北京 × 東京を結ぶ音楽ユニット、DiANの静電場朔ーーアジアの音楽シーンは今がターニングポイント

今や世界のトップアーティストとしてその名を知らしめるブラックピンクBTS(防弾少年団)の活躍もあり、アジアのミュージックシーンが話題を集める今、彼らのようなアイドル的要素を持つアーティストとはまったく別のイメージで世界的に注目を集めている音楽ユニットがいる。

北京と東京の2拠点で活動するDiAN(ディアン)は、ポップアーティスト、シンガーソングライター、作家、デザイナー、映像監督など、マルチに活動するアーティスト、静電場朔(セイデンバサク)を中心に、サウンドプロデューサーのA-bee(アービー)、コンポーザーのimmi(イミー)の3人で編成される音楽ユニットだ。

韓国系エレクトロニックミュージックプロデューサー、DJ、さらにヴォーカリストでもある、Yaeji(イェジ)がプロデュースした『PAC-MAN』2021年のテーマソング「PAC-TIVE」でフィーチャリングしたことで、世界で影響力のあるメディアで多く取り上げられているDiAN。

そんな話題のDiANから、今回はアイコンでありヴォーカル兼アートディレクションを手掛ける静電場朔をインタビューする。彼女の魅力、そしてアジアの音楽シーンについて語ってもらった。

カテゴライズされない自由な活動。もの作りが私の生きる喜び

ーーまずは静電場朔さんの活動について聞かせてください。

静電場朔:北京出身の静電場朔です。2019年に音楽プロデューサーのA-beeとコンポーザーのimmiと3人で立ち上げた、DiANというユニットでの音楽活動や、グラフィックアーティストやアートディレクター、作家や映像監督などさまざまなクリエイティブ活動を行っています。

ーーDiANはどのようなコンセプトで活動しているのですか?

静電場朔:DiANは、“すべての人間は「物語」を通して世界を知ることができる”というコンセプトで音楽を発信しています。歌詞を担当する私は、トラックやメロディから物語を連想して作詞しています。例えば、「Moonbow Disco」という曲はピーター・パンのネバーランドを思い起こしながら、「月虹」という月の光による虹がもし橋のようになったとしたら、その向こうはどんな世界なのだろう、と想像しながら作詞しました。その背景にはミラーボールのような大きな月が浮かび、たどり着いたネバーランドには、こんな音楽が流れているんじゃないかって。「眼花 – yǎnhuā」という曲は、金魚の記憶は7秒しかなく非常に短い、という一説からストーリーを作りました。未知の旅に出る金魚と人との絆と、上書きされていく記憶の中でどのような関係が生まれるのだろうか、という切ないお話です。DiANの曲は一見不思議な物語と感じるかもしれませんが、1人の人間としての普遍的な思考や誰でも考えていることを、違う視点から自分なりの解釈をメロディと歌詞で表現し、楽曲へと昇華させています。

DiAN 「Moonbow Disco」

DiAN 「眼花 – yǎnhuā」

ーーちなみに静電場朔さんの音楽のルーツは?

静電場朔:私は子どもの頃から、中国語と英語のポップミュージックを聴いていました。でも私は、北京にある日本音楽情報センターで、日本の音楽に初めて触れました。そこでは日本の音楽のミュージックビデオが流れていたり、CDやDVDの販売、ライヴ情報など、日本で今どんな音楽がはやっているかを知ることができる場所で、私はそこで日本の音楽をたくさん聴きました。

ーー具体的にどんなアーティストを?

静電場朔:最初に好きになったのはラルク アン シエルです。隣の部屋に住んでいたお姉さんが、ラルク アン シエルのファンで、その影響でPVをほとんど観ましたね。他にも、椎名林檎をはじめ、日本のメジャーな音楽はたくさん聴きました。当時は、音楽の趣味が合う人が周りにいなくて、ネット上のBBSで音楽の趣味が合う人とつながって、情報を共有したりしていましたね。その頃から、日本の音楽や音楽雑誌を通して、日本語も勉強し始めたんです。

ーーDiANは、1980年代の日本のポップミュージックとエレクトロニックミュージックが融合したようなスタイルにも感じますが、どのように誕生したのですか?

静電場朔:高校生の頃からバンド活動をしていて、その頃からいろんな音楽を聴くようになりました。日本音楽情報センターにあるCDをジャケットで選んで聴いたりしていたんですけど、その流れで戸川純など1970年代、1980年代の日本の音楽も聴くようになったんです。大学に入ってからは、日本音楽情報センターやBBS以外に、大学内のネットで音楽をシェアするようになり、その中で電子系の音楽に触れるようにもなったんです。

ーー日本の音楽は静電場朔さんにどのような影響を与えていますか?

静電場朔:歌詞の単語の使い方や文法はすごく影響を受けました。日本の音楽に影響されている人の楽曲は、すぐわかります。メロディの書き方やマイナースケールの使い方も日本は独特なセンスがあると思います。でも中国と日本は似ているとは思うんです。日本の歌謡曲を聴いていると、言語は違いますけど、どこか懐かしさを感じることも多いですね。

ーー音楽面以外にジャケットや衣装をはじめ、Instagramを見ていても、日本のクラシックなポップミュージックから影響を受けているようにも感じます。そういったヴィジュアル面のインスピレーション源は?

静電場朔:子どもの頃に中国以外、中東、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカなどの国に住んでいたので、中国とは違う文化に触れてきました。この体験は脳の片隅に記憶していて、無意識に影響されているかもしれません。もちろん日本のポップミュージック、映画、ドラマ、漫画や小説からも影響を受けています。ですが、実際に自分の制作物を考える時は、参考を探したり、たくさん観たりするわけではなく、自然に頭の中にあるものを本能のまま書くことが多いですね。MVやジャケットを作る時は、アイデアをまとめたイメージボード作成から始めて、衣装やキャラクターの設定を考える時は、スケッチをしたりしています。

ーー音楽以外でのクリエイション活動についてもお聞きしたいです。

静電場朔:ポップアーティストとして日本や中国で個展をしたり、自作のキャラクターを世界的に発表したり、本も出版しています。他にもアートディレクターとして「ニューバランス」の中国キャンペーンの映像を手掛けたりと、ファッションブランドとコラボレーションをしてアパレルをリリースしています。

静電場朔が手掛けた「ニューバランス」の中国キャンペーンの映像

ーーイラストのほうが音楽より長く続けているんですか?

静電場朔:絵も音楽も5、6歳の頃から続けています。毎週土曜日はキーボードと歌、日曜日は美術の塾に通ってました。小学生になってからは、土日とも絵を習っていて、大学ではアニメ専攻だったので、絵を描いていることのほうが多かったかもしれません。中学に入ってからは、友人とバンドを組んでいたのですが、その時は純粋に好きな音楽をやっていたので、マニアックな曲をやることが多かったですね。当時は音楽を生涯の活動にするなんて想像もつかなかったです。

ーーちなみに中国では、ミュージシャンとポップアーティストでは、どちらとして認知されているんですか?

静電場朔:正直、私もどちらかわかりません。そういうタグやジャンルにカテゴライズされずに、私が考えたこと(妄想)をすぐに形にしたいので、表現の手法を限定する必要がないんです。音楽でも、絵でも、映像でも、一番イメージに合うようなもので表現し続けたいと考えています。

ーーそれはなぜですか?

静電場朔:ものを作ることが好きなんです。ものを作っている時ってワクワクするんです。私にとって生きている喜びを感じる瞬間なんです。

欧米基準だった音楽が変わり始めている。アジアで素晴らしい音楽が生まれる予感

ーー静電場朔さんの活動拠点は、1ヵ所ではないですよね?

静電場朔:はい。はじめて1人暮らしをした「チャレンジの街」でもある東京と、北京の2拠点を中心に活動をしています。行き来することも慣れました。

ーー2拠点での活動だからこそ見えてくる音楽やアートのシーンの違いはありますか?

静電場朔:子どもの頃には2つの国はまったく違う世界だと思いましたが、今はその違いがさほどないと感じています。

ーーアートはどうですか?

静電場朔:伝統的な美術の違いはあると思います。中国独特の描き方と日本独自の描き方など。でも最近はこの区別もなくなってきていると感じています。それはインターネットやSNSのおかげで、どこの誰とか告知のタイミングも時差がなくなったからだと思います。だから、「この国のアートだ」っていう概念はなくなってきていますよね。

ーーコロナ禍で世界的に音楽業界が変わってきていると思うのですが、中国はどうですか?

静電場朔:当初は、ライヴやミュージックフェスがなかなか開催できてなくて。みんな現場で音楽を聴きたいという気持ちが強く伝わってきていました。なので今年からフェスが解禁されて、その時の熱量はすごかったですね。音楽が好きな人って必ずなにかしらのミュージックフェスに行っていたと思うんです。でも今中国では、現場やフェスにこだわっていなかった人達もライヴに行くようになっているように感じます。

ーー日本もそうかもしれません。

静電場朔:そうですね。「音楽フェスに行きたい理由はなんですか?」って聞くと決まって「人とつながりたい。友人と一緒に遊びたい」という人が多いんです。その理由やキッカケを音楽が作っているんです。音楽が人とつながる理由の1つにになっているんだと思います。

ーー静電場朔さん自身がコロナ禍で変わったことはありますか?

静電場朔:私は、コロナウイルスの影響が出始めた頃に代官山でライヴがあったんです。確か3月ぐらい。そうしているうちにしばらく北京に帰れない時期が続きました。その時に北京の人と遠距離で曲作りをしてみました。お互いに自分のパートを収録して、音声をバラバラにして。あとは、パックマンの生誕40周年のプロジェクトにも参加することになりました。バックナー&ガルシアの「PAC-MAN Fever」のカバーと、ラッパーの小老虎(J-Fever)が参加してくれた「饕餮 TAOTIE feat. 小老虎(J-Fever)」の2曲を作ったりと逆に制作に集中できたかもしれません。

DiAN 「饕餮 TAOTIE feat. 小老虎(J-Fever)」

他の部分だと、ゲーム『あつまれ どうぶつの森』を始めたことですね。友人のアーティストもみんな始めていて。日本よりも中国のほうがステイホームの強制力が強くて、本当にみんな外に出られなかったんですよね。そこで、ゲーム内にみんなで集まって、自分の島で音楽の演奏をしたり、音楽を作ったりもしました。

ーーこれからのアジアの音楽シーンはどうなっていくと思いますか?

静電場朔:今までは、アメリカの音楽がやっぱり軸にあって、人気曲の基準が欧米になっていました。その感覚で楽曲を作ることが完成度が高いと言いますか。でも音楽はもっと自由で。ハリウッド映画のような基準である必要はないと思います。最近はアジアのさまざまな国で素晴らしい音楽が誕生しています。例えば、タイ、ベトナム、インドネシアといった国でも良い音楽が作られています。アジアの音楽が変わり始めていると感じています。何かたくさんの素晴らしい音楽が生まれるような気がします。

ーー最近では新曲がリリースされましたね。どんな楽曲か教えてください。

静電場朔:「Electric Dreams -电子白日梦-」という曲なのですが、1980~1990年代から想像した未来をイメージしています。AIの物語です。でも今あるSiriのようなAIではなく、当時描かれていたアナログ的なコンピューターのAI。そのAIが意識を持って、人間の主人公に恋愛のアドバイスをしたりするんですけど、コンピューターもその女性のことを好きになってしまうのです。
今私達は日常生活においてSNSを使い慣れています。それはまるでサイバーパンクの世界(パソコンの仮想世界)に生きているかのようです。いつの日か世界はAIか、人間か、区別できなくなる時代になるかもしれません。この仮想世界の時代の現実は一体どうなっているのか、現実の自分とSNS上(仮想世界)の自分はどのような関係になるのでしょうか。自分と相手との関係も時代の進化によって変わるでしょうか。やはり現実の中にも、仮想世界の中にも自分のアイデンティティ、自分と他人の関係を問い続けるでしょうか。
そういった思考が「Electric Dreams」の世界観の一部分になっています。みなさんそれぞれの想像力で楽しんでもらえたら嬉しいですね。

DiAN 「Electric Dreams -电子白日梦-」

ーー最後に、今後目指すアーティスト像はどんなものですか?

静電場朔:もっと100%の静電場朔になりたいです。今までもたくさんのものから影響を受けてきましたが、もっといろんなカルチャーや人と出会い、もっとアーティストとして進化し続けたいと思っています。自分のタオ(=道)を探し続けて、音楽も絵も私の作ったものは、誰もがひと目でわかる。そんな100%を表現し続けられるアーティストになりたいです。

静電場朔
自身がヴォーカルやアートディレクターを務める音楽ユニット、DiANのアイコンであり、ポップアーティスト、シンガーソングライター、作家、デザイナー、映像監督など、マルチに活動するアーティスト。北京に生まれ、アメリカ、ヨーロッパ、中東、アフリカといったさまざまな異種文化に深く影響を受けながら、放送やメディアに関する中国の最高高学府である中国伝媒大大学(Communication University of China)卒業後、 東京に拠点を移し、デザインや映像をはじめ、さまざまなコンテンツを手掛けている。
Instagram:@diansaku
Twitter:@DiAN__official
Facebook:@OfficialDiAN
YouTube:DiAN Official Channel

Photography Takao Okubo

author:

大久保貴央

1987年生まれ、北海道知床出身。フリーランスの雑誌編集者、クリエイティブディレクター、プランナー。ストリートファッション誌の編集者として勤務後フリーランスに。現在は、ファッション、アート、カルチャー、スポーツの領域を中心にフリーの編集者として活動しながら、5G時代におけるスマホ向けコンテンツのクリエイティブディレクター兼プランナーとしても活動する。 2020年は、360°カメラを駆使したオリジナルコンテンツのプロデュース兼ディレクションをスタート。 Instagram:@takao_okb

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