『バンクシー 壁に隠れた男の正体』著者ウィル・エルスワース=ジョーンズが語る謎に包まれた覆面アーティスト・バンクシー

美術にそれほど関心がない人でも、一度は覆面アーティスト、バンクシーの名前を聞いたことがあるだろう。彼が路上に残した作品は、器物損壊行為という犯罪であるにもかかわらず、今や大事に保存されるか、あるいは壁ごと盗まれる。彼自身が高額で絵やオブジェなどの作品を売ることはないが、コレクターがオークションに出品しようものなら、驚くほどの金額となる。落札された絵に仕込んだシュレッダーを稼働させ、人々をあっと言わせた2018年の事件は愉快だったが、そうかと思えば、現在のコロナ禍においては、新型コロナウイルスと闘うイギリスの病院に絵を寄贈したり(つまり、これを売って病院運営資金の足しにしてほしいということ)、地下鉄の車両内にマスクと戯れるネズミの姿をユーモアたっぷりに描いたりしている。一貫して彼の態度は、スノッブな資本家達には中指を突き立てながらも、社会的に弱い立場に置かれた人々に対しては温かく優しいのだ。

だが、そうした広く知られる活動に反して、本人の素性は徹底的に隠されており、未だ謎が多い。その彼の半生をうなるほどのリサーチ力でまとめたルポルタージュが、先日、日本でも翻訳版として発売された『バンクシー 壁に隠れた男の正体』である。ただし、これは彼の「正体」を暴こうとするものではない。ストリート出身のアウトサイダーであるバンクシーが、いつしか強い影響力を持ち、好む、好まざるにかかわらず、その一挙一動が注目される存在になるまでの軌跡をていねいに追ったものだ。著者でありジャーナリストのウィル・エルスワース=ジョーンズに、今、思うことを伺った。

――この本がイギリスで2012年に出版されてから8年が経ちますが、その間もバンクシーは絶えず話題になる活動を続けています。この8年で、彼自身や作品にはどのような変化が見られましたか? また、特に印象に残った作品、もしくはプロジェクトを教えてください。

ウィル・エルスワース=ジョーンズ(以下、ジョーンズ):バンクシー自身はあまり変わっていないと思いますが、彼の受け止められ方は根本的に変わりましたね。以前なら自治体は、彼がストリートに描いた絵を塗りつぶしていましたが、今では保存する意向です。バンクシーはかつて、アートギャラリーは大富豪達のトロフィー棚でしかないと語っていましたが、かなり抵抗したにもかかわらず、あいにく今や彼の作品もそのトロフィーの一部となってしまいました。作品でいえば、最近はステンシルよりもインスタレーションのほうが重要だと思います。「ディズマランド」とベツレヘムの 「ウォールド・オフ・ホテル 」は特にそうですね。

――2019年1月に東京の日の出駅近くでバンクシーのものらしきネズミのステンシル作品が見つかり、都知事が好意的にツイートして大きな話題となりました。2002年に描かれたとされており、ちょうどその時期に来日もしていたようです。あれは本当にバンクシーの作品と思ってよいでしょうか?

ジョーンズ:いや、そうとも言えないんじゃないですか。彼が描いたものではあるかもしれませんが、本物だとしたら、すでにそれを認めているのではないでしょうか。

――「落書きは犯罪だ、でもバンクシーなら歓迎」といった矛盾について、個人的にはどのようなお考えをお持ちでしょうか。

ジョーンズ:もちろんそれは矛盾していますが、落書きを消すか残すかの判断は人それぞれです。もし自分の家の壁に精巧なグラフィティ、あるいはバンクシーにしろ彼でないにしろ、ストリートアーティストによる素晴らしい作品が描かれたら、私だったらそれを残すことを望むと思います。でも、それがタグと呼ぶのもはばかられるほどひどいものだったら、その日のうちに洗い流してしまうでしょう。

――バンクシーが政治的な作品を作るようになったきっかけはなんだったのでしょうか?

ジョーンズ:近年中東で起きている惨事に対して、彼は特に強い思いがあるのだと思います。また、その惨事から逃れるためにボートでヨーロッパに渡ろうとしている難民達の行く末についても、強い思い入れがあります。バンクシーは、活動初期から幅広く左翼的な社会問題に強い関心を持っていましたが、そうしたことは特別画期的なことではありません。

――あなたは本書の中で、作品の制作資金はほぼ自腹、そして多額の寄付を行っているバンクシーは、豪邸ではなく「普通の家に住んでいる」というある人物の証言を紹介しています。ステイホームの時期にたくさんのネズミが描かれたバスルームの写真がインスタグラムに上がっていましたが、あれは彼の本当の家だと思われますか?

ジョーンズ:正直なところ、わかりません。でも違うのではないかな。もしかしたら彼のスタジオかもしれませんね。

――バンクシーは初期の頃は顔を隠すことにそれほどこだわっていなかったと本に書かれていました。つまり、当時のファンは彼の素顔を知っているということでしょうか?

ジョーンズ:いや、当時から警察の前には自ら姿を見せようとはしていませんでした。そしてまた、すべてのジャーナリストに素顔を晒していたわけでもありません。ただその頃は、四六時中、わざわざ顔を隠さずとも日常生活を送ることができていました。ファンと呼べるような人はほとんどおらず、周りにいたのは友人や、一緒に活動していたグラフィティライター達だけでしたから。

――バンクシーが決して顔を出すことがないのに対し、同じグラフィティアーティストであるシェパード・フェアリーやアンドレが躊躇なく顔出しするのはなぜでしょう? 彼らも警察に逮捕される事態は避けたいのではないかと思うのですが。

ジョーンズ:シェパード・フェアリーはストリートアーティストというよりも、最近では成功した起業家という感じですから、彼が逮捕されることはないと思います。アンドレの作品のことはよく知りませんが、彼も今では起業家寄りなのではないでしょうか。バンクシーは顔を覆った姿がつねに自身のイメージの一部だったので、たとえ今はもうその必要がないとしても、長年やってきたことをいきなりやめるのは難しいでしょう。

――一番好きなバンクシーの作品はどれですか?

ジョーンズ:もっとも好きなのは、デトーナメント絵画と、何よりもインスタレーションです。一番のお気に入りは……、という言い方がふさわしいかどうかわかりませんが、「ディズマランド」にあった、ダイアナ妃がシンデレラの馬車の中で死んでいる作品です。ベツレヘムの「ウォールド・オフ・ホテル」は芸術作品としても、イスラエルが建てた分離壁をつねに思い出させるものとしても秀逸です。ブリストル・ミュージアムにあったバンクシー版・ミレーの「落穂拾い」は何度見ても楽しめましたし、さらにさかのぼれば、ロンドンの薬局の壁にあったTescoの旗をアメリカの星条旗のように掲げていた子ども達の絵も好きです。豊かな想像力で、壁の電力ケーブルを絵の主要な一部分である旗用ポールに見立てたところが素晴らしいと思います。

――ロシアのアクティビストグループであったヴォイナ(後のプッシー・ライオット)が2011年に逮捕された時、バンクシーのおかげで釈放されたとは知りませんでした。その後、プッシー・ライオットは、2015年の「ディズマランド」でパフォーマンスを披露しています。バンクシーと彼女達の関係について、ご存じであれば詳しく教えていただけますか?

ジョーンズ:私が知っているのは、彼女達がいかに刑務所で劣悪な扱いを受けているかを知ったバンクシーが釈放の手助けをしたということと、「ディズマランド」で演奏をするバンドを探していたら、彼女達がぴったりだったということだけです。それ以上の関係については、よくわかりません。

――本書では、バンクシーがロビン・フッドに例えられる描写があります。私には、彼が何もない壁にスプレーを吹きかけるとそこからたくさんの金貨が現れるというイメージが湧き、魔法使いや錬金術師、あるいは日本の民話で言うところの『花咲かじいさん』のような印象をもちました。なぜ彼にはそのような魔法が現実に可能なのでしょう?

ジョーンズ:バンクシーは大金持ちから富を奪い、貧しい者に与えているという点で、たしかにロビン・フッドのような側面があります。彼は魔法を使っているわけではありませんが、非常に頭がいい男なんです。そして一般市民が彼のアートを理解しているおかげもありますね。専門家の解説がなくても、描かれた絵の意味がわかるのですから。有名になればお金もついてきます。初期のバンクシーは『花咲かじいさん』に近いように見えるかもしれませんが、現在の彼は、民話の登場人物よりもずっと計算高いと思いますよ。

――世界中で“非公式”のバンクシー展が開催されています。本人がそれらを非難する声明を出している以上、私達はそれらを観に行くべきではないのでしょうか?

ジョーンズ:まず言えるのは、それらの入場料が、特にこれまでバンクシー自身が開催してきた展覧会と比べると高額だということです。ブリストル・ミュージアムの展示は無料でしたし、「ディズマランド」の入園料は3ポンド(約400円)でした。でもお金に余裕があるならば、バンクシーがどう思っているかは気にせず、観に行けばよいと思いますよ。彼の作品を買った美術館は、今のところまだないので、多くの人にとってはそれがバンクシーの作品を間近で見ることができる機会かもしれません。

――バンクシーのように、たえず社会問題に意識を向けるために、私達ができることはなんでしょうか?

ジョーンズ:残念ながら、われわれには彼のような才能も想像力もありません。少なくとも、私にはですが。あればよかったのにと思いますけどね。デモ、投票、キャンペーンなど通常の手段で参加していくしかないと思います。本当に世の中を変えるには、そうした手段の次元を抜きんでる彼のような天才が必要でしょうね。

――2020年の今も彼が匿名であり続けていることは驚きでしょうか? それともご想像の通りでしょうか?

ジョーンズ:みんな本当に彼の本名を知りたがりますよね。ネットで検索できますが、そんなことはせずに秘密のままのほうがずっとおもしろいと思います。

ウィル・エルスワース=ジョーンズ
サンデー・タイムズ紙の主任記者を経て、現在は同紙のニューヨーク特派員であるとともに、テレグラフ紙、インディペンデント紙、サガ紙の折込雑誌でシニア編集員を務める。主な著書に、第一次世界大戦時の良心的兵役拒否者を暑かった歴史書『私たちは闘わない』他。

インタビュー&ドローイング:aggiiiiiii
英訳:田中恵子
編集校正協力:『バンクシー 壁に隠れた男の正体』日本語翻訳チーム

author:

aggiiiiiii

ジン『KAZAK』編集・発行人。海外のガールズカルチャーを中心としたコラムやイラスト、翻訳を手掛ける。『GINZA』、『Fasu』にて連載中。訳書に『プッシー・ライオットの革命』ほか、共訳書『バンクシー 壁に隠れた男の正体』。

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