異能の音楽家・松木美定の全貌 ハード・バップとポップスが交錯する煌めきの音世界はいかにして生まれたのか

松木美定とは一体何者なのか? 2020年にネット上でその存在を知って以来、筆者はこの謎めいたアーティストの楽曲にすっかり魅了されてしまっている。きっかけとなったのは配信シングル『実意の行進/焦点回避』。ハード・バップを雛型とした、流麗なリズムとコードワーク。憂いを帯びたヴォーカル・メロディと、耽美な詞世界。この2曲を耳にするだけで、松木と名乗る音楽家の才能が破格であることは明らかだった。しかも驚くべきことに、ここに収められた演奏のすべてが松木1人の手によるものだというのだから、とにかくこの人は底が知れない。

そんな松木美定が3曲入りEP『ルミネッセンスで貫いて』をリリースするということで、このたび松木に取材をオファー。念願叶って、ついに本人と話せる機会を得た。早速ZOOMで中継をつなぐと、確かに画面の向こう側からは松木の声が聞こえてくるが、その画面上にはイラストの静止画が映し出されるのみ。ということで、本人が自ら描いた猫のイラストと向き合いながら、松木との対話は始まった。

音楽との出会いと変遷を振り返る

――松木さんはなぜ「猫」をご自身のイメージに選んだのですか?

松木美定(以下、松木):昔から実家でずっと飼っていたのもあって、猫が単純に大好きなんです。あと、これは自分で言うのもアレなんですけど、猫の気まぐれで人と付かず離れずな性格が、自分に似ているなと思ったからですね(笑)。

――では、松木さんがこれまでアートワークに描いてきたキャラクターについてはいかがですか? 特に松木さん自身が投影されているわけではなく、あくまでも架空の人物?

松木:アートワークの人物については、確かに架空とも言えるんですけど、絵を描く時は鏡を自分の前に置いて「こういう体勢になると輪郭はこう見えるんだな」みたいなことを確認しながらいつも描いてるので、そういう意味ではどのキャラクターも自分自身を参考にしている、とも言えますね。

――なるほど。そんな松木美定さんはこれまでにどんな音楽と触れてきたのでしょうか? 音楽家として活動を始めるまでの変遷を教えてください。

松木:最初に触れたのは、両親が車の中でかけている音楽でした。特によく覚えているのは、母親がかけていたカーペンターズですね。父親の車では日本のフォークソングがよく流れていたんですけど、当時の僕はどっちかというと、母親がかける洋楽を好んでました。

――確かにカーペンターズは今の音楽性にも影響を与えていそうですね。

松木:影響はかなり受けていると思います。それこそ生まれてから小学校を卒業する頃まで何気なく聴いてた音楽なので、そこはもう染み付いているというか。でも、当時は音楽にそこまで興味がなくて、それよりも山で遊んだりするほうが楽しかったですね(笑)。

――松木さんは静岡の山育ちなんですよね。

松木:そうなんです。なので、小さい頃は自然に触れている時間が一番楽しかったんですけど、中学で強制的に何か部活に入らなければいけなくなって、それで吹奏楽部に入ったんです。

――それまで何かしらの楽器を習ったりは?

松木:本当に短期間ですけど、小学校の頃に少しだけピアノ教室に通ってたことはあります。でも、当時はホント音楽に興味がなくて、「早く家に帰って昨日捕まえたクワガタを見たいな…」とか、そんなことばかり考えてました。先生も怖かったし、結局すぐに辞めちゃったので、そこで自分のプラスになったものはあまりなかったですね。

――では、吹奏楽部への入部が音楽に関心を持つきっかけに?

松木:いや、そうでもなくて。本当は帰宅部がよかったんですけど、校則で特別な理由がない限りは部活に入らなければいけなくて、しかも野球部か吹奏楽部しか選択肢がなかったので、それなら吹奏楽部かなと(笑)。

――能動的に音楽を聴くようになったのはいつ頃から?

松木:それは高校に入ってからですね。友人に勧められて聴いたクイーンがきっかけとなって、自分から積極的に音楽を聴くようになりました。

――クイーンのどこに惹かれたんですか?

松木:たぶんそこはカーペンターズと同じで、やっぱりメロディだと思います。で、そのクイーンを僕に勧めてくれた友人がジャズ好きで、高校で部活が終わったあとにみんなとジャズ・バンドを始めたんです。そこからジャズがどんどん好きになって、吹奏楽部ではトランペットをやっていたのもあって、大学のジャズ研ではトランペット・プレイヤーとしてしばらくセッションをやってました。

ジャズ、ハード・バップに魅せられ、作曲に目覚めた大学時代

――作曲に取り組むようになったのは?

松木:たぶんそれは2012年の終わり頃かな。大学の先輩が演奏していた、バド・パウエルというピアニストの「Oblivion」を聴いた時に、今まで経験したことがなかったほどの衝撃を受けたんです。こんなに美しい音楽がこの世にあったのかと思って、こんな曲を自分でも書いてみたいと思ったのが、作曲を始めるきっかけになりました。

――「Oblivion」が松木さんの琴線に触れたポイントはどこにあったのでしょう?

松木:メロディとコードのギャップですね。「Oblivion」はメロディがすごく単純で、音を1小節ごとに伸ばしているだけの曲なんですけど、そのメロディがとても美しかったし、メロディの後ろで使われているコードもすごく新鮮で、そこには当時の僕がまだ味わったことのない感覚があったんです。

――ジャズ研ではトランペットをメインでやってたんですよね? バド・パウエルがきっかけで作曲を本格的に始めたということは、ピアノにもそれから取り組むようになったんですか?

松木:はい、作曲と同時にピアノの練習も始めました。当初は「バドみたいなピアニストになれないかな」とも思ったんですけど、結局ピアノは伴奏する程度しか弾けるようになれなくて。

――松木さんの楽曲における複雑なコード感は、やはりバド・パウエルに由来するものなんですか?

松木:さまざまなジャズを聴いていく中で、一時期ちょっと排他的になったというか、しばらくポップスから離れた時期があって。それこそ当時は「ジャズ以外は認めない!」みたいな感じだったんですけど(笑)。そうやってバドから派生して知った曲をたくさんコピーして、そこから理論を学びつつ、自分なりのリハーモナイズ(コードを置き換えるテクニックの総称)を開発していった結果が、今の松木の楽曲につながっているような気がしてます。

――具体的には当時どのようなジャズを探求していたんですか。

松木:バドを聴いてから松木として活動を始めるまでの時期は、ハード・バップの代表的なミュージシャンの楽曲を勉強してました。それこそ当時はホレス・シルヴァーの現代版になりたいと思ってハード・バッププレスみたいな曲を作りつつ、そこに自分なりの要素を当てはめてみたり。

松木美定「実意の行進」

――「実意の行進」という曲では実際にホレス・シルヴァーのフレーズが引用されてますね。

松木:そうですね。やっぱりメロディの良さだけは譲れないし、いかにも「リハモしてまっせ」みたいな感じにもしたくないんだけど、聴いた人達がドキッとするような曲を作ってみたい。「実意の行進」はそういうバランスを探りながら作った曲ですね。

ポップスと出会い、音楽家・松木美定が誕生するまで

――そこまでジャズにのめり込んだ松木さんは、どんなタイミングでポップスに再び興味を持ったんでしょう?

松木:ジャズ研の後輩から、Lampの「冷ややかな情景」という曲を勧められたんです。それがあまりにもいい曲で、それこそバド・パウエルを初めて聴いた時と同じくらいの衝撃を受けて、「ポップスの世界はこんなに素晴らしかったのか」と。そこでまた急にポップスへの興味が湧いてきたんですけど、そこで自分もポップスに行きたいとは思わなくて。むしろ当時はLampの曲を研究してジャズに生かせないかと思ってたんですけど、そのLampをきっかけとして他のミュージシャンも発見していくうちに、日本の同世代のミュージシャンへの親近感と、ある種の嫉妬みたいなものが生まれてきて(笑)。自分が今まで培ってきたハード・バップのエッセンスを生かしてポップスを作ってみたい――そういう気持ちが芽生えていったんです。

――そこで最初に生まれた楽曲が、2019年1月にサウンドクラウドで公開された「シゴトップス」ですね。その後に松木さんが発表した楽曲と比べると、「シゴトップス」は異色というか、ポップスのクリシェをあえて使っているように聞こえます。

松木:確かにそういう意識はありました。というのも、いざ取り組んでみると、ポップスを作るのってすごく難しくて。それで流行ってる曲をいろいろ聴きながら、なんとかポップスに寄せてみようと。実際、「シゴトップス」の曲調やドラムはかなりJ-POPっぽいと思います。ただ、サビのコード進行とかはハード・バップ然としたものになっていて。

松木美定「シゴトップス」

――流行のポップ・ソングに取り組む上で、松木さんはどんな曲をリファレンスにしたんですか?

松木:「シゴトップス」の時はサカナクションの「新宝島」とかを聴いてましたね。これをリファレンスに、とりあえず1曲仕上げてみようと。

――ある意味「シゴトップス」は習作であって、ポップスとハード・バップの融合が具体化し始めたのが「実意の行進」以降の楽曲ということ?

松木:完全にそうですね。

“ポップス meets ハード・バップ”を軸に、さらなる先を魅せた新作EP

松木美定『ルミネッセンスで貫いて』

――新作EPの表題曲「ルミネッセンスで貫いて」は、まさにそのポップスmeetsハード・バップ路線を踏襲しつつ、ミュージカル音楽的な展開に松木さんの新境地を感じました。この曲はどのようにして生まれたのでしょうか?

松木:今回のEPを作るに当たって、その目玉になるような曲がなかなか作れないなーと思っていた時期に、『宝石の国』というアニメを観たんです。『宝石の国』は少女漫画を原作とするCGアニメで、背景から何からとにかくキラキラしていて。それを観た時に、コロナ禍の気分が落ち込むような時だからこそ、自分は輝かしくてロマンチックな曲を作りたいなと思ったんです。そこでまず宝石の本を買って、その本を見ながらアートワークを作り始めました。で、そのアートワークを眺めながらメロディを考えつつ、今回はちょっとクサいくらいにロマンチックな言葉をタイトルにしたいなと。そこで宝石が放つ光の効果とかを調べていく中で「ルミネッセンス」という言葉を発見して、これはいいなと思ったんです。

――アートワークに描かれたキャラクターは、どういうイメージから生まれたんですか。

松木:「ルミネッセンス」にはいろんな種類があって、例えば蛍やクラゲが自ら光ることを「バイオルミネッセンス」というらしいんですね。それを知った時、それならクラゲと宝石を融合させた新しい人種を書いてみようと。そういうイメージから生まれたアートワークですね。

――2曲目「甘い雨の舞踏」ではハープシコードが大々的に鳴っていて、ブラジル音楽っぽいリズムはそれこそLampに通じるものを感じます。

松木:今作を作るに当たって、これまでの作曲ノートを一通り振り返ってみたら、1冊目に書いたノートの最初のほうにこの曲を見つけたんです。つまりこれは2013年頃に作った曲なんですけど、今の自分からするとすごく新鮮というか、当時だからこそ書けた曲だと感じたので、自己紹介としてこういう曲を入れるのもいいかなと。もともとはスウィングだったものをボサノヴァみたいなリズムに変えて、そこから歌詞を当てはめていきました。

――作詞でいつも苦労するとツイッターにも書かれていましたね。リリックにおいてはどのようなことを心掛けていますか。

松木:これは今まで作ってきた曲すべてに言えることなんですけど、基本的に僕の歌詞はすべて自分に向けて書いたものなんです。で、それが聴いてくれた人への励ましにもなってくれたらいいなって。「甘い雨の舞踏」もそうですね。というのも、このコロナ禍をずっと1人で過ごしていたら、ちょっと体調を崩してしまいまして。僕自身は1人時間がすごく好きなんですけど。あまり塞ぎ込んでもよくないんだなと身をもって実感したので、それをそのまま歌詞にしてみました(笑)。

――松木さんにとって楽曲制作は、セルフケアみたいな側面もあるということ?

松木:ええ、まさにそうだと思います。

――3曲目「湖畔の舟」も、松木さんらしいエレガントなポップ・ソングですね。

松木:2019年頃に「習作シリーズ」としてサウンドクラウドに曲をアップロードしていた時期があって、「湖畔の舟」はその頃に書いた曲ですね。当時の僕はギターを練習していたのもあって、試しにギターでメロディを作ってみようと。やっぱりトランペットやピアノで作ってると、つい手癖みたいなものが出ちゃうので、そこから脱却しようと思って作った曲ですね。いざやってみたら難しかったし、自分としては実験的な取り組みだったんですけど、意外といいメロディが作れたなと思ってます。

――これほど緻密なバンド・アンサンブルをすべてDTMで作っているというのも、松木美定という作家のすごさだと思います。実際のところ、松木さんはDTMという手法とどう向き合っていますか? つまり、バンド・サウンドを1人で再現するためのツールと捉えているのか、それともバンド以上の可能性をDTMに見出しているのか、ぜひ知りたいです。

松木:DTMはバンドを一緒にやる人がいなかったから始めたんですけど、勉強していくにつれて、すべてを自分の手でコントロールできることがどんどん楽しくなってきたし、聴いてくれた人に「これはバンドが演奏してるんでしょ?」と思わせたい気持ちもあって。でも、その一方でいつかはバンドを組みたいという気持ちもあって。それこそ僕1人からは生まれないアイデアや意見も欲しいという思いもありますし。今作っているデモのどれかで、誰かにギターやドラムをお願いしたいなとも思ってるので、そこは狭間ですね。バンドとDTM、どちらにも同じくらいの魅力があると思ってます。

――ヴォーカリストとしてはいかがですか? 松木さんの書く楽曲はどれもメロディの音域が広いので、ご自身に求める歌唱力のレヴェルも自ずと高くなるのではないかなと。

松木:そこは本当にいつも苦労してて、それこそ曲を作る時は「今回こそ身の丈に合う曲にしょう」と思うんですけど、いざメロディができあがると、毎回あんな感じなんですよね(苦笑)。歌のトレーニングをしたこともないので、そこに関しては限界を感じることもありつつ、楽曲に合う声やニュアンスを探しながらいつも歌ってます。

――他の歌い手に楽曲提供することへの関心はありますか? 松木:いつかやってみたいですね。自分の書いた曲を誰かに歌ってもらいたいという気持ちは当然あるし、もちろんこれから先も自分の声で歌っていきたいなと思ってます。まだ先のことはわからないですけど、総合的に音楽をプロデュースしていけたらいいですね。

松木美定
1993年生まれ。静岡県出身。20歳からピアノと作曲を独学で始め、HORACE SILVER等の楽曲を研究、模倣し、ハードバップスタイルの楽曲を趣味で書くようになる。2018年春頃、周りから薦められた素晴らしい邦楽を聴きその魅力に気付き自分でも作りたいと思うようになり、2018年11月末にトラックメイカーの友人の影響でDTMをはじめる、と同時に松木美定としてアーティスト活動をスタートさせる。2019年1月に初のPOPS曲『シゴトップス』をサウンドクラウドに投稿。楽曲はLOGIC PRO Xを使いすべて自分で打ち込み、演奏し、歌唱している。さらに、アートワークも全て自身で描く、マルチクリエイター。2020年は2月、11月、そして、12月にデジタル限定シングルをリリースし、精力的に活動。 2021年8月31日に3曲入りEP「ルミネッセンスで貫いて」 をデジタルリリース。
Twitter:@matsukibitei

author:

渡辺裕也

1983年生まれ、福島県二本松市出身。音楽ライター。ミュージック・マガジン、クイックジャパン、CINRA、ザ・サイン・マガジン、音楽と人、MUSICA、ナタリー、ロッキング・オン、soupn.など、さまざまなメディアに寄稿。 Instagram:@watanabe_yuya_

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