目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する——写真家、ヤン・グロスの捉える世界

新型コロナウイルスの感染予防のため、ソーシャル・ディスタンシングが注目されている現代社会。同時に、それは改めて事実距離を飛び越えてくる写真の重要性や素晴らしさを痛感させてくれた。1カットが伝える情報と記録。そして作家性とメッセージ。その中でも、スケートボードにまつわる写真とそれを撮り続ける写真家を紹介したい。あえていうなら、SKATEBOARD DIASPORA。世界はさまざまなことで引き裂かれているけれど、スケートボードでつながっていることを実証する企画。紹介するのは、雑誌『Sb SkateboardJournal』のディレクターを務めるなど、世界のスケートボードカルチャーを取材する編集者、小澤千一朗。

日本人といえばチャンバラというのと同じで、ウガンダといえばサバンナか。ステレオタイプ不要時代

ウガンダは、アフリカ東部に位置し、ほぼ赤道直下の内陸国。けれども、広大なビクトリア湖や自然資源が豊かな美しい丘陵地帯を擁している。1962年、イギリスから独立してしばらくはクーデターが繰り返されたが、現在はムセベニ大統領の長期政権下で情勢は安定している。また近年、アメリカのハリウッド映画、インドのボリウッド映画のようにウガンダで注目されているのが、ワカリウッド映画。このワカリウッド映画界に、首都カンパラのスラム街のワカリガでラモン・フィルム・プロダクションを運営するアイザック・ナブワナ・ゴドフリー・ジオフリー監督がいる。彼は、アフリカのスラムで低予算のアクション映画を撮り続け、“ウガンダのスピルバーグ”と呼ばれている。ジワジワと来ているウガンダのクリエイションだ。と、このように端的に紹介しても、東京とはあまりにもかけはなれた場所だというのを痛感するだけかもしれない。建設ラッシュの高層ビル群が目立ってきたカンパラからちょっと郊外に出れば、砂煙が舞う凸凹の道を車やバイクだけでなく人や動物まで行き交っている。車線もへったくれもない。しかしよく見れば、中古車のバスやトラックは、メイド・イン・ジャパンが多いのだ。

東京オリンピックを前にして、新国立競技場をはじめ、選手村や各競技施設の準備と競い合うようにして新しいビルが、バンバン建設されている東京からはるかかなた。同じ日本車が走っていても、目に映る光景はだいぶ違う。少し前まで、アフリカはスケートボード不毛の地とされてきた。素晴らしい自然やサバンナはあっても、スケートボードがリンクする大理石の縁石やハンドレールにステアといった近代的都市環境が至るところにあるわけではなかったからだ。

スケートボード不毛の地から生まれた素晴らしいグラビア

もちろん、アフリカ各国の首都レベルの都市はすさまじい発展をしている。南アフリカでは、2010年にサッカーのワールドカップも開催されたし、東京オリンピックのアフリカ代表を決めるスケートボードコンテストも開催されていた。だけど日本に住んでいると、ウガンダから誰が選ばれたとかっていう話は聞こえてこないし、ウガンダへスケートツアーに行ったというプロチームの話も記録もない。そんなウガンダを知ることになったのは、外務省の渡航サイトやガイドブックではなく、1冊のフォトブックとの出会いからだった。それが、写真家ヤン・グロスの『KITINTALE』だ。

サバンナとマウンテン・ゴリラの生息地だと思っていたウガンダにスケートパークがある。そこでグラブ・エア(スケートボードのトリック名)をメイクしているキッズがいる。擦り切れたシューズにボロボロのプロテクター。テールもノーズも傷んだスケートデッキ。それらは全部誰かのお下がりで、みんなで使い回していた。しかし、どうだ。フットボールくらいしか知らなかったキッズが、ヤン・グロスの写真の中では、こんなにおもしろい乗り物があったのかって目を輝かせている。スケートボードのいいところと、スケートボード写真のいいところは、どんなにボロボロだったとしても、トリックをメイクした人物のキャラやスタイルがかっこよかったり、写真として美しく素晴らしかったりしたら、それだけで1枚のグラビアになってしまうところ。まさか、スケート不毛の地と思われていたアフリカで、さらに日本人がよく知らないウガンダで、こんなに美しいスケートボードのグラビアが生まれていたとは。それは衝撃だったし、スケートボードの可能性を改めて感じた瞬間だった。

オリンピックの表彰台を決めたスケート写真とウガンダのスケート写真。そのどちらがすごいなんて比べられない

スケート的死角だったウガンダにスケートボードが存在していたこと。それは、スケートボードとカメラがあれば、どこへでも行ける。そして、どこに行ってもスケーターか写真家がいるということを再認識させてくれた。勇気が湧いたといってもいい。ちなみに、スイス人のヤン・グロスがなぜウガンダでシャッターを切ることになったのか。当時、東アフリカへ転勤した彼女に会うためにウガンダを訪れたのがきっかけだった。スケーターだったら、どこへ行っても必ずやること、彼は持参したスケートデッキでウガンダのストリートをプッシュした。そこで出くわしたのが、先ほどのスケートパーク。それが、写真集のタイトルにもなった、KITINTALE PARKだった。
「こんなところにスケートコミュニティがあるなんて!」。それは衝撃だったと言う。同時に、このコミュニティが抱える問題に気付いた。「スケートパークはあるのにスケートショップがない」。そして仮にあったとしても、みんな貧しいから何も買えない。 「だけど、この国の人々はみんな明るい」。その明るい笑顔に魅せられて、さらに楽しくしたいと思ったヤン・グロス。何度もウガンダを訪れ、一度に数ヵ月も滞在するようになった。その度に、ヨーロッパのスケーター仲間から中古のスケートデッキやトラックといったスケートギアや少額の寄付を集めてきた。そして写真を撮っていった。

写真集『KITINTALE』には、ヤン・グロスがカメラとスケートボードを通して経験したウガンダがつづられている。写っているのは、スケーターとスケートボードだけれども、われわれが長年手掛けてきたようなスケボーマガジンのスキルフルなトリック写真ではない。空と緑しかない空間にポツンとあるスケートパーク。何もかもが、ひどく傷んでいてほこりっぽい。しかしヤン・グロスが、6×7のフィルムで撮った写真は、そこにもスケーターがいてスケートボードに夢中になっているという記録でもあった。

東京オリンピックに沸く東京で目撃することになる、史上初めてのスケートボードでの表彰台。メダリストのスケート写真は、とてつもない反響を呼ぶことになるだろう。そして、スケートの魅力とすごさがさらに世の中に知られるようになったら、ヤン・グロスの写真が捉えた美しいスケートボードの姿は、もっともっと注目されることになるだろう。写真集『KITINTALE』のリリース以降、ウガンダの首都カンパラには、初のスケートボード団体であるウガンダ・スケートボード・ユニオンが発足している。そして、「BANAKIBUGA Street Minds」という、ローカル発のブランドも立ち上がった。今後はスケートボードという普遍的な存在は変わらずに、ウガンダのローカリズムという独自のスケートカルチャーが発展していくに違いない。ヤン・グロスの写真や活動がもたらしたものは、とても大きい。東京のスケートカルチャーだって、たった30年前は記録すら少ない規模だったしレベルだったのだ。あと10数年したら、ウガンダだけでなくアフリカのスケートカルチャーがとんでもないことになっているかもしれない。

『KITINTALE』
新聞のような作りでプロテクションバッグに収まっているフォトブック。写真、文章、デザインのすべてをヤン・グロス自身が手掛けている。
http://www.yanngross.com

ヤン・グロス
スイス出身の写真家、映像作家。今回はスケートボードと彼について紹介しているが、彼のアートワークは多岐にわたる。それと同時に彼のフィールドワークは、祖国スイスがあるヨーロッパを遠く離れて、アフリカやアマゾンなど多方面に広がっている。最新作はオーギュヌ・エスカドンと共作、Editional RMから刊行された写真集『Aya』。
Instagram:@yann.gross

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小澤千一朗

エディター、ライター、ディレクター。2002年に創刊した雑誌『Sb Skateboard Journal』のディレクターを務める。その他、フリーランスとして2018年より『FAT magazine』ディレクターやパンダ本『HELLO PANDA』シリーズの著作など、執筆・制作活動は多岐にわたる。 https://senichiroozawa.com/

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