目は口ほどにものをいう。写真は言語ほどに伝達する――ひたすらプッシュするようにシャッターを切るジョナサン・レンチュラー

ハンマーでスタントなトリックだけがスケートボードじゃない。心地の良いカーブボックスにひたすらテクニカルなスタイルを刻印するのも、それを眺めながらマイメンとチルスケするのも、スケートボードのおもしろさ。伝説のスケビ(=スケートボードビデオ)『イースタンエクスポージャー』シリーズや『MIX TAPE』に、映画『KIDS』など、イーストコーストの大きな街でクリエイティブするスケートボードをかたどったものたち。それは東京のシーンにも通じるところがある。そして、その1つに、ジョナサン・レンチュラーの作品『LOVE』も加えておきたい。

ジョナサン・レンチュラーは、フィラデルフィアをはじめとして、ニューヨークなどといった、イーストコーストのストリートシーンを記録し続けているフォトグラファーだ。彼が撮るモノクローム写真によるキアロスクーロ(明暗のコントラスト)は、刹那的なストリートスポットの盛衰を見事に映し出している。
彼が撮ってきた価値のあるテクニカルなスケートの複合トリック写真と同じくらいに、彼が撮りためてきた、その時にそこにいたひとびとのポートレートがまたいい。トリックをしていなくても、それはスケート写真だと言ってもいい。

フィラデルフィアのプラザ・スケート

ジョナサン・レンチュラー。フォトグラファーとしての彼のもっとも有名な作品は、パラダイム出版からリリースされた176ページ全編モノクロームの写真集『LOVE』(2017)だろう。
これは、フィラデルフィアにあったアイコニックなプラザ・スケートの主人公たちを写し出したものだ。この街にやってきた多くのスケーター達に、社会規範に囚われない公園の住人達。時には、公園から締め出そうとする、マーベルコミックでいうところのレッドスカルのようなポリスマンでさえ主人公のように写っている。そこがいい。

ジョナサンのポートレートやスナップは、スケート写真のトリックをメイクしたグラビアのように、ラブでプラザな写真という彼の世界の中で、躍動的あり、必ず何かをしている。
叫んでいる。喋っている。怒っている。笑っている。スケートしている。キックアウトしている。戦っている。抵抗している。スモークしている。夢見ている……。ジョナサンは、ひたすらラブパークでそのような写真を撮ってきた。
公園の住人達からしたら、ジョナサンやスケーター達のほうがよっぽど、いつもそこにいる住人のようだったに違いない。ちなみにプラザ・スケートというのは、プッシュフリーな広場に、ベンチやステアに配されたコンクリートや大理石の縁石やレッジがある公園でスケートすることをいう。

スケートパークではなく、もともとあった公園をスケーターも共有していくこと。共有というのが大切で、決して市民の公園を、市民の1人でもあるスケーターが奪ってしまったわけではない。無秩序に荒廃させたわけでもない。どちらかというと、見向きもされず荒廃しかけた場所に違う角度の光を当てたというほうが近い。ただ、こっちサイドから見たら、心地よいウィールやテールを弾く音が響き、空いているベンチはただのオブジェで終わらせることなくカーブボックスへと有効活用しているスケートボード。逆サイドからは、ノイジーでけたたましい騒音で市民のための憩いのベンチを破壊しているスケートボード。そういう図式になってしまっているのかもしれない。ただ、ラブパークの存亡物語には間に合わなかったが、この価値観や視線の違いは、ようやくオリンピックとビッグマネーが雪解けを促し始めている。コンテスト会場がまさにプラザの残像だ。それが、まさにスケート新世紀の光だとするならば、ジョナサン・レンチュラーの写真集『LOVE』は、誰かの資本に頼らずにプラザ・スケートのカルチャーを世界的に知らしめたフィラデルフィアのラブパークの光だ。
モノクロームで、ゴールドではないけれど、美しい。そして、生々しくて眩しい。

東京でのジョナサン・レンチュラー

ジョナサン・レンチュラーは日本を訪れ、東京で個展を開催したことがある。時期はコロナ禍直前の冬だった。
ホテルの部屋の壁をすみずみまでジャックした展示写真。写真展があるのは知っていたけれど、私にそこに行こうと思わせた決定的なこと。それは、展示写真の中の被写体の1枚になっていた、パリの写真家バンジャマンから、「セン(私)とジョナサンは、『Sb』(私が発行し続けているスケボーマガジン『Sb Skateboard Journal』)で何かページを作れるはずだから、会ったらいいと思う」というメールが送られてきたからだった。いわば、バンジャマンにマッチングアプリのように遠隔操作されたのだった。バンジャマンは、このコラムでは第2回で取り上げたパイセン・フォトグラファー。そのコラムでも触れたが、彼はその審美眼やスタイルによりこちらのメンターにもなっている。だから、会わない手はないと思った。少なくとも、ジョナサン・レンチュラーの写真集『LOVE』は前から気になっていたから、それを実際に見にいくチャンスだった。

その写真展のシンボリックな写真。それはポスタライズな覆面男のポートレート。取り締まり、バリケードを作った行政への抵抗勢力の象徴だろうか。しかし、厳つい、怖い、ミステリアス、銀行強盗など、マスクマンに対するあらゆる予備知識を吹き飛ばした、カッコいい写真だった。その写真に魅入ってしまった。
ということで、最初から引きこまれてしまったので、ジョナサン・レンチュラーの(スケートトリックではないスケートの)写真で『Sb』は、特集(ヘッドライン)を組むことにした。ちなみにラブパークの写真は、すでに撮影から6年以上たつ写真が多い。でもジョナサンは、自分のアーカイブに出てくる馴染みの顔ぶれと彼らの友情というものを、このパークがなくなる前にその存在を残したかったに違いない。

彼のモノクロームの光と影は、大事なことを伝えてくれる。それは何か。ややもすると、ただの空っぽで退屈なプラザに過ぎなかった場所が、そこに集ってきた歴史的なスケーターと、そこに住み着くひとびとが、実はパークに命をもたらしていたということではないか。
ラブパークが取り壊されたあと、ジョナサン・レンチュラーはフィラデルフィアを離れて、ニューヨークに引っ越した。そして東京にふらりとやってきた。といっても、『Sb』なんかよりも先に、彼の写真やスタイルの素晴らしさに共鳴し、ちゃんと彼をフックアップしたひとびとが東京にいた。その中には、東京にあるギャラリーであり、本屋でもあり、出版社でもある「ソルト アンド ペッパー」もあって、彼らは、ジョナサン・レンチュラーとコラボし、『Remembering The Future』と『Be There Soon』という2冊のフォトブックを出版している。そして、神戸のスケートショップ「シェルター」のオーナーで、ラブパークが隆盛を誇った1990年代からストリートでバリバリ滑ってきた入潮正行も、ジョナサンとは密接につながっている。アメリカのイーストコーストだろうが極東の東京だろうが、ストリート案件はスケーターの審美眼とコミュニケーション能力とネットワークが一番有効だ。そして、ジョナサンは東京と非常に相性がいい。
ジョナサンのモノクロームの写真と、大都会の煩雑な路地をぬってゆくスケーターの相性は抜群だと思う。

写真はどれもこれも同じじゃない

「もっとゆっくりちゃんと見ろ」「どれも似たような写真じゃないか」。
これは、映画『スモーク』の中で、ハーヴェイ・カイテル演じるタバコ屋の主人、オーギー・レンとウィリアム・ハート演じる作家ポール・ベンジャミンの会話だ。オーギーは、定点観測のように毎朝8時に同じ場所でモノクロームのスナップを1枚ずつ撮ってきた。気付くと10年以上の膨大なアーカイブになっていた。作家のポールは、それをゆっくりと見直していく。そして、ただ1人、ポールだけにピンポイントで突き刺さる1枚に出くわす。ジョナサン・レンチュラーのモノクロームの写真には、個人的には、そんな映画のようなできごとがちりばめられていると思っている。
今はあまり見なくなったスケーターが写っていたり、ラブパークに憧れてフィラデルフィアにやってきてフロリダに去っていった友人が写っていたり。もしかしたらポートレートに収まるホームレスは、誰かの尋ね人なのかもしれない。取り締まっている緊張した顔のポリスマンを見て、おばあさんが自分の孫が立派に働いていると誇るかもしれない。映画『スモーク』では、それがブルックリンのプロスペクト・パークのストリートだったが、ジョナサン・レンチュラーの場合は、ラブパークだったり、ニューヨークのストリートだったりしたのだ。オーギーの写真も、ジョナサンの写真も、ロケーションは常にストリートやプラザで、色はモノクロームだ。それをアーカイブしたり写真集のように1冊にまとめたりすると、その量が多ければ多いほど、パラパラとめくっていきがちだ。あるリズムが生まれるのは避けられない。最初はそれでいい。そして、もう一度、ゆっくりと写真を1枚1枚、時間をかけて見ていくと発見がある。
良いことも悪いことも嬉しいことも悲しいこともある。全部モノクロームだけれど、写真はどれもこれも同じじゃない。

東京の個展で、膨大な写真をゆっくりゆっくり見ていった。すると壁の下のほうに、貼られた1枚のポートレートを見つけた。それは、パリジャンのバンジャマンだった。その写真は、2011年の夏のものかもしれない。ちょうどその直前、パリでバンジャマンと会っていたのを思い出す。彼は、マーク・ゴンザレスと一緒に作った作品集『レ・サークル』をリリースしたばかりだった。B0サイズのオリジナルプリント(その上にマーク・ゴンザレスがアートワークを手描きしている)を彼のアパートメントで見せてもらっていた時、明日からイーストコーストに行くんだと言っていた。ニューヨークの書店で、マーク・ゴンザレスとサイン会をして、その後、イーストコーストで写真を撮ってくると言っていた気がする。それで、ジョナサンと遭遇したのではないかと想像した。持病の進行やコロナ禍もあって、バンジャマンがイーストコーストに行けなくなってひさしい。しかし、彼はあの頃に撮った写真と、さらに以前に撮った写真をまとめて1冊の旅的な写真集をリリースしようとしている。意欲的だ。ジョナサンの写真展で、そんなバンジャマンのポートレートを見つけた時、彼が「東京のジョナサンの写真展に行って、俺を見つけて来いよ」とメールしてきたのだとわかって、笑ってしまった。

ラブパークは、ジョナサン達の嘆願活動のかいもなく、悲しいかな、リニューアルされてしまったが、それらに紛れてバンジャマンのポートレートを見て、悲しいよりおかしくて笑いが止まらなかった。やっぱりスケーターの写真はいい。記録装置なのに、止まらないでずっとプッシュしている。何があっても進んでいく感じがする。ジョナサン・レンチュラーの写真もまたそういう写真だ。

ジョナサン・レンチュラー
フォトグラファー。ニューヨーク在住の写真家で映像作家。代表作は、パラダイム出版からリリースされた今はなき、フィラデルフィアが世界に誇ったプラザ・スケートの聖地ラブパークの編年史を収録した写真集『LOVE』(2017)。その他に『Nowhere To Go From Here』(2019)、『Copper』(2019)、『Untitled』(2020)、『Dill』(2020)といった数多くのD.I.Y.なマガジンの制作を続ける。そのかたわら、東京にあるギャラリーで本屋で出版社でもある「ソルト アンド ペッパー」とコラボレーションし、『Remembering The Future』と『Be There Soon』という2冊のフォトブックを出版している。
Instagram:@eurojon

author:

小澤千一朗

エディター、ライター、ディレクター。2002年に創刊した雑誌『Sb Skateboard Journal』のディレクターを務める。その他、フリーランスとして2018年より『FAT magazine』ディレクターやパンダ本『HELLO PANDA』シリーズの著作など、執筆・制作活動は多岐にわたる。 https://senichiroozawa.com/

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