始し、2009年にアルバム『DAVID』を発表し、日本のヒップホップシーンに大きな足跡を残す。その後2012年にはGAPPER&5lack名義でミニアルバム『我破』を発表。2014年にはOYG、WATTERとのグループDoubleDoublelとしてアルバム『DoubleDouble』をリリース。PUNPEEはもちろん、SUMMIT関連の作品などへの客演も多く、アーティストも含めそのスキルやキャラクターで信頼を獲得。そして20年を越えるキャリアを重ね、今年遂にソロデビューアルバムを完成させた。
Instagram:@gapwiss

GAPPER
『明日が迎えに来ル迄』

(髙田音楽制作事務所)

収録内容(CD):
01.楽団ロビー(Intro)
02.Problem Shutdown
03.Fujiyama feat. 5lack
04.E T A
05.O V R
06.Riddim good, I Remember
07.社長出勤(Skit)
08.Assquake feat. Daichi Yamamoto
09.お問合せ(Skit)
10.HOTEL@GAPARINA
11.中板物語
12.Free Style(Skit)
13.Blue Shadow

Vocals by GAPPER
Produced & Mixed by 5lack
Mastered by Isao Kumano(PHONON)

Photography Yuki Aizawa
Text Yuho Nomura

author:

相沢修一

宮城県生まれ。ストリートカルチャー誌をメインに書籍やカタログなどの編集を経て、2018年にINFAS パブリケーションズに入社。入社後は『STUDIO VOICE』編集部を経て『TOKION』編集部に所属。

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