演出家・土井裕泰 × 文筆家・燃え殻 消費されない混沌とした物語への挑戦

成田凌、黒木華が出演し、コムアイが坂本慎太郎の楽曲を劇中で披露するという朗読劇「湯布院奇行」が9月28、29、30日の3日間、新国立劇場で上演される(29日19時公演はライブ配信あり、10月6日23時59分までアーカイブ視聴可能)。原作を『ボクらはみんな大人になれなかった』の文筆家・燃え殻が書き下ろし、『シリーズ・江戸川乱歩短編集』(NHK)の佐藤佐吉が脚本を担当。さらに映画『花束みたいな恋をした』を手掛けた土井裕泰が初めて舞台の演出を行うことでも注目を集めている。

物語の舞台は、湯布院。主人公となる小説家“僕”(成田凌)を、謎の美女達(黒木華)が翻弄し、現実と夢想の狭間の世界へと導いていく──。日常の延長にある、リアルな世界を丁寧に描く印象が強い燃え殻と土井裕泰。そんな彼らが新たに挑戦するのは、作風と「真逆」と言っても過言ではない、奇妙で幻想的な世界だ。一言では言い表せない物語を、この今に手掛ける理由や企画のきっかけとは。プロデューサーの佐井大紀も交えながら話を伺った。

「このままどこか、遠くへ逃げてしまいたい」という逃避への夢

──どのようなきっかけで、土井さんと燃え殻さんはご一緒することになったのでしょうか。

燃え殻:プロデューサーであるTBSの佐井大紀さんが企画して、今回のメンバーを集めてくれました。僕は、土井さんの手掛けたドラマをいくつも見てきて、いつかお会いしたいと思っていたので嬉しかったです。

土井裕泰(以下、土井):僕も、燃え殻さんの作品を拝読していたので、ぜひお会いしたいと思っていました。

──初めて「湯布院奇行」の原作を読まれた時の感想は?

燃え殻:聞くのが怖いですね(笑)。

土井:これまで書かれてきた小説やエッセイとは趣が全く違う、リアリズムでなく幻想の世界を書かれたことが意外で、でもそれがとてもおもしろかったんです。主人公の「僕」は燃え殻さんの小説に出てきそうな屈託をかかえた登場人物なんですけどね。その現実と虚構の狭間にある感じが不思議で、僕自身未だに読み解けているのかわからない、解釈の幅が広い作品だと思いました。

──燃え殻さんはどのような思いで、この物語を書かれたのでしょうか?

燃え殻:正直なところ、行く当てもなく書いた原稿で、そういうことが僕は初めてでした。これまではお題を頂いたり、書く場所が決まっていたり、ある程度枠が設けられた上で書いていました。なので、初めてこんなに自由に書いた気がします。

土井:当てもなく、とはいえ、動機みたいなものはあったんですか?

燃え殻:長いサラリーマン生活の中で、常々思っていたことを吐き出すように書いた気がします。それは「仕事先とは逆方向の電車に乗りたい」、「このまま仕事を放り出して、どこかに行ってしまいたい」という逃避への憧れで。

土井:ああ、その気持ちはわかりますね。

燃え殻:僕はもともと、テレビ局に美術セットを納品する仕事をしていました。生放送や報道番組も多かったので、特に時間厳守の世界。1本でも電車に乗り遅れたら大変なことになります。20年以上そういう生活を送ってきて、まさにこの世界観のような「逃避への夢」を蓄積してきたんでしょうね。もしかしたら、これまでで一番書きたかったことを書いてしまったのでは、と思いました。

土井:僕も、同じ業界で何十年も仕事をしているので、その「逃避への夢」というのはよくわかります。逃げる、という選択肢は選べないとわかっているのだけれど、いつも心のどこかで「ああ、何処かに行ってしまいたい……」と思いますよね。

燃え殻:わかります。だけど、肝が据わってないので逃げることはできないんです(笑)。一度だけ、タイのバンコクからプーケットへの乗り換えを間違えてしまって、急遽バンコクに1日だけ滞在しなきゃいけなくなったんです。誰も僕のことを知らないし、仕事を急かされることもない。まるで黄泉の国に迷い込んだようで、魂が解放される気持ちになりました。結局数日後にはきちんと仕事に戻るんですけど、あのまま消えていたら今頃どうなっていたんだろうと思います。その夢のような出来事を身体が記憶していて、今回の作品になりました。「何処かに行ってしまいたい」というのは、誰しもが持っている夢だと思います。

土井:僕もドラマの撮影に入ると、4ヵ月くらい身体を拘束されます。疲れてくると、「温泉に行きたい」と言うようになるんですけど、まさにイメージするのは湯布院なんです。でも実は、行ったことがないんですね。僕にとって湯布院は、「逃避の夢」の象徴。この話をもらった時、もしかしたら取材旅行と称して初めて湯布院に行けるかもしれないという、よこしまな気持ちがありました(笑)。だけど、原作を読んだら、これは現実の湯布院を体感しないままのほうがいいかもしれないと思いました。僕の中にある、「願望としての湯布院」のままこの作品に向き合ったほうが、ふさわしい気がしたんです。

燃え殻:湯布院は、何かから解放される象徴であって欲しいですよね。秘湯のような、この世とあの世の境がそこにあるような気がします。

答えがわからなくても、余韻がいつまでも残る物語にしたい

──原作を通常の演劇ではなく、朗読劇にされることは挑戦だったと想像します。なぜ、朗読劇にされたのでしょうか?

土井:僕も、この物語を朗読劇にできるのだろうか、と思いました。佐井くんが発案したんですよね。

佐井大紀(以下、佐井):燃え殻さんから最初にいただいたのは、冒頭の数ページだけでした。でも、その数行だけでこれまで書かれてきたものとは違う妖艶な魅力を感じて、燃え殻さんの文体を活かした形にしたいと思い、朗読劇に決めました。

土井:原作は、江戸川乱歩の小説やつげ義春の漫画のような肌触りがあるんですよね。現実と虚構の境目、迷宮に迷い込んでいくような独特な感覚。少年時代にそうした作品に触れることが好きで、見てはいけない世界を覗き見するようなドキドキ感がありました。なので、観た人それぞれの中で世界ができあがっていく朗読劇というアプローチはアリだなと思いました。

──今回、土井さんは初めての舞台演出になります。土井さんに朗読劇を依頼された理由をお伺いできますか?

佐井:『花束みたいな恋をした』や『罪の声』など土井さんが手掛ける作品は、半径2メートルの中に世界の真理がある、と感じます。それは、燃え殻さんの作品にも通ずることで。僕の中では、2人の世界の見え方が共通していると思っているのでお願いしました。

土井:僕は、最初に話をもらった時にほぼ二つ返事で引き受けたんです。それは、燃え殻さんの書き下ろし小説に興味があったことと、50代後半に差しかかって、逆に新しいことに挑戦してみたい気持ちが湧いてきたからです。つねに自分をアップデートしていたいというか。30年以上同じ仕事をしているからこそ、余計にそう思うんです。なので、普段の流れとは違う、自分の世界が広がる可能性がある話をもらえることは素直に嬉しいです。

ただ、僕は映像をずっとやってきた人間なので、物語を読むと癖で、人間が立ち上がったり近づいたり、頭の中で動き出してしまうんです。でも、朗読劇の場合は成田さんも黒木さんも動かない。観た人の想像の中で人間が動いたり場所が見えてきたりすることが大事なんですよね。空間の使い方も含めて、観客のイマジネーションをどう刺激するかが今回の大きなテーマです。

──物語としても、1回読んだだけでは内容を理解することが難しい、非常に難解な作品になっているので演出も難しいのではないでしょうか。

土井:難しいですね。だけど、極論すれば話がすべて理解できなくてもいいのではないかと思っています。僕達は普段、起承転結がはっきりとした、答えのわかりやすい物語を求められることが多いんです。だけど、たまには、物語の全容はつかみきれなくても、その余韻がいつまでも続いて、成田凌や黒木華の声や言葉が生活のふとした瞬間に反芻されるような作品があってもいいんじゃないかと思うんです。そういう意味で、普段のドラマではできないことをやれている楽しさと難しさ、両方同時に味わっています。

燃え殻:僕も近しいことを思いました。僕は、どちらかといえばわかりやすさや、キャッチーなコピーを意識して書いてしまうところがあって、そのおかげで『ボクたちはみんな大人になれなかった』が普段小説を読まないような人にも届いたり、手に取りやすい週刊誌でのエッセイ連載が始まったりしました。非常におこがましいことは承知の上で、恐らく土井さんも僕も、誰一人お客さんを置いていかないぞ、という心掛けで物語を作っていると思うんです。疲れた時に、ふとテレビをつけて土井さんのドラマが流れていると、どんな状態でも見られるじゃないですか。そこに、誰も置いていかない意識を感じて。ただ、似たものを作ってきた2人が、あえて真逆なことをやってみるというのはおもしろいですよね。

一言では言い表せない物語のおもしろさ

──どちらかと言えば、現実世界を丁寧に描かれてきたお2人が、真逆の「幻想の世界」を描くとは思ってもいませんでした。まるで、逃避するように、この作品に向かわれたのかなと想像しました。

燃え殻:逃避するような気持ちで、この作品を書いたことは確かですね。土井さんと僕の作品をよく知ってくれている方はきっと、恋愛物語をやるのかな、と想像があったと思うんです。だけど、2人して全く違うことをやるなんて、普通の会議だったらこの企画は通らないですよ。

土井:僕達は、極端にいえば1分で説明できる、1行で解説できることを求められるような世界にいますもんね。でもこの作品は話せば話すほど、自分でも迷宮に入っていくようなおもしろさがあって。そういう作品を、成田さんや黒木さんなど第一線で活躍する俳優さんと一緒にやることを許されている事実が不思議で良いですよね。

──キャストはどのように決められたのでしょうか?

佐井:成田さんは、非常に共感性の高いスターだと感じています。僕はショーケン(萩原健一)さんと重ねていて、チンピラもエリートもどんな役柄も演じられるけれど、すべて成田さんの個性が垣間見えて人間らしさがある。幻想的な世界の話でも、うまく現実に引き寄せてくれる俳優さんだと思います。

土井:黒木さんとはこれまで、『重版出来!』や『凪のお暇』など何度かご一緒してきました。今回は、忍と片桐という複数の役を演じ分けてもらわなければいけない、しかも実在する人物なのかどうかもわからない難しい役柄ですが、黒木さんなら全面的に信頼してお任せできるなと思いました。

燃え殻:こんなに理想的なメンバーが集まるとは思っていませんでしたし、僕は混沌とした物語を書いたつもりでしたけど、脚本や演出でその数倍混沌とさせてきてびっくりしました(笑)。

全員:(笑)。

土井:最終的な脚本は、燃え殻さんの原作とは違う結末になりました。果たしてこれで良かったのか、別の終わり方があるんじゃないのか、きっと舞台が終わっても答えが出ないと思います。それくらい、燃え殻さんのテキストはいくらでも解釈できるようになっています。

僕の作品をよく見てくれている人達から、「泣ける?」って聞かれるんですよ(笑)。ああ、僕の作品はそういうエモーショナルな感動を求められているんだと感じました。この作品が泣けるかどうかはわからないですが、それとは全く違うベクトルで「泣ける」かもしれないとちょっと思っています。

──全く違うベクトルというのは?

土井:先ほど燃え殻さんもおっしゃっていた、この物語のベースは「このまま何処かへ行ってしまいたい」という気持ち。それは、息苦しさです。今、私達が皆一様に感じている息苦しさ。常にマスクをつけて、ちょっとした咳払いも注目を浴びて、混雑した電車で喋っている人を見ると、なんだかとても悪いことをしている人達に見えてしまう。

そしてポケットの中ではスマートフォンが常に新着のメールや情報を知らせ続ける。そういう息苦しさの只中に僕達はいるので、いま主人公を支配しているストレスには共感できると思います。終盤に、主人公が幼少期から抱えていたものを吐露するシーンがあるのですが、僕自身最初に原作を読んだ時から胸に迫るものがありましたね。

半径2メートルの細部をどれだけ目を凝らして描けるか

──息苦しさと対峙する物語の描き方が、現実世界ではなく幻想世界の形を成していることがおもしろいですね。これまでと真逆の物語にチャレンジされて視界が開けた部分もあると思うのですが、あらためてこれから挑戦してみたい物語をお伺いできますでしょうか。

燃え殻:そうですね……これまでは、日常を過ごしながらふとしたことで過去にフラッシュバックして、現在に戻ってくる、という物語をよく書いていました。今、想像以上に混沌とした世の中になっていて、過去や正しさばかり追いかけてもしょうがないと思うようになりました。もっと、世の中に対して唾を吐いてでも言いたい切実な言葉を書きたいです。

土井:切実さをとらえる、というのは僕も大事にしています。だから、半径2メートルの細部をどれだけ目を凝らして描けるか、というのは自分がやりたいこと。こういう時代だからこそ、そこに1人ひとりの切実なものがある気がしています。特別な人の特別な話よりも、普通の人の日常の細部から見えてくる悩みだったり喜びだったりを描きたい、というのはベースにありますね。そこさえ変わらなければ、コメディだろうがサスペンスだろうが、ジャンルは決めずに作りたいです。

燃え殻:今は、以前のような日常が贅沢になりましたよね。誰かと触れ合ったり、飲み歩いて人と出会ったり、以前の日常をどうしたって思い出してしまう。だんだん生活が変わってきて、自然とお店に入れば手を消毒するし、人混みでは喋らないし、あっという間に人は慣れてしまうものだと思いました。代わりに、いろんな感覚を失っている気がするんです。懐かしむ、とは違う感覚で、贅沢な日常を振り返りたいです。

土井:あと、この年になって、同じ題材でも今の年齢だから描けることが増えてきたと感じます。もちろん、描けなくなったこともあるんでしょうけど、今の自分はこの物語をどう見るのか、と自分で自分をおもしろがって物語を作るようになりました。

──例えば、土井さんの近作で20代のカップルを題材にした『花束みたいな恋をした』がありました。年齢差があろうと、そこには今の自分だからこそ描けるものがある、ということでしょうか。

土井:そうですね。それを明確に感じたのは、『オレンジデイズ』に関わった時です。当時40歳で、7歳の子どもがいました。それまでの作品は自分の恋愛や過去の体験を投影して作ることが多かったんですけど、『オレンジデイズ』はごく自然に、自分ではなく子どもの未来を投影して作っていました。気づいたら、物語の主人公達は僕より子どものほうが年齢が近くなっていたんですよね。ああ、そうやって自然に自分の視点も変化していって、作るものも変化していくんだなあと感じたんです。

考えてみたら30代は『青い鳥』や『魔女の条件』など大人っぽい作品が多かったのに、50代になってからのほうが『ビリギャル』や『花束みたいな恋をした』など若者が主人公の作品が多くなりましたから、キャリアとしておもしろいですよね(笑)。きっと、同世代の監督が演出したら全く違う作品になっていたと思いますし、あの時の、僕の視点だから描けたことがあるはず。作品にとって何が正解かはわかりませんが、今の自分だから見えているものに興味を持って、作り続けたいですね。

──目下、舞台稽古中とのことですが、朗読劇をどのように楽しんでもらいたいでしょうか。

燃え殻:このカオス感って、ものづくりをしている人達からすると久しぶりだと思うんですよ。「よくわからないけどおもしろそう」って僕は好きで、高校生の時オールナイトの文芸坐に行く自分を思い出しました。見に来てくれた方々と、共犯関係を結ぶような気持ちになれそうです。

土井:答えが単純化されているほど安心するんでしょうけど、今回は僕自身もわからないし、観客の方々と一緒に体験する気持ちです。物語を消費するために見るのではなく、体験したことがいつまでも残る作品になればといいと思っています。

左:土井裕泰(どい・のぶひろ)
1964年生まれ。広島県広島市出身。早稲田大学政治経済学部卒業後TBSに入社。コンテンツ制作局ドラマ制作部所属の演出家。テレビドラマでは『愛していると言ってくれ』、『ビューティフルライフ』、『GOOD LUCK!!』、『逃げるは恥だが役に立つ』、『カルテット』など話題作を数多く演出。また、映画監督として『いま、会いにゆきます』、『ハナミズキ』、『ビリギャル』、『罪の声』、『花束みたいな恋をした』など多くのヒット作を手掛ける。

右:燃え殻(もえがら)
1973年生まれ。小説家、エッセイスト、テレビ美術制作会社企画。WEBで配信された初の小説は連載中から大きな話題となり、2017年刊行のデビュー作『ボクたちはみんな大人になれなかった』はベストセラーに。同作は2021年秋、Netflixで森山未來主演により映画化、全世界に配信予定。エッセイでも好評を博し、著書に『すべて忘れてしまうから』『夢に迷って、タクシーを呼んだ』『相談の森』がある。Twitter:@Pirate_Radio_

■朗読劇「湯布院奇行」 
会場:新国立劇場・中劇場
公演日:2021年9月28日19時、9月29日14時/19時、9月30日14時(全4公演)
チケットはこちら https://l-tike.com/play/mevent/?mid=594509
※9月29日19時の公演のみライブ配信有、10月6日23時59分までアーカイブ視聴が可能
配信視聴券はこちら https://l-tike.com/play/mevent/?mid=604162
原作:燃え殻
脚本:佐藤佐吉
演出:土井裕泰
出演:成田凌(僕)、黒木華(謎の美女)、コムアイ(歌唱)
https://www.yufuinkikou.com


Photography Takahiro Otsuji(go relax E more)

author:

羽佐田瑶子

1987年生まれ。ライター、編集。映画会社、海外のカルチャーメディアを経てフリーランスに。主に映画や本、女性にまつわるインタビューやコラムを「QuickJapan」「 she is」「 BRUTUS」「 CINRA」「 キネマ旬報」などで執筆。『21世紀の女の子』など映画パンフレットの執筆にも携わる。連載「映画の中の女同士」(PINTSCOPE)など。 https://yokohasada.com Twitter:@yoko_hasada

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