クラフトブームといわれる昨今。器をはじめとした人気工芸作家の個展には整理券が発行されたり、初日前に購入希望者が列をなすことも少なくない。その一方で、美濃や常滑といった工芸の産地はどこも厳しい状況に追い込まれている。そんな中、金彩をはじめとした美しい細工が特徴の九谷焼が、誰も思いつかないような斬新な企てを実現させた。あのバンクシーのグラフィティが描かれた九谷焼ワイングラスである。
神出鬼没の覆面アーティストにして、社会的問題を投げかけることで世界中にインパクトを与えているグラフィティアーティスト、バンクシー。江戸時代に、加賀藩の統治下にあった九谷村(現在の石川県加賀市)発祥の磁器をルーツに持つ九谷焼。一体、なぜこのプロジェクトが生まれたのか。それはひょんなことがきっかけで実現された。産地で江戸年間から続く九谷焼の老舗窯元・鏑木商舗の8代目当主である鏑木基由は「少し長くなるんですが……」と前置きしながら、その経緯を話してくれた。
プロジェクトの背景にあるワイン好きのつながり
「地元・金沢に大変動物好きで、大変絵が上手な友人がいます。その友人の夢がアフリカのサファリに動物を見に行くこと。彼は自閉症ということもあり、私が声掛けをして有志達のサポートのもと、彼の夢を実現させようと働きかけていました。しかし航空会社に話を持っていくと、実現は非常に困難であることがわかり、紆余曲折の末、行き先を彼の希望も聞いて、アメリカのサンディエゴへと変更しました。サンディエゴには世界的に有名な動物園や水族館があるんです。彼の母と私も一緒に旅をしていたのですが、それをSNSにあげると別の知り合いから『私もそこにいたの!』とメッセージが来たんです。その送り主は、SNSでつながったワイン好きの友人。私はワインが好きで、かねてよりワイン好きの方々とSNSを通じての交流がありました。彼女もその1人だったんです。その後サンディエゴでの一件もあって東京でも一緒にお酒を飲むようになりました」。
ワイン好きでつながり、サンディエゴに友人の夢を叶えるために旅したことで親しくなったこの友人、実は日本でバンクシーの絵数点の権利を保有する会社をサポートすることになったということで、九谷焼の老舗・鏑木に話がやってきたのだった。伝統工芸と反逆のアーティストの組み合わせは、ブランド戦略ではなく鏑木の個人的な繋がりが発端となっていたのである。
九谷焼の職人達の絵付けがイギリスの承諾を得るきっかけに
「ミュージアムショップでは、よくアーティストの作品がマグカップにプリントされたものを見ます。同様な形で磁器の九谷焼の生地を使って、バンクシーのグラフィティをプリントするということでは、見た目だけでは他との区別もつきませんし、自分達よりも安価で似たようなものを作ることができてしまいます。それでは九谷焼でやる意味がありません。ですから、きちんと九谷焼の職人達に絵付けしてもらった然るべき作品としなくてはと思いました」。
鏑木商舗では、以前よりリーデルのワイングラスのステムとフット・プレート部分を九谷焼にした商品を開発・販売していた。今回は、バンクシーのグラフィティ写真を使用したアイテムやブランドコラボレーションを展開する英国Full Colour Black社のグラフィックアートプロジェクトとして、「BRANDALISEDグラス」シリーズを制作。ステムとフット・プレート部分が、九谷焼とともにバンクシーの『バルーンガール』『ラブ・ラット』『フラワー・ボンバー』『パンダ・ガン』の4つの絵柄に彩られている。鏑木は、3名の気鋭の職人に絵付けを依頼。それぞれバンクシーの作品の世界観を損なわないようにしながらも、九谷焼らしい技による絵柄が加えられている。アイデアをもとにサンプルを作成し、イギリスへ送付。その後、晴れて商品化となった。アイデアが出てからわずか半年ほどのスピード実現だった。
「このワイングラスの商品化で、日本の伝統工芸は世界で通用すると確信しました」。
このシリーズの主役はバンクシーのグラフィティであろう。しかし、背景に施したレンガなどの絵付けも金彩や銀彩など九谷ならではともいえる技法を使い、九谷焼から離れすぎないワイングラスとなっている。絵付けはそれぞれ職人が手仕事で行っており、そこに鏑木商舗は大量生産大量消費へのアンチテーゼという思いを込めている。それはバンクシーの活動にも通じるものである。突飛に思える組み合わせだが、日本の伝統工芸と英国のストリート・アーティストの根底には実は共通する価値観があったのだ。
流行りではなく、それぞれの作品世界を向上させるための“変換”が伝統工芸の未来像
日本において世界的アーティストの作品を使用するという際、ほとんどが虎の威を当てにする。しかし気概がある伝統工芸であれば、相乗効果を生む組み合わせも不可能ではないだろう。白い生地にただプリントだけするという、シンプルに流行りに乗るような形ではなく、それぞれの作品世界を損なうことなく伝統の技を世界中で評価されているワイングラスに施す。この“変換”には、全国的に危機的状況に置かれている伝統工芸の起死回生のヒントが隠されているのではないだろうか。
「文政年間に創業した鏑木は来年創業200年になりますが、古くから海外輸出をしてきたという背景があります。また先代である私の父が若くして他界したことで、20歳より自分が代表として経営をしてきました。ですから、現場を見ながらアイデアも出し営業もするなど、社長として何役も務めてきました。これからは自社のみならず、全国に236ある伝統工芸の中から、同じようにバンクシーのグラフィティと組み合わせられるものを見出し、展開するお手伝いをしていきたいと考えています」。
世界を見据えての伝統工芸の変換を世界が注目するストリート・アートから。予定調和の範囲を超えたインパクトが、さまざまな形で現れてくるかもしれない。