石川直樹 × 九龍ジョー × しまおまほ 東京生まれ・東京育ちの表現者たちが考える、2021年とその先の東京

コロナ渦でのオリンピックの延期と開催という状況下で、「東京」に関するニュースが連日メディアを賑わせてきた2020年から2021年。東京が右往左往を続ける様を、ここで生まれ育った人たちはどう見ているのだろうか。

極限の世界への旅から一転して、東京に留まることを余儀なくされた日々を2020年12月に写真集『東京 ぼくの生まれた街』(‎エランド・プレス)として発表した写真家・石川直樹(東京都渋谷区出身)。その編集者であり、東京のステージに立つ表現者たちの葛藤を、至近距離から目撃し、言葉にしてきた九龍ジョー(東京都渋谷区出身)。東京・世田谷という生活圏からの目線からの表現を小説・エッセイやラジオなどさまざまなメディアから発信している、しまおまほ(東京都世田谷区出身)。

東京出身という共通項を持つ一方で、それぞれ異なる東京との関わり方を持つ3人の表現者に、揺れ動く2021年の東京とその先にある未来像について語ってもらった。

(本鼎談は2021年6月、六本木にて収録された。)

停滞する東京。
その中で気づいた安堵感とは

――石川さんは写真集『東京 ぼくの生まれた街』で「今年ほど、東京という街の変化を身近に感じたことは今までなかった」と書かれていましたが、東京に対する見方に大きな変化はありましたか。

石川直樹(以下、石川):5月5日までの1カ月弱ネパールに行っていて、その間はネットのニュースにもほとんど触れませんでした。東京に戻って2週間隔離した後も自宅にいることが多かったのですが、ニュースを見ていると、なんだか常に右往左往して混乱している。これまではそういう日本の状況を追うことなく、長期で海外に出ていたんですけど、コロナ禍に入ってからは、自分も混乱の波間にいるような感じになりましたね。

石川直樹

しまおまほ(以下、しまお):ずっと東京にいると、常に(現実を)突きつけられている感じがします。でもその一方でどこか居心地がよかったりするのが不思議なんです。旅行や遠出を自らすることがなかった子どもの頃ってこんな感じの生活ペースだったのかなっていう。

しまおまほ

九龍ジョー(以下、九龍):東京って、強迫観念のように未来を志向してきた街だと思うんですが、その未来の計画が一気になくなっちゃったみたいな。ただ、『東京 ぼくの生まれた街』のあとがきで石川さんも表現されていたこの「梯子を外されてしまった」ような東京って、個人的にはしっくりくるんです。これこそが、僕が東京で生まれて、東京という街で暮らしてきて、ずっと持っていた感覚だったなと。この東京の平熱な感じを写真集として形にしたら、自分の生まれた街である東京とうまく接続できるんじゃないかと思いました。

九龍ジョー

しまお:私は今まで、自分が周りから2歩も3歩も出遅れている感じがあったんです。それがコロナ禍によって社会の速度が緩やかになって、自分と周囲の足並みがそろってきた感じがしたんです。以前は1週間旅行に行くだけで、おいてけぼりをくらったような感じがしていたけれど、ずっと同じ場所に留まることによって景色がよく見えるようになってきた気がします。

九龍:どこかほっとする感じもあるんですよね。もちろん、潰れた店も少なくないし、潰れてなくても大変だし、それは悲しいことなんですけど。

石川:2021年になっても「2020 OLYMPIC」の看板やバナーがそこら中にあって、時間が止まっている状態をビジュアルで強制的に見せられていると、ちょっと親近感が湧きますね。2021年なのに2020って、どうにもこうにも変だなあって。

全員(笑)。

編集者・九龍ジョーの考える
「石川直樹の撮る東京」の意味と魅力

しまお:石川さんの写真集は、いつ頃企画されたんですか。

九龍:「石川直樹の東京の写真集を作りたい」と10年ぐらい前から言っていたんです。でも、石川さんは旅も多いし、なかなか地元・東京について写真集を腰据えて作ろうというモードには入りづらかったんです。それがコロナ渦で石川さんも東京の自宅でステイホームしているというのが1つ。

もう1つは、石川さんは初台の生まれ、僕は幡ヶ谷と初台の間くらいの生まれで、ほぼ近いエリアで育ってきたんです。見てきた風景が近くて、「ローカルな地方都市の一つとしての東京」という感じを昔からわりと共有している感じがしていて。それをまとめるのであれば今だろうと思ったので、2020年のうちに出しましょうと締め切りを設定したんです。といっても、選ばれた写真はコロナ禍の時期と関係なく、いろいろな時期に撮ったものが収められています。

しまお:石川さん、これまでも東京の写真って撮られていたんですか。

石川:気が向いたときにぽつぽつ撮っていました。特にまとめたり展示したりすることは全然なかったんですけれど。でも去年から今年にかけては、渋谷などでむちゃくちゃいっぱい撮りましたよ。

――九龍さんの考える「石川さんが撮る東京」の魅力はなんでしょうか。

九龍:石川さんの写真って、それが都市であれ、辺境であれ、世界一の標高であれ、どこでも目線がフラットなんですよね。テンションが同じというか。そこがまさに、僕にとっては「東京の人だな」と思う部分でもあるんですが、そういうフラットさは、当然、地元である東京に対しても同じなんですね。東京生まれだけど、東京に対しても一定の距離がある。東京って、何気に、石川さんの写真のユニークさをとてもひきだす被写体なんじゃないかと思うんです。

しまお:『ぼくの生まれた街』っていうタイトルも、やっぱり目線が離れている感じがしますよね。

石川:僕は「故郷への愛着」みたいなものが本当に薄くて、いつもちょっと離れた場所から見ているところがあります。故郷が好きな人って多いと思うんだけど、僕は特別好きでもなく、嫌いってわけでもないという。それはやっぱり東京という都市がそうさせているところも大きい。距離を置いて見てみたいっていう感じが常にあって、カメラを介して向き合うのがちょうどいい感じなんです。たぶん写真にもそれが表れているんでしょうね。

「なくてもいいと思われるようなお店や場所が、
街にとって実は結構大事なものだったりする」(九龍)

九龍:しまおさんの『家族って』を読んで、東京にまつわるいろいろな記憶が刺激されました。経堂の話が出てきますよね。僕は中学と高校の通学には京王線と小田急線を使っていたんですが、よくお腹が痛くなって途中下車してトイレに駆け込んでたんです。でも、当時は急行だと下北沢と成城学園前の間がすごく長くて、地獄なんですよ。もう脂汗で(笑)。でも準急だと経堂に停まるので安心、みたいな。経堂と聞くと、あの頃の妙な安心感を思い出します。

――そういう体験と結びついた記憶って消えないですよね。

しまお:経堂駅も昔とずいぶん変わりましたけどね。

九龍:下北沢駅周辺なんかも、ぜんぜん変わってしまいましたね。やっぱり中学・高校と通学で乗り換えに使っていた駅だし、いわゆる青春を過ごした街でもありますけど、あの頃、自分が知っていた場所とは違うものになってしまったなと感じます。

しまお:私たちは街が変わることに慣らされちゃって、これでいいんだろうかって時々思いますね。愛着っていうものが持てない、持たないようにさせられてる感じがする。景色って人の記憶や成長にとって大事だと思うんですけど。渋谷の駅前の変化とか、本当に速すぎますよね。

石川:撮りに行くたびに景色が変わっていくんですよね。比喩とかじゃなくて、本当に風景がすぐに変わる。

しまお:新しい商業施設と工事中の駅との間にいつの間にかもう1つビルが建っていて、本当に正気の沙汰じゃないなって気がします。新しい渋谷は何か、皆が幻想を持ち寄った結果、めちゃくちゃになっちゃったような……。みんな我に返ってほしいなって思うんですけど。

九龍:下手なプレイヤーがシムシティでつくったみたい。

全員:(笑)。

しまお:女子高生ブームの時は女子高生の街になって、カフェブームの時はカフェの街になって……。「渋谷=流行の発信地」っていう幻想を負わされてきたけど、今はもう違いますよね。それなのにビルは今もどんどん建ってしまう。小さな書店やレコードショップや飲み屋、ああいうものがあっての渋谷だったと思うんですけど。

九龍:僕が東京に生まれて恵まれていたなと思うのは、「誰がこんなもの買うんだろう」というようなマニアックな品ぞろえの店でも、東京であれば一応成立するじゃないですか。カレーにとっての福神漬けみたいなもので、一見なくてもいいと思われるようなお店や場所が、街にとって実は大事なものだったりする。今の渋谷はそんな大切なものをどんどん切り捨ててしまっている印象がありますよね。

「土地とのつながりが希薄だから
 旅に出てばかりの人生になったのかも」(石川)

石川:しまおさんの本を読んでると、愛着みたいなものを強く感じますよね。

しまお:場所への愛着というよりも、自分の好きな人たちがいる街だからかもしれない。特にうちは母が豪徳寺で育ったので、家族の歴史がそこにあるからというのもありますね。愛着があると同時に、どこか批評的に見てるところもある。どうしてもこの街じゃなくちゃいけない、という気持ちはないです。いつか離れるかもしれないとも思います。

石川:僕は幼稚園から小学校、中学校、高校まで、電車に乗って30分以上かかる学校に通っていたので、家の周辺が地元という感覚が全くなかったんです。それに加えて高校生の頃に1カ月間インドとかに行っちゃったりして、地元の友達はゼロでした。

しまお:高校生でインドって、旅費はどうしてたんですか。

石川:高校2年の時に初めてインドに行ったんですが、お年玉貯金を崩したのと、日給1万円の引越し手伝いのバイトを合わせて12万円くらい使いました。そのうち航空券代が7万で、あとの5万が生活費。一泊300円くらいの宿を泊まり歩く貧乏旅行だったので、ギリギリな感じです。日本に帰ってからも、インド旅行の話を学校の友達にしても意味不明だろうと勝手に思い込んで、周囲にはほとんど話しませんでした。そんな感じだから、小中高時代の友だちとの付き合いも悪くて、同窓会とかにも一度も出たことがない。なんか今やっていることを説明したりするのも面倒だし、思い出話とかもしたくないし、おまえも変わったなあとか、変わってねえなみたいな会話も全然したいと思わないっていう……。

全員:(笑)。

石川:地元の学校に行ってなかったのと、さらに引っ越しも2回くらいしていたことも関係してるのかな。とにかく東京に愛着とかがないんです。もう根無し草ですよね。だから、あんまり家とかに縛られず、旅にばんばん出ていくような人生になっちゃったのかもしれないです。本当に雨風しのげる場所があればそこがホーム、みたいな感じなんです。

しまお:キャンプに行って、野外でテントを張ってから周囲で遊んで、テントに帰ってくるとちょっとだけほっとするじゃないですか。石川さんにとって居住ってそういうベースキャンプみたいな感じなのかなと。

石川:まあそうですね。だから、こだわりの店とかもないんですよ。よく行く喫茶店もルノアールとかのチェーン店が大好きなんです。そういうところのほうが落ち着くし、他人に意識されなくて透明になれるから。

九龍:石川さんの写真には、そういう感じが出てますよね。東京に限らずどの写真にも、クールさというか、独特の距離感がある。

石川:「すれ違う」くらいの距離感で撮るのがちょうどいいんです。でも、ちょっとだけ肌と肌がこすれる。つまりは擦過ですね。東京がいいなと思うのは、そういう距離感が保てること。地方だとそうはいかないでしょう。東京では透明になれる。誰にも見られずに、自分があたかもいないように写真を撮れるのが好きといえば好きなんです。

「たとえ嫌いな人の記憶であっても
街の記憶の一部になってる」(しまお)

九龍:今回の石川さんの写真集には、たまたま僕の小学校の時の通学路に近い場所の写真も何枚かあって、ホントになにげない景色なんですけど、懐かしさを覚えたんです。ああ、自分にも郷愁に近い感覚はあるんだなって、すごく新鮮でした。

石川:写真集に掲載されているのは、自分がそこで生まれたり、育ったりしなければ撮らなかったし、行かなかったはずの何気ない場所ばかりで。それが他人の人生と交差するのはちょっと不思議な感覚です。

しまお:私は住んでる場所がほとんど変わってないので、友達の家に通う途中で見た景色とか家とか、そういうものが積み重なっています。記憶の中で景色と場所が結びついているので、景色がすごいスピードで変えられていくことが暴力的に、残酷に思えるんです。石川さんは私と違ってすごくフラットに、場所を俯瞰して見ている感覚があるんだなって思いました。

九龍:人とか店の具体的な手触りとか、そういうものではないですよね。

石川:ノスタルジアみたいなものがあんまりないんですよ。昔はこうだったなあ懐かしいなあ、と一瞬頭をよぎることはあっても、決して強くは思わない。

しまお:(ノスタルジアを感じる場所や場面が)唯一あるとしたら? 旅行先で知り合った人とか、場所とか。

石川:東京よりもヒマラヤとかアラスカとかのほうがノスタルジアを感じるかもしれないです。ぼくは東京の友人よりもシェルパの友達のほうが多いかもしれない。シェルパたちに会うとなんだか嬉しくなるし、だからヒマラヤをまた撮りたいと思うんだけど、東京の身近なところではあんまりそういう感覚になる場所がないんですよね。

しまお:旅をすると、そこの場所にはもう二度と行けないかもしれない、二度と会えないっていうことの連続だったりするからじゃないですか。

石川:そうですね。一期一会で。例えばヒマラヤだったら本当に命がけの遠征で一緒に何カ月も過ごしたシェルパたちとはつながりが深くなって、なんでもさらけ出せる本当の友達だ、という感覚があるんです。山自体も一朝一夕には変わらず、それどころか何百年と変わらずそこにある。でも東京の日常では、極限の体験を共有するシチュエーションもなければ、風景も変わる。だからかな。

九龍:僕も小学校とか中学校の同級生の友人は誰もいないんです。しまおさんは逆ですよね。

しまお:私は未だに昔の同級生とよく会うし、交流のない人の名前とか、よく検索します。どの子がどうなったか、っていうことにすごく興味があるんです。意地悪されたりした思い出がある子も、いい思い出がある子も、わりとそこは同列で。どっちも愛着がある。好きか嫌いかで言えば嫌いな人の記憶でも、それは自分の中に1回入ったものだから。

混乱の後にこそ生まれる
東京の楽しさと可能性

――東京の未来について「こうなってほしい」とか「こうなってしまうんじゃないか」というお考えがあれば、お聞かせいただけますでしょうか。

石川:僕はぐちゃぐちゃになってほしいですね。オリンピックがなし崩しで開催された後、東京が再び変わりまくっていくのを傍観していくんだろうなと。それを撮り続けたい。

しまお:石川さんは巻き込まれなさそう。

石川:巻き込まれるタイプじゃないけど、いつものように旅には出られないから、距離を取って見ていくんでしょうね。

九龍:後から現在を振り返ってみれば、やっぱり激変してるんでしょうね。

しまお:東京が変わったとしても、記録までもがなくなってしまうことがないようにしてほしいなあ。90年代の渋谷を写真で見ていると、なんだかこう、グッと来ますよね。あの時はガチャガチャしてちょっと怖い街だなとか思ってたけど、今思い出すとわくわくするというか、いろいろ発見がある街だったんです。今は誰でも写真が撮れるわけだから、そういうものを集結したアーカイブができればいいな。

九龍:僕はコロナ渦の直前、インバウンドで外国の方が増えていて、あの感じは好きだったんです、特に新宿とか。ゴールデン街のようなところにも来る人がいっぱいいて、それに対して文句を言う人も結構いたけど、僕はいろんな国の人がいて楽しかったんですよ。

しまお:私もあれは好きだったなあ。監視し合うとか、足並みをそろえなきゃいけないっていう同調圧力が強く出がちな私たちなので、外国の人たちの自己主張や自由さによって少しペースを乱されるくらいでちょうどいいんじゃないかな。

九龍:ゴールデン街の狭い飲み屋で海外の人がめちゃくちゃ喜んでいる感じもよかったですよ。言われてみれば確かに、海外にはあんなふうに片寄せ合うほどスペースの狭い、それでいてユニークなバーが密集している場所なんて、そうそうないんですよね。東京にいろんな国の人が集まって、楽しそうにしている感じが好きだったから、あの光景だけはまた戻ってきてほしいですね。

石川直樹
1977年東京生まれ。写真家。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年『CORONA』(青土社)により土門拳賞を受賞。2020年『EVEREST』(CCCメディアハウス)、『まれびと』(小学館)により日本写真協会賞作家賞を受賞した。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。現在、変わりゆくコロナ禍の渋谷をとらえた写真集を制作中。
http://www.straightree.com/
Instagram:@straightree8848/

九龍ジョー
1976年、東京生まれ。ライター、編集者。石川直樹写真集『東京 ぼくの生まれた街』をはじめ編集を手がけた書籍、媒体メディア多数。最近は『神田伯山ティービィー』『かずたろう歌舞伎クリエイション』『歌舞伎ましょう』ほかYouTubeチャンネルの監修も。「Didion」編集発行人。Errand Press相談役。著書に『伝統芸能の革命児たち』(文藝春秋)、『メモリースティック ポップカルチャーと社会をつなぐやり方』(DU BOOKS)、『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(ele-king Books/磯部涼と共著)など。
https://kowloonjoe.com/
Twitter:@wannyan

しまおまほ
1978年、東京生まれ。作家、漫画家、イラストレーター。多摩美術大学芸術学科卒業。97年「女子高生ゴリコ」でデビュー。著書に『マイ・リトル・世田谷』『ガールフレンド』『まほちゃんの家』など。両親は写真家の島尾伸三と潮田登久子、祖父母は作家の島尾敏雄と島尾ミホ。
http://mahomahowar.com/
Twitter:@mahomahowar

Photography Kentaro Oshio

author:

本橋康治

ライター/編集者 パルコ在籍時より評論、執筆活動を行う。主にアート、ファッション、プロレス/格闘技、クルマなどのフィールドで活動中。Instagram:@y_motohashi/

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