「京都大作戦」という夏に開催されている日本のロックフェスがある。このイベントを主催しているロックバンド、10-FEETは、開催地である京都出身のバンドだ。この3月に新作『アオ』をリリースしたばかりのメンバーは皆、自身のローカルである京都を拠点に活動を続けている。SNSでのアーティスト表現が定着した現代に、活動する拠点はどれほど重要なのか。また地元を拠点とするメリットは何か。ニューノーマルな現代において、バンドはどのような意志を持って活動しているのかをフロントマンのTAKUMAに語ってもらった。
東京を拠点にしていたからこそ感じるローカルの良さ
――TAKUMAさんは10-FEETの活動初期は、地元から上京して東京を拠点に活動していたと思うのですが、再び地元に拠点を戻したのはなぜですか?
TAKUMA:当初は東京を拠点に、都内にあるライヴハウスのブッキングに出演したりしていたんですが、作品をリリースしてツアーして回るようになると、自宅に帰れるのが月に1、2回だったりすることもあったんです。
全国を旅しながらツアーがない時はスタジオにこもって制作をする、という生活サイクルだったので、そうなると別に東京にいなくてもいいんじゃないか、となるんですよね。地元に拠点を戻しても、活動や制作する内容は変わらないので。結果、京都に戻ったという感じです。やはり地元にいると、家族や古くからの知人もいるわけなので精神的にも落ち着きますね。そこからポジティブなものをもらっているのは、地元を拠点にする良さだと思います。
――やはり、東京よりも地元が活動しやすいものですか?
TAKUMA:どちらにもそれぞれの良さがあります。東京はすごく良い街だと思うし、暮らしていた分、第2の故郷だという感覚もあるので思い入れも深いんです。やはり京都とは時間の流れが違っていて、東京はスピード感が速い印象があります。そして流れていく時間の早さに負けないくらい人の行動もスピーディ。そのスピードの中でインスピレーションを受けることができる街だとも思うんです。何かを成し遂げてやるぞ、という思いで地方から出てきた人が密集している場所ですからね。そこから自分もやってやるぞって気持ちが出てきたりもするので。人とつながって何かを作る上でも東京は魅力的な街ですし、本気でやっている人のヴァイブスを共有させてもらえるような街だったと思います。東京にいたからこそ京都で生活する良さも再認識できたし、今、京都にいるからこそ東京という街のことをわかった部分もありますね。
みんなで徐々に作っていった地元開催の自主企画フェス
――10-FEETは毎年夏にバンド主催フェス「京都大作戦」を開催しています。フェスを開催し続けるのは地元を大切にしたいという思いからですか?
TAKUMA:そもそも「京都大作戦」の始まりは、10-FEET結成10周年の際に何かをやりたいと考えたところからです。「これから京都で京都大作戦という野外フェスをやっていきます!」という目標を掲げて立ち上げたものではなく、お客さんや出演するバンドに力を貸してもらって、1回だけやらせてくださいという僕らのお願いから始まっているんですよね。それが運悪く、今となっては運良くなのかわからないんですけど、台風で中止になりまして。
――台風によって中止となった幻の第1回「京都大作戦2007~祇園祭とかぶってごめんな祭~」ですね。翌年「京都大作戦2008~去年は台風でごめんな祭~」で、ついに開催となりました。
TAKUMA:そうなんです。10周年でとても楽しみにしていたイベントだったので、「来年もう一度チャレンジしよう」と出演者や仲間、スタッフも言ってくれたんですよ。出演予定のアーティストの方々が、ほぼ全アーティストがその日のうちに「来年も空けておくから」って言ってくれました。そんな皆さんの協力もあって、2008年に無事開催することができました。自分達としては開催するまで2年もの月日がかかった感覚で、お客さんも同じような感覚でいてくれたのか、その盛り上がりは異様だったんですよね。例えるなら、フェスなのに各出演アーティストそれぞれの自分たちの主催イベントかのような空気感で。それだけお客さんが温かく熱く盛り上げてくれたんです。僕らも驚くほどのグルーブが生まれていて、すごい一体感でした。その感覚をその場にいた全員と共有できたからなのか、出演したアーティストからも「京都大作戦は続けていってほしい。来年もスケジュールを空けておくよ」という声を頂けたんです。
――では自然発生的にローカルでの自主企画フェスが誕生していったんですね。
TAKUMA:そうなりますね。当時はラインナップの中で僕らがもっとも動員数が少ないような状況でしたし、他力本願で音楽フェスなんてやるものじゃないと思っていたんですけど、その1回目の「京都大作戦」を終えてみて、その場にいたみんなが「また一緒にやろう!」という気持ちでいてくれたんだと感じたんです。そうしてお客さんや出演アーティストからまたやろうって言ってもらえるのであれば、もう1回やらせてもらいたいって思いになりました。結果として、毎年夏に「京都大作戦」を開催する、となっていったんですよね。
――それが今や、京都だけでなく、関西、日本における夏の風物詩の1つと評されるイベントになったわけですが、思うことはありますか?
TAKUMA:開催するたびに出演してくれるアーティストやお客さんに感謝しているのはもちろんですが、わかりやすくみんなでワイワイはしゃぎ回れるような激しいロックのフェスが、地元の京都に生まれたというのは、本当にみんなのお陰で生まれたものではあるんですけども、僕は良かったと思っています。また、「京都大作戦」を目当てに全国から来てくれた人が、京都という街の魅力に触れることができる機会になってくれていれば、すごく嬉しいことですね。
ライヴハウス文化が必要だと認識してもらうために
(BADASS / EMI Records)
――続いて20作目となる新作EP『アオ』が3月10日にリリースされましたが、本作はコロナ禍にある現代に対するメッセージ性を含んだものに感じました。
TAKUMA:「アオ」を制作していたのは、1回目の緊急事態宣言下にあった2020年の4〜5月頃で、他の2曲(「朝霧を抜けて」と「タンバリン」)は、2020年の12月頃です。ですが、今の時代に対するメッセージを明確に込めたということはないです。ただ、いつも通りの曲の作り方なんですが、その時々に思ったことや、逆にずっと考えていることを歌詞に落とし込んではいるので、自然と時代性が反映されている部分はあると思います。やっぱり友人と飲みに行ったり、人に会えたりしていたのが簡単にできなくなると、ストレスは感じますよね。窮屈な思いはするし、人との距離感ができて寂しさを感じたりもするので、そういった感情が表れているかもしれないですね。
――歌詞を読むと、寂しさや時代に対するわだかまり、決意といったものが読み取れました。
TAKUMA:なんだろう……。自分の作曲というのは、もともと悲しいこと、悔しいことを力いっぱい音楽に変えています。そこで悲しいことを歌ったからといって、悲しい曲にはならない。むしろ、悲しい、悔しい、怒り、といったある種のネガティブな要素を音楽にすることで、違った姿になっていくと考えています。ネガティブなものがベースになっているからこそ、ポジティブに響いていくわけですよね。これは10-FEETの大半の曲にも言えると思うんですが、今回も同様の表現をしています。
――そうなんですね。現在はコロナ禍の影響でロックバンドも思い切ったライヴがしにくい状況ですが、2020年、10-FEETはいち早くツアーを行うことを発表し、「”シエラのように” TOUR 2020-2021」を敢行されました。そして、新作『アオ』を携えた「 “アオ” TOUR 2021-2022」の開催も発表されています。この状況下でもライヴをし続ける理由を教えてください。
TAKUMA:たとえ世界が変わっても、ライヴができる環境ならば、どんな形であれライヴ活動をしていきたいと思っています。許される範囲の中で、最大限のライヴバンドでありたいんです。パンデミック発生当初、バンドだけではなくライヴハウスなど、エンタメに携わる多くの人が打撃を受けている状況を見て、このライヴハウス文化やシーンの存在意義が失われていきかねないような事態だと思ったんですよね。僕らの居場所がなくなってしまうような危機感すらありました。もちろん、お客さんをはじめ、関係する人達全員の安全を確保することが大前提ですが、その上で、できる範囲内でライヴを続けていこうと決めたんです。自分達の活動のことを考えてもライヴをやっていたほうがいいと感じましたし、ライヴハウス文化、環境や存在が忘れられないように動き続けていたいという思いもありました。自分達がライヴ活動を継続することで、みんなのライヴ環境を維持していくことにもつながるんじゃないかなとも思っています。そんな自分が勝手に使命感めいたものを感じながら、世間からライヴハウスで生まれる文化やバンドが、みんなにとって必要なものだと認識してもらうためにも有意義なものになると思うので、ライヴツアーは続けていきます。
――ガイドラインに則ったライヴではモッシュやダイブ、歓声をあげることも禁止されていたり、以前とはあまりにも異なる状況になっていると思いますけど、やりづらさはないですか?
TAKUMA:やりづらさはないですね。自分達としては、以前からお客さんの反応はさておき、心をどれだけ感動させられるかという視点で表現をやってきましたし、お客さんにしても、すごく良いライヴだからこそ暴れることなく呆然と立ち尽くしてしまった、ということもあると思うんですよね。自分自身もそういった経験はあります。なのでガイドラインに則ったライヴであっても、以前より今日のほうが良かった、感動したというライヴになり得ることは充分にあるはず。むしろお客さんが制限を忘れてしまうような素晴らしいライヴをしてやるんだって思いで一心不乱にやっているし、そうしていかないとだめだと思います。ただ、やっぱり形式が変わっただけとはいえ、大暴れしたり、みんなで歌ったりという行為はライヴの醍醐味でもあるので、コロナ禍が収束して、お客さんも各々全力で楽しめるような光景が早く戻ってきてほしいとは強く願っています。
東京に密集しているスポットライトをもぎ取る感覚で
――ありがとうございます。ライヴやパーティの現場が減少している今、ウェブやSNSを介して自分達のクリエイションを発信していく若い世代が全世界に数多くいます。これから自己表現をしていく若い世代に向けてメッセージをください。
TAKUMA:東京を拠点としていた頃に感じたのは、やはり地方よりも東京のほうが表現者になりたい人にとってはおもしろいだろうし、いろんな人に出会う機会もあって、チャンスが多い街だということ。それは今でもそう思います。だけど、今は20年以上前の僕らのデビューの頃とは違って表現を自分で発信していくツールが充実していて、拡散することも可能な時代。なので、本当の魅力を持った人であれば場所は関係ないでしょうね。拠点を東京に移さずとも、自分の家で発信するだけでも、多くの人に影響を与えることもできるはず。
ここまでSNSが浸透する以前から音楽をやってきた身としては、注目してもらうには東京に行かないといけないという感覚でしたし、スポットライトは東京にあるなと痛感した思い出もあります。そんな東京に密集しているスポットライトの中から2、3個をもぎ取って、自分の地元に持って帰るという気持ちがあってもいいんじゃないかな。僕の場合はその場所が京都になるわけです。
それぞれのローカルには、そこにしかない良い文化や物がたくさんあると思うので、もぎ取ってきたスポットライトをそういった部分に当てて世界に紹介したり、自分のために使ったりと、昔とはまた違ったおもしろさがあると思います。幸いにも、ウェブやSNSの世界は、オンライン上の話ですからコロナ禍による悪影響も受けにくいはず。ある意味、時代にも適応したツールなので、存分に使っていってほしいですね。