元銀杏BOYZの中村明珍が実践する「農家兼僧侶」という生き方

銀杏BOYZから峯田和伸以外が脱退するという衝撃のニュースから、7年半経った今年3月。元ギタリストのチン中村改め中村明珍(なかむら・みょうちん)は、『ダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろ』(ミシマ社)を上梓した。

軽トラックに乗り、“Dance In The Farm”のロゴTシャツを着て待ち合わせ場所に現れた中村。「撮影っていつします? 今、綺麗な虹が出てるのでもしよかったら」と提案してくれるなど、出だしから人柄の良さが伝わる。バンドマン時代から、農家兼僧侶として働くこと、山口県周防大島での生活について、慎重に言葉を選びながら答えてくれた。

——ベタな質問からなんですけど、今の肩書きを聞かれたらなんて答えてますか?

中村明珍(以下、中村):「農家兼僧侶」みたいな感じで言ってはいるんですけど、実質なんなのかっていうのは自分でもよくわからないです(笑)。でも、農家兼僧侶が一番わかりやすいかなって。

——著書『ダンス・イン・ザ・ファーム』のテーマの一つが、「いろんなことをまたぎたいという点だった」とツイートされていましたが、詳しく教えてください。

中村:ジャンル分けをきっちりするのはおもしろくないな、とどんどん強く思うようになってるんです。表紙のイラストを描いてくれたティム・カー※が大好きで、僕はとても影響を受けているんですけど、改めて彼のインタビューとかを読み直したら、まさにそういったことを言っていて。インスタのプロフィールも「自分は写真を撮ってアートをやり音楽を演奏」、そして大文字で『呼吸』って書いてある。やっぱすげーかっこいいなって。便宜上ジャンルや肩書きが必要な場面はあっても、本来は呼吸しているだけ、っていうのがすごく僕にもしっくりくる。でも「俺は俺と言うジャンルです」とか言い始めたらそれはそれでちょっとかっこ悪いんですよね(笑)。ティム・カーは絶妙で、すごくかっこいいなって。

※ 1956年テキサス州オースティン生まれ。1980年代に活躍したパンクバンド「Big Boys」のギタリスト。現在はビジュアルアーティストとして活動。ペインターとしての評価も高い。

——銀杏BOYZを脱退して移住したばかりの頃のインタビューで、「バンドをやめるとなれば、これまでの自分と全く違う方向に行かないとダメだ」というようなことを言っていましたが、いったん音楽から離れたいという気持ちだったのでしょうか?

中村:そうですね。銀杏の最後の方は最悪だったので(笑)。音楽にまつわる人間関係に絶望した、というか。人間らしく生きたいだけなのに、なんでこんなことが起こるんだろう、なんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだろう、みたいなことが積み重なって。全く音楽が聴けなくなっちゃった。苦しかったし、僕は職人的なミュージシャンではないという自覚もあったので、選ぶのは音楽ではなかった。

——それまでずっとやってきた音楽をやめて、アイデンティティというか拠り所みたいなものを探すのは難しそうな気がするのですが。

中村:本当に未練や迷いはなくて。そのバンドじゃなかったらなんでも良かったんですよね。リスナーには失礼かもしれないですけど、僕にとっては大問題だった。その頃は言語化できなかったですけど、表現をする上で越えちゃいけないラインってあるんじゃないかなって。特にバンドは共同作業の表現だから、例えば1人のアーティストが追い込んで作品を作っていくのとは少し違う。もちろんバンドだからこそ生まれるマジックはあるし、ギリギリの美味しいところで踏みとどまればいいかもしれないけど、そうではなかったと僕は思っていて……。まあ、みんな辞めちゃったし、そういうことだよねって。

農業と音楽の共通点

——移住に関しては、最初に奥様が東日本大震災を機に子どもを連れて実家のある山口県の周防大島に戻られたたことがきっかけですよね。

中村:はい、妻子の移住の理由の1つはそうですね。僕も震災きっかけ、みたいに思われがちなんですけど、僕自身はどっちかっていうとそうではなくて。しばらくは僕だけ東京で働いたりもして。それで銀杏BOYZ脱退があって、単純にバンドじゃなかったらなんでもいい、どこでも良かった、っていうのが正直なところです。

——移住するタイミングで農業をやろうと決めたんですか?

中村:音楽という選択肢がなくなって、「じゃあ何やろう?」ってなってたら妻に「じゃあ畑やれば?」と言われて、「いいね」って。

——それまで農業は未経験ですか?

中村:そうですね。でも子どもの頃母親が家庭菜園やってたりとか、そういう原体験みたいなのはうっすらありました。あと銀杏時代に住んでた高円寺のマンションで枝豆育ててたのを急に思い出して、あれなんかすごい嬉しかったなって。

——それと同時に僧侶の方も始めてますよね?

中村:たまたま同時に来たんですよね、やったら良さそうみたいな感じが。その流れに身を任せてたら、こうなっちゃった(笑)。

——やっぱり修行は過酷でしたか?

中村:体力的にも精神的にもしんどかったですね。一緒に修行した9人中2人が途中でやめてしまいました。

——宗派は真言宗とのことですが、どうやって決めたのでしょうか?

中村:たまたま縁があったお寺だったんです。銀杏をバリバリやっててそれぞれ辛かった時期に、知り合いづてで、「このお寺に行ったらいいよ」みたいな話があって、みんなで行ったりしていて。そこでちょっと、伝統宗教、いいなって思ったんです。パンクやロックの初期衝動も超かっこいいと思うけど、伝統というのは全く逆のアプローチに思えて。ファーストアルバムで爆発的な輝きを放ってその後消えるみたいなことあるじゃないですか。伝統にはそういう派手な爆発力は感じないけど、ずっと生き続けている強さみたいな。その両方を知りたくなったのかもしれないです。

—僧侶といっても常にお寺にいるわけではないんですね?

中村:そういうご縁は今のところなくて。そこは自分の中での音楽観とも似ていて、「やること」と「食うこと」は別に一致していなくてもよくて。他の仕事しながら音楽をやっているパンクの先輩達を見てきて、食うことが目的じゃない、ただかっこよさを探究する音楽はいいなと思ってたから。それは音楽以外でも一緒で、自分がいいなって思うものを求めていくことさえできればいいかなって。

——同じく銀杏BOYZだった安孫子(真哉)さんも農業を始められましたが、パンクの精神と農業の共通点はどのようなものだと思いますか?

中村:なぜ音楽から農業にスムーズに移行できるのかっていうのがよく話題になるんですけど、多分パンクの人達って一つ一つちゃんと考えて表現してるっていうのがベースにあって、それが僕は好きなんですよ。そうすると音楽の響き方がもっと楽しくなるから。この人そんなに真剣に考えてこんな破壊的な音楽やってるんだって思うと魅力が増す。さんざん考えてこんな変な音楽やってるんだっていうパターンもまた魅力だと思うし。

一方、単に商売で音楽やってるってわかると途端に魔法が消える感じがすごくあって。その僕が好きなタイプの人達に似た農業の人にたくさん出会ったんですよね。違う世界にもやっぱりいるんだーって。みんなその都度答えを出して営んでいる。そういうところが通じているように感じて、かっこいいなと思ったし、現場も楽しかったし。音楽やってる時のテンションと似てる気がするんですよね。

——音楽で培ってきたものは農業に活かされていますか?

中村:本当に音楽に教わったことがいろんな場面で助けてくれますね。例えば、自分が育てた作物を、知り合いとプラスアルファくらいの近い範囲に届けるために始めたオンラインショップがあるんですけど、のちに他の生産者からもそのサイトで自分達の作物を扱わない? という声を結構もらって。それで結果的に、知り合いの範囲を中心にしたいろんな生産者の、考え方だったり、生産過程がわかる作物をお届けする感じにシフトして。それも音楽の文化でもともとあったものを拝借してる感じなんです。「音楽の人はどうしてたっけ?」とか参照したりして。

この本には「移住礼賛」という気持ちはない

——移住してみて特に良かったと思ったことはなんですか?

中村:本にも書きましたけど、「いてくれるだけで嬉しい」っていうすごいシンプルな言葉をかけられた時ですね。そんな肯定の仕方があるんだっていう。全肯定じゃないですか。それが聞けたのが一番かもしれないですね。何かのためとかじゃなくて、ただいてくれるだけで嬉しいみたいな。

——特に東京とかだと、使えるか使えないかみたいな判断をされがちだったりしますもんね

中村:本当にそうですね。バンドですらそうなってしまう。だから、いてくれるだけで嬉しいって言われたら手合わせたくなっちゃう。

——勝手なイメージですけど、「よそものが来た」みたいな見方はされませんか?

中村:それはあると思います。でも、住んでみて逆の立場になると、見知らぬ人が来たら警戒するし怖いって思う気持ちもわかるようになりました。そこから恐怖や不安が溶けていく段階で、例えば食べ物のおすそ分けをいただいたり、お返ししたり。それとかあいさつ1つとっても、都市部とは違う踏み込み、近い距離を感じたりして、そこに戸惑う人もいるだろうし、向き不向きはあるだろうとも思います。

でもやっぱり地域によってはそれもきっと必要なんですよね。困った時に助け合わないといけないことを考えると、少し踏み込んでおいた方がピンチの時に助かることもあるから。都会だとそれはお金を払って受けるサービスに当たるので、お金を持ってる人ほどピンチの時に助かっちゃう構造があるけど、田舎だとお金を持っていても役に立たない場面がある。そこで普段から円滑な人間関係を築いていれば、困った時にお互い助け合える。

——断水した時に住民の間で少し意見が割れたエピソードも書かれていましたが、そのような時に今後の関係に影響するから意見を言いづらいといった葛藤はないのでしょうか?

中村:あー。本にも書いた、古い公民館を解体する話が出た時はそれで悩みました。壊すことを住民で話し合う時に、「僕は価値があると思ってるんですが、どうでしょうか」って意見を出したんですが、でもそれを強く主張していくのはちょっと難しいし、違うなとも思ったんです。強く主張していったら、より深刻な対立を生む怖さもあるし、そういう時は臨機応変に言ったり言わなかったり。でもほんとにピンチの時は言わなきゃいけないような気もしてます。意見の対立が怖くても、そういう局面はあるんじゃないかと。

——田舎への移住を検討している人にとって参考になりそうな本でもあると思ったのですが、その辺は意識して書かれましたか?

中村:僕は移住礼賛みたいな風にはしたくないなと思っていて。いち抜けた、みたいな感じは嫌なんですよね。「俺はこっち来て楽しくやってるよ」みたいな、そういうのはちょっと違うかなと。農業回帰みたいなのもそうですけど、移住ブームみたいなものを煽りたくないっていうのが本心。おすすめはするけど、ブーム的な匂いは好きじゃないから、そのへんは気を付けたいです。

——最後に、今後やってみたいことなどはありますか?

中村:実はさっき言った公民館を壊さずに引き受けたいと思って、これから具体的に調整していく段階です。古い地域の建物を、責任を持って維持管理していく。修繕もしなければいけないので、全国の皆さんにいろいろお願いするかもしれないです。

——新しい公民館を作るという話もあったんですよね?

中村:それはもうできたんですよね。古いほうの解体も決まってるんですけど、やっぱもったいないって思って。それがこれからやりたいことです。

——修繕した公民館をどう使っていく予定なんでしょうか?

中村:最高のものを体験できる場所があったらいいなと思っています。僕は基本的にハードかソフトかで言ったらソフトの方が大事って思う節があるんですけど、そのソフトを引き立たせるような力のあるハードも必要だと思うんですよね。だからお寺とか古い建物が残ってるのには理由がある。

この公民館は、もともと今住んでいるところの住民が「芝居をやりたいから」っていう思いから自分達で建てたもので。これをやりたいからこういう場所、っていう関係性のほうが、受け取り側も受け取れると思うので、そういう体験ができる場所を残したいですね。

——今後また音楽をやろうって感じはあんまりないですか?

中村:最初は全然なかったんですけど、だんだん別にそんな構えなくていいかなって感じになってきて、やってもいいしやらなくてもいいかなって。やるとしたら、やっぱりバンドが好きだからバンドがやりたいですね。1人じゃなくて、誰かとやれたらいいです。

中村明珍(なかむら・みょうちん)
農家兼僧侶。1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZのギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。
http://www.nakamura-organics.com
Twitter:@radiodregs

Photography Yohei Kichiraku

『僕たちはどう生きるか』の刊行を記念して、森田真生、宮田正樹 (野の畑 みやた農園) 、 中村明珍によるトークライブが開催。

「生命ラジオ」×『僕たちはどう生きるか』刊行記念トークライブ(オンライン)
日時 : 2021年10月24日
時間:14:00〜17:00(途中10分程度の休憩挟みます・Q&Aあり)
参加費 : ¥3000
申し込みは「寄り道バザールオンラインショップ」にて受付中。
https://yorimichishop.com/?pid=163781424

イベント概要
https://www.yorimichibazar.com/1024talklive

author:

絶対に終電を逃さない女

1995年生まれ。早稲田大学文学部在学中からライターとしての活動を開始し、卒業後はフリーで主にエッセイやコラムを執筆している。『GINZA』(マガジンハウス)Web版にて、東京の街で感じたことを綴るエッセイ『シティガール未満』連載中。今年挑戦したいことは、作詞、雑誌連載、ドラマなどの脚本、良い睡眠。 Twitter:@YPFiGtH note:@syudengirl

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