新型コロナウイルスが猛威を振るう現代社会においても、写真の重要性や素晴らしさは変わらない。1カットが伝える情報と記録。そして作家性とメッセージ。その中でも、スケートボードにまつわる写真とそれを撮り続ける写真家を紹介する本企画。あえて言うなら、SKATEBOARD DIASPORA。世界はさまざまなことで引き裂かれているけれど、スケートボードでつながっていることを実証したい。
今回の主人公はバンジャマン・デュベール。写真を撮り続けて30年以上。パリの街を流しているだけで、老若男女さまざまなスケーターやキッズに、“O.G.(パイセン)!”ってあいさつされるアイコンの1人。柔和な哲学者のような佇まいや、食事中に別のレストランのおすすめメニューを話し出すほどの食通な横顔など、話したいことはたくさんあるけれど、今回はスケートと写真について紹介したい。
パリのステレオタイプってなんだろう
グレーな石造りの建物。マロニエの街路樹。通り雨と青空。美しい教会の鐘の音。すてきなショーウインドーにシックな人々。エンドレスなフランス語の会話……。ヒストリカルで、芸術や文化に富んでいて、多種多様な人間がいて、いろいろなバックグラウンドを持った人々がストリートにいる……。写真家・バンジャマンも、そんな街に暮らしている1人。「フランスの家庭料理っていえばビーフシチューで、ここのビーフシチューがパリで一番だ」って食べながら、先日食べたアフリカ料理はすごくおいしかったとかって他の料理の話を持ち出すようなパリジャンらしい一面を持つ男。映画『アメリ』が好きだと言ったら、ちょっとファンタジー過ぎだよっていうところから、舞台となったモンマルトルやその丘にあるバジリカ聖堂についての歴史的見解が止まらなくなって、途中で「トゥー・マッチ、トゥー・ドゥだった」と自嘲するところなんかもパリジャンぽいところ。その反面、オーセンティックなパリの街並みを愛していて、観光名所よりパリの変わらない場所を背景に選んだり、そういったところでスケートボードという、もともとはカウンターカルチャーだったものを被写体にする柔軟でクリエイティブな目線を持っている。今ではスケートボードは、世界共通言語のようなものになってきた。けれど、それは1980年代から1990年代にはまだまだアンダーグラウンドだったパリのスケートやストリートシーンを写真家達が記録し続けてきたからこそ。特に、バンジャマンはそんなパリのストリートを代表する記録者なのだ。
今も昔も、ラボをこよなく愛すること
1990年代、東京。「渋谷のクリエイトでセレクトしちゃいましょう!」とか「青山のクロマートに20時にピック行ける?」とか「ホリウチなら中2日でアップしますけど」なんていうやりとりを写真家としていたのがついこないだだったような気がする。今はデジタル全盛の時代。フィルムで撮った写真のベタ焼きをライトテーブルに置いて、ルーペでのぞき込んで、ダーマトでセレクトしていく。そんなラボ(現像所)の“当たり前”の光景を目にすることはなくなった。新しいビルが建つと、その前までそこに何があったのか思い出せないのと同じように、ラボをベースにした写真のクリエイティブなやりとりを、誰とどのようにやっていたのか、悲しいかな、すぐに思い出すことができない。
そんな中で、バンジャマンはずっとフィルムで撮影し、アナログプリントにこだわっている写真家だ。特に、フィルム1本どころか3本、4本と撮ってもなかなかメイクできないストリートスケートの撮影においては、デジカメのほうが適している。何回だってシャッターを押せるし、なんならその場でできをチェックすることもできるからだ。バンジャマンは言う。「インスタはじめデジタルの良さもある。若い写真家やスケーターは、そういった消えていく良さをよくわかっているよね。でも、パリだと、20代のスケーター達も、記録として保管できる本や紙の大切さを再認識しているんだよ。それがまたおもしろいね」。ここがバンジャマン O.G.(パイセン)のすてきなところで、黙々と自分が良いと思ったことや活動を続けるだけで、決して次世代に押しつけることはしないのだけれど、結局、すてきなものを残すことによって、若い子達のクリエイティブの選択肢を広げることに成功してしまっているのだった。
バンジャマンが、今も昔も、ラボをこよなく愛しているところは、職人さんとのつながりも含めて、すてきだなと思う。
パーフォレーションやフレームの糸くずすらいとおしいこと
パリで、ショップに入ったら額装された写真が飾られていた。カフェの壁に写真が掛かっていた。バーの奥に写真が並んでいた。そのすべてがバンジャマンが撮り、ラボでプリントしたものだった。東京では忘れかけていたラボ。現在、パリには5つほど大きなラボがあるというが、アナログプリントをしているのはバンジャマンがひいきにし続けている「Atelier Publimod」のみ。オーナーいわく「昔は圧倒的にファッションや広告の写真が売り上げを占めていたけれど、今ではスケートやストリートの写真の現像がトップ3に入っている。そしてその大半がバンジャマンのフィルムさ」。現像を待って、コーヒー片手に雑談している間、ひっきりなしにネガを出しにくるのは、若い人達が多かった。確かに、バンジャマンとマーク・ゴンザレスの共作『LE CERCLE』なんかは、ラボでプリントした大判のバンジャマンの写真に、ゴンズが直筆で絵を描いていったもので、それは絶対に紙でないと表現できないものだ。そんなのを見せられたら、誰だって紙に焼いて残したいと思うに決まっている。
思い出したエピソードがある。10年前くらいだったか。バンジャマンから来た紙焼き写真の黒いフレーム部分に糸くずがひょろひょろとついていた。それは狙ったものではなく、暗室でついてしまったものって感じがした。デジタルだったらレタッチしたりするのが常とう手段かもしれない。どうする? っていうこちらの問いに彼は笑うのだった。「糸くずはそのままでいいよ。自分が焼いたっていうシグネチャーみたいなものでしょ」。コントラストや構図が少しでも自分のイメージと違ってたりすると、気になってしまって一晩中考え込んでしまうというキメ細かさがある一方で、このようなユーモアもある。バンジャマンの写真は、良い意味で面倒くさいと言っていい。こだわってタイトにするところと、大胆に楽しくバルブを開け放ってしまうトゥーフェイスな部分が、まさにパリの街とリンクしている。糸くずも面倒かつこだわって焼いた自分の写真のいとおしい一部だって微笑んでしまうところがいい。
コロナ禍でロックダウンするパリ。でもクリエイティブは止まらないこと
2020年、コロナ禍のパリ。この時、私が知るストリートシーンでは、2つの印象的なできごとがあった。どちらにも、バンジャマンの存在があった。1つは、3月の最初のロックダウンの時。パリで一番ホットなプラザスポット、リパブリック周辺ではホームレスが急増し、連日100人以上の人々が食料配給のために並んでいた。ラボも何もかもがクローズしている中、バンジャマンはあることを思いついた。持病を抱え外出するのが特に危険なバンジャマンのアパートの下に、プロスケーターで作家でもあるスコット・ボーンが、入手困難となったフィルムを1本借りにやって来た。バンジャマンは、窓から彼にフィルムを入れた缶を投げて渡した。その瞬間、彼はいかにしてアナログフィルムの写真をページにできるか、また、どうすればみんなで共作することができるかを思いつく。
バンジャマンやスコット・ボーンが撮り終えたフィルムを、バンジャマンの妻マリアが買い物の途中でポールに届ける。それからプロスケーターで写真家のポールが自宅で現像をする。そして、再び、マリアがそれらを持ち帰って、バンジャマンがスキャン作業をした。そうやって、ロックダウンした街のアーティクルが日本のスケートマガジン、『Sb Skateboard Journal』に掲載されたのだった。
そして、このクリエイティブの火種は、2つ目のできごとを起こす。それは、バンジャマン、スコット、ポールをはじめ、セルゲイやジョージ、タビュといったパリのストリートでも活動する16人のアーティスト達による共同制作、“NO CONTACT SHEETS”という写真展示だ。人と直接的にコンタクトできない状況下を、フィルムロールでバトンリレーして写真に記録するという試み。これは、写真家とかスケーターとかっていう、日々、何かにとらわれることより何かをひねり出すことを続けてきた人間達だからこそのクリエイションだと思う。自分達が信じたもの。自分達が好きなもの。そこから生み出すポジティブな姿勢。クリエイティブな活動。確かにコロナ禍で不安定な情勢は続いている。それなのに待ったなしで迫ってくるオリンピックといった世界的イベント。今や、街じゃなくて、人のほうこそ強制的な変化を求められている。そういう時に、バンジャマンは発見した。というより確信したに違いない。時代遅れ? と思われがちなアナログなフィルムと手段が、実はいついかなる時でも、クリエイティブでポジティブなものを作り出せるということを。なんていうのか、バンジャマンがやっていることは、インスタントなんかじゃなくて、1年後も5年後も同じ本質的なことを言ったり、やったりして、そのくせ「トゥー・マッチ、トゥー・ドゥだった」と微笑んでいるようなものだと思う。
今はパリだけでなく、東京もロンドンもニューヨークもどこだって、大変な状況だ。だけど、バンジャマンの粛々とクリエイティブであり続ける、そのポジティブな写真という記録は、ちょっと離れている場所で編集作業に明け暮れる自分にとっても良い影響を及ぼしてくれてる。彼は、今をときめくバキバキの新しいことや大仕掛けなことをする写真家ではなく、オーセンティックなタイプの写真家であり記録者である。そして、尊大ぶらない、ストリートの誰にとってもすてきなパイセンである。そんなところがまたすごくいい。