ラッパーであり、音楽家でもあること──Ryohuがソロデビューアルバムに刻んだ人生の軌跡と、この先への思い

KANDYTOWN所属のラッパー、Ryohuが1stアルバム『DEBUT』を完成させた。誰よりも自由にボーダーレスな活動を展開しながらヒップホップのフィールドのみならずバンドも含めさまざまなアーティストとセッションし、その闊達自在な音楽表現を研ぎ澄ませてきた彼が、30歳にして作り上げた本当の意味での処女作。それは、自身が歩んできた道のりを総括しながら、あるいは冨田恵一をはじめ信頼を寄せるプロデューサー/ミュージシャン達の力を借りてこれまで触れてこなかった音楽的なアプローチも見せながら、「今を生きる」=この人生を謳歌することの醍醐味を刻みつけた大きな1枚となった。Ryohuその人に本作が誕生するまでの軌跡を語ってもらった。

自分の人生を曲にしたらこういうアルバムになった

──Ryohuくんのこれまでの音楽人生を鑑みると、1stアルバムという響きがなんとも感慨深いものがあって。

Ryohu:むしろ「1stアルバム」という概念がなかったら、こういうアルバムを作ってなかったかもしれないですね。今までのようなあり方で活動をし続けるのはすごく自然なことでもあると思うんですけど、今年30歳になって──中高生から曲を作り始めて、19歳からズットズレテルズやBANKROLLというクルーで音楽をやり続けてきたことを考えると、このタイミングで1stアルバムを作ったことも自分にとって自然な流れだったかなと思うんですよね。ハタチになる前からハマくん(ハマ・オカモト/OKAMOTO’S)やレイジ(オカモトレイジ/OKAMOTO’S)に下北沢GARAGE(Ryohuのホームグラウンドともいえるライヴハウス)に連れて行ってもらって、そこからいろんなミュージシャンとセッションしてきて。その中で亮介さん(長岡亮介/ペトロールズ)やこいちゃん(小出祐介/Base Ball Bear)と出会って、本当にたくさんの先輩のミュージシャンと遊んできたから。ずっと僕は先輩からかわいがられてきた後輩という感じだったと思うんですよ。

──確かに。

Ryohu:でも、あの頃から30歳になった自分を、本当に漠然とだけど考えていたんですよ。後輩という感じではなく、自立している1人の男になりたいな、みたいな。20代までは流れに身を任せていけば大丈夫だろうと思っていたけど、30歳からはそれではちょっとカッコつかなくなるんじゃないかなって。

──実際に20代のRyohuくんはその時の流れや人との縁を大事にしながら風に身を任せるように音楽と向き合っていたように思います。

Ryohu:身を任せていましたね。むしろそうしようとも思っていたし。そうやって生きてきて、20代の終わりに結婚したり、今年の8月に子どもが生まれたりして。

──アルバムの曲で言うと、「Eternal」や「You」に父親になった心情が表れてますね。

Ryohu:「Eternal」も「You」も去年の12月くらいには録ってたんです。子どもができたということをこのアルバムを制作している時に知ったのでそれを歌詞に反映しようと思って。まだ男の子か女の子かわからなかったけど、「You」を書いて。

──そういう意味でもこのアルバムはRyohuくんの軌跡を記したドキュメンタリー的な作品でもありますよね。

Ryohu:そうですね。自分の思い出も込みの歴史的なものになったし、そういうアルバムにしたいと思って作ったところがあって。今までも作品は作ってきたけど、今まで以上に世の中に残すという意識が強かった。

──モニュメンタルな作品になった。

Ryohu:うん。あとは1stアルバムという冠が付いてることで聴きたいと思ってくれる人もいるだろうし。今までも聴いてくれてた人達に対することも含めて自分の音楽の熱量、重みみたいなものをこのアルバムに入れたかったというのはありますね。

Ryohu『DEBUT』

──制作時期が1年前、2年前だったらこういうアルバムに絶対にならなかっただろうし。

Ryohu:絶対になってなかったと思います。言いたい言葉、言える言葉が変わってきたというのはデカいと思います。逆に言えなくなった言葉もあるかもしれないけど。

──でも、間違いなくシンプルな言葉の強度が増したと思う。

Ryohu:それが30代の魅力なんですかね?(笑)。

──説得力だと思う。

Ryohu:そうですね。20代では言えなかった言葉の説得力かもしれない。だから、こういう音楽を作りたかったというよりも、自分の人生を曲にしたらこういうアルバムになったという感じですよね。

冨田さんのポップセンスとの融合が、僕ができるギリギリのポップ表現のライン

──まさに。ビートはトラップっぽい曲もあるけど、トラップのアルバムではないし、オールドスクールなヒップホップを知っているラッパーのアルバムではあるけど、ブーンバップ然とした作品でもない。本当にRyohuくんだけのヒップホップ像、音楽像を描いたアルバムだと思います。それはやはり多くの曲で冨田恵一氏とタッグを組んだことも大きいと思います。

Ryohu:超デカいですね。このアルバムって自分のことを歌ってる曲が多いから、みんなに広く向けて歌ってる曲があまりなくて。冨田さんと作った「The Moment」はスケールのデカい曲ですけど、基本的には自分の至近距離にあることに対して言葉を詰めてる。でも、逆に「The Moment」があったからこそ、自分自身をより深掘りできたのかなと思います。「The Moment」は究極にポジティブな曲だと思っていて。「The Moment」の「今に生きる」というワンテーマが、ほかの曲にも全部付随してるし、ほかの曲のゴール地点にもなっているというか。その連続を深く細かく描いてるみたいな。

Ryohu「The Moment」

──「The Moment」はいつ頃生まれたんですか?

Ryohu:えっと、時系列で言うと、本当はこのアルバムはもっと早くリリースする予定だったんですよ。確か夏前にはリリースする予定だった。でも、コロナのこともあって、僕自身がマインド的になかなか前に進めなかったんですね。曲を生み出さないといけないけど、「う〜ん……」という状態が続いていて。

──「No Matter What」という曲にそういう煩悶したマインドが表れてますよね。

Ryohu:「No Matter What」は唯一、コロナ禍と対峙している自分を歌詞にしましたね。でも、あとはポジティブな曲を多くしたかったし、コロナのことを反映している曲は一切なしにしたかった。で、「The Moment」は去年の12月にはマスタリングも終わっていたんですよ。

──あ、そんな前にできていたんだ。

Ryohu:そう。でも、3月くらいからコロナでライヴもできないという状況になっていったじゃないですか。それも踏まえて一回リリースプランを練り直そうってなって。「The Moment」のMVの内容も考え直した時にディレクションを担当してくれたPERIMETRONのMargtとプロデューサーの佐々木集と「この曲はコロナのことを反映はしてないけど、今この時代に生きるということをポジティブに発信できるよね」ということを話して。露骨なメッセージ性は打ち出してないし、あくまでみんながそれぞれこの時代に生きるということを考えられるようなMVになればいいかなって。今年はコロナ以外にもいろんな問題が表出した1年だったじゃないですか。

──人種やジェンダーの問題然りね。

Ryohu:そう。そのすべてがわかりやすい答えのある問題ではない。でも、だからこそ1人ひとりが考えなきゃいけない問題だと思ってるので。MVにはそういう思いも含ませながら「今、あの友達は何してるかな?」とか「友達とケンカしてるけどどうしよう?」みたいに悩む瞬間も、正直に生きるための問題でもあると思うということを感じられるようなものにしたくて。そこに大きいも小さいもないというか。そういうムードを持っているあのMVができたおかげで「The Moment」の厚みも増したと思うし。

──それだけ「The Moment」が持ってる曲のポテンシャルが高かったということでもありますよね。コロナ前に生まれたけど、コロナ後にも堂々と歌える曲になってるわけで。

Ryohu:そうですね。そこはやっぱり冨田さんの力が大きかったですね。

──ラップ+クワイアのアプローチはチャンス・ザ・ラッパーやカニエ・ウェストの例を出すまでもなくUSでは1つのスタイルとして認識されているけど、Ryohuくんがクワイアのアプローチをするのは意外でもあった。でも、この曲を聴いて、「なるほど、その手があったか」と思ったんですね。

Ryohu:1人で作ってたらこういうビートはできなかったですね。まず、そもそもポジティブソングみたいなものを作ったことがなかったから。「ポジティブって何?」ってところから始まってるから(笑)。

──「ポジティブな曲だね」って言われることも今までだったらイヤだっただろうし。

Ryohu:そうですね。「元気出せ」とか「頑張れ」って言われると「うるせぇ」って思うタイプなので。「言われなくてもやってるわ!」って(笑)。でも今は、とにかく今を必死に生きることが何より良いことだと思っていて。

──「The Moment」のビートはよりその思いを乗せやすいと思うしね。

Ryohu:そう思います。アルバムに向かって制作する時にだいたいはシングル候補になりそうな曲をいくつか作るのが定番じゃないですか。その時に今回は僕が作ったビートじゃないほうがいいと思ったんですよ。もちろん、ビート自体は作ってたんです。でも、今回の1stアルバムにおける自分がやりたいと思ってることの一歩目は僕のビートだと今までとそんなに景色が変わらないところを歩いてるなって思われるのがすごくイヤで、究極的にはどこでもドアみたいな一歩目にしたかった。そのドアを楽しみながら開く自分、みたいな。そこからおもいきり駆け出していって、アルバム制作が終わるくらいの気持ちで臨みたいなと思って。冨田さんは同じレーベルメイト(SPEEDSTAR RECORDS)ということもあるし、あと2年前に冨田ラボに客演した仕事(2018年10月にリリースされた冨田ラボのアルバム『M-P-C“Mentality, Physicality, Computer”』で表題曲「M-P-C」を含む計4曲に参加)がすごく楽しかったんですよね。今まで数えきれないフィーチャリング曲をやってきたけど、近年で言えば一番刺激的だったなと思ってるくらいで。

──それはやはり音楽的な意味において?

Ryohu:そうですね。あとはやっぱり冨田さんの人間的な雰囲気も好きだし。

──あと、冨田さんからはヒップホップに対するリスペクトをすごく感じますよね。「The Moment」のコーラスの置き方にもそれは感じるし。

Ryohu:そう、すごくヒップホップを聴いてますよね。冨田さんがDJをやっていた時にヒップホップの曲をいろいろかけていて。

──ジャズやフュージョンの捉え方も含めて、根本的に本当の意味でオルタナティブな音楽家であるからこそ、比類なきポップマエストロとしての才気を発揮している人だと思うんですね。

Ryohu:うん。冨田さんのポップセンスとの融合が、僕が表現できるギリギリのポップ表現のラインだと思っていて。自分の感覚にある日本のポップスのフィールドで自分がソロでやれる限界が「The Moment」なのかなと思うんですよ。そのボーダーラインは数年後に変わってるかもしれないけど、今のボーダーラインはあそこだったというか。

──なるほど。すごく合点がいく話ですね。

Ryohu:去年の10月か11月くらいに冨田さんと打ち合わせをしてなんとなく「こういうのも良いですよね」と話してる中で一致したクワイアの曲があったんですよ。でも、僕もクワイアのビートは好きだけど挑戦はしてこなかったから、「何かのものまねにはしたくない」と冨田さんに言っていて。僕は普段教会に通ってるわけではないし、ゴスペルの文化的な背景に造詣が深いわけではないから。そこに僕がイージーに乗っかっちゃうのは1人の音楽家、ラッパーとしてダサいなと思っていて。だからこそ日本人のラッパーである自分がクワイアに乗る意味──それこそチャンスやカニエがやってるようなアプローチではなく、日本語のラップが乗る余地のある楽曲を目指したかったし、そういうものになって良かったなって思う。最初は不安もあったし、フィーチャリングでちゃんと歌えるシンガーを呼ぼうかなとも思ったんですけど、冨田さんが制作しながら僕の不安要素をどんどん取り除いていってくれたので、こういう形になりました。

──まさにプロデュースですよね。

Ryohu:そう思いますね。フックのリリックとかもスタジオでその場で書いて「こんな簡単な言葉でいいんですかね?」って聞いたら「むしろ今じゃないと言えないと思うよ」って言ってくれて。確かに家で書いたらもっと深いことを考えすぎちゃって伝わらないものになっていたと思うから。改めて冨田さんはすごいなと思いましたね。

ラッパーと、音楽家。その両方があるのが僕なのかなって思う

──「The Moment」があるからこそ「Heartstrings」のような内省的な曲やセルフボーストしている曲もより活きてると思う。

Ryohu:嬉しいですね。「Heartstrings」は唯一、自分の過去のあり方──曖昧こそがすべてだと思っていた自分を供養した曲ですね(笑)。

──ラストの「Rose Life」も「Ryohuがめっちゃ歌ってる!」って微笑ましくもグッとくる(笑)。

Ryohu:あの曲はラブソングだしちゃんと歌わないとな、みたいな。ビートだけずっとあったんだけど、照れがあるからずっと歌詞を書けなくて。

──「Tatan’s Rhapsody」で手紙を朗読しているのはRyohuくんのおばあさんですか?

Ryohu:奥さんのおばあちゃんです。ちょうどこの前、奥さんのおばあちゃんからもらったリアルな手紙を発見したんですけど、これを読んだ時に僕の言いたいことをおばあちゃんが書いてくれてるなと思って。音楽との向き合い方とか。

──音楽の本質をシンプルに語ってくれてるようなね。

Ryohu:そうそう。この手紙の内容は僕の活動のあり方にもリンクするし、僕がそれを説明するんじゃなくて、おばあちゃんが僕に言ってくれてる言葉がそのままこのアルバムを聴いてくれる人達にも伝わったらいいなと思って。それで「音読してください」って頼みました。すごく喜んでくれましたね。

──何度も言うようだけど、本当に人生って感じのアルバムになりましたね。

Ryohu:人生ですね。さらにここから続いていくし。

──メジャーリリース云々というよりも、30歳になったRyohuが自分の人生と音楽の現在地を描いて、さらに冨田さんの力も借りながらフレッシュなポピュラリティにタッチできたということをすごく重要だと思います。

Ryohu:晴れて、翼が両方生えた感じがしますね。

──ちなみにKANDYTOWNのメンバーからの感想は?

Ryohu:「音楽家だね」って言ってくれましたね。すごく言われるのは、僕はラッパーではあるんだけど、いわゆる生粋のラッパー像ではないというか。「だからRyohuは長く音楽家としてもあり続けられるんだろうね」って言ってもらいましたね。

──ある時期から自らラッパーだけではなく音楽家としての道も歩み始めていたと思います。

Ryohu:そうですね。シンプルに音楽が好きだからその道を選んだのかもしれないですね。

──KANDYTOWNのビートも音楽家として作ってるような感触があるんですよね。

Ryohu:ラッパーであり、音楽家でいるというのはデカいキーワードかもしれないですね。本来なら音楽家の中にラッパーも含まれるのかもしれないけど、僕の中ではそれぞれ独立した状態にあって。その両方があるのが僕なのかなって思う。

──話が早いかもしれないけど、このアルバム以降、あるいは2021年に向けてのビジョンはありますか?

Ryohu:あえてまだ考えないようにしてます。それこそこのアルバムをみんなに聴いてもらって、いろんな感想や思いを知りたいなと思って。1stアルバムをリリースしたという実感を楽しんだあとに感じることが次の作品につながるのかなって。唯一、今言えることがあるとすれば、このアルバムは参加してくれる人達がこれまで以上に増えたんですけど、もっと増えてもいいのかなと思っていて。もっといろんな人が参加してるアルバムを作ってみたいですね。今回は自分自身を歌うことに重きを置いたけど、次はフックをフィーチャリングゲストに歌ってもらう曲がいくつかあってもいいと思うし。今まで一緒に遊んできた人、意外と一緒に曲は作ったことがなかったけど仲の良い人、ステージ上のセッションはしたことあったけど初めて一緒に曲を作る人とか、そういう人達と制作をしてみたいと思いますね。それくらい、2020年はこのアルバムを作るためにやり切りました。

Ryohu
HIPHOP クルー・KANDYTOWN のメンバーとしても活動するラッパー/トラックメイカー。10 代より音楽活動を始める。OKAMOTO’S のメンバーとともにズットズレテルズとして活動。2016 年、KANDYTOWN として1stアルバム『KANDYTOWN』をリリース。2017 年にはソロとして本格始動し、EP『Blur』(2017年)、Mixtape『Ten Twenty』(2018 年) を発表。Base Ball Bear、Suchmos、ペトロールズ、OKAMOTO’S、あいみょんなどさまざまなアーティストの作品にも客演。
Twitter:@ryohu_tokyo
Instagram:@ryohu_tokyo
https://www.ryohu.com/

Photography Kentaro Oshio

author:

三宅正一

1978年生まれ、東京都出身。雑誌「SWITCH」「EYESCREAM」の編集を経て、2004年に独立。音楽をはじめとしたカルチャー全般にわたる執筆を行う。Twitter:@miyakeshoichi Instagram:@miyakeshoichi

この記事を共有