「東京フィルメックス」オンライン上映という新たな試み 連載「ソーシャル時代のアジア映画漫遊」Vol.4

新型コロナウイルス感染拡大の影響は映画祭にも及んでいる。今年は東京を代表する映画祭である「東京フィルメックス」「東京国際映画祭」が、ほぼ同時期開催に変更された。そして感染拡大を防止するために、さまざまな新たな試みが模索された。その試みの目玉企画が、映画祭終了後のオンライン上映である。

映画祭で上映される作品を、オンラインで観ることができる貴重な2020年

これまでは映画祭で上映された作品を鑑賞後、長文の原稿を書いたとしても、読者がその作品(特に国外)を観ることは難しかった。なぜなら、原稿が公開される頃には映画祭は終わっている場合が大半だからだ。そこで書く側も読者にいずれ観てもらいたい作品について、日本での劇場公開のわずかなの望みをかけて書くのだが、実際日本で劇場公開されているアジア映画は一部にしかすぎない。

しかし今回、「東京フィルメックス」のオンライン上映がユニークな点は、映画祭終了(11月7日)後、しかも2週間後の11月21日から始まる点にある(日本限定で11月30日23時59分までの予定)。映画祭から遅れてオンライン上映が開始されるので、映画祭後の各上映作品の関連記事を読んだ後で、ゆっくり作品を鑑賞できる。なんとも気の利いたスケジュールである。一方、「東京国際映画祭」“アジア交流ラウンジ”の企画内容は、素晴らしいものの、映画祭に通う観客にとって厳しい配信だった。まず映画祭と同時期で、時間帯も映画祭夜の部と重なっている。その上、タイムシフト視聴やTIFFトークサロンのようなYouTubeでのアーカイブ化もなし。つまり、観客は映画祭に足を運んで作品上映を観るか、“アジア交流ラウンジ”のZOOMに参加するかの酷な選択を迫られたのだ。参加への敷居が高い“交流ラウンジ”とは、本末転倒ではなかろうか。

「東京フィルメックス」のオンライン上映に話を戻すと、11月3日にオンライン開催された「インディペンデント映画の 未来と映画祭」にて、東京フィルメックスディレクター・市山尚三氏は、今回のオンライン上映に関して「作品の配給会社が、アジアか欧米かで対応が分かれる傾向があった」と述べていた。欧米の会社は、国際映画祭でのオンライン上映にすでに慣れていて許可する会社が多く、一方アジアの会社は、オンライン上映にまだ不慣れで不許可だった会社が多かったそうだ。
では、今回のオンライン上映において、おススメのアジア映画の観方を3つ、紹介する。

ドキュメンタリー映画を優先して観る

劇映画が大半を占める「東京フィルメックス」において、今回のオンライン上映ではドキュメンタリー映画が3本あり珍しい年だった。上映されるドキュメンタリーは、連載第3回で少し触れたアリックス・アイン・バック監督のフィリピン映画『アスワン』(2019)、ジャ・ジャンクー監督の中国映画『海が青くなるまで泳ぐ』(2020)、そしてスー・ウィリアムズ監督のアメリカ映画『デニス・ホー:ビカミング・ザ・ソング』(2020)である。ドキュメンタリー映画を優先して観ることをすすめる理由は、アジアのドキュメンタリー映画は日本ではなかなか劇場公開されていないし、配信もされないからである。しかし「アジアンドキュメンタリーズ」の登場によっていささか改善されたとはいえ、映画祭を逃すと当分観る機会が訪れないだろう。例えば連載第1回で取り上げた、ナワポン・タムロンラタナリット監督の映画『あの店長』(2014)は傑作だと思うが、再見する機会に恵まれない。アジアのドキュメンタリー映画において、逃した魚は大きいと言える。

『アスワン』は、ドゥテルテ大統領下の麻薬戦争で苦闘する人々に焦点を当てていて、フィリピン社会の暗部に踏み込んだ挑戦作である。NHK BSで4月に放映された『大統領の命令の下で ~密着 フィリピン麻薬撲滅運動~』と比較すると、『アスワン』は警察よりも超法規的殺人の犠牲者や遺族に重点を置いている。そして、訳もわからず殺されていく不条理を、遺族や関係者の顔をクローズアップで映すことで切り取ろうとする。

『アスワン』が顔のドキュメンタリーなら、『海が青くなるまで泳ぐ』は語りのドキュメンタリーだ。世代の異なる4人の中国の作家達から中国の近代史を振り返る。特に印象に残るのは、後半に出てくるチャン・イーモウ監督の映画『活きる』の原作者、ユイ・ホアと、『中国はここにある 貧しき人々のむれ』の著者、リアン・ホンの2人である。
私は上映後、『中国はここにある』の翻訳者である鈴木将久先生から話を伺う機会があった。鈴木さんは『海が青くなるまで泳ぐ』を鑑賞して、リアン・ホンのお姉さんの河南省訛りの強さに驚かれたそうだ。鈴木さんが翻訳した本の印象から、お姉さんは普通語を話すと思っていたら、河南省訛りで話をして、本と実物のギャップにびっくりしたとのこと。日本語字幕だと、方言は反映されないので、お話を伺うまで気付かなかった。終盤、監督はある人物に河南省の方言で話すことができるかと振るのだが、おそらくリアン・ホンのお姉さんが話す河南省訛りの強さが前振りになっていて、河南省方言についての世代間ギャップを提示しようとした演出と考えられる。

『デニス・ホー:ビカミング・ザ・ソング』は、香港のポップス歌手で民主派活動家でもあるデニス・ホーを取り上げた歌謡ドキュメンタリーである。恩師のアニタ・ムイとのエピソード、レズビアンであることをカミングアウトした経緯、さらに民主化を求めるデモ「雨傘運動」に支持を表明し、中国では封殺対象になっても折れずに自身の信念を貫く姿勢、そして要所要所で挿入される彼女の歌の素晴らしさ。鑑賞後もまた観たくなる、音楽ドキュメンタリーの鑑である。

字幕が一切ない映画『日子』にあえて挑戦する

ツァイ・ミンリャン監督の映画『日子』(2020)は、オンライン上映で観るには最も適さない作品かもしれない。まず、字幕が一切ない。次に、長回しが多い。そして、セリフもほぼない。混ざりけなしのアートフィルムが『日子』なのだ。リー・カンションが演じる、慢性的な首の痛みに悩まされている中年男性のカンと、都会のアパートで暮らすラオス移民の青年ノンの日常生活が交互に映される。やがて街に出てホテルにチェックインしたカンの部屋に、マッサージ師としてノンがやってくる。最初『日子』で描かれる生活に没入するには、アートフィルムに慣れていないと相当ハードルが高い。しかし、じっとこらえ、目をこらして、 耳を澄ませていれば、この作品の細部が感じ取れるようになってくる。さらにある境を過ぎれば、このミニマルな作品世界が実に豊潤さにあふれていることに気付けるようになってくるはず。『日子』を観ることは、ある意味、サウナに似た体験のような気もする。最初はグッと我慢の時間が続くが、やがて訪れる2人の邂逅のシーンとともに、観客にも解放と快楽の時が訪れると言えばいいのか。

なおオンライン上映作品には入ってないが、C.W.ウィンター&アンダーズ・エドストローム監督による、京都の山村の四季を凝縮した8時間の劇映画『仕事と日(塩谷の谷間で)』(2020)も、サウナに似た映画体験が味わえる。しかもなんと『仕事と日(塩谷の谷間で)』は2021年全国劇場順次公開予定だそうで、8時間の長編が劇場公開されるなら、2時間弱の『日子』も日本で劇場公開されるかもしれない。ただし確証はないので、この機会にぜひ観てほしい。余談だが、『日子』は「ベルリン映画祭」デディ審査員特別賞を受賞し、『仕事と日』もベルリン映画祭エンカウンターズ部門最優秀作品賞を受賞している。ベルリン映画祭は、サウナ体験を味わえるアートフィルムが好きなのかもしれない。

不穏な問題作『無聲』を観る

今年の「台北映画祭」のクロージング作品は『日子』で、オープニング作品はコー・チェンニエン監督のデビュー作『無聲』(2020)だった。つまり、今回のオンライン上映では、「台北映画祭」のオープニングとクロージング作品が鑑賞できるので、台湾映画の現在を体験するには貴重な機会といえる。ストーリーは、聾学校に転校してきた学生チャンが、スクールバス内で目にしたのはみんなが「ゲーム」と呼ぶ、女子学生ペイペイに対する、男子生徒達による集団の性的虐待だったというかなり衝撃な内容。これは2011年に台南の聾学校で実際に起こった事件を基にしている。学校内での集団暴力という題材で共通する、「大阪アジアン映画祭2020」で観客賞を受賞したデレク・ツァン監督の中国映画『少年の君』(2019)と同様に、『無聲』は日本で劇場公開される気がしている。『無聲』は一種のミステリー映画で、このゲームの首謀者である優等生シャオグアンの動機、彼の背後にいる人物を観客に考えさせながら、虐待の連鎖を断ち切ることの困難さを突きつける。観客に安易な解決を提示せずに重い問いを投げかける、不穏な問題作を劇場公開前に堪能してほしい。

以上、「東京フィルメックス」のオンライン上映において、おすすめのアジア映画の観方を書いてみた。しかし、映画の観方は千差万別。自分自身の好みと勘に従い、この貴重な機会にいろいろと作品を掘ってみてはいかがだろうか。

東京フィルメックス:https://filmex.jp/
          https://filmex.jp/2020/online2020

Pictures provided TOKYO FILMeX

author:

坂川直也

東南アジア地域研究者。京都大学東南アジア地域研究研究所連携研究員。ベトナムを中心に、東南アジア圏の映画史を研究・調査している。近年のベトナム娯楽映画の復活をはじめ、ヒーローアクション映画からプロパガンダアニメーションまで多岐にわたるジャンルを研究領域とする一方、映画における“人民”の表象についても関心を寄せる。

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