身近な椅子をキャラクターに 世代を超えて愛されるキャラクターを生み出す 大塚いちおのクリエイション

日本の文化を代表するものとしてアニメや漫画、ゲームは欠かせない。マリオやハローキティ、ドラえもんなどは海を越えて世界中から愛される日本発のキャラクターである、地方独自のゆるキャラがランキングを競ったり、コミュ二ケーションツールとして、お気に入りのLINEスタンプで会話を楽しんだり、キャラクター文化に関しては世界の中でずば抜けて発展している。

漫画原作のものもあれば、企業主導のキャラクターなど、メディアや発信元はさまざまだが、子どもの心をつかんで離さないのは教育番組のキャラクター達である。椅子というキャラクターにしては珍しいモチーフから個性豊かで、唯一無二のキャラクターを生み出す大塚いちおはイラストレーターとして書籍や広告など幅広いジャンルで活躍し、アートディレクターとして教育番組『みいつけた!』(NHK Eテレ)のキャラクター・セット・衣装などトータルでデザインを手掛けている。ここ数年はラジオのキャラクター制作など、おもしろい試みを続ける大塚いちおのクリエイションや仕事への姿勢を語ってもらった。

幼い頃、母とバスに乗っていた時に見た、バス停に置いてある椅子に着想

――最初にデザインしたキャラクターはどのキャラクターですか?

大塚いちお(以下、大塚):立体的ないわゆるキャラクターの仕事はNHK Eテレの幼児向け番組『みいつけた!』の主人公コッシーです。ただ僕はイラストレーターとして仕事をスタートしたので、イラストの依頼の中で「これをキャラクター化して使いたいです」っていうのは広告や商品、商業施設などで以前からわりとありましたね。

――椅子をキャラクターにするアイデアはどこから生まれましたか?

大塚:『みいつけた!』という番組を企画している時から関わっていましたが、いよいよキャラクターをどうしようかという会議の時ですね。せっかくの新番組だから、今まで世の中でキャラクターになってないものをキャラクターにしようって話が出ました。誰かが「椅子はどうですか?」ってアイデアを出したんですけど、その場では「それは難しいでしょ〜」みたいな空気だったんですよ(笑)。でも、僕は幼い頃、母とバスに乗って買い物に行った時に、バスから見たバス停に置いてある椅子のことを、ふと思い出したんです。誰かが置いた錆びた椅子やボロボロの椅子のことを思い出して、椅子のアイデアもいいんじゃないかって。当時、僕が車窓からそれを見ながら、「あの椅子、雨の日でも頑張って働いてるなぁ」って勝手に思ってたように、番組を見る子ども達も同じように「あの椅子頑張ってるね」みたいに感情移入するのって、ちょっといい世界だなと思って。

――多種多様な椅子が登場して、1つの世界が生まれてますね。

大塚:番組制作の初期段階から、可能なら椅子達が生活する街みたいなお話を作りたいと思ってました。番組のMCとして、ただキャラクターが出てくるのではなくて、このキャラクターはこういう子なんだよってエピソードやバックグラウンドを見てもらえると、子ども達の親しみ方も深くなって、想像力も広がってくれるかなと思いました。

「いすのまち」で生活する中で時には新たな出会いもあるから、そのたびにいろんなキャラクターも登場し増えていきます。

――そのキャラクターの設定とかは大塚さんが考えてるんでしょうか?

大塚:毎回「いすのまち」のお話を作る制作スタッフが、こんなキャラクターがいたらおもしろいというアイデアや、そのストーリーでどんなキャラクターが必要かというところから新たなキャラクターが生まれ、どんどん広がっていきます。そのアイデアやストーリーを元に、最終的に、「じゃあこんなデザインはどうかな」って僕が絵を描いたりしながら固まっていきます。

――インテリアの中でも椅子って偏愛的な要素が強くて、大塚さんも椅子マニアゆえにコッシーが生まれたのかと勝手に想像してました。

大塚:椅子そのもののデザインはプロダクトとしておもしろいなぁとか、美しいなぁとか思いますが、僕はそこまでマニアじゃなくて(笑)。時々、せっかくだからと思い、椅子としての美しさやアイデアを考えたりもしてましたが、基本的には椅子としてのデザインよりもキャラクター性を優先してデザインするようにしています。例えば、恐竜みたいな長椅子のキャラクターだとしたら、その存在感とか出てきた時の印象とかを優先して。そして最後に、長いリクライニングの雰囲気がきれいなラインだといいなと思って、椅子としてのデザインイメージを伝えたりというくらいです。

――ディテールはどこまで描き込むのでしょうか?

大塚:鉛筆でスケッチを描いて、細かく指示を書き込んだものを造形作家さんに渡します。あまり細かく指示しすぎて、作家さんがただ僕のイメージに近づけるだけになってしまってはおもしろくないので、少しだけ造形作家さんが工夫できる隙間を残したりしています。「いすのまち」のキャラクターはすべて造形作家さんの手作りなので、ちょっとしたニュアンスや素材の感じが加わることで、最初のイメージよりも味のあるキャラクターになります。例えば、マッサージチェアの「モミヤン」ってキャラクターがいて、古い銭湯とかにあるマッサージチェアをイメージしてるんですけど。あの独特な雰囲気に近づけるために使用する生地のイメージを伝えて、加工してもらいました。もうちょっとチープな革の素材がいいとか無理を言って。CGやアニメーションなら表現もある程度自由自在だけど、コマ撮りアニメの場合は実在する物を作ってもらう必要があるので、そのあたりは造形作家さんや制作のスタッフの仕事が重要になります。

――「いすのまちのコッシー」のコマ撮りアニメでは、実際に人形を少しずつ動かすってことですよね?

大塚:そう。顔の表情もそのシーンごとに作るので、何パターンか表情のスケッチを描いたりもします。ですが、実際にその先はキャラクターを動かしてくれる映像の監督やスタッフのイメージもあるので、相談しながら調整してます。

――生み出すのに苦労したキャラクターはいますか?

大塚:いろいろな分野で活躍している方々が椅子のキャラクターとしてゲスト出演してくれる時があるんです。もちろん、その人に似せる必要は必ずしもないんですけど、やっぱりちょっと、親心として本人に似せたくなっちゃいますね。限られた要素で、顔や、髪形とかで少し雰囲気を近づけるんです。番組開始当時「トータスイス」ってトータス松本さんが声を担当するキャラクターの制作の時、トータス松本さんは坊主頭だったんです。でも僕の中ではロン毛でソウルフルなヘアスタイルのトータス松本さんのイメージが強くて、そこはあえてもともともっていたイメージに寄せました。その後少し長めのヘアスタイルに戻った時には、ほっとしましたね。あと、僕は中学生の頃から甲斐バンドの大ファンで。そんな甲斐さんに番組に出てもらえることになって、「スコップさん」ってキャラクターが生まれました。その時もやっぱり甲斐さんっぽさをキャラクターに残したくて、顔の雰囲気など工夫しました。キャラクターとしてのかわいさの中に、本人の雰囲気も残す、そのバランスが難しいですよね。一緒に見てる親やその上の世代も「おっ! なに、この番組は〜!」ってなったら嬉しいなと思ってます。

――椅子以外にもサボテンの「サボさん」が出てきますね。

大塚:番組がレギュラー放送としてスタートする前のパイロット版には「サボさん」はまだいなくて、最初はコッシーとスイちゃんだけでした。その後番組のレギュラー放送が決まり、もっと話が広がるのにもう1人キャラクターが必要だねって話になって。椅子がある空間になじむキャラクターってなんだろうって、みんなで話してて、観葉植物、サボテンとかどうですか? って展開になりました。サボテンならラテン系の陽気なキャラクターなんて、どうでしょう? とかアイデアをだしあって。そんな中「来週までにイメージのスケッチを描いてきてもらえますか?」って感じでデザインがスタートしました。普通もっと時間が欲しいんですけど、この当時は「みいつけた!」という番組が生まれる時でいろんな作業が同時進行で、人生で一番かもっていうくらいかなりそれぞれの作業に集中してました。もしかしたらそのおかげでわりとすんなり生まれたのかもですね。

――キャラクター名はどなたが決めてるのでしょうか?

大塚:基本は脚本家さんとか他のスタッフが決めてます。コッシーの場合は椅子だから「腰掛ける」で「コッシー」でみたいな話をしていたような気がします。

――結構カジュアルな感じですね(笑)。ちなみに、大塚さんがトータルでデザインを監修するようになったのは、この番組が初めてなのでしょうか?

大塚:「みいつけた!」が最初で、もう10年以上続いてます。子どもの時に見ていた番組が、いずれお父さんお母さん世代になり、自分の子どもに「同じ番組を見てたんだよ」って言ってもらえるのが理想。あと数年たったら、そうなるかもしれないのが楽しみです。

ニッポン放送の開局65周年を記念して制作したキャラクター

――最近ではテレビ以外にも、ラジオ放送局のキャラクターなども手掛けていらっしゃいますね。

大塚:2019年にニッポン放送の開局65周年を記念してキャラクターを制作しました。「ラーさん」「ジー子」「オーちゃん」っていうラジオの電波の陰に隠れる3人の「謎の生き物」です。もともとオールナイトニッポンなど僕自身、ラジオリスナーだったので、オファーが来た時はとても嬉しくて。

このキャラクターは、例えばラジオを聴いてるとふと、「あれ? これって僕のことを言ってるのかな?」みたいな不思議な瞬間とか、タイミングよく自分が聴きたい曲がかかったりするじゃないですか。それは実はこのキャラクター達が電波に乗って奇跡を起こしているって想像から生まれました。ラジオってビジュアルがないから、リスナーは想像力を膨らませる。その想像力の中で生きがいがあるキャラクターになってほしい、そんな願いも込められています。

――キャラクターといえば、モグラの「ウェルモ」も愛らしいですね。

大塚:北陸新幹線の上越妙高駅のお出迎えキャラクターですね。金沢行きの北陸新幹線って長野駅を過ぎると、上越方面ってほぼトンネルなんですよ。そのトンネルを意識した動物っていえば、やっぱりモグラかなって思って。田んぼばかりのその場所に駅ができて、1匹のモグラが土の中を掘りながら進んでいたら「なんか大きな音がするぞ」って、地上に出たら自分よりも速い新幹線がビュンって走ってて。なんとなく姿形もちょっと似てるからモグラは「もしや、ライバル!?」みたいに興味を持ち始めます。それまで地下で生活していたモグラが新幹線の駅ができたことをきっかけに地上に出て、いろんな場面や人に出会うってストーリーでこの「ウェルモ」というキャラクターを作りました。なのでカラーリングもちょっとだけ北陸新幹線を意識してます。

――上越市の「DIGMOG COFFEE」でも「ウェルモ」に会えますね。大塚さんが東京に出てきて本格的にイラストレーターを目指した時のお話も聞かせていただきたいです。

大塚:父親が大工で、家に木材とか材料がそろってて、小さい頃から木の切れ端とかをもらって何か作ってみたりしてました。物心つく頃から絵を描くのも好きで、でもいわゆる画家の仕事は現実的には難しいだろうなと思い、そこで興味を持ったのがデザインの仕事でした。その当時は専門学校の学生とかキラキラしていて憧れもあったし、なんとなく東京で就職して、10年くらい働いたら独立してって夢を漠然と思い描いてましたね。

 就活して、すぐに内定ももらってと、とんとん拍子だったんだけれど、本当はもっと絵を描いたりしたかったなって気持ちが急に芽生えてきてしまい、1週間で内定を断っちゃって。その決断に両親も動揺してました(笑)。フリーランスでイラストレーターでやっていくことを両親に説明し、25歳くらいまではスーパーで看板を作るバイトをしながら、独学で絵を描いてました。家賃払ってカツカツな生活だったので、今思えばよくやっていたなって。本当に自分がやっていけるのか? とかみじんにも思わず、絶対できる。今やらないとダメなんだって、きっと何かに取り憑かれていたんですよね(笑)。

――根拠のない自信に突き動かされていたんですね(笑)。

大塚:きっと社会の仕組みがなんとなくわかる年齢になると、それなりに要領もよくなって、絵を描いてもそれが仕事だからってなんか冷めちゃったりして。そういうのはなんとなく嫌だなって思ってました。僕は絵が好きで、それを仕事にしたい。だから何かおもしろいものが作りたいっていう初期衝動がそのままずっと仕事になったら良いなと思ってましたね。

――その当時憧れていたイラストレーターはいましたか? 

大塚:現在はアートディレクターとして活躍しているタナカノリユキさんですね。当時からタナカさんの考え方や、作ってるものがすごい好きで、アトリエに行って絵を見てもらったりはよくしてました。のちにユニクロのCMの企画プレゼンに誘ってもらったり、書籍の仕事を一緒にできた時は嬉しかったですね。当時はいろんな人に会って絵を見てもらったり、直接話ができたらと思って、たくさんの方に会いに行ってました。すでに活躍されている方に実際に作品を見てもらって、具体的なアドバイスをいただいたり、その経験はすごく大きかったです。

――今はイラストとグラフィックデザインの仕事ってどれくらいの割合ですか?

大塚:僕の場合は本当に絵を描くのがスタートで、最初は100%イラストレーターの仕事でした。誰かにイラストを依頼され描く。それはシンプルで楽しかったのですが、同時にその仕事のやり方ではカバーできない分野の仕事へと徐々に広がり始めました。デザインスタッフと一緒に仕事をするようになってからは、僕がアートディレクションを担当し、必要があれば自分でイラストを描いています。アートディレクターとしてはプランとか世界観を考えて、それを外部の方とチームで作る仕事も増えてきてます。僕にとってはプランを考えたり世界観を作ったりというのも、何もないところからイメージを作るという意味では、白い紙にイラストを描くことと同じ感覚なんですけどね。アートディレクションとイラストの仕事、今は半々ぐらいになってきてるかな。

――個人的には『MAGIC!』のように、大塚さんの作品を一挙に楽しめる新しい作品集が出たら嬉しいですね。

大塚:「MAGIC!」は東日本大震災前に出したものだから10年以上前の作品集ですね。ここのところまさに作品集のことを考えていて。この10年でたくさんの仕事も新しいものも作り出したし、そろそろまた形に残したいなぁとは思っています。『MAGIC!』はその当時、自分なりに何かうまくそのエッセンスを全部1冊に詰め込もうと思ったからか、言葉が少なめで。今だったらもう少し肩の力も抜けてきて、作品の制作の過程や思いなんかを、エッセイみたいに入れて作れるのかなと思っています。

――作品集だけでなく、大塚さんの書棚には音楽や映画、写真集などさまざまな本が並んでますが、大塚さんはどんなカルチャーから影響を受けてますか?

大塚:影響を受けた人というか作品が好きでよく見てたのは、デヴィッド・ホックニーですね。ラフに描かれていても、すごく描き込まれていても、カリフォルニアの乾いた空気みたいにサラッとしていて。なんかそういう空気感っていいなと思って。あとは、(ピーター・マックス率いる)プッシュピン・スタジオのサイケな感じとかにも影響を受けてますね。

――大塚さん自身が個人的に好きなキャラクターも教えてください。

大塚:子どもの頃はテレビっ子だったから『仮面ライダー』とか『ドラえもん』が好きで。大人になってからは『シンプソンズ』ですね。キャラクターのデザインや番組自体の雰囲気も大好きで。Tシャツやグッズは今でも見つけると買っちゃいますね。程よい毒とバカバカしさや、旬を意識したゲストとかも良い。モリッシーは勝手にキャラクターに使われていて、怒ってたけど(笑)。

――ベネディクト・カンバーバッチが声優を担当していて、さらには曲も作ったりして、最高だったんですけどね(笑)。最後に、ここ数年でガラリと環境も変わりましたが、この先は大塚さんはどんな風にデザインに関わっていきたいですか?

大塚:最近はコロナの影響で、人に会う機会がぐんと減っていて。だからこそ、すごく人との接点を欲していて。例えば、親交のある店や商品のデザインなどもそうですけど、ローカルでも確実にそれを手にしたり、見たりした誰かが喜んでくれてるっていう仕事をやりたいなと思っています。それが立体でも、平面でも構わなくて。小さなものでも定番になって人に愛される。そんなものをきちんとたくさん生み出していきたいですね。

大塚いちお
1968年新潟県上越市生まれ。イラストレーターとして、広告やパッケージ、出版など数多くの仕事をこなし、  アートディレクターとして、広告や、テレビ番組のキャラクターデザイン・衣装・セット・タイトルロゴなど番組全体のデザインに携わる。 担当番組にNHK Eテレ「みいつけた!」など。Jリーグ川崎フロンターレのファミリーアートディレクターとして、 グッズやイベント関係のデザインを担当し、2015年シーズンユニフォームをデザイン。2018年にNHK 連続テレビ小説「半分、青い。」オープニング映像のイラストを担当。子ども向けのワークショップも多数手がける。 そのジャンルを越えた創作活動は、子供から大人まで幅広い層に支持されており、 イラストからデザイン、空間、キャラクターや衣装、ユニフォームまでこなす 多種多様なクリエーションは業界内でも唯一無二の存在である。東京ADC賞受賞、カンヌライオンズや D&AD awardsなど海外の受賞も多数。東京造形大学特任教授。
http://ichiootsuka.com

Photography Kosuke Matsuki

author:

多屋澄礼

1985年生まれ。レコード&アパレルショップ「Violet And Claire」経営の経験を生かし、女性ミュージシャンやアーティスト、女優などにフォーカスし、翻訳、編集&ライティング、diskunionでの『Girlside』プロジェクトを手掛けている。翻訳監修にアレクサ・チャンの『It』『ルーキー・イヤーブック』シリーズ。著書に『フィメール・コンプレックス』『インディ・ポップ・レッスン』『New Kyoto』など。

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