アスピディストラフライの2人による「KITCHEN. LABEL」 縁深い日本のアーティストとの関わりについて

シンガポールを拠点に活動しているエイプリル・リーとリックス・アンによる男女ユニットアスピディストラフライ(ASPIDISTRAFLY)は、その音楽活動だけでなく、haruka nakamuraや冥丁、いろのみといった日本の著名な音楽家達とも縁の深いレコード・レーベル「KITCHEN. LABEL」を運営してきた。「KITCHEN. LABEL」は、日本の秀逸なエレクトロニカやアンビエント、ポスト・クラシカルなどの作品を、強いこだわりを感じさせる独特の装丁や、豪華な特殊パッケージで送り届けてくれることも知られている。昨今では、「失われた日本のムード」を希求するアンビエント作家、冥丁の『古風』(2020年)、『古風Ⅱ』(2021年)が大きな話題を呼んだことも記憶に新しい。本稿では、そんな彼等と縁深い日本のアーティストとの関わりについて迫ることとなった。

「日本で自然の音の世界に存在する”環境”としての音楽の概念を学ぶ」

――奇しくも、日本の小説家、吉本ばななの『キッチン』に収録された短編小説「ムーンライト・シャドウ」の一節に「あまりにも彼女は知的で冴えた瞳をしていて、まるでこの世の悲しみも喜びもすべてのみ込んだ後のような深い深い表情を持っていた。」という文章がありますが、「KITCHEN. LABEL」の名前もファーストアルバム『I hold a wish for you』(2008年)の世界観も、同作品にちなんだものです。

リックス・アン(以下、リックス):「KITCHEN. LABEL」は、吉本ばななの「キッチン」から名づけました。私達が『i hold a wish for you』を作っている時に、吉本の散文から深く影響を受けました。今回の『Altar of Dreams』には直接的な影響はありませんが、その雰囲気は私達に染み付いています。

――本作には、過去10年間の経験から得たインスピレーションがもたらしたビジョンが描かれています。2人の結婚やマイホームを持ったこと、アンが耳の病気を発症したこと、この間に「KITCHEN. LABEL」をアジアのネオ・クラシカル/アンビエント・ミュージックの聖地へと成長させたことなど、実生活の大きな変化は、曲作りや作品へどのような影響を及ぼしたのでしょうか?

リックス:残念なことに耳鳴りと診断され、アルバムのミックスをすることが困難になってしまい、アスピディストラフライの新しいアルバムの制作を5年近く中断しましたが、ようやく再開することができました。

しかしながら、私の個人的な体験がアルバムに影響を与えたのではなく、アスピディストラフライのストーリーの主人公であるエイプリルの体験がアルバムに影響を与えています。私がアルバム関連のビジュアルに登場しないようにした理由もそこにあります。とはいえ、プロデューサーであり共同作曲家として、エイプリルと私はこれらの経験を一緒にしてきたので、私達が音楽で表現したいことは理解しているつもりです。「KITCHEN. LABEL」が存在する何年も前から、私は1人で仕事をすることが一番快適だと感じていました。

しかし、年月が経つにつれ、特にレーベルが大きくなってからは、アーティストと交流し、彼等のリリースのプロデュースをしながら、プロセスの一部になることの素晴らしさがわかるようになりました。私はコラボレーションや集団意識の力が大好きです。共生こそがすべてです。私達とレーベルを取り巻く優秀な人達がいなければ、成長できなかったでしょう。レーベルと私達のアイディアが交わらなければ、アスピディストラフライは良くも悪くも全く違うサウンドになっていたと思います。

だから、ここ数年レーベルのためにやってきたことが、『Altar of Dreams』のトーンをある程度決めたのです。

――ここ10年間、数々の来日公演やレーベルメイトをはじめとした日本のミュージシャンとの共演も行っていらっしゃいますが、本作にも彼等とのライヴからインスパイアされた部分はありますか?

リックス:ご存じの通り、私は日本に行くのが大好きですし、「KITCHEN. LABEL」の多くの音楽は日本から来ています。とても繋がりを感じる場所で、親しい友人もたくさんいます。日本でライヴをする際の、音や音響に対する細かい配慮やオーディエンスが深く聴き入るという慣例もある意味正しいと思います。私達はレーベルメイトのharuka nakamuraやいろのみと一緒に、日本の特別な場所で演奏をしました。一度だけ益子という小さな町で、森のすぐ横にある粘土でできたステージで演奏したことがあります。また、丘の上にある古い日本家屋を改装したスターネットという素晴らしい空間や、東京のいくつかの教会でも演奏しました。

日本人と一緒に音楽を演奏することで、自然の音の世界の中に存在する“環境”としての音楽の概念を学びました。特に日本には四季があり、自然の風景や情景が豊かなので、身近なものに目を向け、より意識するようになりました。これはシンガポールでは不可能です。また、それぞれの会場や雰囲気も違っていたので、それぞれの美しさに合わせて考えることが多かったです。これらの経験は私達にとって音楽への全く新しい扉を開いてくれました。

――本作には、多数のゲスト・ミュージシャンが参加している通り、ストリングスが大々的に用いられ、東京、山梨、シンガポールとさまざまな場所で録音されています。レコーディングに関するエピソードや人選の意図をはどういったものがありますか? また、本作のサウンド・プロデュースにおいて特に力を注いだ面も教えてください。

リックス:リスナーが私達の作り上げた世界に入り込めるように、楽曲で物語を伝えることに一番時間をかけています。そのためには、テーマに沿った楽曲を制作することや、楽曲を全体的にまとめるために、1つの楽曲、または楽曲の中に挿入されるものとしてのインタールードのアレンジをしています。私達は自分をストーリーテラーだと考えています。アルバムに正しい流れがあり、ストーリーを最大限に構築することが不可欠なのです。
ヴォーカル、ギター、エレクトロニクスはシンガポールで録音し、その他の楽器はすべて日本で録音しました。ストリングスとピアノは、サウンドシティ世田谷で録音し、エンジニアの渋谷直人とストリングス・アレンジャーの一ノ瀬響に大変お世話になりました。一ノ瀬さんは『A Little Fable』でもストリングスのアレンジをしてくれましたが、特に「Landscape With A Fairy」という曲は、彼が私達の曲のために貢献してくれた不朽の作品だと思っています。だから、今回のアルバム『Altar of Dreams』にも参加してもらうのは当然のことでした。「Altar of Dreams」(楽曲)のために彼が手掛けたストリングスとピアノのアレンジを初めて聴いた時のことは忘れられません。彼は何をすべきか明確に理解してくれていて、私達は彼の仕事を大いに尊敬しています。

また、レーベルの他のアーティストのプロジェクトでも一緒に仕事をしている田辺玄が経営する山梨の美しいスタジオでレコーディングをすることができたのも嬉しいことでした。また、長年の友人でありレーベルメイトのharuka nakamuraに「The Voice of Flowers」のレコーディングに参加してもらいました。アスピディストラフライのアルバムは彼なしでは完成しないと感じたからです。実は別の曲もレコーディングしたのですが、最終的にはトラックリストに入れませんでした。もちろん、このトラックは今後リリースをする予定です。

それから今回は、アスピディストラフライがまだ探求していない新しい楽器を加えたいという気持ちが強かったため、ARAKI Shinに参加してもらいました。彼とは2010年にharuka
nakamuraのアルバム『twilight』にサックスやフルートなどの管楽器の演奏とアレンジを担当してもらった時からの知り合いで、それ以来、彼と一緒に仕事をしようとを決めていました。「The Voice of Flowers」の音楽的な風景は彼なしでは作れなかったと思います。

エイプリル・リー(以下、エイプリル):この旧友であり長年のコラボレーターは、私達にとって家族のような存在です。haruka nakamuraと台湾ツアーをした時の集合写真は額に入れて家に飾ってありますし、一ノ瀬さんとは天気の話や親戚の話など、日常的なことをメールでやりとりすることもあります。

昔から知っているミュージシャン以外で、SUGAI KENは一緒に仕事をしたいと思っていた人で、いつも私のプレイリストでヘビーローテーションしています。彼の音楽にはある種の魔法があり、彼のサウンドは想像の中に鮮明な情景を思い起こさせるのです。生き物の鳴き声、川の流れ、独特なノイズ……彼のアルバムを繰り返し聴くと、まるで異次元にトリップしたかのように、何時間も過ぎていきます。環境音やファウンドサウンドを繋ぎ合わせ融合させる彼のユニークな手法に私は共鳴とつながりを感じて、一緒に作品を作ったらどうなるのだろうという好奇心を持ちました。その結果生まれたのが「Silk & Satins」です。

――これまでのインタヴュー等を見ていると「KITCHEN. LABEL」は、音楽活動を通じて自然と構築されていったプライベートなコミュニティーとしての性質も強いのではないかと思われますが、同レーベルのキュレーションにおける最大の美学とはどんなものでしょうか?

リックス:一緒に仕事をする人とは、最初から雰囲気やテクスチャーを何よりも重視するという暗黙のルールがありました。私にとって、それはいつも一番魅力的です。ほとんどの場合、音楽の雰囲気を重視して制作しています。なので、これらの曲が宿るテクスチャーの層がストーリーを語るための構造になったり、メロディーのための背景になっています。

――2010年の「雨と休日」のインタビューでは、レーベルのコンセプトを説明する上で
、(カナダの作曲家、故マリー・シェーファーの提唱した)サウンドスケープや環境音楽/アンビエントの概念にも近いイメージを提起するような発言を残しているだけでなく、共通言語としての「『アンビエント』というプール」という表現を引き合いに出していたこともありました。

リックス:アンビエントミュージックは私達のDNAの大きな部分を占めています。境界線やジャンルを横断することを楽しんでいますが、同時に「アンビエント」のプールに常に足を踏み入れています。同じ音楽言語を話すミュージシャンと出会えたことはとても幸運でしたが、それぞれの個性があるからこそ同じアイデアを表現したとしても異なる予想外の結果を生み出します。これは共同体的な自発性であり、「KITCHEN. LABEL」のアイデンティティーを形作っているのです。

「年齢や国境に関係なく多くの人々に音楽を届け続けること」

――長年の盟友であるharuka nakamuraや「LOST JAPANESE MOOD」をテーマに活動する冥丁、「季節のさまざまな色の実を鳴らす」という、日本の伝統的な美学にも通じるコンセプトのもとで活動するいろのみを始めとして、数々の日本人アーティスト達と仕事をともにしてきましたが、日本のアーティストと協業したり、それらの要素を取り入れたりしている理由はなんでしょうか?

リックス:日本の音楽、映画、デザインは私に大きなインスピレーションを与えてくれます。それが日本への旅の土台となりました。その旅の過程で出会い一緒に仕事をした人とこれほど長期的な関係を築けるとは思ってもいませんでした。

アルバム『古風』の制作中、冥丁と話をしたことがあるのですが、彼は、最近、日本人の気持ちや気分を考えて日本の音楽を作る人が少なくなっていると感じているそうです。私は日本人ではないのですが、ある意味、彼の考えに共感することができました。私達のコラボレーションや文化交流を通じて、日本と世界の架け橋になれたことは興味深いことでした。

私はレーベルのために日本のアーティストとコラボレーションすることに大きな喜びを感じていますし、その結果、私自身の生きがいを見つけることができました。「KITCHEN. LABEL」からリリースするためにアルバムのアートワークとプロデュースを私に任せてくれた冥丁、haruka nakamura、いろのみ等の日本のアーティストに非常に感謝をしています。

――日本のアーティストで今最も注目している方がいたら教えてください。

リックス:新型コロナウィルスのロックダウンの間、私は鈴木良雄の『Morning
Pictures』と『Touch of Rain』をよく聴いていました。彼の音楽は、1980年代半ばに日本のデパートでソフト・ジャズがかかる中(当時シンガポールにはヤオハン、伊勢丹、大丸、そごうがありました)、買い物をした子ども時代の空想に私を誘ってくれるのです。いい思い出ばかりです。ロマンチックに考え過ぎかもしれませんが、私は彼独特の革新的なジャズやMusic Interiorレーベルのほとんどの作品が好きです。今日では、家で仕事をすることが多くなりましたが、彼の音楽は私にとってインスピレーションと落ち着きと安らぎの源になっています。

エイプリル:2011年頃、東京で青葉市子に初めて出会って以来、私達は目に見えない化学反応のような交流をしてきました。長年の友人として、私は彼女の音楽の進化を目の当たりにしてきましたが、彼女のリリースするすべての作品は私の人生において不変のものとなっています。ここ数年は会えなくなってしまいましたが (シンガポールで3回目のライヴを一緒にやる予定だったのですが、残念ながらパンデミックの影響で中止になりました)
彼女のことを思いながら、よく聴いています。彼女はよく深夜にInstagramでライヴ配信をしていて、1人で部屋でギターやピアノを弾いているのですが、それをいつも楽しみにしています。青葉市子の世界はとても魅力的です。

――本作のCDを手にしたのですが、ブックレットに記された詩世界やそれらや作品の美学を強く喚起させる印象的なビジュアル・イメージや写真は私自身にとっても、音楽本体と並ぶ幻想的な視覚的体験をもたらしてくれました。デジタル販売やストリーミング配信がごく一般的なものとなった今も「KITCHEN. LABEL」の作品がフィジカル版の装丁にこだわり続ける理由はなんでしょうか?

リックス:「KITCHEN. LABEL」が誕生したのは2008年で、音楽業界がフィジカルとデジタルの過渡期にある時代でした。私達は「新しいもの」と「古いもの」の両方の重要性を理解していたので、レーベルを立ち上げるのにはこれ以上ないタイミングだったのかもしれません。フィジカルのアルバムは、音楽ビジネスの大きな物語の中に私達をとどめておく何かを提示してくれるため、私達にとって不可欠なものだと思います。私達の音楽をレコード店やレコード・コレクターの棚で見てもらいたいし、誰かにとっての宝物であってほしいです。そして、それを発見するかもしれない次の人に受け継がれることを願っています。

音楽をリリースする際に、デジタルと伝統的な方法の両方を取り入れることで、年齢や国境に関係なく多くの人々に音楽を届け続けることができると信じています。音楽の聴き方は人それぞれですが、音楽と人との純粋なつながりは共通しています。人々が生活の中で音楽を必要としなくなる日は来ないと思います。

私達のアーティストとレーベルは、常に音楽とアートワークの相互作用を考えています。ECMレコードが引用したガートルード・スタインの言葉を借りると「自分の耳を目だと思え」ということです。 各アルバムにはそれぞれのストーリーがあり、各アーティストは独自の音の美学を提供しています。ですから、ビジュアル要素は音楽そのものの比喩的な翻訳だと感じています。私はKITCHEN. LABELを、アーティストとレーベルが音楽とサウンドを通してイメージを作り出し、最もサブリミナルな方法でオーディエンスに影響を与えることができるプラットフォームにしたいと思っています。音楽のフィジカルのフォーマットは、触ることができるという点がユニークなので、パッケージに適した紙や素材を選ぶことは、非常に重要なプロセスです。

――本作までの約10年という長いスパンで見て、現在の音楽性に影響を与えたと思うアーティストや作品はなんでしょうか?

エイプリル:『Altar Of Dreams』の時は、中森明菜の『不思議』や小林麻美の『Cryptograph』等1980年代の音楽を聴きながらアルバムを制作していました。特にシンセやゲートリバーブがかかったサウンドなど、1980年代という時代の芸術的なヴィジョンに惹かれます。でも、私が最も影響を受けたものを挙げるのは難しいですね。なぜなら、何かワクワクするようなものを見つけるために、私は常に新しいインスピレーションを楽しく集めているからです。それはレコードでも、物でも、物語でもあります。

――最後に日本のファンへのメッセージや今後の展開について何かあれば教えてください。

エイプリル:日本のファン、友人、コラボレーター、パートナーの皆様には、言葉では言い表せないほど感謝しています。その多くの人達が、2007年に初めて日本公演のために東京を訪れた時から、アスピディストラフライを忘れることなく一緒にいてくれました。日本で経験したことのほとんどは、それが環境の美しさであれ、私達が築いた友情と思い出であれ、重要なインスピレーションとなり、やがて過去15年間に発表した3枚のアルバムの一部となりました。新型コロナウィルスの影響でこの3年間は日本に行けませんでしたが、機会があればまたライヴをしに行きたいです。

アスピディストラフライ
シンガポールを拠点に活動するエイプリル・リーとリックス・アンによる男女ユニット。2人は、haruka nakamura、いろのみ、FJORDNE等日本人アーティストの良質な音源と、洗練された美しいアートワークの特殊パッケージに定評がある人気レーベル「KITCHEN. LABEL」を運営している。

Edit Ryo Todoriki

author:

門脇綱生

1993年生まれ。鳥取県米子市出身。レコード店「Meditations」のスタッフ/バイヤー。2020年に『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』(DU BOOKS)を出版。「ミュージック・マガジン」や「レコード・コレクターズ」「MIKIKI」等各メディアでの音楽記事や、国内盤CDのライナーノーツの執筆なども担当。2022年よりDisk Unionにて音楽レーベルの「Sad Disco」を始動。同レーベルは、現在4作品を発表している。 Twitter:@telepath_yukari   Instagram:@tsunaki_kadowaki

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