“ヒップホップヘッズのバイブル”『Style Wars』プロデューサーが語るヒップホップ黎明期 注目のコレクターズアイテムがTOKIONで本日発売

1970〜80年代初頭のニューヨーク・サウスブロンクスで誕生したグラフィティをテーマに、ラップやブレイクダンスなど、後にヒップホップが生まれる瞬間までを捉えたドキュメンタリー『Style Wars』が3月26日に公開される。東京・渋谷ホワイトシネクイント、新宿武蔵野館を皮切りに順次全国で公開予定だ。

同作は“ヒップホップヘッズのバイブル”として、『Wild Style』とともにヒップホップ黎明期を映し出す作品として語り継がれている。貧困と犯罪が背中合わせの1970年代初頭のブロンクスの若者達が自身の存在を示すべく、新しいサブカルチャーとしてヒップホップとグラフィティが誕生した。「落書き」として糾弾する大人達の批判を浴びながら、言葉にならない衝動に突き動かされる若者達のみずみずしい姿と新たなムーブメントが誕生する時代の空気感を切り取った映像作品は、完成後約40年たった今も新鮮な驚きや発見をもたらしている。今回は監督のトニー・シルバーと共作し、プロデューサーを務めた写真家のヘンリー・シャルファントにインタビューを行った。制作背景を通じて当時に思いを馳せながら作品を鑑賞してほしい。

また、『Style Wars』のオフィシャルアイテムがTOKIONのオフィシャルECとTOKiON the STOREで本日発売する。クラシックな『Style Wars』のロゴと、登場するグラフィティライター達のネームがバックプリントされたTシャツとパーカーはファン垂涎のコレクターズアイテムであることは言うまでもない。

©MCMLXXXIII Public Art Films, Inc. All Rights Reserved
1983年/アメリカ/70分 

1970年代のニューヨークの若者が作り出したカルチャーを記録したいというモチベーション

――1970年代初頭にカリフォルニアからニューヨークへ引っ越し、当時のサウスブロンクスにおけるグラフィティやヒップホップのシーンを肌で感じて何を思いましたか?

ヘンリー・シャルファント(以下、ヘンリー):そもそも興味があったのが地下鉄に描かれていたグラフィティで、移住した当初は早朝からサウスブロンクスのグラフィティをひたすら撮影していた。1978、79年あたりにロック・ステディ・クルーやファブ・ファイブ・フレディに、1980年にラメルジーに出会ってから、ヒップホップとグラフィティが密接に結びついて1つの文化を形成していったと理解したんだ。

――当時、ダウンタウンでイベントなども手掛けられていたんですよね?

ヘンリー:グラフィティアートの写真展をファブ・ファイブ・フレディやリー(・クィオネス)と一緒にダウンタウンで開催した。その時にチャーリー・エーハン(『ワイルド・スタイル』監督)に会ったんだけど、すでに『Wild Style』の制作を進めていて、ハーレムやブロンクスのクラブに出入りしていたから、ヒップホップカルチャーについて教えてくれたんだ。最初はグラフィティにしか興味がなかったけど、ヒップホップというユースカルチャーに触れてからはすぐにのめり込んでいったよ。

――グラフィティを撮影しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

ヘンリー:ニューヨークに引っ越してから、グラフィティのスタイルがものすごいスピードで進化していることに気付いたんだよ。ニューヨークの若者が作り出した新しいカルチャーを記録して、そこで起こっている若者のムーブメントを友達に自慢したいというモチベーションもあったし、フォトグラファーなので純粋に写真で伝えたかった。でも、マンハッタンの地下鉄は暗くて写真が撮りづらくて、ブロンクスでは地上を走っているから撮影しやすかったんだ。

――地上であれば自然光も入りますね。

ヘンリー:本当にそこが大切。グラフィティで重要だった地下鉄は2、3、5、6系の路線で、ブロンクスからマンハッタン、ブルックリンまで縦断するように走っていた。つまり、車体の側面が太陽の光を受けやすい。朝、撮影すると太陽光が車体をきれいに照らしていたので写真も格段に良くなった。もし、車両が横断していたらあの撮影は叶わなかっただろうね。

映像化のきっかけは未開催に終わった1981年のブレイクダンスのプレイベント

――撮影において危険な状況を感じたことはありますか? グラフィティライター達とどのように関係を築いていったのでしょうか?

ヘンリー:当時は今よりも秘密主義的だったし、そもそもグラフィティは違法だったので警察に逮捕される危険性には直面していたよ。特に印象に残っているのは、僕が撮影しているところをキッズが眺めているんだけど、決して話しかけてこない。僕を警察と疑っていたからだ。2、3年たってやっと打ち解けて、僕の写真を見た若者達がリスペクトしてくれるようになった。彼等の作品を展示すると話したら、「自分達の才能を認めてくれた写真家だ」と心を開いてくれた。一方、僕のスタジオでグラフィティライターとミーティングしていた時に、敵対するクルーが来て喧嘩になったこともあった。

あと、当時は地下鉄の撮影にはニューヨーク市の許可証が必要だった。ブルックリンまで行かなきゃいけなかったから、毎日取りには行っていなかったので警察に止められることもあったね。そんな時は教師のフリをして、学校の教材のためとごまかしていた。

――グラフィティの映画製作に対する批判もあった当時『Style Wars』を作り、1983年にTV、その後、海賊版が流通して今に至ります。世界各国にグラフィティカルチャーを紹介する貴重な記録となりましたが、そもそもグラフィティを記録しようと思ったのはなぜですか?

ヘンリー:グラフィティを重要なアートと認識していたからだよ。1981年に僕が「Graffiti Rock」という、ブレイクダンスを初めてパブリックに紹介するイベントをダウンタウンで開催する予定だった。ラッパーとしてラメルジーとファブ・ファイブ・フレディを招いて、その仲間がDJをする企画。そしたらリハーサルで会場に彼等と対抗しているギャングが現れて、中には銃やナイフを持っている人もいたんだ。それで会場のオーナーが、銃撃に対する保険をかけていないことを理由に、イベント自体を中止にしてしまった。でも、リハーサルにはトニー(・シルバー)がいて「このドキュメンタリー作品を作らないか?」と声をかけられたのがきっかけ。もちろん僕も映像化の構想は持っていたけどね。

僕達はそれぞれ互いを補う関係だったから素晴らしいコラボレーション作品になったと思う。トニーはアウトサイダーの視点から、地下鉄の運営会社やニューヨーク市長、一般市民を撮影して、僕はインサイダーとしてグラフィティライターの視点や意見を反映したんだよ。ただ、どうすればいいのかわからなかった。 それがトニーの役割だったし、僕は事実を記録していくような役割だったね。

――当時、フェーズ2やリコ1もソーホーで個展を開いていたそうですが、特に記憶に残っている個展やパフォーマンスがあれば教えてください。

ヘンリー:1973年にニューヨークに引っ越した当時、ソーホーの「レーザーギャラリー」でフェーズ2やスネイク1がアートショーをしていた。彼等は当時からすでにキャンバスに作品を描いていて印象に残っている。あと、振付師のトワイラ・サープのダンスチームの背景にあるフラッグにグラフィティライター達がタギングしていくパフォーマンスも素晴らしかったね。このイベントはヒップホップが誕生する以前の話だから、かかっていた音楽はロックだったんだけど。

危険と隣合わせな環境で10代のエネルギーが生み出したもの

――今、世界中のミュージシャンがラップを楽曲に取り入れて、ブレイクダンスは2024年パリ五輪の追加競技になり、バンクシーの作品がオークションで高値がつくようになりました。当時を振り返って、今のグラフィティやヒップホップシーンに感じることを教えていただけますか?

ヘンリー:ヒップホップカルチャーは商業的になっているね。グラフィティは、まだ反抗主義、反体制的なスピリットは残っているんじゃないかな。もちろんユースカルチャーにはそういった気概は必要だと感じる。でも、世の中がより商業的になっていく中で、例えばファッションのように、当時のキッズが自分達の身の回りで作り上げていたものが、今はラグジュアリーブランドのマーケティング戦略の中枢にある。変化は楽しむべきだし、原理主義者ではないので、昔が良かったという懐古的な考えも持ち合わせていないので、「時代が変わった」それだけの印象だね。

――約40年を経て映画館で再上映されること、観客に感じてほしいことは何ですか?

ヘンリー:グラフィティやヒップホップカルチャーという、まだ誰も知らなかったカルチャーを10代のキッズが作り上げたということ。当時のブロンクスは建物が所々壊れていたり、燃えていたりして、一部を除いてとにかく貧しかった。どこも危険だったけど、キッズが勇気を持って新しい文化を生み出した。しかも、彼等は物質的に恵まれた生活を送っていなかったにも関わらず、今にも続く素晴らしいカルチャーを作り上げた。世界中の若者が彼等のエネルギーに触発されてこのカルチャーは飛躍的に世界中に広がっていったんだと思うし、そこを感じてほしいね。

■『Style Wars』
会期:3月26日〜
会場:ホワイトシネクイント、新宿武蔵野館ほか
住所:ホワイトシネクイント/東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷パルコ8F
新宿武蔵野館/東京都新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3F
Webサイト:https://synca.jp/stylewars/

TOKION MOVIE

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TOKION EDITORIAL TEAM

2020年7月東京都生まれ。“日本のカッティングエッジなカルチャーを世界へ発信する”をテーマに音楽やアート、写真、ファッション、ビューティ、フードなどあらゆるジャンルのカルチャーに加え、社会性を持ったスタンスで読者とのコミュニケーションを拡張する。そして、デジタルメディア「TOKION」、雑誌、E-STOREで、カルチャーの中心地である東京から世界へ向けてメッセージを発信する。

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