ポップスターから現代アーティストへ KAORUKOの日本文化とポップが目指すカタチ

アイドル歌手としてデビューし、1980年代からイラストレーター、デザイナーとしての活動をスタート。現在は現代美術家としてニューヨークを拠点に活動するアーティストのKAORUKO。現代を生きる女性を投影した新しい形のポジティブなフェミニズムを描く。一方で、その作品は、明治や大正時代の着物の文様をコラージュし日本文化を反映させた表現をコンセプトとする。

2020年にはニューヨークのチェルシーにある「リオンズ・ウィアー・ギャラリー」で“アイドル”をテーマにした個展「アニミズム」も開催した。KAORUKOならではの、日本文化をポップアートの考えに置き換えた作品の数々は海外の人々にどんな影響を与えてきたか? 今回はニューヨークのコンテンポラリー・アートメディア「Whitehot Magazine」編集長、ノア・ベッカーがKAORUKOのクリエイティヴィティについて考察する。

「アイドルとしての活動は、今でも自分の作品を通して行っています」

KAORUKOは、十代の頃にアイドル歌手としてクリエイティブなキャリアを始めたかもしれないが、実は4歳の時から画家になることを夢見ていた。名古屋で生まれ、現在では世界的に知名度があるが、独学でアートを学び、2007年にアメリカで初の個展を「イーサン・コーエン・ファイン・アーツ」で開催。これが、ニューヨークで生活をしながら作品を創作するという長いクリエイティブなキャリアの始まりとなった。音楽からアートへと表現方法を移行させてから、KAORUKOは、サイケデリックかつ透明感のある作品を描いてきた。堂々としながら、どこか控えめなその作風は、歴史的な要素に、セックス・アピールも盛り込まれている。

私は、当時KAORUKOが住んでいたマンハッタンのアッパー・イースト・サイドで彼女と会い、アートや作品、そして今までの変遷について話し合った。これまでも彼女の作品を高く評価しており、当時ニューヨークのチェルシー地区の「リオンズ・ウィアー・ギャラリー」で開催されていた個展について質問することを心待ちにしていた。

KAORUKOは、アイドル時代の経験が、どのように作品と自己概念の形成に影響したかを語ってくれた。それは、日本文化の特異性に依るところが多いだろう。理想的な“カワイイ”像が、アイドル時代のKAORUKOのイメージを支配していた。「当時、一緒に仕事をしていたプロデューサーが、そのようなイメージを作り出しました。私は、一般の鑑賞者にとって理想的な女性でしたし、作品の中で表現されています。アイドルとしての活動は、今でも自分の作品を通して行っています」と語った。

KAORUKOの作品には、“カワイイ”の感性があふれている。作品の多くは、中心に官能的な人物が描かれている。目がぱっちりした、洗練された女性達だ。女性の眼差しは、鑑賞者を秘密の物語へ誘いつつも、時には肩透かしを食わせることもある。「作品の女性達は、鑑賞者のことをじっと見ています。そのようにして、作品のコンセプトを表現しているんです。また、私の作品の中の人物には、眉毛がありません。それは人物を表現した際には、眉毛の位置(からつくられる表情)ではなく、女性の本質に重点を置いているからです」。

作品ごとに、描かれた艶やかさは多様な輝きを放っている。肌が主役の作品もあれば、蝶々のような髪型やシュガープラムの風景画に目を奪われる作品もある。少女達の代わりに、鯉や犬、あるいはテディベアのぬいぐるみ等の対象が、作品の中心になることもある。どれも“カワイイ”を具現化した印だ。「鯉は、滝を泳いで登ると角が生えて龍になる。縁起のいい生き物です」とKAORUKOは教えてくれた。

“カワイイ”という感性に、日本文化における女性と大地との繋がりや超自然的な力にも注目

作品は、どれを取っても引き締まっていて、一種の緊張感がある。題材を問わず、KAORUKOの魅力的な作品には、不協和音のような、しかし抗しがたい背景が宿っており、登場人物が、物語上で移り変わるように入り混じっている。その結果、彼女のすべての作品からは、明るくカラフルでダイナミックな模様やフォルム、人物のコラージュから生じたサイケデリックなトーンが放たれている。 

KAORUKOはニューヨークでの生活を通じて、日本文化への愛着が深まったという。魅惑的な背景の多くは、着物の柄をシルクスクリーンでキャンバスに描くという手法によるものだ。特に伊藤若冲からの影響が大きいと話した。「伊藤若冲の絵の模様は、1つひとつがデザインされています。原画を見てわかったのは、日本画と説明されているものの、実際はそれ以上のものだということ。若冲の作品は写実的な側面も持っていますが、同時に彼の作品は模様と抽象的なデザインのものもあります。そのデザインの中に、絵画が描かれていて、私はそのような相互作用に影響を受けました」。

最も好きな赤色が、圧倒的に作品の中に溢れている。もし、KAORUKOが描く“カワイイ”女性が身をかわそうとする、伝統と現代の間、緊張状態と宙ぶらりんな状態への答えがあるとすれば、それは、描かれている女性とは全く関係ないのかもしれない。その答えは、社会が“美”そのものを概念として捉えている点にあるかもしれないからだ。美は完全に独自の魂を持った野性的な力ではなく、継続させていくもの。閉じ込めるよりも、身を委ねて味わうべき野性的な幸福なのではないかとさえ思わせる。

「昔の日本は、父性的かつ伝統的でありながら、母性的な要素も持っていた社会で、現代とは違うように、アメリカにも古い文化と現代が共存しているのと一緒です」とKAORUKOが話すように、“カワイイ”という感性の典型は、女性の美しさが、繊細さや儚さにあるとするが、日本文化における女性と大地との繋がり、超自然的な力にも注目した。当時の「リオンズ・ウィアー・ギャラリー」で行った個展「アニミズム」は、あらゆるものに心を込めて、魂をあてがうことを意味する。「アニミズムは、古来の日本の潮流で、すべての生命と無生命のオブジェに魂が宿っているということ」と語った。

楽しませるだけでなく、KAORUKOの作品は、“カワイイ”の精神にもあるように、彼女の考え方を繊細に表現している。「テーマのアニミズムが、私の作品を通して日本で再認識されています」と微笑んだ。何よりもKAORUKOは、自分の作品を通じて、純然たる“カワイイ”という美と、楽観主義を本質から容認することで、人々を幸せな気分にさせることを願っている。「私は、家を守る縁起物である狛犬を使って幸せを表現しています。狛犬は、出世や成功を意味します」と例を挙げて説明する。

ポップカルチャーを生み出す装置の奥深くに入り込んだ経験から、KAORUKOは、あらゆる種類のアートが、文化や社会を形成する力があることを理解している。「私はアートのために生きています。それは、私達の社会にとって非常に重要なことで、より良い影響を与えてくれはずです」。

「より良い」にはいろいろな意味がある。例えば、健全な方法で美に関わる能力、つまり均衡が取れていること、あるいは、より勇敢に関わることを意味する場合もある。KAORUKOに今後の予定を尋ねると、「予定は立てません。目の前のことに集中するだけです」と答えた。KAORUKOはその精神を維持し続けている。ニューヨークに移住した時、いつまで滞在するかも決めていなかったとか。ましてや、この2年の間に、どんなに入念な計画でも立ち消えになってしまうことを私達は学んだ。

マンハッタンで一緒にコーヒーを飲んで以来、止まることを知らない流星のようなKAORUKOは、ニューヨークの「ロバート・ベリー・ギャラリー」と日本の「オリエギャラリー」での展覧会で作品を発表し、活躍を続けている。KAORUKOの作品は、彼女自身が醸し出す錬金術のような魅力で、伝統の枠を押し広げる。作品の本質には紛れもなく魂そのものが込められており、フォルムと色彩に溢れた不思議な国で繰り広げられるアニミズムの美しい理想は、時の経過とともに、進歩し続けるだろう。

KAORUKO
アイドル歌手として活動後、1980年代末よりアーティストに転身。2007年からニューヨークを拠点に活動。アイドルの経験を活かし、現代を生きる女性を投影した新しい形のポジティブなフェミニズムを描き続けてきた。2012年、アメリカのアート誌「New American Paintings」で「アメリカで活動する注目のアーティストの1人」に紹介され、表紙を飾る。これまで国内外の美術館やギャラリーで数々の展覧会を開催してきた。2020年ニューヨークの「Lyons Wier Gallery」で個展「Animism」を開催した。

author:

ノア・ ベッカー

ペインター、ジャズミュージシャン、アート評論家、編集者。オハイオ州クリーブランドで生まれ、15歳の時にブリティッシュコロンビア州のビクトリアに移住。サックス奏者、ペインターとしての活動を始める。2004年に拠点をニューヨークに移し、2005年にニューヨークのコンテンポラリーアートをメインに扱うメディア「ホワイトホット・マガジン」を立ち上げる。以降は編集長として活動する傍ら、「アート・イン・アメリカ・マガジン」や「ハフポスト」などのメディアにアート評論家として寄稿を続ける。2012年には「NYArts」誌で注目すべき30人のアーティストに選出される。2014年には自身の作品がグレーター・ビクトリア美術館のパーマネント・コレクションに加えられる。 Whitehot Magazine Instagram: @newyorkbecker

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