フィッシュマンズはなぜ心を揺さぶるのか? 茂木欣一が語る「日常こそがドラマチック」

フィッシュマンズがデビュー30周年を迎えた。その音と言葉の根幹を担っていたヴォーカル佐藤伸治が急逝し20年以上が経った今も、彼らの音楽はエネルギーを保ったまま、時間と逆行するように、世界にまで広がり続けている。

ドキュメンタリー映画『映画:フィッシュマンズ』の公開、書籍『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』や『別冊ele-king 永遠のフィッシュマンズ』の出版などが重なる30周年真っ中の今、結成当時からバンドとともに歩み続けてきたドラマー茂木欣一にインタビューを行い、フィッシュマンズが音楽を通して構築してきた世界やありふれた日常に向けての視点など、じっくり語ってもらった。

ずっと虜になっている「音楽が連れていってくれる」という感覚

——佐藤伸治さんは「バンドは、つづければ、つづけるほど、よくなるんだよ」という言葉を残されていますが、茂木さんにとって「30周年」と聞くと、まずどんな思いを抱かれますか?

茂木:不思議なことに、そんなに経ったのかなあって。ただ、サトちゃんと一緒に過ごしたのは12年くらい。もう彼に会えなくなってからの年月のほうが確実に長いんですよね。デビューした23歳当時は、30年後どうなっているかなんてさっぱりでしたけど、今、フィッシュマンズのことを誰も知らないという感じじゃないし、むしろその逆で。この断続的な活動のなかでより多くの人の耳に届いているのは、やっぱり特別な感じがします。とにかくフィッシュマンズの音楽には時が流れても衰えないエネルギーがあって。言ってみれば、消費されなかった。しっかり時を超えて生き残る音楽だった。それは誇りに思っていいのかもしれませんね。

——フィッシュマンズの音楽を聴くと、日常の地続きにずっとあったんだけど、気付かなかった場所に連れていってくれる不思議な感覚を覚えるんです。それは決して逃避というわけではなく、生活の中に潜んでいる“ワンダー”を教えてくれるような気がします。

茂木:まさに、その「音楽が連れていってくれる」という魅力に30年間ずっとハマりっぱなしなんです。逆に僕は現実的なことをやってきていない、世間のことを知らないなという反省はとてもあるし、自分のことを大丈夫かなあと思うこともあります(笑)。でも、やっぱりミュージシャンとしても、誰かを連れていくという魅力、連れていってあげたいという気持ちは止めることができない。今でもずっと、四六時中、頭の中で音楽が鳴っていますね。

——フィッシュマンズ結成当時からその感覚は変わらないですか?

茂木:変わらないですね。ずーっと音楽を聴いていたし、そのなかでサトちゃんの新曲はいっつも楽しみでしかたなかった。1曲1曲、本当に好きだっていう思いでいっぱいになっちゃうんです。こんなに好きな音楽に出会えて、しかも同じバンドでいられたというのはすごく嬉しい。今ちょうど、デビュー前からデビュー当初くらいの音源を聴き返していて。初ライヴのカセットテープもあるんですけど、もうね、やっぱりすごいんですよ、サトちゃん。最初はベースを弾きながら歌っていて、ザ・ジャムみたいなパンクロックっぽかったんですけど、あの歌い方やスタイルは、最初からしっかり確立していたんだなあと。「ひこうき」とか、少し静かな感じではあるけれど、そこに込められたエネルギー、楽曲に対する集中力みたいなもののすごさはずっと変わらない。そんななかで僕ら自身レゲエバンドをやるという意識はなかったけど、サウンドがレゲエっぽくなっていったことは、サトちゃんの歌いっぷりやバンドの表現にもぴったりで自然なことでした。

10代からロック一辺倒だったドラムのスタイルが変わっていくことへの葛藤

——茂木さん自身のプレイスタイルも変化していったと思うのですが、それも自然でしたか?

茂木:いや、僕自身、10代の頃は本当にロック一辺倒だったのでドラムのスタイルが変わっていくことに葛藤はありました。ジミ・ヘンドリックスとかザ・フーが好きだったし、ドラムを破壊するような映像を見て「うわ!かっこいい!」みたいなタイプだったんで(笑)。それでもレゲエに向かっていったのは、やっぱり佐藤伸治という圧倒的な才能を前にして、「この人についていきたい」という気持ちが何よりも勝ったということだと思います。「彼のためにドラムの腕を磨きたい!」という気持ちがすごく大きかったです。

——「彼のために」という意識だったんですね。

茂木:そうですね。これだけの才能の人と出会えたから、彼に相応しいドラマーでいたいという気持ちで溢れていました。これだけの楽曲を作る人のドラムが散々だったら話にならないじゃないですか(笑)。それこそ僕のドラムが話にならなかったら去っていくべきだな、くらいの思いはありましたね。他のメンバーもそれぞれとても魅力的で。小嶋(謙介)さんと僕とサトちゃんでトリオ編成だった時のコンビネーションもあるし、(柏原)譲が入って人が1人変われば、そこからまた新しいバンドサウンドが構築される。それまでキーボーディストがいなかったところにハカセが参加すれば、また新しいバンドのアレンジが生まれて……。譲とハカセは最初から上手だったから、僕と小嶋さんが頑張らねば! という感じでしたし、そういう変化に対しての1人ひとりの戦い、個々が磨いていくことは増えていきました。

——まさに人が変わると変化がもたらされて、ある種バンドそのものが生き物のように新たな道に進んでいくと思うんです。そんななかで、フィッシュマンズはプライベートスタジオ「ワイキキ・ビーチ〜ハワイ・スタジオ」を作り、そこで世田谷三部作『空中キャンプ』『LONG SEASON』『宇宙 日本 世田谷』が生まれました。環境の変化は楽曲やバンドに何をもたらしましたか?

茂木:プライベートスタジオは相当な革命でした。僕らにとっては——とくにサトちゃんにとっては願ったり叶ったりだったんじゃないかな。本当に日常の延長線上で常にレコーディングできる場所を手に入れちゃった。それまでは当然、大きなレコーディングスタジオにみんなで通っていたわけで、レコーディングってそういうものだと思っていたんです。でも、そこから解放されて着の身着のままでプライベートスタジオの鍵を開けて、好きな時間にスタジオに入って……。

——解放、だったんですね。

茂木:うん、やっぱり大きなスタジオにいるといろんな人が周りにいて、音楽以外に気にすることがたくさんあったんですよね。フィッシュマンズってそういうのがなければないほど良くて。サトちゃんは1人で勝手に下北沢の家からスタジオに通って、1人で歌ってた。誰のことも気にせず、部屋で思いついたことをそのままできるっていうのは相当大きかったと思います。

例えば、「BABY BLUE」は普通にレコーディングスタジオに入っていたら、ああいう歌い方はまず無理だと思う。実際どういうふうに録ったか知らないけど、横になって肘でもつきながらマイクに向かって、物思いにふけって歌ってたんじゃないかなあ。プライベートスタジオだからこそ、ああいう儚い感じ、歌い方が記録できたんじゃないかと思っています。僕も、夜が明けるまでやっていても誰からも文句を言われないし、『空中キャンプ』でいうと、「ナイトクルージング」とかドラムが20テイクを超えても、苦しくともなんともなかった。むしろ夜中に芽生える「あぁ、完全に自分の身体にこの曲が入ってきたな」みたいな感覚が気持ち良かったです。

フィッシュマンズの音楽はただただリアル

——ドキュメンタリー映画のなかで、小嶋さんがデビュー当時を「プレイは下手だったけど、構築した世界は良かった」と振り返っていらっしゃいました。今お話ししてくださったように人が変わっていったり環境が変わっていったりするなかで、フィッシュマンズが構築していた世界ってどんなものだと思いますか?

茂木:日常のなんでもない一部分を音楽に落とし込む、という感じかなあ。フィッシュマンズの音楽は決して結論めいていないし、結論を求めるわけでもない。とある生活の一部分が切り取られていて、それがずっと続いていく。それは優しさでもあって、厳しさでもあるんですよ。サトちゃんの楽曲ありきなんだけど、日々歩いている感じをみんなで音にしていくということが、フィッシュマンズの世界なんじゃないかと思います。

——そんな音楽を生み出し、奏で続けるなかで、茂木さんご自身も日常や生活の見え方がどんどん変わっていったんじゃないかと想像しますがいかがですか?

茂木:そうですね。日常こそが一番ドラマチックなんだなって。日が暮れそうな時の、嬉しいような悲しいような、なんとも言えない心を揺さぶる感じが一番の宝物だと思うんです。日常のなかにある些細なことを見つけるか見つけないかという僕自身の視点は、フィッシュマンズの音楽に出会って変わったと思います。だから、「嬉しい!」だけじゃなくて全然良くて、「寂しいな」っていう気持ちも持ち続けていくことがとても大事になりました。

——明確に表せない感情のグラデーションがすごくキラキラする瞬間ってありますよね。「日常こそ一番ドラマチック」というのは、まさにそうだなと思いました。

茂木:そう、些細なことが一番心を揺さぶるんですよね。だから、嬉しいことも悲しいこともあって、それで人生があって、生活が続いていく。そういうものだよねっていう、とてもリアルな音楽です。「MELODY」の<あと2時間だけ夢を見させて>みたいな気持ち、そういう言葉にならなさそうなことがうまく言葉になって、きっと聴いてくれた人達も「わかる」と感じてくれると思うんです。でも、その「わかる」も1人ひとりまたバラバラで。それがフィッシュマンズの音楽の魅力的なところなんだよって思う。そういう言葉が僕の心を常にくすぐるんです。

——忘れてしまいがちなことでもあるし、30年前と今は、世界の様子も世間の空気も違うけれど、その揺さぶられる感覚ってすごく普遍的で、国籍や年齢、性別関係なく、本質的に人間が感じられるものだと思います。

茂木:そうですね。今、海外の方がフィッシュマンズをたくさん聴いてくれているのってなんでだろうと思っていて。例えば「LONG SEASON」が海外の人に相当受け入れられているのって、歌詞がわからなくても確実にその空気感が届いているからだと思うんですよね。サトちゃんの作った楽曲は時も場所も超えていろんな世代の人の心に語りかけて、揺さぶる。僕自身も揺さぶられ続けている。その揺さぶられた心こそが、フィッシュマンズのアートだと思うんです。

ドラムソロに託した風景。1音を鳴らす責任

——音単体には言語のような共通認識や意味合いを持たせづらいと思いますが、フィッシュマンズのサウンドは1音1音意思を持って、さらに楽曲全体をもって言葉にならないものをかたちにしていますよね。

茂木:そうなんですよね。だから、譲のベースだったら、どんなことがあっても倒れない強い意志、HONZIのバイオリンだったら、思い切り日差しを浴びている感覚みたいなものがサウンド化しているというか。書かれている歌詞だけが歌詞じゃなくて、言葉がない部分の音1つひとつにも確実に感情がある。

僕の場合、フィッシュマンズの楽曲においては、時間とともに音を鳴らすことの重要度が増していきました。ここで思い切り気分を変えるっていう絶妙な瞬間、その1回だけシンバルを鳴らす。そのピークの瞬間に鳴るシンバルの音ってものすごい影響力なんですよ。そういう1音の責任がどんどん変わっていきました。「LONG SEASON」は結構そういう音があって。最後の最後にフィルを思いっきりまわしまくって、シンバルとゴングのサンプルを連打して……あー、いろいろ思い出してきた!

——何を思い出しました?

茂木:「LONG SEASON」のドラムソロは、脳裏に浮かんだことをできるだけ音に変換するつもりでやっていたんです。だからソロは、「ある夏休みに見た花火」を自分のなかでテーマにしていて。<思い出すことはなんだい?>っていう言葉に対して、「あの日に打ち上がった、海沿いで見た、あの花火のあの光景なんだよね」っていうことをドラムソロに託していました。特にイメージを共有したりはしていなかったし、もちろんある程度サトちゃんのなかにデッサンはあるんだけど、メンバーそれぞれの頭の中にキャンバスがあったはずなんですよ。それによって生まれるイマジネーションの広がりがやっぱりすごくおもしろいと思います。

勘違いがフィッシュマンズの個性を生んだ

——そういう予定不調和を楽しむ気質が、先ほどおっしゃっていた、揺さぶられる感覚にも繋がっているのかなと思いましたがいかがでしょう?

茂木:サトちゃんも最初は要望を結構言ってたような気がするんですよ。でも、ある時期から「任せる」っていう感じになって。予定不調和というところで言うと、確かに最近の音楽を聴いていると、画面上の音符みたいなものが、ちょっと見えてくる感じがあるというか。僕らの頃は情報が少ないなかで、勘違いも含めて「こういう感じかな?」って手探りでやっていましたし、たとえそれが間違いでも結果的に僕達だけの個性になっていけば正解と言えた。

だから僕、譲と一緒に、「ああいう音にするにはどうしたらいいんだろう?」って延々と喋って、音出して、おもしろいけどわけわかんない、みたいなことをしていました(笑)。その人力加減が、きっとフィッシュマンズの大事なところに繋がっていて。でも、今の子達は触れられる情報が多いし、YouTubeで映像も見れちゃうから、勘違いできないのかもしれないですね。

——確かに曖昧さや勘違いって、ミュージシャンに限らずあまり許されないようになってきた気がします。

茂木:今の音楽ってアンサンブルで縦の線がきっちり合っていないと落ち着かない、みたいなことがあると思うんです。だからこそ、若い世代のバンドの子達と、彼らの美学がどこにあるかとか、そういう話をすごくしたい。だって、フィッシュマンズの音源を波形で見たら、絶対あっちこっちいってますよ。でも、僕からすると、それこそが、他の人達にはないバンドの揺らぎだし、それがあるから「フィッシュマンズ」っていうバンド名がついているんじゃないの?ってずっと思っています。

茂木欣一
1967年、東京都生まれ。愛称は“欣ちゃん”。1987年、明治学院大学在学中にサークル仲間だった佐藤伸治、小嶋謙介とフィッシュマンズを結成する。1991年にメジャー・デビューするが、1999年に佐藤が急逝したことで、事実上の活動停止になるもヴォーカルを迎えて暫定的にフィッシュマンズを継続してきた。2001年に親交の深かった東京スカパラダイスオーケストラへ加入。その後、So many tearsなどのバンドの他、アーティスト作品への参加など幅広く活動している。デビュー30年を迎えた2021年に『映画:フィッシュマンズ』の公開や『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』(イースト・プレス)『別冊ele-king 永遠のフィッシュマンズ』(Pヴァイン)などの書籍が発売された。

■映画:フィッシュマンズ
時間:172分
公式サイト:fishmans-movie.com

■僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ
著者:川﨑大助
価格:¥2,310
ページ数:456ページ
発行:イースト・プレス

■別冊ele-king 永遠のフィッシュマンズ
編集:三田格、野田努
価格:¥1,870
ページ数:192ページ
発行:Pヴァイン

◼︎詩集ロングシーズン 増補版
著者:佐藤伸治
価格:¥2,365
ページ数:208ページ
発行:河出書房新社

Photography RiE amano
Hair & Make up Chiaki Tsuda
Edit Jun Ashizawa(TOKION)
Special Thanks Kosuke Maruo
Cooperation Shinjuku Dialogue

author:

飯嶋 藍子

フリーエディター / ライター。1990年生まれ。北海道帯広市出身。学生時代に主婦の友社、リットーミュージックで編集アシスタントを経験後、ロッキング・オン・ジャパン、CINRA.NETでの勤務を経て、2017年夏に独立。『BRUTUS』『TOKYO VOICE』『GRIN』などに寄稿。好きなものは自然と動物。特技はオラクルカードリーディング。 Instagram:@aicoyote

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