『全員死刑』で鮮烈な商業デビューを果たし、一躍注目を集めた映画監督・小林勇貴。撮影から配給まで完全自主制作で挑んだ最新作『奈落の翅(ならくのはね)』で、彼がカメラを向けた先は、社会から排除されていくスケーター達だった。それまでスケーターの知り合いもいなかったという小林がスケートボードに惹かれるに至った理由はどこにあるのか。非プロフェッショナルのキャストを活かした撮影方法とは——。ライターの鈴木みのりが小林監督に聞く。
小林勇貴は、専門学校でグラフィックデザインを学んだ後、勤めていたデザイン事務所の上司の勧めで、持っていた一眼レフカメラで自主映画を撮り始めた。それからすぐ、2014年に『Super Tandem』がPFFアワードに入選、『NIGHT SAFARI』がカナザワ映画祭賞を受賞し、TAMA NEW WAVE「ある視点」部門に選出。2017年には間宮祥太朗主演の『全員死刑』で商業映画デビュー。その後も『GIVER 復讐の贈与者』(2018)『すじぼり』(2019)『ホームルーム』(2020)と地上波や配信のドラマシリーズの監督を続けている。
第57回ギャラクシー賞テレビ部門の選奨に選ばれたドラマ『スカム』(2019)を、ライターの西森路代さんの薦めでわたしは見た。『老人喰い』(鈴木大介著、ちくま新書)が原案で、大学を卒業して大手企業に勤めるも、リーマンショックの影響ですぐにリストラされ、高齢者を狙った振り込め詐欺に手を染める若者を描いたドラマだ。他に仕事のあてがなく、教育ローンの返済、大病で入院する父親に追い立てられて犯罪に手を染める物語には、さまざまな報道から感じられる、社会全体に蔓延する「空気」に敏感な手ざわりがある。過剰だが静かな暴力描写、チームで行う詐欺仕事の駆け引き込みのスリルを、引きの構図、こだわったアングル、ワンカットの緊張感などを織り交ぜ、テンポの良さもあって一気に見た。それから2020年の後半は小林監督作品に夢中だった。
そんな彼がスケボーを題材にした映画『奈落の翅』を自主制作すると聞いた。営業成績が上がらずミス続きの会社員ジン(ウメモトジンギ)は、ある日スケーターの池田(池田幸太)達に会う。池田達とスケボーを楽しむジンだが、街中で、公園で、スケーター阻止軍団に遭遇し……スケーターの映画を撮りたいというアイデアは、小林が偶然見たInstagramの動画から得たのだという。
「コロナ禍で仕事が途絶えたんですね。あ、コロナが理由か私が普通に売れてないのかわからないですけど(笑)、暇になっちゃって、InstagramとかTikTokでトラブル系の映像ばかり見てたんですよ。そしたら、インスタのおすすめに出てきたある映像に、これだー!って電撃が落ちたような気持ちになって。建物と建物のあいだに挟まれている階段をスケーターが滑りおりていく映像なんですけど、カメラをすっと振ると(建物の窓際に)おじさんがいて、持ってたプランターを投げて、またカメラが下に振られるとスケーターの頭部にバンって直撃してそのまま落下して。動画はまだ続いて、土だらけのスケーターがもう何回か滑って、次はちゃんと成功するんですよ。私が好きなのは、めげても自然と立ち直って懲りない人なんです」
かつて小林は「反抗的な人が出てくる映画がいい」と語っているが、自身の監督作からも、男性中心的なタテ社会の中で再生産される抑圧から生まれる暴力と、そこへの反抗という構図がうかがえる。自主制作で撮った暴走族の映画『孤高の遠吠』や『逆徒』でも描かれた、「悪いやつ」を作り出して集団で私的な制裁=リンチへと至る、その権力構造への問題意識は、スケーターと彼ら・彼女達の話も聞きもせず敵視する人々への対立感情を描く『奈落の翅』にも通じるだろう。
企画は「居場所をなくして追いやられていく連中」
と書かれた一枚の紙から
本作を撮るまでスケーターの知り合いがいなかった小林は、どうやって出演者を集めたのか。『孤高の遠吠』への出演をきっかけに俳優としてのキャリアを積むようになったウメモトとのやりとりから、映画作りがさらに動いたという。
「ウメモトくんにスケボーの映画やりたいって言ったら、『待ってましたよ』って返されて。じゃあ先に言ってくれよ、題材で悩んでるんだからと思いました(笑)。それで、車が燃えててひっくり返ってる前でスケーターがジャンプしてる写真にも衝撃を受けてたから、「(その画像も添付して)これをやりたいから誰かスケーターの人、一緒に映画撮れませんか」みたいなことをTwitterに書いたんですよ。そんなことを書いたのもお昼寝とか半身浴とかしてるあいだに忘れてたら、ウメモトくんから『勇貴くんすごいですよ、募集に池田幸太さんがコメントしてくれてる』『僕が一番好きなスケーター』って言われて。池田さんのことを調べたら、東京の足立区について語りまくる恐ろしい記事が出てきて、おもしろくて同時に怖い人だなとも思ったけど、ウメモトくんが好きな理由もわかった。閉塞感に疑問のある人なんですよ。それで池田さんにすごい丁寧なダイレクトメッセージ送ったんです。『初めましてのメールの書き方』みたいなのを読んで(笑)」。
閉塞感への疑問。任侠もののエンターテインメントのかたちで、ホモソーシャルな閉鎖的人間関係から生まれる激しい暴力の生成を描き、終盤「ここではないどこかへ」と物語とジャンルが大胆に転じていく『すじぼり』を想起する。
「池田さんから『会って話しましょう』って返事が来て、池田さんの友達で俳優の渡部豪太くん、それからウメモトくんの4人で会いました。おまえ達は迷惑で間違っているからここにいるべきではないと言われ、いづらくなって、居場所がなくなって去ってしまう……みたいな暗いこと(映画のコンセプト)を書いたものをペラ(1枚の紙)で渡しまして、そういう不満とかを言い合ってるうちに意気投合しました」。わたしが小林作品に惹かれたのは、見聞きしていたパワハラ、非正規労働、経済格差などの諸問題に膿んでいるように見えた映画・メディア業界にうんざりした時期に、それらへの問題意識と通じるような描写に挑む映画作りに取り組んでいるように見えたからだったのを思い出した。
スケーターをスケーターのまま撮るための撮影術
池田からつながったスケーター達への話を聞き、シナリオは組み立てられた。例えば、ベンチにスケートボードの足(車輪)をかける技の説明を受けて、それをどうクレーマー役と相まみえるトラブル作りに活かせるか、考えられたという(以前も、自主映画製作での聞き取った話題ごとにまとめるシナリオ作りのテクニックについて、小林は話している)。
「不良だったり暴走族だったり、演技と無縁の人達にお願いしてきた過去の自主映画でも、決まった脚本を持っていくと不自由になるんで『こういうことが起こればいい』っていう説明だけして。あと、同じ芝居を2回できないのでカットが割れないから、ワンカットのみ。私が本当に好きなのは、脚本内の意味と絵の場面構成、仕組みや仕掛けが意味合いとしてちゃんと一致している撮影なんですけど、自主だと全封じ、構図にこだわれない。商業デビューしたら勝手なことができなくなるからストレスだよとか、苦労するとか言われてたんですけど、自主映画のほうが制約はめちゃでかい。作品の内容によって技法は選ぶので、妥協のようであって、『奈落の翅』ではこの選択以外はないですね」。
映画『ヘドローバ』(2017)同様iPhoneで撮られた『奈落の翅』は、その1台のみのカメラを活かした、「ワンカメショー」というバラエティー番組で使われている技術を取り入れている。ウメモト演じる主人公ジンが友人と行うパーティーのシーンだ。
「目の前で起きていることを撮りながら同時に批評して、評価もしながら絵にしていく技法として、ワンカメショーはめちゃくちゃおもしろくて。商業映画だと『こんな風に動きますよ』っていう取り決めを各部署とするために(事前の)段取りがあって、撮影現場で偶然が起きても撮り逃がす口惜しさがあるんです。労働環境を良くするためだから素敵だと思うんですけど、私の理想はカメラが付いていけることなんですよね。今回試してみたけど、ある程度満足したから、テンポ良く見せるかって編集でズバズバ切っちゃいましたけど(笑)」。
尺こそコンパクトになってはいるものの、ワンカットの緊張感と生々しさのエッセンスはしっかりとあるシーンに仕上がっていると思う。そして、肝心のスケボーのシーンには浮遊感と躍動感がある。
「撮影前に見たスケートビジョンの荒々しさに心打たれたんですよ。コロナでずっと家にいて心が窮屈だったんで、その自由さが何倍にも感じられました。スケボーという物体は人体が剥き出しで移動する。絵としてめちゃくちゃおもしろいじゃないですか。乗ってる時に真横っていうのも不思議な体勢だし、なんだこの一枚の板で、なんて不思議な……この躍動を伝えられるなら、映画的な技法の掟なんていくら破ってもいいと思いました。あと、はじめはスケボーに乗れる役者さんを集めようかなと思ったけど、物語自体が池田幸太さんに出会ってひらめいたっていうのも大きいですし、スケーターの人達に出てもらわないとダメだなと」。
水を撒くクレーマーと街中の排除アート
『奈落の翅』の前半では、スケーターにクレームをつける人々が描かれる。特に印象的なのは、公園の思い出のベンチが壊されたと訴える人だ。
「そのクレーマー役は嘘つきさんっていう芸名の人なんですけど、演じてる時スケーター側がちょっとヘラヘラし出して、あんな黒ずくめのスケーター4人に1人で果敢に立ち向かうからむしろ嘘つきさん側を応援したくなったし、必死に怒ってる人をバカにする態度で見てらんなくなって止めたんです。『そういう感じだとあなた達(スケーター)を敵にする物語に変えたくなってしまう』って伝えたんですね。『ベンチが思い出の場所だ』って、必死に吠えて何か想いを伝えようとしてきた人にも言い分がある」。
スケーターに不満を持つ層の中にもいろんな立場の人はいる。スケーターにしろクレーマーにしろ、もちろん許されないとしか言えない行為は存在するし、個別のケースごとの権力構造に注意深くなる必要はあるだろうが、迷惑だと感じる側が不満や怒りを出すこと自体も否定できない。
「景色が悪くなるからスケーターを追い出したいって、砂を撒いたり、餌を撒いて鳩を集めたりする人もいるみたいです。渡部さんは玉ねぎを撒かれたとも言ってました(笑)。上手いやつは水を撒くんです。ボードは木と鉄でできているのでどっちも腐敗する。時間差で心をゆっくり折る方法が水なんだと。説明が長くなっちゃって消化が悪くなるんで、シナリオではカットしましたが、おもしろい話です。あと、スケボーに乗れないようにゴムの板みたいなのを街中にバラバラの間隔で置いたりもされるんだけど、そっちの方が景色が悪い。すげえ気持ち悪いんですよ」。
「排除」のあるところに「やつら」は現れる
公的な政策によって、公共空間から特定の人々が「いること」すら許されず、排除されていく。例えば、渋谷区の宮下公園からホームレスが追い出され、商業施設化したミヤシタパークが想起される。こうした都市の浄化=ジェントリフィケーションの課題は、スケーター達が「そこにいられなくなる」という『奈落の翅』の物語と通じるとわたしには感じられた。
「この映画は特に、スケーターだけの問題を扱ってるつもりはなくて、いろんな場面にある『おまえはまちがってる、不要だからいなくなれ』みたいなことに対する怒りや疑問を投げかけたかった」。
映画は中盤、嘘つきさん演じるクレーマーの訴えにとうとう食らってしまったスケーター達が、追いやられるように、スケーターパークにいるしかないという展開を迎える。そこから物語はさらに変容し、主人公ジンは社会から排除されていく。その象徴である「この世じゃない場所」の気持ち悪い絵づくり——『すじぼり』で心得たという引き算で「何を映さないか」という小林の判断が冴える——や、「奈落」でスケーター達がどうなっていくか、ぜひ目にしてほしい。
「道路が整備されて角張ったものが増えて、新しいビルとかどんどん立っていくと、皮肉にもスケーターが遊ぶ場所が増えていく。映画を観てくれた人がうんざりしてる時に、街中でなんか整備されてるものを見たら、『あ、ぶっ壊してくれるやつがここに来てくれるに違いない』ってなんかスッキリしてくれるといいですね。何かを排除することが楽しいと思ってる連中のところに、『スケボーするな』っていう看板があるところに、夜中にコソコソ忍び込んで暴れるやつらが来る!って。 妖怪みたいに、やつらが来る!(笑)」。