これは、コロナ禍で生きるバンドのリアルなドキュメンタリーだ。
新型コロナウイルスの蔓延によって、音楽ライブの中止・延期が相次ぎ、開催した場合にはいくつもの感染防止対策による制限がかかってしまう2020〜21年。ライブを単なる娯楽ではなく人生の中心として捉えているミュージシャン達にとって、そういった状況は、経済面に限らず多くの苦痛や困難をもたらしている。
2013年に活動を開始し、1970年代のシティポップが鳴らした都会の中に潜むニヒリズムなどさまざまな人間模様や街の風景を、今の時代に東京から鳴らす4人組(角舘健悟、粕谷哲司、竹村郁哉、上野恒星)バンド・Yogee New Waves(ヨギー・ニュー・ウェーブス)。彼らは、オリンピックで活気が溢れる2020年の東京で4枚目のアルバムをリリースしようとしていた矢先にコロナに直面し、バンドにとって一番の糧であるライブも失った。10月13日にようやくニューアルバム『WINDORGAN』をリリースできるようになるまでの、バンドとして一度歩みを止めてから、水なしの植物のような状態になっていた日々と心情をここで語る。
——前作『BLUEHARLEM』から2年半という長い時を経て、ニューアルバム『WINDORGAN』がリリースされした。この2年半、特にコロナ禍での1年半にどんなことを考えて過ごしてきたのか、生き方や音楽に対する向き合い方がどう変化して、それがどのようにアルバムに反映されているのか、ということを聞かせていただければなと。
角舘健悟(以下、角舘):前提として、この作品(『WINDORGAN』)は6割方コロナ前に作っていて。オリンピックが来て、街が活気に溢れている中で出そうと思って作っていたんだけど、コロナによってシャットダウンされてしまったんです。海外のアーティストとかはコロナ禍で感じたことをすぐにリリースするような速度感でやっていて、けど自分達にはこの温め続けた曲があるから、歯がゆかったですよね。コロナになってからも制作はしていたんです。でも、無理に動いてやるよりは、一度立ち止まってみようよ、という話になって。そのまま1年という時が過ぎます。それで、一度止めたエンジンをかけてポジティブに作品に取り掛かるためにはどうしたらいいんだろうということを話し合うところから始まって、なんとか10月に風のアルバムを出せることになりました。
粕谷哲司(以下、粕谷):最初の緊急事態宣言のタイミングはメンバー同士でも会わないようにしていて。みなさんそうだったと思うんですけど、ずっと家にいて。リモートで今後どうしていくかを話したんですけど、ライブもどうなるかわからないし、リリースしてもどうなっちゃうんだろう、という状況で。みんな悶々としていたという感じですね。
——空白の1年は、どう過ごしていたんですか?
角舘:なんかね……俺は、自分のポジティブな活力の主軸がライブしかないことに気が付いたんです。さかのぼったら3歳頃からステージで演奏することを覚えていて、それを今までこと切らしたことがなかったんです。それが1年もやらない、おまけに曲を作っても「なんか違うな」ってなる、なんだか良くないスパイラルの中にいたように思います。だからただひたすらアンビエントを聴いたり作ったりしてました。作ることを止めたら楽しくないと思ったから、花を買ってきてそれが咲くまでの過程をインスピレーションにして曲を作るみたいな壁打ちをずっとやってましたね。それをどこかで発表するとかではないんだけど、ただ、あの静寂の中でバンドがドカンと音楽を鳴らしてるイメージがないからこそ、自分の中に入りたくて。だから自分のルーツにも帰ってみました。自分の住んでいた街に行ってみたり、パーカッションの恩師に会ったり、とにかく根幹を探り続けてました。昔はドラムをやってたから、ドラムの練習をしたりRECしたり。絵を描いたり。作って生み出すという行為はし続けた。あと鍵盤を弾けるように練習してました。見る人がいないってだけ。その時に思ったのは、作ったものを見てもらいたいとうこと。今まで、人に見てもらって、そのフィードバックに対して自分のエネルギー量を理解していたみたいな感じで。だからこの時期は、修行僧ですよね。頭はイカれそうになったかな……そうですね、今思えば頭はイカれましたね。
——ステージの上という自分が高揚できる場所、ライブという人生の糧を急に失って、気が滅入ったアーティストはこのコロナ禍で本当に多いなと、いろんなアーティストインタビューをしていても実感します。
角舘:でもそれを腫れ物に触るかのように見てほしくはなくて。その感受性で今までやってきた人があの時間を過ごしたら、ちょっとイヤな感じになるのは、俺は逆に自然だと思ってる。自分もすごく健全だと思った。これが次に繋がるということも感覚としてわかっていたから、黙ってシンセサイザーのカットオフをひたすらねじり続ける……みたいな感じ(笑)。
——そういう時に惹かれた音楽は、アンビエントだったんですね。
角舘:アンビエントと、あとはジャズかな。この2つにはめちゃくちゃ救われた感じがします。
——なぜその2つのサウンドにいったんだと思います?
角舘:一見メッセージ性がないっていうのがまずポイントだと思う。そこに「ある」というか。アーティストのメッセージや意図があるというより、自然のものから採取したって感じです。ジャズとかってもうちょっとそこにあるものをライブして録ったという感じがする。だからその2つは聴けたのかな。
癒やしの音に惹かれたことが『WINDORGAN』に繋がる
——なるほど。今回のアルバムでコロナが始まってから作ったのはどの曲ですか?
角舘:「windorgan」「JUST」、あと「Toromi days」は詞をコロナ中に書いたかな。この3曲だけじゃないかな。
粕谷:あと「SISSOU」は、曲自体はあったけどレコーディングしたのは最近だね。
——ああ、なるほど。「JUST」はこのアルバムの重要な1曲なのではと感じていて。まさにそこに「ある」ものを採取している感じがするというか。作者の目的とか打算から生まれた曲じゃなくて、人間の手を離れたところ、つまり音楽とか世界に導かれるように生まれた曲のように感じる。それに、聖歌が持つようなパワーがある曲だなとも思う。
角舘:俺、学校がカトリックだったから、ミサで訪れる美しさみたいなものをどういうふうに表現できるのかなということはずっと考えていたんです。そもそも自分は街とリンクしている感じがして、街に元気がないと俺も元気がなくなっちゃう。だからコロナになって自分も落ちて。その中でどうしたら曲ができるかなってずっと考えていたんだけど、「JUST」は曲を書きながら瞬間を切り取るみたいなことをしなくちゃと思って出た曲だと思っていて。だから「JUST」=今という曲名です。本当に、「今」を書いただけだったんです。その時に感じたことだけを、今その瞬間に書き綴っていって作った曲という感じ。「JUST」に関しては、書いててずっとゾクゾクしてた。
——「JUST」はピアノで作った曲?
角舘:「Toromi days」はそうで、「JUST」はガットギターで作ってエレピ(エレクトリックピアノ)で磨いた感じ。
——今までYogeeでピアノから作った曲ってなかったですよね?
角舘:それこそエレピを買ったばっかりで。アンビエントを作ることはできたけど、なかなか曲はできなくて、どういう気持ちを言葉にしたらいいんだろうって詞にもならなかったりしていたけど、「JUST」を作り始めたらちょっとずつ自分の心が吐露できるようになってきて。
——なんでピアノを買おうと思ったんですか?
角舘:それはね……コロナ前だけど、プロモーションで疲弊していた時に、気がついたら楽器屋に入って「これを……ください」って(笑)。そういう感じで買ったんですよ。ウーリッツァーっていう、とっても素敵な楽器なんですけど、もともと癒やすために作られた楽器で。
——そのエピソードやオルガンの癒やしの音に健悟さんが惹かれたことは、この『WINDORGAN』というタイトルの由来に繋がってます?
角舘:繋がってますね。シンセサイザーには興味があったけど、ピアノという楽器に興味を持つとは思ってなかったから。今まではギターだからメジャーとかマイナーとか大雑把なカラーの話だったけど、ピアノになった瞬間に、さらに複雑な音階の和音を組める。彼(=音)にとって彼は邪魔者なんだけど、一緒にいることによって味わい深い、ということをすごく学び取れて。和音という概念が自分の中にできたんですね。
——それは人間関係のあり方にも通ずる話な気がしますね。
角舘:和音が鳴ってるみたいな感じでバンドをやってるなっていうふうにも思ってましたし。
——この“WINDORGAN”というのは造語ですか?
角舘:これはね、あるんですよ。オランダの建築物で。海沿いとかにあるんだけど、風が吹くと音がガーってなる楽器兼建築物。それの存在を知って、なんか僕らもWINDORGANのようだなと思ったというか。街に点在していて、風というか動力があって、音が鳴っている。人はみんなそういうもんだとも思う。
——アルバム中盤にあるインスト曲「windorgan」は、アレンジからミックスまですべて健悟さんが手掛けられていますが、アンビエントを聴いて作るモードの延長線にあるものという感覚?
角舘:それはめちゃくちゃあって。「CAN YOU FEEL IT」「SUNSET TOWN」とかで、抽象的なサウンドスケープを1回鳴らしてから曲をやることはこれまでもあったけど、それの今の時代版って感覚で作ってみました。
バンドにとってのライブって、植物にとっての水やりと一緒
——他のメンバーは、この空白の1年をどう過ごしてましたか?
粕谷:いろいろやってましたね。やはり喰らうことも多くて、腐ってる時期もありました。家を出られない時は本当になにをしたらいいんだろうなって。そもそもドラムだと家で鳴らせないし、最初の方はスタジオに入るのも控えていて、家で1日中パッド練習をするみたいな日もあって。でもそういうのも経て、「今」自分が興味を向けているものを極めるのが一番いいということを体感した期間でした。結局自分が好きだったり興味があったりするものを突き詰めるべきだと思ったんですよね。
——音楽、ドラム以外で粕谷さんが興味を持ったものって、どんなものでした?
粕谷:釣り、カレー、あとはゲームにハマったり、絵を描いたり、パーカッションに興味が出たりもしました。結局、例えば自分が釣りをしたいと思ってる時に音楽をやろうとしても、自分のドラムがよくなる幅はほんのちょっと、もしくは下がっちゃうことが多くて。こんな状況の中で負のスパイラルに入りたくなかったから、今楽しいと思うことを全力でやるということを大事にしてました。釣りを本気でやったら、飽きて、自然と今度は音楽に興味が出てきて……っていうのを、今もそうですけど、ずっと繰り返してます。その考え方を作っていったような1年半でした。
——上野さんは、この1年いかがでしたか?
上野恒星(以下、上野):いろいろ思うこともありましたけど、一番自分の大きな変化としては……自分はそもそも小学校くらいから音楽を聴くのが好きで、ずっと興味の中心は音楽だったし、バンドを始めてからもずっとレコードを買って聴いていたけど、音楽に対する興味みたいなものが本当になくなっちゃって。レコードも全然買わなくなったし、そもそも新しい音楽を聴くことがなくなって。音楽と向き合うことですごく自分が削られていくような状態だったんです。でも絵を描き始めたら、今までは全然興味なかったのに、すごく楽しくて、失われていった部分が少しずつ取り戻せてるような感覚になっていって。世の中の状況的にもまだ全然ですし、いろいろ考えるところがあるんですけど……フジロックに出たり、友達がレコーディングに誘ってくれて1曲演奏したり、洋服を作っている友達の展示会に行ったりして、最近はポジティブなものをもらっているので、ちょっとずつ自分を取り戻してる感覚はあります。今は、これからのツアーを楽しんでいいものにできればなって思っていますね。
——ボンちゃん(竹村)はいかがですか?
竹村郁哉(以下、竹村):なんかあんまり覚えてないんですけど……曲作ったり、植物に水やったり、飯作ったり、音楽聴いたり聴かなかったり、めっちゃへこんだり。ニュースを見てもへこむことが多いので。俺が言うのもおこがましいけど、みんなそんな感じだったんじゃないかと思うんですよね。何を見ても後ろ向きな言葉が多いから。それで「このときの気持ちはこの時しかないから、デモくらいにして書き留めておこう」と思って、パソコンに向かってギターやベースを弾いて、みたいなことをしつつ。別に何かのために作るわけではないけど、その時の「感情」まではいかないような想いや匂い、温度、風とかってすぐに忘れちゃうから、形にしておいたら振り返られるかなって。あんなに目まぐるしかったことはないし、社会に対しても自分に対しても自分の周りの人に対しても、すごくワガママになったり、すごく親身になったりを繰り返して……最終的にこの1年半をあんまり覚えてないんですよね(笑)。それくらい「ガタガタ砂利道」という感じだったんじゃないですかね。
あとは粕谷にとってのカレー、釣りみたいなことで言ったら、植物を育ててましたね。心が鬱屈とした時に植物を愛でることを繰り返していたので、今うちがジャングルみたいになってます。愛情を込めれば込めるだけ彼らは答えてくれるんですよ。で、こないだライブのことを考えてて、思ったんですよ。
——何を?
竹村:バンドにとってのライブって、植物にとっての水やりと一緒だなと思って。バンドって、水がないと実をつけないんですよ。
——昨年は有観客ライブを1本しかできてなくて、今年もフェスを入れてもまだ3本しかやってないですもんね。
竹村:でもレモンって、水を絶てば絶つだけ、甘い果実を実らすんですって。そういうことを思いました。
角舘:間違いないね。
音楽家ってだけで、人に勇気を与えられる
——(笑)。そうやってできた甘い果実が、このアルバムやこれからのツアーであるということですよね。アルバムの発売を後ろ倒しすると決めて止まってから1年が経って、バンドとしてのエンジンを再度かけられたのは、どういうきっかけだったんですか?
角舘:「JUST」に関しては、ヘッドアレンジをある程度排除して、みんなで音を出していくところに戻ってみたんですよね。それを録音しようって。それからかな。そこまではバンドらしい動きがなかったような感覚があるんだけど、「JUST」が最初だったんじゃないかなって俺は思う。どう思う?
粕谷:バンドがもう1回エンジンを、っていう意味では、契機になったと思う。それぞれにいろいろなことがあったし、バンドとしても、前より閉鎖的な状況があって煮詰まることも多かったから、話し合わなきゃいけないタイミングが多くなって。でも難しい状況の中でなんとか一歩を踏み出せたような感じがあったのは、今年に入って「JUST」にしっかり取り組み始めた時間からですかね。
角舘:「JUST」は、すごくバンド的な、プレイヤーが立ってる曲になったと思う。この曲群だと一番「WINDORGAN的瞬間」をみんながやってるなとも思うし。
粕谷:静かというか、静謐なのがいいんですよね。そこが他の曲との決定的な違いだなと思っていて。単純に音がいっぱいあるとかないとかではなくて、プレイヤーの息遣いとか、健悟の言葉の息遣いみたいなものが聴こえる。そういう印象になる曲はYogeeで初めてだなって、できた時に聴いて思いましたね。
——リリースが延びたことで、ボツにした曲もあるんですか?
角舘:俺の中では4〜5曲くらいあるのかな。
粕谷:これだけ長い時間があると、「時代の状況や今の心境に合わない」みたいな観点はずっとあって。
角舘:コロナの前とコロナの今があったから、地続きではあるんだけど、やっぱり感覚は違って。最初の話で言ったら、俺は「全部録り直そうよ」って何度も言ってた気がするし。「もう1回曲書けばよくない?」って。このアルバムは自信を持って出せるものですけど、心境と合わないっていうのは今でもある。でも、このアルバムが絶対にパワーがあるものだとも理解してるから。
——このアルバムはYogeeがずっとブレずにやってきた音色の鳴らし方、バンドとしての音の重ね方、言葉の綴り方、言葉にならない人間や街のエネルギーをつかんで音楽の中に封じ込める力に、さらに磨きがかかっていることを証明する内容だし、本当にグッドミュージックな曲が揃ってると思う。こうやって、バンドが大変な状況を経てポジティブなエネルギーが宿ってる作品を完成させた時、ライターとしては「落ち込んだ時期を経て、今はとてもポジティブなモードにいる」って書きがちなんだけど……今はまだそう断言されるのも違うっていう感覚ですよね?
角舘:それもリアルじゃないですかね。リアルなのがバンドだなとも思う。それが、デザインされたものなんかよりもずっと人に勇気を与えると思うので。今は特にそう。
粕谷:やっぱり嘘はつきたくないので。いろいろあったからこそこれだけ時間がかかったっていう自分達の正直なところはやっぱり伝わってほしいし、伝わらなきゃ作品を作ってる意味は薄れるとも思うし。
角舘:バンドのスタンスとしては、今はまだ渦中にいる感覚。けどそれはたくさんの人達がそうだから。すごく大事なのは、受け手もその渦中にいるということですよね。
——まだまだコロナは終わってないですしね。
角舘:そう、それを見ないふりしたくもなるけど。そういう時にこの曲達を聴いたら絶対に救われると思って作ってはいるから、聴いてほしいなとは思ってます。
粕谷:この先のツアーに関してはすごくポジティブに考えていて。ツアーするのも久しぶりだし。
角舘:とてもやる気に満ち溢れてる! レモンの定理で言ったらまさにそうなるよね。
竹村:レモンでしょ。なっちゃうでしょ。
角舘:こういう時こそWINDORGANであるべきだと思ってる。音楽家ってだけで、多くの人に勇気を与えられる。そういう職業をやってるのはめちゃくちゃミラクルな人生を歩んでるなって思ってるから。だからそういう気持ちでツアーをしたい。
粕谷:与えたいっていう気持ちは、前以上にめちゃくちゃ強いね。俺らももらえるってわかってるから。ライブをやると自分達も元気をもらえるんですよ。それが毎週末あるわけですから……楽しみすぎておかしくなりそう(笑)。