スケーターの日常にある魅力を写真で伝える。写真家、廣永竜太が大切にする自分だけの視点

ニューヨーク在住のフォトグラファー、廣永竜太が初の写真集『OBREGÓN CIUDAD DE MÉXICO』を刊行した。この刊行に合わせ帰国した廣永は、2021年10月から11月にかけて、東京、大阪、熊本で個展を開催。

写真集は、廣永竜太が友人のマット・ジャクソンと巡ったメキシコシティでの旅をテーマにしており、現地で偶然出会った世界各地のスケーターと、現代のメキシコの光景が記録されている。スケートボードを根底に置きながら、写真集には、風景や食べ物、チルタイムも収められており、スケーターの写真集というより、ある1つのストーリー性のある構成になっている。
なぜこのような表現に行き着いたのか。廣永竜太に渡米した経緯から、写真家としてのクリエイションを聞いた。

コロナ禍にメキシコで敢行したスケート旅行の記録

——まずは刊行された初の写真集について聞かせてください。

廣永竜太(以下、廣永):2021年1月からの1ヵ月間、友人のスケーターと一緒に巡ったメキシコシティでの旅をした記録の写真集です。タイトルは、メキシコのオブレゴンストリートを意味するスペイン語なのですが、滞在していていた宿があった通りなんですよね。写真集の物語が始まった場所をタイトルに採用しました。

——なぜメキシコへ旅に出たのですか?

廣永:写真集にも登場するんですが、僕がロサンゼルスに6年ほど住んでいた時に、マット・ジャクソンというスケーターと友達になって。僕は今は拠点をニューヨークに移しているんですけど、ひさしぶりにロサンゼルスに行く際に、彼に撮影させてくれないかって連絡を2020年の終わり頃にしたんです。すると彼が、「メキシコに行こうと思っているんだよ」って返事をくれて。それで自分も行きたいと強く感じたので、一緒に行かせてほしいってお願いをして、メキシコシティに行くことが決まったんです。

——メキシコに行きたいと強く思ったのは、特別な理由があったのですか?

廣永:そこはなんとなくなんですよね(笑)。僕なりの見解ですが、スケートボードはアメリカ発祥のカルチャーだと思っていて、これまでに生み出されたスケートビデオや写真を見返すと、文化的に強いのはアメリカとヨーロッパ。そうすると、今までに撮影されてこなかった穴場的なスポットや街が、まだメキシコにはたくさんあるんじゃないかと感じたんですよね。そんな穴場を探してみたいという好奇心があったのかもしれません。

——実際に旅して回ったのはコロナ禍真っ只中だったわけですが、時期は意識されましたか?

廣永:マットとは行かないほうがいいんじゃないかって話がもちろん出たんですけど、あえてこのタイミングで行くことで見ることができる光景があるんじゃないかってことに落ち着いたんですよね。例えば、10年後にこの写真集を振り返ってみた時、こういう時代(=コロナ禍)もあったなって思うことができるんじゃないかって。それは写真として残すという行為を考えてみても、すごく意味があることだと思うんです。

——写真集にはマット・ジャクソン以外にも多くのスケーターが写っていますが、彼らは現地のスケーターですか?

廣永:いえ、違うんですよ。いざメキシコへの旅に出たら、偶然同じタイミングで、LA時代の友人スケーターも来ていて、一緒に回ることになったんですよね。合流すると、彼らの友人でヨーロッパから来ているスケーターもいて。それなら全員で一緒に行動しようということになり、マットと毎日のように彼らの宿に行って遊んで、スケートしてという日々を1ヵ月過ごしました。この偶然の嬉しい出会いがあっての写真集なんです。あえて、このタイミングで行ったからこそ、かたちになったものだと思うんですよね。

——廣永さんは、LAとNYでスケートカルチャーの現場を記録されています。この2つの都市とメキシコはどういう点に違いがあると感じましたか?

廣永:アメリカもそうなんですけど、メキシコは経済格差がより激しくて。例えば大都会の高層ビルの路地裏に入ると、スラム街があったり、ストリートキッズがたむろしていたりという感じだったので、非常に印象的な街でした。
スケートスポットの視点から見ると、アメリカだったら誰もスケートしないようなスポットがたくさんありました。スケートするには路面が悪いところも多かったんですけど、そこでスケートをするのは、すごくおもしろみがあったし、そこでないと撮れなかった写真も多かったです。思い返して俯瞰してみると、正直アメリカと近い雰囲気もあります。何より驚いたのは、ブリトーがないってこと(笑)。ブリトーってずっとメキシコ料理だと思っていたので。

——確かにブリトーであふれていそうなイメージですけど、なかったんですね(笑)。では、メキシコでは主に何を食べていたんですか?

廣永:そうなったらタコスですよね(笑)。種類も無限のようにあって。だってトルティーヤの上に具材をのせちゃえば、それだけでタコスになるわけですから。屋台によって具材や味が全然違って飽きなかったです。

——写真集には、実際に食したであろうタコスの具材も収められていましたね。他にも宿泊先の壁の模様などもあったりして、スケート写真だけではありませんでした。まさにスケーターと一緒に過ごした日常が記録されている構成でしたが、スケート写真以外も多く掲載したのは、どのような意図があるんですか?

廣永:僕が撮る写真って、被写体や自分のライフスタイル、ドキュメントなど、よりパーソナルなものなんです。その延長線で写真集を構成したので、生活を切り撮った写真も掲載しました。スケートのトリック写真は、もちろんかっこいいと思ってるんですけど、すでに多くのフォトグラファーが素晴らしいトリック写真を残しているので、僕は自分のスタイルとして、自分の視点を大切にした写真を撮りたいんですよね。

スケーターのライフスタイルに魅力を感じる

——“自分の視点”をあえて言葉にするなら、どういうものになりますか?

廣永:例えば、スケーターがトリックする前後のほうに魅力を感じるんですよね。どんな表情でトリックに向かって、トリック前後では周囲にいる友人と、どんなふうに接していたのかなど。トリックが成功したあと、どのように仲間と喜び合っていたのか。同様に、彼らがスケートしていない時は、家の中でどう過ごしているのか。そういったことに興味があるんです。

——なるほど。それでライフスタイル全体が感じられる構成になるんですね。

廣永:はい。メキシコにいる間は、常になんでもないようなものも撮影していました。なので、その土地に住んでいる人にとってはあたりまえの光景も写真になっています。車にロープが載っているだけのカットなんかもあるんですが、スケート写真を撮影することだけが目的だったら、そのような写真は撮影していないだろうし、掲載もしていないですよね。僕は自分のことをスケートフォトグラファーだと決めつけているわけではないので、フルーツや風景、なんでもないものの写真も撮って、それを1つの作品に集約したという感覚です。

——表紙のデザインも非常に印象的です。

廣永:写真集のレイアウトなど、デザイン全体を『HOME BOOK』の時にもお世話になったマツミさん(=アートディレクターのタケシ・マツミ)に担当してもらいました。マツミさんにはデザインだけというよりも、多岐にわたって協力してもらったので、なんならプロデュースしてもらったぐらいの感覚なんですが(笑)。表紙は、フィルムを現像した時に、暗室にあった廃材を乱雑に並べてスキャンしたものなんですが、これはマツミさんの提案でした。

自分の視点を大切にした作品を作り続けたい

——では、ここからは廣永さんがフォトグラファーになった経緯も聞かせてほしいのですが、やはりスケートボードが基軸にあるわけですよね?

廣永:そうです。自分がスケートをしていたということもあって、地元の熊本からスケートカルチャーの聖地であるロサンゼルスに行きたいと思って、22歳の時に移ったんです。当時は英語もままならないような状態でしたけど、スケボーを持って街に出たら、すぐに友達ができて。僕が想像していたスケーター像と全然違って、これがリアルのスケーターなんだって。これまでビデオとかでしか観たことのなかった世界は、実際に行ってみると全然違っていて衝撃でした。そこで写真を記録代わりに撮りだしたのが、写真家になったきっかけなんですよ。なのでスケート写真を撮ろうと思ってアメリカに行ったわけではなかったんです。

——写真を撮り始めてから、すぐに写真家を志すことになったんですか?

廣永:いや、当時は全然考えていなかったですね。簡易的なカメラでちょっと撮影するぐらいだったので。でも自分が撮った写真を友達がほめてくれたり、ZINEを作るから写真をくれないかってことを言ってくれるようになって、写真というメディアに少しずつ興味を持って、そして好きになってっていうことの繰り返しでした。だんだんとフォトグラファーになっていったような感覚なんですよね。

——22歳でアメリカに渡り、LAで約6年を過ごし、今はNYで約3年。もうアメリカ拠点の生活が9年ほど続いた計算になるわけですが、廣永さんから見て、東京という街はどのように見えますか?

廣永:熊本から大都市をはさまずに、すぐにアメリカに移住したので、東京には住んだことはないんですよね。そんな自分から見ると、東京はやっぱりカオスな街だと思います。東京に住んでいる僕の友人もスケーターばっかりなんですけど、めちゃくちゃなやつばっかりだし、東京に来ると毎回カオスな毎日になります(笑)。ただ、もし自分がNYから帰国して、日本で住む街を選ぶとしたら、今は東京を選ぶと思います。それだけ東京には東京だけの刺激があると思いますね。

——ではLAからNYへ拠点を移されていますが、熊本からLAへ行った時と異なって、NYにはフォトグラファーとして活動していくことを念頭においていると思います。今後、NYでやっていきたいのは、どんな活動なんでしょうか?

廣永:これまでのようにスケーターのライフスタイルを撮影することは、もちろん続けていきますが、よりミニマムな視点で、普段見過ごしがちなものだったり、自分の周囲に存在するものを、自分の視点で撮っていきたいです。今はそういった作品を、もっと作っていきたいですし、今、興味があるコンセプチュアルな現代アートなども作っていきたいと思っています。

——写真以外のアートにも挑戦していくということですか?

廣永:そうですね。スケート専門のフォトグラファーになっていくというよりも、スケートを出発地点として常に進化していきたいと考えています。僕は、アリ・マルコポロスや、ヴォルフギャング・ティルマンスをすごく尊敬しているんですが、特にティルマンスの作品を観ていると、最初は写真としてライフスタイルを撮影していたものが、今ではアートとしての表現も積極的に発信しています。自分もそういった存在になれるように努力していきたいと思っています。NYに戻って写真活動を続けていく中で、自分がどう変化していくのかを考えると楽しみなんですよね。今後も自分の視点を持って、作品を作り続けていきたいです。

廣永竜太
ニューヨークを拠点に活動する日本人フォトグラファー。スケートボードカルチャーをベースにした写真を撮影する。初となる写真集『OBREGÓN CIUDAD DE MÉXICO』を2021年10月に刊行。
Instagram:@ryutahironaga

廣永竜太 『OBREGÓN CIUDAD DE MÉXICO』
(Kandor Inc)
写真家、廣永竜太による初の写真集。内容は、2021年1月から1ヵ月間滞在したメキシコシティの旅の記録。作品には、旅をともにした友人であり、ジェイソン・ディルのパーソナルアシスタントでもあるマット・ジャクソンをはじめ、ロシアのスケートブランド「ラスベート」のスケートチーム、ヨーロッパから訪れていたスケーターらに加え、メキシコの風景や食事などが収められている。

Photography Yuta Kato

author:

田島諒

フリーランスのディレクター、エディター。ストリートカルチャーを取り扱う雑誌での編集経験を経て、2016年に独立。以後、カルチャー誌やWEBファッションメディアでの編集、音楽メディアやアーティストの制作物のディレクションに携わっている。日夜、渋谷の街をチャリで爆走する漆黒のCITY BOYで、筋肉増加のためプロテインにまみれながらダンベルを振り回している。 Instagram:@ryotajima_dmrt

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