連載「自由人のたしなみ」Vol.7 羽黒の山伏、岡山の過疎地でナチュラルワインをつくる ―醸造編―

日本の“たしなみ”を理解することをテーマに、ジャンルレスで人やコミュニティー、事象を通じて改めて日本文化の本質を考える本連載。山伏で岡山県美咲町大垪和(おおはが)地区のワイナリー「やまびこワイナリー」の醸造の背景について話を聞いた。

羽黒山伏・三浦雄大が、岡山県美咲町の里山をワインづくりで再生させようと移住したのが2017年であるが、そのさらに10年ほど前、同じ岡山で耕作放棄地を再生させようとした人がいる。domaine tetta(以下ドメーヌテッタ)の高橋竜太社長である。ドメーヌテッタは、岡山県の北西部に位置する新見市哲多町で2009年に高橋が起業。現在ではワイン畑や醸造所だけでなく、カフェやワインショップも併設し、駐車場には県外ナンバーの車も散見する。できるだけ自然の力によるワイン造りを信条としており、東京をはじめ海外でも愛飲される注目の造り手である。三浦は自身の畑で収穫したぶどうを、このドメーヌテッタへ醸造依頼。秋は毎週美咲町から2時間近くかけて往復するのが彼の日常である。

「テッタの存在は、インターネットの検索で知りました。こちらで醸造依頼できないかと問い合わせをし、山びこワイナリーのワイン造りを助けてもらっています。秋の収穫から醸造シーズンは、月曜から金曜はテッタの作業を手伝い、週末に自宅へ戻り収穫。そのぶどうを新見市のテッタへ運んで醸造しています」。

新見市哲多地区は北に位置する中国山地からの風が始終吹く石灰岩質の大地で、水はけや日照ともにワインのぶどうづくりに適した場所である。その地に約8ヘクタールにおよびぶどう畑が続いており、その景色は壮観の一言だ。雨よけのビニールシートに覆われた畑は、夜になると月光に照らされ銀色に輝くという。

「私は地元・新見市出身で、この地区の耕作放棄地を再生させるためにワインづくりをスタートさせました。しかしワインを通して見据えているのは、岡山の地元というよりも全国そして海外です。また醸造責任者はじめここでワイン造りをしている従業員達も、全国から集まってきています」と高橋は言う。サイトを見て問い合わせてきたという三浦に対してもすんなりと受け入れたようだ。

「彼は地元の山形の醸造所でワインづくりの修行を1シーズンしています。そういう経験も含め、きちんと(ワイン造りに)向き合っていると感じましたので、不安などはありませんでした」。

同じ岡山県出身の著名インテリアデザイナーであるワンダーウォールの片山正通が手掛けたワイナリーの醸造所で、三浦は高橋の下、テッタのそして自身のワインづくりに精を出している。とはいっても、三浦自身のワイン造りは今年の収穫量の少なさもあってとても小規模だ。今回収穫したぶどうの重さは、マスカットベリーAと食用のピオーネ合わせて約6キロほど。これを発酵させるために手作業で1房ずつ瓶の中へ入れていく。ワインには、単種のぶどうでつくられるシングルオリジンのものと、アッサンブラージュという多種のぶどう品種がブレンドされるものがあるが、三浦のつくるものは後者である。「今年の収穫量でできるワインは、だいたいハーフサイズのボトルで50本ぐらいでしょうか。醸造の量が少ないので昨年は220mlのボトルに詰めました」と三浦。そのワインは現在も数本自宅にあり、新酒の時と比べると味わいも変化し、今のほうがまろやかになってきたという。彼はそれをまず神棚に捧げ、愛おしそうに味わっていた。

ワインづくりへの「うけたもう」という山伏を象徴する考え方

ワイン造りにおいて、「今年が最高の出来」だという触れ込みは、何度も聞いたり耳にしたりしたことがあるだろう。植え付け、収穫そして醸造と見ていくと、ワインにおいていかに素材、つまりぶどうを育てることが重要であるかを実感する。ワインというのは、日本酒やウイスキーと異なり水を一切添加しない。しかも皮を剥いたりする場合はあるが、いわゆる原料を磨き(削り)もしない。ワインを評するのに、テロワ―ル(フランス語で土地の意味)をよく引き合いに出すが、いかに良質でぶどうの生育に合った土壌であるのか、そこで薬品等によるコントロールを極力せず育てられるか、ポテンシャルの高いぶどうを生むかは、大変重要と言えよう。

山びこワイナリーでは、三浦はそれを前例のない地で行っている。しかも彼自身がグラフィックデザイナーからの転職である。道が穏やかなはずはない。トライ・アンド・エラーはまだまだ続くはずだ。

出羽三山・羽黒の山伏を象徴するのに「うけたもう」という言葉がある。受けたもう、請けたもう、承けたもうどの意味も含んでおり、修行中は、名前を呼ばれても滝に打たれても大雨の中でも「うけたもう」と応える。つまりどんな状況であっても、私はやります、受け入れます、受け止めますということだ。

三浦のワイン造りに対する姿勢も、まさしく「うけたもう」である。惨憺たる状況となってしまった今年のぶどう、毎週の長時間移動でのワイン造り、ごく少量となった新酒。しかし彼は泣き言など発せず、目の前のことと対峙する。その姿勢こそ、羽黒山伏のうけたもうの精神と重なる。

冬、畑は次のシーズンまでつかの間の眠りにつく。そして畑が休むこの時期に、新しいワインができ上がってくる。いろいろな意味で貴重な新酒の味わいが、彼の1年を労ってくれるだろう。

Photography Yokihiro Yoshikawa

author:

田中 敏惠

編集者、文筆家。ジャーナリストの進化系を標榜する「キミテラス」主宰。著書に『ブータン王室は、なぜこんなに愛されるのか』、編著書に『Kajitsu』、共著書に『未踏 あら輝』。編書に『旅する舌ごころ』(白洲信哉)、企画&編集協力に『アンジュと頭獅王』(吉田修一)などがある。ブータンと日本の橋渡しがライフワーク。 キミテラス(KIMITERASU)

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