連載「いつでもSF入門」vol.0 SFに何ができるか?

映画やマンガ、ゲーム、さらには音楽やファッションにまで多大な影響を与えている「SF」というジャンルについて、もう少し知りたい。そんな人にうってつけの連載がスタート。気鋭のSF研究家・アンソロジストの橋本輝幸が古典作品から最新の動向まで、“少し深め”に紹介していきます。

サイエンス・フィクション(SF)っぽい。そう聞いた時、あなたは何を想像するだろうか。宇宙の旅、複雑な機械、新しい科学技術、ネオンサインきらめく大都市。あるいはタイムトラベル。答えはおそらく、人によって千差万別だ。

近ごろ日本ではSFに対する注目が高まっているようだ。中国のSF作家・劉慈欣の〈三体〉シリーズが37万部を突破し(2021年5月時点)、フジテレビが『世界SF作家会議』という番組を放映し、ビジネスでのSF利用をテーマにした書籍が立て続けに出版されている。原因はいくつかありそうだが、SFが役に立つことを期待されていそうなのは確かだ。世界的なCOVID-19の流行という未曾有の事態を受けて、SF作家達は各国でコメントを求められた。例えばフランスの書籍情報メディア「Bibliobs」は2020年4月に劉慈欣、ウラジーミル・ソローキン、ウィリアム・ギブスンといった作家達のインタビューを掲載した

SF作家は予言者か

創元SF短編賞からデビューした芥川賞受賞作家の高山羽根子はこう語っている。
「近ごろSF小説家にも予言を求めるような流れがあるように感じます。社会が効率を求めるからこそ、たくさんある枝分かれのなかで一つを選ぶ予言が求められるわけですけど、SF作家は真逆で、枝分かれを作ったり枠を取っ払ったりする仕事ですよ」(p.78, 「高山羽根子+小川哲 新たな小説の分岐を求めて」,『小説トリッパー 2021年夏号』, 朝日新聞出版, 2021)。

SF作家を未来予測の頼みの綱にするのには筆者も懐疑的だが、社会や天災への不安が高まる21世紀に、否応なく考えざるを得ない未来について理解の手がかりが求められるのは納得できる。わからないものを知って安心したいという需要があるのだろう。あるいは対照的に、現実から切り離された物語にどっぷり浸りたいという需要もあるのかもしれない。

SFってそもそも何だっけ?

そもそも、SFと呼ばれる創作にはどんな特徴があるのだろうか。『メリアム・ウェブスター英英辞典』によれば「主に実際の科学または想像上の科学が社会や個人に与える影響を扱ったフィクション」がその解答である。例えば『タイム・マシン』や『透明人間』『宇宙戦争』などの著作がある英国の作家H・G・ウェルズは、SFという言葉やジャンルが定まる前から定義にぴったりの作品を書いた。

SF評論家、編集者、作家だった米国出身のカナダ人ジュディス・メリルは、評論集『SFに何ができるか』(浅倉久志訳, 晶文社, 1972)でSFを3つに分類した。以下は論旨を筆者が端的にまとめたものである。

1.教育的ストーリー:新しい科学的アイデアを取り上げるために小説形式を利用したもの。
2.伝道的ストーリー:人間社会の技術よりも行為に関心を寄せた、比喩や風刺の小説。寓話、予言、夢想、警告などの機能を持つもの。
3.思弁小説(スペキュレイティヴ・フィクション):宇宙、人類、現実を探求し、発見し、学びとるもの。

もちろん、この分類が決定的な答えというわけでもない。メリルは冒険ものを「(略)宇宙冒険物語、つまり舞台をほかに移しただけの西部小説や歴史小説は、まったくサイエンス・フィクションとは考えないことにする」(p.22)とバッサリと排除しているが、実際は娯楽としてのSFも脈々と続いている。メリルは各分類が時に複合することもあると認めている。また、スペキュレイティヴ・フィクションという言葉はメリルの発明ではない。彼女は既存の言葉に独自の解釈を加えた。1940年代後半にはロバート・A・ハインライン(『夏への扉』などで知られる米国のSF作家)も使っている言葉で、この時は既知の科学技術を用いて「新しい状況や、新しい人間の行動のフレームワークを作る」小説を指していた。

現在のSFは科学技術が中心ではないSF、ホラー、ファンタジー、架空の歴史や未来を描いた文学なども包括する、広く便利な言葉になっている。例えばマーガレット・アトウッド『侍女の物語』やジョージ・オーウェルの『1984年』はSF小説として出版されたわけではないが、SF小説と呼ばれもする。

育ち、広がるSF

2011年、Ward Shellyが発表したインフォグラフィック「SFの歴史」が話題となった。いくつもの枝が合流しつつ分かれつつ成長した、樹木のようなダイナミックなSF史の図解である。ごらんの通り、SFは1つの種から生まれたのではなく、異なるものの集合である。神話や伝承、科学の空想、異郷での冒険といった“根”は、SFが確立する前から多くの国に存在した。やはり「SFっぽさ」の共通認識は1つには収束しないのだ。

SF文化は1920~1930年代米国における娯楽小説雑誌の相次ぐ創刊や、第二次世界大戦前後の大衆の娯楽への渇望や科学への関心に育まれてきた。科学、未来、未知への期待と恐れは黄金期からずっとSFが求められる理由の1つだった。戦後、SFは経済や娯楽コンテンツの成長と共に拡大し、映画によって世間に大いに広まった。『2001年宇宙の旅』(1968)、『惑星ソラリス』(1972)、『スター・ウォーズ』シリーズ(1977-)、『ブレードランナー』(1982)、『マトリックス』(1999)など挙げればきりがない。SFは同時期の日本でも小説、映画、マンガ、アニメ、ゲームのそれぞれで花開き、星新一の小説、怪獣やロボットをテーマとした映像作品、手塚治虫や萩尾望都のマンガなど、代表例をしぼりこむことすら難しいくらい充実した文化がある。

では、日本のSF関係者達は、SFというジャンルについてどのように考えていたのだろうか。
『奇想天外』(1974年から1990年にかけて存在したSF雑誌。独自に新人賞も主催し、新人作家を発掘した)の1977年3月号には、作家の眉村卓と鈴木いづみの対談が掲載されている。鈴木は学習雑誌に収録されていたSFやミステリを読み、親が購読していた『文學界』にも親しんで育った。鈴木はSFの広大さについてこう語っている。
「ちょっと疑問があるんですけど、SFの方から全部引き寄せてしまう現象があるでしょう。たとえば、カフカもSFであるというような。(略)変な話は全部SFになったりして。文学の主流はSFだという気がだんだん起こってくるのね」(「SF・男と女」, p.207, 『オレがSFなのだ 奇想天外放談集2』, 奇想天外社, 1978)。

少し後の時代のSF作家達の談義集『愛してるかいSF』(みき書房, 1985)を読むとジャンル論議はもはや影をひそめ、もっぱら新鋭達の執筆習慣が語られている。たとえば、ディスカッション「ぼくたち、あたしたちのSF…」に参加しているのは大原まり子、菊池秀行、斉藤英一朗、水見稜、新井素子、大和眞也、菅浩江だ。執筆ノウハウから音楽活動との両立まで話題は多岐にわたる。朝日ソノラマや集英社コバルト文庫などにSF作家の活動の場も広がっていた時代で、活況が感じられる。

逃避か、娯楽か、希望か

ここで再び、SFに何ができるかという話題に戻ろう。かつて日本でSFを開拓した人達の言葉から、彼らがのめりこんだSFの魅力を解き明かしてみたい。

矢野徹(1923-2004)は第二次世界大戦後すぐ、米軍で不要となったパルプSF書籍をもらい受けて読みふけり、日本の海外SFファンのトップランナーになった。1953年に矢野は渡米し、半年間滞在して現地のファンや作家と交流する。帰国後は作家、翻訳家として日本のSF市場で活躍した。そんな彼はこんな言葉を残している。
「昔習った言葉に効用価値というのがある。SFのそれは、逃避だ、娯楽だ、と言われるだろう。だがぼくには希望を与えてくれる効能が大きい。過去も現在もだ。ぼくにとってSFは、希望の象徴と言っていい。
その背景には、ぼくの過去、大きく言えば日本の歴史がある。ぼくのSFに対する目覚めは敗戦に始まる」(p.45,「SFに憑かれて」, 『日本SF・幼年期の終り―「世界SF全集」月報より』, 早川書房, 2007(初出1969))。

『奇想天外』創刊号の巻頭言に、同誌編集長の曽根忠穂はこう書いた。
「今、世の中では日本沈没がさわがれたり、公害問題が叫ばれたり、今にも地球が破滅したり、人類が滅びるかのような論議がかまびすしい。でも、ほんとにそうだろうか? 人間はそのような危機を何度となく経験し、克服してきた。その源となったのは、人間の類いない叡智とイマジネーションである。人間はそれこそ“奇想天外”ともいえる空想力と創造力で、地球を救い、人間生活を豊かにしてきたのである」(『奇想天外』1974年1月号, 盛光社) 

この文章は「吹き荒れる“終末ムード”に終止符を打って、奇想天外の年としたいものである」としめくくられている。矢野や曽根の文章は約半世紀経ってなお、現在の終末ムードに共鳴している。

混迷を極める時代のあたらしいSF

過去の言葉にも普遍性がある一方で、当然ながら古びてしまうSF作品も存在する。SF翻訳家の伊藤典夫はこう書いている。
「経験的にいうと、世の中のパラダイムが変わっていくその境い目を通過中の作品がいちばんダメージを受けやすい。ちゃんと検証したことがないので断言はできないけれど、SF作品はパラダイムの変わっていく時期がいちばん腐りやすく、1つのパラダイムが完全にすたれちゃうとむしろ懐かしい感覚で読めるようになる。(略)SFの設定は読者が読む時代の影響も受けるんですよ」(P.16, 「はじめに」,『SFベスト201』, 新書館, 2005)。

SFの原点は未来や科学技術についての創作だが、時に現実の写し鏡にもなり、時に現実を忘れさせてくれる妙薬でもある。それはいつの時代も変わらない。しかし変化もある。世界を見渡すと、ここ10年でSF作家の出身地や属性もぐんと多様になった。その中にはオールドスクールな、科学に注目したSFを好む作家もいれば、およそSFとは思われないSFを書く作家もいる。過去のSFの不満だった点を自分なりに改良しようと試みる作家もいる。

SFをもっと読んでみようかなと思った時、入手しやすいのはベストセラーやいわゆる古典的名作だろう。しかし繰り返すが、名作が不朽とは限らない。最新の作家の最新の作品こそ、ぴったりあつらえたかのようなあなたの理想のSFである可能性だってあるのだ。

今のSF像をタイムリーにお伝えするのは、本連載の挑戦の1つだ。そしてまた、埋もれつつある過去のSFを発掘するのも本連載の意義である。私はこれから、テーマごとに古今東西のSFを盛りつけて提供しよう。あなたが自分好みのSFにめぐり合い、それが日々の気分転換に、あるいは自分なりに思索を深める助けになれば、この上なく幸せだ。

Edit Sogo Hiraiwa

author:

橋本輝幸

1984年生まれ、SF研究家・書評家。編著に『2000年代海外SF傑作選』『2010年代海外SF傑作選』(ハヤカワ文庫SF)。 Twitter:@biotit

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