ロンドン在住音楽家・大森日向子が紡ぐ「メディテーティヴな旅」としてのアンビエント・ミュージック 

​横浜生まれでロンドンを拠点に活動するエレクトロニック・コンポーザー/サウンド・エンジニア、大森日向子がデビュー・アルバム『a journey…』を、ロンドンのビッグ・クラブ〈Fabric〉傘下のレーベル〈Houndstooth〉からリリースする。エド・オブライエン(レディオヘッド)、ケイ・テンペスト、ジョージア、KTタンストールといった名だたるミュージシャンのライヴ・ツアーやレコーディングに参加することで音楽的感性を磨いてきた大森がこのデビュー作で響かせるのは、アナログ・シンセサイザー、フィールド・レコーディング、そして自らのヴォーカル/ヴォイスを用いた、メディテーティヴなアンビエント・サウンドだ。横浜に生まれ、3歳でイギリスに移り、現在はロンドンで暮らしているという大森は、どのようにしてこのような没入感の高いアンビエント・サウンドを作り上げたのだろうか。彼女に話を訊いた。

クラシック・ピアノからアナログ・シンセサイザーへ

「イギリスに引っ越したあとに、街中でストリート・パフォーマーの演奏をみたことがあったんです。ちっちゃい時って、周りのものをたくさん吸収しようとするじゃないですか。その時みた演奏にジーンときて、ピアノをやりたいなと思うようになりました。その当時はロンドンの田舎のほうに住んでいたんですが、その時に素敵な先生と巡り合って、5歳から大学に行くまではずっとクラシック・ピアノを習っていました。大学に入ってからはサウンド・エンジニアリングを学んでいて、演奏することは少なくなったんですが、クラシック音楽にはずっと強いつながりがあると感じています」

そんな大森は、何をきっかけに自ら音楽を作ろうと思ったのだろうか。

「初めて音楽を作ってみたいと感じたのは、ザ・ナイフ(1999年結成のストックホルムのエレクトロニック・ミュージック・デュオ)の音楽を聴いた時でした。その時、シンセサイザーってこんなおもしろい音が出るんだってとても驚いたんです。そこからシンセサイザーによって作り出される音楽に惹かれるようになりました。シンセサイザーに初めて触れたのは16歳の頃で、当時通っていた高校のミュージック・テクノロジーの先生がシンセサイザーのバンドを組んでいたんです。その先生からシンセサイザーの技術や情報について学んだのですが、高校を出る時にRolandのSH-101を貸してもらって、「どんなに長く使ってもいいからしっかりしたシンセサイザーで学びなさい」と言われたんです。先生にはとても感謝していますね」

本作『a journey…』でも静かにうねるシンセサイザーのサウンドが印象的だが、彼女はシンセサイザーのどんなところに魅力を感じているのだろう。ちなみに、彼女が日本に里帰りした時には、必ず原宿にあるシンセサイザー専門店のFive Gに寄っていろんなシンセサイザーを物色するそうだ。

「どのシンセサイザーにも違ったユニークなサウンドがあるところですかね。音の組み立て方やレイヤーの作り方でいろんな方向にサウンドが変化するのもおもしろいし、粘土をこねるように周波数を変調させて音色を変えていくのも楽しいです。ある特定の音が好きというよりも、音のいろんな組み合わせで遊べるというところが好きですね。最近、MoogのMatriarchっていうセミモジュラー・アナログ・シンセを使い始めたんです。Matriarchはセミモジュラーなのでパッチしなくても使えるんですけど、パッチングするとより世界が広がる感じがしてとても楽しいです。ゆくゆくは自分でモジュールを組んで作品も作ってみたいですね」

このようにシンセサイザーの魅力を語る大森が初めて発表した作品が、2019年のEP『Auraelia』だ。このEPは、オーラを伴う偏頭痛が1ヵ月続いた体験を音響的に表現したらどうなるかというアイディアをもとに制作したという。そこで自分の心情や体験を音で表現するおもしろさに気付き、改めてシンセサイザーとつながりを持つことができたそうだ。

「メディテーティヴな旅」の始まり

そして翌年の2020年夏、オンライン・フェスティバル〈WOMAD at Home〉へ参加し、40分のアンビエント・プロジェクトを完成させる。それがこのデビュー・アルバム『a journey…』だ。

「2020年の夏に大学時代のクラスメイトで、ピーター・ガブリエルが作ったReal World Studiosでレコーディング・エンジニアとして働いているオリー・ジェイコブスが、「〈WOMAD at Home〉というフェスで、イマーシヴ・オーディオを作ることに興味のあるアーティストを探しているんだけど、日向子やってみない?」と誘ってくれたんです。私はバイノーラル・レコーディングとかイマーシヴ・オーディオにすごく興味があったので、誘ってくれてとても嬉しかったです」

大森日向子『a journey…』
大森日向子『a journey…』

大森は、ジェイコブスからはプレゼンテーションとして40分間の音楽を作ることができると伝えられる。そこで彼女は、新しい機材を導入した時に自分で試行錯誤しながら録り貯めていたデモを聴き直して、これを使えば40分のものができるんじゃないかと考えたという。そして、ノートに書き留めておいた詩や歌詞などを眺めながら、その音源と組み合わせていったそうだ。

「シンセサイザーで作ったデモをつなげて、40分間のメディテーティヴな旅を展開して行きたかったんです。あとはバイノーラルな音を作りたいなとずっと思っていたので、そのバイノーラルな音を脳に響かせることによって、リラクゼーションを生めたらなとも考えていました」

そうして作り上げたシンセサイザーと歌を組み合わせた楽曲をミックスする前日、大森はある行動を取る。環境音/自然音の採集ーーフィールド・レコーディングだ。

「完成させた音源をミックスする前の日に、バイノーラル・レコーディング用のダミー・ヘッドを持って、スタジオの周りの森とかで環境音を採集しました。私はもともと森林浴に興味があったのですが、この時はパンデミックのど真ん中で外になかなか出ることのできない時期だったので、そうやって家から出ることのできない時でも自然を家に持ってこられるような、ヘッドホンをして目を閉じたらどこでも自然を感じられるようなサウンド/環境を作りたかったんです」

このようにして採集した環境音と楽曲をReal World Studiosに持ち込んでミックスを施し、最終的には、シンセサイザー、ヴォーカル、フィールド・レコーディングは、あたかもその場にいるような臨場感を感じられるように=没入感を高めるために、立体的にリアンプしたそうだ。そして、エイフェックス・ツインやジェイムス・ブレイクのマスタリングを務めたことでも知られるマット・コルトンのマスタリングを経て完成した『a journey…』。そこで響くのは、大森が言うように、家にいながらでも自然を感じることのできる、メディテーティヴなアンビエント・サウンドだ。

大森日向子『a journey…』ダイジェスト

そのサウンドは、2020年12月に亡くなった盲目の電子音楽家のポーリーン・アンナ・ストロームやモジュラー・シンセを駆使するケイトリン・アウレリア・スミスの、心の処方箋とでも言いたくなるアンビエントに通ずるものがある。さらに言えば、『a journey…』に通底する静けさ/間を意識したようなミニマリズムからは、80年代の日本産環境音楽からの影響も感じられるのだ。

「日本のエレクトロニック・ミュージックのアーティストでいうと、吉村弘さんや横田進さんが好きでよく聴いてますね。癒やされるというか、聴いているとすごく心が穏やかになれるんです。今作は特に彼らのようなアーティストが作った音楽を意識して作ったわけではないですが、日常的に聴いている音楽が毎日の行動に少なからず影響を与えるように、彼らのサウンドが私の心の芯まで染みていたんだと思います」

「テクスチャ」でありながら時にエモーショナルに響くヴォーカル

この『a journey…』が”メディテーティヴ”なアンビエントとして響くのは、バイノーラルなサウンドや静かにうねっていく電子音だけによるものではない。大森の心地良いヴォーカルもまた、サウンドに穏やかさをもたらしている。

「私は音楽を作る時にあまりプロセスは考えていないんです。ヴォーカルも、作っている時にここにフレーズを入れたらおもしろくなるなというひらめきをもとに、自然の流れのままに歌って、シンセサイザーの音と組み合わせています。いろいろな捉え方があると思いますが、私にとって歌声はマントラのようなものなんですよ。声はシンセサイザーと一緒にレイヤーになるようなテクスチャとして考えていますね」

そう答える大森だが、そのヴォーカルは時としてエモーショナルに響く。そのエモーショナルなヴォーカルとひんやりとしたシンセサイザーのサウンドが融合したのが、「The Richest Garden In Your Memory」だ。

「この曲は私にとって大切な曲です。2018年にショーのためにニューヨークに行く予定があったのですが、吹雪のため飛行機で直接ニューヨークに行けなくなったんです。そこでフィラデルフィア行きの飛行機に乗り換えたのですが、たまたま隣に座っていたのがエミリーさんという素敵な方だったんです。彼女はペンシルヴェニア大学の講師なのですが、そこで会話が弾んで、その後もメールをやりとりするようになったんです。ある時エミリーから彼女の『Great Circles』という本をいただいて、その本に書かれていた詩がすごく心に染みて、つながりを感じたんです。その詩を音楽で表現したいと思って作ったのがこの曲です。アルバムの中でも一番自然に、考えすぎずに作れた曲ですね」

そんな「The Richest Garden In Your Memory」はこのメディテーティヴなアルバム『a journey…』で最も親密性を感じる瞬間として、我々の心に強く刻まれるだろう。最後に大森に”この『a journey…』というアルバムをレコード・ショップの棚に置くとしたら、その両隣にはどんなアルバムが並んでいるか”という質問を投げかけてみた。

「もちろん吉村弘さんや横田進さんのアルバムが隣にあったら嬉しいですけど、別にヘヴィメタルのセクションに置いてあっても全然良いと思いますね。聴いてくださる方がどうやってアルバムを見つけて、どうつながりを感じたのかが大切だと思います。それもまた1つの旅=『a journey…』になると思うので」

大森日向子

大森日向子
神奈川県横浜市出身。3歳でイギリスに移り、現在はロンドンを活動の拠点とする。幼少の頃からクラシック・ピアノを学び、大学でサウンド・エンジニアとしてのトレーニングを受け、その後アナログ・シンセサイザーによる演奏や制作を開始。エド・オブライエン(レディオヘッド)、ケイ・テンペスト、ジョージアといった名だたるアーティストたちのツアーやレコーディングへ参加している。2019年5月に12インチシングル『Voyage』を皮切りにソロアーティストとしての活動を開始し、同年11月にEP『Auraelia』をリリース。本年3月に初のフルアルバムとなる『a journey…』をロンドンのクラブ〈Fabric〉傘下のレーベル〈Houndstooth〉からリリースした。
Twitter:@hinakoomori

author:

坂本哲哉

1984年飛騨高山生まれ。音楽ライター。ミュージック・マガジン、Mikikiなどに寄稿。Twitter:@saka_tetsu_q Instagram:@skmttty

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